柏尾橋
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柏尾橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県飯山市大字瑞穂豊字柏尾 - 大字常郷 |
交差物件 | 千曲川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 長野県道410号柏尾戸狩停車場線 |
管理者 | 長野県北信建設事務所 |
施工者 | 浦賀重工業 |
竣工 | 1962年(昭和37年)12月 |
開通 | 1962年(昭和37年)12月 |
座標 | 北緯36度54分59.5秒 東経138度23分52.3秒 / 北緯36.916528度 東経138.397861度 |
構造諸元 | |
形式 | 下路単純ワーレントラス橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 243.300 m |
幅 | 6.100 m |
最大支間長 | 60.000 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
柏尾橋(かしおばし)は、長野県飯山市大字瑞穂豊字柏尾 - 大字常郷の千曲川に架かる長野県道410号柏尾戸狩停車場線の橋長243.3 m(メートル )のトラス橋。
概要
[編集]- 形式 - 鋼4径間下路単純RC床版直弦ワーレントラス橋
- 橋格 - 第2種 (TL-14)
- 橋長 - 243.300 m
- 支間割 - 4×60.000 m
- 幅員
- 総幅員 - 6.100 m
- 有効幅員 - 5.500 m
- 車道 - 5.500 m
- 歩道 - なし
- 施工 - 浦賀重工業
- 架設工法 - ケーブルエレクション工法(中央2径間)・ステージング工法(側径間)
歴史
[編集]柏尾と大倉崎とを結ぶ渡しに1879年(明治12年)11月に船25艘、橋長78間(約142 m)、幅員2間(約3.6 m)の船橋が架橋されたが[2]、千曲川の増水のため流失し1891年(明治24年)には渡船に復した[3]。
1925年(大正14年)[注釈 1]に飯山線戸狩駅[注釈 2]開設に合わせて渡船場より約200 m上流に木桁橋が架橋される。これは、1928年(昭和3年)、1929年(昭和4年)に流失し都度復旧するも1930年(昭和5年)8月1日に流失する[4]。
1932年(昭和7年)4月3日に工費約4万円を費やして鉄筋コンクリート主塔、鉄トラス補剛桁の吊橋が架橋される。これは当地方で初めての近代吊橋であったが、1959年(昭和34年)8月14日[注釈 3]に台風第7号のため流失した[3][5][6]。
このため3年余の工期に工費約1億6000万円を費やし、1962年(昭和37年)12月に、トラス橋である現橋を架設した[3][7]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “鐵骨橋梁年鑑 昭和29年版” (PDF). 鉄骨橋梁協会. pp. 98, 99. 2020年10月7日閲覧。
- ^ “柏尾橋1879-11”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年10月7日閲覧。
- ^ a b c 長野県教育委員会『歴史の道路調査書XXXI 千曲川』(初版)長野県文化財保護協会、1992年6月20日、99頁。
- ^ “柏尾橋1926”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年10月7日閲覧。
- ^ “あの日あの頃 いいやま50年の記憶” (PDF). 飯山市. 2020年10月7日閲覧。
- ^ “柏尾橋1932-4-3”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年10月7日閲覧。
- ^ “柏尾橋1963”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2020年10月7日閲覧。
外部リンク
[編集]- 長野県北信建設事務所 - 橋梁管理者
- 空から眺める千曲川・犀川 千曲川下流 - 国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所