「キズナ (競走馬)」の版間の差分
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|金 = 5億1595万5800円<ref name="優駿-2018-3-77">『優駿』2018年3月号 77頁</ref><br />中央:4億7639万9000円<ref name="競馬ラボ-引退">{{Cite web|和書|title=ダービー馬キズナが電撃引退 右前繋部浅屈腱炎を発症|url=https://www.keibalab.jp/topics/28195/ |website=www.keibalab.jp |access-date=2023-04-01 |language=ja}}</ref><br />[[フランスの競馬|フランス]]:34万8180[[ユーロ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jairs.jp/contents/regist/2013/0403.html|title=2013 凱旋門賞、フォレ賞、ドラール賞、ムーランドロンシャン賞、フォワ賞、ニエル賞、プティクヴェール賞の登録要綱|accessdate=2024-04-04}}</ref> |
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|レ値 = L121 / 2013年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2013_LWBRR.asp |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2013 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-09-21}}</ref><br />I121 / 2014年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2014_LWBRR.asp |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2014 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-09-21}}</ref><br />I116 - L116 / 2015年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2015_LWBRRa.asp |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2015 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-09-21}}</ref> |
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'''キズナ'''(欧字名:{{Lang|en|Kizuna}}、[[2010年]][[3月5日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]] |
'''キズナ'''(欧字名:{{Lang|en|Kizuna}}、[[2010年]][[3月5日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|和書|title=キズナ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001120570/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2022-04-17}}</ref>。 |
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2013年の[[JRA賞最優秀3歳牡馬]]、同年の[[東京優駿]](日本ダービー)(GI)優勝馬である。 |
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[[競走馬#競走馬名|馬名]]の由来は「[[絆]]」から。 |
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== 概要 == |
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=== デビュー前 === |
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2010年3月5日、[[北海道]][[新冠町]]の[[ノースヒルズ]]で産まれた<ref name="毎日杯">{{Cite news|url=https://uma-furusato.com/winner_info/detail/_id_72055|title=重賞ウイナーレポート 2013年03月23日 毎日杯 G3|publisher=競走馬のふるさと案内所|date=2013-03-23|accessdate=2019-11-30}}</ref><ref name="京都新聞杯">{{Cite news|url=https://uma-furusato.com/winner_info/detail/_id_72498|title=重賞ウイナーレポート 2013年05月04日 京都新聞杯 G2|publisher=競走馬のふるさと案内所|date=2013-05-04|accessdate=2019-11-30}}</ref><ref name="日本ダービー">{{Cite news|url=https://uma-furusato.com/winner_info/detail/_id_73084|title=重賞ウイナーレポート 2013年05月26日 日本ダービー G1|publisher=競走馬のふるさと案内所|date=2013-05-26|accessdate=2019-11-30}}</ref><ref name="産経大阪杯">{{Cite news|url=https://uma-furusato.com/winner_info/detail/_id_73084|title=重賞ウイナーレポート 2014年04月06日 産経大阪杯 G2|publisher=競走馬のふるさと案内所|date=2014-04-06|accessdate=2019-11-30}}</ref>。本馬の母・[[キャットクイル]]は半姉に[[ビワハヤヒデ]]、[[ナリタブライアン]]を輩出した[[パシフィカス]]がいる血統。本馬の半姉である初仔の[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]]はG1を3勝、半兄の3番仔[[サンデーブレイク]]は[[ピーターパンステークス]](米G2)優勝、[[ベルモントステークス]](米G1)3着という実績を残していた<ref name="毎日杯"/>。本馬を出産したときは20歳という高齢出産となった<ref name="shimada-number818"/>。なお、キャットクイルはキズナを出産して以降[[ダイワメジャー]]、[[ハーツクライ]]が交配されたものの受胎には至らず、2013年には[[ヴィクトワールピサ]]の仔を出産したもののデビューしておらず、キャットクイル自身も2014年1月9日に死亡している<ref>{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000383744/broodmare/info/ |title= 繁殖牝馬情報:牝系情報|キャットクイル(CAN)|JBISサーチ(JBIS-Search) |work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2020-12-07}}</ref> |
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<ref>{{Cite web|url= https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=29672891700 |title= 血統書サービス |publisher=公益社団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル|accessdate=2021-04-04}}</ref>。 |
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2010年3月5日に、[[北海道]][[新冠町]]の[[ノースヒルズ]]で生産された[[青鹿毛]]の[[牡馬]]である。父は[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]、母は[[キャットクイル]]であり、[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]]や[[サンデーブレイク]]の弟、[[ビワハヤヒデ]]や[[ナリタブライアン]]のいとこにあたる。2011年3月11日に発生した[[東日本大震災]]をきっかけに広まった言葉「絆」を由来とする馬名を授かり、ノースヒルズ創業者の[[前田幸治]]の弟である[[馬主]][[前田晋二]]の所有、[[栗東トレーニングセンター]]所属の[[調教師]][[佐々木晶三]]の管理のもと、2012年、2歳秋に競走馬デビューを果たした。 |
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1歳時の2011年3月11日、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])が発生。ノースヒルズ代表の前田幸治はその2週間後に[[トランセンド (競走馬)|トランセンド]]で[[ドバイワールドカップ]]に遠征したが、その際現地のホテルや競馬場でも様々な人から日本を思いやる温かい言葉をかけてもらったことに感銘を受け、震災を機に盛んに使われるようになった『絆』という名を、当時牧場で一番の期待を受けていた本馬に「キズナ」と名付けた<ref name="shimada-number818">[https://number.bunshun.jp/articles/-/840258?page=1 運命の馬で“夢”を叶えた名物馬主。キズナ産駒と武豊でダービーを。(1/5)][https://number.bunshun.jp/articles/-/840258?page=2 (2/5)][https://number.bunshun.jp/articles/-/840258?page=3 (3/5)][https://number.bunshun.jp/articles/-/840258?page=4 (4/5)][https://number.bunshun.jp/articles/-/840258?page=5 (5/5)] - Sports Graphic Number Web 2019年8月18日閲覧。</ref>。当歳時~1歳10月までをノースヒルズで過ごし、母キャットクイルの馬名から、牧場現場では「キャット」と呼ばれていた<ref name="京都新聞杯"/>。ノースヒルズで栄養コンサルティングを務めるスティーブ・ジャクソンは、定期的に同牧場のすべての生産馬に付ける評価で本馬に対しては常に最上ランクの「A」評価を記録し続けていた<ref name="京都新聞杯"/>。牧場のスタッフから出生時から高く評価され、「ダービーを単勝1倍台で勝って無敗の[[中央競馬クラシック三冠|三冠馬]]になる」という牧場スタッフもいた<ref>{{Cite book|和書|author=島田明宏|authorlink=島田明宏|chapter=[無敗二冠へ]コントレイル「最強の源流を訪ねて」|title=[[Sports Graphic Number]]|volume=1003号|publisher=[[文藝春秋]]|year=2020|pages=16-21}}</ref>。 |
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ノースヒルズや佐々木が重用する騎手[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]が騎乗してデビューし、[[新馬戦]]と黄菊賞(500万円以下)を連勝したが、この直後に佐藤が引退に追い込まれる重傷を負い、コンビ解消を余儀なくされた。代わって落馬負傷からの復帰後、復調せず低迷するベテラン、かつてのスターである[[武豊]]が起用された。乗り替わり初戦と2戦目は、いずれも不運な展開で連敗し、[[クラシック (競馬)|クラシック]]初戦の[[皐月賞]]出走は叶わなかった。しかし仕切り直したコンビ結成3戦目の[[毎日杯]](GIII)で[[重賞]]初優勝。続いて[[京都新聞杯]](GII)も優勝し、重賞連勝を成し遂げた。 |
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1歳になって[[鳥取県]]のトレーニング施設である大山ヒルズに移動して育成調教が積まれた。当施設マネージャーの齋藤慎は、到着時に「馬運車から下りてきた瞬間に強烈なオーラを感じた」と回想し<ref>{{Cite book|和書|author=石田敏徳|chapter=[二冠馬の足跡]コントレイル 上昇一途の駿才|title=[[優駿]]|volume=2020年10月号|publisher=[[中央競馬ピーアール・センター]]|year=2020|pages=12-19}}</ref>、馬体については「柔軟な筋肉を纏い、馬体のバランスも素晴らしい」、調教においても「心肺機能が抜群で、強めの調教を課して他馬が疲れていてもこの馬は息が上がらず元気いっぱいです」と評し、騎乗したことがあるスタッフは乗り味の良さを口にしていたという<ref name="yu-20120636">『優駿』2012年6月号、p.36</ref>。大山ヒルズで育成調教を積んだ同期馬には後に[[JBCクラシック]]を優勝する[[アウォーディー]]、繁殖牝馬として史上8頭目のクラシック三冠馬[[コントレイル (競走馬)|コントレイル]]を輩出する[[ロードクロサイト (競走馬)|ロードクロサイト]]がいた<ref name="yu-20120636"/>。 |
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そしてクラシック最高峰の[[東京優駿]](日本ダービー)(GI)に1番人気で参戦。後方待機から直線で鋭い末脚を披露して、先に抜け出していた[[福永祐一]]騎乗の[[エピファネイア]]を差し切り、ダービーを戴冠した。ディープインパクトの[[主戦騎手]]でもあった武に史上最多となるダービー5勝目を、父仔でのダービー優勝をもたらしたうえに、[[インティライミ]]で臨みながらディープインパクトに阻まれた佐々木をダービートレーナーに、ノースヒルズをダービーオーナーにさせていた。さらにノースヒルズによるダービー連覇の端緒を担った。 |
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管理先は前田幸治の指名で[[栗東トレーニングセンター]]の[[佐々木晶三]]に決まった<ref name="shimada-number818"/>。佐々木は生後1カ月程の時の本馬を見て「素晴らしい馬でした。体がしっかりしているし、雰囲気もオーラもあった」といい、『これで男にならなかったら(ダービーを勝てなかったら)、ぼくは最悪の調教師です』と前田に語るほどに絶賛した<ref name="shimada-number818"/>。その後馴致を終え、1歳秋に[[大山ヒルズ]]をキャンターで走るキズナを見た佐々木は「ディープインパクトそのままの走り方でした。着地の時間がすごく短く、すぐ次の動作に入る。これは大物になる、というおぼろな思いが確信に変わりました」という<ref name="shimada-number818"/>。 |
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その後は、フランスに遠征し、[[ダービーステークス|イギリスダービー]]優勝馬[[ルーラーオブザワールド]]を破り前哨戦の[[ニエル賞]](G2)を優勝したが、本番の[[凱旋門賞]](G1)では、[[トレヴ]]に敵わず4着だった。帰国後、2014年の[[産経大阪杯]](GII)を優勝して、[[天皇賞(春)]](GI)に1番人気で臨むも4着に敗れたうえに骨折。復帰して翌2015年、天皇賞(春)に再び1番人気で臨むも、骨折の精神的な後遺症で7着。復活を期した矢先の秋口に[[屈腱炎]]をきたして競走馬を引退した。 |
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通算成績14戦7勝、約5億円を獲得した。競走馬引退後は、[[種牡馬]]となり、重賞優勝産駒を多数輩出。2021年の[[エリザベス女王杯]](GI)を優勝した[[アカイイト (競走馬)|アカイイト]](母父:[[シンボリクリスエス]])、2022年の[[安田記念]](GI)を優勝した[[ソングライン (競走馬)|ソングライン]](母父:シンボリクリスエス)などの父として知られる。 |
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== 誕生までの経緯 == |
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=== ノースヒルズ === |
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{{Main|[[ノースヒルズ]]|[[前田幸治]]}} |
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[[ノースヒルズ]]は、[[北海道]][[新冠町]]の生産牧場である。[[大阪府]]で大型プラントの設計、保守などを執り行う株式会社アイテックの創業者<ref name="Number-2019-5-30-53">『Sports Graphic Number』2019年5月30日号 53頁</ref>、代表取締役会長[[前田幸治|'''前'''田'''幸'''治]]が1984年10月に創業し、代表を務めていた<ref name="優駿-1998-8-39">『優駿』1998年8月号 39頁</ref>。開設してしばらくは「[[マエコウファーム|'''マエコウ'''ファーム]]」と名乗っていた。馬主であった前田が、競走馬生産にも参入し、[[オーナーブリーダー]]となっていた<ref name="優駿-1998-8-39" />。 |
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[[ファイル:Owner North Hills.svg|サムネイル|[[ノースヒルズ]]の[[勝負服 (競馬)|勝負服]]]] |
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ノースヒルズ、もとい前田は「世界に通用する馬を作る<ref name="優駿-1998-8-39" />」という目標を掲げていた。そのために、外国の牧場の方式を盛んに取り入れるようになっていた。外国のような大規模牧場を目指し、北海道の誰も利用しない山がちな場所を開拓して広大な用地を確保していた<ref name="優駿-1998-8-40">『優駿』1998年8月号 40頁</ref>。さらに施設も充実させ、スタッフを留学に向かわせ、また繁殖牝馬も盛んに輸入して良血を集めるなど、目標実現に向けた投資を欠かさなかった<ref name="優駿-1998-8-40" />。おかげで牧場の成績は、徐々に上向き、出世する生産馬を多数輩出できるようになるまでに成長していた。しかし平地競走の大タイトルを得るような馬は、なかなか現れなかった<ref name="優駿-2011-10-83">『優駿』2011年10月号 83頁</ref>。 |
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ノースヒルズが、クラシック競走の最高峰に位置づけられる[[東京優駿]](日本ダービー)に初めて挑んだのは、1992年のことだった<ref name="優駿-2013-7-57" />。挑んだのは青葉賞優勝から臨むゴールデンゼウス(父:[[アンバーシャダイ]])であり、[[岡潤一郎]]を背に4番人気だったが、[[ミホノブルボン]]に敗れる11着だった<ref name="優駿-2013-7-57">『優駿』2013年7月号 57頁</ref>。また平地競走でグレード制の最高峰に位置づけられるGI優勝を初めて果たしたのは、1998年の[[桜花賞]]である。[[武豊]]を背に3番人気で挑んだ[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]](父:[[ブライアンズタイム]])が成し遂げていた<ref name="優駿-2013-7-57" />。そのファレノプシスを産んだのは、牧場が1993年暮れにイギリスから導入したキャットクイル(父:[[ストームキャット]])だった<ref name="優駿-2011-10-83" />。 |
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=== キャットクイル === |
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{{Main|[[キャットクイル]]|[[ファレノプシス (競走馬)]]|[[サンデーブレイク]]}} |
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キャットクイルは、1990年に生まれた牝馬である。父は優れたスピードを持ち、後にアメリカの[[リーディングサイアー]]となる[[ストームキャット]]、母は1976年{{仮リンク|デラウェアオークス|en|Delaware Oaks}}を優勝した[[パシフィックプリンセス (競走馬)|パシフィックプリンセス]]、母父は[[ダマスカス (競走馬)|ダマスカス]]だった<ref name="優駿-2005-7-51">『優駿』2005年7月号 51頁</ref>。カナダで生産されたが、イギリスに移って競走馬として走り2戦未勝利。引退後は繁殖牝馬となったが、1993年暮れのセールで売却が図られていた<ref name="優駿-2005-7-51" />。当時は、ストームキャットに対する評価がそれほど高くなかった<ref name="優駿-2015-6-21">『優駿』2013年6月号 21頁</ref>。そんなとき、外国の競馬に詳しい知人に紹介されて見初めた、日本の競走馬生産者ノースヒルズが購入していた<ref name="優駿-2015-6-21" />。 |
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{{Multiple image|footer=([[芦毛]])[[ビワハヤヒデ]]([[黒鹿毛]])[[ナリタブライアン]]|total_width=383|image1=Biwahayahide.JPG|alt1=[[ビワハヤヒデ]]|image2=Narita Brian 19960309R1.jpg|alt2=[[ナリタブライアン]]}}1993年下半期は、[[ビワハヤヒデ]]と[[ナリタブライアン]]という兄弟が、それぞれ[[菊花賞]]と[[朝日杯3歳ステークス]]を優勝した頃だった。この兄弟の祖母はパシフィックプリンセスであり、キャットクイルは、日本競馬で活躍中の兄弟の近親という良血馬となった。このため牧場は、同族から、その兄弟に続くような出世馬の誕生を期待するようになっていた<ref name="優駿-1998-8-40" />。初年度となる1994年は、既にGIを奪取しており、後にこの年の[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]を成し遂げるナリタブライアンを頼りに、ナリタブライアンの父であるブライアンズタイムと交配し、翌1995年に初仔となる牝馬を産んでいた<ref name="優駿-2005-7-51" />。この初仔はナリタブライアンのいとこであり、しかも4分の3兄弟の関係という血統構成だった。初仔は「[[胡蝶蘭]]」を意味する「[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]]」という名前が与えられて競走馬となっていた<ref name="優駿-2005-7-51" />。 |
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[[ファイル:Phalaenopsis (Thoroughbred).jpg|サムネイル|239x239ピクセル|[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]](2000年[[エリザベス女王杯]]、鞍上:[[松永幹夫]])]] |
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ファレノプシスは、1997年にビワハヤヒデと同じ[[浜田光正]]厩舎からデビュー。若手の[[石山繁]]を起用してデビュー3連勝し、1998年の牝馬クラシック戦線に参入していた<ref name="優駿-2005-7-51" /><ref>『優駿』2005年7月号 52頁</ref>。しかし4戦目となる前哨戦の[[チューリップ賞]]にて、石山の騎乗ミスが一因となり4着敗退<ref name="優駿-2005-7-53">『優駿』2005年7月号 53頁</ref>。まもなく石山は降板となり、代わって[[武豊]]が起用されて本番に挑んでいた<ref name="優駿-2005-7-53" />。初戦となる桜花賞は、初騎乗の武が導いて、ノースヒルズに初の栄冠をもたらしていた。続く[[優駿牝馬]](オークス)はエリモエクセルなどに敵わず3着だったが、秋の牝馬三冠最終戦の[[秋華賞]]で奪回し、[[二冠馬|牝馬二冠]]を果たしていた<ref>『優駿』2005年7月号 54-55頁</ref>。この後のファレノプシスは、[[松永幹夫]]と2000年[[エリザベス女王杯]]を優勝するなど16戦7勝、GI3勝を挙げた<ref>{{Cite web|和書|title=ファレノプシス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000295505/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-03-30}}</ref><ref>『優駿』2005年7月号 57頁</ref>。 |
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ノースヒルズ初めての実績馬ファレノプシスを産んだキャットクイルは、その後もノースヒルズに留まり、ファレノプシスの弟妹創出を担っていた。ファレノプシスの再来を願い、同じようにブライアンズタイム、あるいは[[デインヒル]]や[[ティンバーカントリー]]、[[フォーティナイナー]]、[[ダンスインザダーク]]などと交配をしていた<ref name="JAIRS-キャットクイル">{{Cite web|和書|url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=644873316 |title=キャットクイル(JPN) |accessdate=2023-04-03 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20230402184356/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=644873316 |archivedate=2023-04-02}}</ref>。しかしキャットクイルは、応えられなかった。そもそも弟妹を得ることが難しかった。不受胎や、産後まもなくの胎児の死、流産が頻繁に引き起こされていた<ref name="JAIRS-キャットクイル" /><ref>『第5コーナー 競馬トリビア集』68頁</ref><ref name="優駿-2013-7-107">『優駿』2013年7月号 107頁</ref>。キャットクイルは、ファレノプシスを産んだ1996年から2009年までの13年間で、6頭しか生み出せなかった<ref name="優駿-2013-7-107" />。しかし6頭でも活躍産駒は現れた。中でも3番仔[[サンデーブレイク]](父:フォーティナイナー)がファレノプシスに追随した。アメリカで走ったサンデーブレイクは、2002年の[[ピーターパンステークス]](G3)を優勝した他、[[ベルモントステークス]](G1)3着となった<ref>{{Cite web|和書|title=サンデーブレイク|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000616478/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-03-30}}</ref><ref name="優駿-2013-7-107" />。 |
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キャットクイルは、やがて高齢の域に達していた。一般に繁殖牝馬は、若い頃の産駒の方が名馬が生まれやすいと信じられていた<ref name="Number-2019-5-30-53" />。ただでさえ流産などが多くその役割を果たしにくいキャットクイルが、高齢となれば、その存在理由が他の繁殖牝馬より尚のことぐらつくのは当然だった<ref name="第5コーナー-67">『第5コーナー 競馬トリビア集』67頁</ref>。しかし牧場は、キャットクイルを諦めることはしなかった。そればかりか不受胎の可能性を多分に含んでいるにもかかわらず、優良な種牡馬を用意し続けた。18歳となった2008年には、初めに[[アグネスタキオン]]と交配して失敗、続いて[[ハーツクライ]]と交配してまた失敗、さらにディープインパクトと交配してまたまた失敗し、結局不受胎だった<ref name="JAIRS-キャットクイル" />。それでも翌2009年、前年に引き続き、前田が拘ってディープインパクトと交配を敢行<ref name="Number-2019-5-30-53" />。そして受胎を果たしていた<ref name="JAIRS-キャットクイル" />。 |
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[[ファイル:Deep Impact Japanese Derby.jpg|サムネイル|226x226ピクセル|[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]](2005年東京優駿(日本ダービー)]]それから1年後、予定日から3週間が経過した2010年3月5日、20歳のキャットクイルから、8番仔となる[[青鹿毛]]の牡馬のディープインパクト産駒(後のキズナ)が誕生する<ref name="ふるさと-東京優駿">{{Cite web|和書|title=2013年05月26日 日本ダービー G1 重賞ウィナーレポート|url=https://uma-furusato.com/winner_info/73084.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-04-10}}</ref>。この後、キャットクイルは2014年に死亡するまで繁殖牝馬であり続けたものの、これまで通り、不受胎や死産を繰り返すことになる。そのためこの8番仔が、キャットクイルが遺した最期の仔となった<ref name="JAIRS-キャットクイル" /><ref name="優駿-2018-3-78">『優駿』2018年3月号 78頁</ref>。 |
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20歳のキャットクイルが生んだ8番仔は、ファレノプシスの15歳年下、サンデーブレイクの11歳年下の弟であり、ナリタブライアンやビワハヤヒデのいとことなった<ref name="Number-2019-5-30-53" />。 |
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== 幼駒時代 == |
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=== 牧場時代 === |
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==== ノースヒルズ時代 ==== |
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8番仔は、ディープインパクトの3年目産駒である。ディープインパクトは、初年度産駒から活躍馬を輩出するなど、種牡馬としても高い能力があることが後に判明するが、3年目産駒が生まれた頃は、まだ初年度産駒がデビューしていなかった。ゆえに種牡馬としての能力は未知数、走る産駒の傾向も不明<ref name="優駿-2013-8-48">『優駿』2013年8月号 48頁</ref>。牧場でも、ディープインパクト産駒を取り扱う経験に乏しく、誕生直後の8番仔に対する評価も様々だった<ref name="優駿-2013-8-48" />。牧場スタッフの中には「ダービーを単勝1倍台で勝って無敗の三冠馬になる<ref>『Sports Graphic Number』2020年6月4日号 20頁</ref>」と最高の評価を与える者もいたという。牧場では、母キャットクイルから「'''キャット'''」と呼称された<ref name="優駿-2013-8-48" /><ref>{{Cite web|和書|title=2013年05月04日 京都新聞杯G2重賞ウィナーレポート|url=https://uma-furusato.com/winner_info/72498.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-04-10}}</ref>。 |
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キャットは、当歳から1歳10月まで牧場で過ごした。牧場では、アメリカの栄養コンサルタントを呼び寄せて、幼駒の検分をさせていた。幼駒の悪い箇所を探してもらい、改善の助けとする目的があった<ref name="優駿-2013-8-48" />。しかしキャットは、どこまでも最高評価の「A」ランクであり、悪い箇所が見当たらなかった<ref name="優駿-2013-8-48" />。また牧場では、春から初冬までではなく冬まで、つまり季節を問わず、夜間に幼駒を野に放っていた<ref name="優駿-2013-8-49">『優駿』2013年8月号 49頁</ref>。通年夜間放牧と呼ばれるこの方式は、ノースヒルズが他に先駆けて導入しており、特に厳冬下の放牧は、健康を損なうリスクが高かった<ref name="優駿-2013-8-49" />。それでもキャットは、耐え忍んで「A」ランクであり続けていた<ref name="優駿-2013-8-49" />。 |
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馴致中は、小さなケガこそあれど、体調を崩すことはなかったという<ref name="ふるさと-東京優駿" />。放牧中の動きも良く、牧場の繁殖チーフは「当歳の中でも動きが軽い馬<ref name="ふるさと-東京優駿" />」だったと回顧している<ref name="ふるさと-東京優駿" />。さらに性格も良く、他の馬には、反抗的な態度をとるが、こと人間に対しては従順だった<ref name="ふるさと-毎日杯">{{Cite web|和書|title=2013年03月23日 毎日杯 G3 重賞ウィナーレポート|url=https://uma-furusato.com/winner_info/72055.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-04-10}}</ref>。実績馬の弟であることから、訪問者には必ず披露していたという<ref name="ふるさと-毎日杯" />。 |
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==== "絆" ==== |
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[[ファイル:Transcend-horse.jpg|サムネイル|[[トランセンド (競走馬)|トランセンド]](2010年[[みやこステークス]])]] |
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キャットが1歳3月だった頃、つまり2011年3月末、ノースヒルズは[[ドバイワールドカップミーティング]]に参戦している。ドバイの[[メイダン競馬場]]で行われる優勝賞金が世界最高額の[[ドバイワールドカップ]](G1、[[オールウェザー (競馬)|オールフェザー]]2000メートル)に、ダートGI2連勝中の生産馬[[トランセンド (競走馬)|トランセンド]](父:[[ワイルドラッシュ]])で挑んでいた。トランセンドは逃げに出て直線に向いたが、同じ日本調教馬の[[ヴィクトワールピサ]]に差し切られて2着<ref name="優駿-2018-3-78" />。日本調教馬として初めてドバイワールドカップを優勝するという栄誉は、ヴィクトワールピサに譲ったが、ワンツーフィニッシュの一員に加わる結果となっていた<ref name="優駿-2018-3-78" />。[[ファイル:KojiMaeda2014.jpg|サムネイル|253x253ピクセル|[[前田幸治]]]]この2週間前の3月11日には、日本で[[東日本大震災]]が発生していた。あらゆる地域が被災する国難となる中、トランセンドのために遠征した前田は、ドバイのあらゆるところにて、励ましの言葉など様々な施しを受けていた<ref name="優駿-2018-3-78" /><ref name="Number-2019-5-30-54" />。このことがトランセンドの2着とともに印象的な経験として記憶されていた。そこで震災の後、盛んに使われるようになった言葉である日本語「'''[[絆]]'''」を馬名に採用しようと考えるようになった<ref name="Number-2019-5-30-54" />。普段は外国語の辞書を用い<ref>『優駿』2014年7月号 31頁</ref>、これまで所有馬1400頭に名前を与えてきたが、初めて日本語の採用することになった<ref name="報知-前田武豊">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130520-OHT1T00145.htm |title=【ダービー】武豊、キズナの前田オーナーと強い絆「応えたいね」 |accessdate=2023-03-31 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130521125843/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130520-OHT1T00145.htm |archivedate=2013-05-21}}</ref>。大切な経験を基にして想起し、かつ自身にとって今までにない画期的な馬名案「キズナ」を前田は、2011年産世代で最も評価の高い馬に与えようと決意していた<ref name="Number-2019-5-30-54" />。 |
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==== 大山ヒルズ時代 ==== |
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キャットは1歳10月、2011年10月8日にノースヒルズの育成施設、[[鳥取県]][[伯耆町]]の[[大山ヒルズ]]に移動した<ref name="優駿-2013-7-45">『優駿』2013年7月号 45頁</ref>。迎え入れた大山の施設マネージャーは、到着して「馬運車から下りてきた瞬間に強烈なオーラ<ref>『優駿』2020年10月号 16頁</ref>」を感じ取ったという。キャットは、大山に来てから急速に成長し、運動能力や心肺能力を高めていった<ref name="優駿-2013-7-45" />。ある獣医師は、先のトランセンドの遠征に同伴しており、キャットを見守らない時期があったが、キャットはその間に急成長を遂げていた。獣医師は、久しぶりにキャットを見て、充実した筋肉に驚いたという<ref name="優駿-2013-7-45" />。またキャットは、心肺機能も高かった。他の同期と同じメニューをこなしても、ただ1頭へこたれず、疲れを見せなかった<ref name="優駿-2012-6-36">『優駿』2012年6月号 36頁</ref>。大山では、可能な限り馬に担当をつけず、1頭に多数の人間が騎乗する方針を取っていた<ref name="優駿-2013-7-47">『優駿』2013年7月号 47頁</ref>。そのため多くのスタッフがキャットの乗り味を体感しており、スタッフは次々にキャットに高い評価を与えている<ref name="優駿-2012-6-36" /><ref name="優駿-2013-7-47" />。また大山では、年に一度ほど周辺の地元住民を対象に見学会を催していた<ref name="優駿-2013-7-47" />。その見学会では、これまでの実績馬、有名馬が多数披露されていたが、その流れでキャットは、次の期待馬として紹介されていた<ref name="優駿-2013-7-47" />。 |
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このように期待しかないキャットは、やがてノースヒルズで生産されたこの世代の幼駒の中で、最も高い評価を得るに至る。果ては「ノースヒルズの史上最高傑作<ref name="優駿-2013-7-45" />」という呼び声もあったという。この頃になると、ディープインパクトの初年度産駒がデビューしており、産駒たちは各々、受け継いだ能力を存分に発揮、出世馬が続出し始めていた<ref name="優駿-2013-7-45" />。ノースヒルズに初めて大タイトルをもたらしたファレノプシスの弟、世代で最高の評価ないし「史上最高傑作」と呼ばれるほどの評判で、さらに上昇中のディープインパクトの3年目産駒とくれば、かかる期待も相当に高かった<ref name="優駿-2013-7-45" />。デビューする前から関係者の間では、さも当然のようにクラシック最高峰の東京優駿(日本ダービー)優勝が目標になっていた<ref name="優駿-2013-7-45" />。そんなキャットに、前田は、世代最高評価で、大いに期待できる馬のために温めておいた馬名案が与えられる。他の馬よりも比較的早いタイミングでなされるなど、ノースヒルズにとって特別な形で命名された<ref name="優駿-2013-7-46" />。キャットは「'''キズナ'''」となった。[[ファイル:Owner North Hills Maeda Shinji.svg|サムネイル|181x181ピクセル|[[前田晋二]]の[[勝負服 (競馬)|勝負服]]]] |
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キズナは、前田の弟である[[前田晋二]]の所有で競走馬となる。株式会社都市クリエイトの代表取締役である前田晋二は、兄の経営するノースヒルズに同調して、その生産馬の馬主を担っていた<ref name="優駿-2013-7-57" />。所有馬の分配は、経営者の兄が行っていたが、兄は弟の馬主成績を気にかけていた。近頃、弟の成績が良くないと感じ取った兄は、ノースヒルズからできるだけ評判の良い馬を提供して、弟の成績改善を試みていた<ref name="優駿-2013-7-57" />。その一環で、キズナが前田晋二の所有となった<ref name="優駿-2013-7-57" />。 |
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=== 厩舎時代 === |
