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「いすゞ自動車」の版間の差分

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[[グループA]]規定で行われたJTC([[全日本ツーリングカー選手権]])のディヴィジョン3や、N1耐久(現[[スーパー耐久]])にも少数だがジェミニを用いるチームがあった。
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[[ラリーレイド]]では00年代に元[[フェラーリ]][[F1]]ドライバーの[[クレイ・レガツォーニ]]が、フランス・スイス・イタリアのいすゞ代理店であるMIDIヨーロッパを母体とし、いすゞ本社もサポートするチームを率いて、「チーム・いすゞ・クレイ・レガツォーニ」として市販車ベースのD-MAXで参戦した<ref>[http://www.ediorioli.com/inglese/ 6/12/2004) Presentata sul Cellina la Dakar 2005 del Team ISUZU Clay Reagazzoni]</ref>。4度の二輪ダカール王者[[エディ・オリオリ]]や、WRCの「無冠の帝王」[[マルク・アレン]]がドライブし、2005年の[[ファラオ・ラリー]]ではディーゼル車の1位を獲得した<ref>[https://www.isuzu.co.jp/world/newsroom/assets/pdf/20051027_01.pdf
[[ラリーレイド]]では00年代に元[[フェラーリ]][[F1]]ドライバーの[[クレイ・レガツォーニ]]が、フランス・スイス・イタリアのいすゞ代理店であるMIDIヨーロッパを母体とし、いすゞ本社もサポートするチームを率いて、「チーム・いすゞ・クレイ・レガツォーニ」として市販車ベースのD-MAXで参戦した<ref>[http://www.ediorioli.com/inglese/ 6/12/2004) Presentata sul Cellina la Dakar 2005 del Team ISUZU Clay Reagazzoni]</ref>。4度の二輪ダカール王者[[エディ・オリオリ]]や、WRCの「無冠の帝王」[[マルク・アレン]]がドライブし、2005年の[[ファラオ・ラリー]]ではディーゼル車の1位を獲得した<ref>[https://www.isuzu.co.jp/world/newsroom/assets/pdf/20051027_01.pdf Isuzu Pickup Wins Class in Pharaohs Rally]</ref>。また日本のプライベーターからは[[いすゞ・ビッグホーン|ビッグホーン]]や[[いすゞ・ミュー|ミュー]]が用いられ、チーム・アオヤギ(浅井明/青柳暁子組)は1991〜1996年にいすゞ車を続けて運用し、1994年にビッグホーンで市販車無改造・マラソン(主要部品無交換)クラスで優勝を果たしている<ref>[https://www.paridaka-info.net/w/?page_id=9#art1994]</ref>。現在ダカールで[[日野自動車|日野チームスガワラ]]を率いる[[菅原照仁]]も、下積み時代にビッグホーンをドライブしていたことがある。
Isuzu Pickup Wins Class in Pharaohs Rally]</ref>。また日本のプライベーターからは[[いすゞ・ビッグホーン|ビッグホーン]]や[[いすゞ・ミュー|ミュー]]が用いられ、チーム・アオヤギ(浅井明/青柳暁子組)は1991〜1996年にいすゞ車を続けて運用し、1994年にビッグホーンで市販車無改造・マラソン(主要部品無交換)クラスで優勝を果たしている<ref>[https://www.paridaka-info.net/w/?page_id=9#art1994]</ref>。現在ダカールで[[日野自動車|日野チームスガワラ]]を率いる[[菅原照仁]]も、下積み時代にビッグホーンをドライブしていたことがある。


1991年、当時同じGM傘下であり、乗用車の特殊仕様車などで協力関係にあったイギリスの[[ロータス・カーズ]]([[前輪駆動|FF]]の[[ロータス・エラン#二代目(1989年-1995年)|エラン(2代目)]]用として、いすゞからエンジンと[[トランスミッション]]の供給を受ける契約をしていた)の関連会社で、[[フォーミュラ1|F1]]参戦チームであった[[チーム・ロータス]]と共同で、[[V型12気筒|V12]]エンジンのテストを[[ロータス 102#102C|ロータス 102C]]に搭載して[[シルバーストン]]で行い、高い評価を得た。この計画は、あくまでいすゞ自身の[[ガソリンエンジン]]開発技術がどこまで通用するかを試すために行われた[[デモンストレーション]]であり、[[モータースポーツ|レース]]に出場することは考えられていなかった<ref name="IsuzuF1">{{Cite book|和書|title=Racing On 2009年4月号|year=2009|publisher=三栄書房|pages=37-39|id=[[雑誌コード#定期刊行物コード|JANコード]] 4910096810499}}</ref>。当初はベンチテストで終了する予定だったが、ロータス・カーズの協力を得てテスト走行までこぎつけた。
1991年、当時同じGM傘下であり、乗用車の特殊仕様車などで協力関係にあったイギリスの[[ロータス・カーズ]]([[前輪駆動|FF]]の[[ロータス・エラン#二代目(1989年-1995年)|エラン(2代目)]]用として、いすゞからエンジンと[[トランスミッション]]の供給を受ける契約をしていた)の関連会社で、[[フォーミュラ1|F1]]参戦チームであった[[チーム・ロータス]]と共同で、[[V型12気筒|V12]]エンジンのテストを[[ロータス 102#102C|ロータス 102C]]に搭載して[[シルバーストン]]で行い、高い評価を得た。この計画は、あくまでいすゞ自身の[[ガソリンエンジン]]開発技術がどこまで通用するかを試すために行われた[[デモンストレーション]]であり、[[モータースポーツ|レース]]に出場することは考えられていなかった<ref name="IsuzuF1">{{Cite book|和書|title=Racing On 2009年4月号|year=2009|publisher=三栄書房|pages=37-39|id=[[雑誌コード#定期刊行物コード|JANコード]] 4910096810499}}</ref>。当初はベンチテストで終了する予定だったが、ロータス・カーズの協力を得てテスト走行までこぎつけた。

