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和寒駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和寒駅
駅舎(2017年8月)
わっさむ
Wassamu
W37 塩狩 (7.9 km)
(8.9 km) 剣淵 W40
地図
所在地 北海道上川郡和寒町字北町
北緯44度1分36.5秒 東経142度24分55秒 / 北緯44.026806度 東経142.41528度 / 44.026806; 142.41528座標: 北緯44度1分36.5秒 東経142度24分55秒 / 北緯44.026806度 東経142.41528度 / 44.026806; 142.41528
駅番号 W38
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 宗谷本線
キロ程 36.3 km(旭川起点)
電報略号 ワサ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗降人員
-統計年度-
164人/日
-2014年-
開業年月日 1899年(明治32年)11月15日[1]
備考 無人駅
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和寒駅(わっさむえき)は、北海道上川郡和寒町字北町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。電報略号ワサ事務管理コードは▲121810[2][3]駅番号W38特急「宗谷」「サロベツ」含む全列車が停車する。和寒町の代表駅である。

歴史

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1977年の和寒駅と周囲約500m範囲。上が名寄方面。中央の跨線橋で結ばれた国鉄型配線千鳥式ホーム2面3線と外に複数の副本線、駅舎横の旭川側に貨物積卸場と引込み線、その他旭川側の左右に多数の留置用引込み線がある。駅裏は細長いストックヤード。ホームの跨線橋の旭川側に東口への連絡橋が見える。かつては蘭留駅と同様に塩狩峠越えの補機用機関車が配備され、駅裏の名寄側に待機線と転車台を持っていた。周囲の草木で白い歪な円形状に見えるのが転車台跡。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  • 1899年明治32年)11月15日北海道官設鉄道天塩線蘭留駅 - 当駅間延伸開業にともない設置[4]一般駅[1][5]
  • 1900年(明治33年)8月5日:当駅 - 士別駅間延伸開業[4]
  • 1905年(明治38年)4月1日鉄道作業局に移管[4]
  • 1912年大正元年)9月21日:宗谷線に線名を改称[4]
  • 1919年(大正8年)10月20日:宗谷本線に線名を改称[4]
  • 1925年(大正14年)6月:構内に本線給水所を設置[5]
  • 1927年(昭和2年)1月1日:構内で「つたや」が立売業を開始[5]
  • 1935年(昭和10年)10月12日:駅舎改築[5]
  • 1949年(昭和24年)6月1日公共企業体である日本国有鉄道に移管。この年、和寒駅旅行会が結成[5]
  • 1950年(昭和25年)6月:2番ホーム上で「つたや」が売店を営業開始[5]
  • 1953年(昭和28年)1月3日:寒波により給水設備が凍結。5日まで消防車による蒸気機関車への給水を実施[5]
  • 1957年(昭和32年)8月:駅舎待合室に売店開業[5]
  • 1967年(昭和42年):給水設備(名寄機関区和寒駐泊転向給水業務)廃止[5]
  • 1968年(昭和43年)
    • 7月25日:補助コンテナ基地設置[5]
    • 12月1日:永山保線支区の発足に伴い、和寒線路分区と線路班が廃止され、新たに和寒検査班が発足[5]
  • 1971年(昭和46年)10月:転車台・給水塔を撤去[5]
  • 1973年(昭和48年):構内を跨ぐ人道跨線橋を設置[5]
  • 1974年(昭和49年):新たな構内跨線橋を設置[5]
  • 1980年(昭和55年):転轍機、信号機を継電連動化[6]
  • 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止[1]
  • 1984年(昭和59年)
  • 1986年(昭和61年)11月1日:電子閉塞化により連査閉塞運転要員無人化[8]
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[9]
  • 1988年(昭和63年)11月30日:現駅舎に改築[6][10][11]
  • 1992年平成4年)4月1日:簡易委託終了、以後士別駅派遣により出札業務を継続(末期はベニヤ板を外して窓口を開けていた)。
  • 1995年(平成7年)4月1日:派遣による出札業務終了。無人化[11]
  • 2000年(平成12年):同年3月11日のダイヤ改正に伴う旭川駅 - 名寄駅間高速化に関連し、同日までに分岐器の重量化(引き続き両開き型)・ホームの嵩上げを実施[12]

駅名の由来

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アイヌ語で、「オヒョウニレの木の・傍ら」を意味する「ワッサ(wat-sam)[注釈 1]」に由来する[13]

駅構造

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2面3線の島式・相対式の複合ホームを持つ地上駅国鉄規格の木造駅舎は解体され、改築後の駅舎は西側1箇所にある。なお、駅舎内には当駅と宗谷本線に関係する歴史が記載された年表、古写真などが展示されている[11]

無人駅自動券売機なし。ホーム間の移動は跨線橋を使う。

のりば

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番線 路線 方向 行先
1 宗谷本線 下り 名寄稚内方面
2・3 上り 旭川札幌方面

