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[[1974年]]の[[第10回参議院議員通常選挙]]で[[全国区]]に出馬し初当選。[[沖縄振興局|沖縄開発]][[政務次官]]を務める。[[1979年]]の[[第35回衆議院議員総選挙]]にて、[[山口県第2区 (中選挙区)|旧山口2区]]へ出馬し[[衆議院|衆議院議員]]に初当選(当選同期に[[保利耕輔]]・[[畑英次郎]]・[[麻生太郎]]・[[岸田文武]]・[[白川勝彦]]・[[丹羽雄哉]]・[[亀井静香]]・[[吹田愰]]・[[宮下創平]]・[[亀井善之]]・[[船田元]]など)。 |
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自民党では父が率いた[[周山会|佐藤派]]の流れを汲む[[木曜クラブ|田中派]]→[[平成研究会|竹下派→小渕派]]に属した。[[竹下内閣 (改造)|竹下改造内閣]]で[[運輸大臣]]として初入閣。[[1992年]]の[[東京佐川急便事件]]で竹下派が[[小沢一郎]]・[[羽田孜]]支持グループと[[小渕恵三]]支持グループに分裂すると、佐藤は[[村岡兼造]]、[[中村喜四郎]]、[[西田司]]、[[野中広務]]らとともに小渕恵三を支持した。[[第2次橋本内閣]]では[[経済産業大臣|通商産業大臣]]を務めた。[[1998年]]の[[自由民主党総裁選挙]]では領袖の小渕を推す派の意向に反して出馬した[[梶山静六]]を支持し派を離脱した。 |
自民党では父が率いた[[周山会|佐藤派]]の流れを汲む[[木曜クラブ|田中派]]→[[平成研究会|竹下派→小渕派]]に属した。[[竹下内閣 (改造)|竹下改造内閣]]で[[運輸大臣]]として初入閣。[[1992年]]の[[東京佐川急便事件]]で竹下派が[[小沢一郎]]・[[羽田孜]]支持グループと[[小渕恵三]]支持グループに分裂すると、佐藤は[[村岡兼造]]、[[中村喜四郎]]、[[西田司]]、[[野中広務]]らとともに小渕恵三を支持した。[[第2次橋本内閣]]では[[経済産業大臣|通商産業大臣]]を務めた。[[1998年]]の[[自由民主党総裁選挙]]では領袖の小渕を推す派の意向に反して出馬した[[梶山静六]]を支持し派を離脱した。 |
2020年7月25日 (土) 04:14時点における版
佐藤 信二 さとう しんじ | |
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生年月日 | 1932年2月8日 |
出生地 | 日本 山口県熊毛郡田布施町 |
没年月日 | 2016年5月3日(84歳没) |
出身校 | 慶應義塾大学法学部 |
前職 |
日本鋼管社員 (現・JFEスチール) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正三位勲一等旭日大綬章 中華民国大綬景星勲章 |
配偶者 | 妻・佐藤和子 |
親族 |
父・佐藤栄作 伯父・岸信介 従甥・安倍晋三、岸信夫 大伯父・松岡洋右 又従弟・松岡満寿男 娘婿・阿達雅志 |
第60代運輸大臣 | |
内閣 | 竹下改造内閣 |
在任期間 | 1988年12月27日 - 1989年6月3日 |
第61代通商産業大臣 | |
内閣 | 第2次橋本内閣 |
在任期間 | 1996年11月7日 - 1997年9月11日 |
選挙区 | 比例中国ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2003年11月9日 - 2005年8月8日 |
選挙区 |
(旧山口2区→) 山口2区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1979年10月7日 - 2000年6月2日 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1974年7月8日 - 1979年9月16日 |
佐藤 信二(さとう しんじ、1932年(昭和7年)2月8日 - 2016年(平成28年)5月3日[1])は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)。位階勲等は正三位勲一等。衆議院議員永年在職表彰受彰。第61、62、63代内閣総理大臣佐藤栄作の次男[2]。
衆議院議員
山口県熊毛郡田布施町出身。東京都立大学附属高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒業後、日本鋼管株式会社に入社。
1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区に出馬し初当選。沖縄開発政務次官を務める。1979年の第35回衆議院議員総選挙にて、旧山口2区へ出馬し衆議院議員に初当選(当選同期に保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。