2023年8月11日 (金) 01:14時点における版

いすゞ自動車株式会社
ISUZU MOTORS LIMITED
本社が入居する横濱ゲートタワー
種類 株式会社
市場情報
東証プライム 7202
1949年5月16日上場
略称 いすゞ、ISUZU
本社所在地 日本の旗 日本
220-8720
横浜市西区高島一丁目2番5号
横濱ゲートタワー
設立 1916年大正5年)(東京石川島造船所自動車部門として)
1937年昭和12年)4月9日(東京自動車工業として)
業種 輸送用機器
法人番号 5010701000904 ウィキデータを編集
事業内容 自動車および部品・産業用エンジンの製造、販売
製品一覧を参照)
代表者 片山正則代表取締役会長CEO
南真介代表取締役社長COO
資本金 406億4400万円
(2022年3月31日現在)
発行済株式総数 7億7744万2069株
売上高 連結:3兆1955億3700万円
(2023年3月期)
営業利益 連結:2535億4600万円
(2023年3月期)
経常利益 連結:2698億7200万円
(2023年3月期)
純利益 連結:1517億4300万円
(2023年3月期)
純資産 連結:1兆5102億3200万円
単独:8710億4200万円
(2023年3月期)
総資産 連結:3兆467億7700万円
単独:1兆5289億5300万円
(2023年3月期)
従業員数 連結:44,495人
単独:8,056人
(2023年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
会計監査人 EY新日本有限責任監査法人
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 14.82 %
三菱商事株式会社 8.19 %
伊藤忠自動車投資合同会社 6.81 %
株式会社日本カストディ銀行(信託口) 5.99 %
トヨタ自動車株式会社 5.02 %
株式会社みずほ銀行 2.05 %
THE BANK OF NEW YORK MELLON 140044 1.49 %
SSBTC CLIENT OMNIBUS ACCOUNT 1.36 %
全国共済農業協同組合連合会 1.29 %
JPモルガン証券株式会社 1.22 %
(2022年3月31日現在)
主要子会社 いすゞ自動車販売株式会社
UDトラックス株式会社
ジェイ・バス株式会社
IJTT
いすゞロジスティクス株式会社
いすゞ自動車エンジン販売株式会社
モネ・テクノロジーズ株式会社
関係する人物 荒牧寅雄(元社長)
飛山一男(元社長)
外部リンク https://www.isuzu.co.jp/
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いすゞ自動車株式会社(いすずじどうしゃ、: ISUZU MOTORS LIMITED[1])は、主にトラックバスなどの商用車を製造する日本自動車メーカーである。1916年大正5年)創業[2]日経平均株価の構成銘柄の一つ[3]

「いす」ではなく、「いす」が正式な表記である[4][5][注釈 1]中国語圏では「五十鈴」(繁体字: 五十鈴簡体字: 五十铃)という漢字で表記する。

トヨタ自動車日産自動車とともに、日本国内で日本企業による自動車の本格的な量産が始まった1930年代から四輪自動車を生産している自動車メーカーで、ディーゼル自動車および船舶・産業用ディーゼルエンジンを得意とする。

国内における小型トラックの販売台数では20年連続で第1位となり(2001年2020年[6]、中・大型トラックの販売台数は第1位(2022年)である[7]。世界市場ではバンを除いたGVW3.5トンから15トンまでの中小型トラック分野での販売台数は世界第2位となり[8]、大型トラック部門では世界第14位である(2018年[9]

概要

中国公安に採用されているいすゞ・エルフ
五十鈴」(五十铃)の文字が読み取れる

「いすゞ」の名は、伊勢神宮(三重県伊勢市)の境内に沿って流れ、神宮における潔斎の場ともなる五十鈴川に由来する[2][5][10][注釈 2]。元は商工省標準形式自動車として、前身となったメーカー各社と当時の鉄道省によって1933年昭和8年)に共同開発された大型自動車(のちのいすゞ・TXBX系各車の原型)に翌1934年(昭和9年)に付けられた車名である[2][5][10]。以後、合併や社名変更などの変遷を経ながら、太平洋戦争直前から戦時中にかけ、大型車両とこれに搭載する高速ディーゼルエンジンの分野で、国策企業として開発をリードした。

太平洋戦争後トラックバスなど、大型ディーゼル自動車の生産で日本を代表するメーカーとなった。1953年(昭和28年)以降はイギリス車のヒルマンノックダウン乗用車生産にも進出し、総合自動車メーカーを目指した。

かつてはトヨタ自動車日産自動車とともに日本自動車業界の御三家とも言われていたが[11]、乗用車部門は長らく不振であり、1990年代から経営危機に陥りリストラを繰り返すようになった。

