吉本弘次
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吉本 弘次(よしもと ひろつぐ、1913年12月24日[1] - 1990年11月13日)は、日本の実業家で、西日本鉄道社長、会長を務めた。
来歴・人物
[編集]福岡県築上郡吉富町出身。旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1937年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に西日本鉄道の前身である九州電気軌道に入社した[1]。
経理部長、取締役、常務、専務を経て、1970年から社長に就任した[1]。社長在任中は、1973年に九州で初めて高速バス(福岡~熊本間)を運行する一方で、1975年に路面電車の福岡市内線の主な路線を廃止し(全廃は1979年)、1972年に西鉄ライオンズを太平洋クラブに売却し、経営の合理化を進めた[2]。
1981年から福岡商工会議所会頭を務め、国際交流にも力を入れた[2]。1987年に福岡市との協力で福岡コンベンションビーローを設立し、初代理事長を務めた[2]。1975年に藍綬褒章を受章し、1983年に勲二等旭日重光章を受章した[1]。
略歴
[編集]- 1937年(昭和12年)6月 九州電気鉄道軌道会社入社
- 1957年(昭和32年)11月 経理部長
- 1963年(昭和38年) 取締役
- 1965年(昭和40年) 常務取締役
- 1970年(昭和45年) 代表取締役社長
参考文献
[編集]- 『県政百年記念 沖縄復帰記念 昭和行政史』全地方人事調査会、1973年、117p
脚注
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