「東映アニメーション」の版間の差分
65行目: | 65行目: | ||
1961年(昭和36年)秋には東映動画に[[労働組合]]が結成され<ref name="blt" /><ref name="赤旗1907_08">{{Cite news |author=田代正則|title = 出産退職誓わされた時代...『なつぞら』舞台モデル・東映動画の労組を訪ねて |date = 2019年7月14日 |newspaper = [[しんぶん赤旗#日曜版|しんぶん赤旗日曜版]] |publisher = [[日本共産党中央委員会]] |page = 33 }}[http://jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-07-24/2019072414_01_1.html きょうの潮流 2019年7月24日 – 日本共産党]、[http://jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-08-19/2019081901_06_0.html きょうの潮流 2019年8月19日 – 日本共産党]</ref>、1962年10月、東映東京撮影所の敷地内に置く東映動画、[[東映テレビ・プロダクション]]などの組合員を糾合して全東映労連が結成される<ref name="シナリオ1506">{{Cite journal |和書 |author = [[佐伯俊道]] |title = 終生娯楽派の戯言 {{small|第三十六回 佐渡でサド}} |journal = [[シナリオ (雑誌)|シナリオ]] |issue = 2015年6月号 |publisher = [[日本シナリオ作家協会]] |pages = 66-61 }}</ref><ref name="shinjuku-shobo">[http://www.shinjuku-shobo.co.jp/column/data/manaita/007.html (7)村山新治と佐伯孚治 - 俎板橋だより]</ref>。過密労働と低賃金の改善という一般的な労組の目的の他、作品本数や出来高で賃金を払う[[契約社員|契約者]]と呼ばれる個人請負の労働者の待遇改善<ref name="Kuroki150621"/><ref name="赤旗1907_08"/><ref group="注釈">社員でない契約者は[[労働#労働者|労働者]]ではない、契約期間が過ぎたら、[[資本]]側が一方的に契約打ち切り([[解雇]])する自由があるという会社側の主張([[佐伯俊道]]「終生娯楽派の戯言 {{small|第三十六回 佐渡でサド}}」『[[シナリオ (雑誌)|シナリオ]]』2015年6月号、[[日本シナリオ作家協会]]、66-61頁)。</ref>、東映本社が企画権を握り、漫画映画らしい作品の企画とその制作が制限されている状況を打開したい等の要求が増していく<ref name="TVアニメーション大全" /><ref name="lite-ra"/><ref name="赤旗1907_08"/><ref>[https://twitter.com/somichi/status/1162510803875979265 高鳥都のツイート] 2019年8月16日</ref>。1959年(昭和34年)就業人員270人<ref name="avjournal199501"/>。1964年(昭和39年)就業人員575人<ref name="avjournal199501"/>。1963年(昭和38年)頃から[[黒字と赤字|赤字]]を出し始めた<ref name="avjournal199501"/>。 |
1961年(昭和36年)秋には東映動画に[[労働組合]]が結成され<ref name="blt" /><ref name="赤旗1907_08">{{Cite news |author=田代正則|title = 出産退職誓わされた時代...『なつぞら』舞台モデル・東映動画の労組を訪ねて |date = 2019年7月14日 |newspaper = [[しんぶん赤旗#日曜版|しんぶん赤旗日曜版]] |publisher = [[日本共産党中央委員会]] |page = 33 }}[http://jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-07-24/2019072414_01_1.html きょうの潮流 2019年7月24日 – 日本共産党]、[http://jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-08-19/2019081901_06_0.html きょうの潮流 2019年8月19日 – 日本共産党]</ref>、1962年10月、東映東京撮影所の敷地内に置く東映動画、[[東映テレビ・プロダクション]]などの組合員を糾合して全東映労連が結成される<ref name="シナリオ1506">{{Cite journal |和書 |author = [[佐伯俊道]] |title = 終生娯楽派の戯言 {{small|第三十六回 佐渡でサド}} |journal = [[シナリオ (雑誌)|シナリオ]] |issue = 2015年6月号 |publisher = [[日本シナリオ作家協会]] |pages = 66-61 }}</ref><ref name="shinjuku-shobo">[http://www.shinjuku-shobo.co.jp/column/data/manaita/007.html (7)村山新治と佐伯孚治 - 俎板橋だより]</ref>。