那加桐野町
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那加桐野町 | |
---|---|
国 | 日本 |
都道府県 | 岐阜県 |
市町村 | 各務原市 |
地区 | 那加地区 |
人口 | |
• 合計 | 1,269人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
504-0008[2] |
市外局番 | 058 (岐阜MA)[3] |
ナンバープレート | 岐阜 |
那加桐野町(なかきりのちょう)は、岐阜県各務原市の地名。現行行政町名は那加桐野町一丁目から那加桐野町九丁目。
地理
[編集]各務原市の那加地区に属し、各務原市の北西に位置する。町域の東部は那加大洞、尾崎西町、那加柄山町、那加西市場町、西部は那加芦原町、及び岐阜市琴塚、天池、日野南、南部は那加琴が丘町、那加土山町、北部は岐阜市日野南、日野東に接する。
地名は、明治22年まで存在した桐野村に因む[4]。
- 道路
- 県道92号岐阜巣南大野線
- 女子大通り
歴史
[編集]この地域は江戸時代は美濃国各務郡桐野村。1889年(明治22年)に西市場村、更木新田、桐野村、岩地村、山後村、長塚村、前洞村、影野新田、新加納村が合併し、那加村(1940年に町制施行し那加町)が発足すると那加村大字桐野となる。
1963年(昭和38年)、蘇原町、鵜沼町、稲羽町と合併し各務原市が発足すると那加桐野町に改称[5]。
1979年(昭和54年)1月20日にこの地域で区画整理が行われ、従来の那加桐野町と那加山後町の一部、那加西市場町の一部をもって、那加桐野町が成立[6]。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[7]。尚、那加桐野町五丁目は山林及び東海学院大学の敷地となっており、住民はいない。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
那加桐野町一丁目 | 179世帯 | 364人 |
那加桐野町二丁目 | 33世帯 | 86人 |
那加桐野町三丁目 | 30世帯 | 49人 |
那加桐野町四丁目 | 90世帯 | 152人 |
那加桐野町六丁目 | 161世帯 | 383人 |
那加桐野町七丁目 | 62世帯 | 179人 |
那加桐野町八丁目 | 13世帯 | 31人 |
那加桐野町九丁目 | 12世帯 | 25人 |
計 | 580世帯 | 1,269人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8][9]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 各務原市立那加第一小学校 | 各務原市立那加中学校 |
主な施設
[編集]- 東海学院大学
- 東海学院大学短期大学部
- 岐阜陸軍墓地
- 諏訪神社
- 観音寺
交通
[編集]- 各務原市ふれあいバス那加線
※岐阜バスの岐阜日野線、大洞団地線、岐阜関線、岐阜三野線に「東海学院大学前」バス停があるが、所在地は那加桐野町では無く、岐阜市琴塚に存在する。
脚注
[編集]- ^ “町名別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2024年10月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年10月18日閲覧。
- ^ 各務原市歴史民俗資料館 1991, p. 61.
- ^ “各務原市の町区域の画定及び名称の変更(県告示第246号)” (日本語1). 岐阜県. 2024年10月18日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 868.
- ^ “町丁目別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月17日閲覧。
- ^ “小学校就学区域”. 各務原市. 2024年10月11日閲覧。
- ^ “中学校就学区域”. 各務原市. 2024年10月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0。
- 各務原市歴史民俗資料館 編『各務原市の地名(各務原市資料調査報告書第十四号)』各務原市歴史民俗資料館、1991年。