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野中春三

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野中 春三(のなか しゅんぞう、1896年明治29年)3月3日 - 1960年昭和35年)6月6日)は、日本官僚実業家西日本鉄道社長を務めた。

来歴・人物

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福岡県柳川市出身[1]1921年大正10年)東京帝国大学法学部を卒業後、鉄道省に入省[1][2]1940年昭和15年)仙台鉄道管理局[3]局長に就任[2]。退官後は日本通運理事を経て、西日本鉄道副社長に就任[1]1945年(昭和20年)に同社社長に就任[1]1951年(昭和26年)に同社会長に就任した[2][1]。このほか、RKB毎日放送井筒屋の各取締役などを歴任した[4]

1959年(昭和34年)に西日本鉄道社長に再就任したものの、在任中の1960年(昭和35年)6月6日九州大学病院福岡市)で死去。64歳没[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1955, の14頁.
  2. ^ a b c 西日本鉄道 百年史 p109、p110
  3. ^ 東日本旅客鉄道東北本部の前身に当たる。
  4. ^ a b 1960年6月6日 毎日新聞 夕刊 p7

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第18版 下』人事興信所、1955年。 
先代
村上巧児
西日本鉄道社長
第5代:(1945年 - 1951年)
次代
木村重吉
先代
木村重吉
西日本鉄道社長
第7代:(1959年 - 1960年)
次代
宮田又三郎