下沼駅
下沼駅 | |
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駅舎(2021年9月) | |
しもぬま Shimonuma | |
◄W72 幌延 (7.8 km) (8.7 km) 豊富 W74► | |
所在地 | 北海道天塩郡幌延町字下沼 |
駅番号 | ○W73 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 207.2 km(旭川起点) |
電報略号 | モマ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1926年(大正15年)9月25日[1] |
備考 | 無人駅 |
下沼駅(しもぬまえき)は、北海道(宗谷総合振興局)天塩郡幌延町字下沼にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。電報略号はモマ。事務管理コードは▲121843[2]。駅番号はW73。
歴史
[編集]- 1926年(大正15年)9月25日:国有鉄道天塩線の幌延駅 - 兜沼駅間延伸開通に伴い開業[3][4][5]。一般駅[1]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1963年(昭和38年)2月10日:公衆電報の取り扱い廃止[6]。
- 1977年(昭和52年)5月25日:貨物の取り扱いが終了[1]。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)7月:駅舎改築、貨車駅舎となる[新聞 2][新聞 3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 2015年(平成27年):周辺住民の手により駅舎に木製看板が掲げられる[新聞 2]。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2019年(令和元年)12月3日:JR北海道が沿線自治体に対し、宗谷本線活性化推進協議会を通じて当駅含む29駅[注釈 3]について、自治体による維持管理もしくは費用負担による存続か、2021年(令和3年)3月での廃止かの方針を2020年3月までに報告するよう要請[新聞 7]。
- 2020年(令和2年)3月28日:幌延町が2021年度から、ふるさと納税等を原資とした町による維持管理に移行することを発表[幌延町 4]。
- 当駅の存続理由について幌延町は「サロベツ湿原等観光資源の玄関口として活用度が高いこと[幌延町 4]」とした。
- 2021年(令和3年)4月:幌延町による維持管理に移行[新聞 8][JR北 1]。
駅名の由来
[編集]現在のパンケ沼を指すアイヌ語の「パンケト(panke-to)」(下流側の・沼)の意訳に由来する[8][9][10][11]。
地名ももとは「下サロベツ」と称していたが、駅開業後に「下沼」となった[11]。
駅構造
[編集]1984年(昭和59年)の合理化以前は相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であったが[12][注釈 4]、線路の西側のホーム[注釈 5]を残し、分岐器を持たない棒線駅とされた[13][13]。ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲している[13]。
駅舎は構内の南西側に位置しホーム南側に接している[13]。無人化後の1985年(昭和60年)にはヨ3500形車掌車を改造した貨車駅舎が旧駅舎の基礎上に設置されている[14][13][9]。トイレは無い[9]。駅舎は地元の住民の私費で設置した花壇や看板、旅行者の置き土産により装飾されている[新聞 2][幌延町 5]。また、外装は2017年(平成29年)6月から8月にかけて幌延町による「マイステーション運動」の一環として、町が制作した本駅のイメージキャラクター「ぬまひきょん」をイメージし修繕された[新聞 2][新聞 5][新聞 6]。
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ホーム(2021年9月)
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駅名標(2021年9月)
利用状況
[編集]かつては当駅から南下沼駅(2006年廃止)近くの学校(小中学校とも1982(昭和57)年3月閉校)まで通学に使用された[新聞 2]。
