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那加山後町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 岐阜県 > 各務原市 > 那加山後町
那加山後町
日本の旗 日本
都道府県 岐阜県
市町村 各務原市
地区 那加地区
人口
2024年(令和6年)10月1日現在)[1]
 • 合計 429人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
504-0042[2]
市外局番 058 (岐阜MA)[3]
ナンバープレート 岐阜

那加山後町(なかやまうしろちょう)は、岐阜県各務原市の地名。現行行政町名は那加山後町一丁目から三丁目。

地理

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各務原市の那加地区に属する。町域の東部は那加西市場町、西部は那加岩地町那加土山町、南部は那加手力町、北部は那加西市場町に接する。

地名は、明治22年まで存在した山後村に因む[4]

町域には東海北陸自動車道が通過し、境川、岩地川(境川支流)が流れる。

歴史

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この地域は江戸時代美濃国各務郡山後村[要出典]1889年(明治22年)に西市場村、更木新田、桐野村、岩地村、山後村、長塚村、前洞村、影野新田、新加納村が合併し、那加村が発足すると那加村大字山後となり、1940年(昭和15年)に那加村が町制施行し那加町となると那加町大字山後となる[要出典]

1963年(昭和38年)、那加町、蘇原町鵜沼町稲羽町が合併し各務原市が発足すると那加山後町に改称[5]

1977年(昭和52年)10月26日、この地域の土地改良、区画整理により、那加山後町の一部と那加長塚町の一部とで那加荒田町[6]那加大谷町[7]那加五反田町[7]が成立。

1978年(昭和53年)1月31日、この地域の土地改良、区画整理により、那加山後町の一部と那加長塚町の一部で那加石山町[6]、那加山後町の一部、那加長塚町の一部、那加新加納町の一部で那加大門町[8]が成立。那加山後町の残部で那加山後町一丁目から三丁目が成立[9]

1979年(昭和54年)1月20日、那加桐山町と那加山後町の一部、那加西市場町の一部をもって那加桐野町一丁目から九丁目が成立[7]

世帯数と人口

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2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[10]

丁目 世帯数 人口
那加山後町一丁目 15世帯 44人
那加山後町二丁目 32世帯 45人
那加山後町三丁目 119世帯 340人
166世帯 429人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11][12]

番・番地等 小学校 中学校
全域 各務原市立那加第一小学校 各務原市立那加中学校

主な施設

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  • 山後町公民館
  • 八幡神社
  • 正厳寺

交通

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脚注

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  1. ^ 町名別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月30日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2024年11月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2024年11月30日閲覧。
  4. ^ 各務原市歴史民俗資料館 1991, p. 68.
  5. ^ 各務原市の町区域の画定及び名称の変更(県告示第246号)” (日本語1). 岐阜県. 2024年11月30日閲覧。
  6. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 867.
  7. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 868.
  8. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 869.
  9. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980, p. 871.
  10. ^ 町丁目別人口・世帯数” (PDF). 各務原市 (2024年10月1日). 2024年11月30日閲覧。
  11. ^ 小学校就学区域”. 各務原市. 2024年11月30日閲覧。
  12. ^ 中学校就学区域”. 各務原市. 2024年11月30日閲覧。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年。ISBN 4-04-001210-0 
  • 各務原市歴史民俗資料館 編『各務原市の地名(各務原市資料調査報告書第十四号)』各務原市歴史民俗資料館、1991年。