1881年のメジャーリーグベースボール
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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1881年のできごとを記す。
ナショナルリーグはシカゴ・ホワイトストッキングスが2年連続3度目の優勝をした。
1880年のメジャーリーグベースボール - 1881年のメジャーリーグベースボール - 1882年のメジャーリーグベースボール
できごと
[編集]- キャップ・アンソンは、この年に打率.399で初の首位打者となった。実は2年前の1879年が初の首位打者であったが後年の記録見直しで今日では1879年は打率トップとは見なされていない。しかしキャップ・アンソンは1871年から1897年まで現役を続けた19世紀の大スターであった。選手としてはこの後の1880年代が彼の絶頂期で27年間で通算安打3,435本、通算打点2,075は当時の最高記録であり、生涯打率.334(.339とする資料もある)であった。また1979年からホワイトストッキングスの選手兼任監督として活躍し、1886年までの間に5回のリーグ制覇を達成している。1939年に野球博物館が竣工した時に殿堂入りして表彰され、19世紀の選手としてはバック・ユーイングとともに最初の殿堂入りとなった。
- この年からスタンドでアルコール類を売ることが禁止されたので、シンシナティ・レッズが反対してリーグを脱退したので、デトロイト・ウルバリンズが加盟した。
- この年の11月2日にシンシナティでアメリカン・アソシエーションが結成された。6球団が加盟して、フィラデルフィア、シンシナティ、ピッツバーグ、ブルックリン、セントルイス、ルイビルにフランチャイズを置き、翌1882年からリーグ戦を行った。
規則の改訂
[編集]- 本塁から投球位置までの距離が、それまでの45フィートから50フィートに延長された。
最終成績
[編集]ナショナルリーグ
[編集]ナショナルリーグ | ||||||||||||||
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順 | チーム | 勝 | 敗 | 率 | 差 | |||||||||
1 | シカゴ・ホワイトストッキングス | 56 | 28 | .667 | - | |||||||||
2 | プロビデンス・グレイズ | 47 | 37 | .560 | 9.0 | |||||||||
3 | バッファロー・バイソンズ | 45 | 38 | .542 | 10.5 | |||||||||
4 | デトロイト・ウルバリンズ | 41 | 43 | .488 | 15.0 | |||||||||
5 | トロイ・トロージャンズ | 39 | 45 | .464 | 17.0 | |||||||||
6 | ボストン・レッドストッキングス | 38 | 45 | .458 | 17.5 | |||||||||
7 | クリーブランド・ブルース | 36 | 48 | .429 | 20.0 | |||||||||
8 | ウースター・ルビーレッグス | 32 | 50 | .390 | 23.0 |
個人タイトル
[編集]ナショナルリーグ
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打者成績[編集]
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投手成績[編集]
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出典
[編集]- 『アメリカ・プロ野球史』≪第1章 ナショナルリーグの確立≫ 45P参照 鈴木武樹 著 1971年9月発行 三一書房
- 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪キャップ・アンソン≫ 35P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
- 『大リーグへの招待』≪野球規則の変遷≫ 88P参照 池井優 著 1977年4月発行 平凡社