1993年平成5年)にはワンボックスカー[注釈 3]SUVを除く乗用車の自社開発・生産から撤退し、日本国内では本田技研工業(ホンダ)などからOEM供給を受けて販売を続けた。これは乗用車用ディーゼルエンジンやSUV[注釈 4]、ミニバン[注釈 5]についてはホンダと相互協力関係にあったためで、2002年(平成14年)に自社生産していたビッグホーンウィザードなどのSUVを含む乗用車の販売から撤退するまで、ホンダからのOEM供給を受けていた(ただし、撤退後も販売していた初代コモワゴンは8人/10人乗りの乗用車として販売された)。

また、関連企業との合併による拠点の集約などを行う一方、1万人規模となる極めて大規模な人員削減などを行った。株価が一時、自動車メーカーとしては最低の31円まで落ち込むなど事態は極めて深刻であったが、みずほ銀行ゼネラルモーターズ(GM)の大掛かりな支援があり[12]、加えてディーゼル自動車排気ガス規制強化(いわゆるNOx規制など)を発端とする商用車トラックバスなど)の買い換え特需もあり、再建に成功することができた。

米国ではGMからSUVとピックアップトラックのOEM供給を受けて販売を続けていたが、2009年(平成21年)1月31日をもって販売を終了した。その結果、販売ディーラーは既存ユーザーのためのアフターケア・サポート事業のみ存続していくことになった。現在[いつ?]、主に個人向けとして販売が行われている車種には、東南アジア南アフリカなど向けのピックアップトラックとSUVに加え、東南アジアとインド専売のMPVがある。

1971年(昭和46年)から2006年(平成18年)まで米国・ゼネラルモーターズ(GM)が一部のいすゞ株を保有しており、GMの関連会社であったが、同年4月にGMとの資本関係を解消した。

GMとの資本提携解消後は、同年11月7日にトヨタ自動車と資本・業務提携を行うことを発表した。すでにトヨタグループ入りしていた日野自動車とはバス事業を統合してジェイ・バス株式会社の発足を行っており、今後については乗用車用ディーゼルエンジンの開発や環境技術での連携(景気後退により一時凍結[13])、トラック部門での連携強化の可能性が考えられていたが、2018年(平成30年)8月にトヨタとの資本・業務提携を解消した[注釈 6]。しかし今後のトラックの電動化を視野に入れて、2021年令和3年)3月24日に、トヨタ自動車と再度資本・業務提携することが発表された[14]

2019年(令和元年)12月、ボルボ・グループ(以下、ボルボ)と商用車分野での戦略的提携に向けて覚書を締結し、ボルボ子会社UDトラックスの全株と、UDブランドで展開する海外事業を取得すると発表した[15]2020年(令和2年)10月30日には戦略的提携に関する基本契約を正式に締結し、UDトラックスを2,430億円で買収することを発表[16]。2021年(令和3年)4月1日までに取得手続きを完了し[17]、UDトラックスはいすゞグループ企業となった。

2022年(令和4年)5月9日には、東京都品川区南大井大森ベルポートA館から、神奈川県横浜市西区高島にある横濱ゲートタワー(5-15Fの11フロア)に本社や関連会社などを移転した[18][19][20][21][22][23]。なお、近隣にはUDトラックスの元親会社だった日産自動車日産グローバル本社)、および有力取引先の京浜急行電鉄京浜急行バス京急グループ本社)が本社を構えている。

みずほ銀行をメインバンクとする大企業のうち、旧第一勧業銀行融資系列に属する企業で構成する三金会に参加する[24]。なお、UDトラックスの元親会社だった日産は、旧富士銀行の融資系列である芙蓉会に参加している。

沿革

東京石川島造船所時代

ウーズレーCP型1.5トン積みトラック 東京モーターショー2013展示車 ウーズレーCP型1.5トン積みトラック 東京モーターショー2013展示車
ウーズレーCP型1.5トン積みトラック
東京モーターショー2013展示車
スミダM型バス 東京モーターショー2011展示車 スミダM型バス 東京モーターショー2011展示車
スミダM型バス
東京モーターショー2011展示車
  • 1893年明治26年) - 株式会社東京石川島造船所が設立(石川島播磨重工業を経て現在はIHI[2][10]
  • 1916年大正5年) - 東京石川島造船所が自動車製造の調査研究と試作を開始、造船業による収益で自動車製造事業への進出を計画[2][10]
  • 1918年(大正7年)11月 - 東京石川島造船所がイギリスのウーズレー社とライセンス提携を結び、自動車製造に進出[2][10]。「ウーズレー#日本でのウーズレー車」も参照。
  • 1922年(大正11年)12月 - 東京石川島造船所が「ウーズレーA9型第1号乗用車」の国産化に成功[2][10]
  • 1924年(大正13年) - 東京石川島造船所が「ウーズレーCP型1.5トン積みトラック」を完成、軍用保護自動車の資格を得る[2]
  • 1927年昭和2年)
    • 東京石川島造船所がウーズレー社との提携を解消し、純国産車の製造を開始[2][10]。これに伴い、車名をウーズレーから「スミダ」に変更[2][10]。車名は一般公募により、工場のそばを流れる隅田川にちなみ命名された[10]
    • 東京石川島造船所が、A6型エンジン搭載2トン車「スミダP型トラック」、A4型エンジン搭載1トン車「スミダM型1号バス」を完成[10]

