那加山後町
那加山後町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 岐阜県 |
市町村 | 各務原市 |
地区 | 那加地区 |
人口 | |
• 合計 | 429人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
504-0042[2] |
市外局番 | 058 (岐阜MA)[3] |
ナンバープレート | 岐阜 |
那加山後町(なかやまうしろちょう)は、岐阜県各務原市の地名。現行行政町名は那加山後町一丁目から三丁目。
地理
[編集]各務原市の那加地区に属する。町域の東部は那加西市場町、西部は那加岩地町、那加土山町、南部は那加手力町、北部は那加西市場町に接する。
地名は、明治22年まで存在した山後村に因む[4]。
町域には東海北陸自動車道が通過し、境川、岩地川(境川支流)が流れる。
歴史
[編集]この地域は江戸時代は美濃国各務郡山後村[要出典]。1889年(明治22年)に西市場村、更木新田、桐野村、岩地村、山後村、長塚村、前洞村、影野新田、新加納村が合併し、那加村が発足すると那加村大字山後となり、1940年(昭和15年)に那加村が町制施行し那加町となると那加町大字山後となる[要出典]。
1963年(昭和38年)、那加町、蘇原町、鵜沼町、稲羽町が合併し各務原市が発足すると那加山後町に改称[5]。
1977年(昭和52年)10月26日、この地域の土地改良、区画整理により、那加山後町の一部と那加長塚町の一部とで那加荒田町[6]、那加大谷町[7]、那加五反田町[7]が成立。
1978年(昭和53年)1月31日、この地域の土地改良、区画整理により、那加山後町の一部と那加長塚町の一部で那加石山町[6]、那加山後町の一部、那加長塚町の一部、那加新加納町の一部で那加大門町[8]が成立。那加山後町の残部で那加山後町一丁目から三丁目が成立[9]。
1979年(昭和54年)1月20日、那加桐山町と那加山後町の一部、那加西市場町の一部をもって那加桐野町一丁目から九丁目が成立[7]。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[10]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
那加山後町一丁目 | 15世帯 | 44人 |
那加山後町二丁目 | 32世帯 | 45人 |
那加山後町三丁目 | 119世帯 | 340人 |
計 | 166世帯 | 429人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11][12]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 各務原市立那加第一小学校 | 各務原市立那加中学校 |
主な施設
[編集]- 山後町公民館
- 八幡神社
- 正厳寺
交通
[編集]- 各務原市ふれあいバス那加線
脚注
[編集]- ^ “町名別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月30日閲覧。
- ^ “郵便番号”. 日本郵便. 2024年11月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年11月30日閲覧。
- ^ 各務原市歴史民俗資料館 1991, p. 68.
- ^ “各務原市の町区域の画定及び名称の変更(県告示第246号)” (日本語1). 岐阜県. 2024年11月30日閲覧。
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 867.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 868.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 869.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 871.
- ^ “町丁目別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月30日閲覧。
- ^ “小学校就学区域”. 各務原市. 2024年11月30日閲覧。
- ^ “中学校就学区域”. 各務原市. 2024年11月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0。
- 各務原市歴史民俗資料館 編『各務原市の地名(各務原市資料調査報告書第十四号)』各務原市歴史民俗資料館、1991年。