粟佐橋
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粟佐橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県千曲市 |
交差物件 | 千曲川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 千曲市道3110号線 |
管理者 | 千曲市 |
施工者 | 石川島播磨重工業・駒井鐵工所・櫻田機械工業・住友重機械工業・宮地鐵工所・横河橋梁製作所 |
竣工 | 1989年度(平成元年度) |
開通 | 1990年(平成2年)10月 |
座標 | 北緯36度32分22.3秒 東経138度6分57.8秒 / 北緯36.539528度 東経138.116056度 |
構造諸元 | |
形式 | 連続箱桁橋・連続鈑桁橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 428.500 m |
幅 | 12.800 m |
最大支間長 | 63.850 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
粟佐橋(あわさばし)は、長野県千曲市の千曲川に架かる千曲市道3110号線の橋長428.5 m(メートル)の桁橋。
概要
[編集]右岸側の低水敷部分には箱桁橋を、左岸側の高水敷部分には鈑桁橋を採用している。
- 形式 - 鋼4径間連続鈑桁橋+鋼4径間連続箱桁橋
- 橋格 - 1等橋(TL-20)
- 橋長 - 428.500 m
- 支間割 - ( 4×42.750 m ) + ( 4×63.850 m )
- 幅員
- 総幅員 - 12.800 m
- 有効幅員 - 12.000 m
- 車道 - 7.000 m
- 歩道 - 両側2.500 m
- 床版 - 鉄筋コンクリート
- 鋼重 - 1345.388 t
- 施工 - 石川島播磨重工業[注釈 1]・駒井鐵工所[注釈 2]・櫻田機械工業[注釈 3]・住友重機械工業・宮地鐵工所[注釈 4]・横河橋梁製作所[注釈 5]
- 架設工法 - 自走クレーン・ベント工法
歴史
[編集]1852年(嘉永5年)の絵図には粟佐の渡船は記されておらず、長野県町村誌の西船山村・塩崎村の両頁にも記載はないが1882年(明治15年)の長野県町村誌付図の西船山村全村図において舟橋が描かれている[2]。
1888年(明治21年)3月に舟橋の上流に橋長136 m、幅員2.1 mの木橋が架橋された[3]。1894年(明治27年)1月に幅員が幅員3.8 mとなった[4][5][6]。
1906年(明治39年)7月16日に千曲川洪水ため、流失[7]。
1920年(大正9年)に橋長237.20 m、幅員2.7 mの木橋が架橋された[8]。信濃川百年史によれば、1970年代にこの木橋は長野県管理で重量制限は1 t(トン)で木橋脚が34本あった[9]。
1949年(昭和24年)8月31日にキティ台風のため、流失[7]。
長野県の千曲川にかかる橋の中ではもっとも遅くまで木橋として残されていたが、1990年(平成2年)10月に鋼橋となった。旧橋は、1990年(平成2年)末に撤去された[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “橋梁年鑑 平成3年版” (PDF). pp. 67, 188, 189. 2020年8月29日閲覧。
- ^ a b 長野県教育委員会『歴史の道路調査書XXXI 千曲川』(初版)長野県文化財保護協会、1992年6月20日、98, 99頁。
- ^ “粟佐橋1888-3”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年8月29日閲覧。
- ^ “粟佐橋1894-1”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年8月29日閲覧。
- ^ “粟佐橋1898-11”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年8月29日閲覧。
- ^ 福井次郎「長野県統計書に見る明治・大正時代の長野県道路橋架設状況について」(PDF)『土木史研究 講演集』第25巻、土木学会、2005年、297 - 306頁、2020年9月25日閲覧。
- ^ a b “付表”. 令和元年版長野市統計書. 長野市 (2020年3月25日). 2020年8月29日閲覧。
- ^ “粟佐橋1920”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年8月29日閲覧。
- ^ 建設省北陸地方建設局『信濃川百年史』社団法人北陸建設弘済会、1979年3月30日、1158頁。