シンシナティ・アウトロー・レッズ
シンシナティ・アウトロー・レッズ(Cincinnati Outlaw Reds)は、1884年にオハイオ州シンシナティを本拠地として、ユニオン・アソシエーションに加盟していたプロ野球チーム。
球団史
[編集]1884年のユニオン・アソシエーション創立に合わせてチームが結成された。所有者はシンシナティでレッドストッキングス(現シンシナティ・レッズ)を所有していたジャスタス・ソーナー。ソーナーはレッドストッキングスが本拠地としていたバンク・ストリート・グラウンズのリースの権利を取得して、レッドストッキングスを球場から追い出してしまう。追われたレッズは急遽新たな本拠地(アメリカン・パーク)を建設しなければならなくなった。
リーグの中では投手力の充実したチームで、開幕当初はナショナルリーグで無安打試合の経験のあるジョージ・ブラッドリーと、外野手を兼ねていたディック・バーンズの二人が中心となっていたが、シーズン中にクリーブランド・ブルースのエースだったジム・マコーミックや、後の1890年にナショナルリーグ首位打者となるジャック・グラスコックなどを補強した。
最初の監督だったダン・オレアリーは、6月にセントルイス・マルーンズとの8連戦で5連敗を喫した際、統率力のなさを指摘されて監督を交代、サム・クレーンが選手兼任監督となってからは更に勝率を伸ばす。8月26日のゲームでディック・バーンズが無安打試合(スコアは3対1)を達成、また9月以降は24勝3敗という高い勝率を誇ったが、最終的には首位のマルーンズに20ゲーム以上離れた3位でシーズンを終えた。
ただ経営陣のソーナーやジョン・マクリーンは、シーズン終盤既にユニオン・アソシエーションの存続が危ういことを感じており、アウトロー・レッズをナショナルリーグに移すため、同年不振だったデトロイト・ウルバリンズをナショナルリーグから追い出すことまで画策していたそうである。しかしこの思惑はウルバリンズのオーナー交代で当てが外れ、シーズン終了後にチームはリーグ消滅と共に解散した。
戦績
[編集]※順位は勝率による。
年度 | リーグ | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 監督 | 本拠地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1884年 | UA | 105 | 69 | 36 | .657 | 3位 | ダン・オレアリー サム・クレーン |
Bank Street Grounds |
所属した主な選手
[編集]- ディック・バーンズ:外野手及び投手。1884年は打率.306、リーグ最多三塁打を記録、また8月26日に無安打試合を達成。
- ジム・マコーミック:前年のナショナルリーグ最優秀防御率投手。シンシナティでは21勝3敗、防御率1.54と活躍した。
- ジョージ・ブラッドリー:25勝15敗を記録。投手を務めたのは1884年まで。
- フレッド・ロビンソン:後の野球殿堂入り監督ウィルバート・ロビンソンの兄。3試合のみの出場だった。
- ジョン・ユーイング:殿堂入り選手バック・ユーイングの弟。シンシナティでは1試合のみの出場だった。
主な球団記録
[編集]- 通算安打数:107(ディック・バーンズ)
- 通算本塁打:4(ディック・バーンズ)
- 通算勝利数:25(ジョージ・ブラッドリー)
- 通算奪三振:168(ジョージ・ブラッドリー)