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1884年のメジャーリーグベースボール

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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1884年のできごとを記す。

アメリカン・アソシエーションではニューヨーク・メトロポリタンズが初優勝し、ナショナルリーグではプロビデンス・グレイズが5年ぶり2度目の優勝し、この年に創設されたユニオン・アソシエーションではセントルイス・マルーンズが最初にして最後のシーズンを優勝した。セントルイス・マルーンズは翌1885年にナショナルリーグに加盟した。

1883年のメジャーリーグベースボール - 1884年のメジャーリーグベースボール - 1885年のメジャーリーグベースボール

できごと

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ユニオン・アソシエーション

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前年の12月12日にユニオン・アソシエーションが創設され、この新設のリーグはたちまちナショナルリーグとアメリカンアソシェーションの選手に猛烈に働きかけて約50名の選手が参加したが、その後選手の多くが中途で翻意し、またシーズンが始まってからも古巣に戻る選手が出て、ユニオン・アソシエーションはこの年限りでわずか1年で解散した。ただユニオン・アソシエーションの動きは、既存の2つのリーグに混乱をもたらした。

この新しい動きへの対抗策としてアメリカン・アソシエーションは球団数を増やし、前年の8チームから12チームになったが、結果は全球団が赤字となった。またシーズン当初に首都ワシントンではユニオン・アソシエーションにも、アメリカン・アソシエーションにも「ワシントン・ナショナルズ」という同名の球団が複数併存する事態となって、アメリカン・アソシエーションのワシントン・ナショナルズはシーズン途中で解散したため、リッチモンド・バージニアンズが交代して加盟し、シーズン後半の試合を行ったため、この年のアメリカン・アソシエーションは13球団となった。

一方ナショナルリーグではクリーブランド・ブルースが主力投手のジム・マコーミックヒュー・デイリー、中心打者のフレッド・ダンラップをユニオン・アソシエーションの各チームに取られ、クリーブランド・ブルースは弱体化してこの年に35勝77敗で勝率.329の成績となり、チームは解散を余儀なくされた。しかも解散に追い込んだユニオン・アソシエーション会長でありセントルイス・マルーンズのオーナーでもあったヘンリー・ルーカスは、抜け目なくここに目をつけて、クリーブランド・ブルースのフランチャイズ権をセントルイス・マルーンズが買い取り、翌年にユニオン・アソシエーションの公式試合を中止して協会を解散させ、自身はナショナルリーグに加盟することで苦境を乗り切った。

ただし、このセントルイスにナショナルリーグの球団がフランチャイズを置くことは、実は前年秋にナショナルリーグアメリカン・アソシエーションとマイナーリーグのノースウェスタンリーグとの三者協定でそれぞれのリーグの地域権を尊重する、という1項目に明らかに違反するものであった。ところが、被害を受けたはずのアメリカン・アソシエーション にも問題が起こっていた。弱体化して解散したクリーブランド・ブルースの選手たちを、この1884年に加盟したばかりのブルックリン・アトランティックス(後のドジャース)が球団を買収した形でアトランティックスに入団させたことが、同じ前年秋の協定で選手間の移動について当該リーグと10日以内に協議をするとの1項目にも明らかに違反した行動であった。当然ナショナルリーグはアメリカン・アソシエーションに当該球団のブルックリン・アトランティックスの除名を要求した。そして、この同時に起こった両方のリーグの問題は政治的な取引の材料となって、双方ともに不問に付す決着となった。