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キズナは、栗東トレーニングセンターの[[佐々木晶三]]調教師に託される。佐々木とノースヒルズの関係は深く、2011年には、[[アーネストリー]]で宝塚記念を優勝するなど結果にも表れていた。当初、ノースヒルズから佐々木に提供される予定だったのは産まれてくる予定の「ファレノプシスの仔」であった<ref name="優駿-2013-7-54">『優駿』2013年7月号 54頁</ref>。しかしファレノプシスが不受胎に終わり、その「ファレノプシスの仔」が存在しなかった<ref name="優駿-2013-7-54" />。このためその「ファレノプシスの'''仔'''」の代わりとして「ファレノプシスの'''弟'''」キズナが割り当てられていた<ref name="優駿-2013-7-54" />。[[ファイル:Syozo-Sasaki20100529.jpg|サムネイル|244x244ピクセル|[[佐々木晶三]]]]佐々木は、当歳の頃に初めて検分し、その第一印象から「オーラ」を感じていたという<ref name="優駿-2013-7-54" />。当歳馬の検分で得た好印象は、身体が成長するなどして崩れ、まやかしになることが多かった<ref name="東スポ-キズナ-幼駒時代" />。しかし大山ヒルズでの育成調教を見ても、走り方が「ディープ(インパクト)に似ている<ref name="優駿-2013-7-54" />」と捉えていた。あまりの好印象に、佐々木は、東京優駿(日本ダービー)を目指せる器だと認識するようになり、この頃について「『これで男にならなかったら、ぼくは最悪の調教師です』と前田代表に言いました。『男になる』とは、ダービーを勝つということ<ref name="Number-2019-5-30-53" />」と回顧している。2歳となった2012年8月に佐々木厩舎に入厩しているが<ref name="優駿-2018-3-79" />、成長して競走馬の身体になっていても、初めの好印象は揺るがず、よくいるまやかしではなかった<ref name="東スポ-キズナ-幼駒時代">{{Cite web|和書|title=【52】キズナと最初の対面…「オーラを感じた」 |url=https://tospo-keiba.jp/sasaki/16257 |website=東スポ競馬 |date=2022-07-06 |access-date=2023-04-05 |language=ja}}</ref>。 |
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これまでの佐々木の経験で「第一印象のすごかった<ref name="東スポ-キズナ-幼駒時代" />」若駒は、後に1997年[[NHKマイルカップ]](GI)、1998年[[モーリス・ド・ゲスト賞]](G1)を優勝することになる[[シーキングザパール]]だった<ref name="東スポ-キズナ-幼駒時代" />。ところがキズナには、シーキングザパールと同じくらいの感触、「それ以来と言っていい衝撃<ref name="東スポ-キズナ-幼駒時代" />」があったという<ref name="競馬ラボ-デビュー前-佐々木">{{Cite web|和書|title=「大仕事をすると思う」佐々木晶三調教師も絶賛のキズナがデビュー|url=https://www.keibalab.jp/topics/14629/ |website=www.keibalab.jp |access-date=2023-04-05 |language=ja}}</ref>。佐々木は、即座に東京優駿優勝までを考えるようになっていた<ref name="東スポ-キズナ-幼駒時代" />。調教では、先にデビューしていた同期、既にオープンクラスに昇格していた[[アップトゥデイト]]と併せ馬をしている<ref name="競馬ラボ-デビュー前-佐々木" />。アップトゥデイトはパワーに秀でており、坂路の動きには目を見張るものがあったが、キズナはあっさり先着、調教でも同期と格の違いを見せていた<ref name="競馬ラボ-デビュー前-佐々木" />。 |
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厩舎では、田重田静男が[[厩務員]]を担った。田重田は、アーネストリーの担当でもあった。1972年[[京都牝馬特別]]をセブンアロー{{Efn|久保道雄厩舎時代}}で重賞初優勝を果たすなど、長年厩務に携わりながら60代に到達したベテランであり、佐々木とは若い頃から関係を築いていた<ref name="スポニチ-田重田">{{Cite web|和書|title=佐々木厩舎の田重田厩務員 愛馬キズナの産駒と最後の大仕事! |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2020/03/19/kiji/20200319s00004000287000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-05 |language=ja}}</ref>{{Efn|新井仁厩舎にて、田重田は厩務員、佐々木は技術調教師だった<ref name="スポニチ-田重田" />。}}。アーネストリーがGI戴冠を果たした後、その褒美として、アーネストリーと同じノースヒルズの期待馬であるキズナを担当することとなった<ref>{{Cite web|和書|title=人馬のキズナ、ダービーで結実へ|url=https://www.keibalab.jp/column/interview/850/ |website=www.keibalab.jp |access-date=2023-04-05 |language=ja}}</ref>。[[ファイル:Earnestly20110626(2).jpg|サムネイル|232x232ピクセル|アーネストリー(左)と田重田静男(右)(2011年宝塚記念)]] |
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主戦騎手には、[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]が起用される。佐藤は、これまで[[タップダンスシチー]]などの佐々木厩舎の活躍馬をGIタイトルに導いていた<ref>{{Cite web|和書|title=【54】かみ合わなかったラジオNIKKEI杯 |url=https://tospo-keiba.jp/sasaki/16563 |website=東スポ競馬 |date=2022-07-13 |access-date=2023-04-11 |language=ja}}</ref>。また佐藤は、ノースヒルズとも関係が深かった。佐藤が騎手デビュー4年目だった1992年、[[朝日チャレンジカップ]]にてノースヒルズのレットイットビーを勝利に導き、重賞初勝利を挙げていた<ref name="優駿-2018-3-79" />。そればかりかこの勝利は、ノースヒルズのJRA平地重賞初勝利をもたらしていた。また2011年の宝塚記念では、同じ佐々木、田重田、ノースヒルズのアーネストリーを優勝に導いている。佐藤は、大山ヒルズにも頻繁に赴き、育成途上のキズナから調教を施していた<ref name="優駿-2018-3-79" />。 |
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佐藤、佐々木、田重田、ノースヒルズというアーネストリーと同じタッグが再集結し、キズナをバックアップすることになった<ref name="優駿-2018-3-79" />。 |
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== 競走馬時代 == |
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=== 2歳(2012年) === |
=== 2歳(2012年) === |
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当初は2歳時の2012年6月にデビューする予定だったが挫跖のため延期し<ref name="shimada-number818"/>、[[10月7日]]の[[京都競馬場]]の芝1800mの2歳新馬戦でデビューした。厩舎の主戦である[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]が騎乗、最後はリジェネレーションとの競り合いを制し1番人気に応えてデビュー戦を制した<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-222962.html 【メイクデビュー】(京都3R、5R) ]ラジオNIKKEI(2012.10.7)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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==== 条件馬時代 ==== |
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2戦目の黄菊賞は後方から差しきって2勝目を飾った<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-224059.html 【黄菊賞】(京都)~人気のキズナが連勝を飾る]ラジオNIKKEI(2012.11.11)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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まず2012年6月にデビューする予定だった。しかし挫跖をきたしたために延期となり、10月7日の[[京都競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝1800メートル外回り)でデビューとなる<ref name="Number-2019-5-30-54">『Sports Graphic Number』2019年5月30日号 54頁</ref>。その直前には、佐藤を配して挑んだゲート試験で不合格となっていたが、それから立て直して出走を叶えていた<ref name="東スポ-佐々木-53">{{Cite web|和書|title=佐々木晶三連載【53】まさか!!キズナがゲート試験不合格なんて |url=https://tospo-keiba.jp/sasaki/16561 |website=東スポ競馬 |date=2022-07-13 |access-date=2023-03-30 |language=ja}}</ref>。7頭立てとなり、2008年[[皐月賞]]優勝馬[[キャプテントゥーレ]]の弟であるリジェネレーションなどが相手だったが、ファレノプシスの弟・キズナが単勝オッズ2.0倍の1番人気だった<ref name="ウマニティ-新馬">{{Cite web|和書|title=【2歳新馬】ファレノプシスの弟キズナ完勝! |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=24500 |website=競馬予想のウマニティ |access-date=2023-03-30 |language=ja}}</ref>。 |
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装鞍所から[[パドック]]へ至る道中の地下馬道で暴れ、[[落鉄]]するアクシデントに見舞われたが、打ち替えての参戦となる<ref name="東スポ-佐々木-53" />。暴れ収まらないまま馬場入場し、レースを迎えていた<ref name="東スポ-佐々木-53" />。スタートからリジェネレーションと並んで好位を追走し、直線でスパートして、先行勢を追いかけた<ref name="ウマニティ-新馬" />。残り200メートルから末脚を発揮し、まずリジェネレーションを置き去りにし、それから先行する2頭を寸前で差し切っていた<ref name="Number-2019-5-30-54" />。リジェネレーションに2馬身差をつけて決勝線に到達し、初出走初勝利を成し遂げた<ref>{{Cite web|和書|title=【メイクデビュー】(京都3R、5R)|url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-222962.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2023-03-30 |language=ja}}</ref>。 |
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次走の[[阪神競馬場|阪神]]で行われた[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオNIKKEI杯2歳ステークス]]では、デビューから2戦騎乗した佐藤哲三が11月のレース中の事故で負傷のため休養を余儀なくされ<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-224463.html 佐藤哲三騎手の病状について]ラジオNIKKEI(2012.11.25)、2021年1月22日閲覧。</ref>、新たな鞍上に[[武豊]]を迎えて出走した。レースでは前目の競馬になったものの直線は[[エピファネイア]]に競り負けて3着に終わった<ref>[http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-225340.html 【ラジオNIKKEI杯2歳S】(阪神)~エピファネイアが3連勝で重賞V]ラジオNIKKEI(2012.12.22)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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終いに鋭い末脚を使い突き抜けた新馬戦のパフォーマンスは、佐々木にクラシック参戦を意識させ、それに向けたローテーションを構想するようになった<ref name="東スポ-佐々木-53" />。佐々木は、その能力から、続く黄菊賞(500万円以下)、そして暮れの[[ラジオNIKKEI杯2歳ステークス]](GIII)に出走しても連勝するだろうと考えていた。この3戦3勝、重賞勝利を果たした3歳末で以て、クラシック出走を早い時期に易々と確定させようと目論んでいた<ref name="東スポ-佐々木-53" />。 |
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Kizuna in Radio NIKKEI hai 2012 IMG 0228 20121222.JPG|ラジオNIKKEI杯2歳ステークス |
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11月11日、黄菊賞(500万円以下)は、10頭立てだった。その中には、2009年東京優駿(日本ダービー)優勝馬[[ロジユニヴァース]]の弟であるトーセンパワフルがいたが、ファレノプシスの弟・キズナが単勝オッズ2.0倍の1番人気だった。スタートから中団後方を追走し、直線で大外に持ち出して追い上げた<ref name="netkeiba-黄菊賞">{{Cite web|和書|title=行くでクラシック!良血キズナが豪快差し切りV/黄菊賞|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=69763 |website=netkeiba.com |access-date=2023-03-30 |language=ja}}</ref>。繰り出した末脚で他すべてを呑み込み、残り200メートル地点で差し切っていた<ref name="netkeiba-黄菊賞" />。終いにももう一伸びして突き放し、後方に2馬身半差をつけて決勝線に到達。2勝目を挙げた<ref>{{Cite web|和書|title=【黄菊賞】(京都)~人気のキズナが連勝を飾る|url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-224059.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2023-03-30 |language=ja}}</ref>。 |
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</gallery> |
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==== 佐藤哲三 ==== |
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[[ファイル:Tetsuzo-Sato20110626.jpg|サムネイル|「ノースヒルズ」と[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]]] |
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そして暮れの12月22日、[[ラジオNIKKEI杯2歳ステークス]](GIII)で重賞初挑戦となる。2連勝中、それに評判馬を相次いで下したキズナは、クラシック戦線の有力馬の1頭となっていた<ref>{{Cite web|和書|title=【競馬】キズナがダービーで「本命」と言われるワケ |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2013/05/23/post_125/ |website=集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ |access-date=2023-03-30 |language=ja |author=新山藍朗}}</ref>。ここで予定通り重賞初勝利を果たして、余裕を持ってクラシックに佐藤とともに臨もうという構想だった。しかし佐藤は、黄菊賞の2週間後の11月24日に落馬する<ref>『優駿』2014年11月号 62頁</ref>。柵に衝突して全身7か所の骨折、外傷性気胸、右下腿部裂創、右肘関節の尺骨脱臼という重傷となり、キズナへの騎乗が困難となった<ref name="優駿-2014-11-63">『優駿』2014年11月号 63頁</ref>。 |
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この後、佐藤がキズナの鞍上に舞い戻ることは叶わなかった。佐藤は、キズナが活躍する傍らで、落馬から1年近く治療を続け、騎手復帰を目指していた<ref name="優駿-2014-11-63" />。前田も何度も病室を訪れ「復帰したら、ノースヒルズの馬に好きなだけ乗ればいいから」という励ましを受けながら治療に挑んだが、ある日、佐藤の中で騎手復帰の志が減退する<ref name="優駿-2014-11-64">『優駿』2014年11月号 64頁</ref>。「キズナを可愛いと思ってしまった」ことがきっかけとなり、騎手引退となった<ref name="優駿-2014-11-64" />。 |
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2014年7月の病室にて、携帯でキズナの写真を見ながら、涙が溢れていた<ref name="優駿-2014-11-64" />。そして7月30日には、大山ヒルズに、佐藤でない騎手で出世したキズナと久しぶりに対面している。その際、佐藤は、キズナに対して「可愛い」という感情を抱いてしまっていたという<ref name="競馬ラボ-佐藤-引退">{{Cite web|和書|title=佐藤哲三騎手 引退会見(後半) 決断は「キズナを可愛いと思った時」|url=https://www.keibalab.jp/topics/24208/ |website=www.keibalab.jp |access-date=2023-03-30 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=佐藤哲引退 12年落馬で大ケガ、懸命のリハビリも復帰かなわず|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/09/17/kiji/K20140917008940770.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-03-30 |language=ja}}</ref>。騎手は、馬の理解者であるほかに、馬の制御者である必要があったが、佐藤の中で、馬への「可愛い」という感情の先行が留まらなかった。病室でキズナの写真を見て泣いた出来事について、佐藤はこう回想している<ref name="優駿-2014-11-64" />。{{Quotation|写真を見て泣いている時点で、"もうダメなんだな…"って。この感性のまま、もし明日、左腕が動いたとしても、ギャンブルレーサーとしての佐藤哲三には戻れない。それにはっきりと気づいたんです。|[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]<ref name="優駿-2014-11-64" />}}また佐藤は、このように述べている。{{Quotation|'''聞き手''':「後悔していないことはない」と仰っていましたが、具体的にはどのような心残りがありますか?<br/>'''佐藤哲三''':10場重賞制覇<ref group="注釈">[[中央競馬]]が開催される競馬場全10場で開催される重賞をすべて優勝すること</ref>が[[新潟競馬場|新潟]]だけだったり、通算1000勝もそうですが、一番やり残したことは、'''ノースヒルズの馬で(日本)ダービーを勝つこと'''ですね。|競馬ラボ(強調、カッコ内補足、注釈は加筆者)<ref name="競馬ラボ-佐藤-引退" />}} |
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==== 武豊 ==== |
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[[ファイル:80th_Tokyo_Yushun_Winner_jockey_Take_Yutaka_interview.jpg|代替文=<nowiki>[[武豊]]</nowiki>|サムネイル|273x273ピクセル|「ノースヒルズ」と[[武豊]]]] |
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騎乗不能の佐藤に代わり、キズナの主戦騎手として起用されたのは、姉ファレノプシスをGIタイトルに導いた[[武豊]]だった。武は、この頃不調の真っ只中だった。2010年3月27日の[[毎日杯]](GIII)にて落馬し、重傷を負って休養したのをきっかけに、勝利数を大きく減らしていた<ref name="ウマニティ-ダービー-武豊" />。2009年の年間140勝が、翌2010年は休養があって69勝となったのは当然にしても、翌2011年は64勝、2012年は56勝というように右肩下がり、自己最低の勝利数にまで落ち込んでいた<ref name="優駿-2018-3-79">『優駿』2018年3月号 79頁</ref>。それからデビュー2年目から23年間続けてきたJRAGI優勝も途切れていた<ref name="優駿-2018-3-79" />。 |
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そんな武を、前田は敢えて起用する。ノースヒルズと武は、ファレノプシスの他に、2002年[[スプリンターズステークス]]で[[ビリーヴ (競走馬)|ビリーヴ]]を、2006年[[NHKマイルカップ]]で[[ロジック (競走馬)|ロジック]]を優勝に導いた過去があった<ref name="報知-前田武豊" />。前田は、これまで長年、日本競馬を牽引してきた武が落ち目にあることを、見過ごすわけにはいかなかった。そこで前田は、所有馬を融通して、武を積極的に起用。これ以上の低迷を阻止するために下支えをしていた<ref name="決断-243">『決断 誰も書かなかった武豊』243頁</ref><ref name="報知-前田武豊" />。 |
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[[ファイル:Kizuna in Radio NIKKEI hai 2012 IMG 0228 20121222.JPG|サムネイル|256x256ピクセル|[[ラジオNIKKEI杯2歳ステークス]]]] |
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武との初戦となったラジオNIKKEI杯2歳ステークス(GIII)は、1984年{{Efn|第1回、前々身にあたる[[ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス]]時代。優勝は、ニホンピロビッキー(父:[[トウショウボーイ]])}}に並ぶレース史上最少の7頭立てだった<ref>『優駿』2013年2月号 117頁</ref>。それでも相手は揃っており、キズナは1番人気を譲り、2番人気に甘んじる<ref name="優駿-2013-2-116">『優駿』2013年2月号 116頁</ref>。1番人気となったのは、2005年[[優駿牝馬]](オークス)優勝馬[[シーザリオ]]の仔であり、新馬と京都2歳ステークスを連勝中の[[エピファネイア]]だった<ref name="優駿-2013-2-116" />。単勝オッズ1.9倍がエピファネイアであり、2.9倍がキズナだった<ref name="優駿-2013-2-116" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=byMMeL7Os1o&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2012年 ラジオNIKKEI杯2歳ステークス({{GIII}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スタートから5番人気のバッドボーイが逃げて、それに次ぐ2番手に落ち着き、その直後の3番手をエピファネイアが追走していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/newsflash/horse/2012/12/22/0005619132.shtml |title=エピファネイアたたき合い制し3連勝 |accessdate=2023-03-31 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20121224135151/http://daily.co.jp/newsflash/horse/2012/12/22/0005619132.shtml |archive-date=2012-12-24}}</ref>。少頭数の中でのバッドボーイ単独での逃げとなったために、前半の1000メートル地点通過が66.0秒というスローペースとなり、キズナは折り合いがつかなかった<ref name="優駿-2013-2-116" /><ref name="報知-弥生賞-追い切り">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130227-OHT1T00133.htm |title=キズナ、一気加速55秒0!精神面進化…報知杯弥生賞追い切り |accessdate=2023-03-31 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130304061626/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130227-OHT1T00133.htm |archivedate=2013-03-04}}</ref>。直線では、バッドボーイとキズナ、エピファネイアが横一線の3頭となっていたが、折り合いを欠いたキズナは、真っ先に脱落していた<ref>『優駿』2013年2月号 31頁</ref>。折り合いをつけて終いに伸びたエピファネイアに約半馬身以上、逃げたバッドボーイにクビ差先着を許した<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2012/12/23/0005620228.shtml |title=【ラジオN杯】エピファネイア重賞初V |accessdate=2023-03-31 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20121224135159/http://daily.co.jp/horse/2012/12/23/0005620228.shtml |archive-date=2012-12-24}}</ref><ref name="優駿-2013-2-116" />。重賞勝利はおろか、賞金も加算できない3着、初めての敗北を喫した<ref name="優駿-2013-7-46">『優駿』2013年7月号 46頁</ref>。 |
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=== 3歳(2013年) === |
=== 3歳(2013年) === |
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3歳の初戦として[[3月3日]]の[[弥生賞]]に出走。1,000mの通過タイムが61秒6というスローペースの展開で後方からの競馬となり、直線追い込むも[[カミノタサハラ]]の5着に敗れて[[皐月賞]]への優先出走権を逃した<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-227386.html 【弥生賞(GII)】(中山)~カミノタサハラ 重賞初制覇]ラジオNIKKEI(2013.3.3)、2021年1月22日閲覧。</ref>。この敗戦を受けて、陣営は皐月賞を諦め、[[東京優駿|日本ダービー]]に照準を定めた<ref name="shimada-number818"/>。 |
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==== クラシック参戦までの道程 ==== |
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次走は[[毎日杯]]に出走。武のエージェントからは3年前の同レースで落馬事故に遭っていたため別のレースにしてほしいと佐々木師に申し出があったというが、予定通りに出走<ref name="shimada-number818"/>。ハイペースの中で後方に位置し、最後の直線でラスト3ハロン34秒3という2番目の馬より1秒以上速い末脚を繰り出して外から差し切り、2着に3馬身差の圧勝で重賞初制覇を飾った<ref>[http://www.radionikkei.jp/keiba/entry-228006.html 【毎日杯(GIII)】(阪神)~キズナ 待望の重賞初制覇 ]ラジオNIKKEI(2013.3.23)、2021年1月22日閲覧。</ref><ref name="shimada-number20130523">[https://number.bunshun.jp/articles/-/448513?page=1 支えてくれた恩人にダービーを――。武豊、キズナの鞍上で期する思い。(1/3)][https://number.bunshun.jp/articles/-/448513?page=2(2/3)][https://number.bunshun.jp/articles/-/448513?page=3 (3/3)] - Sports Graphic Number Web 2013年5月23日、2020年1月13日閲覧。</ref>。 |
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ラジオNIKKEI杯2歳ステークスの後は、短期間の放牧を挟み、皐月賞のトライアル競走である[[弥生賞ディープインパクト記念|弥生賞]](GII)で始動となった。この放牧はキズナの精神面の成長を促していた<ref name="報知-弥生賞-追い切り" />。佐々木によればこの間に「幼稚園児が中学生になったくらい<ref name="報知-弥生賞-追い切り" />」になったという。クラシック参戦を目指す重賞2着のない2勝馬キズナが、皐月賞出走を叶えるには、3着以内に入って優先出走権を得る必要があったが、重賞優勝馬のエピファネイアや[[コディーノ]]が立ちはだかった<ref name="優駿-2013-5-92">『優駿』2013年5月号 92頁</ref>。エピファネイアとの再戦が実現していたが、人気に差が生じていた。エピファネイアが2.3倍の1番人気に対し、キズナは6.4倍の3番人気だった<ref name="優駿-2013-5-92" />。 |
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スタートから後方を追走したが、またもスローペースに巻き込まれた<ref name="優駿-2018-3-79" />。直線で追い上げて、エピファネイアなどの先行勢に詰め寄ったが、エピファネイアにハナ差届かず、再び敗れた<ref name="優駿-2013-5-93">『優駿』2013年5月号 93頁</ref>。そればかりかエピファネイアは、[[カミノタサハラ]]やミヤジタイガ、コディーノにも敗れる4着だった。つまりキズナは5着敗退で、皐月賞の優先出走権を逃していた<ref name="優駿-2013-5-93" />。 |
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毎日杯の勝利で賞金的に皐月賞出走が可能になったもののこれを回避し、次走は距離が2200mに延びる5月4日の[[京都新聞杯]]に出走。スタートで出遅れ、道中最後方からの競馬になるが、上がり34.5秒の末脚で他馬を圧倒、重賞2勝目を挙げた<ref>[http://www.radionikkei.jp/keiba/ii_8.html 【京都新聞杯(GII)】(京都)~キズナ 後方から突き抜けて重賞連勝]ラジオNIKKEI(2013.5.4)、2021年1月22日閲覧。</ref>。また、この後「日本ダービーを勝利した場合」という条件付きで10月6日に[[フランスの競馬|フランス]]の[[パリロンシャン競馬場|ロンシャン競馬場]]で行われる[[凱旋門賞]]へ参戦する予定であることが発表された<ref name="shimada-number20130523"/>。 |
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続いて3月23日、[[毎日杯]](GIII)に参戦する。皐月賞3週間前に行われる中距離の重賞の毎日杯は、行われる時期や条件などから、長らく関西馬の皐月賞出走を叶える最後の機会「東上最終便」として認識されていた。しかしキズナ陣営は、弥生賞5着となり、優先出走権を逃した時点で、皐月賞参戦を諦めていた<ref>{{Cite web|和書|title=【56】不屈の精神で毎日杯を勝った武豊 |url=https://tospo-keiba.jp/sasaki/16591 |website=東スポ競馬 |date=2022-07-13 |access-date=2023-04-11 |language=ja}}</ref>。毎日杯から皐月賞の連戦は間隔が短いため、無理を強いらなかった。陣営は、目標をクラシック最高峰に位置づけられる第二戦・東京優駿(日本ダービー)のみに照準を合わせ、東京優駿に出走できるだけの収得賞金を確保するために出走していた<ref name="優駿-2018-3-79" />。 |
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満を持して参戦することとなった[[5月26日]]の東京優駿の枠番は1枠1番、単勝オッズは2.9倍の1番人気に支持された。レースでは鞍上の武豊がスタート直後から位置取りを下げ、道中は後ろから3頭目あたりの後方待機策を取った。最終直線に向き追い出すが、進路が狭くなりややもたつくも徐々に進出、残り200mあたりから更に加速して先行集団をまとめてかわし、そしてゴール直前に先に先頭に立っていたエピファネイアを捉え1/2馬身差をつけ優勝した<ref>[https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/derby/result/derby2013.html 第80回 東京優駿(日本ダービー)]JRA公式サイト、2021年1月22日閲覧。</ref><ref>[http://www.radionikkei.jp/keiba/post_545.html 【東京優駿(GI)】(東京)~キズナ 大外一気で戴冠]ラジオNIKKEI(2013.5.26)、2021年1月22日閲覧。</ref>。鞍上の武豊は東京優駿通算5勝目となった。なお、武はキズナの父・[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]に騎乗して2005年の東京優駿を勝利していたため、史上初の同一騎手による東京優駿父仔制覇となった。また、青鹿毛初のダービー馬となった。 |
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賞金加算の場に選んだ毎日杯といえば、3年前の2010年、武が落馬して負傷し、不調のきっかけとなった競走{{Efn|かつての名手で武も憧れた[[福永洋一]]の落馬、引退に追い込まれた負傷も毎日杯、1979年毎日杯だったことも、印象が悪かった<ref>『決断 誰も書かなかった武豊』 201頁</ref>。}}だった<ref name="Number-2019-5-30-54" />。このため武側のエージェントは、佐々木に対して毎日杯参戦に難色を示してそれ以外を望んでいたが<ref name="Number-2019-5-30-54" />、武は覚悟を決めて騎乗を了承し、参戦が決定した<ref>『優駿』2014年2月号 22頁</ref><ref>『決断 誰も書かなかった武豊』240頁</ref>。13頭が出走する中、単勝オッズ1.5倍の1番人気での出走となった<ref name="優駿-2013-5-112">『優駿』2013年5月号 112頁</ref>。 |
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東京優駿優勝後の28日、佐々木調教師が9月15日にフランス・ロンシャン競馬場にて行われる[[ニエル賞]]をステップレースとし、10月6日に同競馬場で行われる[[凱旋門賞]]への参戦を表明した<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/05/28/kiji/K20130528005896380.html キズナ、凱旋門賞へ!佐々木師「コース形態も合うと思う」]スポニチアネックス(2013.5.28)、2021年1月22日閲覧。</ref>。3歳馬の凱旋門賞挑戦は2010年の[[ヴィクトワールピサ]]以来2頭目となった。 |
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スタートから後方を追走した。タイセイウインディや[[ラブリーデイ]]、バッドボーイがハナ争いをしたために、前半の1000メートル地点を58.6秒で通過するハイペース、馬群が一団ではない縦長の状態だった<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/newsflash/horse/2013/03/23/0005837795.shtml |title=【毎日杯】1番人気キズナが力の違い |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130324033036/http://daily.co.jp/newsflash/horse/2013/03/23/0005837795.shtml |archivedate=2013-03-24}}</ref><ref name="優駿-2013-5-112" />。先行勢が垂れて後方待機勢が有利となるハイペースに乗じたキズナは、10番手で直線を迎え、大外から末脚を発揮して、先行勢を次々に吸収して先頭を奪取していた<ref name="優駿-2013-5-112" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=HPUlvxSjfMM&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2013年 毎日杯({{GIII}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}その末脚には誰も抗えないままに独走となり、終いは武が促さずとも伸び続けて決勝線に到達していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2013/03/24/0005839192.shtml |title=【毎日杯】キズナ3馬身差圧勝でG初V |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130324022923/http://daily.co.jp/horse/2013/03/24/0005839192.shtml |archivedate=2013-03-24}}</ref><ref name="優駿-2013-5-112" />。重賞初勝利、後方につけた3馬身は、芝1800メートルで開催されるようになった2007年以降で最も大きな優勝着差だった<ref>{{Cite web|和書|title=毎日杯アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/58008 |website=競馬ブック |access-date=2023-04-02}}</ref><ref>『優駿』2013年5月号 113頁</ref>。毎日杯優勝に伴い、キズナは皐月賞に出走しうる賞金額に到達したが、目標の東京優駿に拘って、予定通り出走を見送った<ref>{{Cite web|和書|title=【毎日杯】武キズナ強いぞ!最速末脚で突き抜けた |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=29158 |website=競馬予想のウマニティ |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=jsLTbtOcwFo&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2013年 京都新聞杯({{GII}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}中2週で弥生賞から毎日杯まで走ったキズナには、疲労が溜まっていた<ref name="優駿-2013-7-55">『優駿』2013年7月号 55頁</ref>。しかし佐々木は、東京優駿のために暇を与えなかった。毎日杯から東京優駿という「2か月ぶりの競馬で勝てるほど、ダービーは甘いレースではない<ref name="優駿-2013-7-55" />」という考えから、本番を前にもう一戦出走することとなった<ref name="優駿-2013-7-55" />。5月4日、東京優駿のトライアル競走ではないものの、主要な前哨戦として知られる京都新聞杯(GII)に出走する<ref>{{Cite web|和書|title=京都新聞杯アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/58227 |website=競馬ブック |access-date=2023-04-02}}</ref>。16頭立てとなる中、単勝オッズ1.4倍の1番人気だった<ref name="優駿-2013-7-108">『優駿』2013年7月号 108頁</ref>。 |
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[[9月15日]]のニエル賞では道中後方からの競馬になり、直線で外に持ち出し先頭に立つと、内から来たこの年の[[ダービーステークス|英国ダービー馬]]・[[ルーラーオブザワールド]]の追撃を凌いで勝利した<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_1424.html 【ニエル賞】(ロンシャン)~キズナが接戦を制し海外初勝利!]ラジオNIKKEI(2013.9.15)、2021年1月22日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_1426.html 【ニエル賞】(ロンシャン)~レース後のコメント]ラジオNIKKEI(2013.9.15)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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[[ファイル:Kizuna Kyoto Shimbun Hai 2013.jpg|サムネイル|293x293px|[[京都新聞杯]]]] |
