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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 79 | 47 | 4 | .627 | - |
2位 | 阪神タイガース | 77 | 49 | 4 | .611 | 2.0 |
3位 | 大洋ホエールズ | 69 | 57 | 4 | .548 | 10.0 |
4位 | 広島東洋カープ | 62 | 60 | 8 | .508 | 15.0 |
5位 | 中日ドラゴンズ | 55 | 70 | 5 | .440 | 23.5 |
6位 | ヤクルトアトムズ | 33 | 92 | 5 | .264 | 45.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | ロッテオリオンズ | 80 | 47 | 3 | .630 | - |
2位 | 南海ホークス | 69 | 57 | 4 | .548 | 10.5 |
3位 | 近鉄バファローズ | 65 | 59 | 6 | .524 | 13.5 |
4位 | 阪急ブレーブス | 64 | 64 | 2 | .500 | 16.5 |
5位 | 東映フライヤーズ | 54 | 70 | 6 | .435 | 24.5 |
6位 | 西鉄ライオンズ | 43 | 78 | 9 | .355 | 34.0 |
日本シリーズ
→詳細は「1970年の日本シリーズ」を参照
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月27日(火) | 第1戦 | ロッテオリオンズ | 0 - 1 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月28日(水) | 第2戦 | ロッテオリオンズ | 3 - 6 | 読売ジャイアンツ | |
10月29日(木) | 移動日 | ||||
10月30日(金) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 5 - 3 | ロッテオリオンズ | 東京スタジアム |
11月1日(日) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 5 - 6 | ロッテオリオンズ | |
11月2日(月) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 6 - 2 | ロッテオリオンズ | |
優勝:読売ジャイアンツ(6年連続14回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 王貞治 | 巨人 | 木樽正明 | ロッテ | ||
最優秀新人 | 谷沢健一 | 中日 | 佐藤道郎 | 南海 | ||
首位打者 | 王貞治 | 巨人 | .325 | 張本勲 | 東映 | .383 |
本塁打王 | 王貞治 | 巨人 | 47本 | 大杉勝男 | 東映 | 44本 |
打点王 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 105点 | 大杉勝男 | 東映 | 129点 |
最多安打 | 王貞治 | 巨人 | 138本 | 張本勲 | 東映 | 176本 |
盗塁王 | 東条文博 | ヤクルト | 28個 | 福本豊 | 阪急 | 75個 |
最多出塁数(セ) 最高出塁率(パ) |
王貞治 | 巨人 | 263個 | 張本勲 | 東映 | .467 |
最優秀防御率 | 村山実 | 阪神 | 0.98 | 佐藤道郎 | 南海 | 2.05 |
最多勝利 | 平松政次 | 大洋 | 25勝 | 成田文男 | ロッテ | 25勝 |
最多奪三振 | 江夏豊 | 阪神 | 340個 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 247個 |
最高勝率 | 村山実 | 阪神 | .824 | 佐々木宏一郎 | 近鉄 | .773 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 平松政次 | 大洋 | 木樽正明 | ロッテ |
捕手 | 木俣達彦 | 中日 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 大杉勝男 | 東映 |
二塁手 | 安藤統夫 | 阪神 | 山崎裕之 | ロッテ |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 有藤通世 | ロッテ |