幌延町によれば、2017年(平成29年)1月現在、日常的ではないが、下沼の寺院で行われるイベントへ訪れる市街地の子供の利用があるという[新聞 2][幌延町 1]。
乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。
また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1966年(昭和41年) | 21,763 | (59.6) | [15] | ||
1978年(昭和53年) | 16 | [16] | |||
1981年(昭和56年) | (22.0) | [12] | 1日乗降客数44人 | ||
1992年(平成 | 4年)(8.0) | [13] | 1日乗降客数16人 | ||
2015年(平成27年) | 「1名以下」 | [JR北 2] | |||
2016年(平成28年) | 0.2 | [JR北 3] | |||
2017年(平成29年) | 0.4 | [JR北 4] | |||
2018年(平成30年) | 0.4 | [JR北 5] | |||
2019年(令和元年) | 0.4 | [JR北 6] | |||
2020年(令和 | 2年)0.4 | [JR北 7] | |||
2021年(令和 | 3年)0.2 | [JR北 8] | |||
2022年(令和 | 4年)0.0 | [JR北 9] | |||
2023年(令和 | 5年)0.2 | [JR北 10] |
駅周辺
[編集]西側は牧草地と少数の住居・牛舎などの酪農施設・寺院が点在し、その先の防風林の向こうには広大な下サロベツ原野が広がる。東側は線路に沿って鉄道林がのび、林の先は丘陵地となっている。
- 湧水サロベツ 権左衛門 - 地元の有志によって管理されている誰でも自由に汲むことの出来る湧水地。駅から西に徒歩1分。約100m。駅前通り沿い北側にある[9][幌延町 6]。
- 下沼の湧水 - 駅からパンケ沼方面へ600m[幌延町 6]。
- 法昌寺
- 国道40号(天塩国道) - 上記鉄道林と丘陵地との間を、宗谷本線と平行に通っている。
- 名山台展望公園 - 利尻富士、日本海、サロベツ原野の広大な風景を一望できる展望台[9]。駅から北に徒歩15分。直線距離で約0.5km[12]。国道40号沿い。
- サロベツ原野(下サロベツ原野) - ラムサール条約登録の泥炭湿地の広大な原野。駅から西に約1.5km[12]。
- パンケ沼(パンケ沼園地) - 下サロベツ原野の中にある大きな沼。駅から西に徒歩30分以上。約2.0km[12]。
- 幌延ビジターセンター - サロベツ原野の動植物や湿原の成り立ちに関する展示コーナーなどがある案内施設。夜間及び冬季は閉鎖。少し離れたところに無料展望台がある。駅から徒歩1時間15分。パンケ沼園地から続く木道散策路を経由し約5km。
その他
[編集]羽幌線計画と当駅
[編集]後に羽幌線の一部となる、改正鉄道敷設法別表第144号における「天塩国羽幌ヨリ天塩ヲ経テ下沙流別付近ニ至ル鉄道」の建設前の1927年(昭和2年)、分岐点について、立憲政友会は稚内方面への連絡を意図して当駅での分岐、憲政会は下沼駅付近の地盤が軟弱であることを理由に幌延駅での分岐を支持した[17]。
こうした経緯もあり、1927年(昭和2年)8月に、幌延村長高橋文之助から農林政務次官東武(あずまたけし、立憲政友会所属)に宛てた陳情書の中に「遠別線鉄道促成ノ件 下沼・遠別間二十一里ノ遠別線鉄道ヲ昭和3年度着手、昭和7年度ニ完成セラレ度」として、分岐点を当駅とする旨の記述が見られる[幌延町 7]。
その後、1929年(昭和4年)には村会をはじめ村内で分岐点をめぐる論争が活発となり、9月の村会では、分岐駅を幌延駅とする建議案が否決されている[幌延町 7]。
しかし、最終的には幌延駅を分岐点とする線路測量が行われ、1935年(昭和10年)6月30日に幌延駅 - 天塩駅間が開通している[幌延町 7]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、902頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、239頁。doi:10.11501/1873236 。2023年1月15日閲覧。
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1926-09-20). “鉄道省告示 第173号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (4233) .