独立と会社合併

TX40型ガソリントラック 東京モーターショー2015展示車 TX40型ガソリントラック 東京モーターショー2015展示車
TX40型ガソリントラック
東京モーターショー2015展示車
  • 1929年(昭和4年)5月 - 株式会社東京石川島造船所の自動車部門が、株式会社石川島自動車製作所として独立[2]
  • 1933年(昭和8年)
    • 3月 - 石川島自動車製作所が、ダット自動車製造株式会社を合併して自動車工業株式会社となる[2]
      • 1931年(昭和6年)からダット自動車を支援していた戸畑鋳物の鮎川義介は、自動車工業株式会社成立後、旧ダット自動車大阪工場を譲受して「自動車製造株式会社」を設立。小型車部門の技術・設計と技術者移籍、商標ダットサン」の譲受を自動車工業に懇請、自動車工業も小型車開発は設立目的の対象外であったためこれを承諾。自動車製造は1934年に日産自動車に改名した。複雑な関係であるが、実質的にはダット自動車のトラック・バス製造部門が石川島自動車製造所に合流した形となる[25]
      • 自動車工業初代社長となった加納友之介は、自動車用高速ディーゼルエンジンが当時世界的にも市販化に到達したばかりの新技術であることに着目し、自動車技術が遅れていた日本でも国際水準に早期到達できる分野と見込んで研究開発を指示[25]。後年にまで至る「ディーゼルエンジンのいすゞ」の布石を作った。
    • 3月 - 「商工省標準形式自動車」を完成[2][10]。詳細は「いすゞ・TX#1945年以前のTX」を参照。
  • 1934年(昭和9年)
    • 「商工省標準形式自動車」を、伊勢神宮五十鈴川にちなみ「いすゞ」と命名[2][10]。現社名の由来となる[5][10]
    • 7月 - 自動車工業株式会社、鶴見工場(旧・鶴見製造所)を開所[2]
  • 1936年(昭和11年)3月 - 国産初の空冷式ディーゼルエンジンとなるDA4型、DA6型を完成[2][10]
  • 1937年(昭和12年)4月9日 - 東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電)と合併して東京自動車工業株式会社となる[25][26][27]。いすゞ自動車ではこの日を創立記念日と定めている[10][25][26][27]
  • 1938年(昭和13年)
  • 1940年(昭和15年)12月 - 社歌を制定。
1941年

いすゞ自動車として再出発

  • 1949年(昭和24年) - いすゞ自動車株式会社に商号変更。最初の日本国外輸出先として香港へ進出。
  • 1950年(昭和25年)2月 - 長野工場(疎開工場)を閉鎖。
  • 1950年(昭和25年) - タイへの輸出開始。
  • 1952年(昭和27年) - 台湾への輸出開始。
  • 1953年(昭和28年) - イギリスルーツ・グループと提携し、乗用車「ヒルマン・ミンクス」をノックダウン生産する。
  • 1957年(昭和31年)1月 - 三菱商事とタイ向け車両輸出販売代理店の契約を締結。
  • 1958年(昭和33年) - 川崎工場(旧川崎製造所)に隣接する神奈川県営の埋立地(多摩川河口の約6万坪)の払い下げを受ける[28]。これにより川崎工場は拡張され、バス・トラックなど大型車生産の中心拠点となる[28]
  • 1961年(昭和36年)11月 - 藤沢工場(旧・藤沢製造所)稼働。
  • 1964年(昭和39年)12月 - ペルーいすゞ自動車を設立(戦後第1号の海外投資案件)。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 泰国いすゞ自動車を設立[30]
  • 1966年(昭和41年)12月 - 富士重工業との業務提供を発表。
  • 1968年(昭和43年)5月 - 富士重工業との業務提供を解消。
  • 1968年(昭和43年)6月 - 三菱重工業と業務提供を発表。
  • 1969年(昭和44年)5月 - 三菱重工業との業務提供を解消。
  • 1971年(昭和46年) - 米国・ゼネラルモーターズ(GM)と資本提携(伊藤忠商事の仲介による)。
  • 1972年(昭和47年)6月 - 栃木工場(旧栃木製造所)稼働。
  • 1974年(昭和49年) - 1社提供ラジオ番組いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』(TBSラジオ制作)放送開始。
  • 1975年(昭和50年)6月 - いすゞモーターズアメリカを設立。
  • 1976年(昭和51年)
    • 8月 - 藤沢市に起震車を寄贈し紺綬褒章を受ける。
    • 10月 - 新社歌の制定。
  • 1982年(昭和57年)7月 - いすゞ自動車海外販売を設立。
  • 1985年(昭和60年) - 日本初の自動車メーカーとして、中国四川省重慶市で小型トラック (エルフ)の現地生産を慶鈴汽車との間で開始。
  • 1986年(昭和61年) - 富士重工業(スバル)、いすゞ自動車が北米生産合弁基本契約に調印[31]
  • 1987年(昭和62年) - 北米生産拠点としてスバル・イスズ・オートモーティブ(略称:SIA)創立。1989年(平成元年)車両生産開始。
  • 1988年(昭和63年)11月 - 鶴見製造所を川崎工場(旧・川崎製造所)へ統合[32]
  • 1989年平成元年)
    • オーストラリアに商用車の輸入・組立・販売会社、現在の「いすゞ オーストラリア」を設立。
    • GMの欧州子会社、独・オペルの輸入権を取得し、日本国内向けにオペル車の販売を開始(1992年(平成4年)販売終了)。
  • 1991年(平成3年) - デモンストレーションを目的に、F1用エンジンのテストを行った(後述)。
  • 1993年(平成5年) - 小型乗用車の自社開発・製造を中止。ホンダなど他社からのOEM供給のみとなり、商用車、SUVの製造販売などに経営資源の集中を図る。
  • 1994年(平成6年) - 車体工業株式会社との合併により、「いすゞ自動車大和工場」誕生。
  • 1997年(平成9年)
    • 1月 - ポーランドにディーゼルエンジン生産会社「いすゞ モーターズ ポルスカ」を設立。
    • 10月 - ドイツ欧州におけるディーゼルエンジン開発会社「いすゞ モーターズ ジャーマニー」を設立。
  • 1998年(平成10年) - GMが出資比率を37.5 %から49.0 %へ引き上げ[33]
  • 1999年(平成11年) - 神奈川県大和市下鶴間の大和工場(旧・車体工業株式会社)を閉鎖。トラック運転台製造を藤沢工場に集約。
  • 2001年(平成13年) - 1社提供のラジオ番組『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』放送終了。
  • 2002年(平成14年)