遊撃手 | 藤田平 | 阪神 | 阪本敏三 | 阪急 |
外野手 | 高田繁 | 巨人 | 張本勲 | 東映 |
江尻亮 | 大洋 | G.アルトマン | ロッテ | |
中暁生 | 中日 | 長池徳二 | 阪急 |
オールスターゲーム
→詳細は「1970年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第42回選抜高等学校野球大会優勝:箕島(和歌山県)
- 第52回全国高等学校野球選手権大会優勝:東海大相模(神奈川県)
大学野球
- 第19回全日本大学野球選手権大会優勝:中京大
- 第1回明治神宮野球大会優勝:東海大
社会人野球
- 第41回都市対抗野球大会優勝:大昭和製紙
- 第20回日本産業対抗野球大会優勝:丸善石油
メジャーリーグ
→詳細は「1970年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- ボルチモア・オリオールズ(ア・リーグ) (4勝1敗) シンシナティ・レッズ(ナ・リーグ)
できごと
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1月
- 1月5日
- 1月7日 - 広島は野球評論家の広岡達朗のコーチ就任を発表[3]。
- 1月11日 - 阪神は近鉄を自由契約となった鎌田実の入団を発表[4]。
- 1月30日 - 近鉄は球団社長兼球団代表の芥田武夫が辞任し、後任に本社専務取締役の今里英三が球団社長に、球団常務取締役の中村肇が球団代表に就任すると発表[5]。
4月
- 4月1日 - 東京・後楽園球場に全電光スコアボードが完成。
- 4月2日 - 前年引退した巨人の金田正一の引退試合が後楽園球場での巨人対ヤクルトのオープン戦で行われ、金田は六回表に登板し1回を投げて降板。試合前に特別表彰式が行われ、オーナーの正力亨は金田の功績を讃え、金田の背番号34を永久欠番にすると発表[6]。
- 4月6日 - 第42回選抜高等学校野球大会の決勝戦が行われ、箕島が北陽を8-7で破って初優勝[7]。
- 4月10日 - 元西鉄の永易将之が衆議院第二議員会館一階の第一会議室にて午後3時より記者会見し、半年ぶりに公の場に姿を現す。自分以外に八百長に関わった選手として、益田昭雄、与田順欣、基満男、村上公康、池永正明、田中勉の名前を挙げる。また元南海の佐藤公博には報酬と引き換えに先発投手の情報を漏らしたこと、西鉄から口止め料として合計550万円を受け取っていたことを述べる[8]。
- 4月15日 - 西鉄の池永正明が小倉球場での西鉄対ロッテ1回戦で勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[9]。
- 4月19日 - 東映の毒島章一が後楽園球場での対阪急2回戦の六回裏に三塁打を打ち、通算三塁打数が元阪神の金田正泰の記録を更新するプロ野球新記録の104本となる[10]。
- 4月23日
- 4月24日 - 南海の野村克也が後楽園での東映対南海1回戦で4回表に6号本塁打を放ち、通算450本塁打を達成[13]。
- 4月29日
5月
- 5月4日 - プロ野球コミッショナー委員会は永易発言で疑惑に登った西鉄6選手を、東京・銀座の日生会館に呼び事情聴取。全員八百長を否定[16]。
- 5月6日
- 5月7日 - 西鉄は午後1時から平和台球場にて記者会見し、村上、基、船田、池永の4選手について5月いっぱい公式戦の出場を見合わせると発表[19]。
- 5月8日 - 西鉄は上記4選手を福岡市内の西鉄本社にて呼び個別に事情聴取、これは夕方から深夜に及び、9日午前1時45分より西鉄は記者会見し、調査の結果4選手は必ずしも白とは言えない要素が出てきたと認める。
- 5月9日 - 朝日新聞が東映フライヤーズの2投手が八百長の誘いを受けていたと報道[20]。球団は田中調と森安敏明の2人から球団代表の田沢八十彦が事情を聴き、午後11時より田中、田沢、森安が記者会見し、田中が永易から八百長を頼まれたが断ったと語る[21]。
- 5月13日 - 西鉄オーナーの楠根宗生が福岡市内の西鉄本社で記者会見し、八百長事件の責任をとって西鉄本社社長、球団オーナーを辞任すると発表[22]。
- 5月18日 - 巨人の渡辺秀武が後楽園球場での対広島7回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成。2四球、2失策の4出塁を許したのみで125球を投じる[23]。
- 5月19日 - 警視庁捜査四課は阪神の葛城隆雄を小型自動車競走法違反の疑いで逮捕[24]。セ・リーグ会長の鈴木龍二は葛城を無期限の出場停止処分と発表。