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少し後れを取るスタートから最後方を追走し、ハイペースを追走した<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130504-OHT1T00072.htm |title=【京都新聞杯】キズナが一気の差し切りを決め重賞連勝 |accessdate=2023-04-02 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130505061851/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130504-OHT1T00072.htm |archivedate=2013-05-05}}</ref>。第3コーナーから加速して進出し、13番手で直線に向いてから追い上げていた<ref name="優駿-2013-7-108" />。末脚を発揮して先行勢を吸収していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130504-OHT1T00167.htm |title=【京都新聞杯】キズナ異次元の末脚!ダービーV予行 |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130505055231/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130504-OHT1T00167.htm |archivedate=2013-05-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/newsflash/horse/2013/05/04/0005961185.shtml |title=【京都新聞杯】断然人気のキズナ快勝 |accessdate=2023-04-02 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archivedate=2013-05-05 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130505062013/http://daily.co.jp/newsflash/horse/2013/05/04/0005961185.shtml}}</ref>。先行有利の馬場状態だったが、それを克服してすべて差し切り、終いは手綱を緩める動作を見せながら決勝線に到達していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2013/05/05/0005962391.shtml |title=【京都新聞杯】キズナV堂々ダービーへ |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130505064729/http://daily.co.jp/horse/2013/05/05/0005962391.shtml |archivedate=2013-05-05}}</ref>。後方に1馬身半差をつけて、重賞2連勝を成し遂げた<ref name="優駿-2013-7-108" />。 |
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==== 東京優駿(日本ダービー) ==== |
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[[10月6日]]に行われた[[第92回凱旋門賞]]では、道中後方2番手からレースを進め、フォルスストレート(偽りの直線)で[[オルフェーヴル]]の外側に密着しながら位置取りを上げていったが、[[トレヴ]]の4着に終わった<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_1612.html 【凱旋門賞】(ロンシャン)~トレヴ優勝、日本勢及ばず]ラジオNIKKEI(2013.10.6)、2021年1月22日閲覧。</ref><ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_1613.html 【凱旋門賞】(ロンシャン)~オルフェーヴル、キズナ関係者のコメント]ラジオNIKKEI(2013.10.6)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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===== 参戦過程 ===== |
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凱旋門賞の後は、ファン投票で2位に支持された[[有馬記念]]([[12月22日]])に出走する方針でいたが、フランスから帰国後の体調が思わしくなかったこともありオーナーサイドと佐々木調教師が相談した結果、レース出走を回避することを決めた<ref>[http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20131208-1228738.html キズナが有馬記念回避、完調に遠い状態] 日刊スポーツ 2013年12月8日閲覧</ref>。 |
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[[ファイル:Logotype Satsuki Sho 2013(IMG1).jpg|サムネイル|310x310px|(左)ロゴタイプと(右)エピファネイア([[皐月賞]])]] |
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5月26日、クラシック最高峰の東京優駿(日本ダービー)(GI)を重賞2連勝で迎える。出走が叶わなかった初戦の皐月賞は、[[朝日杯フューチュリティステークス]]優勝馬の1番人気[[ロゴタイプ]]が優勝し、次いで2番人気エピファネイア、3番人気コディーノが入り、人気通りの決着となっていた。この上位3頭は揃って東京優駿に出走し、信頼揺るぐことなく上位人気を形成する<ref name="優駿-2013-7-41">『優駿』2013年7月号 41頁</ref>。ただし別路線から来た新興勢力のキズナが、それらを上回る1番人気をかっさらっていた<ref name="優駿-2013-7-41" />。キズナは、単勝オッズ2.9倍という信頼だった<ref name="優駿-2013-7-106" />。 |
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2番人気以降は皐月賞の上位3頭、3.0倍のロゴタイプ、6.1倍のエピファネイア、7.6倍のコディーノであり<ref name="優駿-2013-7-106">『優駿』2013年7月号 106頁</ref>、そのほか、[[青葉賞]]優勝の[[ヒラボクディープ]]や2着のアポロソニック、[[共同通信杯]]優勝の[[メイケイペガスター]]、NHKマイルカップ優勝の[[マイネルホウオウ]]などが出走していた<ref name="優駿-2013-7-106" />。 |
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File:Kizuna Kyoto Shimbun Hai 2013.jpg|京都新聞杯 |
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ダービー4勝を誇る武は、4勝目となった2005年のディープインパクト以来となる東京優駿の1番人気だった。毎年のように参戦し、しかも有力馬に騎乗するなかで4勝を積み上げていた武だったが、2010年の落馬負傷により、1993年から17年続いたダービー連続参戦記録が止まっていた<ref name="報知-ダービー-武豊">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130520-OHT1T00144.htm |title=【ダービー】24度目参戦の「最多勝男」武豊、キズナで「5勝目狙う」 |accessdate=2023-04-02 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130521125939/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130520-OHT1T00144.htm |archivedate=2013-05-21}}</ref>。復帰したとしても低迷中の武に有力馬は得られず、参戦が叶っても二桁人気の伏兵で存在感がなかった<ref name="報知-ダービー-武豊" />。そんな武に訪れたキズナとの参戦だった<ref name="優駿-2013-7-41" />。 |
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File:Kizuna Tokyo-Yushun 2013(IMG2).jpg|東京優駿表彰式 |
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[[ファイル:80th_Tokyo_Yushun_Kizuna_paddock_flag.jpg|サムネイル|236x236ピクセル|パドックを周回するキズナ、キズナの横断幕]] |
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与えられたのは1枠1番だった。ダービーの最内枠は、1968年[[タニノハローモア]]からは40年未勝利の枠番だったが、2008年[[ディープスカイ]]が勝利すると、2009年[[ロジユニヴァース]]、2010年[[エイシンフラッシュ]]が立て続けに優勝し、打って変わって好枠となっていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080602-OHT1T00069.htm |title=ディープスカイ変則2冠!四位、史上2人目の連覇…日本ダービー |accessdate=2023-04-02 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20080603175802/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20080602-OHT1T00069.htm |archivedate=2008-06-03}}</ref><ref name="報知-ダービー-1枠1番">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130523-OHT1T00200.htm |title=【ダービー】キズナ幸運の1番枠 佐々木師ニンマリ |accessdate=2023-04-02 |publisher=[[スポーツ報知]] |archivedate=2013-05-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130528170903/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130523-OHT1T00200.htm}}</ref>。佐々木は、これまでのGI4勝のうち、2003年[[ジャパンカップ]]のタップダンスシチー、2003年[[朝日杯フューチュリティステークス]]の[[コスモサンビーム]]、2011年宝塚記念のアーネストリーの3勝で1枠1番だったこともあり、好相性だった<ref name="報知-ダービー-1枠1番" />。また武は、低迷する中で2年ぶりとなるJRAGI優勝を果たした2012年[[マイルチャンピオンシップ]]の[[サダムパテック]]も1枠1番であり、課された最内枠は、キズナにとって追い風となっていた<ref name="報知-ダービー-1枠1番" />。厩務員の田重田は、ゲート裏まで付き従わず、枠入れを係員に託している<ref name="日刊-田重田-ダービー">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20130526-1133400.html |title=キズナ田重田厩務員はV予感/ダービー |accessdate=2023-04-05 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130607204726/http://www.nikkansports.com/race/news/f-rc-tp0-20130526-1133400.html |archivedate=2013-06-07}}</ref>。武から「スタンドのいいところで見ていてください<ref name="日刊-田重田-ダービー" />」と言われたためだった。 |
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===== レース展開 ===== |
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[[ファイル:80th_Tokyo_Yushun_Starting_gate_Open.jpg|サムネイル|429x429ピクセル|スタート直後]] |
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横一線のスタートから控えて後方追走となった。アポロソニックがハナを奪って逃げ、サムソンズプライドがすんなり2番手を確保する形となり、前半の1000メートル地点通過60.3秒の平均ペースとなった<ref name="優駿-2013-7-42">『優駿』2013年7月号 42頁</ref>。キズナのライバルでは、逃げる2頭から離れた好位にロゴタイプが、その背後の中団馬群にエピファネイアと出遅れたコディーノがいた。そしてキズナは、それらを見渡せる後方15番手だった<ref name="優駿-2013-7-42" />。道中では、特にエピファネイアが折り合いを欠いて、途中大きく躓くなど、騎乗する[[福永祐一]]は制御できていなかった<ref name="報知-ダービー-エピファネイア">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130526-OHT1T00167.htm |title=【ダービー】福永「あと一歩」エピファネイア2着 |accessdate=2023-04-05 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130528170930/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130526-OHT1T00167.htm |archivedate=2013-05-28}}</ref>。一方、後方の武は、キズナの本能に委ねる「馬なり」で走らせ、終盤での追い上げに向けて力を蓄えていた<ref name="優駿-2013-7-42" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=UT9Gk4ocRKU&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2013年 東京優駿(日本ダービー)(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=oYTVrK6QCCQ&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2013年 東京優駿(日本ダービー)(GI)<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}向こう正面の中間を過ぎると、好位に留まっていたメイケイペガスターが耐えきれずに進出を開始していた。逃げてペースを温存したいアポロソニックに接近し、さらにかわして先頭を奪取していた<ref name="スポニチ-アポロソニック">{{Cite web|和書|title=【ダービー】勝浦「驚いた」アポロソニック先行策で3着に健闘|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/05/26/kiji/K20130526005884980.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref>。アポロソニックは、たやすく先頭を譲ったが、第3コーナーに差し掛かると、メイケイペガスターを追いかけるようになり、それを後ろで見ていた先行勢にも影響を及ぼしていた<ref name="スポニチ-アポロソニック" /><ref name="優駿-2013-7-42" />。向こう正面で緩んだペースが解消され、先行勢による争いが早い段階で始まっていた<ref name="優駿-2013-7-42" />。されど後方のキズナは、依然として後方、最終コーナーを14番手で通過していた<ref name="優駿-2013-7-50">『優駿』2013年7月号 50頁</ref>。 |
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直線では、先頭を取り返したアポロソニックが押し切りを図り、外からペプチドアマゾンとロゴタイプがそれに詰め寄り、さらに大外からエピファネイアやコディーノが迫る形となった<ref name="優駿-2013-7-42" />。やがて早めに動いたアポロソニックの脚が止まり、後から追い上げるペプチドアマゾンやロゴタイプ、エピファネイアらが優勢になる<ref name="優駿-2013-7-42" />。中でもエピファネイアの末脚が最も鋭かった。決勝線まで残り100ないし50メートルのところで他の3頭を退け、単独先頭を奪取していた<ref name="ウマニティ-ダービー-武豊">{{Cite web|和書|title=【日本ダービー】武キズナV「僕は帰ってきました!」 |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=31042 |website=競馬予想のウマニティ |access-date=2023-04-05 |language=ja}}</ref><ref name="報知-ダービー-エピファネイア" />。 |
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[[ファイル:Kizuna Tokyo-Yushun 2013(IMG1).jpg|サムネイル|309x309px|エピファネイア(左)を差し切るキズナ(右)]] |
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後方にいたキズナは、エピファネイアのさらに外、大外に持ち出してから追い上げていた<ref name="優駿-2013-7-42" />。残り400メートルのところで、前方の2頭{{Efn|[[マイネルホウオウ]]と[[タマモベストプレイ]]}}<ref name="日刊-ダービー-優勝" />がふらついて進路を塞がれそうになったが、2頭の間に突っ込んでこじ開けていた<ref name="日刊-ダービー-優勝" />。進路を得た残り200メートル地点から、武はスパートを促すと、キズナは「爆発的な末脚<ref name="優駿-2013-7-106" />」(『[[優駿]]』)「エンジンに火がついてからは桁違いの勢いで加速<ref name="優駿-2013-7-42" />」([[石田敏徳]])「弾むようなフットワークで一気に加速<ref name="報知-ダービー-武-最多勝" />」([[スポーツ報知]])で応えていた<ref name="優駿-2013-7-50" />。単独先頭のエピファネイアに迫り、ゴール寸前で並びかけ、さらには差し切っていた。エピファネイアに半馬身差をつけたところで決勝線に到達した<ref name="優駿-2013-7-106" />。 |
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===== 記録 ===== |
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[[ファイル:80th_Tokyo_Yushun_Winner_blanket_Kizuna.jpg|サムネイル|257x257ピクセル|優勝レイを纏うキズナ]] |
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東京優駿、ダービー戴冠を成し遂げた。最終コーナー14番手通過からの優勝は、1986年以降では、2008年[[ディープスカイ]]の15番手に次いで2番目に大きい逆転劇だった<ref name="報知-ダービー-アラカルト">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/contents/horserace/2013/201305260510/result.htm |title=5月26日 東京10R 第80回日本ダービー・GI |accessdate=2023-04-02 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130801021318/http://hochi.yomiuri.co.jp/contents/horserace/2013/201305260510/result.htm |archivedate=2013-08-01}}</ref><ref name="競馬ブック-ダービー-アラカルト">{{Cite web|和書|title=日本ダービーアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/58336 |website=競馬ブック |access-date=2023-04-02}}</ref>。さらに1960年[[コダマ]]以来53年ぶり2度目となる3文字の馬による優勝であり、2000年[[アグネスフライト]]以来史上2頭目となる京都新聞杯優勝からの連勝、2008年ディープスカイ以来5年ぶりとなる皐月賞不出走馬による優勝だった<ref name="競馬ブック-ダービー-アラカルト" />。それから史上初めてとなる'''青鹿毛による東京優駿優勝'''だった<ref name="netkeiba-島田-キズナ">{{Cite web|和書|title=キズナへ |url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=31443 |website=netkeiba.com |access-date=2023-04-06 |language=ja}}</ref>。 |
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また1998年桜花賞優勝の姉・ファレノプシスに続くクラシック優勝で、史上3例目となるクラシック姉弟優勝を果たしている<ref name="競馬ブック-ダービー-アラカルト" />。兄姉との15歳差は、1996年東京優駿優勝の[[フサイチコンコルド]]と2009年皐月賞優勝の[[アンライバルド]](母:[[バレークイーン]])の13歳差を上回り、グレード制導入以降最も年齢差のあるGI優勝兄弟姉妹となった<ref name="第5コーナー-67" />。 |
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{| class="wikitable" style="float:right; font-size:smaller; text-align:center; margin:10px" |
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|+<small>東京優駿優勝馬生誕時の母の年齢<br/>(2013年、第80回まで)<ref name="JBIS-有吉-母仔">{{Cite web|和書|title=第28回 母と子の絆 |url=https://enjoy.jbis.or.jp/column/ariyoshi/2013/006458.html |website=enjoy.jbis.or.jp |access-date=2023-04-02}}</ref></small> |
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!<small>齢</small> |
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!<small>数</small> |
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!<small>優勝馬</small> |
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!<small>4</small> |
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|<small>1</small> |
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|<small>1970年[[タニノムーティエ]]</small> |
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!<small>5</small> |
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|<small>5</small> |
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|<small>2009年[[ロジユニヴァース]]など{{Efn|1996年[[フサイチコンコルド]]、1976年[[クライムカイザー]]、1965年[[キーストン]]、1934年[[フレーモア]]}}</small> |
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!<small>6</small> |
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|<small>10</small> |
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|<small>2006年[[メイショウサムソン]]など{{Efn|1999年[[アドマイヤベガ]]、1997年[[サニーブライアン]]、1992年[[ミホノブルボン]]、1991年[[トウカイテイオー]]、1985年[[シリウスシンボリ]]、1972年[[ロングエース]]、1952年[[クリノハナ]]、1949年[[タチカゼ]]、1947年[[マツミドリ]]}}</small> |
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!<small>7</small> |
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|<small>7</small> |
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|<small>1987年[[メリーナイス]]など{{Efn|1983年[[ミスターシービー]]、1978年[[サクラショウリ]]、1975年[[カブラヤオー]]、1973年[[タケホープ]]、1954年[[ゴールデンウエーブ]]、1948年[[ミハルオー]]}}</small> |
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!<small>8</small> |
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|<small>5</small> |
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|<small>2012年[[ディープブリランテ]]など{{Efn|2001年[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]、1998年[[スペシャルウィーク]]、1979年[[カツラノハイセイコ]]、1955年[[オートキツ]]}}</small> |
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!<small>9</small> |
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|<small>7</small> |
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|<small>1993年[[ウイニングチケット]]など{{Efn|1989年[[ウィナーズサークル]]、1984年[[シンボリルドルフ]]、1958年[[ダイゴホマレ]]、1956年[[ハクチカラ]]、1940年[[イエリユウ]]、1933年[[カブトヤマ]]}}</small> |
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!<small>10</small> |
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|<small>8</small> |
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|<small>2010年[[エイシンフラッシュ]]など{{Efn|2008年[[ディープスカイ]]、2004年[[キングカメハメハ]]、2000年[[アグネスフライト]]、1994年[[ナリタブライアン]]、1982年[[バンブーアトラス]]、1957年[[ヒカルメイジ]]、1950年[[クモノハナ]]}}</small> |
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!<small>11</small> |
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|<small>12</small> |
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|<small>2011年[[オルフェーヴル]]など{{Efn|2007年[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]、2005年[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]、2002年[[タニノギムレット]]、1990年[[アイネスフウジン]]、1986年[[ダイナガリバー]]、1968年[[タニノハローモア]]、1961年[[ハクシヨウ]]、1960年[[コダマ]]、1937年[[ヒサトモ]]、1935年[[ガヴアナー]]、1932年[[ワカタカ]]}}</small> |
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!<small>12</small> |
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|<small>8</small> |
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|<small>1995年[[タヤスツヨシ]]など{{Efn|1980年[[オペックホース]]、1974年[[コーネルランサー]]、1966年[[テイトオー]]、1964年[[シンザン]]、1959年[[コマツヒカリ]]、1953年[[ボストニアン]] |
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、1939年[[クモハタ]]}}</small> |
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!<small>13</small> |
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|<small>3</small> |
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|<small>1936年[[トクマサ]]<br /></small><small>1938年[[スゲヌマ]]<br /></small><small>1988年[[サクラチヨノオー]]</small> |
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!<small>14</small> |
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|<small>6</small> |
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|<small>1971年[[ヒカルイマイ]]など{{Efn|1963年[[メイズイ]]、1951年[[トキノミノル]]、1944年[[カイソウ]]、1943年[[クリフジ]]、1941年[[セントライト]]}}</small> |
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!<small>15</small> |
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|<small>2</small> |
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|<small>1967年[[アサデンコウ]]<br /></small><small>1977年[[ラッキールーラ]]</small> |
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!<small>16</small> |
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|<small>3</small> |
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|<small>1962年[[フエアーウイン|フェアーウイン]]<br /></small><small>1981年[[カツトップエース]]<br /></small><small>2003年[[ネオユニヴァース]]</small> |
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!<small>17</small> |
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| rowspan="2" |<small>0</small> |
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| rowspan="2" |<small>なし</small> |
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!<small>18</small> |
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!<small>19</small> |
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|<small>1</small> |
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|<small>1969年[[ダイシンボルガード]]</small> |
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!'''<small>20</small>''' |
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|'''<small>2</small>''' |
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|'''<small>1942年[[ミナミホマレ]]<br /></small><small>2013年キズナ</small>''' |
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|}[[ファイル:Kizuna Tokyo-Yushun 2013(IMG2).jpg|サムネイル|185x185px|[[表彰式]]]]20歳でダービー馬を生み出したキャットクイルは、1942年優勝[[ミナミホマレ]]の母[[フロリスト]](競走名:[[フロラーカツプ|フロラーカップ]])に並ぶダービー優勝馬として最高齢の母となった<ref>『第5コーナー 競馬トリビア集』64頁</ref>。付け加えて[[グレード制]]導入以降、クラシック優勝馬としては最高齢の母であり<ref name="優駿-2013-7-107" />、1995年マイルチャンピオンシップ優勝・[[トロットサンダー]]の母ラセーヌワンダに並ぶ平地GI優勝馬の最高齢の母となった<ref name="競馬ブック-ダービー-アラカルト" />。 |
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また父ディープインパクトにとっては、前年のディープブリランテに続いての連覇となり、1998年から2000年まで連覇したディープインパクトの父、キズナの祖父であるサンデーサイレンス以来となる種牡馬の連覇を果たしていた<ref name="スポニチ-ダービー-アラカルト">{{Cite web|和書|title=【ダービー】武豊 05年ディープ以来5勝目、歴代1位|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/05/27/kiji/K20130527005887810.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref>。 |
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父ディープインパクト、姉ファレノプシスをGIに導いたのは、どちらも武豊だった<ref name="報知-ダービー-武-最多勝">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130526-OHT1T00155.htm |title=【ダービー】強かった!武のキズナ!史上最多5度目の制覇 |accessdate=2023-04-02 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130528170914/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130526-OHT1T00155.htm |archivedate=2013-05-28}}</ref>。武は、1998年[[スペシャルウィーク]]、1999年[[アドマイヤベガ]]、2002年[[タニノギムレット]]、2005年ディープインパクトに続くダービー5勝目を挙げ、自身のダービー最多勝記録をさらに更新していた<ref name="優駿-2013-7-107" />。ディープインパクト産駒を初めてGI制覇に導いたうえに、ディープインパクトとキズナという父仔をダービータイトルに導き、史上8例目となるダービー父仔優勝<ref name="日刊-ダービー-優勝">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130527-1133601.html |title=武豊復活V!キズナ凱旋門賞へ/ダービー |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130608192731/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130527-1133601.html |archivedate=2013-06-08}}</ref>、しかも史上初めてとなる同一騎手が導いたダービー父仔優勝を成し遂げている<ref name="優駿-2013-7-51">『優駿』2013年7月号 51頁</ref>。そればかりかファレノプシスとキズナという姉弟をクラシックタイトルに導いていた。スタンド前のウイニングランでは「ユタカコール」が発生し、武もガッツポーズを披露していた<ref name="日刊-ダービー-優勝" />。低迷中のダービー優勝とあって、直後の場内インタビューでは、スタンドにこのように呼びかけていた。{{Quotation|ぼくは、帰ってきました!|[[武豊]]<ref name="優駿-2013-7-50">『優駿』2013年7月号 50頁</ref>}}この発言について武は「あそこに立ったとき、ファンの人たちの『豊、お帰り!!』という声がすごく聞こえて、それが胸に響いて、自然と出た言葉<ref name="優駿-2013-7-50" />」と回顧している。 |
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またこの前週には、武の弟である[[武幸四郎]]が、[[メイショウマンボ]]を導いて優駿牝馬(オークス)を優勝していた。したがって2000年[[秋華賞]]を[[ティコティコタック]]で制した幸四郎、翌週の[[菊花賞]]を[[エアシャカール]]で制した豊以来となる武兄弟によるGI連勝を果たしている<ref name="報知-ダービー-アラカルト" /><ref name="スポニチ-ダービー-アラカルト" />。またその2000年の2週間に続いて2013年には、この東京優駿の1か月前に行われた桜花賞を[[アユサン]]で制した[[クリスチャン・デムーロ]]、翌週の皐月賞をロゴタイプで制した[[ミルコ・デムーロ]]が制していたため、史上3例目となる兄弟騎手によるGI連勝となっていた<ref name="報知-ダービー-アラカルト" /><ref name="スポニチ-ダービー-アラカルト" />。この年の春のクラシックは、すべて兄弟騎手の手に渡っている<ref name="スポニチ-ダービー-アラカルト" />。 |
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[[ファイル:80th_Tokyo_Yushun_Awards_ceremony_Kizuna.jpg|サムネイル|278x278ピクセル|表彰されるキズナ陣営]] |
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佐々木は、アーネストリー以来のGI優勝であり、2005年東京優駿、武豊とディープインパクトに阻まれて2着となった[[インティライミ]]などを乗り越え、4回目の挑戦で初めてダービートレーナーとなっていた<ref>{{Cite web|和書|title=【日本ダービー】佐々木師、涙!武との“絆”の勝利 |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=31043 |website=競馬予想のウマニティ |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref><ref name="報知-ダービー-アラカルト" />。さらにノースヒルズは、開業29年、1992年ゴールデンゼウスと[[岡潤一郎]]で臨んだ初挑戦から21年、12頭目の参戦でダービー優勝を果たしている<ref name="日刊-ダービー-前田">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130527-1133606.html |title=前田代表は悲願達成に男泣き/ダービー |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130608192736/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130527-1133606.html |archivedate=2013-07-08}}</ref><ref name="ウマニティ-ダービー-前田">{{Cite web|和書|title=【日本ダービー】前田兄弟“絆”の力で悲願達成 |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=31048 |website=競馬予想のウマニティ |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref><ref name="デイリー-ダービー-前田">{{Cite web|和書|title=【ダービー】前田幸治氏も世界獲り宣言(2)/競馬・レース/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2013/05/27/1p_0006023777.shtml |website=www.daily.co.jp |access-date=2023-04-02}}</ref>。 |