乗用車の自社生産からの撤退後

  • 2003年(平成15年)
    • 1月1日 - スバル・イスズ・オートモーティブの富士重工業と合弁解消。いすゞ車生産委託開始(2004年(平成16年)まで続いた)。翌日、スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ(略称:SIA)に改称[31][35]
    • 10月1日 - ジェイ・バスがいすゞバス製造日野車体工業(バス製造部門)を子会社とする。
  • 2004年(平成16年)
    • 2月 - 商用テレマティクスサービス「みまもりくん」(現・MIMAMORI)を開始。
    • 5月 - 川崎工場の生産業務を藤沢工場と栃木工場へ移転[28][36]。川崎工場で行っていた大型トラック製造を藤沢工場へ集約。
    • 5月 - 「5代目エルフ」を改良販売開始(マイナーチェンジ)。
    • 10月1日 - ジェイ・バスがいすゞバス製造と日野車体工業の2社を吸収合併
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)
    • 3月14日 - いすゞ自動車がはとバスへ販売した大型観光バスガーラ」10台で不正車検が行われた疑いで、関東運輸局道路運送車両法違反の容疑で警視庁刑事告発した[37]。はとバス用の車両は内装を施すので重量が増すため、プロペラシャフトのブレを抑える部品を装着していたが[37]、そのままでは後輪軸にかかる重量が保安基準を超える可能性があることから[38]、東京いすゞ自動車では車検の際にこの部品を外し、車検を通してから再度部品を装着して不正車検を行っていた[37]
    • 4月 - 米GMがいすゞ株を全て売却。提携関係は維持。
    • 5月 - ウクライナでトラック・バス販売の合弁会社「いすゞウクライナ」を設立。
    • 7月 - ロシアで小型トラックの現地生産・販売を開始(日本企業によるロシア国内初のトラック生産・販売)。
    • 7月 - インドへ中・大型バスの現地製造・販売提携をインド・スワラジマツダ社との間で締結、翌2007年(平成19年)9月よりいすゞブランドで販売開始。
    • 11月 - トヨタ自動車と資本提携。
    • 12月 - 6代目エルフを販売開始(ハイキャブ、ワイドキャブを先行販売。標準キャブは2007年(平成19年)2月より販売)。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月23日 - はとバスの大型観光バス不正車検問題で、親会社のいすゞ自動車が主導して組織的に不正車検を繰り返してきたと判断され[38]、いすゞ自動車、東京いすゞ自動車、ジェイ・バスの3社が法人として書類送検された[38][39]
    • 3月2日 - 大型観光バス不正車検問題について、いすゞ自動車が国土交通省自動車交通局へ報告書を提出[40]
    • 4月 - 2001年(平成13年)から6年間社長を務めてきた井田義則が退任し、代表取締役会長へ就任。変わって副社長の細井行(ほそい すすむ)が社長に昇格する人事を発表。
    • 4月 - カナダにおけるいすゞ車両・部品の販売会社として「いすゞ コマーシャル トラック オブ カナダ」を設立。
    • 11月 - 大型路線バスエルガで同一箇所の再リコール案件が発生したにもかかわらず、国土交通省への報告を怠っていたことが指摘され、国土交通省はいすゞ自動車に対し警告書を交付した[41]
  • 2010年(平成22年) - 国内年間トラック販売台数(大型・中型の合計)で日野自動車を抜き、初めて首位に立った。
  • 同年 - 日産自動車からOEM供給を受けて販売していた乗用車登録のコモワゴンの生産を終了。これによりOEM供給モデルを含めた日本国内向けの全ての乗用車事業から完全撤退し、1953年から続いた57年の歴史に幕を下ろした。
  • 2016年(平成28年)
    • 2月 - UDトラックス向けの中型トラックOEM供給に合意(UD・コンドル)。市場へは2017年(平成29年)に投入。
    • 7月 - マツダ向けのピックアップトラックOEM供給に合意。北米を除く世界全域で展開(日本国内は未定)。
  • 2017年(平成29年)
    • 4月9日 - 創立80周年を迎える(1937年4月9日の東京自動車工業株式会社設立から数える)。
    • 4月11日 - 創立80周年を記念し、いすゞ自動車初の企業博物館いすゞプラザ」が開館。
    • 4月 - ゼネラル・モーターズ(GM)の東アフリカ子会社、GMイーストアフリカを買収。
    • 10月25日 - 創立80周年記念特別仕様車をギガ、フォワード、エルフで発売[42]
  • 2018年(平成30年)8月 - トヨタ自動車との資本提携を解消。
  • 2019年令和元年)
    • 5月 - アメリカのディーゼルエンジンメーカーであるカミンズパワートレイン事業に関する包括的パートナーシップを構築することに合意。
    • 6月 - 日産自動車への小型トラックのOEM供給について合意。
    • 12月 - スウェーデンのボルボ・グループと商用車分野での戦略的提携に関する覚書を締結するとともに、同社が保有するUDトラックスの全株式を取得することを発表[15]
  • 2020年(令和2年)
    • 1月 - 本田技術研究所燃料電池(FC)をパワートレインに採用した大型トラックの共同研究契約を締結。
    • 10月30日 - UDトラックス主要株主であるボルボ・グループといすゞ間で戦略的提携が正式に締結され、ボルボからUDトラックスを2,430億円で買収することを発表[16][43][44]
  • 2021年(令和3年)
    • 3月24日 - トヨタ自動車と再度資本・業務提携することを発表。トヨタグループの日野自動車と合わせてトラックの電動化を進める計画である[14]
    • 4月1日 - UDトラックスの買収手続き完了を発表[17]
  • 2022年(令和4年)