- 5月23日 - 後楽園球場で行われた東映対近鉄戦で、東映の白仁天が3回裏の打席で見逃し三振の判定に怒り、主審の露崎元弥を突き飛ばして退場処分を受ける。白はさらに露崎を投げ飛ばし露崎は胸部の打撲で約1週間のけがを負う[25]。
- 5月25日
- 5月27日 - 西鉄本社は午後2時より株主総会を開き、その後の取締役会で社長の楠根宗生が退任し、後任に専務の吉本弘次が就任、代表取締役専務兼球団オーナーに木本元敬を選出[29]。木本は記者会見し、球団運営について「経営的に西鉄以上のバックが出てくれば、あえて西鉄という名前にはこだわらない」と発言[30]。
6月
- 6月2日 - 南海の監督兼選手の野村克也が大阪球場での対阪急9回戦の一回裏に12号2点本塁打を放ち、川上哲治の持つプロ野球通算1320の記録を更新する通算1322打点となる[31]。
- 6月3日 - 中日とロッテは東京・大手町のパレス・ホテルにて午後4時30分から記者会見し、1969年12月に任意引退した元中日の江藤慎一とロッテの川畑和人とのトレードが成立したと発表[32]。
- 6月9日
- 6月15日 - コミッショナー委員会は、黒い霧事件に関連して近鉄バファローズの球団職員の山崎晃を永久追放にすると発表[35]。
- 6月18日 - コミッショナー委員会は、オートレースの八百長容疑で逮捕された阪神の葛城隆雄を3カ月の期限付失格選手に指名[36]。
- 6月20日 - ヤクルトはロッテの篠原良昭を金銭トレードで獲得したと発表[37]。
7月
- 7月1日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対西鉄6回戦の一回裏に盗塁に成功し、木塚忠助の持つプロ野球通算盗塁478の記録に並ぶ[38]。
- 7月2日 - 阪神の江夏豊が川崎球場での対大洋7回裏に重松省三から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[39]。
- 7月7日 - 阪神の監督兼選手の村山実が甲子園球場での対大洋13回戦で3勝目をあげ、プロ通算200勝を達成[40]。
- 7月10日 - 東映の毒島章一が日生球場での対近鉄9回戦の4回表に代打で出場し、プロ通算2000試合を達成[41]。
- 7月30日
- 7月31日 - 南海の広瀬叔功が日生球場での対近鉄13回戦の5回表に二盗を決めて通算盗塁が479となり、木塚忠助の持つ通算盗塁数478を抜くプロ野球新記録を達成[42]。
8月
- 8月2日 - 第41回都市対抗野球の富士市の大昭和製紙と神戸市の三菱重工神戸の決勝戦が後楽園球場で行われ、延長14回1-1で大会規定により引き分けとなる[43]。
- 8月3日 - 第41回都市対抗野球の決勝戦の再試合が後楽園球場にて午後6時32分より行われ、富士市の大昭和製紙が神戸市の三菱重工神戸を3-0で下し優勝[44]。
- 8月4日 - 広島の山内一弘が中日球場での対中日16回戦の1回表に5号本塁打を放ち、プロ通算4000塁打を達成[45]。
- 8月6日 - 阪神の遠井吾郎が神宮球場での対ヤクルト16回戦の4回表に5号本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成[46]。
- 8月11日 - 巨人の王貞治が後楽園球場での対ヤクルト16回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[47]。
- 8月16日 - ロッテの江藤慎一が小倉球場での対西鉄8回戦の四回表に安打を放ち、プロ通算1500本安打を達成[48]。
- 8月19日 - ヤクルトは監督の別所毅彦を解任を発表。一軍投手コーチの小川善治が代理監督となる[49]。
- 8月20日 - 第52回全国高校野球選手権大会は神奈川・東海大相模高校が初優勝。監督の原貢は福岡・三池工業高校時代の第47回大会に続き2校にまたがっての優勝監督となる。
- 8月25日 - ヤクルトは神宮球場での対中日18回戦に0-2と敗れ、日本プロ野球記録タイ(当時)の16連敗を記録[50]。
- 8月26日
9月
- 9月13日 - 阪神の若生智男が中日球場での対中日21回戦に先発登板し、プロ通算500試合登板を達成[53]。
- 9月18日 - 巨人の森昌彦が川崎球場での対大洋20回戦の七回から出場し、プロ通算1500試合出場を達成[54]。
- 9月20日 - 阪急の八田正が西宮球場での対西鉄25回戦の五回裏に代打として登場し、プロ通算1500試合出場を達成[55]。
- 9月25日 - 東映の張本勲が西宮球場での対阪急19回戦に3番・左翼で先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[56]。