過密労働と低賃金の改善という一般的な労組の目的の他、作品本数や出来高で賃金を払う[[契約社員|契約者]]と呼ばれる個人請負の労働者の待遇改善<ref name="Kuroki150621"/><ref name="赤旗1907_08"/><ref group="注釈">社員でない契約者は[[労働#労働者|労働者]]ではない、契約期間が過ぎたら、[[資本]]側が一方的に契約打ち切り([[解雇]])する自由があるという会社側の主張([[佐伯俊道]]「終生娯楽派の戯言 {{small|第三十六回 佐渡でサド}}」『[[シナリオ (雑誌)|シナリオ]]』2015年6月号、[[日本シナリオ作家協会]]、66-61頁)。</ref>、東映本社が企画権を握り、漫画映画らしい作品の企画とその制作が制限されている状況を打開したい等の要求が増していく<ref name="TVアニメーション大全" /><ref name="lite-ra"/><ref name="赤旗1907_08"/><ref>[https://twitter.com/somichi/status/1162510803875979265 高鳥都のツイート] 2019年8月16日</ref>。1959年(昭和34年)就業人員270人<ref name="avjournal199501"/>。1964年(昭和39年)就業人員575人<ref name="avjournal199501"/>。1963年(昭和38年)頃から[[黒字と赤字|赤字]]を出し始めた<ref name="avjournal199501"/>。 |
||
[[1960年代]]はテレビの普及に伴い、劇場用アニメーションからテレビ用アニメーションへ主流が交代していった時代であったが<ref name="レジャー産業198812"/>、この時代に『[[狼少年ケン]]』<ref name="autodesk_13" />や『[[魔法使いサリー]]』『[[ |
[[1960年代]]はテレビの普及に伴い、劇場用アニメーションからテレビ用アニメーションへ主流が交代していった時代であったが<ref name="レジャー産業198812"/>、この時代に『[[狼少年ケン]]』<ref name="autodesk_13" />や『[[魔法使いサリー]]』『[[ゲゲゲの鬼太郎]]』『[[ひみつのアッコちゃん]]』『[[タイガーマスク]]』などを手掛け、テレビ用アニメーションの[[市民権]]獲得に貢献した<ref name="レジャー産業198812"/>。東映動画が主体的に関わった「[[東映まんがまつり]]」で育った親たちが、自分の子供たちを安心して連れて来れる「まんがまつり」に連れて行ったという評価もある<ref>{{Cite journal|和書 |author = 池田静雄 (東映取締役・映像事業部長)他、各地区映像事業部長など11人、司会・北浦馨 | title =50億から100億~各支社の大胆細心の経営戦略東映の特殊部隊 |journal = 映画時報 |issue = 1983年8、9月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 8 }}</ref>。 |
||
『[[ガリバーの宇宙旅行]]』が製作された1965年2月から毎週テレビ番組『[[狼少年ケン]]』『[[少年忍者風のフジ丸]]』『[[宇宙パトロールホッパ]]』の三本製作態勢に入ったため<ref name="週刊読売19650228">{{Cite journal |和書 |author = [[河上英一]] |title = 芸能ジャーナル『長編動画を続けよ』 |journal = [[週刊読売]] |issue = 1965年2月28日号 |publisher = [[読売新聞社]] | pages = 50 }}</ref>、業界関係者からは長編動画の製作は事実上終了だろうと見られた<ref name="週刊読売19650228"/>。時間も手間もかかる長編動画は群小プロには製作は不可能で<ref name="Kuroki150621"/><ref name="週刊読売19650228"/>、東映動画一社だけが長編動画の製作を続けていた<ref name="週刊読売19650228"/>。1965年に親会社である東映が定期採用を止めたことに倣い、東映動画も1965年を最後に[[正社員]]の定期採用を中止し<ref name="blt" />、以降1991年まで26年間採用をしなかった<ref name="blt" />。これに伴い、1965年から長編動画製作は、原則として正社員の作画職が従事し、テレビアニメ製作は、作業量に基づいて個人別に業務委託契約を結ぶ[[契約社員|契約者]]が行うことが定められた<ref name="戦後映画の産業空間86">[[#戦後映画の産業空間]]、86-88頁</ref>。これは[[スポンサー]]動向からの影響を受けるテレビアニメ製作と違い、東映本社を発注元とする長編動画製作は、東映動画の経営能力を証明しなければならないという特徴を持つものだったからである<ref name="戦後映画の産業空間86"/>。 |