歴代社長

氏名 就任日 退任日 備考
東京自動車工業
1 松方五郎 1937年4月 1940年5月 [48]
2 鈴木重康 1940年5月 1941年4月 [48]
ヂーゼル自動車工業
2 鈴木重康 1941年4月 1942年1月 [48]
3 林桂 1942年1月 1945年7月 [48]
4 弓削靖 1945年7月 1946年12月 [48]
5 三宮吾郎 1946年12月 1949年7月 [48]
いすゞ自動車
5 三宮吾郎 1949年7月 1961年12月 [48]
6 楠木直道 1962年1月 1965年6月 [48]
7 大橋英吉 1965年6月 1970年6月 [48]
8 荒牧寅雄 1970年6月 1976年1月 [48]
9 岡本利雄 1976年1月 1984年1月 [48]
10 飛山一男 1984年1月 1992年1月 [48]
11 関和平 1992年1月 1998年6月 [48]
12 稲生武 1998年6月 2000年12月 [48]
13 井田義則 2000年12月[48] 2007年6月
14 細井行 2007年6月 2015年6月
15 片山正則 2015年6月 現職

社章・ロゴ

初代 いすゞ社章 1949 - 1974 2代 いすゞ社章 1974 - 1991 3代 いすゞ社章 1991 -
初代 いすゞ社章 1949 - 1974
2代 いすゞ社章 1974 - 1991
3代 いすゞ社章 1991 -
  • 「いすゞ」の文字を五十鈴川の12のさざなみで囲んだ初代社章デザイン(1934年[昭和9年]制定)[49]は、日本最初の図案屋といわれる「銀座・島丹誠堂」の島欽一によるもの[50]
  • 1974年(昭和49年)から1991年(平成3年)までの2代目ロゴマーク(通称・矢羽根マーク)は、「お客様とともに伸びゆくいすゞ」「社会との調和のもとに伸びゆくいすゞ」 の2つの経営理念を柱にして表したものである[49]三菱自動車工業は一時期、頭文字のMを模したエンブレムを使っていたが、この2代目マークに似た意匠であった。
  • 1991年(平成3年)からは現行のロゴとなっている。「世界中のお客様に、心から満足していただける商品とサービスを創造し、社会に貢献するとともに、人間性豊かな企業として発展する」という企業理念を示したもの[49]で、SとZの文字が中央のUを挟んで鏡像になるようなデザインである。この年に生産されたエルフやフォワードなど主力車種は、現行ロゴと矢羽根マークを併用していた。
  • 1960年代後半には乗用車専用のエンブレムとして「アイマーク」が使われていた。円の中に縦長の楕円を2個配置するデザインで、ISUZUのIを図案化していた。上記の「矢羽根マーク」が制定されると、乗用車・商用車共に矢羽根マークに統一された。

キャッチフレーズ

コーポレートステートメント

  • 世界のメーカー(1960年代前半)
  • 新しい技術と長い伝統(1960年代半ば)
  • 未来へ―いすゞは新しい発展をめざす(1971年)
  • 人と地球の未来のために(1992年5月 - )
  • 「運ぶ」を支え、環境と未来をひらく(2005年 - )※国内向け 
  • Trucks for life(2005年 - )※日本国外向け 

商品別スローガン

  • いすゞは無個性な車はつくらない(乗用車用・1969年 - 1971年頃)
  • WE THINK SYSTEMS(商用車用・1979年頃)
  • TRANS JAPAN(商用車用・1985年 - 1989年頃)
  • Let's begin! ガーラから、始めよう。(観光バス用・1996年12月~)
  • THE POWER OF IT ALL(商用車用・1997年 - 2000年)
  • THE SUV SPECIALIST(SUV用・1997年 - 2000年)
  • 人にやさしい、街にやさしい。これが21世紀を走るバス。(路線バス用・2000年 - 2004年)
  • Go farther 誰よりも遠くへ。(SUV用・2000年 - 2002年)
  • 働く人と、世界を走る(2013年 - )

生産拠点

生産拠点

  • 藤沢工場(神奈川県藤沢市)
    • 大型・中型・小型トラック(ギガ、フォワード、エルフ)、CNGトラック、ハイブリッドトラック、輸出用バスシャシ、小型トラック用ディーゼルエンジン
  • UDトラックス 上尾工場
    • 大型トラック(ギガ(セミトラクタ))
  • 栃木工場(栃木県栃木市)
    • 大型・中型トラック用エンジン、産業用ディーゼルエンジン