- 9月29日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対西鉄18回戦の一回裏に樋口正蔵の適時打で生還し、プロ通算1000得点を達成[57]。
10月
- 10月6日 - 近鉄の佐々木宏一郎が大阪球場での南海23回戦に先発し、完全試合を達成[58]。
- 10月7日 - 東京球場にてロッテ対西鉄25回戦に5-4と勝利し、2位の南海が大阪球場での対近鉄24回戦に1-3と敗れたため、ロッテが10年ぶりにパ・リーグ優勝[59]。
- 10月8日
- 10月16日 - 阪急の梶本隆夫が西宮球場での対ロッテ24回戦に先発登板し、プロ通算800試合登板を達成[62]。
- 10月18日 - 南海の野村克也が大阪球場での対西鉄26回戦の3回裏に安打を放ち、プロ通算2000本安打を達成[63]。
- 10月19日
- 10月21日 - 東映は代理監督の田宮謙次郎の監督昇格を発表[66]。
- 10月22日 - 巨人対中日25回戦が中日球場で行われ巨人が4-1で中日に勝ち、セ・リーグ6連覇を達成[67]。同時にセ・リーグの連覇記録更新。
- 10月23日 - パ・リーグの全日程が終了[68]。
- 10月24日 - 沢村賞の選考委員会が東京運動記者クラブ部長会によって東京・有楽町の交通大飯店で正午から開かれ、大洋の平松政次を選出[69]。
- 10月25日 - 阪神の若生智男が甲子園球場での対広島最終戦に先発して13勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[70]。
11月
- 11月2日 - 日本シリーズ第5戦が東京球場で行われ巨人がロッテに6-2に勝利し、日本シリーズ6連覇を達成[71]。
- 11月3日 - 1970年度の最優秀選手、最優秀選手、ベストナインを決めるプロ野球記者投票の開票が東京・銀座のプロ野球コミッショナー事務局で午前10時より行われ、最優秀選手に王貞治、木樽正明、最優秀新人に谷沢健一と佐藤道郎が選出される[72]。
- 11月6日 - 巨人の打撃コーチの荒川博がオーナーの正力亨に辞表を提出し退団を申し入れる[73]。
- 11月7日
- 11月9日 - プロ野球新人選抜会議が東京・日生会館にて午前11時から行われ、107名が指名される[76]。
- 11月18日 - 近鉄から監督就任を要請されていた鶴岡一人が、内臓の状態が悪く監督の激務に耐えられないことを理由に要請を断ることを近鉄に伝える[77]。
- 11月19日 - トレード活性化のため、東京・日生会館において第1回選抜会議が開催される。保有選手の20%を各球団がリストアップして会議に提出、そのリストから各球団が順次トレード指名を行い、14人が指名された。
- 11月25日
12月
- 12月3日 - メジャーリーグの1970年度の優秀選手の表彰式がビバリー・ヒルのヒルトン・ホテルにて行われ、巨人の王貞治とオーナーの王貞治が外国人としてはじめて特別表彰を受ける[80]。
- 12月4日 - 南海の杉浦忠が大阪市浪速区の球団事務所にて球団代表の新山滋と去就について話会い、今季限りでの現役引退が決定[81]。
- 12月9日 - 巨人は午後0時30分から東京・銀座の読売新聞社会議室にて前広島の山内一弘が二軍打撃コーチに就任すると正式に発表[82]。
- 12月16日 - 野球体育博物館に表彰、掲載される特別表彰者を決める野球博物体育館特別表彰委員会が正午から東京・日比谷の日生会館で開かれ、中馬庚、田村駒治郎、直木松太郎の三名を選出[83]。
- 12月22日
- 12月26日
誕生
1月
- 1月5日 - 田中敏弘
- 1月12日 - ナイジェル・ウィルソン
- 1月13日 - 鈴木健
- 1月14日 - 進藤達哉
- 1月23日 - シャーマン・オバンドー
- 1月26日 - ダン・カールソン
- 1月28日 - 池末和隆
- 1月30日 - 岸川登俊
2月
3月
4月
- 4月2日 - 鮎川義文
- 4月7日 - 赤堀元之
- 4月10日 - 川名慎一
- 4月11日 - 尾山敦
- 4月11日 - ショーン・バーグマン
- 4月11日 - ジョー・ビティエロ
- 4月13日 - 古屋剛
- 4月14日 - 神野純一
- 4月15日 - 江藤智
- 4月18日 - 佐伯貴弘
- 4月18日 - 高嶋徹
- 4月21日 - 佐藤秀樹
- 4月26日 - 斉藤貢
- 4月29日 - 山口幸司
5月
- 5月2日 - ジョー・クロフォード
- 5月4日 - 星野おさむ
- 5月7日 - リード・シークリスト
- 5月7日 - マーク・スミス
- 5月14日 - 立石尚行
- 5月19日 - 佐川潔
- 5月25日 - ルイス・オルティス