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

乗車人員推移
年度 乗車人員(人) 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1912年(大正元年) 29,447 (80.7) [5]
1915年(大正04年) 24,008 (65.8)
1920年(大正09年) 39,366 (107.9)
1924年(大正13年) 47,242 (129.4)
1928年(昭和03年) 53,887 (147.6)
1933年(昭和08年) 49,870 (136.6)
1938年(昭和13年) 72,675 (199.1)
1942年(昭和17年) 115,340 (316.0)
1948年(昭和23年) 169,405 (464.1)
1953年(昭和28年) 208,988 (572.6)
1968年(昭和33年) 273,044 (748.1)
1973年(昭和38年) 281,992 (772.6)
1965年(昭和40年) 250,775 (687.1) 一般乗車と定期券乗車の合算
1967年(昭和42年) 200,440 (547.7)
1969年(昭和44年) 173,679 (475.8)
1971年(昭和46年) 152,483 (416.6)
1973年(昭和48年) 148,888 (407.9)
1978年(昭和53年) 343.0 [14]
2011年(平成23年) (230) [15] 1日乗降人員平均:460人 前年に和寒高校廃校
2012年(平成24年) (79) 1日乗降人員平均:158人
2013年(平成25年) (71) 1日乗降人員平均:142人
2014年(平成26年) (82) 1日乗降人員平均:164人
2018年(平成30年) 97.6 [JR北 1]
2019年(令和元年) 88.2 [JR北 2]
2023年(令和05年) 57.8 [JR北 3]

駅周辺

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かつては塩狩峠を超える際に、当駅が機関車待機の拠点となっていた[11]。駅前にはタクシー会社の営業所や食堂が立ち並んでおり、拠点であったことの名残がある[11]

その他

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前述したとおり、かつては当駅が機関車待機の拠点となっていたため、当駅で駅弁の立ち売り販売が実施されていたが、1995年に無人化されて以降は実施されていない[11]

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
快速「なよろ
比布駅 (W34) - (2・4・5号は塩狩駅 (W37)) - 和寒駅 (W38) - 剣淵駅 (W40)
普通
塩狩駅 (W37) - 和寒駅 (W38) - *東六線駅 (W39) - 剣淵駅 (W40)
*:打消線は廃駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 「アッサ(at-sam)」と表記されることもある。

出典

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  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、897-898頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、238頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年1月15日閲覧 
  3. ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
  4. ^ a b c d e 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 14頁
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 和寒町 編『和寒町史』和寒町、1975年、409-412頁。doi:10.11501/9569701https://doi.org/10.11501/95697012022年6月25日閲覧 
  6. ^ a b 『和寒町百年史』和寒町、2000年3月。 
  7. ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日) 
  8. ^ “宗谷線、20駅無人化へ 特殊自動閉そく装置導入工事進む”. 交通新聞 (交通協力会): p. 2. (1986年9月17日) 
  9. ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 通巻20号 宗谷本線/留萌本線 17頁
  10. ^ “全駅DATA 石北本線②(上川~網走) 宗谷本線”. 週刊JR全駅・全車両基地 (朝日新聞出版) (No.60): pp.19-27. (2013-10-03). 
  11. ^ a b c d e f 『鉄道ジャーナル』通巻654号 p.27
  12. ^ 鶴, 通孝、中井, 精也「北辺に生きる鉄路 2000年春の高速化を待望する宗谷本線」『鉄道ジャーナル』第33巻第9(通巻395)号、鉄道ジャーナル社、1999年9月1日、pp.47-57、ISSN 0288-2337 
  13. ^ アイヌ語地名リスト ル~ワ P141-145”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月17日閲覧。
  14. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、886頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  15. ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧
  16. ^ 交流施設 ひだまり和寒町総務課まちづくり推進係
  17. ^ JR和寒駅 駅スタンプあります(交流施設 ひだまり内)和寒町総務課まちづくり推進係
  18. ^ わっさむ町食と観光情報案内所和寒町総務課まちづくり推進係

JR北海道

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  1. ^ 駅別乗車人員(【別添資料】(2)宗谷本線(旭川・稚内間)の状況)” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)事業計画(アクションプラン). 北海道旅客鉄道. pp. 11-12 (2019年4月). 2019年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月18日閲覧。
  2. ^ 駅別乗車人員(【別添資料】(2)宗谷本線(旭川・稚内間)の状況)” (PDF). 宗谷線(旭川~稚内間)第2期事業計画(アクションプラン). p. 10 (2021年4月16日). 2021年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月29日閲覧。
  3. ^ 宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。


参考文献

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  • 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、5-17頁。 
  • 武田元秀、山井美希(写真)「最北端最後の砦 孤高の一本道」『鉄道ジャーナル』第55巻第4号(通巻654号)、成美堂出版、2020年4月1日、24-33頁、ISSN 0288-2337 

関連項目

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外部リンク

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