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[[画像:基礎自治体位置図 01367.svg|thumb|北海道奥尻郡の位置]] |
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'''奥尻郡'''(おくしりぐん)は、[[北海道]]([[後志国]])[[檜山振興局]]の[[郡]]。 |
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2021年9月6日 (月) 06:49時点における版
人口2,166人、面積142.99km²、人口密度15.1人/km²。(2024年11月30日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
- 奥尻町(おくしりちょう)
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記1町のまま変更されていない。
歴史
郡発足までの沿革
日本書紀に記された、斉明天皇6年3月に阿倍比羅夫が粛慎の砦を陥落させた弊賂弁嶋は、現在の奥尻島にあたるといわれている(粛慎の本拠地、樺太とする説もある)。
室町時代には、享徳3年8月28日に松前藩祖・武田信広公が漂着。文明元年6月5日、若狭国の僧随芳が草庵を建立。これは延徳2年大館(渡島国津軽郡松前)に移り松前山法源寺となった。弘治元年7月、上杉謙信の臣宇田遠江守師長が従者3名と漂着。
江戸時代、奥尻郡域は和人地となる。松前藩によってヲコシリ場所が開かれ、元和3年5月、松前山法源寺第4世芳龍が、現在の青苗地区に空谷大仙寺を建立。寛文7年空谷山大仙寺が松前城下蔵町に移転。安永年間には薬師村(現在の奥尻町字松江)の少彦名神社が創建されている。
江戸時代後期の文化4年には、奥尻郡域は天領とされた。文政4年には松前藩の元に戻されたものの、安政2年再び天領となり津軽藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して奥尻郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び全域が開拓使の管轄となる。
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての奥尻郡が発足。
- 明治13年(1880年)1月 - 久遠郡外三郡役所(久遠奥尻太櫓瀬棚郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により函館県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)
- 明治24年(1891年)3月 - 檜山郡外五郡役所(檜山爾志久遠奥尻太櫓瀬棚郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、檜山支庁の管轄となる。
- 明治39年(1906年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、釣懸村、赤石村、薬師村、青苗村の区域をもって奥尻村(二級村)が発足。(1村)
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道檜山支庁の管轄となる。
- 昭和41年(1966年)1月1日 - 奥尻村が町制を施行して奥尻町となる。(1町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 檜山支庁が廃止され、檜山振興局の管轄となる。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 1 北海道