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岡は、武豊の次の年の[[JRA賞最多勝利新人騎手]]であったが、1993年2月に落馬事故により死去している<ref name="優駿-2013-7-51" />。前年のゴールデンゼウスが最後のダービー騎乗だった<ref name="優駿-2013-7-51" />。それから20年後、岡の母は、岡の写真を膝に抱え、正座してキズナと武に声援を送っていたという<ref name="優駿-2013-7-51" /><ref name="決断-243" />。またノースヒルズの前田は「この勝利を親友の山本将裕くんと佐藤哲三騎手に捧げる<ref name="デイリー-ダービー-前田" />」と述べている。山本将裕とは、不慮の事故のために32歳で亡くなったホースマン、北海道えりも町の生産牧場[[エクセルマネジメント]]の社長だった<ref name="日刊-ダービー-前田" /><ref name="ウマニティ-ダービー-前田" /><ref name="デイリー-ダービー-前田" />。治療中の佐藤は、病院のテレビでキズナの戴冠を見届けていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2013/05/27/0006023786.shtml |title=【ダービー】佐藤哲は病院でTV観戦 |accessdate=2023-04-02 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130529032936/http://daily.co.jp/horse/2013/05/27/0006023786.shtml |archivedate=2013-05-29}}</ref>。 |
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==== フランス遠征 ==== |
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===== ニエル賞 ===== |
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東京優駿を優勝した後のキズナは、大山ヒルズで休養となる<ref>『優駿』2013年9月号 73頁</ref>。次なる目標は、フランスの凱旋門賞に定められた。陣営は凱旋門賞遠征を、デビューする以前から検討しており<ref name="優駿-2013-10-21">『優駿』2013年10月号 21頁</ref>、京都新聞杯を優勝した時点で出走登録を済ませていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2013/05/05/1p_0005962391.shtml |title=【京都新聞杯】キズナV堂々ダービーへ(2頁) |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archivedate=2013-05-05 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130505085007/http://daily.co.jp/horse/2013/05/05/1p_0005962391.shtml}}</ref>。陣営は、東京優駿優勝を遠征の条件として自らに課していたが、キズナはそれを乗り越えていた。元騎手だった佐々木にとってヨーロッパ、とりわけ凱旋門賞は憧れの舞台だった<ref>『優駿』2004年8月号 48頁</ref>。かつて7歳のタップダンスシチーで遠征し出走を叶えていたが、その参戦過程で輸送トラブルに遭遇する不運があった。このトラブルが影響して凱旋門賞2日前のフランス入りとなるなど、事前に組み立てた計画から逸れた不本意な参戦となり、敗退していた<ref name="優駿-2013-9-72">『優駿』2013年9月号 72頁</ref><ref>『優駿』2013年10月号 19頁</ref>。 |
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それから佐々木は、再挑戦の機会を狙っていた。2011年には、キズナが1歳の頃の宝塚記念にて、佐々木とノースヒルズと佐藤のアーネストリーで優勝し、翌2012年の凱旋門賞挑戦の構想が持ち上がったが、結局叶わなかった<ref name="優駿-2013-9-72" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.daily.co.jp/horse/2011/06/27/0004213254.shtml |title=【宝塚記念】アーネストリー驚速初制覇 |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20110701162419/http://www.daily.co.jp/horse/2011/06/27/0004213254.shtml |archivedate=2011-07-01}}</ref>。アーネストリーのためにあらゆる手配をしていたノースヒルズのスタッフだったが、2012年10月7日、キズナのデビュー日でもある凱旋門賞当日には、フランスに赴いている<ref name="優駿-2013-7-46" />。アーネストリー不参戦により、ただ将来のために見学するだけだったが、その1年後にキズナがその凱旋門賞に参戦することとなっていた<ref name="優駿-2013-7-46" />。 |
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フランス遠征でも継続して武が起用された。武は2006年の凱旋門賞を、キズナの父ディープインパクトで参戦している。クラシック三冠達成馬での参戦は大きな期待を背負いながら、[[レイルリンク]]や[[プライド (競走馬)|プライド]]に後れる3位入線となり、しかも後に失格処分となるという、後味の悪い結果となっていた<ref name="優駿-2013-10-6">『優駿』2013年10月号 6頁</ref><ref name="報知-ダービー-武-最多勝" />。それから8年後、その無念を晴らす格好の機会となるディープインパクトの仔での参戦を叶えていた<ref name="優駿-2013-10-6" /><ref name="報知-凱旋門賞-展望">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131005-OHT1T00215.htm |title=【凱旋門賞】キズナ、日本の「絆」背負って走る! |accessdate=2023-04-06 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20131008194945/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131005-OHT1T00215.htm |archivedate=2013-10-08}}</ref>。 |
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当初は、夏の[[札幌記念]]を国内最終戦とし、それから遠征して10月の本番に臨む計画が浮上していたが、早めに遠征し現地で前哨戦を消化することとなった<ref>{{Cite web|和書|title=キズナ札幌記念から凱旋門賞挑戦へ/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2013/05/28/0006026033.shtml |website=デイリースポーツ online |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130528-OHT1T00130.htm |title=キズナ、ニエル賞から凱旋門賞へ |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130529173330/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130528-OHT1T00130.htm |archivedate=2013-05-29}}</ref>。前田は、美浦トレーニングセンターの[[尾関知人]]調教師に託している4歳馬ステラウインド(父:[[ゼンノロブロイ]])を帯同馬として用意していた<ref>{{Cite web|和書|title=キズナ帯同馬ステラウインド 31日渡仏、陣営「凱旋門賞出たい」|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/08/30/kiji/K20130830006510210.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-02 |language=ja}}</ref>。日本調教馬による3歳での凱旋門賞参戦は、2010年皐月賞を優勝した[[ヴィクトワールピサ]]に続いて2例目<ref name="優駿-2013-10-18">『優駿』2013年10月号 18頁</ref>、その年のダービー優勝馬による参戦は史上初めてだった<ref name="優駿-2013-10-21" />。3歳での参戦は、負担重量の恩恵があるために有利に働くと考えられていたためだった<ref name="優駿-2013-10-18" />。9月1日にフランスに渡り、現地では、ヴィクトワールピサと同じ[[シャンティイ調教場]]の{{仮リンク|パスカル・バリー|en|Pascal Bary}}厩舎の馬房を借りて滞在した<ref name="優駿-2013-10-18" /><ref>{{Cite web|和書|title=【凱旋門賞】日米の絆がキズナを援護 バリー師「ワクワクしている」|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/08/06/kiji/K20130806006362850.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref>。 |
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9月15日、凱旋門賞と同じ[[パリロンシャン競馬場|ロンシャン競馬場]]の芝2400メートル、されど3歳馬限定の[[ニエル賞]](G2)に参戦する。初顔合わせとなるヨーロッパ調教馬、[[イギリスダービー]]優勝の[[ルーラーオブザワールド]]、[[パリ大賞典|パリ大賞]]優勝の[[フリントシャー]]などが相手となり、中でもルーラーオブザワールドとの対決は、日英ダービー優勝馬対決として注目を集めた<ref>{{Cite web|和書|title=【ニエル賞】キズナ強敵は英ダービー馬ルーラーオブザワールド|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/09/13/kiji/K20130913006605680.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【ニエル賞】キズナの前哨戦は強豪揃い(2)/競馬・レース/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2013/09/15/1p_0006338539.shtml |website=www.daily.co.jp |access-date=2023-04-03}}</ref>。現地でのキズナの評価は、4番人気だった<ref>{{Cite web|和書|title=【ニエル賞】キズナ 英ダービー馬競り落とし海外デビュー飾る|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/09/16/kiji/K20130916006625000.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref>。前哨戦のために「70点もいってない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130917-1190593.html |title=キズナはケロッ カイバをペロリ |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130920024851/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130917-1190593.html |archivedate=2013-09-20}}</ref>」(佐々木)状態だった。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=OqAtTMOnj6o&ab_channel=Equidia 2013年 ニエル賞(G2)<br />レース映像 Equidia公式YouTubeチャンネルによる動画]}}'''3番枠'''からスタートして控えて後方で待機。ヨーロッパのスローペースに順応して、折り合いをつけて追走した<ref name="netkeiba-ニエル賞">{{Cite web|和書|title=武豊キズナ、日英ダービー馬の叩き合いを制して前哨戦V!/ニエル賞・仏|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=79230 |website=netkeiba.com |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref>。後方のままフォルスストレートを経て、直線では馬なりのまま進出して先行勢との距離を縮めた<ref name="netkeiba-ニエル賞" />。残り200メートル地点から武が促して末脚を発揮すると、先行していたフリントシャーを差し切り先頭を奪取していた<ref name="日刊-ニエル賞">{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130916-1190147.html |title=キズナが英ダービー馬撃破/ニエユ賞 |accessdate=2023-04-03 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130918182451/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130916-1190147.html |archivedate=2013-09-18}}</ref>。しかしゴール寸前、内で間隙を突いたルーラーオブザワールドが末脚を発揮しており、キズナに急接近<ref>『優駿』2013年10月号 22頁</ref>。日英ダービー優勝馬が全く並んで決勝線に飛び込んでいた<ref>{{Cite web|和書|title=【ニエル賞】武キズナ世界デビューV!|url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=34036 |website=競馬予想のウマニティ |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref>。優劣は写真判定に持ち込まれ、キズナの「短頭」差先着が判明した<ref name="スポニチ-アポロソニック" /><ref name="日刊-ニエル賞" />。 |
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===== 凱旋門賞 ===== |
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そして10月6日、本番の凱旋門賞(G1)に参戦する。前田が'''11番枠{{Efn|ニエル賞では枠番「'''3'''」、凱旋門賞では枠番「'''11'''」<ref name="報知-凱旋門賞-展望" />。3月11日をきっかけに生まれた「絆」という名前を持った馬、そして3番、11番で繋がる本番を、武は自覚しており、意気込んで臨んでいた<ref name="決断-247">『決断 誰も書かなかった武豊』247頁</ref>。}}'''を引き当てていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131005-OHT1T00008.htm |title=【凱旋門賞】キズナは11番枠 前田代表「僕は持っている」 |accessdate=2023-04-06 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20131008194900/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131005-OHT1T00008.htm |archivedate=2013-10-08}}</ref>。17頭立てとなり、ルーラーオブザワールドとフリントシャーとの再戦となるほか、別路線組も合流していた。[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]で大きな差をつけて勝利するなど4連勝中の[[ノヴェリスト]]、[[チャンピオンステークス]]優勝など連勝中の[[ザフューグ]]、さらにデビューから無敗、[[フランスオークス]]と[[ヴェルメイユ賞]]を連勝中の3歳牝馬[[トレヴ]]、[[フランスダービー]]優勝の[[アンテロ]]などヨーロッパの強豪が立ちはだかり、日英仏ダービー馬対決が実現していた<ref>『優駿』2013年11月号 8頁</ref><ref>{{Cite web|和書|title=仏ダービー馬アンテロ楽勝!中1週で凱旋門賞へ |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/09/23/kiji/K20130923006669220.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-05 |language=ja}}</ref>。それから他の日本調教馬は、2011年のクラシック三冠を成し遂げた[[オルフェーヴル]]が参戦していた。 |
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[[ファイル:Orfevre 2012 (cropped).JPG|サムネイル|232x232ピクセル|(左)[[オルフェーヴル]](右)ソレミア(2012年凱旋門賞)]] |
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キズナと同じ日本調教馬のオルフェーヴルは、前年の凱旋門賞で[[ソレミア]]に敵わず2着という実績があり、この年の再挑戦は大きな注目を集めていた<ref name="優駿-2014-2-28">『優駿』2014年2月号 28頁</ref>。キズナと同じように同条件の前哨戦、フォワ賞を優勝してからの参戦だった。凱旋門賞には主要なトライアル競走が3つ用意されていたが、そのうち2つを2頭の日本調教馬で占めていた<ref>『優駿』2014年2月号 23頁</ref>。しかも直前になって、対抗馬と目されていたノヴェリストとザフューグが揃って回避となり、俄然日本調教馬初優勝の期待が高まっていた<ref>『優駿』2013年11月号 6頁</ref>。現地では、オルフェーヴルが1番人気、トレヴが2番人気、そして3番人気がキズナだった<ref name="優駿-2014-2-28" />。日本勢にとって凱旋門賞は、敵地の不利を克服しながらヨーロッパの強豪を負かす大舞台として認識されていた<ref name="優駿-2014-2-28" />。しかしこの年は参戦した2頭が共に有力視されており、お互い凱旋門賞を争うライバルと認識しながら臨んでいた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130920-1192207.html |title=キズナ「最大の敵はオルフェ」 |accessdate=2023-04-06 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20130923222704/http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20130920-1192207.html |archivedate=2013-09-23}}</ref>。 |
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外国特有のペースメーカー不在の中、スローペースとなった<ref name="優駿-2013-11-9">『優駿』2013年11月号 9頁</ref>。オルフェーヴルが中団後方、トレヴがその直後でマークし、キズナはその2頭のさらに後ろ、後方を追走した<ref name="優駿-2013-11-9" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131006-OHT1T00190.htm |title=【凱旋門賞】オルフェーヴル、2着 キズナは4着 日本馬初Vならず |accessdate=2023-04-06 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20131008120212/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131006-OHT1T00190.htm |archivedate=2013-10-08}}</ref>。最終コーナーを経て、フォルスストレートに差し掛かると、トレヴが外から進出。内側のオルフェーヴルを合法的に閉じ込める形を作っていた<ref name="優駿-2013-11-9" />。キズナは、後れてトレヴと同じ進路を辿り、オルフェーヴルの進出を遅らせるとともに、先に動いたトレヴの後を追った<ref name="優駿-2013-11-9" />。本当の直線に差し掛かり、キズナは武に促されて加速し、トレヴに接近を試みた<ref name="優駿-2013-11-12">『優駿』2013年11月号 12頁</ref>。しかし鋭い末脚を発揮することができなかった<ref>『優駿』2013年11月号 29頁</ref>。トレヴには、反対に突き放された<ref name="報知-凱旋門賞-4着">{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131007-OHT1T00021.htm |title=【凱旋門賞】武豊、突き放され4着も「キズナで来年も挑戦」 |accessdate=2023-04-06 |publisher=[[スポーツ報知]] |archivedate=2013-10-08 |archive-url=https://web.archive.org/web/20131008120157/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131007-OHT1T00021.htm}}</ref>。おまけにオルフェーヴルにも、アンテロにもかわされていた<ref name="優駿-2013-11-12" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=KjERZEXqD0Y&ab_channel=Equidia 2013年 凱旋門賞(G1)<br />レース映像 Equidia公式YouTubeチャンネルによる動画]}}トレヴに7馬身以上突き放されて戴冠ならず、オルフェーヴルやアンテロにも2馬身後れを取る4着だった<ref>『優駿』2013年11月号 25頁</ref><ref>『優駿』2013年11月号 15頁</ref>。この年の凱旋門賞について、石田敏徳は、優勝したトレヴが傑出した能力を持つ大物だったとし、4着のキズナについて「標準的な年のレベルなら優に勝利に手が届く能力<ref name="優駿-2013-11-14">『優駿』2013年11月号 14頁</ref>」を発揮していたと振り返っている<ref name="優駿-2013-11-14" />。なお4着という結果は、日本の3歳馬の最高成績である<ref group="注釈">2023年現在。詳細は[[日本調教馬の日本国外への遠征#凱旋門賞|当該ページ]]を参照</ref>。この直後、前田は翌年の再挑戦を予告していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131007-OHT1T00175.htm |title=【凱旋門賞】キズナ、来年も挑戦へ 前田代表が明言 |accessdate=2023-04-06 |publisher=[[スポーツ報知]] |archivedate=2013-10-08 |archive-url=https://web.archive.org/web/20131008105226/http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20131007-OHT1T00175.htm}}</ref>。トレヴのオーナーであるカタール王族のジョアン・アル・サーニ殿下の代理人からは、キズナの売却オファーもあったという<ref name="優駿-2015-11-46">『優駿』2015年11月号 46頁</ref>。 |
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この後、帰国したキズナは、暮れの[[有馬記念]]参戦を予定する<ref>『優駿』2014年1月号 15頁</ref>。凱旋門賞2着のオルフェーヴルとの再対決、引退するため最終対決が期待されていた<ref>『優駿』2014年1月号 16頁</ref>。ファン投票でもワンツー、キズナは2位となっていた<ref>{{Cite web|和書|title=【有馬記念】ファン投票・最終発表~1位オルフェ、2位キズナ、3位ゴールド|url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_2165.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref>。しかし直前、体制が整わなかったことから、出走を断念<ref>{{Cite web|和書|title=ファン投票2位キズナ有馬回避!佐々木師「完調時にはるかに劣る」|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/12/09/kiji/K20131209007163520.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref>。大山ヒルズで放牧となった<ref>{{Cite web|和書|title=有馬記念回避のキズナ放牧へ 来春は天皇賞が目標|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/12/10/kiji/K20131210007176000.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-03 |language=ja}}</ref>。この年のJRA賞では、全280票中242票を集めて[[JRA賞最優秀3歳牡馬]]を受賞している<ref name="優駿-2014-2-63">『優駿』2014年2月号 63頁</ref>。参戦しなかった菊花賞を優勝した次点・エピファネイアを38票に抑えて選出された<ref name="優駿-2014-2-63" />。 |
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=== 4歳(2014年) === |
=== 4歳(2014年) === |
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古馬となっての初戦は[[大阪杯|産経大阪杯]]が選ばれた。前年の[[菊花賞]]馬エピファネイアや牝馬二冠馬[[メイショウマンボ]]と対戦する予定であることから有力馬が続々と出走を回避し、8頭立てで行われることとなった。当日はエピファネイアが単勝1.9倍で1番人気に支持され、キズナは2.9倍で2番人気に支持された<ref name="shimada-number20140407">[https://number.bunshun.jp/articles/-/810164?page=1 キズナ、凄みある末脚で大阪杯圧勝。豪華メンバーの中で見せた成長の証。(1/3)][https://number.bunshun.jp/articles/-/810164?page=2 (2/3)][https://number.bunshun.jp/articles/-/810164?page=3 (3/3)]</ref>。パドックでは父のディープインパクトも見せていた尻っ跳ねを行っていたものの<ref name="shimada-number20140407"/>、馬体重は昨年5月のダービー出走時より筋肉量が20kg増加した498kgで出走した<ref name="shimada-number20140407"/>。レースでは道中最後方から最後の直線で鋭く伸び、粘るトウカイパラダイスをかわして優勝した<ref>[http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=85845 前年クラシック馬対決はキズナに軍配!直線一気の快勝/大阪杯] netkeiba.com 2014年4月6日閲覧</ref>。 |
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==== 産経大阪杯 ==== |
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迎えた5月4日の[[天皇賞(春)]]は単勝オッズ1.7倍の一番人気に支持された。レースでは[[ゴールドシップ]]とともに最後方から競馬となり、最後の直線では伸びを欠き[[フェノーメノ]]の4着に敗れた<ref>[http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_3297.html 【天皇賞】(京都)~フェノーメノが連覇達成]ラジオNIKKEI(2014.5.4)、2021年1月22日閲覧。</ref>。国内のレースで敗れたのは前年3月の弥生賞以来約1年2ヶ月ぶりだった。2日後の[[5月6日]]、骨折していることが判明した<ref>[http://www.radionikkei.jp/keiba/post_3306.html ダービー馬キズナ、骨折判明 休養期間は未定]ラジオNIKKEI(2014.5.7)、2021年1月22日閲覧。</ref>。この影響により予定していた凱旋門賞への挑戦を断念。当初は有馬記念復帰を目標としていたが間に合わず、年明けの[[京都記念]]を目標にすることとなった<ref>{{Cite news|url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20140513-OHT1T50168.html|title=キズナ、有馬断念!骨折全治9か月で復帰は京都記念目標|newspaper=スポーツ報知|date=2014-05-14|accessdate=2014-12-30}}</ref>。 |
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また、休養中にはオーナーの前田幸治から15年の有馬記念で引退する予定があることが発表された<ref>[http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=93946 キズナ来年の有馬記念で引退/ノースヒルズ前田氏×武豊騎手トークショー] - netkeiba.com 2014年12月30日閲覧。</ref>。 |
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年をまたいで古馬になり、2月19日に帰厩する<ref name="優駿-2014-4-46" />。この年の最大目標は、秋の凱旋門賞再挑戦、優勝であったが、空いた上半期は、日本に留まることとなった<ref name="優駿-2014-4-46">『優駿』2014年4月号 46頁</ref>。まず4月6日の[[産経大阪杯]](GII)で始動となる。あくまで通過点のGII競走でわずか8頭立てだったが、少数精鋭で強力な相手が顔を揃えていた<ref>『優駿』2014年5月号 6頁</ref>。 |
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Kizuna IMG 7021-2 20140406.JPG|産経大阪杯 |
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前年のクラシックを争い同期で菊花賞を優勝したエピファネイア、既にGI3勝を挙げた同期の牝馬二冠馬メイショウマンボ、同じくノースヒルズ所有で[[天皇賞(春)]]優勝馬[[ビートブラック]]などが参戦する中で<ref>{{Cite web|和書|title=大阪杯アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/60012 |website=競馬ブック |access-date=2023-04-07}}</ref>、エピファネイアに1番人気を譲る2番人気、単勝オッズ2.4倍だった<ref name="優駿-2014-6-106">『優駿』2014年6月号 106頁</ref>。日本では1年弱ぶりの復帰戦となり、久しぶりに出走直前に計量が行われて公開されている<ref name="number-島田-2014-産経大阪杯-2">{{Cite web|和書|title=キズナ、凄みある末脚で大阪杯圧勝。豪華メンバーの中で見せた成長の証。2頁 |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/810164?page=2 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-04-07 |language=ja}}</ref>。馬体重は、前回の出走となった東京優駿よりも20キログラム増加した498キログラムであり、これはキズナ自身の成長分だった<ref name="デイリー-2014産経大阪杯">{{Cite web|和書|url=http://daily.co.jp/horse/2014/04/07/1p_0006843331.shtml |title=【大阪杯】ダービー馬キズナ始動戦完勝 |accessdate=2023-04-07 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20140407065030/http://daily.co.jp/horse/2014/04/07/1p_0006843331.shtml |archivedate=2014-04-07}}</ref><ref name="number-島田-2014-産経大阪杯-2" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=A-4ve5z-sMU&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2014年 産経大阪杯(GII)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スタートから[[カレンミロティック]]やトウカイパラダイス、ビートブラックという伏兵が積極的に先行し、他を引き離して逃げていた<ref name="優駿-2014-6-106" />。一方のキズナは、3頭から離れて形成された他5頭による馬群の後方、エピファネイアを前方に据える最後方を追走していた<ref name="報知-2014産経大阪杯">{{Cite web|和書|url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20140406-OHT1T50218.html |title=【大阪杯】武キズナ1強V!大外突き抜けた |accessdate=2023-04-07 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20140407055632/http://www.hochi.co.jp/horserace/20140406-OHT1T50218.html |archivedate=2014-04-07}}</ref>。3頭は大逃げに持ち込んでいたが、互いに牽制することはせず、ペースは極端にならなかった<ref name="報知-2014産経大阪杯" />。前半の1000メートル地点を平均ペースの60.5秒で通過し、自らが不利な展開に嵌らなかった<ref name="number-島田-2014-産経大阪杯-2" /><ref name="優駿-2014-5-7">『優駿』2014年5月号 7頁</ref>。 |
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[[ファイル:Kizuna IMG 7021-2 20140406.JPG|サムネイル|263x263ピクセル|[[産経大阪杯]]]] |
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そのため、後方勢は早めの進出を心掛けるようになっていた<ref name="number-島田-2014-産経大阪杯-2" />。しかし最後方のキズナは、直ちに進出しなかった<ref name="優駿-2014-6-106" />。マークしているエピファネイアの進出開始を確認してから、タイミングを遅らせて進出し、エピファネイアの背後で我慢。直線で大外に持ち出し、溜めていた末脚を発揮していた<ref name="報知-2014産経大阪杯" />。エピファネイアを一気にかわして置き去りにし、そのままの勢いで逃げ粘るトウカイパラダイスやカレンミロティックを差し切っていた<ref name="優駿-2014-5-7" /><ref name="デイリー-2014産経大阪杯" />。 |
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トウカイパラダイスやエピファネイアに1馬身半差をつけ、産経大阪杯を戴冠していた。この勝利は、馬主前田晋二のJRA通算200勝目であり、生産者ノースヒルズの重賞通算100勝目だった<ref>{{Cite web|和書|title=【産経大阪杯】キズナVでオーナー200勝&生産者100勝 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20140407/ope14040704210003-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2014-04-07 |access-date=2023-04-07 |language=ja-JP}}</ref>。 |
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==== 骨折、凱旋門賞断念 ==== |
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続いて5月4日、天皇賞(春)(GI)に参戦する。GI4勝の[[ゴールドシップ]]、GIでオルフェーヴルに次ぐ2着3回の[[ウインバリアシオン]]、前年優勝の[[フェノーメノ]]など、古馬の一線級が立ちはだかったが、キズナは、単勝オッズ1.7倍という信頼で1番人気だった<ref name="優駿-2014-7-100">『優駿』2014年7月号 100頁</ref>。スタートから主張せず、最後方をゴールドシップとともに追走し、2周目の第3コーナーから外に持ち出して進出<ref name="優駿-2014-7-100" /><ref name="優駿-2014-6-77">『優駿』2014年6月号 77頁</ref>。直線では大外からスパートし、先を行くフェノーメノやウインバリアシオンに接近を試みた<ref name="優駿-2014-6-77" />。しかし末脚が発揮できなかった。伸びを欠いて、その2頭に反対に突き放された<ref name="優駿-2014-6-77" />。終いには、一度かわしたホッコーブレーヴに接近を許して差し返されて、4着だった<ref name="優駿-2014-7-100" /><ref name="優駿-2014-6-77" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=iqQk2NYIpbs&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2014年 天皇賞(春)(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}道中で不利がないにもかかわらず伸びを欠き、陣営にとって不可解な敗戦だった<ref name="優駿-2014-6-77" /><ref>{{Cite web|和書|title=キズナが左第3手根骨々折 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/60178 |website=競馬ブック |access-date=2023-04-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【天皇賞・春】距離の壁か…キズナ4着 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20140505/ope14050505050007-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2014-05-05 |access-date=2023-04-09 |language=ja-JP}}</ref>。そこで後日、キズナを検査に出し、状態を点検したところ、天皇賞(春)出走中に発症したと思われる骨折、5ミリメートル四方の骨片が剥離する左前脚第3手根骨骨折で、全治9か月<ref name="優駿-2014-6-77" /><ref>{{Cite web|和書|title=キズナ骨折 今年の凱旋門賞は断念へ |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20140507/ope14050709490004-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2014-05-07 |access-date=2023-04-09 |language=ja-JP}}</ref>。佐々木によれば「普通なら競走能力喪失と判断される骨折<ref name="優駿-2015-10-11" />」だったが、引退することなく現役続行となった<ref name="スポナビ-京都記念">{{Cite web|和書|title=帰ってきたキズナ、復帰戦上がり33秒3 武豊「乗っていて『さすが』だなと」 |url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201502150002-spnavi?p=2 |website=スポーツナビ |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。 |
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続く宝塚記念も、かねてから目標としてきた凱旋門賞再挑戦も、当然断念となった<ref name="優駿-2014-6-77" /><ref>{{Cite web|和書|title=キズナ骨折!春天レース中発症か 宝塚絶望、凱旋門賞も白紙 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/05/07/kiji/K20140507008112520.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。まもなく、内視鏡による骨片除去手術が行われ、5月18日に大山ヒルズで放牧となった<ref name="優駿-2014-8-44">『優駿』2014年8月号 44頁</ref>。初めの1か月半は、馬房に留め置かれて休養したが、7月から曳き運動を再開<ref name="優駿-2014-8-44" />。12月12日に栗東に帰還した<ref name="優駿-2015-4-46">『優駿』2015年4月号 46頁</ref>。 |
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=== 5歳(2015年) === |
=== 5歳(2015年) === |
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前年12月12日に帰厩して調整されたキズナは、予定通り[[京都記念]]から始動。このレースには前年の桜花賞馬・[[ハープスター]]も出走、実績断然のこの2頭による2強対決と注目された。人気もこの2頭が僅差で最後まで競り合い最終的に2番人気で出走。9ヶ月ぶりの実戦、プラス22キロの馬体重と前残りのゆるい流れも災いし、直線でメンバー随一の末脚で猛追するも、逃げた[[ラブリーデイ]]と[[スズカデヴィアス]]にハナ+クビ差届かず3着に敗れた<ref>[http://www.radionikkei.jp/keiba/post_5340.html 【京都記念】(京都)~ラブリーデイが重賞連勝]ラジオNIKKEI(2015.2.15)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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==== 復帰 ==== |
