コロンバス・バックアイズ
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コロンバス・バックアイズ(Columbus Buckeyes)は、1883年から1884年にかけて、アメリカ合衆国オハイオ州コロンバスを本拠地としてアメリカン・アソシエーションに加盟していたプロ野球チーム。
球団史
[編集]球団の正式な愛称は「コロンバス・セネタース(Columbus Senators)」だったそうだが、オハイオ州出身者や住民のことを示す"Buckeyes"(バックアイズ)の愛称が定着した。1883年に設立されアメリカン・アソシエーションに加盟、監督はホーレス・フィリップスが勤めていた。
1年目のバックアイズは、前の年に解散したウースター球団から移籍した投手フランク・マウンテンをエースにたてたが、マウンテンはこの年リーグ最多の33敗を喫しチームの勝率は3割台にとどまった。しかし翌1884年、後に「キャノンボール」のニックネームで呼ばれた豪腕投手エド・モリスがデビューする。モリスは1年目から34勝13敗、防御率2.18の成績を上げる。フランク・マウンテンもこの年は23勝17敗と復調、チームはリーグ2位まで躍進した。モリスとマウンテンは、同年5月と6月におよそ1週間違いでノーヒットノーランをそれぞれ達成している。
しかし球団は運営が苦しかったためか、アメリカン・アソシエーションには2年しか加盟せず、1884年のシーズン終了後に主力選手を放出して解散してしまった。放出された選手を受け入れたのは、1年目の監督だったフィリップスが指揮していたピッツバーグ・アレゲニーズであった。
戦績
[編集]年度 | リーグ | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 監督 | 本拠地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1883年 | AA | 97 | 32 | 65 | .330 | 6位 | ホーレス・フィリップス | Recreation Park I |
1884年 | 110 | 69 | 39 | .639 | 2位 | ガス・シュメルツ |
所属した主な選手
[編集]- トム・ブラウン:1891年にリーグ最多安打、最多得点、最多盗塁を記録した。
- ポップ・スミス:カナダ出身の内野手で、後年カナダ野球殿堂入り。
- フランク・マウンテン:投手。通算58勝83敗。コロンバスで無安打試合を達成した。
- エド・モリス:1884年に34勝と無安打試合を達成。
主な球団記録
[編集]- 打撃記録
- 通算安打数:238(トム・ブラウン)
- 通算本塁打:10(トム・ブラウン、ポップ・スミス)
- 通算打点数:64(トム・ブラウン)
- 投手記録