『[[ガリバーの宇宙旅行]]』が製作された1965年2月から毎週テレビ番組『[[狼少年ケン]]』『[[少年忍者風のフジ丸]]』『[[宇宙パトロールホッパ]]』の三本製作態勢に入ったため<ref name="週刊読売19650228">{{Cite journal |和書 |author = [[河上英一]] |title = 芸能ジャーナル『長編動画を続けよ』 |journal = [[週刊読売]] |issue = 1965年2月28日号 |publisher = [[読売新聞社]] | pages = 50 }}</ref>、業界関係者からは長編動画の製作は事実上終了だろうと見られた<ref name="週刊読売19650228"/>。時間も手間もかかる長編動画は群小プロには製作は不可能で<ref name="Kuroki150621"/><ref name="週刊読売19650228"/>、東映動画一社だけが長編動画の製作を続けていた<ref name="週刊読売19650228"/>。1965年に親会社である東映が定期採用を止めたことに倣い、東映動画も1965年を最後に[[正社員]]の定期採用を中止し<ref name="blt" />、以降1991年まで26年間採用をしなかった<ref name="blt" />。これに伴い、1965年から長編動画製作は、原則として正社員の作画職が従事し、テレビアニメ製作は、作業量に基づいて個人別に業務委託契約を結ぶ[[契約社員|契約者]]が行うことが定められた<ref name="戦後映画の産業空間86">[[#戦後映画の産業空間]]、86-88頁</ref>。これは[[スポンサー]]動向からの影響を受けるテレビアニメ製作と違い、東映本社を発注元とする長編動画製作は、東映動画の経営能力を証明しなければならないという特徴を持つものだったからである<ref name="戦後映画の産業空間86"/>。 |
||
92行目: | 92行目: | ||
東映及び、東映と『[[仮面ライダー]]』から商品開発を連動させてきた[[バンダイ]]<ref>{{Cite news |author = |title = テレビ朝日:『スーパー戦隊シリーズ』30周年、高視聴率維持マジレンジャー |date = 2005年5月23日 |newspaper = [[毎日新聞]] |publisher = [[毎日新聞社]] |page = 11 }}{{Cite news |author = |title = 仮面ライダー、米でデビュー年内TV放映前にバンダイがグッズ販売 |date = 1995年6月16日 |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |page = 3 }}</ref><ref name="avjournal199407">{{Cite journal|和書 |title =トップインタビュー/山科誠バンダイ社長 『映画ビジネスは自主製作をメインに』 |journal = AVジャーナル |issue = 1997年7月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 46 - 51 }}</ref>等に莫大な利益をもたらした『[[パワーレンジャー]]』の仕掛人・[[ハイム・サバン]]は<ref name="nikkei20030904">{{Cite news |author = |title = 独民放最大手買収の米投資家サバン氏―『パワーレンジャー』生みの親。|date = 2003年9月4日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 21 }}</ref><ref name="一橋ビジネスレビュー36">{{Cite journal |和書 |author = 豊永真美 |title = パワーレンジャーをヒットさせた男 ハイム・サバンと日本のコンテンツ |journal = 一橋ビジネスレビュー |issue = 2010年夏号 |publisher = [[東洋経済新報社]] |isbn = 9784492820469 |pages = 36 – 51 }}</ref><ref name="AVJ">{{Cite journal|和書 |title = 東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『映像ソフト、当らにゃ一文にもならん』 |journal = AVジャーナル |issue = 1995年3月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 26 - 27 }}{{Cite journal|和書 |title = 東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『R・マードック乗り込みで俄然』 |journal = AVジャーナル |issue = 1997年3月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 22-27 }}</ref>、『[[マジンガーZ]]』か<ref name="AVJ"/>『[[UFOロボ グレンダイザー]]』が<ref name="一橋ビジネスレビュー36"/>、フランスで初めて放送された際に、音楽の一部入れ替えが行われ<ref name="AVJ"/>、これを担当したプロデューサーがフランス在住時のサバンで<ref name="AVJ"/>、子どもを対象にしたビジネスは国を超えて全世界で商売になると見てとったサバンは<ref name="AVJ"/>、アメリカ移住後も東映とビジネスを続け、東映の[[特撮テレビ番組一覧|特撮番組]]を購入し<ref group="注釈">[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]は「1980年代にサバンに『[[超電子バイオマン]]』や『[[超人機メタルダー]]』などの[[版権|権利]]を売った」と話している(『AVジャーナル』1995年3月号、27頁)。また1996年に[[ルパート・マードック]]が[[孫正義]]と組んで[[テレビ朝日]]を買収しようとして、日本の電波業界が大揺れした際([http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960620/softbank.htm ソフトバンクが豪社と合弁で、テレビ朝日に資本参加]、『[[日経ビジネス]]』1997年2月17日号、『[[財界 (雑誌)|財界]]』2011年6月7日号、61頁、『AVジャーナル』1996年9月号、7頁)、東映グループ全体で当時22%前後の[[株式]]を持つ岡田がマードックとの交渉にあたり(『財界』2011年6月7日号、61頁、『経済界』1996年8月27日号、45-47頁)、[[サバン・エンターテイメント]]が[[フォックス放送|フォックステレビ]]傘下に入っていたため、事務折衝の当事者として岡田と交渉を持ったのが岡田と付き合いの長いサバンであった(『AVジャーナル』1997年3月号、22-27頁)。「無理やり日本に進出しても支持されない」とマードックを説得し、マードックがテレビ朝日の当時の大株主・[[旺文社]]から買ったテレビ朝日の株を同額で[[朝日新聞]]に引き取らせる交渉を行ったのは岡田であった(『財界』2011年6月7日号、61頁)。</ref>、全米ネットワークに挑戦したが、アメリカは子どもの教育問題や暴力シーンの規制が厳しく、何度も失敗しながら『パワーレンジャー』でようやく長年抱き続けた夢を果たしたものであった<ref name="一橋ビジネスレビュー36"/><ref name="AVJ"/>。『パワーレンジャー』のベースとなった『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』の「原型を残すから作り変えさせてくれ」というサバンからの要望を認めたのは当時の[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]東映会長である<ref name="nikkei20030904"/><ref name="nikkei19930714">{{Cite news |author = 川崎満 |title = 東映・FOX、日米映像のプロ握手、パトロン不要(ビジネスTODAY) |date = 1993年7月14日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 1 }}</ref>。また『[[パワーレンジャー#テレビシリーズ|パワーレンジャー]]』の1993年からの[[フォックス放送|フォックス・テレビネットワーク]]を通じての全米放映は、岡田と[[20世紀フォックス]]の長い間の協力関係が実を結んだもので<ref name="nikkei19930714"/><ref name="映画時報19930708">{{Cite journal|和書 |author = |title = 東映=FOX、長期TV配給権締結テレビ放映用映画の共同製作も|journal = 映画時報 |issue = 1993年7、8月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 35-36 }}</ref><ref name="経済界19960827">{{Cite journal|和書 |author = 阿部崇 |title = マードックに狙われる東映・岡田茂会長の次の一手|journal = 経済界 |issue = 1996年8月27日号 |publisher = [[経済界 (出版社)|経済界]] |pages = 45-47 }}</ref><ref name="AVJ199307">{{Cite