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続く産経大阪杯ではキズナ自身含め[[ラキシス (競走馬)|ラキシス]]、[[スピルバーグ (競走馬)|スピルバーグ]]、[[ロゴタイプ (競走馬)|ロゴタイプ]]、[[カレンブラックヒル]]、[[ショウナンパンドラ]]のG1馬6頭が出走する中単勝オッズ1.4倍の圧倒的1番人気に支持されたものの、最後の直線での追い比べでラキシスに敗れ2着に敗れた<ref>[http://www.radionikkei.jp/keiba/post_5716.html 【産経大阪杯】(阪神)~ラキシスが強豪牡馬を撃破]ラジオNIKKEI(2015.4.5)、2021年1月22日閲覧。</ref><ref>[https://race.sanspo.com/keiba/news/20150406/ope15040605080008-n1.html 【産経大阪杯】キズナ2着…武豊「かわされるとは」]サンスポZBAT!競馬(2015.4.6)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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年をまたいでから調教の強度を高め、2月15日の[[京都記念]](GII)で復帰となる。前年の桜花賞優勝馬[[ハープスター]]、[[中山金杯]]で重賞初優勝を果たしたばかりのラブリーデイらが相手となる中、ハープスターに次ぐ2番人気に推されていた<ref name="優駿-2015-4-112">『優駿』2015年4月号 112頁</ref>。4番人気[[スズカデヴィアス]]がスローペースで逃げる一方で、最後方を追走した<ref name="優駿-2015-4-112" />。直線で大外に持ち出してから末脚を発揮し、スズカデヴィアスと先行して粘るラブリーデイに詰め寄って並びかけていた<ref name="優駿-2015-4-112" />。しかし差し切るまでには至らなかった。ラブリーデイにハナとクビ、スズカデヴィアスにクビ差及ばず3着だった<ref name="優駿-2015-4-112" />。敗れたものの、長期休養明けのために陣営は悲観しなかった<ref name="スポナビ-京都記念" /><ref name="優駿-2015-4-46" />。この年の最大目標もまた秋の凱旋門賞、同じように春は国内専念とし、秋以降に挑む計画を立てていた<ref name="優駿-2015-4-46" />。 |
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続いて前年と同様に、4月5日の産経大阪杯に参戦した。前年の[[天皇賞(秋)]]優勝馬[[スピルバーグ (競走馬)|スピルバーグ]]、同期の皐月賞優勝馬ロゴタイプ、前年のエリザベス女王杯優勝馬[[ラキシス (競走馬)|ラキシス]]のほか、NHKマイルカップ優勝馬[[カレンブラックヒル]]やジャパンカップ優勝馬[[ショウナンパンドラ]]が出走し、GI優勝馬6頭による対決となっていた<ref name="優駿-2015-6-106">『優駿』2015年6月号 106頁</ref>。その中でもキズナは、叩き2戦目とあって信頼され、単勝オッズ1.4倍の1番人気だった<ref name="優駿-2015-6-106" />。 |
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不良馬場を舞台にスタートし、後方を追走。前方で固まった馬群の外側に持ち出し、最終コーナー手前から進出を開始した<ref>{{Cite web|和書|title=【産経大阪杯】キズナ2着…武豊「かわされるとは」 |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=49402 |website=競馬予想のウマニティ |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。直線を12番手で向き、末脚を発揮すると、先行勢をすべて差し切り、直線の中間地点で先頭を奪取していた<ref name="優駿-2015-6-106" />。しかしこの直後に、内から追い上げたラキシスに接近を許した<ref name="優駿-2015-6-106" />。ラキシスの末脚は、キズナのそれを上回るもので、キズナはそれに張り合うことができなかった<ref>{{Cite web|和書|title=【産経大阪杯】キズナは2着 ラキシス&ルメールが大金星! |url=https://www.keibalab.jp/topics/26715/ |website=www.keibalab.jp |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。先頭を明け渡して独走を許し、2馬身後れる2着だった<ref name="優駿-2015-6-106" />。 |
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続いて5月3日、前年に故障した天皇賞(春)に参戦し、単勝オッズ3.3倍の1番人気という信頼だった<ref name="優駿-2015-7-96">『優駿』2015年7月号 96頁</ref>。スタートから後方を追走して追い込んだが、末脚を発揮できなかった<ref name="スポニチ-2015天皇賞(春)">{{Cite web|和書|title=【天皇賞・春】キズナ 復活ならず7着、武豊「よく分からない」 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/05/04/kiji/K20150504010286740.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。ゴールドシップや[[フェイムゲーム]]に大きく後れを取る7着敗退<ref name="優駿-2015-7-96" />。再び、明確な敗因が得られないままの敗戦となる<ref name="スポニチ-2015天皇賞(春)" /><ref name="日刊-2015天皇賞(春)">{{Cite web|和書|title=キズナ伸びず7着、武豊「わからない」/天皇賞|極ウマ・プレミアム |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1471305&year=2015&month=05&day=04 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=221TEhXPutA&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2015年 天皇賞(春)(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}前年と同様に、騎乗に問題はなく、不利も被らないままの敗戦だった。佐々木は、前年のような骨折を疑ったが、問題はなかった<ref name="優駿-2015-10-11">『優駿』2015年10月号 11頁</ref>。ひとえにキズナ自身の走る気持ちに問題があった<ref name="優駿-2015-10-11" />。佐々木は「トップスピードになるのが嫌なのかな。4速、5速に上げて、(6速があるのに)またすぐ4速に下げている感じ<ref name="日刊-2015天皇賞(春)" />」になっていたという。2年連続で天皇賞(春)1番人気を裏切っていた<ref name="日刊-2015天皇賞(春)" />。 |
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==== 屈腱炎、引退 ==== |
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この後は、大山ヒルズでの放牧を挟んで、続いて宝塚記念を目指したが、放牧中に疲労が目立つために回避<ref name="スポニチ-2015年天皇賞(春)-佐々木">{{Cite web|和書|title=キズナ、凱旋門賞断念…佐々木師「心身ともに疲れが見えた」 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/05/13/kiji/K20150513010343410.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。体制が整わないために、この直後に締め切られた凱旋門賞への出走登録を行わず、前年に続いて再挑戦を断念した<ref>{{Cite web|和書|title=凱旋門賞に日本馬5頭が登録、キズナは登録せず |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=98303 |website=netkeiba.com |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref><ref name="スポニチ-2015年天皇賞(春)-佐々木" />。切り替えて前田は、翌2016年の凱旋門賞再挑戦の構想があることを示していた<ref>{{Cite web|和書|title=キズナ、来年凱旋門賞に再挑戦も!前田幸治氏が明言 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20150713/ope15071305070001-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-07-13 |access-date=2023-04-09 |language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=キズナ「来年凱旋門へ」前田幸治代表が再挑戦意欲|極ウマ・プレミアム |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1506273&year=2015&month=07&day=13 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。 |
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休養中は、枷になっているキズナの精神的な不安を取り払うために、夏季一杯を使って休養{{Efn|過去に佐々木は、同じように故障の過去に囚われて不調を患った馬[[コスモサンビーム]]を改心させ、復調させている<ref name="優駿-2015-10-11" />。コスモサンビームは2歳時に[[朝日杯フューチュリティステークス]]を優勝したが、その後骨折し1年間の休養を余儀なくされた。完治を経て復帰しても連敗、そんな状況で佐々木は、コスモサンビームに連闘策を課して、2005年スワンステークス優勝、復調に導いていた<ref name="優駿-2015-10-11" />。このような成功体験がある佐々木だったが、キズナには、そのような処置を行わなかった<ref name="優駿-2015-10-11" />。}}となった<ref name="優駿-2015-10-11" />。国内専念となった秋は、天皇賞(秋)直行からジャパンカップ、そして暮れの有馬記念を予定する<ref name="優駿-2015-10-11" />。中でも天皇賞(秋)とジャパンカップは、優勝した東京優駿以来で得意の左回り、東京競馬場参戦であり、落ち目のキズナが復権する絶好の機会として期待されていた<ref name="優駿-2015-10-11" />。回復に時間をかけ、天皇賞(秋)直行に向けて9月18日、栗東に帰厩していた<ref name="スポニチ-キズナ-引退">{{Cite web|和書|title=キズナ電撃引退…屈腱炎発症、種牡馬入り 武豊「残念です」 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/09/21/kiji/K20150921011175340.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref>。 |
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しかし帰厩から数日後の9月20日、右前繋部浅[[屈腱炎]]が判明し、競走馬引退に追い込まれる<ref>{{Cite web|和書|title=キズナが引退 右前繋部浅屈腱炎を発症/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2015/09/20/0008413806.shtml |website=デイリースポーツ online |access-date=2023-04-09 |language=ja}}</ref><ref name="スポニチ-キズナ-引退" />。キズナには、凱旋門賞再挑戦や東京競馬場参戦も許されなかった<ref name="優駿-2015-11-46" /><ref name="スポニチ-キズナ-引退" />。骨折の後、復活の勝利を挙げることは叶わなかった。佐々木は「復帰してからも、骨がひとつ足りていないような状態でした。何とか無事にという仕上げが精一杯で、納得できる調教はできず、絞り切れなくなってしまいました<ref>『Sports Graphic Number』2019年5月30日号 55頁</ref>」と回顧している。9月24日、日本中央競馬会の競走馬登録を抹消される<ref name="キズナ-抹消" />。 |
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== 種牡馬時代 == |
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競走馬引退後は、父ディープインパクトと同じ北海道[[安平町]]の[[社台スタリオンステーション]]で、種牡馬として繋養された<ref name="サンスポ-種牡馬入り">{{Cite web|和書|title=キズナ、初年度種付け料は250万円の予定 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20151006/ope15100605010001-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-10-06 |access-date=2023-04-05 |language=ja-JP}}</ref>。供用に際しては、総額9億円の[[種牡馬#シンジケート|シンジケート]]が結成されていた<ref name="サンスポ-種牡馬入り" />。初年度となる2016年は、269頭の繁殖牝馬を集めた<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。それ以降、毎年のように三桁、200頭近い繁殖牝馬を集め続けている<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。 |
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2025年度は、2024年の1200万円から800万円増えて、2000万円になった。これは、イクイノックスとキタサンブラックの種付け料に並んだことになる<ref>{{Cite news |和書 |title= キズナが2000万円!イクイノックス、キタサンブラックと並ぶ!社台SSが25年度種付け料発表|newspaper= 日刊スポーツ|date= 2024-11-20|author= |url= https://www.nikkansports.com/keiba/news/202411200000975.html|access-date=2024-11-21}}</ref>。 |
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産駒は、2019年から競走馬として走っており、初年度から重賞優勝産駒を多数輩出している<ref name="JBIS-種牡馬成績" />。例えば、初年度産駒のアカイイト(牝、母父:[[シンボリクリスエス]])は、2021年[[エリザベス女王杯]]を優勝<ref name="JBIS-アカイイト" />。また2年目産駒の[[ソングライン (競走馬)|ソングライン]](牝、母父:シンボリクリスエス)も、2022年安田記念を優勝したように、複数のGI級競走優勝産駒も生み出している<ref name="JBIS-ソングライン" />。 |
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続く天皇賞(春)では単勝オッズ3.3倍と2年連続で1番人気に支持されての出走となった。後方から競馬を進めると、コーナーで徐々に進出して直線で追い出された。しかし、末脚は鳴りを潜めて[[ゴールドシップ]]の7着に終わった<ref>[http://www.radionikkei.jp/keiba/post_5908.html 【天皇賞・春】(京都)~ゴールドシップが3度目の挑戦で悲願の春の盾制覇]ラジオNIKKEI(2015.5.3)、2021年1月22日閲覧。</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/05/04/kiji/K20150504010286740.html 【天皇賞・春】キズナ 復活ならず7着、武豊「よく分からない」]スポニチアネックス(2015.5.4)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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2021年には、初年度産駒の[[ディープボンド]]が[[凱旋門賞]]に挑んでいる。本戦は敗れてしまったが、前哨戦のフォワ賞を優勝しており、父仔揃って凱旋門賞のトライアル競走優勝を成し遂げている<ref>{{Cite web|和書|title=ディープボンドがキズナとの「凱旋門賞トライアル」父子制覇/フォワ賞|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/biglobe3/member/news/article.zpl?topic_id=1&id=202109130000214&mode=jacques&year=2021&month=9&day=13 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-04-05}}</ref>。ディープボンドは、続く2022年も挑戦し、現地で前哨戦を用いない直行で挑んだが、下位に敗れている<ref>{{Cite web|和書|title=ディープボンド 今年は凱旋門賞へ直行予定 |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2022/07/12/kiji/20220712s00004000150000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-04-05 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【凱旋門賞】ディープボンド18着 直前の降雨に大久保師「あと20分待ってくれたら」天を仰ぐ:中日スポーツ・東京中日スポーツ |url=https://www.chunichi.co.jp/article/556388 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |access-date=2023-04-05 |language=ja}}</ref>。 |
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その後、5月13日に2015年の凱旋門賞の登録馬が発表されたが、キズナの名前はリストになかった<ref>[https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=98303 凱旋門賞に日本馬5頭が登録、キズナは登録せず]netkeiba.com(2015.5.13)、2021年1月22日閲覧。</ref>。佐々木調教師は「心身ともに疲れが出た」と遠征の断念を表明<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/05/13/kiji/K20150513010343410.html キズナ、凱旋門賞断念…佐々木師「心身ともに疲れが見えた」]スポニチアネックス(2015.5.13)、2021年1月22日閲覧。</ref>。ただ、この段階では2016年度も[[ワンアンドオンリー]]を伴っての凱旋門賞への出走を念頭において現役続行させることを前田幸治は宣言していた<ref>[http://race.sanspo.com/keiba/news/20150713/ope15071305070001-n1.html キズナ、来年凱旋門賞に再挑戦も!前田幸治氏が明言]サンスポZBAT!競馬(2015.7.13)、2021年1月22日閲覧。</ref><ref>[https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1506273&year=2015&month=07&day=13 キズナ「来年凱旋門へ」前田幸治代表が再挑戦意欲]日刊スポーツ(2015.7.13)、2021年1月22日閲覧。</ref>。 |
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== エピソード == |
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このため、この秋は国内に専念することになるも、9月20日、右前繋部浅屈腱炎を発症していたことが判明し、佐々木調教師がオーナーの前田晋二と相談した結果、ローテーションを全て白紙に戻しこのまま現役を引退することになった<ref name="daily-20150920">[https://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2015/09/20/0008413806.shtml キズナが引退 右前繋部浅屈腱炎を発症]デイリースポーツ(2015.9.20)、2021年1月22日閲覧。</ref>。武豊は「復帰戦を楽しみにしていただけに、非常に残念」とするコメントを残した<ref name="daily-20150920"/>。9月24日付けで競走馬登録を抹消された<ref>[http://www.jra.go.jp/news/201509/092004.html キズナ号が故障] - 日本中央競馬会 2015年9月22日閲覧</ref><ref name="jra150923"/>。9月24日、[[種牡馬]]入りの準備のため、[[鳥取県]]の[[ノースヒルズ|大山ヒルズ]]に移動した<ref>[https://www.daily.co.jp/horse/2015/09/24/0008423625.shtml キズナ、大山ヒルズへ 繁養先など未定]デイリースポーツ(2015.9.24)、2021年1月22日閲覧。</ref>。10月5日、JRAから北海道[[安平町]]の[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬として繋養されることが発表された<ref>[http://race.sanspo.com/keiba/news/20151005/ope15100511230011-n1.html キズナは社台スタリオンステーションで種牡馬入り] - サンケイスポーツ 2015年10月7日閲覧。</ref>。 |
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小説家の[[島田明宏]]は、東日本大震災後の経験を題材に、ノースヒルズの前田をモデルにしたオーナーが、「キズナ」(父:[[シルバーチャーム]]、母父:[[ホワイトストーン]])という馬を所有し東京優駿を目指す、という設定の物語を練り上げ、2012年から競馬サイト[[netkeiba.com]]にて連載していた<ref name="netkeiba-島田-キズナ" /><ref name="netkeiba-島田-小説『キズナ』">{{Cite web|和書|title=『絆』にこめた思い|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=36473 |website=netkeiba.com |access-date=2023-04-06 |language=ja}}</ref>。しかしその後、本物の「キズナ」が出現し、実際に東京優駿を優勝していた<ref name="netkeiba-島田-小説『キズナ』" />。そのため2017年に改題加筆を経て、上梓された『[[絆〜走れ奇跡の子馬〜]]』では、馬の名前がフランス語で「北の絆」を意味する「リヤンドノール」に変更されている<ref>{{Cite web|和書|title=netkeiba.com発の小説『絆 走れ奇跡の子馬』文庫化!|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=167307 |website=netkeiba.com |access-date=2023-04-06 |language=ja}}</ref><ref name="netkeiba-島田-小説『キズナ』" />。それから2015年には、本物のキズナを題材とした2曲、[[関根奈緒]]が歌唱し、島田が作詞、田村武也が作曲編曲した『キズナ きらめく風になれ』『よみがえる想い』が発売されている<ref>{{Cite web|和書|title=【プレゼント】島田明宏氏が作詞「キズナ」のCDが2月14日に発売|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=95592 |website=netkeiba.com |access-date=2023-04-06 |language=ja}}</ref>。 |
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== 競走成績 == |
== 競走成績 == |
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以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|和書|title=キズナ (Kizuna) 2010の競走成績|url=https://db.netkeiba.com/horse/result/2010105827/ |website=netkeiba.com |access-date=2023-03-28 |language=ja}}</ref>並びにJBISサーチ<ref>{{Cite web|和書|title=競走成績:全競走成績|キズナ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001120570/record/?sort=ymd&page=1&order=A |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-03-28}}</ref>、『[[優駿]]』<ref>『優駿』2015年11月号 47頁</ref>の情報に基づく。 |
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{| style="border-collapse:collapse; font-size:90%; text-align:center; white-space:nowrap" |
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{| style="border-collapse:collapse; font-size:90%; text-align:center; white-space:nowrap" |
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!競走日!!競馬場!!競走名!!格!!距離(馬場)!!頭<br />数!!枠<br />番!!馬<br />番!!オッズ<br />(人気)!!着順!!タイム<br />(上り3F)!!着差!!騎手!!斤量!!1着馬(2着馬) |
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!競走日 |
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!競馬場 |
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!競走名 |
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!格 |
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!距離<br/>(馬場) |
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!頭<br/>数 |
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!枠<br/>番 |
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!馬<br/>番 |
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!オッズ<br/>(人気) |
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!着順 |
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!タイム<br/>(上がり3F) |
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!着差 |
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!騎手 |
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!斤量<br/>[kg] |
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!1着馬<br/>(2着馬) |
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!馬体重<br/>[kg] |
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|- |
|- |
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|[[2012年|2012.]][[10月7日|10.{{0}}7]] |
|[[2012年|2012.]][[10月7日|10.{{0}}7]] |
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120行目: | 361行目: | ||
|{{Nowiki|-}}0.3 |
|{{Nowiki|-}}0.3 |
||
|[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]] |
|[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]] |
||
|55 |
|||
|55kg |
|||
|(リジェネレーション) |
|(リジェネレーション) |
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|482 |
|||
|- |
|- |
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|{{0|0000.}}[[11月11日|11.11]] |
|{{0|0000.}}[[11月11日|11.11]] |
||
|京都 |
|京都 |
||
|黄菊賞 |
|黄菊賞 |
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|500万下 |
|||
|芝1800m(稍) |
|芝1800m(稍) |
||
|10 |
|10 |
||
136行目: | 378行目: | ||
|{{Nowiki|-}}0.4 |
|{{Nowiki|-}}0.4 |
||
|佐藤哲三 |
|佐藤哲三 |
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|55 |
|||
|55kg |
|||
|(トーセンパワフル) |
|(トーセンパワフル) |
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|488 |
|||
|- |
|- |
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|{{0|0000.}}[[12月22日|12.22]] |
|{{0|0000.}}[[12月22日|12.22]] |
||
|[[阪神競馬場|阪神]] |
|[[阪神競馬場|阪神]] |
||
|[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオNIKKEI杯2歳S]] |
|[[ホープフルステークス (中央競馬)|<small>ラジオNIKKEI杯2歳S</small>]] |
||
|{{GIII}} |
|{{GIII}} |
||
|芝2000m(稍) |
|芝2000m(稍) |
||
152行目: | 395行目: | ||
|{{0}}0.1 |
|{{0}}0.1 |
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|[[武豊]] |
|[[武豊]] |
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|55 |
|||
|55kg |
|||
|[[エピファネイア]] |
|[[エピファネイア]] |
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|492 |
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|- |
|- |
||
|[[2013年|2013.]][[3月3日|{{0}}3.{{0}}3]] |
|[[2013年|2013.]][[3月3日|{{0}}3.{{0}}3]] |
||
168行目: | 412行目: | ||
|{{0}}0.1 |
|{{0}}0.1 |
||
|武豊 |
|武豊 |
||
|56 |
|||
|56kg |
|||
|[[カミノタサハラ]] |
|[[カミノタサハラ]] |
||
|480 |
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|- |
|- |
||
|{{0|0000.}}[[3月23日|{{0}}3.23]] |
|{{0|0000.}}[[3月23日|{{0}}3.23]] |
||
184行目: | 429行目: | ||
|{{Nowiki|-}}0.5 |
|{{Nowiki|-}}0.5 |
||
|武豊 |
|武豊 |
||
|56 |
|||
|56kg |
|||
|(ガイヤースヴェルト) |
|(ガイヤースヴェルト) |
||
|482 |
|||
|- |
|- |
||
|{{0|0000.}}[[5月4日|{{0}}5.{{0}}4]] |
|{{0|0000.}}[[5月4日|{{0}}5.{{0}}4]] |
||
200行目: | 446行目: | ||
|{{Nowiki|-}}0.2 |
|{{Nowiki|-}}0.2 |
||
|武豊 |
|武豊 |
||
|56 |
|||
|56kg |
|||
|(ペプチドアマゾン) |
|(ペプチドアマゾン) |
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|480 |
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|- |
|- |
||
|{{0|0000.}}[[5月26日|{{0}}5.26]] |
|{{0|0000.}}[[5月26日|{{0}}5.26]] |
||
216行目: | 463行目: | ||
|{{Nowiki|-}}0.1 |
|{{Nowiki|-}}0.1 |
||
|武豊 |
|武豊 |
||
|57 |
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|57kg |
|||
|(エピファネイア) |
|(エピファネイア) |
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|478 |
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|- |
|- |
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|{{0|0000.}}[[9月15日|{{0}}9.15]] |
|{{0|0000.}}[[9月15日|{{0}}9.15]] |
||
227行目: | 475行目: | ||
|3 |
|3 |
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|8 |
|8 |
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|{{ |
|<small>{{Efn|現地}}(4人)</small> |
||
|{{Color|darkred|1着}} |
|{{Color|darkred|1着}} |
||
|2:37. |
|2:37.6 |
||
| |
|||
|短アタマ |
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|武豊 |
|武豊 |
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|58 |
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|58kg |
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|([[ルーラーオブザワールド|Ruler of the World]]) |
|([[ルーラーオブザワールド|Ruler of the World]]) |
||
|計不 |
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|- |
|- |
||
| |
|{{0|0000.}}[[10月6日|10.{{0}}6]] |
||
|{{small|ロンシャン}} |
|{{small|ロンシャン}} |
||
| |
|[[凱旋門賞]] |
||
| |
|{{G1}} |
||
| |
|芝2400m(稍) |
||
| |
|17 |
||
| |
|11 |
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| |
|14 |
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|<small>{{Efn|現地}}(3人)</small> |
|||
| {{0}} |
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| |
|4着 |
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| |
| |
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| |
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| 7馬身+クビ |
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| |
|武豊 |
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|56 |
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| 56kg |
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| |
|[[トレヴ|Treve]] |
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|計不 |
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|- |
|- |
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|[[2014年|2014.]][[4月6日|{{0}}4.{{0}}6]] |
|[[2014年|2014.]][[4月6日|{{0}}4.{{0}}6]] |
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264行目: | 514行目: | ||
|{{Nowiki|-}}0.2 |
|{{Nowiki|-}}0.2 |
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|武豊 |
|武豊 |
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|58 |
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|58kg |
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|(トウカイパラダイス) |
|(トウカイパラダイス) |
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|498 |
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|- |
|- |
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|{{0|0000.}}[[5月4日|{{0}}5.{{0}}4]] |
|{{0|0000.}}[[5月4日|{{0}}5.{{0}}4]] |
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280行目: | 531行目: | ||
|{{0}}0.1 |
|{{0}}0.1 |
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|武豊 |
|武豊 |
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|58 |
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|58kg |
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|[[フェノーメノ]] |
|[[フェノーメノ]] |
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|492 |
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|- |
|- |
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|[[2015年|2015.]][[2月15日|{{0}}2.15]] |
|[[2015年|2015.]][[2月15日|{{0}}2.15]] |
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296行目: | 548行目: | ||
|{{0}}0.0 |
|{{0}}0.0 |
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|武豊 |
|武豊 |
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|57 |
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|57kg |
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|[[ラブリーデイ]] |
|[[ラブリーデイ]] |
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|514 |