- 5月25日 - 波留敏夫
- 5月27日 - 松岡大吾
- 5月30日 - 門奈哲寛
- 5月31日 - 岡幸俊
- 5月31日 - 村上誠一
- 5月31日 - 山之内健一
6月
- 6月4日 - 後藤隆之
- 6月6日 - 垣内哲也
- 6月7日 - 平良幸一
- 6月8日 - 井上純
- 6月11日 - ビル・セルビー
- 6月17日 - 古河有一
- 6月21日 - 酒井忠晴
- 6月29日 - 渡邉博幸
7月
8月
- 8月7日 - グレッグ・パークル
- 8月8日 - 堀江賢治
- 8月9日 - パット・マホームズ
- 8月10日 - 小倉恒
- 8月13日 - エディ・ギャラード
- 8月14日 - 馬海泳
- 8月15日 - 李鍾範
- 8月16日 - 佐野貴英
- 8月19日 - 日笠雅人
- 8月20日 - アディエル・パルマ
- 8月21日 - クレイグ・カウンセル
- 8月24日 - 篠田淳
- 8月25日 - 石井琢朗
- 8月26日 - 田口昌徳
- 8月26日 - 前田幸長
- 8月27日 - ジム・トーミ
- 8月28日 - 西山一宇
- 8月31日 - 山本樹
9月
- 9月1日 - 木村龍治
- 9月2日 - 安藤真児
- 9月8日 - 市場孝之
- 9月9日 - ダン・ミセリ
- 9月11日 - 松本尚樹
- 9月18日 - オジー・ティモンズ
- 9月28日 - ブライアン・バンクス
- 9月29日 - 吉田篤史
10月
10月5日
11月
12月
死去
脚注
- ^ 読売新聞1970年1月6日11面「『ヤクルト・アトムズ』正式決定」読売新聞縮刷版1970年1月p143
- ^ 読売新聞1970年1月6日11面「荒川選手(荒川コーチの長男)襲われる いやがらせか二人組 なぐられケガ」読売新聞縮刷版1970年1月p147
- ^ 読売新聞1970年1月8日10面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1970年1月p198
- ^ 読売新聞1970年1月11日10面「プロ野球短信」読売新聞縮刷版1970年1月p290
- ^ 読売新聞1970年1月31日11面「近鉄球団 新社長に今里氏」読売新聞縮刷版1970年1月p875
- ^ 読売新聞1970年4月3日11面「さようなら"黄金の左腕" 金田、なごりの力投 引退試合 『34』は永久欠番」読売新聞縮刷版1970年4月p75
- ^ 毎日新聞1970年4月6日13面「二転三転 箕島に勝利の女神 島本が投打に大活躍」毎日新聞縮刷版1970年4月p169
- ^ 朝日新聞1970年4月11日1面「『他球団も二人関係 西鉄から口止め料』 永易、八百長事件で記者会見」朝日新聞縮刷版1970年4月p333
- ^ 朝日新聞1970年4月15日13面「池永が通算百勝目」朝日新聞縮刷版1970年4月p481
- ^ 読売新聞1970年4月20日11面「毒島が三塁打新記録 通算104」読売新聞縮刷版1970年4月p627
- ^ 朝日新聞1970年4月24日15面「田中勉 高山を逮捕 八百長オート レーサーだき込む 藤縄も逮捕 数十万円を渡す」朝日新聞縮刷版1970年4月p783
- ^ 読売新聞1970年4月24日11面「6イニング連続併殺 西鉄がパ新」読売新聞縮刷版1970年4月p755
- ^ 朝日新聞1970年4月25日13面「野村、450ホーマー 十七年目に達成」朝日新聞縮刷版1970年4月p821
- ^ 朝日新聞1970年4月30日15面「永易発言とぴたり一致 プロ野球の八百長問題 五百五十万円を渡す 楠根西鉄オーナー 地検で供述」朝日新聞縮刷版1970年4月p999
- ^ 読売新聞1970年4月30日11面「鈴木も奪三振千に「」読売新聞縮刷版1970年4月p951
- ^ 朝日新聞1970年5月5日15面「喚問会 全員、八百長否定 西鉄六選手ら記者会見」朝日新聞縮刷版1970年5月p139
- ^ 朝日新聞1970年5月6日夕刊11面「中日小川投手を逮捕 黒いプロ野球 現役に追及の目 八万円でレーサー買収」朝日新聞縮刷版1970年5月p167
- ^ 朝日新聞1970年5月7日15面「西鉄、当面六選手ぬき 与田ら出場停止処分 池永らは辞退」朝日新聞縮刷版1970年5月p183
- ^ 読売新聞1970年5月7日夕刊11面「今月中出場させぬ 池永ら四選手」読売新聞縮刷版1970年5月p185
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- ^ 朝日新聞1970年5月10日15面「八百長野球 東映、二投手に事情聴く 60万円積んで頼まれる 森安投手と同席の田中投手」朝日新聞縮刷版1970年5月p283