- ^ a b 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179-180ページより。
- ^ a b 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)47ページより。
- ^ 『鉄道百年記念 旭鉄略年表(1972年)』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1972年、33頁。doi:10.11501/12061017 。
- ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)149ページより。
- ^ “アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月8日閲覧。
- ^ a b c d e 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)221ページより。
- ^ 太田幸夫『北海道の駅 878ものがたり~駅名のルーツ探求~』(1版)富士コンテム、札幌市、2004年2月29日、125頁。ISBN 4-89391-549-5。
- ^ a b 白山友正 編『幌延町史』幌延町、1974年、118頁。doi:10.11501/9569192 。
- ^ a b c d e f g h 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)185ページより。
- ^ a b c d e f 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)150ページより。
- ^ 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)22ページより。
- ^ 白山友正 編『幌延町史』幌延町、1974年、784頁。doi:10.11501/9569192 。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、890頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 坂東, 幸太郎(著)、北海道総務部文書課(編)「当麻軍用地の解放」『北海道回想録』、北海道、1964年、162-174頁、doi:10.11501/2503169。
JR北海道
[編集]- ^ 『来春のダイヤ見直しについて』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年12月9日。オリジナルの2020年12月9日時点におけるアーカイブ 。2020年12月10日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ 「宗谷線(名寄・稚内間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月30日時点におけるアーカイブ 。2017年12月30日閲覧。
- ^ 『宗谷線(名寄・稚内間)』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2017年7月2日。オリジナルの2018年7月3日時点におけるアーカイブ 。2018年7月13日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 4 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
- ^ “駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2023年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月10日閲覧。
- ^ “宗谷線(旭川・稚内間) 事業の抜本的な改善方策の実現に向けた実行計画(2024(令和6)~2026(令和8)年度)” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2024年). 2024年9月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月8日閲覧。
幌延町
[編集]- ^ a b “JR北海道が行う事業範囲の見直しに対する町の方針について” (PDF). 広報 ほろのべの窓 2017年1月号. 幌延町. p. 9 (2017年1月). 2017年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月4日閲覧。
- ^ “平成29年度幌延町各会計予算説明資料” (PDF). 幌延町. 2017年12月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月19日閲覧。
- ^ a b “JR北海道が行う事業範囲の見直しに対する町の方針について” (PDF). 広報 ほろのべの窓 2018年1月号. 幌延町. p. 6 (2018年1月). 2018年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月2日閲覧。
- ^ a b “幌延町内における宗谷本線「極端に利用の少ない無人駅」に係る町方針について”. 幌延町. 2020年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月29日閲覧。
- ^ “幌延町内の各駅ご紹介”. 幌延町 (2017年11月6日). 2017年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月6日閲覧。
- ^ a b “地域おこし協力隊通信 Vol.25” (PDF). 広報 ほろのべの窓 2018年1月号. 幌延町. p. 6 (2018年1月). 2018年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月2日閲覧。
- ^ a b c “幌延町開基110年記念『先人たち足跡』鉄道の開通ー羽幌線” (PDF). 広報誌 ほろのべの窓 2009年1月号. 幌延町. p. 12 (2009年1月). 2017年12月11日閲覧。
新聞記事
[編集]- ^ “「通報」●函館本線江部乙駅ほか49駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 1. (1984年11月9日)
- ^ a b c d e f 山野辺享 (2017年9月27日). “<秘境駅の里・幌延>中 下沼 妖怪も一役 駅舎大変身”. 北海道新聞(どうしん電子版) (北海道新聞社). 2017-09-27 2018年10月7日閲覧。
- ^ “列車待合室”が登場 宗谷本線合理化を象徴(名寄新聞、1985年7月8日)
- ^ a b “幌延町、廃止3駅の維持費負担” (日本語). 北海道新聞. どうしんウェブ/電子版(社会) (北海道新聞社). (2016年11月23日). オリジナルの2016年11月22日時点におけるアーカイブ。 2016年11月23日閲覧。
- ^ a b “秘境駅で活性化 幌延「下沼」お化粧直し会 新キャラも描く”. どうしんweb(北海道新聞) (北海道新聞社). (2017年6月26日) 2017年7月17日閲覧。
- ^ a b 佐藤正樹 (2017年6月6日). “宗谷本線の秘境駅が「お色直し」へ…北海道幌延町「マイステーション」 6月25日”. レスポンス (レスポンス) 2017年7月17日閲覧。
- ^ “宗谷線の無人駅管理 自治体に要請 JR「負担か廃止」 3月期限、悩む沿線”. 北海道新聞. (2019年12月12日). オリジナルの2019年12月12日時点におけるアーカイブ。 2020年3月28日閲覧。
- ^ “無人18駅、自治体管理へ JR北海道 経営難で急拡大”. 北海道新聞. (2021年2月5日). オリジナルの2021年2月6日時点におけるアーカイブ。 2021年2月9日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 下沼|駅の情報検索(時刻表・バリアフリー)|鉄道・きっぷ|JR北海道- Hokkaido Railway Company