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以下は、メジャーリーグベースボール(MLB)における1917年のできごとを記す。
1917年4月11日に開幕し10月15日に全日程を終え、ナショナルリーグはニューヨーク・ジャイアンツが4年ぶり8度目のリーグ優勝で、アメリカンリーグはシカゴ・ホワイトソックスが11年ぶり3度目のリーグ優勝を果たした。
ワールドシリーズはシカゴ・ホワイトソックスがニューヨーク・ジャイアンツを4勝2敗で破り1906年以来11年ぶりにシリーズ2度目の制覇となった。
1916年のメジャーリーグベースボール - 1917年のメジャーリーグベースボール - 1918年のメジャーリーグベースボール
ナショナルリーグは、2年前に最下位となり、前年は4位に終わったニューヨーク・ジャイアンツが、エースのクリスティ・マシューソンらを思い切って放出して新しい陣容を整えて、内野はホーク一塁手、ハーゾク二塁手、ジマーマン 三塁手とすっかり若返り、ヘイニー・ジマーマンは最多打点112、ジョージ・バーンズが最多得点102、デーブ・ロバートソン が最多本塁打12本を打ち(この3人は前年も同じタイトルを取っている])、リーグ優勝した。
アメリカンリーグはシカゴ・ホワイトソックスが、投手はエディ・シーコット(最多勝28勝と最優秀防御率1.53)とレッド・フェイバー、打線はエディ・コリンズ(2年前にアスレチックスから移籍)とシューレス・ジョー・ジャクソン(2年前にクリーブランド・インディアンスから移籍、この年打率.301)が活躍して、リーグ優勝を果たした。
ワールドシリーズでは、投打のバランスが取れていたシカゴ・ホワイトソックスが、レッド・フェイバーの後半の三連投で3勝1敗と活躍してニューヨーク・ジャイアンツを圧倒し、た。しかしこれ以降ホワイトソックスのワールドシリーズ制覇は、88年後の2005年である。
アメリカン・リーグの首位打者にタイ・カッブが.383で返り咲き、前年首位打者のトリス・スピーカーは3位であった。またカッブは盗塁55でこの年の盗塁王に輝いていたが、このタイトルはこの年が最後となった。
2位に入ったのはセントルイス・ブラウンズのジョージ・シスラーであった。シスラーは入団2年目の前年に打率.305で3割に達して、3年目のこの年は打率.353で頭角を現してきた。3年後の1920年に4割打者となり打率.407で初の首位打者となった。その時にシーズン最多安打257本の記録を作った。
- 投手の自責点の対象に、盗塁による失点が加えられた。
10/ 6 – |
ジャイアンツ |
1 |
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2 |
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ホワイトソックス
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10/ 7 – |
ジャイアンツ |
2 |
- |
7 |
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ホワイトソックス
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10/10 – |
ホワイトソックス |
0 |
- |
2 |
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ジャイアンツ
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10/11 – |
ホワイトソックス |
0 |
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5 |
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ジャイアンツ
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10/13 – |
ジャイアンツ |
5 |
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8 |
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ホワイトソックス
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10/15 – |
ホワイトソックス |
4 |
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2 |
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ジャイアンツ
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- 『アメリカ・プロ野球史』第3章 揺さぶられる大リーグ 90P参照 鈴木武樹 著 1971年9月発行 三一書房
- 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪1917年≫ 59P参照 週刊ベースボール 1978年6月25日増刊号 ベースボールマガジン社
- 『メジャーリーグ ワールドシリーズ伝説』 1905-2000 90P参照 上田龍 著 2001年10月発行 ベースボールマガジン社
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