「安牛駅」の版間の差分
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|画像説明= 駅舎(2016年10月) |
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|よみがな= やすうし |
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|ローマ字= Yasuushi |
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2020年2月15日 (土) 08:36時点における版
安牛駅 | |
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駅舎(2016年10月) | |
やすうし Yasuushi | |
◄W68 雄信内 (6.0 km) (1.9 km) 南幌延 W70► | |
所在地 | 北海道天塩郡幌延町字開進 |
駅番号 | ○W69 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 189.7 km(旭川起点) |
電報略号 | ヤス |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1925年(大正14年)7月20日 |
備考 | 無人駅 |
安牛駅(やすうしえき)は、北海道(宗谷総合振興局)天塩郡幌延町字開進にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW69。電報略号はヤス。
歴史
- 1925年(大正14年)7月20日:鉄道省天塩南線問寒別駅 - 幌延駅間延伸開通に伴い開業[1][2]。一般駅。
- 1926年(大正15年)9月25日:天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[1]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[1]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1977年(昭和52年)5月25日:貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 1980年代後半 - 1990年代前半:駅舎改築、貨車駅舎となる。
- 2016年(平成28年)3月26日:同日のダイヤ改正に伴う普通列車の減便で音威子府駅 - 幌延駅間の普通列車が5往復から3往復となり、全普通列車が停車するようになる[注釈 1]。
駅名の由来
当駅の所在する地名より。アイヌ語の「ヤシウシイ[注釈 2](yas-us-i)」〔(網で)魚をすくう・いつもする・所〕に由来する[4][5][6][7]。天塩川にサケが上り、その網引き場であったことによる名称である[7]。
所在する字名は、1959年(昭和34年)の字名改正で周辺地区と再編され、「開進」となっているが、これは「現在開拓適地が広大であり今後の開拓を大いに促進する上より」命名された名称である[幌延町 1]。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(稚内方面に向かって左手側、旧1番線)に存在する[5]。分岐器を持たない棒線駅となっている[5]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[8]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[8]。駅舎側(西側)が下り1番線、対向側ホームが上り2番線となっていた[8]。そのほか1番線の旭川方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[8]。交換設備運用廃止後は線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲している[5]。
駅舎は構内の南西側に位置しホーム中央部分に接している[5]。ヨ3500形車掌車[9]を改造した貨車駅舎が旧駅舎の基礎上に設置されており、トイレを有するが閉鎖されていた[5][6]。
本久の著書によると、2008年(平成20年)時点で宗谷本線の貨車駅舎の中で最も外壁塗装の劣化が激しいとされ[6]、2017年時点では集落に面した側の塗装がかなり剥げ落ちている[幌延町 2]。
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駅舎(2005年5月)
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ホーム(2017年10月)
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駅名標(2017年10月)
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は13人[8]。
- 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は4人[5]。
- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗車人員(11月の調査日)平均は「1名以下」[JR北 1]。
- 2012 - 2016年(平成24 - 28年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.6人[JR北 2]。
- 2013 - 2017年(平成25 - 29年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.2人[JR北 3]。
- 2014 - 2018年(平成26 - 30年)の乗車人員(特定の平日の調査日)平均は0.2人[JR北 4]。
駅周辺
駅前は集落となっていたが、幌延町では現在人家はない[幌延町 2]としている。集落には洋服仕立て屋、雑貨店、商店、日本通運があった[幌延町 2]。東側(駅裏手)は樹林、旧集落を抜けた西側は牧草地で、天塩川に沿った沼(三日月湖)も多い[8][6]
- 開進集会所 - 幌延町立安牛小学校(1982年(昭和57年)3月閉校[幌延町 3])跡地。
- 北海道道256号豊富遠別線
- 天塩川
隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)179-180ページより。
- ^ 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年5月発行)47ページより。
- ^ 書籍『無人駅探訪』(監修:西崎さいき、文芸社、2011年6月発行)149ページより。
- ^ a b “アイヌ語地名リスト モク~リ P131-140”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)149ページより。
- ^ a b c d 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)220ページより。
- ^ a b 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、(2004年2月発行))124ページより。
- ^ a b c d e f 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)184ページより。
- ^ 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫、2007年5月発行)23ページより。
JR北海道
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区) (Press release). 北海道旅客鉄道. 8 December 2017. 2017年12月30日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2017年12月30日閲覧。
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が空白で指定されています。 (説明) - ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 2 July 2017. 2018年7月3日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年7月13日閲覧。
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が空白で指定されています。 (説明) - ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 4 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
幌延町
- ^ “町の区域内の町及び字の区域及び名称(昭和34年4月23日北海道告示第573号)”. 幌延町例規類集第1編 総規/第1章 町制(北海道町村会法務支援室例規集データベース) (1959年4月23日). 2017年12月16日閲覧。
- ^ a b c “幌延町内の各駅ご紹介”. 幌延町 (2017年11月6日). 2017年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月6日閲覧。
- ^ “幌延町史跡標柱等について”. 幌延町. 2017年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月19日閲覧。