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前田益穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 益穂
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県飽託郡託麻村(現:熊本市東区
生年月日 (1939-05-24) 1939年5月24日(85歳)
身長
体重
177 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1958年
初出場 1959年4月11日
最終出場 1975年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

前田 益穂(まえだ ますほ、1939年5月24日 - )は、熊本県飽託郡託麻村(現:熊本市東区)出身の元プロ野球選手内野手)・コーチ監督解説者

経歴

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熊本工業高校では2年次の1956年投手として秋季九州大会に進出するが、1回戦で淡河弘松本俊一のいた久留米商に敗退。3年次の1957年は春季九州大会1回戦で戸畑高に敗れ、夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。1年下のチームメイトには、後に中日で同僚となる控え投手の成田秀秋がいた。

1958年に中日ドラゴンズへ入団し、投手から内野手に転向。

1959年には杉下茂監督によって開幕から遊撃手に抜擢され[1]、同年は121試合に出場して規定打席(21位、打率.238)にも到達した。

1961年には移籍した岡嶋博治に代わって三塁手に回る。

1962年9月16日大洋戦(中日)でサイクル安打を達成し、同年は5番打者としても18試合に起用され、打率.284でリーグ6位に入る。

1964年葛城隆雄との交換トレードで、東京オリオンズへ移籍。新天地でもレギュラー三塁手となる。

1965年から1967年までオールスターゲーム3年連続出場を果たす。

1968年には池辺巌外野手から三塁手に回ったため、石黒和弘に代わり二塁手を務める。

1969年山崎裕之が二塁手に定着し、内野のユーティリティプレイヤーとして起用された。

1970年には土屋弘光コーチが濃人渉監督に進言したことにより[2]、シーズン中盤から1番打者として35試合に先発出場。起用に応えた前田は激走三塁打を放ち[2]、規定打席に届かなかったものの打率.313の好成績を記録する。同年のリーグ優勝に貢献し、巨人との日本シリーズにも一塁手・代打として全5戦に出場、10月29日の第2戦(後楽園)では5打数3安打1犠打を放つ。

1974年には古巣・中日との日本シリーズに出場し、10月19日の第3戦(後楽園)で8回裏に松本幸行から代打3点本塁打を記録した。

1975年引退。

引退後はロッテで二軍守備コーチ(1976年 - 1980年)→一軍守備コーチ(1981年)、中日二軍守備コーチ(1982年 - 1984年)、大洋で一軍作戦コーチ(1985年 - 1986年)→二軍監督1987年 - 1988年)、日本ハム一軍内野守備・走塁コーチ(1989年 - 1991年)を務めた。1995年には寺岡孝の後任として、台湾プロ野球俊国ベアーズ監督に就任したが、序盤から成績不振で解任。帰国後はプロ野球マスターズリーグ「名古屋80D'sers」コーチ、東京メトロポリタンテレビジョンMXスタジアム」解説者(2006年 - 2008年)を務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1959 中日 121 461 424 38 101 12 1 8 139 34 5 10 3 4 28 1 2 49 5 .238 .286 .328 .614
1960 99 247 225 14 50 6 2 1 63 10 4 3 5 0 16 0 1 34 6 .222 .277 .280 .557
1961 104 338 295 23 74 15 2 6 111 26 3 7 10 0 32 1 1 37 8 .251 .326 .376 .702
1962 133 511 468 46 133 23 4 13 203 63 4 4 7 6 24 4 6 50 15 .284 .323 .434 .757
1963 111 356 314 25 72 8 1 3 91 16 3 9 1 0 36 1 5 32 10 .229 .318 .290 .608
1964 東京
ロッテ
150 598 535 54 126 18 4 13 191 72 19 6 16 1 45 1 1 69 16 .236 .296 .357 .653
1965 121 434 407 42 106 23 0 12 165 40 6 7 4 3 19 0 1 53 10 .260 .293 .405 .698
1966 134 504 452 54 113 18 2 13 174 40 11 7 7 2 43 0 0 69 9 .250 .314 .385 .699
1967 131 519 457 46 115 19 3 12 176 50 22 6 14 4 38 0 6 67 9 .252 .315 .385 .700
1968 102 321 285 31 70 12 3 10 118 27 4 5 7 3 25 1 1 36 6 .246 .306 .414 .720
1969 109 211 182 20 45 7 3 4 70 22 11 3 3 2 21 0 3 18 5 .247 .332 .385 .716
1970 98 204 176 26 55 10 0 7 86 25 4 5 5 1 22 0 0 17 2 .313 .387 .489 .876
1971 104 221 205 15 46 4 0 6 68 25 5 4 1 1 13 0 1 17 5 .224 .273 .332 .604
1972 82 181 159 19 38 6 0 6 62 18 2 3 5 1 15 0 1 19 4 .239 .307 .390 .697
1973 90 162 136 16 33 4 1 2 45 11 1 2 6 0 19 1 1 6 3 .243 .340 .331 .671
1974 77 102 89 8 25 5 0 0 30 12 2 0 3 0 9 0 1 7 6 .281 .354 .337 .691
1975 33 30 26 3 3 0 0 1 6 1 0 0 3 0 1 0 0 4 0 .115 .148 .231 .379
通算:17年 1799 5400 4835 480 1205 190 26 117 1798 492 106 81 100 28 406 10 31 584 119 .249 .310 .372 .682
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東京(東京オリオンズ)は、1969年にロッテ(ロッテオリオンズ)に球団名を変更

記録

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初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

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  • 47 (1958年)
  • 14 (1959年 - 1960年)
  • 2 (1961年 - 1963年)
  • 5 (1964年 - 1975年)
  • 89 (1976年 - 1981年)
  • 68 (1982年 - 1983年)
  • 78 (1984年)
  • 72 (1985年 - 1988年、1995年)
  • 73 (1989年 - 1991年)

脚注

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  1. ^ プロ野球レジェンドが語るあの日、あのとき、産経新聞出版、P333、2015年
  2. ^ a b 東京スポーツ・ 2008年5月3日付 「ネット裏 越智正典」

関連項目

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外部リンク

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