バス製造

閉鎖された生産拠点

子会社・関連会社(製造会社も含む)

子会社・関連会社

トラックの製造および販売
バス製造

その他

研究開発
試験・研究業務
車体架装
エンジン/エンジン関連部品製造
国内販売
用品販売
販売金融・リース・保険
搬送・物流
電算業務
不動産・ビルメンテナンス・建設
設備保全受託
技術情報/オフィスサポート/印刷・流通
その他

海外関連会社

  • 五十鈴(中国)投資有限公司(Isuzu(China)Holding Co., Ltd.)
  • 慶鈴汽車股份有限公司
  • 五十鈴(上海)技貿実業有限公司 [5](Isuzu(Shanghai)Tradetech Co., Ltd.)
  • 五十鈴汽車工程柴油機(上海)有限公司(Isuzu Motors Off-Highway Diesel Engine(Shanghai)Limited)
  • 慶鈴五十鈴(重慶)発動機有限公司(Qingling Isuzu (Chonqing) Engine Co., Ltd.)
  • 台湾五十鈴汽車工業股份有限公司
  • 広州五十鈴客車有限公司
  • 江西五十鈴汽車有限公司
  • いすゞ モーターズ アジア(IMA) (Isuzu Motors Asia Ltd.)
  • 泰国いすゞ自動車 (IMCT) (Isuzu Motors Co., (Thailand) Ltd.)
    • いすゞタイランド (Isuzu (Thailand) Co., Ltd.)
    • 泰国いすゞエンジン製造 (IEMT) (Isuzu Engine Manufacturing Co., (Thailand) Ltd.)
    • タイ・インターナショナル・ダイ・メーキング (Thai International Die Making Co., Ltd.)
    • 泰国いすゞテクニカルセンター (Isuzu Technical Center of Asia Co., Ltd.)
  • いすゞノースアメリカコーポレーション (INAC) (Isuzu North America Corporation)
    • いすゞ モーターズ アメリカ [6] (ISZA) (Isuzu Motors America, LLC.)
  • いすゞ オーストラリア [7](IAL) (Isuzu Australia Limited.)
  • いすゞ モーターズ ジャーマニー [8](IMG)(Isuzu Motors Germany GmbH)
  • いすゞ モーターズ ヨーロッパ(ISZE) (Isuzu Motors Europe Ltd.)
  • いすゞ オートパーツ マニュファクチャリング(IAMC) (Isuzu Autoparts Manufacturing Corporation)

現行車種・製品

販売会社

全車種
4トン未満の小型トラック
4トン未満の小型トラック・バス
中古車
産業エンジン

宣伝・広告

  • 1960年代、社章そのままのデザインのネオン広告を屋外広告として全国展開していた。
  • 書籍・雑誌はかつて週刊漫画TIMESなどの漫画雑誌に広告を掲載していた。現在はバスラマ・インターナショナルなどの交通系の書籍に広告を掲載することがある。
  • 特筆すべき項目として、1980年代後半に製作された2代目ジェミニのCMが挙げられる。合成・CG一切なしのスタント走行でパリの街角を駆け抜けるシーンは傑作CMとして現在も人気が高い。
  • CMキャラクターとしては、3代目エルフのCMに渥美清が出演したほか、ニューパワー後期型のCMに毒蝮三太夫、2代目フォワードの後期型のCMに古舘伊知郎を起用した。乗用車については、初代アスカのCMに千昌夫夫婦を起用した。CMへのタレント起用は1980年代前半を最後に行っていなかったが、2016年(平成28年)より小日向文世を起用したCMの放送を開始した。
  • 2004年(平成16年)から、主力商品のエルフをメインに、いすゞ全体のCM曲として「いすゞのトラック」というオリジナルソングを採用したCMを展開している。詳しくは「いすゞのトラック」を参照。

提供番組

現在でも提供している番組は太字

テレビ

ラジオ

モータースポーツ

ベレット1600のヒストリックラリーカー(2010年フィンランドにて)
二輪レースの事故で半身不随となった青木拓磨のD-MAXによるAXCR参戦(2008年)

1964年の第2回日本グランプリのツーリングカークラスに、ベレット10台とベレル4台が参戦した。1968年の鈴鹿12時間レースではプロトタイプのベレットGT-Xで総合優勝を飾り、これを元に市販化された「ベレットGTR(GT Type R)」で、日産・スカイライントヨタ・1600GTと各地で競った[58]

1969年日本グランプリには、社内有志によりクローズドトップの「ベレットR6」とオープントップの「R7 」の、2種類のプロトタイプスポーツカーが製作され、投入された。前者は117クーペの1.6リッター直列4気筒、後者はシボレー製5リッターV型8気筒エンジンを搭載していた[59]

富士グランチャンピオンレースには、R6をオープントップに改造し直したベレットR6スパイダーが参戦した。

オイル・ショックが明けた1980年代には「TEAM ISUZU」として、ラリージェミニアスカを投入。全日本ラリー選手権では5回Bクラスのチャンピオンとして名を刻んだ。またWRC(世界ラリー選手権)の1イベントである英国のRACラリー(現ラリーGB)にも複数回参戦し、グループAクラス1位も経験した。後にスバルでPCWRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)チャンピオンとなる新井敏弘や、同じくスバルで活躍する鎌田卓麻の父の鎌田豊、後にパーツメーカーのテインを設立する市野諮も、元々はいすゞのワークスドライバーであった。