自民党では父が率いた佐藤派の流れを汲む田中派→竹下派→小渕派に属した。竹下改造内閣で運輸大臣として初入閣。1992年の東京佐川急便事件で竹下派が小沢一郎・羽田孜支持グループと小渕恵三支持グループに分裂すると、佐藤は村岡兼造、中村喜四郎、西田司、野中広務らとともに小渕恵三を支持した。第2次橋本内閣では通商産業大臣を務めた。1998年の自由民主党総裁選挙では領袖の小渕を推す派の意向に反して出馬した梶山静六を支持し派を離脱した。
1994年の公職選挙法改正(小選挙区比例代表並立制施行)以降の選挙では、1996年の第41回衆議院議員総選挙で山口2区に出馬し当選。しかし、2000年と2003年の衆院選では民主党の平岡秀夫に連敗。2003年総選挙では比例中国ブロックで復活当選した。比例名簿では当選最下位であったため、引退した宮澤喜一が終身比例名簿1位のままであれば落選になっていた。
1997年1月の記者会見で「発電、送電事業の分離はタブーとされてきたが、大いに研究すべき分野だ」と電力業界の競争政策に関して発言したことで、電力の自由化の流れの嚆矢となった。
2005年7月5日の郵政国会の衆議院本会議の郵政民営化法案の採決では欠席して造反。同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙には出馬せず政界を引退した。通算当選8回(参1回)。なお、急な引退表明をする一方で後継者指名をしなかったため、自民党山口県連は早急に山口2区での候補者選定を迫られることになった。自民党の後任候補は公示9日前に福田良彦を擁立することになった。
政界引退後
2008年2月18日、台湾の陳水扁総統から、日華議員懇談会の前会長として長年・日台友好に寄与した功績として、台湾で外国人議員に贈る最高栄誉の勲章である「大綬景星勲章」を現会長の平沼赳夫とともに授与された[3]。
台湾高速鉄道の日本連合受注に大きく貢献した。
2009年12月22日、東京都世田谷区代沢の私邸に保管していた、沖縄返還にあたり有事の際にはアメリカ軍が沖縄に核兵器を非核三原則に違反して持ち込む事を容認する、父・栄作と大統領リチャード・ニクソンの秘密合意書(詳細は日米核持ち込み問題を参照)を公開した(なお、機密文書を持ち帰ったのは栄作である)[4]。
座右の銘を「愚公移山」としていた。
2016年5月3日死去[1]。84歳没。政府は没後、正三位に叙することを閣議決定した[5][6]。
栄典
家族・親族
- 父・佐藤栄作(内閣総理大臣)
- 母・佐藤寛子(外相・松岡洋右の姪)
- 兄・佐藤龍太郎(JR西日本取締役などを務めた)
- 妻・和子(東京ガス会長・安西浩の長女)
- 女婿・阿達雅志(公設秘書・参議院議員 妻は佐藤の娘・実花)
- また、娘(阿達と結婚した娘かは不明)は1980年代後半日本テレビの記者を務めていた[7]。
- 伯父・岸信介(内閣総理大臣)
- 従兄・岸信和(信介の長男、西部石油会長)
- 従姉・安倍洋子(信介の長女、安倍晋太郎の妻、安倍晋三・岸信夫らの母)
系譜
- 佐藤家(佐藤氏系譜(武家家伝))
┏昭和天皇━━━━━━━━━明仁上皇 明治天皇━━━大正天皇━━━━━┫ ┗三笠宮崇仁親王━━━━━━寬仁親王 ┃ ┏彬子女王 ┣━━━━━┫ 麻生太賀吉 ┃ ┗瑶子女王 ┃ ┏信子 ┣━━┫ ┃ ┗麻生太郎 ┏和子 吉田茂━━━━┫ ┗桜子 吉田祥朔 ┃ ┣━━━━━吉田寛 ┏さわ ┃ ┏寛子(栄作夫人) ┣佐藤松介━━┫ ┃ ┃ ┗正子 ┃ ┏藤枝 ┃ ┃ ┃ ┗松岡洋右 ┃ ┃ 佐藤信孝━━佐藤信立━━佐藤信寛━━佐藤信彦━╋佐藤寛造 ┃ ┃(池上) ┣佐藤作造 ┃ ┗茂世 安倍晋太郎 ┃ ┃ ┣━┳佐藤市郎 ┣━━━━━安倍晋三 ┃ ┃ ┃ (佐藤)┃ ┃(佐藤) ┃ ┏岸秀助 ┣岸信介━━洋子 ┃ ┃ ┃ ┃ 岸要蔵━━┫ ┗佐藤栄作━┳佐藤龍太郎━━佐藤栄治 ┃ ┃ ┃ ┗佐藤信二 ┗岸信政━━良子 ┃ (信介夫人) ┃ ┃ 安西浩━━━━和子
脚注
- ^ a b “佐藤信二・元通産相が死去…84歳”. 読売新聞. (2016年5月4日) 2016年5月4日閲覧。
- ^ “佐藤信二氏が死去 元通産相、栄作元首相の次男”. 産経ニュース. (2016年5月4日) 2020年2月12日閲覧。
- ^ “陳総統が日華懇の佐藤元会長および平沼会長に「大綬景星勲章」を授与”. 台北駐日経済文化代表処. (2008年2月19日) 2015年4月29日閲覧。
- ^ “核密約文書を保管 「合意議事録」 佐藤元首相の遺族”. ヒロシマ平和メディアセンター. (2009年12月24日) 2015年4月29日閲覧。
- ^ 故佐藤信二氏に正三位 運輸相など歴任
- ^ 『官報』第6794号、平成28年6月13日。
- ^ 日本テレビ報道局天皇斑『昭和最後の日 テレビ報道は何を伝えたのか』P87・P389(新潮社新潮文庫 2015年8月 ISBN 978-4-101-26011-2)
関連項目
議会 | ||
---|---|---|
先代 野田毅 |
衆議院商工委員長 1986年 - 1987年 |
次代 渡辺秀央 |
公職 | ||
先代 塚原俊平 |
通商産業大臣 第61代:1996年 - 1997年 |
次代 堀内光雄 |
先代 石原慎太郎 |
運輸大臣 第60代:1988年 - 1989年 |
次代 山村新治郎 |