その他

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  • 1884年8月28日、ニューヨーク・ゴッサムズ対フィラデルフィア・クエイカーズ戦で、ゴッサムズの投手ミッキー・ウェルチは1回先頭打者から3回まで「9者連続三振」という記録を打ち立てた。ただし9人目の打者が「振り逃げ」だったため、当時の公式記録に三振として記載されないという誤りがあり、そのため、ウェルチの9者連続三振の記録は認知されないままになっていたが、1941年になってハリー・シモンズという野球史研究家がこの間違いを指摘し、ウェルチの記録は達成後50年以上たって認められた。そして80年以上もメジャーリーグ記録として残ることになったが、この記録は1970年にニューヨーク・メッツのトム・シーバーが10者連続三振を記録して破られた。ウェルチは1880年にトロイ・トロージャンズに21歳で入団し1883年にニューヨーク・ゴッサムズ(翌年からジャイアンツ)に移り、1892年まで在籍した。通算307勝(311勝とする資料もある)で史上3人目の300勝投手であった。1973年に殿堂入りしている。
  • プロビデンス・グレイズはユニオン・アソシエーション創立の影響を受け、二枚看板の一人だったチャーリー・スウィーニーがシーズン途中で移籍してしまったため、もう一人のエースだったチャールズ・ラドボーン はこの事態を逆手に取り、「残り試合を全て投げる」ことを条件にFA権の獲得を球団と交渉したという。スウィーニーの退団後にラドボーンは以降37試合連続で先発し、18連勝を含めて32勝を上げた。彼は8月7日から9月18日までの40日間で26勝1分けの成績を上げている。そしてこの年ラドボーンの登板回数は実に75試合になり(73試合に先発し全試合完投。抑えで2試合登板)、シーズン通算で60勝を挙げただけでなく、奪三振441、防御率も1.38を記録、投手部門の三冠を手中にする。(この年は勝率とセーブ数もトップ)投手三冠王とセーブ王の同時獲得は史上初の快挙で投手全タイトル制覇(当時はタイトルではないものもある)を達成し、勝率でもトップになったため、史上初の投手主要5部門制覇(投手五冠王)を達成した。但し公式記録は60勝だが後に調査した結果、先発で5回まで投げた投手を勝利投手とせず、6回から投げたラドボーンを勝利投手としたケースがあってこの場合はラドボーンをセーブに変更するなどして、この年の勝利数は59勝になった。

全米選手権(19世紀のワールドシリーズ)

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この年のシーズン終了後、ナショナルリーグの優勝チームプロビデンス・グレイズと、アメリカン・アソシエーションの優勝チームニューヨーク・メトロポリタンズの間で、10月23日から25日の3日間、両チームによる3連戦がニューヨーク州マンハッタンポロ・グラウンズで行われ、プロビデンス・グレイズが3連勝した。この試合は全米選手権(The Championship of the United States)の名称で開催され、後に19世紀のワールドシリーズとされている。ポストシーズンに年間王者を決めるのはこれが初めてであった。ただ観客数は第1戦は2500人を集めたが、第3戦はわずか300人がスタンドで見守っていた。セントルイス・マルーンズは参加していない。

規則の改訂

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  • 投手の投球の角度に関する制限は取り除かれ、投球動作に関しての制限がすべて撤廃された。
  • 1879年に始まった「打者は«ボール»を9つ見逃せば1つの塁を与えられる」(九球)は、その後1880年に(八球)となり、1881年に(七球)となり、この年1884年に(六球)となった。1889年に四球となって現在に至っている。

最終成績

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アメリカン・アソシエーション

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 ニューヨーク・メトロポリタンズ 75 32 .701 --
2 コロンバス・バックアイズ 69 39 .639 6.5
3 ルイビル・エクリプス 68 40 .630 7.5
4 セントルイス・ブラウンズ 67 40 .626 8.0
4 シンシナティ・レッドストッキングス 68 41 .624 8.0
6 ボルチモア・オリオールズ 63 43 .594 11.5
7 フィラデルフィア・アスレチックス 61 46 .570 14.0
8 トレド・ブルーストッキングス 46 58 .442 27.5
9 ブルックリン・アトランティックス 40 64 .385 33.5
10 リッチモンド・バージニアンズ 12 30 .286 30.5
11 ピッツバーグ・アレゲニーズ 30 78 .278 45.5
12 インディアナポリス・フージャーズ 29 78 .271 46.0
13 ワシントン・ナショナルズ 12 51 .191 41.0