グループA規定で行われたJTC(全日本ツーリングカー選手権)のディヴィジョン3や、N1耐久(現スーパー耐久)にも少数だがジェミニを用いるチームがあった。

ラリーレイドでは00年代に元フェラーリF1ドライバーのクレイ・レガツォーニが、フランス・スイス・イタリアのいすゞ代理店であるMIDIヨーロッパを母体とし、いすゞ本社もサポートするチームを率いて、「チーム・いすゞ・クレイ・レガツォーニ」として市販車ベースのD-MAXで参戦した[60]。4度の二輪ダカール王者エディ・オリオリや、WRCの「無冠の帝王」マルク・アレンがドライブし、2005年のファラオ・ラリーではディーゼル車の1位を獲得した[61]。また日本のプライベーターからはビッグホーンミューが用いられ、チーム・アオヤギ(浅井明/青柳暁子組)は1991〜1996年にいすゞ車を続けて運用し、1994年にビッグホーンで市販車無改造・マラソン(主要部品無交換)クラスで優勝を果たしている[62]。現在ダカールで日野チームスガワラを率いる菅原照仁も、下積み時代にビッグホーンをドライブしていたことがある。

1991年、当時同じGM傘下であり、乗用車の特殊仕様車などで協力関係にあったイギリスのロータス・カーズFFエラン(2代目)用として、いすゞからエンジンとトランスミッションの供給を受ける契約をしていた)の関連会社で、F1参戦チームであったチーム・ロータスと共同で、V12エンジンのテストをロータス 102Cに搭載してシルバーストンで行い、高い評価を得た。この計画は、あくまでいすゞ自身のガソリンエンジン開発技術がどこまで通用するかを試すために行われたデモンストレーションであり、レースに出場することは考えられていなかった[63]。当初はベンチテストで終了する予定だったが、ロータス・カーズの協力を得てテスト走行までこぎつけた。

現在もダカールやオセアニア東南アジアアフリカなどでしばしばピックアップトラックD-MAXが用いられている。特にアジアクロスカントリーラリー(AXCR)では、タイ王国のナタポン・アングリットハノンが連覇し最強の地位を築いていることで知られる。また豪州のピックアップトラックによるサーキットレース「スーパーユート」にもD-MAXが参戦している[64]

いすゞ自動車高等工業学校

いすゞ自動車高等工業学校は、いすゞ自動車が職業能力開発促進法に基づいて神奈川県知事から認定職業訓練の実施施設としての認定を受けた神奈川県藤沢市にある認定職業訓練校[65]である。訓練学科としては、塑性加工科、機械加工科、精密加工科、自動車製造科がある。

本校の源流は、1935年(昭和10年)に青年学校令に基づいて設置された自動車工業株式会社・鶴見工場内に設立された私立自動車工業青年学校に遡る。

1942年(昭和17年)4月に、私立ヂーゼル自動車青年学校が開校(川崎本校、鶴見分校)。1951年(昭和26年)4月に、中学校卒業者を対象となる三年制の学校としていすゞ自動車株式会社「いすゞ自動車工業専門学校」が学校教育法第八十三条による各種学校(一条校以外の校種)の認可を受ける。1956年(昭和31年)に、職業訓練法に基づく事業内職業訓練所(川崎本校、鶴見・末吉・大森分校)の認定を受ける。その後、1962年(昭和37年)に藤沢分校も追加認定。また、学校教育法に基づく各種学校の認可を取り下げると共に大森分校を廃止。同時にいすゞ自動車工業専修学校に改称。1967年(昭和42年)鶴見分校を廃止。1971年(昭和46年)に末吉分校を廃止。1981年(昭和56年)初の女子訓練生の入学。1982年(昭和57年)「いすゞ自動車川崎高等工業学校」と「いすゞ自動車藤沢高等工業学校」に改称。1997年(平成9年)いすゞ自動車川崎工業高等学校をいすゞ自動車藤沢高等工業学校へ統合し、いすゞ自動車高等工業学校に改称。2015年(平成27年)1月、ものづくりサービストレーニングセンターが開設し校舎移転。

脚注

注釈

  1. ^ これは、書家永坂石埭の書風である。
  2. ^ 「キミの名は」(朝日新聞2014年8月23日)によれば、一般公募したが決まらず、「いすゞ」になったが、必ずしも明確ではなく、前身メーカーが製造していたトラックの車名が「スミダ」で、川つながりなどと諸説あり、同社は「記録がなく、よく分かりません」とのこと。
  3. ^ 該当車種はいすゞ・ファーゴ
  4. ^ 該当車種はいすゞ・ビッグホーンホンダ・ホライゾンいすゞ・ミューホンダ・ジャズ
  5. ^ 該当車種はホンダ・オデッセイいすゞ・オアシス
  6. ^ 現在は国内トラックメーカー4社(いすゞ・日野三菱ふそうUDトラックス)のうち、唯一国内外の他の自動車メーカーの系列に属さない独立系の会社である。

出典

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  21. ^ いすゞ、22年「創業の地」から横浜に本社移転 次の100年へ心機一転(一般社団法人日本自動車会議所:自動車産業インフォメーション 2021年9月7日)
  22. ^ a b いすゞ、橫浜に本社移転 5月9日に業務開始日刊自動車新聞電子版 2022年4月27日)
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参考文献

  • 秦郁彦 編『日本官僚制総合事典 : 1868-2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 4130301217 

関連項目

外部リンク