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|- |
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|{{0|0000.}}[[4月6日|{{0}}4.{{0}}5]] |
|{{0|0000.}}[[4月6日|{{0}}4.{{0}}5]] |
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312行目: | 565行目: | ||
|{{0|-}}0.3 |
|{{0|-}}0.3 |
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|武豊 |
|武豊 |
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|57 |
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|57kg |
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|[[ラキシス (競走馬)|ラキシス]] |
|[[ラキシス (競走馬)|ラキシス]] |
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|506 |
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|- |
|- |
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|{{0|0000.}}[[5月3日|{{0}}5.{{0}}3]] |
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328行目: | 582行目: | ||
|{{0|-}}0.5 |
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|武豊 |
|武豊 |
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|58 |
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|58kg |
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|[[ゴールドシップ]] |
|[[ゴールドシップ]] |
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|504 |
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|} |
|} |
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{{Reflist|group="†"}} |
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== 種牡馬時代 == |
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=== 産駒デビューまで === |
|||
引退後は[[社台スタリオンステーション]]で[[種牡馬]]となり、2016年から種付けを開始。初年度の種付け料は250万円に設定されて269頭の[[繁殖牝馬]]と交配、翌2017年にも212頭に種付けを行った。産駒のデビューを待たず2018年には種付け料が350万円に増額されている<ref name = "umaichi">[https://blog.goo.ne.jp/umaichi_news/e/ce86adc00910045daece860ca9cc7f77 社台ステリオンステーション 2020年度のラインアップと種付け料]馬市.com 2020年4月16日閲覧。</ref>。なお、2015年に同名の繁殖牝馬がフランスから日本にやってきているが、区別のため繁殖牝馬の方を「キズナII」とすることで対応している。キズナがフランスに渡っていた時期にはキズナIIも現役だったものの、両者の対決が実現することはなかった。2019年には両者の種付けが実現し、2020年2月9日にキズナIIはオールアイズオンを出産している<ref>[https://db.netkeiba.com/horse/ped/2020104829/ netkeiba.com「オールアイズオン」]</ref><ref>[https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=1489418403 ジャパン・スタッドブックインターナショナル「オールアイズオン」]</ref>。 |
|||
=== 2019年 === |
|||
2019年6月9日にルーチェデラヴィタが産駒の初勝利を飾る<ref>{{Cite web|title=2019年ファーストシーズンサイアーのJRA初勝利はキズナ {{!}} 馬産地ニュース {{!}} 競走馬のふるさと案内所|url=https://uma-furusato.com/news/detail/_id_98276|website=uma-furusato.com|accessdate=2020-04-16}}</ref>と、7月21日には[[ビアンフェ]]が世代最初の重賞である[[函館2歳ステークス]]に優勝し、産駒の重賞初制覇<ref>{{Cite web|title=キズナが新種牡馬では第一号となるJRA重賞初制覇をあげる {{!}} 馬産地ニュース {{!}} 競走馬のふるさと案内所|url=https://uma-furusato.com/news/detail/_id_98756|website=uma-furusato.com|accessdate=2020-04-16}}</ref>{{#tag:ref|新種牡馬の産駒による函館2歳S制覇は2011年の[[ファインチョイス]](父[[アドマイヤムーン]])以来8年振り<ref>{{Cite web|url=https://www.keibalab.jp/topics/38626/|title=【函館2歳S】ビアンフェが逃げ切り!キズナ産駒は初重賞V!|publisher=競馬ラボ|website=keibalab.jp|date=2019-07-21|accessdate=2019-07-24}}</ref>。|group="注"}}。地方でも[[キメラヴェリテ]]が[[北海道2歳優駿]]を制し、産駒の[[ダートグレード競走]]初制覇<ref>{{Cite web|title=北海道2歳優駿(Jpn3)はキメラヴェリテが勝利 {{!}} 馬産地ニュース {{!}} 競走馬のふるさと案内所|url=https://uma-furusato.com/news/detail/_id_100019|website=uma-furusato.com|accessdate=2020-04-16}}</ref>。最終的に産駒は27頭で34勝を挙げ、勝ち馬数30頭超えを記録した[[エピファネイア]]を抑えて新種牡馬リーディングを獲得した<ref>{{Cite web|title=キズナ-種牡馬・産駒-社台スタリオンステーション|url=https://web.archive.org/web/20200416081800/https://shadai-ss.com/stallion/kizuna/|website=web.archive.org|date=2020-04-16|accessdate=2020-04-16}}</ref><ref>{{Cite web|title=検索結果|ランキング検索|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/ranking/result/?rid=3&y1=2019&y2=2018&y_f=2020&y_t=2020&y3=2020&cource=0&kei=1&kbn=1&tord=1&hirasyou=1&baba=1&dist_f=&dist_t=&keyword=&items=20&x=75&y=14|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2020-04-16}}</ref>。2歳リーディングでも父[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]に次ぐ2位にランクインし<ref>{{Cite web|title=検索結果|ランキング検索|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/ranking/result/?rid=2&y1=2019&y2=2018&y_f=2020&y_t=2020&y3=2020&cource=0&kei=1&kbn=1&tord=1&hirasyou=1&baba=1&dist_f=&dist_t=&keyword=&items=20&x=64&y=16|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2020-04-16}}</ref>{{#tag:ref|JRAのみの集計ではキメラヴェリテの賞金が算入されないため、[[ハーツクライ]]に次ぐ3位となる<ref>{{Cite web|title=検索結果|ランキング検索|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/ranking/result/?rid=2&y1=2019&y2=2018&y_f=2020&y_t=2020&y3=2020&cource=0&kei=1&kbn=2&tord=1&hirasyou=1&baba=1&dist_f=&dist_t=&keyword=&items=20&x=68&y=16|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2020-04-16}}</ref>。|group="注"}}、2020年の種付け料は600万円に増額された<ref name = "umaichi"/>。 |
|||
=== 2020年 === |
|||
3月7日・8日の中央競馬において、[[サンデーサイレンス]]とディープインパクトに並ぶ記録となる「3歳馬産駒によるJRAでの週7勝」を達成<ref>{{Cite web|title=【JRA】新種牡馬キズナ産駒が土日で7勝、サンデーサイレンスと肩を並べる {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=168247|website=netkeiba.com|accessdate=2020-04-16|language=ja}}</ref>。8月22日の新潟2Rでミヤビマドンナが勝利を収め、歴代3位のスピードでJRA通算100勝となった<ref>{{Cite web|title=キズナがJRA通算100勝達成、史上3番目のスピード記録 {{!}} ニュース {{!}} 競馬ブック|url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/71342|website=p.keibabook.co.jp|accessdate=2020-09-12}}</ref>。2021年の種付け料は更に増額され、エピファネイアや[[ドゥラメンテ]]と並ぶ1000万円となる<ref>{{Cite web|title=社台SSが来年度のけい養馬を発表、種付料トップはロードカナロアの1500万円 {{!}} 競馬ニュース - netkeiba.com|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=180005|website=news.netkeiba.com|accessdate=2020-11-25|language=ja}}</ref>。2020年は種付数242頭で国内最多であった<ref>{{Cite web|title=2020年の種付情報の公開と各種雄馬の種付頭数|url=https://www.jairs.jp/contents/archives/2020/47.html|website=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル|accessdate=2021-01-12}}</ref>。 |
|||
=== 2021年 === |
|||
2021年11月14日の[[エリザベス女王杯]]で[[アカイイト (競走馬)|アカイイト]]が優勝し、産駒初のGI制覇となった。 |
|||
=== 2022年 === |
|||
2022年6月5日の[[安田記念]]で[[ソングライン (競走馬)|ソングライン]]が優勝。産駒のGI優勝2勝目を飾った。 |
|||
== 種牡馬成績 == |
== 種牡馬成績 == |
||
=== |
=== 年度別成績 === |
||
以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく<ref name="JBIS-種牡馬成績">{{Cite web|和書|title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|キズナ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001120570/sire/generation/thorough_s/ |website=JBISサーチ |access-date=2024-04-16}}</ref>。 |
|||
{| class="wikitable" style="text-align:right" |
|||
{| class="wikitable" |
|||
!年 |
|||
!種付 |
!種付年度 |
||
!種付頭数 |
|||
!増減 |
|||
!生産頭数 |
|||
!種付頭数<ref name=":0">{{Cite web |title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|キズナ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001120570/sire/generation/thorough_s/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-04-03}}</ref> |
|||
!血統登録頭数 |
|||
!出産頭数<ref name=":0" /> |
|||
!出走頭数 |
|||
!勝馬頭数 |
|||
!重賞勝馬頭数 |
|||
![[アーニングインデックス|AEI]] |
|||
![[コンパラブルインデックス|CPI]] |
|||
!該当{{GI}}級優勝産駒 |
|||
|- |
|- |
||
!2016 |
!2016 |
||
|250<ref>{{Cite web |title=【社台スタリオンステーション】の「2016年度ラインアップと種付料」が発表! - 【サラブレッドセール(せり市場)=馬市】&【種牡馬】の最新情報 by馬市.com |url=https://blog.goo.ne.jp/umaichi_news/e/b9e84bf87ac6396f78fe6d86f416bd6b |website=goo blog |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref> |
|||
| - |
|||
|269 |
|269 |
||
|184 |
|184 |
||
|182 |
|||
|168 |
|||
|129 |
|||
|11 |
|||
|2.07 |
|||
| |
|||
|[[アカイイト (競走馬)|アカイイト]] |
|||
|- |
|- |
||
!2017 |
!2017 |
||
|250<ref>{{Cite web |title=【社台スタリオンステーション】の「2017年度ラインアップと種付料」が発表! - 【サラブレッドセール(せり市場)=馬市】&【種牡馬】の最新情報 by馬市.com |url=https://blog.goo.ne.jp/umaichi_news/e/ca616535e1aeba1c74ade6a38b7003b8 |website=goo blog |accessdate=2022-04-03 |language=ja}}</ref> |
|||
|0 |
|||
|212 |
|212 |
||
|138 |
|138 |
||
|138 |
|||
|129 |
|||
|101 |
|||
|5 |
|||
|2.17 |
|||
| |
|||
|[[ソングライン (競走馬)|ソングライン]] |
|||
|- |
|- |
||
!2018 |
!2018 |
||
|350<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーションの種付料が決定|社台スタリオンステーション |url=https://shadai-ss.com/news/info/shadai-stallion-station-fee2018/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref> |
|||
|{{increase}} 100 |
|||
|152 |
|152 |
||
|113 |
|113 |
||
|111 |
|||
|100 |
|||
|77 |
|||
|2 |
|||
|1.77 |
|||
| |
|||
| |
|||
|- |
|- |
||
!2019 |
!2019 |
||
|350<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の種付料が決定-ニュース |url=https://shadai-ss.com/news/info/news-1516/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref> |
|||
|0 |
|||
|164 |
|164 |
||
|107 |
|107 |
||
|107 |
|||
|90 |
|||
|61 |
|||
|1 |
|||
|2.02 |
|||
| |
|||
| |
|||
|- |
|- |
||
!2020 |
!2020 |
||
|600<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の種付料が決定 |url=https://shadai-ss.com/news/stallion/news-2058/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref> |
|||
|{{increase}} 250 |
|||
|242 |
|242 |
||
|171 |
|171 |
||
|168 |
|||
|141 |
|||
|56 |
|||
|4 |
|||
|2.43 |
|||
| |
|||
| |
|||
|- |
|- |
||
!2021 |
!2021 |
||
|1000<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の種付料が決定。 - ニュース |url=https://shadai-ss.com/news/info/news-2396/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref> |
|||
|{{increase}} 400 |
|||
|195 |
|195 |
||
|139 |
|139 |
||
|136 |
|||
|0 |
|||
|- |
|||
|- |
|||
|- |
|||
| |
|||
|[[ジャスティンミラノ]] |
|||
|- |
|- |
||
!2022 |
!2022 |
||
|170 |
|||
|1200<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の種付料が決定 |url=https://shadai-ss.com/news/stallion/news-3452/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref> |
|||
|119 |
|||
|{{increase}} 200 |
|||
| |
|119 |
||
|0 |
|||
|- |
|||
|- |
|||
|- |
|||
| |
|||
| |
| |
||
|- |
|- |
||
!2023 |
!2023 |
||
|152 |
|||
|1200<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の2023年シーズン種付料が決定 - ニュース |url=https://shadai-ss.com/news/info/news-3750/ |website=社台スタリオンステーション |access-date=2022-11-21 |language=ja}}</ref> |
|||
|0 |
|||
|0 |
|||
|0 |
|0 |
||
|- |
|||
|- |
|||
|- |
|||
| |
| |
||
| |
| |
||
|} |
|||
=== 年度別成績 === |
|||
{| class="wikitable" style="text-align:right" |
|||
! rowspan="3" |年 |
|||
! colspan="7" |総合 (中央+地方) |
|||
! colspan="7" |中央 |
|||
|- |
|- |
||
! colspan=" |
! colspan="3" |合計 |
||
|961 |
|||
! colspan="2" |勝利 |
|||
|628 |
|||
! rowspan="2" |順位 |
|||
|424 |
|||
! rowspan="2" |[[アーニングインデックス|AEI]] |
|||
|76 |
|||
! rowspan="2" |収得賞金 |
|||
|2.09 |
|||
! colspan="2" |出走 |
|||
|1.79 |
|||
! colspan="2" |勝利 |
|||
| |
|||
! rowspan="2" |順位 |
|||
! rowspan="2" |[[アーニングインデックス|AEI]] |
|||
! rowspan="2" |収得賞金 |
|||
|- |
|||
!頭数 |
|||
!回数 |
|||
!頭数 |
|||
!回数 |
|||
!頭数 |
|||
!回数 |
|||
!頭数 |
|||
!回数 |
|||
|- |
|||
|2019年 |
|||
|127 |
|||
|344 |
|||
|27 |
|||
|34 |
|||
|48 |
|||
|0.93 |
|||
|4億9153万8000 |
|||
|123 |
|||
|323 |
|||
|27 |
|||
|33 |
|||
|37 |
|||
|0.62 |
|||
|4億6400万8000 |
|||
|- |
|||
|2020年 |
|||
|255 |
|||
|1463 |
|||
|133 |
|||
|214 |
|||
|12 |
|||
|1.71 |
|||
|18億2245万0000 |
|||
|244 |
|||
|1049 |
|||
|87 |
|||
|111 |
|||
|8 |
|||
|1.17 |
|||
|17億4226万2000 |
|||
|- |
|||
|2021年 |
|||
|313 |
|||
|2123 |
|||
|154 |
|||
|236 |
|||
|4 |
|||
|2.14 |
|||
|28億2973万4000 |
|||
|254 |
|||
|1248 |
|||
|91 |
|||
|118 |
|||
|4 |
|||
|1.71 |
|||
|26億8612万0000 |
|||
|- |
|||
|2022年 |
|||
|352 |
|||
|2358 |
|||
|167 |
|||
|274 |
|||
|4 |
|||
|2.04 |
|||
|31億6372万9000 |
|||
|277 |
|||
|1267 |
|||
|95 |
|||
|127 |
|||
|4 |
|||
|1.65 |
|||
|29億3241万1000 |
|||
|} |
|} |
||
種牡馬成績は、2022年終了時点<ref name=":0" /><ref>{{Cite web |title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系中央)|キズナ|JBISサーチ(JBIS-Search) |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001120570/sire/generation/thorough_c/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-04-03}}</ref>。 |
|||
* 情報は、2024年4月16日時点。 |
|||
=== 主な産駒 === |
|||
以下、GI級競走は'''太字'''で示す。 |
|||
=== 重賞優勝産駒 === |
|||
==== GI級競走優勝産駒 ==== |
|||
'''太字強調'''は、GI級競走を表す。 |
|||
* 2017年産 |
* 2017年産 |
||
** [[アカイイト (競走馬)|アカイイト]](2021年'''[[エリザベス女王杯]]''')<ref>{{Cite web |
** [[アカイイト (競走馬)|アカイイト]](2021年'''[[エリザベス女王杯]]''')- 母父:[[シンボリクリスエス]]<ref name="JBIS-アカイイト">{{Cite web|和書|title=アカイイト|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001234714/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
||
* 2018年産 |
* 2018年産 |
||
** [[ソングライン]](2021年[[富士ステークス]]、2022年{{Flagicon|SAU}}[[ |
** [[ソングライン (競走馬)|ソングライン]](2021年[[富士ステークス]]、2022年{{Flagicon|SAU}}[[1351ターフスプリント]]、2022年・2023年'''[[安田記念]]'''連覇、2023年'''[[ヴィクトリアマイル]]''')- 母父:シンボリクリスエス<ref name="JBIS-ソングライン">{{Cite web|和書|title=ソングライン|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001270628/|website=JBISサーチ|access-date=2023-05-04}}</ref> |
||
* 2021年産 |
|||
** [[ジャスティンミラノ]](2024年[[共同通信杯]]、'''[[皐月賞]]''')- 母父:[[エクシードアンドエクセル|Exceed And Excel]] |
|||
<gallery> |
|||
ファイル:Akaiito-20221015-tokyorc.jpg|[[アカイイト (競走馬)|アカイイト]] |
|||
ファイル:Songline Victoria Mile 2022.jpg|[[ソングライン (競走馬)|ソングライン]] |
|||
ファイル:Justin Milano 20231118.jpg|[[ジャスティンミラノ]] |
|||
</gallery> |
|||
==== グレード制重賞優勝 |
==== グレード制重賞優勝産駒 ==== |
||
*2017年産 |
*2017年産 |
||
** [[ビアンフェ]](2019年[[函館2歳ステークス]]、2020年[[葵ステークス]]、2021年[[函館スプリントステークス]])<ref>{{Cite web |
** [[ビアンフェ]](2019年[[函館2歳ステークス]]、2020年[[葵ステークス]]、2021年[[函館スプリントステークス]])- 母父:[[サクラバクシンオー]]<ref>{{Cite web|和書|title=ビアンフェ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001232999/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[キメラヴェリテ]](2019年[[北海道2歳優駿]])<ref>{{Cite web |
** [[キメラヴェリテ]](2019年[[北海道2歳優駿]])- 母父:[[コジーン|Cozzene]]<ref>{{Cite web|和書|title=キメラヴェリテ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001237615/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[クリスタルブラック]](2020年[[京成杯]])<ref>{{Cite web |
** [[クリスタルブラック]](2020年[[京成杯]])- 母父:[[タイキシャトル]]<ref>{{Cite web|和書|title=クリスタルブラック |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001232545/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-09-10}}</ref> |
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** [[マルターズディオサ]](2020年[[チューリップ賞]]、[[紫苑ステークス]])<ref>{{Cite web |
** [[マルターズディオサ]](2020年[[チューリップ賞]]、[[紫苑ステークス]])- 母父:[[グランドスラム (競走馬)|Grand Slam]]<ref>{{Cite web|和書|title=マルターズディオサ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001233139/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[アブレイズ (競走馬)|アブレイズ]](2020年[[フラワーカップ]])<ref>{{Cite web |
** [[アブレイズ (競走馬)|アブレイズ]](2020年[[フラワーカップ]])- 母父:[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]]<ref>{{Cite web|和書|title=アブレイズ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001235281/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[ディープボンド]](2020年[[京都新聞杯]]、2021年[[阪神大賞典]]、{{Flagicon|FRA}}[[フォワ賞]]、2022年阪神大賞典)<ref>{{Cite web |
** [[ディープボンド]](2020年[[京都新聞杯]]、2021年[[阪神大賞典]]、{{Flagicon|FRA}}[[フォワ賞]]、2022年阪神大賞典)- 母父:[[キングヘイロー]] <ref>{{Cite web|和書|title=ディープボンド|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001234162/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[シャムロックヒル]](2021年[[マーメイドステークス]])<ref>{{Cite web |
** [[シャムロックヒル]](2021年[[マーメイドステークス]])- 母父:[[タピット|Tapit]]<ref>{{Cite web|和書|title=シャムロックヒル|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001236249/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[テリオスベル]](2022年[[クイーン賞]])<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001237577/ |
** [[テリオスベル]](2022年[[クイーン賞]]、2023年[[ブリーダーズゴールドカップ]])- 母父:[[クロフネ]]<ref>{{Cite web|和書|title=テリオスベル|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001237577/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[ハギノアレグリアス]](2023年[[名古屋大賞典]])<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001228963/ |
** [[ハギノアレグリアス]](2023年[[名古屋大賞典]]、[[シリウスステークス]]、2024年シリウスステークス)- 母父:[[ジェネラス]]<ref>{{Cite web|和書|title=ハギノアレグリアス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001228963/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-09-30}}</ref> |
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* 2018年産 |
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** [[ファインルージュ]](2021年[[フェアリーステークス]]、[[紫苑ステークス]])- 母父:[[ボストンハーバー]]<ref>{{Cite web|和書|title=ファインルージュ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001266441/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[バスラットレオン]](2021年[[ニュージーランドトロフィー]]、2022年{{Flagicon|UAE}}[[ゴドルフィンマイル]]、2023年{{Flagicon|SAU}}[[1351ターフスプリント]])- 母父:[[ニューアプローチ]]<ref>{{Cite web|和書|title=バスラットレオン|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001270615/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-03-28}}</ref> |
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** [[ステラリア]](2023年[[福島牝馬ステークス]])- 母父:[[モティヴェーター|Motivator]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001268927/|title=ステラリア|website=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2023-04-22}}</ref> |
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* 2019年産 |
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** [[アスクワイルドモア]](2022年京都新聞杯)- 母父:[[ゼンノロブロイ]]<ref>{{Cite web|和書|title=アスクワイルドモア |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001313288/ |website=JBISサーチ |access-date=2023-09-10}}</ref> |
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** [[パラレルヴィジョン (競走馬)|パラレルヴィジョン]](2024年[[ダービー卿チャレンジトロフィー]])- 母父:[[マクフィ]] |
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* 2020年産 |
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** [[コンクシェル]](2024年[[中山牝馬ステークス]])- 母父:[[ガリレオ (競走馬)|Galileo]] |
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** [[アリスヴェリテ]](2024年マーメイドステークス)- 母父:Cozzene |
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* 2021年産 |
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** [[クイーンズウォーク]](2024年[[クイーンカップ]]、[[ローズステークス]])- 母父:Harlington |
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** [[シックスペンス (競走馬)|シックスペンス]](2024年[[スプリングステークス]]、[[毎日王冠]])- 母父:Twirling Candy |
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** [[ジューンテイク]](2024年京都新聞杯)- 母父:シンボリクリスエス |
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** [[サンライズジパング]](2024年[[不来方賞]]、[[みやこステークス]])- 母父:[[ゾファニー (アイルランドの競走馬)|Zoffany]] |
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* 2022年産 |
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** [[マジックサンズ]](2024年[[札幌2歳ステークス]])- 母父:[[キングカメハメハ]] |
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** [[ブラウンラチェット (競走馬)|ブラウンラチェット]](2024年[[アルテミスステークス]])- 母父:Congrats |
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** [[エリキング]](2024年[[京都2歳ステークス]])- 母父:[[ハイシャパラル|High Chaparral]] |
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==== 地方制重賞優勝産駒 ==== |
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* 2017年産 |
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** シュアゲイト(2023年[[サンタアニタトロフィー]])- 母父:[[デヒア]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001229056/ |title=シュアゲイト |website=JBISサーチ |publisher=公益社団法人[[日本軽種馬協会]] |accessdate=2023-08-02}}</ref> |
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* 2018年産 |
* 2018年産 |
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** |
** ヴィゴーレ(2023年[[せきれい賞]])- 母父:キングカメハメハ<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001268423/ |title=ヴィゴーレ |website=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会 |accessdate=2023-07-30}}</ref> |
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** [[バスラットレオン]](2021年[[ニュージーランドトロフィー]]、2022年{{Flagicon|UAE}}[[ゴドルフィンマイル]]、2023年{{Flagicon|SAU}}[[サウジカップ#サウジカップデー|1351ターフスプリント]])<ref>{{Cite web|title=バスラットレオン {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/2018106532/|website=netkeiba.com|accessdate=2023-02-25|language=ja}}</ref> |
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* 2019年産 |
* 2019年産 |
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** キャリックアリード(2024年[[秋桜賞]])- 母父:Galileo |
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** [[アスクワイルドモア]](2022年京都新聞杯)<ref>{{Cite web |title=アスクワイルドモア {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/2019104937/|website=netkeiba.com|accessdate=2022-04-03|language=ja}}</ref> |
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* 2021年産 |
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** プリンセスアリー(2024年[[桜花賞 (浦和競馬)|桜花賞]])- 母父:[[スズカフェニックス]] |
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** ポルラノーチェ(2024年[[フロイラインカップ]])- 母父:キングカメハメハ |
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== 血統 |
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*父・ディープインパクトについては同馬のページを参照。 |
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*母・キャットクイルは[[ビワハヤヒデ]]・三冠馬[[ナリタブライアン]]の母として知られる[[パシフィカス]]の半妹。 |
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*半姉にGI3勝の[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]](父[[ブライアンズタイム]])、半兄にアメリカに輸出されてG2を勝った[[サンデーブレイク]](父[[フォーティナイナー]])がいる。 |
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*半姉アランダの仔にエリモアラルマ([[六甲盃]]、[[兵庫大賞典]])がいる。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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* 有吉正徳『第5コーナー 競馬トリビア集』三賢社、2020年9月。ISBN 978-4-908655-17-3 |