journal|和書 |title = NEW FLASH 放送 『東映がFOXと放映権の独占契約を締結』 |journal = AVジャーナル |issue = 1993年7月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 17 }}</ref><ref name="財界20110607">{{Cite journal|和書 |author = 村田博文 |title = 東映・岡田茂さんを偲ぶ |journal = [[財界 (雑誌) |財界]]|issue = 2011年6月7日号 |publisher = 財界研究所 |pages = 61 }}</ref><ref group="注釈">岡田と20世紀フォックスの付き合いは『[[トラ・トラ・トラ!]]』の製作協力を始まりとしており(『映画監督 舛田利雄 ~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』 242–248頁、報知新聞1969年2月26日、10頁、日刊スポーツ1969年2月26日、15頁)、1973年、フォックス作品の日本のテレビでの放映権独占契約を結び(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁)、同年10月に[[木曜洋画劇場]]で放映された『[[ミクロの決死圏]]』を皮切りに、以降、『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』『[[エイリアン (映画) |エイリアン]]』『[[ダイ・ハード]]』『[[ホーム・アローン]]』などが(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁)、東映を通じて日本のテレビ局に売り込まれた(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁、『経済界』1996年8月27日号、45-47頁、『[[週刊読売]]』1982年2月21日号、30頁)。1982年には東映が『スター・ウォーズ』を他作品30本と抱き込みで13億円で[[日本テレビ]]に売り、映画テレビ関係者を驚かせた(『週刊読売』1982年2月21日号、30頁)。</ref>、1993年7月12日に、東映と20世紀フォックスとの間で、フォックス作品の長期間国内独占テレビ配給及びテレビ映画の共同製作に関る契約という東映国際化の一環として<ref name="私の経営説法"/>、岡田が[[先行投資]]を締結した際の契約の一つであった<ref name="nikkei19930714"/><ref name="映画時報19930708"/><ref name="AVJ199307"/><ref name="経済界19960827"/>。フォックスとの共同会見で岡田は、「これまでウチがFOX映画の数々のヒット作を独占的にテレビ配給して成功を収めてきた。この実績をもとに今回、FOXの全ての作品を配給する契約を結んだ。FOXの会長であり[[最高経営責任者|最高責任者]]の[[ルパート・マードック]]氏は、7年前にお会いしたとき意気投合し、一緒に仕事をやろうと話し合った昵懇の仲で、今回の契約が成立した。『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』のアメリカでの放映も決まり、大いに期待される」などと話した<ref name="映画時報19930708"/>。岡田はマードックや[[孫正義]]とも親しく<ref name="nikkei19961115">{{Cite news |author = 坂村道生 |title = 東映会長岡田茂氏―実力者の申し出袖に(談話室) |date = 1996年11月15日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 3 }}</ref>、1996年11月に来日した[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]を含む[[ハリウッド]]最強[[代理人]]・[[マイケル・オーヴィッツ]]は「数分でも会えれば奇跡」と面会希望者が殺到したが、そのオーヴィッツからの「会いたい」という申し出に「時間が合わない」と袖にしたこともある日本の[[エンターテインメント|エンターテインメント業界]]では数少ない[[メディア (媒体) |メディア]]通の一人でもあった<ref name="nikkei19961115"/>。 |
