木本元敬
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木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22日 - 2014年(平成26年)9月12日)は、日本の実業家。西日本鉄道第11代社長(1981年 - 1985年)を務めた。
人物
[編集]福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校、京都帝国大学卒業。1942年(昭和17年)に西鉄の前身となる九州電気軌道に入社し、専務、副社長を経て社長に就任した。専務時代の1970年(昭和45年)には、プロ野球西鉄ライオンズのオーナーに就任、黒い霧事件の処理におわれたが、1972年(昭和47年)に球団の身売りを決断した[1]。副社長時代はバスのワンマン化、社長時代はバス事業や不動産事業、物流事業の拡大など経営の多角化を進めた[2]。社長退任後は同社会長、相談役を歴任した。そのほか、九州鉄道協会会長、日本経済団体連合会理事などを務めた。1980年(昭和55年)に紫綬褒章、1996年(平成8年)に勲二等瑞宝章を受章した[3]。
第二次世界大戦で陸軍の歩兵部隊に入隊したが、フィリピン戦線で負傷したため部隊を離脱。部隊はその後全滅し、九死に一生を得た。この経験から「私は一度無くしたはずの命を与えられた」と言って、西鉄や地域の発展に尽くすことを自らに課し、仕事に打ち込んだという[2]。
略歴
[編集]- 1965年(昭和40年)11月 取締役
- 1967年(昭和42年)11月 常務取締役
- 1970年(昭和45年)5月 代表取締役専務取締役
- 1970年(昭和50年)6月 代表取締役副社長
- 1981年(昭和56年)6月 代表取締役社長
- 1985年(昭和60年)6月 取締役会長
- 1991年(平成3年)6月 相談役
- 2014年 (平成26年) 9月 死去。94歳没。
脚注
[編集]- ^ “【あの日】西鉄ライオンズが身売り発表=10月27日”. 西日本新聞. 2021年1月23日閲覧。
- ^ a b INC, SANKEI DIGITAL. “木本・西鉄元社長の「お別れの会」”. 産経ニュース. 2021年1月22日閲覧。
- ^ “当社相談役 木本元敬 訃報のお知らせ”. 西日本鉄道株式会社. 2021年1月23日閲覧。
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