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** (改訂前同内容収録)有吉正徳「[https://enjoy.jbis.or.jp/column/ariyoshi/2013/006458.html 【第5コーナー~競馬余話~(28)】母と子の絆]」 |
|||
* [[島田明宏]] 『誰も書かなかった 武豊 決断』徳間書店、2017年10月。{{ISBN2|978-4-19-894259-5}}。 |
|||
* 『[[Sports Graphic Number]]』([[文藝春秋]]) |
|||
** 2019年5月30日号(通巻978号) |
|||
*** 島田明宏「【時代を変えた7つのダービー(7)】キズナ 絶滅危惧種の夢を継ぐ」 |
|||
**** (ウェブ版同内容転載あり)島田明宏「[https://number.bunshun.jp/articles/-/840258?page=1 運命の馬で“夢”を叶えた名物馬主。キズナ産駒と武豊でダービーを。]」 |
|||
** 2020年6月4日号 |
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*** 島田明宏「【不屈の蹄音 GO FOR THE DERBY 2020】コントレイル 最強の源流を訪ねて」 |
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* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]]) |
|||
** 1998年8月号 |
|||
*** 宇都宮直子「【'98年春GI勝ち馬の故郷】ノースヒルズマネジメント(北海道新冠町)夢を咲かせた胡蝶蘭」 |
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** 2004年8月号 |
|||
*** 優駿編集部「【優駿インタビュー】佐々木晶三調教師 憧れの『世界』へ向かって」 |
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** 2005年7月号 |
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*** [[井口民樹]]「【サラブレッド・ヒロイン列伝(50)】ファレノプシス 気高き血脈、咲き誇れり」 |
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** 2011年10月号 |
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*** 阿部珠樹「【優駿激闘譜】ファレノプシス 優雅な響きに垣間見える芯の強さ」 |
|||
** 2012年6月号 |
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*** 優駿編集部「【2歳馬情報 Part2】大山ヒルズ キャットクイルの10 乗り味が良く、心肺機能が抜群」 |
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** 2013年2月号 |
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*** 横手礼一「【2012年の蹄跡(8)進め!クラシックロード特別編】2歳戦総括&クラシック展望 関東馬が目立つ牡馬戦線と混沌とした牝馬戦線」 |
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** 2013年6月号 |
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*** [[平松さとし]]「【出走予定馬紹介】牧場の至宝が生んだダービー馬候補 キズナ」 |
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** 2013年7月号 |
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*** [[石田敏徳]]「【レースレビュー】桁違いの脚色でゴール直前大逆転 第80代ダービー馬が誕生した瞬間」 |
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*** 軍土門隼夫「【第80代日本ダービー馬の蹄跡】キズナ "一番"を譲らなかった大器」 |
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*** 島田明宏「【優勝騎手インタビュー】武豊 ダービー史に刻まれた偉大なる"80分の5"」 |
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**** 2020年6月号(再編集を経て再録) |
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***** 島田明宏「【ダービージョッキーかく語りき(3)】武豊 偉大なる"80分の5"」 |
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*** 平松さとし「【ダービートレーナーの胸中】佐々木晶三 勝利への確信につながった誤算と成算」 |
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*** 土屋真光「【ダービーオーナー兄弟物語】前田晋二 前田幸治 リスクを恐れぬ『ぶれない』挑戦」 |
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** 2013年8月号 |
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*** 篠原美穂子「【3歳GIホース 牧場時代の素顔】日本ダービー優勝馬キズナ」 |
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** 2013年9月号 |
|||
*** 岡本光男「【凱旋門賞への道】古馬の雰囲気を纏って帰厩 キズナ」 |
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** 2013年10月号 |
|||
*** 島田明宏「【ロングインタビュー】武豊 ダービー馬と世界最高峰の舞台へ」 |
|||
*** 沢田康文「【現地レポート】キズナ 経験ではなく勝つための遠征」 |
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*** 石田敏徳「【前哨戦詳報】キズナとオルフェーヴルが圧巻の勝利 ニエル賞(仏GII)&フォワ賞(仏GII)」 |
|||
** 2013年11月号 |
|||
*** 石田敏徳「【レース詳報】日本馬2頭が必死に追いすがるも さらに鋭さを増したトレヴの脚」 |
|||
*** 島田明宏「【遠征記(2)】ダービー馬が得た経験 キズナ 失敗ではなく成功としてとらえる理由」 |
|||
*** 島田明宏「【ジョッキーインタビュー(2)】武豊 挑み続ければこそ、道は拓ける」 |
|||
**2014年1月号 |
|||
***石田敏徳「【二強のドラマに迫る!】キズナ 夢を叶えるための王者越え」 |
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**2014年2月号 |
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***島田明宏「【2013年の蹄跡(1)】キズナ&武豊 『夢のつづき』を見せつけてくれる名コンビ」 |
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***沢田康文「【2013年の蹄跡(3)】第92回凱旋門賞 今年も開けなかった重い扉」 |
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***「【2013年度JRA賞決定!】年度代表馬にロードカナロア」 |
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**2014年4月号 |
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***岡本光男(日刊スポーツ関西)「【2014年の主役を担う古馬たち】キズナ 古馬になり試されるダービー馬の矜持」 |
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**2014年5月号 |
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***島田明宏「【"主役"がターフに戻ってきた!】キズナ 2014ロンシャンへの第一歩」 |
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**2014年6月号 |
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***島田明宏「【GIインサイドストーリー】1番人気馬の敗因 キズナ 苦い結果と変わらない夢」 |
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**2014年7月号 |
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***優駿編集部「【杉本清の競馬談義(350)】前田幸治さん」 |
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**2014年8月号 |
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***優駿編集部「【現役トップホースたちの近況】キズナ 故障箇所意外に問題はなく、曳き運動を再開」 |
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**2014年11月号 |
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***不破由妃子「【優駿スペシャルインタビュー】佐藤哲三 ファン思いの職人騎手、鞭を置く」 |
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**2015年4月号 |
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***岡本光男「【2015年春古馬戦線 注目の主役たちを追う】キズナ まずは無事にリスタート、天皇賞で最強宣言を」 |
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**2015年10月号 |
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***軍土門隼夫「【関係者が語る主役たちの真実(2)】キズナ ダービー馬が再び輝く日」 |
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**2018年3月号 |
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***軍土門隼夫「【未来に語り継ぎたい名馬物語(31)】類稀なる才能で世代の頂点に。 キズナのさまざまな"絆"」 |
|||
**2020年10月号 |
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***石田敏徳「【コントレイル&デアリングタクト 無敗の二冠馬のすべて】コントレイル 上昇一途の駿才」 |
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***島田明宏「【コントレイル&デアリングタクト 無敗の二冠馬のすべて】前田幸治 チャレンジングスピリットを胸に」 |
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**2020年12月号 |
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***石田敏徳「【無敗の三冠馬】コントレイル 負けを知らない馬の"本気"」 |
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*各号「【重賞プレイバック】出走JRA重賞競走」 |
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**2013年2月号(ラジオNIKKEI杯2歳ステークス) |
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**2013年5月号(弥生賞、毎日杯) |
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**2013年7月号(東京優駿、京都新聞杯) |
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**2014年6月号(産経大阪杯) |
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**2014年7月号(天皇賞(春)) |
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**2015年4月号(京都記念) |
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**2015年6月号(産経大阪杯) |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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2024年12月3日 (火) 01:09時点における最新版
この記事は「新馬齢表記」で統一されています。 |
キズナ | ||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013年東京優駿 | ||||||||||||||||||
欧字表記 | Kizuna[1][2] | |||||||||||||||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||||||||||||||
性別 | 牡[1][3] | |||||||||||||||||
毛色 | 青鹿毛[1][3] | |||||||||||||||||
生誕 | 2010年3月5日(14歳)[1][3] | |||||||||||||||||
抹消日 | 2015年9月24日[4] | |||||||||||||||||
父 | ディープインパクト[1][3] | |||||||||||||||||
母 | キャットクイル[1][3] | |||||||||||||||||
母の父 | Storm Cat[1][3] | |||||||||||||||||
生国 | 日本(北海道新冠町)[1][3] | |||||||||||||||||
生産者 | 株式会社ノースヒルズ[2] | |||||||||||||||||
生産牧場 | 株式会社ノースヒルズ[1][3] | |||||||||||||||||
馬主 | 前田晋二[1][3] | |||||||||||||||||
調教師 | 佐々木晶三(栗東)[1][3] | |||||||||||||||||
調教助手 | 山田誠二[5] | |||||||||||||||||
厩務員 | 田重田静男[5] | |||||||||||||||||
競走成績 | ||||||||||||||||||
タイトル | JRA賞最優秀3歳牡馬(2013年)[1][3] | |||||||||||||||||
生涯成績 |
14戦7勝[3] 中央:12戦6勝 海外:2戦1勝 | |||||||||||||||||
獲得賞金 |
5億1595万5800円[3] 中央:4億7639万9000円[6] フランス:34万8180ユーロ[7] | |||||||||||||||||
WBRR |
L121 / 2013年[8] I121 / 2014年[9] I116 - L116 / 2015年[10] | |||||||||||||||||
|
キズナ(欧字名:Kizuna、2010年3月5日 - )は、日本の競走馬・種牡馬[1]。
2013年のJRA賞最優秀3歳牡馬、同年の東京優駿(日本ダービー)(GI)優勝馬である。
概要
[編集]2010年3月5日に、北海道新冠町のノースヒルズで生産された青鹿毛の牡馬である。父はディープインパクト、母はキャットクイルであり、ファレノプシスやサンデーブレイクの弟、ビワハヤヒデやナリタブライアンのいとこにあたる。2011年3月11日に発生した東日本大震災をきっかけに広まった言葉「絆」を由来とする馬名を授かり、ノースヒルズ創業者の前田幸治の弟である馬主前田晋二の所有、栗東トレーニングセンター所属の調教師佐々木晶三の管理のもと、2012年、2歳秋に競走馬デビューを果たした。
ノースヒルズや佐々木が重用する騎手佐藤哲三が騎乗してデビューし、新馬戦と黄菊賞(500万円以下)を連勝したが、この直後に佐藤が引退に追い込まれる重傷を負い、コンビ解消を余儀なくされた。代わって落馬負傷からの復帰後、復調せず低迷するベテラン、かつてのスターである武豊が起用された。乗り替わり初戦と2戦目は、いずれも不運な展開で連敗し、クラシック初戦の皐月賞出走は叶わなかった。しかし仕切り直したコンビ結成3戦目の毎日杯(GIII)で重賞初優勝。続いて京都新聞杯(GII)も優勝し、重賞連勝を成し遂げた。
そしてクラシック最高峰の東京優駿(日本ダービー)(GI)に1番人気で参戦。後方待機から直線で鋭い末脚を披露して、先に抜け出していた福永祐一騎乗のエピファネイアを差し切り、ダービーを戴冠した。ディープインパクトの主戦騎手でもあった武に史上最多となるダービー5勝目を、父仔でのダービー優勝をもたらしたうえに、インティライミで臨みながらディープインパクトに阻まれた佐々木をダービートレーナーに、ノースヒルズをダービーオーナーにさせていた。さらにノースヒルズによるダービー連覇の端緒を担った。
その後は、フランスに遠征し、イギリスダービー優勝馬ルーラーオブザワールドを破り前哨戦のニエル賞(G2)を優勝したが、本番の凱旋門賞(G1)では、トレヴに敵わず4着だった。帰国後、2014年の産経大阪杯(GII)を優勝して、天皇賞(春)(GI)に1番人気で臨むも4着に敗れたうえに骨折。復帰して翌2015年、天皇賞(春)に再び1番人気で臨むも、骨折の精神的な後遺症で7着。復活を期した矢先の秋口に屈腱炎をきたして競走馬を引退した。
通算成績14戦7勝、約5億円を獲得した。競走馬引退後は、種牡馬となり、重賞優勝産駒を多数輩出。2021年のエリザベス女王杯(GI)を優勝したアカイイト(母父:シンボリクリスエス)、2022年の安田記念(GI)を優勝したソングライン(母父:シンボリクリスエス)などの父として知られる。
誕生までの経緯
[編集]ノースヒルズ
[編集]ノースヒルズは、北海道新冠町の生産牧場である。大阪府で大型プラントの設計、保守などを執り行う株式会社アイテックの創業者[11]、代表取締役会長前田幸治が1984年10月に創業し、代表を務めていた[12]。開設してしばらくは「マエコウファーム」と名乗っていた。馬主であった前田が、競走馬生産にも参入し、オーナーブリーダーとなっていた[12]。
ノースヒルズ、もとい前田は「世界に通用する馬を作る[12]」という目標を掲げていた。そのために、外国の牧場の方式を盛んに取り入れるようになっていた。外国のような大規模牧場を目指し、北海道の誰も利用しない山がちな場所を開拓して広大な用地を確保していた[13]。さらに施設も充実させ、スタッフを留学に向かわせ、また繁殖牝馬も盛んに輸入して良血を集めるなど、目標実現に向けた投資を欠かさなかった[13]。おかげで牧場の成績は、徐々に上向き、出世する生産馬を多数輩出できるようになるまでに成長していた。しかし平地競走の大タイトルを得るような馬は、なかなか現れなかった[14]。
ノースヒルズが、クラシック競走の最高峰に位置づけられる東京優駿(日本ダービー)に初めて挑んだのは、1992年のことだった[15]。挑んだのは青葉賞優勝から臨むゴールデンゼウス(父:アンバーシャダイ)であり、岡潤一郎を背に4番人気だったが、ミホノブルボンに敗れる11着だった[15]。また平地競走でグレード制の最高峰に位置づけられるGI優勝を初めて果たしたのは、1998年の桜花賞である。武豊を背に3番人気で挑んだファレノプシス(父:ブライアンズタイム)が成し遂げていた[15]。そのファレノプシスを産んだのは、牧場が1993年暮れにイギリスから導入したキャットクイル(父:ストームキャット)だった[14]。
キャットクイル
[編集]キャットクイルは、1990年に生まれた牝馬である。父は優れたスピードを持ち、後にアメリカのリーディングサイアーとなるストームキャット、母は1976年デラウェアオークスを優勝したパシフィックプリンセス、母父はダマスカスだった[16]。カナダで生産されたが、イギリスに移って競走馬として走り2戦未勝利。引退後は繁殖牝馬となったが、1993年暮れのセールで売却が図られていた[16]。当時は、ストームキャットに対する評価がそれほど高くなかった[17]。そんなとき、外国の競馬に詳しい知人に紹介されて見初めた、日本の競走馬生産者ノースヒルズが購入していた[17]。
1993年下半期は、ビワハヤヒデとナリタブライアンという兄弟が、それぞれ菊花賞と朝日杯3歳ステークスを優勝した頃だった。この兄弟の祖母はパシフィックプリンセスであり、キャットクイルは、日本競馬で活躍中の兄弟の近親という良血馬となった。このため牧場は、同族から、その兄弟に続くような出世馬の誕生を期待するようになっていた[13]。初年度となる1994年は、既にGIを奪取しており、後にこの年のクラシック三冠を成し遂げるナリタブライアンを頼りに、ナリタブライアンの父であるブライアンズタイムと交配し、翌1995年に初仔となる牝馬を産んでいた[16]。この初仔はナリタブライアンのいとこであり、しかも4分の3兄弟の関係という血統構成だった。初仔は「胡蝶蘭」を意味する「ファレノプシス」という名前が与えられて競走馬となっていた[16]。
ファレノプシスは、1997年にビワハヤヒデと同じ浜田光正厩舎からデビュー。若手の石山繁を起用してデビュー3連勝し、1998年の牝馬クラシック戦線に参入していた[16][18]。しかし4戦目となる前哨戦のチューリップ賞にて、石山の騎乗ミスが一因となり4着敗退[19]。まもなく石山は降板となり、代わって武豊が起用されて本番に挑んでいた[19]。初戦となる桜花賞は、初騎乗の武が導いて、ノースヒルズに初の栄冠をもたらしていた。続く優駿牝馬(オークス)はエリモエクセルなどに敵わず3着だったが、秋の牝馬三冠最終戦の秋華賞で奪回し、牝馬二冠を果たしていた[20]。この後のファレノプシスは、松永幹夫と2000年エリザベス女王杯を優勝するなど16戦7勝、GI3勝を挙げた[21][22]。
ノースヒルズ初めての実績馬ファレノプシスを産んだキャットクイルは、その後もノースヒルズに留まり、ファレノプシスの弟妹創出を担っていた。ファレノプシスの再来を願い、同じようにブライアンズタイム、あるいはデインヒルやティンバーカントリー、フォーティナイナー、ダンスインザダークなどと交配をしていた[23]。しかしキャットクイルは、応えられなかった。そもそも弟妹を得ることが難しかった。不受胎や、産後まもなくの胎児の死、流産が頻繁に引き起こされていた[23][24][25]。キャットクイルは、ファレノプシスを産んだ1996年から2009年までの13年間で、6頭しか生み出せなかった[25]。しかし6頭でも活躍産駒は現れた。中でも3番仔サンデーブレイク(父:フォーティナイナー)がファレノプシスに追随した。アメリカで走ったサンデーブレイクは、2002年のピーターパンステークス(G3)を優勝した他、ベルモントステークス(G1)3着となった[26][25]。
キャットクイルは、やがて高齢の域に達していた。一般に繁殖牝馬は、若い頃の産駒の方が名馬が生まれやすいと信じられていた[11]。ただでさえ流産などが多くその役割を果たしにくいキャットクイルが、高齢となれば、その存在理由が他の繁殖牝馬より尚のことぐらつくのは当然だった[27]。しかし牧場は、キャットクイルを諦めることはしなかった。そればかりか不受胎の可能性を多分に含んでいるにもかかわらず、優良な種牡馬を用意し続けた。18歳となった2008年には、初めにアグネスタキオンと交配して失敗、続いてハーツクライと交配してまた失敗、さらにディープインパクトと交配してまたまた失敗し、結局不受胎だった[23]。それでも翌2009年、前年に引き続き、前田が拘ってディープインパクトと交配を敢行[11]。そして受胎を果たしていた[23]。
それから1年後、予定日から3週間が経過した2010年3月5日、20歳のキャットクイルから、8番仔となる青鹿毛の牡馬のディープインパクト産駒(後のキズナ)が誕生する[28]。この後、キャットクイルは2014年に死亡するまで繁殖牝馬であり続けたものの、これまで通り、不受胎や死産を繰り返すことになる。そのためこの8番仔が、キャットクイルが遺した最期の仔となった[23][29]。
20歳のキャットクイルが生んだ8番仔は、ファレノプシスの15歳年下、サンデーブレイクの11歳年下の弟であり、ナリタブライアンやビワハヤヒデのいとことなった[11]。
幼駒時代
[編集]牧場時代
[編集]ノースヒルズ時代
[編集]8番仔は、ディープインパクトの3年目産駒である。ディープインパクトは、初年度産駒から活躍馬を輩出するなど、種牡馬としても高い能力があることが後に判明するが、3年目産駒が生まれた頃は、まだ初年度産駒がデビューしていなかった。ゆえに種牡馬としての能力は未知数、走る産駒の傾向も不明[30]。牧場でも、ディープインパクト産駒を取り扱う経験に乏しく、誕生直後の8番仔に対する評価も様々だった[30]。牧場スタッフの中には「ダービーを単勝1倍台で勝って無敗の三冠馬になる[31]」と最高の評価を与える者もいたという。牧場では、母キャットクイルから「キャット」と呼称された[30][32]。
キャットは、当歳から1歳10月まで牧場で過ごした。牧場では、アメリカの栄養コンサルタントを呼び寄せて、幼駒の検分をさせていた。幼駒の悪い箇所を探してもらい、改善の助けとする目的があった[30]。しかしキャットは、どこまでも最高評価の「A」ランクであり、悪い箇所が見当たらなかった[30]。また牧場では、春から初冬までではなく冬まで、つまり季節を問わず、夜間に幼駒を野に放っていた[33]。通年夜間放牧と呼ばれるこの方式は、ノースヒルズが他に先駆けて導入しており、特に厳冬下の放牧は、健康を損なうリスクが高かった[33]。それでもキャットは、耐え忍んで「A」ランクであり続けていた[33]。
馴致中は、小さなケガこそあれど、体調を崩すことはなかったという[28]。放牧中の動きも良く、牧場の繁殖チーフは「当歳の中でも動きが軽い馬[28]」だったと回顧している[28]。さらに性格も良く、他の馬には、反抗的な態度をとるが、こと人間に対しては従順だった[34]。実績馬の弟であることから、訪問者には必ず披露していたという[34]。
"絆"
[編集]キャットが1歳3月だった頃、つまり2011年3月末、ノースヒルズはドバイワールドカップミーティングに参戦している。ドバイのメイダン競馬場で行われる優勝賞金が世界最高額のドバイワールドカップ(G1、オールフェザー2000メートル)に、ダートGI2連勝中の生産馬トランセンド(父:ワイルドラッシュ)で挑んでいた。トランセンドは逃げに出て直線に向いたが、同じ日本調教馬のヴィクトワールピサに差し切られて2着[29]。日本調教馬として初めてドバイワールドカップを優勝するという栄誉は、ヴィクトワールピサに譲ったが、ワンツーフィニッシュの一員に加わる結果となっていた[29]。
この2週間前の3月11日には、日本で東日本大震災が発生していた。あらゆる地域が被災する国難となる中、トランセンドのために遠征した前田は、ドバイのあらゆるところにて、励ましの言葉など様々な施しを受けていた[29][35]。このことがトランセンドの2着とともに印象的な経験として記憶されていた。そこで震災の後、盛んに使われるようになった言葉である日本語「絆」を馬名に採用しようと考えるようになった[35]。普段は外国語の辞書を用い[36]、これまで所有馬1400頭に名前を与えてきたが、初めて日本語の採用することになった[37]。大切な経験を基にして想起し、かつ自身にとって今までにない画期的な馬名案「キズナ」を前田は、2011年産世代で最も評価の高い馬に与えようと決意していた[35]。
大山ヒルズ時代
[編集]キャットは1歳10月、2011年10月8日にノースヒルズの育成施設、鳥取県伯耆町の大山ヒルズに移動した[38]。迎え入れた大山の施設マネージャーは、到着して「馬運車から下りてきた瞬間に強烈なオーラ[39]」を感じ取ったという。キャットは、大山に来てから急速に成長し、運動能力や心肺能力を高めていった[38]。ある獣医師は、先のトランセンドの遠征に同伴しており、キャットを見守らない時期があったが、キャットはその間に急成長を遂げていた。獣医師は、久しぶりにキャットを見て、充実した筋肉に驚いたという[38]。またキャットは、心肺機能も高かった。他の同期と同じメニューをこなしても、ただ1頭へこたれず、疲れを見せなかった[40]。大山では、可能な限り馬に担当をつけず、1頭に多数の人間が騎乗する方針を取っていた[41]。そのため多くのスタッフがキャットの乗り味を体感しており、スタッフは次々にキャットに高い評価を与えている[40][41]。また大山では、年に一度ほど周辺の地元住民を対象に見学会を催していた[41]。その見学会では、これまでの実績馬、有名馬が多数披露されていたが、その流れでキャットは、次の期待馬として紹介されていた[41]。
このように期待しかないキャットは、やがてノースヒルズで生産されたこの世代の幼駒の中で、最も高い評価を得るに至る。果ては「ノースヒルズの史上最高傑作[38]」という呼び声もあったという。この頃になると、ディープインパクトの初年度産駒がデビューしており、産駒たちは各々、受け継いだ能力を存分に発揮、出世馬が続出し始めていた[38]。ノースヒルズに初めて大タイトルをもたらしたファレノプシスの弟、世代で最高の評価ないし「史上最高傑作」と呼ばれるほどの評判で、さらに上昇中のディープインパクトの3年目産駒とくれば、かかる期待も相当に高かった[38]。デビューする前から関係者の間では、さも当然のようにクラシック最高峰の東京優駿(日本ダービー)優勝が目標になっていた[38]。そんなキャットに、前田は、世代最高評価で、大いに期待できる馬のために温めておいた馬名案が与えられる。他の馬よりも比較的早いタイミングでなされるなど、ノースヒルズにとって特別な形で命名された[42]。キャットは「キズナ」となった。
キズナは、前田の弟である前田晋二の所有で競走馬となる。株式会社都市クリエイトの代表取締役である前田晋二は、兄の経営するノースヒルズに同調して、その生産馬の馬主を担っていた[15]。所有馬の分配は、経営者の兄が行っていたが、兄は弟の馬主成績を気にかけていた。近頃、弟の成績が良くないと感じ取った兄は、ノースヒルズからできるだけ評判の良い馬を提供して、弟の成績改善を試みていた[15]。その一環で、キズナが前田晋二の所有となった[15]。
厩舎時代
[編集]キズナは、栗東トレーニングセンターの佐々木晶三調教師に託される。佐々木とノースヒルズの関係は深く、2011年には、アーネストリーで宝塚記念を優勝するなど結果にも表れていた。当初、ノースヒルズから佐々木に提供される予定だったのは産まれてくる予定の「ファレノプシスの仔」であった[43]。しかしファレノプシスが不受胎に終わり、その「ファレノプシスの仔」が存在しなかった[43]。このためその「ファレノプシスの仔」の代わりとして「ファレノプシスの弟」キズナが割り当てられていた[43]。
佐々木は、当歳の頃に初めて検分し、その第一印象から「オーラ」を感じていたという[43]。当歳馬の検分で得た好印象は、身体が成長するなどして崩れ、まやかしになることが多かった[44]。しかし大山ヒルズでの育成調教を見ても、走り方が「ディープ(インパクト)に似ている[43]」と捉えていた。あまりの好印象に、佐々木は、東京優駿(日本ダービー)を目指せる器だと認識するようになり、この頃について「『これで男にならなかったら、ぼくは最悪の調教師です』と前田代表に言いました。『男になる』とは、ダービーを勝つということ[11]」と回顧している。2歳となった2012年8月に佐々木厩舎に入厩しているが[45]、成長して競走馬の身体になっていても、初めの好印象は揺るがず、よくいるまやかしではなかった[44]。
これまでの佐々木の経験で「第一印象のすごかった[44]」若駒は、後に1997年NHKマイルカップ(GI)、1998年モーリス・ド・ゲスト賞(G1)を優勝することになるシーキングザパールだった[44]。ところがキズナには、シーキングザパールと同じくらいの感触、「それ以来と言っていい衝撃[44]」があったという[46]。佐々木は、即座に東京優駿優勝までを考えるようになっていた[44]。調教では、先にデビューしていた同期、既にオープンクラスに昇格していたアップトゥデイトと併せ馬をしている[46]。アップトゥデイトはパワーに秀でており、坂路の動きには目を見張るものがあったが、キズナはあっさり先着、調教でも同期と格の違いを見せていた[46]。
厩舎では、田重田静男が厩務員を担った。田重田は、アーネストリーの担当でもあった。1972年京都牝馬特別をセブンアロー[注釈 1]で重賞初優勝を果たすなど、長年厩務に携わりながら60代に到達したベテランであり、佐々木とは若い頃から関係を築いていた[47][注釈 2]。アーネストリーがGI戴冠を果たした後、その褒美として、アーネストリーと同じノースヒルズの期待馬であるキズナを担当することとなった[48]。
主戦騎手には、佐藤哲三が起用される。佐藤は、これまでタップダンスシチーなどの佐々木厩舎の活躍馬をGIタイトルに導いていた[49]。また佐藤は、ノースヒルズとも関係が深かった。佐藤が騎手デビュー4年目だった1992年、朝日チャレンジカップにてノースヒルズのレットイットビーを勝利に導き、重賞初勝利を挙げていた[45]。そればかりかこの勝利は、ノースヒルズのJRA平地重賞初勝利をもたらしていた。また2011年の宝塚記念では、同じ佐々木、田重田、ノースヒルズのアーネストリーを優勝に導いている。佐藤は、大山ヒルズにも頻繁に赴き、育成途上のキズナから調教を施していた[45]。
佐藤、佐々木、田重田、ノースヒルズというアーネストリーと同じタッグが再集結し、キズナをバックアップすることになった[45]。
競走馬時代
[編集]2歳(2012年)
[編集]条件馬時代
[編集]まず2012年6月にデビューする予定だった。しかし挫跖をきたしたために延期となり、10月7日の京都競馬場の新馬戦(芝1800メートル外回り)でデビューとなる[35]。その直前には、佐藤を配して挑んだゲート試験で不合格となっていたが、それから立て直して出走を叶えていた[50]。7頭立てとなり、2008年皐月賞優勝馬キャプテントゥーレの弟であるリジェネレーションなどが相手だったが、ファレノプシスの弟・キズナが単勝オッズ2.0倍の1番人気だった[51]。
装鞍所からパドックへ至る道中の地下馬道で暴れ、落鉄するアクシデントに見舞われたが、打ち替えての参戦となる[50]。暴れ収まらないまま馬場入場し、レースを迎えていた[50]。スタートからリジェネレーションと並んで好位を追走し、直線でスパートして、先行勢を追いかけた[51]。残り200メートルから末脚を発揮し、まずリジェネレーションを置き去りにし、それから先行する2頭を寸前で差し切っていた[35]。リジェネレーションに2馬身差をつけて決勝線に到達し、初出走初勝利を成し遂げた[52]。
終いに鋭い末脚を使い突き抜けた新馬戦のパフォーマンスは、佐々木にクラシック参戦を意識させ、それに向けたローテーションを構想するようになった[50]。佐々木は、その能力から、続く黄菊賞(500万円以下)、そして暮れのラジオNIKKEI杯2歳ステークス(GIII)に出走しても連勝するだろうと考えていた。この3戦3勝、重賞勝利を果たした3歳末で以て、クラシック出走を早い時期に易々と確定させようと目論んでいた[50]。
11月11日、黄菊賞(500万円以下)は、10頭立てだった。その中には、2009年東京優駿(日本ダービー)優勝馬ロジユニヴァースの弟であるトーセンパワフルがいたが、ファレノプシスの弟・キズナが単勝オッズ2.0倍の1番人気だった。スタートから中団後方を追走し、直線で大外に持ち出して追い上げた[53]。繰り出した末脚で他すべてを呑み込み、残り200メートル地点で差し切っていた[53]。終いにももう一伸びして突き放し、後方に2馬身半差をつけて決勝線に到達。2勝目を挙げた[54]。
佐藤哲三
[編集]そして暮れの12月22日、ラジオNIKKEI杯2歳ステークス(GIII)で重賞初挑戦となる。2連勝中、それに評判馬を相次いで下したキズナは、クラシック戦線の有力馬の1頭となっていた[55]。ここで予定通り重賞初勝利を果たして、余裕を持ってクラシックに佐藤とともに臨もうという構想だった。しかし佐藤は、黄菊賞の2週間後の11月24日に落馬する[56]。柵に衝突して全身7か所の骨折、外傷性気胸、右下腿部裂創、右肘関節の尺骨脱臼という重傷となり、キズナへの騎乗が困難となった[57]。
この後、佐藤がキズナの鞍上に舞い戻ることは叶わなかった。佐藤は、キズナが活躍する傍らで、落馬から1年近く治療を続け、騎手復帰を目指していた[57]。前田も何度も病室を訪れ「復帰したら、ノースヒルズの馬に好きなだけ乗ればいいから」という励ましを受けながら治療に挑んだが、ある日、佐藤の中で騎手復帰の志が減退する[58]。「キズナを可愛いと思ってしまった」ことがきっかけとなり、騎手引退となった[58]。
2014年7月の病室にて、携帯でキズナの写真を見ながら、涙が溢れていた[58]。そして7月30日には、大山ヒルズに、佐藤でない騎手で出世したキズナと久しぶりに対面している。その際、佐藤は、キズナに対して「可愛い」という感情を抱いてしまっていたという[59][60]。騎手は、馬の理解者であるほかに、馬の制御者である必要があったが、佐藤の中で、馬への「可愛い」という感情の先行が留まらなかった。病室でキズナの写真を見て泣いた出来事について、佐藤はこう回想している[58]。
また佐藤は、このように述べている。
武豊
[編集]騎乗不能の佐藤に代わり、キズナの主戦騎手として起用されたのは、姉ファレノプシスをGIタイトルに導いた武豊だった。武は、この頃不調の真っ只中だった。2010年3月27日の毎日杯(GIII)にて落馬し、重傷を負って休養したのをきっかけに、勝利数を大きく減らしていた[61]。2009年の年間140勝が、翌2010年は休養があって69勝となったのは当然にしても、翌2011年は64勝、2012年は56勝というように右肩下がり、自己最低の勝利数にまで落ち込んでいた[45]。それからデビュー2年目から23年間続けてきたJRAGI優勝も途切れていた[45]。
そんな武を、前田は敢えて起用する。ノースヒルズと武は、ファレノプシスの他に、2002年スプリンターズステークスでビリーヴを、2006年NHKマイルカップでロジックを優勝に導いた過去があった[37]。前田は、これまで長年、日本競馬を牽引してきた武が落ち目にあることを、見過ごすわけにはいかなかった。そこで前田は、所有馬を融通して、武を積極的に起用。これ以上の低迷を阻止するために下支えをしていた[62][37]。
武との初戦となったラジオNIKKEI杯2歳ステークス(GIII)は、1984年[注釈 4]に並ぶレース史上最少の7頭立てだった[63]。それでも相手は揃っており、キズナは1番人気を譲り、2番人気に甘んじる[64]。1番人気となったのは、2005年優駿牝馬(オークス)優勝馬シーザリオの仔であり、新馬と京都2歳ステークスを連勝中のエピファネイアだった[64]。単勝オッズ1.9倍がエピファネイアであり、2.9倍がキズナだった[64]。
映像外部リンク | |
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2012年 ラジオNIKKEI杯2歳ステークス(GIII) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
スタートから5番人気のバッドボーイが逃げて、それに次ぐ2番手に落ち着き、その直後の3番手をエピファネイアが追走していた[65]。少頭数の中でのバッドボーイ単独での逃げとなったために、前半の1000メートル地点通過が66.0秒というスローペースとなり、キズナは折り合いがつかなかった[64][66]。直線では、バッドボーイとキズナ、エピファネイアが横一線の3頭となっていたが、折り合いを欠いたキズナは、真っ先に脱落していた[67]。折り合いをつけて終いに伸びたエピファネイアに約半馬身以上、逃げたバッドボーイにクビ差先着を許した[68][64]。重賞勝利はおろか、賞金も加算できない3着、初めての敗北を喫した[42]。
3歳(2013年)
[編集]クラシック参戦までの道程
[編集]ラジオNIKKEI杯2歳ステークスの後は、短期間の放牧を挟み、皐月賞のトライアル競走である弥生賞(GII)で始動となった。この放牧はキズナの精神面の成長を促していた[66]。佐々木によればこの間に「幼稚園児が中学生になったくらい[66]」になったという。クラシック参戦を目指す重賞2着のない2勝馬キズナが、皐月賞出走を叶えるには、3着以内に入って優先出走権を得る必要があったが、重賞優勝馬のエピファネイアやコディーノが立ちはだかった[69]。エピファネイアとの再戦が実現していたが、人気に差が生じていた。エピファネイアが2.3倍の1番人気に対し、キズナは6.4倍の3番人気だった[69]。
スタートから後方を追走したが、またもスローペースに巻き込まれた[45]。直線で追い上げて、エピファネイアなどの先行勢に詰め寄ったが、エピファネイアにハナ差届かず、再び敗れた[70]。そればかりかエピファネイアは、カミノタサハラやミヤジタイガ、コディーノにも敗れる4着だった。つまりキズナは5着敗退で、皐月賞の優先出走権を逃していた[70]。
続いて3月23日、毎日杯(GIII)に参戦する。皐月賞3週間前に行われる中距離の重賞の毎日杯は、行われる時期や条件などから、長らく関西馬の皐月賞出走を叶える最後の機会「東上最終便」として認識されていた。しかしキズナ陣営は、弥生賞5着となり、優先出走権を逃した時点で、皐月賞参戦を諦めていた[71]。毎日杯から皐月賞の連戦は間隔が短いため、無理を強いらなかった。陣営は、目標をクラシック最高峰に位置づけられる第二戦・東京優駿(日本ダービー)のみに照準を合わせ、東京優駿に出走できるだけの収得賞金を確保するために出走していた[45]。
賞金加算の場に選んだ毎日杯といえば、3年前の2010年、武が落馬して負傷し、不調のきっかけとなった競走[注釈 5]だった[35]。このため武側のエージェントは、佐々木に対して毎日杯参戦に難色を示してそれ以外を望んでいたが[35]、武は覚悟を決めて騎乗を了承し、参戦が決定した[73][74]。13頭が出走する中、単勝オッズ1.5倍の1番人気での出走となった[75]。
スタートから後方を追走した。タイセイウインディやラブリーデイ、バッドボーイがハナ争いをしたために、前半の1000メートル地点を58.6秒で通過するハイペース、馬群が一団ではない縦長の状態だった[76][75]。先行勢が垂れて後方待機勢が有利となるハイペースに乗じたキズナは、10番手で直線を迎え、大外から末脚を発揮して、先行勢を次々に吸収して先頭を奪取していた[75]。
映像外部リンク | |
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2013年 毎日杯(GIII) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
その末脚には誰も抗えないままに独走となり、終いは武が促さずとも伸び続けて決勝線に到達していた[77][75]。重賞初勝利、後方につけた3馬身は、芝1800メートルで開催されるようになった2007年以降で最も大きな優勝着差だった[78][79]。毎日杯優勝に伴い、キズナは皐月賞に出走しうる賞金額に到達したが、目標の東京優駿に拘って、予定通り出走を見送った[80]。
映像外部リンク | |
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2013年 京都新聞杯(GII) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
中2週で弥生賞から毎日杯まで走ったキズナには、疲労が溜まっていた[81]。しかし佐々木は、東京優駿のために暇を与えなかった。毎日杯から東京優駿という「2か月ぶりの競馬で勝てるほど、ダービーは甘いレースではない[81]」という考えから、本番を前にもう一戦出走することとなった[81]。5月4日、東京優駿のトライアル競走ではないものの、主要な前哨戦として知られる京都新聞杯(GII)に出走する[82]。16頭立てとなる中、単勝オッズ1.4倍の1番人気だった[83]。
少し後れを取るスタートから最後方を追走し、ハイペースを追走した[84]。第3コーナーから加速して進出し、13番手で直線に向いてから追い上げていた[83]。末脚を発揮して先行勢を吸収していた[85][86]。先行有利の馬場状態だったが、それを克服してすべて差し切り、終いは手綱を緩める動作を見せながら決勝線に到達していた[87]。後方に1馬身半差をつけて、重賞2連勝を成し遂げた[83]。
