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八田正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八田 正
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県鳴門市
生年月日 (1936-10-05) 1936年10月5日
没年月日 (2018-08-19) 2018年8月19日(81歳没)
身長
体重
170 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手
プロ入り 1955年
初出場 1955年
最終出場 1971年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 阪急ブレーブス (1980)

八田 正(はった ただし、1936年10月5日 - 2018年8月19日[1])は徳島県出身のプロ野球選手。当時は珍しい右投左打の内野手で、二塁手遊撃手として活躍した。引退後はスカウトとして新人発掘に尽力した。

来歴・人物

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鳴門高校では遊撃手として1954年春の選抜に出場。準々決勝まで進むが、エース畑隆幸を擁する小倉高に敗退[2]。同年夏も南四国大会決勝に進むが、須藤豊らのいた高知商に敗れ甲子園出場を逸する。同校の監督は漆原進(元プロ野球選手。大東京軍などに所属)だった。

1955年大映に入団し、2年目には遊撃手としてレギュラーの座をつかむ。球団合併後の大毎オリオンズでも、地味ではあるがミサイル打線の脇を固め、1959年には初の規定打席に到達(14位、打率.278)。1960年にはポジションを柳田利夫に譲るが、シーズン前半に柳田が負傷欠場し、レギュラーに復帰。同年のリーグ優勝に貢献し、大洋ホエールズとの日本シリーズにも全試合出場した。シリーズでは第3戦まで無安打と苦しむが、最終第4戦では9回裏に代打で起用され秋山登から初安打、一矢を報いた。1961年からは二塁手に回り、1965年には打率.275、ベストテン10位の好成績を残す。1967年以降はレギュラー二塁手を石黒和弘前田益穂に譲るが、打撃は好調を維持し、活躍を続ける。

1968年に当時のA級10年選手(再取得)となり、ボーナス受給の権利を手にしたが、支払いを嫌がる球団は彼を自由契約とした。結局、八田は阪急に移り、準レギュラーとして要所で活躍、阪急のリーグ3連覇を助ける。特に古巣東京オリオンズには強く、東京首脳陣をしばしば困惑させた。1971年限りで引退。

その後は球団に残り、スカウトやスコアラーを務めた。また、1980年には、二軍で守備コーチを務めた[3]

2018年8月19日、前立腺癌のため死去[1]。81歳没。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1955 大映 38 96 90 4 19 3 0 0 22 6 1 1 3 0 3 1 0 10 1 .211 .237 .244 .481
1956 103 332 307 28 82 13 5 3 114 20 7 4 6 1 18 1 0 21 8 .267 .308 .371 .679
1957 73 151 135 10 29 7 1 1 41 9 1 1 9 0 5 0 2 17 1 .215 .254 .304 .557
1958 大毎
東京
46 129 121 11 32 9 1 0 43 8 4 5 4 0 4 0 0 13 2 .264 .288 .355 .643
1959 126 531 489 54 136 21 4 5 180 37 20 7 4 1 34 0 2 53 2 .278 .328 .368 .696
1960 98 317 282 35 73 11 4 4 104 25 12 4 8 1 24 0 2 26 5 .259 .321 .369 .690
1961 121 424 397 57 98 14 4 6 138 35 9 0 8 2 16 0 1 50 7 .247 .278 .348 .625
1962 127 475 429 47 117 16 4 1 144 33 15 4 13 2 28 3 3 33 3 .273 .322 .336 .657
1963 93 323 288 33 85 13 1 9 127 35 8 12 10 2 22 0 1 22 4 .295 .347 .441 .788
1964 119 394 348 30 77 8 5 3 104 22 6 5 10 1 31 1 4 20 6 .221 .292 .299 .591
1965 128 461 422 63 116 11 5 10 167 31 21 3 10 0 28 1 1 28 1 .275 .322 .396 .717
1966 115 436 406 45 102 9 7 5 140 26 5 7 8 2 19 0 1 27 0 .251 .286 .345 .631
1967 102 267 247 33 70 8 1 4 92 17 3 6 1 1 17 1 1 18 3 .283 .332 .372 .705
1968 82 235 214 24 60 3 1 4 77 20 3 3 5 2 14 0 0 9 3 .280 .325 .360 .684
1969 阪急 69 89 78 11 22 6 0 0 28 12 1 0 1 1 9 1 0 6 0 .282 .356 .359 .715
1970 74 107 93 12 26 7 1 1 38 18 1 3 1 2 11 0 0 7 0 .280 .356 .409 .764
1971 35 28 27 1 4 0 1 0 6 6 0 0 0 1 0 0 0 3 1 .148 .148 .222 .370
通算:17年 1549 4795 4373 498 1148 159 45 56 1565 360 117 65 101 19 283 9 18 363 47 .263 .310 .358 .668
  • 大毎(毎日大映オリオンズ)は、1964年に東京(東京オリオンズ)に球団名を変更

記録

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節目の記録
  • 1000試合出場:1965年7月8日 ※97人目

背番号

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  • 39 (1955年 - 1956年)
  • 8 (1957年)
  • 34 (1958年 - 1961年)
  • 1 (1962年 - 1968年)
  • 24 (1969年 - 1971年)
  • 71 (1980年)

脚注

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  1. ^ a b “訃報 八田正さん81歳=元プロ野球・阪急内野手”. 毎日新聞. (2018年8月20日). https://mainichi.jp/articles/20180821/k00/00m/050/085000c 2018年8月20日閲覧。 
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 阪急ブレーブス黄金の歴史 [永久保存版] よみがえる勇者の記憶 1936-1988、ベースボール・マガジン社、2011年、p129

関連項目

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