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吉本弘次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉本 弘次(よしもと ひろつぐ、1913年12月24日[1] - 1990年11月13日)は、日本実業家で、西日本鉄道社長会長を務めた。

来歴・人物

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福岡県築上郡吉富町出身。旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1937年東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に西日本鉄道の前身である九州電気軌道に入社した[1]

経理部長、取締役、常務、専務を経て、1970年から社長に就任した[1]。社長在任中は、1973年に九州で初めて高速バス(福岡~熊本間)を運行する一方で、1975年路面電車福岡市内線の主な路線を廃止し(全廃は1979年)、1972年西鉄ライオンズを太平洋クラブに売却し、経営の合理化を進めた[2]

1981年から福岡商工会議所会頭を務め、国際交流にも力を入れた[2]1987年福岡市との協力で福岡コンベンションビーローを設立し、初代理事長を務めた[2]1975年藍綬褒章を受章し、1983年勲二等旭日重光章を受章した[1]

1990年11月13日心不全ために死去。76歳没[2]

略歴

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  • 1937年(昭和12年)6月 九州電気鉄道軌道会社入社 
  • 1957年(昭和32年)11月 経理部長
  • 1963年(昭和38年) 取締役
  • 1965年(昭和40年) 常務取締役
  • 1970年(昭和45年) 代表取締役社長

参考文献

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  • 『県政百年記念 沖縄復帰記念 昭和行政史』全地方人事調査会、1973年、117p

脚注

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  1. ^ a b c d 現代物故者事典 1988-1990 p694
  2. ^ a b c d 1990年11月13日 日本経済新聞 西部夕刊 p20
先代
楠根宗生
西日本鉄道社長
第10代:(1970年1981年
次代
木本元敬