ナショナルリーグ

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 プロビデンス・グレイズ 84 28 .750 --
2 ボストン・ビーンイーターズ 73 38 .658 10.5
3 バッファロー・バイソンズ 64 47 .577 19.5
4 ニューヨーク・ゴッサムズ 62 50 .554 22.0
4 シカゴ・ホワイトストッキングス 62 50 .554 22.0
6 フィラデルフィア・クエイカーズ 39 73 .348 45.0
7 クリーブランド・ブルース 35 77 .312 49.0
8 デトロイト・ウルバリンズ 28 84 .250 56.0

ユニオン・アソシエーション

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チーム 勝利 敗戦 勝率 G差
1 セントルイス・マルーンズ 94 19 .832 --
2 ミルウォーキー・ブルワーズ 8 4 .667 35.5
3 シンシナティ・アウトロー・レッズ 69 36 .657 21.0
4 ボルチモア・モニュメンタルズ 58 47 .552 32.0
5 ボストン・レッズ 58 51 .532 34.0
6 シカゴ・ブラウンズ 41 50 .451 42.0
7 ワシントン・ナショナルズ 47 65 .420 46.5
8 フィラデルフィア・キーストーンズ 21 46 .313 50.0
9 セントポール・ホワイトキャップス 2 6 .250 39.5
10 アルトゥーナ・マウンテンシティー 6 19 .240 44.0
11 カンザスシティ・ユニオンズ 16 63 .203 61.0
12 ウィルミントン・クイックステップス 2 16 .111 44.5

個人タイトル

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アメリカン・アソシエーション

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 デーブ・オル (NYP) .354
本塁打 ジョン・レイリー (CIN) 11
打点 デーブ・オル (NYP) 112
得点 ハリー・ストービー (PHA) 124
安打 デーブ・オル (NYP) 162

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ガイ・ヘッカー (LOU) 52
防御率 ガイ・ヘッカー (LOU) 1.80
奪三振 ガイ・ヘッカー (LOU) 385
投球回 ガイ・ヘッカー (LOU) 670.2
セーブ フランク・マウンテン (COL) 1
ハンク・オーデイ (TOL)
オイスター・バーンズ BAL)

ナショナルリーグ

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 キング・ケリー (CHC) .354
本塁打 ネッド・ウィリアムソン (CHC) 27
打点 キャップ・アンソン (CHC) 102
得点 キング・ケリー (CHC) 120
安打 エズラ・サットン (BSN) 162
ジム・オルーク (BUF)

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 チャールズ・ラドボーン (PRO) 59
防御率 チャールズ・ラドボーン (PRO) 1.38
奪三振 チャールズ・ラドボーン (PRO) 441
投球回 チャールズ・ラドボーン (PRO) 678.2
セーブ チャールズ・ラドボーン (PRO) 2
ジョン・モリル (BSN)

ユニオン・アソシエーション

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打者成績

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項目 選手 記録
打率 フレッド・ダンラップ (STM) .412
本塁打 フレッド・ダンラップ (STM) 13
得点 フレッド・ダンラップ (STM) 161
安打 フレッド・ダンラップ (STM) 185

投手成績

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項目 選手 記録
勝利 ビル・スウィーニー (BLU) 40
防御率 ジム・マコーミック (COR) 1.54
奪三振 ヒュー・デイリー (CPI/WHS) 483
投球回 ビル・スウィーニー (BLU) 538.0
セーブ ビル・テイラー英語版 (SLM) 4

出典

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  • 『アメリカ・プロ野球史』≪第1章ナショナルリーグの確立≫ 47-50P参照  鈴木武樹 著  1971年9月発行  三一書房
  • 『米大リーグ 輝ける1世紀 ~その歴史とスター選手~』≪ミッキー・ウェルチ≫ 35P参照  週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
  • 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』≪1884-1904  ポストシーズン・ヒストリー≫ 上田龍 著 84P参照 2001年10月発行 ベースボールマガジン社
  • 『誇り高き大リーガー』≪アメリカ野球小史≫ 192P参照  八木一郎 著  1977年9月発行  講談社
  • 『大リーグへの招待』≪野球規則の変遷≫ 88P参照  池井優 著  1977年4月発行  平凡社

参考

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