東京優駿(日本ダービー)
[編集]参戦過程
[編集]5月26日、クラシック最高峰の東京優駿(日本ダービー)(GI)を重賞2連勝で迎える。出走が叶わなかった初戦の皐月賞は、朝日杯フューチュリティステークス優勝馬の1番人気ロゴタイプが優勝し、次いで2番人気エピファネイア、3番人気コディーノが入り、人気通りの決着となっていた。この上位3頭は揃って東京優駿に出走し、信頼揺るぐことなく上位人気を形成する[88]。ただし別路線から来た新興勢力のキズナが、それらを上回る1番人気をかっさらっていた[88]。キズナは、単勝オッズ2.9倍という信頼だった[89]。
2番人気以降は皐月賞の上位3頭、3.0倍のロゴタイプ、6.1倍のエピファネイア、7.6倍のコディーノであり[89]、そのほか、青葉賞優勝のヒラボクディープや2着のアポロソニック、共同通信杯優勝のメイケイペガスター、NHKマイルカップ優勝のマイネルホウオウなどが出走していた[89]。
ダービー4勝を誇る武は、4勝目となった2005年のディープインパクト以来となる東京優駿の1番人気だった。毎年のように参戦し、しかも有力馬に騎乗するなかで4勝を積み上げていた武だったが、2010年の落馬負傷により、1993年から17年続いたダービー連続参戦記録が止まっていた[90]。復帰したとしても低迷中の武に有力馬は得られず、参戦が叶っても二桁人気の伏兵で存在感がなかった[90]。そんな武に訪れたキズナとの参戦だった[88]。
与えられたのは1枠1番だった。ダービーの最内枠は、1968年タニノハローモアからは40年未勝利の枠番だったが、2008年ディープスカイが勝利すると、2009年ロジユニヴァース、2010年エイシンフラッシュが立て続けに優勝し、打って変わって好枠となっていた[91][92]。佐々木は、これまでのGI4勝のうち、2003年ジャパンカップのタップダンスシチー、2003年朝日杯フューチュリティステークスのコスモサンビーム、2011年宝塚記念のアーネストリーの3勝で1枠1番だったこともあり、好相性だった[92]。また武は、低迷する中で2年ぶりとなるJRAGI優勝を果たした2012年マイルチャンピオンシップのサダムパテックも1枠1番であり、課された最内枠は、キズナにとって追い風となっていた[92]。厩務員の田重田は、ゲート裏まで付き従わず、枠入れを係員に託している[93]。武から「スタンドのいいところで見ていてください[93]」と言われたためだった。
レース展開
[編集]横一線のスタートから控えて後方追走となった。アポロソニックがハナを奪って逃げ、サムソンズプライドがすんなり2番手を確保する形となり、前半の1000メートル地点通過60.3秒の平均ペースとなった[94]。キズナのライバルでは、逃げる2頭から離れた好位にロゴタイプが、その背後の中団馬群にエピファネイアと出遅れたコディーノがいた。そしてキズナは、それらを見渡せる後方15番手だった[94]。道中では、特にエピファネイアが折り合いを欠いて、途中大きく躓くなど、騎乗する福永祐一は制御できていなかった[95]。一方、後方の武は、キズナの本能に委ねる「馬なり」で走らせ、終盤での追い上げに向けて力を蓄えていた[94]。
映像外部リンク | |
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2013年 東京優駿(日本ダービー)(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 | |
2013年 東京優駿(日本ダービー)(GI) レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画 |
向こう正面の中間を過ぎると、好位に留まっていたメイケイペガスターが耐えきれずに進出を開始していた。逃げてペースを温存したいアポロソニックに接近し、さらにかわして先頭を奪取していた[96]。アポロソニックは、たやすく先頭を譲ったが、第3コーナーに差し掛かると、メイケイペガスターを追いかけるようになり、それを後ろで見ていた先行勢にも影響を及ぼしていた[96][94]。向こう正面で緩んだペースが解消され、先行勢による争いが早い段階で始まっていた[94]。されど後方のキズナは、依然として後方、最終コーナーを14番手で通過していた[97]。
直線では、先頭を取り返したアポロソニックが押し切りを図り、外からペプチドアマゾンとロゴタイプがそれに詰め寄り、さらに大外からエピファネイアやコディーノが迫る形となった[94]。やがて早めに動いたアポロソニックの脚が止まり、後から追い上げるペプチドアマゾンやロゴタイプ、エピファネイアらが優勢になる[94]。中でもエピファネイアの末脚が最も鋭かった。決勝線まで残り100ないし50メートルのところで他の3頭を退け、単独先頭を奪取していた[61][95]。
後方にいたキズナは、エピファネイアのさらに外、大外に持ち出してから追い上げていた[94]。残り400メートルのところで、前方の2頭[注釈 6][98]がふらついて進路を塞がれそうになったが、2頭の間に突っ込んでこじ開けていた[98]。進路を得た残り200メートル地点から、武はスパートを促すと、キズナは「爆発的な末脚[89]」(『優駿』)「エンジンに火がついてからは桁違いの勢いで加速[94]」(石田敏徳)「弾むようなフットワークで一気に加速[99]」(スポーツ報知)で応えていた[97]。単独先頭のエピファネイアに迫り、ゴール寸前で並びかけ、さらには差し切っていた。エピファネイアに半馬身差をつけたところで決勝線に到達した[89]。
記録
[編集]東京優駿、ダービー戴冠を成し遂げた。最終コーナー14番手通過からの優勝は、1986年以降では、2008年ディープスカイの15番手に次いで2番目に大きい逆転劇だった[100][101]。さらに1960年コダマ以来53年ぶり2度目となる3文字の馬による優勝であり、2000年アグネスフライト以来史上2頭目となる京都新聞杯優勝からの連勝、2008年ディープスカイ以来5年ぶりとなる皐月賞不出走馬による優勝だった[101]。それから史上初めてとなる青鹿毛による東京優駿優勝だった[102]。
また1998年桜花賞優勝の姉・ファレノプシスに続くクラシック優勝で、史上3例目となるクラシック姉弟優勝を果たしている[101]。兄姉との15歳差は、1996年東京優駿優勝のフサイチコンコルドと2009年皐月賞優勝のアンライバルド(母:バレークイーン)の13歳差を上回り、グレード制導入以降最も年齢差のあるGI優勝兄弟姉妹となった[27]。
齢 | 数 | 優勝馬 |
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4 | 1 | 1970年タニノムーティエ |
5 | 5 | 2009年ロジユニヴァースなど[注釈 7] |
6 | 10 | 2006年メイショウサムソンなど[注釈 8] |
7 | 7 | 1987年メリーナイスなど[注釈 9] |
8 | 5 | 2012年ディープブリランテなど[注釈 10] |
9 | 7 | 1993年ウイニングチケットなど[注釈 11] |
10 | 8 | 2010年エイシンフラッシュなど[注釈 12] |
11 | 12 | 2011年オルフェーヴルなど[注釈 13] |
12 | 8 | 1995年タヤスツヨシなど[注釈 14] |
13 | 3 | 1936年トクマサ 1938年スゲヌマ 1988年サクラチヨノオー |
14 | 6 | 1971年ヒカルイマイなど[注釈 15] |
15 | 2 | 1967年アサデンコウ 1977年ラッキールーラ |
16 | 3 | 1962年フェアーウイン 1981年カツトップエース 2003年ネオユニヴァース |
17 | 0 | なし |
18 | ||
19 | 1 | 1969年ダイシンボルガード |
20 | 2 | 1942年ミナミホマレ 2013年キズナ |
20歳でダービー馬を生み出したキャットクイルは、1942年優勝ミナミホマレの母フロリスト(競走名:フロラーカップ)に並ぶダービー優勝馬として最高齢の母となった[104]。付け加えてグレード制導入以降、クラシック優勝馬としては最高齢の母であり[25]、1995年マイルチャンピオンシップ優勝・トロットサンダーの母ラセーヌワンダに並ぶ平地GI優勝馬の最高齢の母となった[101]。
また父ディープインパクトにとっては、前年のディープブリランテに続いての連覇となり、1998年から2000年まで連覇したディープインパクトの父、キズナの祖父であるサンデーサイレンス以来となる種牡馬の連覇を果たしていた[105]。
父ディープインパクト、姉ファレノプシスをGIに導いたのは、どちらも武豊だった[99]。武は、1998年スペシャルウィーク、1999年アドマイヤベガ、2002年タニノギムレット、2005年ディープインパクトに続くダービー5勝目を挙げ、自身のダービー最多勝記録をさらに更新していた[25]。ディープインパクト産駒を初めてGI制覇に導いたうえに、ディープインパクトとキズナという父仔をダービータイトルに導き、史上8例目となるダービー父仔優勝[98]、しかも史上初めてとなる同一騎手が導いたダービー父仔優勝を成し遂げている[106]。そればかりかファレノプシスとキズナという姉弟をクラシックタイトルに導いていた。スタンド前のウイニングランでは「ユタカコール」が発生し、武もガッツポーズを披露していた[98]。低迷中のダービー優勝とあって、直後の場内インタビューでは、スタンドにこのように呼びかけていた。
この発言について武は「あそこに立ったとき、ファンの人たちの『豊、お帰り!!』という声がすごく聞こえて、それが胸に響いて、自然と出た言葉[97]」と回顧している。
またこの前週には、武の弟である武幸四郎が、メイショウマンボを導いて優駿牝馬(オークス)を優勝していた。したがって2000年秋華賞をティコティコタックで制した幸四郎、翌週の菊花賞をエアシャカールで制した豊以来となる武兄弟によるGI連勝を果たしている[100][105]。またその2000年の2週間に続いて2013年には、この東京優駿の1か月前に行われた桜花賞をアユサンで制したクリスチャン・デムーロ、翌週の皐月賞をロゴタイプで制したミルコ・デムーロが制していたため、史上3例目となる兄弟騎手によるGI連勝となっていた[100][105]。この年の春のクラシックは、すべて兄弟騎手の手に渡っている[105]。
佐々木は、アーネストリー以来のGI優勝であり、2005年東京優駿、武豊とディープインパクトに阻まれて2着となったインティライミなどを乗り越え、4回目の挑戦で初めてダービートレーナーとなっていた[107][100]。さらにノースヒルズは、開業29年、1992年ゴールデンゼウスと岡潤一郎で臨んだ初挑戦から21年、12頭目の参戦でダービー優勝を果たしている[108][109][110]。
岡は、武豊の次の年のJRA賞最多勝利新人騎手であったが、1993年2月に落馬事故により死去している[106]。前年のゴールデンゼウスが最後のダービー騎乗だった[106]。それから20年後、岡の母は、岡の写真を膝に抱え、正座してキズナと武に声援を送っていたという[106][62]。またノースヒルズの前田は「この勝利を親友の山本将裕くんと佐藤哲三騎手に捧げる[110]」と述べている。山本将裕とは、不慮の事故のために32歳で亡くなったホースマン、北海道えりも町の生産牧場エクセルマネジメントの社長だった[108][109][110]。治療中の佐藤は、病院のテレビでキズナの戴冠を見届けていた[111]。
フランス遠征
[編集]ニエル賞
[編集]東京優駿を優勝した後のキズナは、大山ヒルズで休養となる[112]。次なる目標は、フランスの凱旋門賞に定められた。陣営は凱旋門賞遠征を、デビューする以前から検討しており[113]、京都新聞杯を優勝した時点で出走登録を済ませていた[114]。陣営は、東京優駿優勝を遠征の条件として自らに課していたが、キズナはそれを乗り越えていた。元騎手だった佐々木にとってヨーロッパ、とりわけ凱旋門賞は憧れの舞台だった[115]。かつて7歳のタップダンスシチーで遠征し出走を叶えていたが、その参戦過程で輸送トラブルに遭遇する不運があった。このトラブルが影響して凱旋門賞2日前のフランス入りとなるなど、事前に組み立てた計画から逸れた不本意な参戦となり、敗退していた[116][117]。
それから佐々木は、再挑戦の機会を狙っていた。2011年には、キズナが1歳の頃の宝塚記念にて、佐々木とノースヒルズと佐藤のアーネストリーで優勝し、翌2012年の凱旋門賞挑戦の構想が持ち上がったが、結局叶わなかった[116][118]。アーネストリーのためにあらゆる手配をしていたノースヒルズのスタッフだったが、2012年10月7日、キズナのデビュー日でもある凱旋門賞当日には、フランスに赴いている[42]。アーネストリー不参戦により、ただ将来のために見学するだけだったが、その1年後にキズナがその凱旋門賞に参戦することとなっていた[42]。
フランス遠征でも継続して武が起用された。武は2006年の凱旋門賞を、キズナの父ディープインパクトで参戦している。クラシック三冠達成馬での参戦は大きな期待を背負いながら、レイルリンクやプライドに後れる3位入線となり、しかも後に失格処分となるという、後味の悪い結果となっていた[119][99]。それから8年後、その無念を晴らす格好の機会となるディープインパクトの仔での参戦を叶えていた[119][120]。
当初は、夏の札幌記念を国内最終戦とし、それから遠征して10月の本番に臨む計画が浮上していたが、早めに遠征し現地で前哨戦を消化することとなった[121][122]。前田は、美浦トレーニングセンターの尾関知人調教師に託している4歳馬ステラウインド(父:ゼンノロブロイ)を帯同馬として用意していた[123]。日本調教馬による3歳での凱旋門賞参戦は、2010年皐月賞を優勝したヴィクトワールピサに続いて2例目[124]、その年のダービー優勝馬による参戦は史上初めてだった[113]。3歳での参戦は、負担重量の恩恵があるために有利に働くと考えられていたためだった[124]。9月1日にフランスに渡り、現地では、ヴィクトワールピサと同じシャンティイ調教場のパスカル・バリー厩舎の馬房を借りて滞在した[124][125]。
9月15日、凱旋門賞と同じロンシャン競馬場の芝2400メートル、されど3歳馬限定のニエル賞(G2)に参戦する。初顔合わせとなるヨーロッパ調教馬、イギリスダービー優勝のルーラーオブザワールド、パリ大賞優勝のフリントシャーなどが相手となり、中でもルーラーオブザワールドとの対決は、日英ダービー優勝馬対決として注目を集めた[126][127]。現地でのキズナの評価は、4番人気だった[128]。前哨戦のために「70点もいってない[129]」(佐々木)状態だった。
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2013年 ニエル賞(G2) レース映像 Equidia公式YouTubeチャンネルによる動画 |
3番枠からスタートして控えて後方で待機。ヨーロッパのスローペースに順応して、折り合いをつけて追走した[130]。後方のままフォルスストレートを経て、直線では馬なりのまま進出して先行勢との距離を縮めた[130]。残り200メートル地点から武が促して末脚を発揮すると、先行していたフリントシャーを差し切り先頭を奪取していた[131]。しかしゴール寸前、内で間隙を突いたルーラーオブザワールドが末脚を発揮しており、キズナに急接近[132]。日英ダービー優勝馬が全く並んで決勝線に飛び込んでいた[133]。優劣は写真判定に持ち込まれ、キズナの「短頭」差先着が判明した[96][131]。
凱旋門賞
[編集]そして10月6日、本番の凱旋門賞(G1)に参戦する。前田が11番枠[注釈 16]を引き当てていた[135]。17頭立てとなり、ルーラーオブザワールドとフリントシャーとの再戦となるほか、別路線組も合流していた。キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで大きな差をつけて勝利するなど4連勝中のノヴェリスト、チャンピオンステークス優勝など連勝中のザフューグ、さらにデビューから無敗、フランスオークスとヴェルメイユ賞を連勝中の3歳牝馬トレヴ、フランスダービー優勝のアンテロなどヨーロッパの強豪が立ちはだかり、日英仏ダービー馬対決が実現していた[136][137]。それから他の日本調教馬は、2011年のクラシック三冠を成し遂げたオルフェーヴルが参戦していた。
キズナと同じ日本調教馬のオルフェーヴルは、前年の凱旋門賞でソレミアに敵わず2着という実績があり、この年の再挑戦は大きな注目を集めていた[138]。キズナと同じように同条件の前哨戦、フォワ賞を優勝してからの参戦だった。凱旋門賞には主要なトライアル競走が3つ用意されていたが、そのうち2つを2頭の日本調教馬で占めていた[139]。しかも直前になって、対抗馬と目されていたノヴェリストとザフューグが揃って回避となり、俄然日本調教馬初優勝の期待が高まっていた[140]。現地では、オルフェーヴルが1番人気、トレヴが2番人気、そして3番人気がキズナだった[138]。日本勢にとって凱旋門賞は、敵地の不利を克服しながらヨーロッパの強豪を負かす大舞台として認識されていた[138]。しかしこの年は参戦した2頭が共に有力視されており、お互い凱旋門賞を争うライバルと認識しながら臨んでいた[141]。
外国特有のペースメーカー不在の中、スローペースとなった[142]。オルフェーヴルが中団後方、トレヴがその直後でマークし、キズナはその2頭のさらに後ろ、後方を追走した[142][143]。最終コーナーを経て、フォルスストレートに差し掛かると、トレヴが外から進出。内側のオルフェーヴルを合法的に閉じ込める形を作っていた[142]。キズナは、後れてトレヴと同じ進路を辿り、オルフェーヴルの進出を遅らせるとともに、先に動いたトレヴの後を追った[142]。本当の直線に差し掛かり、キズナは武に促されて加速し、トレヴに接近を試みた[144]。しかし鋭い末脚を発揮することができなかった[145]。トレヴには、反対に突き放された[146]。おまけにオルフェーヴルにも、アンテロにもかわされていた[144]。
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2013年 凱旋門賞(G1) レース映像 Equidia公式YouTubeチャンネルによる動画 |
トレヴに7馬身以上突き放されて戴冠ならず、オルフェーヴルやアンテロにも2馬身後れを取る4着だった[147][148]。この年の凱旋門賞について、石田敏徳は、優勝したトレヴが傑出した能力を持つ大物だったとし、4着のキズナについて「標準的な年のレベルなら優に勝利に手が届く能力[149]」を発揮していたと振り返っている[149]。なお4着という結果は、日本の3歳馬の最高成績である[注釈 17]。この直後、前田は翌年の再挑戦を予告していた[150]。トレヴのオーナーであるカタール王族のジョアン・アル・サーニ殿下の代理人からは、キズナの売却オファーもあったという[151]。
この後、帰国したキズナは、暮れの有馬記念参戦を予定する[152]。凱旋門賞2着のオルフェーヴルとの再対決、引退するため最終対決が期待されていた[153]。ファン投票でもワンツー、キズナは2位となっていた[154]。しかし直前、体制が整わなかったことから、出走を断念[155]。大山ヒルズで放牧となった[156]。この年のJRA賞では、全280票中242票を集めてJRA賞最優秀3歳牡馬を受賞している[5]。参戦しなかった菊花賞を優勝した次点・エピファネイアを38票に抑えて選出された[5]。
4歳(2014年)
[編集]産経大阪杯
[編集]年をまたいで古馬になり、2月19日に帰厩する[157]。この年の最大目標は、秋の凱旋門賞再挑戦、優勝であったが、空いた上半期は、日本に留まることとなった[157]。まず4月6日の産経大阪杯(GII)で始動となる。あくまで通過点のGII競走でわずか8頭立てだったが、少数精鋭で強力な相手が顔を揃えていた[158]。
前年のクラシックを争い同期で菊花賞を優勝したエピファネイア、既にGI3勝を挙げた同期の牝馬二冠馬メイショウマンボ、同じくノースヒルズ所有で天皇賞(春)優勝馬ビートブラックなどが参戦する中で[159]、エピファネイアに1番人気を譲る2番人気、単勝オッズ2.4倍だった[160]。日本では1年弱ぶりの復帰戦となり、久しぶりに出走直前に計量が行われて公開されている[161]。馬体重は、前回の出走となった東京優駿よりも20キログラム増加した498キログラムであり、これはキズナ自身の成長分だった[162][161]。
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2014年 産経大阪杯(GII) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
スタートからカレンミロティックやトウカイパラダイス、ビートブラックという伏兵が積極的に先行し、他を引き離して逃げていた[160]。一方のキズナは、3頭から離れて形成された他5頭による馬群の後方、エピファネイアを前方に据える最後方を追走していた[163]。3頭は大逃げに持ち込んでいたが、互いに牽制することはせず、ペースは極端にならなかった[163]。前半の1000メートル地点を平均ペースの60.5秒で通過し、自らが不利な展開に嵌らなかった[161][164]。
そのため、後方勢は早めの進出を心掛けるようになっていた[161]。しかし最後方のキズナは、直ちに進出しなかった[160]。マークしているエピファネイアの進出開始を確認してから、タイミングを遅らせて進出し、エピファネイアの背後で我慢。直線で大外に持ち出し、溜めていた末脚を発揮していた[163]。エピファネイアを一気にかわして置き去りにし、そのままの勢いで逃げ粘るトウカイパラダイスやカレンミロティックを差し切っていた[164][162]。
トウカイパラダイスやエピファネイアに1馬身半差をつけ、産経大阪杯を戴冠していた。この勝利は、馬主前田晋二のJRA通算200勝目であり、生産者ノースヒルズの重賞通算100勝目だった[165]。
骨折、凱旋門賞断念
[編集]続いて5月4日、天皇賞(春)(GI)に参戦する。GI4勝のゴールドシップ、GIでオルフェーヴルに次ぐ2着3回のウインバリアシオン、前年優勝のフェノーメノなど、古馬の一線級が立ちはだかったが、キズナは、単勝オッズ1.7倍という信頼で1番人気だった[166]。スタートから主張せず、最後方をゴールドシップとともに追走し、2周目の第3コーナーから外に持ち出して進出[166][167]。直線では大外からスパートし、先を行くフェノーメノやウインバリアシオンに接近を試みた[167]。しかし末脚が発揮できなかった。伸びを欠いて、その2頭に反対に突き放された[167]。終いには、一度かわしたホッコーブレーヴに接近を許して差し返されて、4着だった[166][167]。
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2014年 天皇賞(春)(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
道中で不利がないにもかかわらず伸びを欠き、陣営にとって不可解な敗戦だった[167][168][169]。そこで後日、キズナを検査に出し、状態を点検したところ、天皇賞(春)出走中に発症したと思われる骨折、5ミリメートル四方の骨片が剥離する左前脚第3手根骨骨折で、全治9か月[167][170]。佐々木によれば「普通なら競走能力喪失と判断される骨折[171]」だったが、引退することなく現役続行となった[172]。
続く宝塚記念も、かねてから目標としてきた凱旋門賞再挑戦も、当然断念となった[167][173]。まもなく、内視鏡による骨片除去手術が行われ、5月18日に大山ヒルズで放牧となった[174]。初めの1か月半は、馬房に留め置かれて休養したが、7月から曳き運動を再開[174]。12月12日に栗東に帰還した[175]。
5歳(2015年)
[編集]復帰
[編集]年をまたいでから調教の強度を高め、2月15日の京都記念(GII)で復帰となる。前年の桜花賞優勝馬ハープスター、中山金杯で重賞初優勝を果たしたばかりのラブリーデイらが相手となる中、ハープスターに次ぐ2番人気に推されていた[176]。4番人気スズカデヴィアスがスローペースで逃げる一方で、最後方を追走した[176]。直線で大外に持ち出してから末脚を発揮し、スズカデヴィアスと先行して粘るラブリーデイに詰め寄って並びかけていた[176]。しかし差し切るまでには至らなかった。ラブリーデイにハナとクビ、スズカデヴィアスにクビ差及ばず3着だった[176]。敗れたものの、長期休養明けのために陣営は悲観しなかった[172][175]。この年の最大目標もまた秋の凱旋門賞、同じように春は国内専念とし、秋以降に挑む計画を立てていた[175]。
続いて前年と同様に、4月5日の産経大阪杯に参戦した。前年の天皇賞(秋)優勝馬スピルバーグ、同期の皐月賞優勝馬ロゴタイプ、前年のエリザベス女王杯優勝馬ラキシスのほか、NHKマイルカップ優勝馬カレンブラックヒルやジャパンカップ優勝馬ショウナンパンドラが出走し、GI優勝馬6頭による対決となっていた[177]。その中でもキズナは、叩き2戦目とあって信頼され、単勝オッズ1.4倍の1番人気だった[177]。
不良馬場を舞台にスタートし、後方を追走。前方で固まった馬群の外側に持ち出し、最終コーナー手前から進出を開始した[178]。直線を12番手で向き、末脚を発揮すると、先行勢をすべて差し切り、直線の中間地点で先頭を奪取していた[177]。しかしこの直後に、内から追い上げたラキシスに接近を許した[177]。ラキシスの末脚は、キズナのそれを上回るもので、キズナはそれに張り合うことができなかった[179]。先頭を明け渡して独走を許し、2馬身後れる2着だった[177]。
続いて5月3日、前年に故障した天皇賞(春)に参戦し、単勝オッズ3.3倍の1番人気という信頼だった[180]。スタートから後方を追走して追い込んだが、末脚を発揮できなかった[181]。ゴールドシップやフェイムゲームに大きく後れを取る7着敗退[180]。再び、明確な敗因が得られないままの敗戦となる[181][182]。
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2015年 天皇賞(春)(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
前年と同様に、騎乗に問題はなく、不利も被らないままの敗戦だった。佐々木は、前年のような骨折を疑ったが、問題はなかった[171]。ひとえにキズナ自身の走る気持ちに問題があった[171]。佐々木は「トップスピードになるのが嫌なのかな。4速、5速に上げて、(6速があるのに)またすぐ4速に下げている感じ[182]」になっていたという。2年連続で天皇賞(春)1番人気を裏切っていた[182]。
屈腱炎、引退
[編集]この後は、大山ヒルズでの放牧を挟んで、続いて宝塚記念を目指したが、放牧中に疲労が目立つために回避[183]。体制が整わないために、この直後に締め切られた凱旋門賞への出走登録を行わず、前年に続いて再挑戦を断念した[184][183]。切り替えて前田は、翌2016年の凱旋門賞再挑戦の構想があることを示していた[185][186]。
休養中は、枷になっているキズナの精神的な不安を取り払うために、夏季一杯を使って休養[注釈 18]となった[171]。国内専念となった秋は、天皇賞(秋)直行からジャパンカップ、そして暮れの有馬記念を予定する[171]。中でも天皇賞(秋)とジャパンカップは、優勝した東京優駿以来で得意の左回り、東京競馬場参戦であり、落ち目のキズナが復権する絶好の機会として期待されていた[171]。回復に時間をかけ、天皇賞(秋)直行に向けて9月18日、栗東に帰厩していた[187]。
しかし帰厩から数日後の9月20日、右前繋部浅屈腱炎が判明し、競走馬引退に追い込まれる[188][187]。キズナには、凱旋門賞再挑戦や東京競馬場参戦も許されなかった[151][187]。骨折の後、復活の勝利を挙げることは叶わなかった。佐々木は「復帰してからも、骨がひとつ足りていないような状態でした。何とか無事にという仕上げが精一杯で、納得できる調教はできず、絞り切れなくなってしまいました[189]」と回顧している。9月24日、日本中央競馬会の競走馬登録を抹消される[4]。
種牡馬時代
[編集]競走馬引退後は、父ディープインパクトと同じ北海道安平町の社台スタリオンステーションで、種牡馬として繋養された[190]。供用に際しては、総額9億円のシンジケートが結成されていた[190]。初年度となる2016年は、269頭の繁殖牝馬を集めた[191]。それ以降、毎年のように三桁、200頭近い繁殖牝馬を集め続けている[191]。
2025年度は、2024年の1200万円から800万円増えて、2000万円になった。これは、イクイノックスとキタサンブラックの種付け料に並んだことになる[192]。
産駒は、2019年から競走馬として走っており、初年度から重賞優勝産駒を多数輩出している[191]。例えば、初年度産駒のアカイイト(牝、母父:シンボリクリスエス)は、2021年エリザベス女王杯を優勝[193]。また2年目産駒のソングライン(牝、母父:シンボリクリスエス)も、2022年安田記念を優勝したように、複数のGI級競走優勝産駒も生み出している[194]。
2021年には、初年度産駒のディープボンドが凱旋門賞に挑んでいる。本戦は敗れてしまったが、前哨戦のフォワ賞を優勝しており、父仔揃って凱旋門賞のトライアル競走優勝を成し遂げている[195]。ディープボンドは、続く2022年も挑戦し、現地で前哨戦を用いない直行で挑んだが、下位に敗れている[196][197]。
エピソード
[編集]小説家の島田明宏は、東日本大震災後の経験を題材に、ノースヒルズの前田をモデルにしたオーナーが、「キズナ」(父:シルバーチャーム、母父:ホワイトストーン)という馬を所有し東京優駿を目指す、という設定の物語を練り上げ、2012年から競馬サイトnetkeiba.comにて連載していた[102][198]。しかしその後、本物の「キズナ」が出現し、実際に東京優駿を優勝していた[198]。そのため2017年に改題加筆を経て、上梓された『絆〜走れ奇跡の子馬〜』では、馬の名前がフランス語で「北の絆」を意味する「リヤンドノール」に変更されている[199][198]。それから2015年には、本物のキズナを題材とした2曲、関根奈緒が歌唱し、島田が作詞、田村武也が作曲編曲した『キズナ きらめく風になれ』『よみがえる想い』が発売されている[200]。
競走成績
[編集]以下の内容は、netkeiba.com[201]並びにJBISサーチ[202]、『優駿』[203]の情報に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 (馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上がり3F) |
着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬 (2着馬) |
馬体重 [kg] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012.10. 7 | 京都 | 2歳新馬 | 芝1800m(良) | 7 | 5 | 5 | 2.0(1人) | 1着 | 1:51.6(33.8) | -0.3 | 佐藤哲三 | 55 | (リジェネレーション) | 482 | |
11.11 | 京都 | 黄菊賞 | 500万下 | 芝1800m(稍) | 10 | 4 | 4 | 2.0(1人) | 1着 | 1:49.8(35.2) | -0.4 | 佐藤哲三 | 55 | (トーセンパワフル) | 488 |
12.22 | 阪神 | ラジオNIKKEI杯2歳S | GIII | 芝2000m(稍) | 7 | 6 | 6 | 2.9(2人) | 3着 | 2:05.5(34.5) | 0.1 | 武豊 | 55 | エピファネイア | 492 |
2013. 3. 3 | 中山 | 弥生賞 | GII | 芝2000m(良) | 12 | 5 | 6 | 6.4(3人) | 5着 | 2:01.1(34.8) | 0.1 | 武豊 | 56 | カミノタサハラ | 480 |
3.23 | 阪神 | 毎日杯 | GIII | 芝1800m(良) | 13 | 5 | 6 | 1.5(1人) | 1着 | 1:46.2(34.3) | -0.5 | 武豊 | 56 | (ガイヤースヴェルト) | 482 |
5. 4 | 京都 | 京都新聞杯 | GII | 芝2200m(良) | 16 | 3 | 5 | 1.4(1人) | 1着 | 2:12.3(34.5) | -0.2 | 武豊 | 56 | (ペプチドアマゾン) | 480 |
5.26 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 18 | 1 | 1 | 2.9(1人) | 1着 | 2:24.3(33.5) | -0.1 | 武豊 | 57 | (エピファネイア) | 478 |
9.15 | ロンシャン | ニエル賞 | G2 | 芝2400m(重) | 10 | 3 | 8 | [注釈 19](4人) | 1着 | 2:37.6 | 武豊 | 58 | (Ruler of the World) | 計不 | |
10. 6 | ロンシャン | 凱旋門賞 | G1 | 芝2400m(稍) | 17 | 11 | 14 | [注釈 20](3人) | 4着 | 武豊 | 56 | Treve | 計不 | ||
2014. 4. 6 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 芝2000m(良) | 8 | 7 | 7 | 2.4(2人) | 1着 | 2:00.3(33.9) | -0.2 | 武豊 | 58 | (トウカイパラダイス) | 498 |
5. 4 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(良) | 18 | 7 | 14 | 1.7(1人) | 4着 | 3:15.2(34.0) | 0.1 | 武豊 | 58 | フェノーメノ | 492 |
2015. 2.15 | 京都 | 京都記念 | GII | 芝2200m(良) | 11 | 4 | 4 | 2.3(2人) | 3着 | 2:11.5(33.3) | 0.0 | 武豊 | 57 | ラブリーデイ | 514 |
4. 5 | 阪神 | 産経大阪杯 | GII | 芝2000m(不) | 14 | 5 | 7 | 1.4(1人) | 2着 | 2:03.2(36.0) | 0.3 | 武豊 | 57 | ラキシス | 506 |
5. 3 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 芝3200m(良) | 17 | 7 | 13 | 3.3(1人) | 7着 | 3:15.2(34.9) | 0.5 | 武豊 | 58 | ゴールドシップ | 504 |
種牡馬成績
[編集]年度別成績
[編集]以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[191]。
種付年度 | 種付頭数 | 生産頭数 | 血統登録頭数 | 出走頭数 | 勝馬頭数 | 重賞勝馬頭数 | AEI | CPI | 該当GI級優勝産駒 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 269 | 184 | 182 | 168 | 129 | 11 | 2.07 | アカイイト | |
2017 | 212 | 138 | 138 | 129 | 101 | 5 | 2.17 | ソングライン | |
2018 | 152 | 113 | 111 | 100 | 77 | 2 | 1.77 | ||
2019 | 164 | 107 | 107 | 90 | 61 | 1 | 2.02 | ||
2020 | 242 | 171 | 168 | 141 | 56 | 4 | 2.43 | ||
2021 | 195 | 139 | 136 | 0 | - | - | - | ジャスティンミラノ | |
2022 | 170 | 119 | 119 | 0 | - | - | - | ||
2023 | 152 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | ||
合計 | 961 | 628 | 424 | 76 | 2.09 | 1.79 |
- 情報は、2024年4月16日時点。
重賞優勝産駒
[編集]GI級競走優勝産駒
[編集]太字強調は、GI級競走を表す。
- 2017年産
- 2018年産
- 2021年産
- ジャスティンミラノ(2024年共同通信杯、皐月賞)- 母父:Exceed And Excel
グレード制重賞優勝産駒
[編集]- 2017年産
- ビアンフェ(2019年函館2歳ステークス、2020年葵ステークス、2021年函館スプリントステークス)- 母父:サクラバクシンオー[204]
- キメラヴェリテ(2019年北海道2歳優駿)- 母父:Cozzene[205]
- クリスタルブラック(2020年京成杯)- 母父:タイキシャトル[206]
- マルターズディオサ(2020年チューリップ賞、紫苑ステークス)- 母父:Grand Slam[207]
- アブレイズ(2020年フラワーカップ)- 母父:ジャングルポケット[208]
- ディープボンド(2020年京都新聞杯、2021年阪神大賞典、フォワ賞、2022年阪神大賞典)- 母父:キングヘイロー [209]
- シャムロックヒル(2021年マーメイドステークス)- 母父:Tapit[210]
- テリオスベル(2022年クイーン賞、2023年ブリーダーズゴールドカップ)- 母父:クロフネ[211]
- ハギノアレグリアス(2023年名古屋大賞典、シリウスステークス、2024年シリウスステークス)- 母父:ジェネラス[212]
- 2018年産
- ファインルージュ(2021年フェアリーステークス、紫苑ステークス)- 母父:ボストンハーバー[213]
- バスラットレオン(2021年ニュージーランドトロフィー、2022年ゴドルフィンマイル、2023年1351ターフスプリント)- 母父:ニューアプローチ[214]
- ステラリア(2023年福島牝馬ステークス)- 母父:Motivator[215]
- 2019年産
- 2020年産
- 2021年産
- 2022年産
- マジックサンズ(2024年札幌2歳ステークス)- 母父:キングカメハメハ
- ブラウンラチェット(2024年アルテミスステークス)- 母父:Congrats
- エリキング(2024年京都2歳ステークス)- 母父:High Chaparral
地方制重賞優勝産駒
[編集]- 2017年産
- シュアゲイト(2023年サンタアニタトロフィー)- 母父:デヒア[217]
- 2018年産
- 2019年産
- キャリックアリード(2024年秋桜賞)- 母父:Galileo
- 2021年産
血統
[編集]キズナの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | サンデーサイレンス系 |
[§ 2] | ||
父 ディープインパクト 2002 鹿毛 |
父の父 *サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 |
Hail to Reason 1958 | |
Cosmah 1953 | ||||
Wishing Well 1975 |
Understanding 1963 | |||
Mountain Flower 1964 | ||||
父の母 *ウインドインハーヘアWind in Her Hair 1991 鹿毛 |
Alzao 1980 |
Lyphard 1969 | ||
Lady Rebecca 1971 | ||||
Burghclere 1977 |
Busted 1963 | |||
Highclere 1971 | ||||
母 *キャットクイル Catequil 1990 鹿毛 |
Storm Cat 1983 黒鹿毛 |
Storm Bird 1978 |
Northern Dancer 1961 | |
South Ocean 1967 | ||||
Terlingua 1976 |
Secretariat 1970 | |||
Crimson Saint 1969 | ||||
母の母 Pacific Princess1973 鹿毛 |
Damascus 1964 |
Sword Dancer 1956 | ||
Kerala 1958 | ||||
Fiji 1960 |
Acropolis 1952 | |||
Riffi 1954 | ||||
母系(F-No.) | Pacific Princess系(FN:13-a) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Northern Dancer 5×4 | [§ 4] | ||
出典 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 久保道雄厩舎時代
- ^ 新井仁厩舎にて、田重田は厩務員、佐々木は技術調教師だった[47]。
- ^ 中央競馬が開催される競馬場全10場で開催される重賞をすべて優勝すること
- ^ 第1回、前々身にあたるラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス時代。優勝は、ニホンピロビッキー(父:トウショウボーイ)
- ^ かつての名手で武も憧れた福永洋一の落馬、引退に追い込まれた負傷も毎日杯、1979年毎日杯だったことも、印象が悪かった[72]。
- ^ マイネルホウオウとタマモベストプレイ
- ^ 1996年フサイチコンコルド、1976年クライムカイザー、1965年キーストン、1934年フレーモア
- ^ 1999年アドマイヤベガ、1997年サニーブライアン、1992年ミホノブルボン、1991年トウカイテイオー、1985年シリウスシンボリ、1972年ロングエース、1952年クリノハナ、1949年タチカゼ、1947年マツミドリ
- ^ 1983年ミスターシービー、1978年サクラショウリ、1975年カブラヤオー、1973年タケホープ、1954年ゴールデンウエーブ、1948年ミハルオー
- ^ 2001年ジャングルポケット、1998年スペシャルウィーク、1979年カツラノハイセイコ、1955年オートキツ
- ^ 1989年ウィナーズサークル、1984年シンボリルドルフ、1958年ダイゴホマレ、1956年ハクチカラ、1940年イエリユウ、1933年カブトヤマ
- ^ 2008年ディープスカイ、2004年キングカメハメハ、2000年アグネスフライト、1994年ナリタブライアン、1982年バンブーアトラス、1957年ヒカルメイジ、1950年クモノハナ
- ^ 2007年ウオッカ、2005年ディープインパクト、2002年タニノギムレット、1990年アイネスフウジン、1986年ダイナガリバー、1968年タニノハローモア、1961年ハクシヨウ、1960年コダマ、1937年ヒサトモ、1935年ガヴアナー、1932年ワカタカ
- ^ 1980年オペックホース、1974年コーネルランサー、1966年テイトオー、1964年シンザン、1959年コマツヒカリ、1953年ボストニアン 、1939年クモハタ
- ^ 1963年メイズイ、1951年トキノミノル、1944年カイソウ、1943年クリフジ、1941年セントライト
- ^ ニエル賞では枠番「3」、凱旋門賞では枠番「11」[120]。3月11日をきっかけに生まれた「絆」という名前を持った馬、そして3番、11番で繋がる本番を、武は自覚しており、意気込んで臨んでいた[134]。
- ^ 2023年現在。詳細は当該ページを参照
- ^ 過去に佐々木は、同じように故障の過去に囚われて不調を患った馬コスモサンビームを改心させ、復調させている[171]。コスモサンビームは2歳時に朝日杯フューチュリティステークスを優勝したが、その後骨折し1年間の休養を余儀なくされた。完治を経て復帰しても連敗、そんな状況で佐々木は、コスモサンビームに連闘策を課して、2005年スワンステークス優勝、復調に導いていた[171]。このような成功体験がある佐々木だったが、キズナには、そのような処置を行わなかった[171]。
- ^ 現地
- ^ 現地
出典
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- 石田敏徳「【コントレイル&デアリングタクト 無敗の二冠馬のすべて】コントレイル 上昇一途の駿才」
- 島田明宏「【コントレイル&デアリングタクト 無敗の二冠馬のすべて】前田幸治 チャレンジングスピリットを胸に」
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- 石田敏徳「【無敗の三冠馬】コントレイル 負けを知らない馬の"本気"」
- 1998年8月号
- 各号「【重賞プレイバック】出走JRA重賞競走」
- 2013年2月号(ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)
- 2013年5月号(弥生賞、毎日杯)
- 2013年7月号(東京優駿、京都新聞杯)
- 2014年6月号(産経大阪杯)
- 2014年7月号(天皇賞(春))
- 2015年4月号(京都記念)
- 2015年6月号(産経大阪杯)
- 2015年7月号(天皇賞(春))
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- キズナ - 競走馬のふるさと案内所
- キズナ - 社台スタリオンステーション