- ^ 朝日新聞1970年5月13日11面「西鉄の楠根社長辞任 『黒い霧事件の責任とる』」朝日新聞縮刷版1970年5月p401
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- ^ 読売新聞1970年5月26日1面「西鉄六選手の処分 コミッショナー委 裁決を発表」読売新聞縮刷版1970年5月p761
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- ^ 朝日新聞1970年5月28日3面「西鉄球団身売りも 木本オーナー語る」朝日新聞縮刷版1970年5月p901
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- ^ 読売新聞1970年8月1日11面「広瀬(南海)盗塁の日本新 1,663試合目で479個」読売新聞縮刷版1970年8月p11
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- ^ 読売新聞1970年10月17日11面「梶本が800登板」読売新聞縮刷版1970年10月p573
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- ^ 読売新聞1970年10月19日11面「大杉、本塁打王ほぼ手中 一気に43・44号、野村離す」読売新聞縮刷版1970年10月p673
- ^ 読売新聞1970年10月19日11面「三原近鉄監督退団へ」読売新聞縮刷版1970年10月p673
- ^ 読売新聞1970年10月22日11面「田宮(東映)監督に昇格」読売新聞縮刷版1970年10月p747
- ^ 読売新聞1970年10月23日1面「巨人、史上初の六年連続優勝 ロッテと日本シリーズ」読売新聞縮刷版1970年10月p771
- ^ 読売新聞1970年10月24日11面「パ・リーグ全日程終わる」読売新聞縮刷版1970年10月p815
- ^ 読売新聞1970年10月25日11面「平松(大洋)に沢村賞 全員一致できまる」読売新聞縮刷版1970年10月p851
- ^ 読売新聞1970年10月25日11面「若生プロ入り百勝目」読売新聞縮刷版1970年10月p883
- ^ 読売新聞1970年11月3日1面「6年連続日本一の快挙 巨人 4勝1敗でロッテくだす」読売新聞縮刷版1970年11月p59
- ^ 読売新聞1970年11月4日11面「最優秀選手 王が5度目(史上初)」読売新聞縮刷版1970年11月p93
- ^ 読売新聞1970年11月7日11面「荒川コーチ辞表出す」読売新聞縮刷版1970年11月p193
- ^ 読売新聞1970年11月8日10面「三原ー中西ライン ヤクルト入り発表」読売新聞縮刷版1970年11月p224
- ^ 読売新聞1970年11月8日10面「鶴岡氏に監督就任を要請 近鉄」読売新聞縮刷版1970年11月p224
- ^ 毎日新聞1970年11月9日夕刊10面「南海―島本、巨人―湯口、広島―佐伯 指名して交渉権 プロ野球 明暗、ドラフト会議」毎日新聞縮刷版1970年11月p274
- ^ 読売新聞1970年11月19日11面「鶴岡氏も断る 近鉄の監督」読売新聞縮刷版1970年11月p591
- ^ 読売新聞1970年11月26日11面「天地氏 二出川氏 野球殿堂入り」読売新聞縮刷版1970年11月p833
- ^ 読売新聞1970年11月26日11面「濃人監督留任正式に決まる」読売新聞縮刷版1970年11月p833
- ^ 読売新聞1970年12月5日11面「巨人六連勝たたえる 米大リーグ 正力オーナー、王選手を特別表彰」読売新聞縮刷版1970年12月p151
- ^ 読売新聞1970年12月5日11面「杉浦(南海)ついに引退」読売新聞縮刷版1970年12月p151
- ^ 読売新聞1970年12月10日11面「山内、巨人コーチ(二軍)に 新首脳陣 国松は打撃担当に」読売新聞縮刷版1970年12月p323
- ^ 読売新聞1970年12月17日10面「故中馬、田村、直木氏が野球殿堂入り」読売新聞縮刷版1970年12月p558
- ^ 読売新聞1970年12月23日11面「スペンサー守備コーチに 阪急の新首脳陣」読売新聞縮刷版1970年12月p737
- ^ 読売新聞1970年12月23日11面「減俸も仕方ない 船田 村上」読売新聞縮刷版1970年12月p737
- ^ 読売新聞1970年12月27日11面「荒川トレードまた波紋 連盟、公示を保留 コミッショナー委も保留」読売新聞縮刷版1970年12月p858
- ^ 読売新聞1970年12月27日11面「巨人・西鉄ともに発表 3対2トレード」読売新聞縮刷版1970年12月p858