東映及び、東映と『[[仮面ライダー]]』から商品開発を連動させてきた[[バンダイ]]<ref>{{Cite news |author = |title = テレビ朝日:『スーパー戦隊シリーズ』30周年、高視聴率維持マジレンジャー |date = 2005年5月23日 |newspaper = [[毎日新聞]] |publisher = [[毎日新聞社]] |page = 11 }}{{Cite news |author = |title = 仮面ライダー、米でデビュー年内TV放映前にバンダイがグッズ販売 |date = 1995年6月16日 |newspaper = [[朝日新聞]] |publisher = [[朝日新聞社]] |page = 3 }}</ref><ref name="avjournal199407">{{Cite journal|和書 |title =トップインタビュー/山科誠バンダイ社長 『映画ビジネスは自主製作をメインに』 |journal = AVジャーナル |issue = 1997年7月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 46 - 51 }}</ref>等に莫大な利益をもたらした『[[パワーレンジャー]]』の仕掛人・[[ハイム・サバン]]は<ref name="nikkei20030904">{{Cite news |author = |title = 独民放最大手買収の米投資家サバン氏―『パワーレンジャー』生みの親。|date = 2003年9月4日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 21 }}</ref><ref name="一橋ビジネスレビュー36">{{Cite journal |和書 |author = 豊永真美 |title = パワーレンジャーをヒットさせた男 ハイム・サバンと日本のコンテンツ |journal = 一橋ビジネスレビュー |issue = 2010年夏号 |publisher = [[東洋経済新報社]] |isbn = 9784492820469 |pages = 36 – 51 }}</ref><ref name="AVJ">{{Cite journal|和書 |title = 東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『映像ソフト、当らにゃ一文にもならん』 |journal = AVジャーナル |issue = 1995年3月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 26 - 27 }}{{Cite journal|和書 |title = 東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『R・マードック乗り込みで俄然』 |journal = AVジャーナル |issue = 1997年3月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 22-27 }}</ref>、『[[マジンガーZ]]』か<ref name="AVJ"/>『[[UFOロボ グレンダイザー]]』が<ref name="一橋ビジネスレビュー36"/>、フランスで初めて放送された際に、音楽の一部入れ替えが行われ<ref name="AVJ"/>、これを担当したプロデューサーがフランス在住時のサバンで<ref name="AVJ"/>、子どもを対象にしたビジネスは国を超えて全世界で商売になると見てとったサバンは<ref name="AVJ"/>、アメリカ移住後も東映とビジネスを続け、東映の[[特撮テレビ番組一覧|特撮番組]]を購入し<ref group="注釈">[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]は「1980年代にサバンに『[[超電子バイオマン]]』や『[[超人機メタルダー]]』などの[[版権|権利]]を売った」と話している(『AVジャーナル』1995年3月号、27頁)。また1996年に[[ルパート・マードック]]が[[孫正義]]と組んで[[テレビ朝日]]を買収しようとして、日本の電波業界が大揺れした際([http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960620/softbank.htm ソフトバンクが豪社と合弁で、テレビ朝日に資本参加]、『[[日経ビジネス]]』1997年2月17日号、『[[財界 (雑誌)|財界]]』2011年6月7日号、61頁、『AVジャーナル』1996年9月号、7頁)、東映グループ全体で当時22%前後の[[株式]]を持つ岡田がマードックとの交渉にあたり(『財界』2011年6月7日号、61頁、『経済界』1996年8月27日号、45-47頁)、[[サバン・エンターテイメント]]が[[フォックス放送|フォックステレビ]]傘下に入っていたため、事務折衝の当事者として岡田と交渉を持ったのが岡田と付き合いの長いサバンであった(『AVジャーナル』1997年3月号、22-27頁)。「無理やり日本に進出しても支持されない」とマードックを説得し、マードックがテレビ朝日の当時の大株主・[[旺文社]]から買ったテレビ朝日の株を同額で[[朝日新聞]]に引き取らせる交渉を行ったのは岡田であった(『財界』2011年6月7日号、61頁)。</ref>、全米ネットワークに挑戦したが、アメリカは子どもの教育問題や暴力シーンの規制が厳しく、何度も失敗しながら『パワーレンジャー』でようやく長年抱き続けた夢を果たしたものであった<ref name="一橋ビジネスレビュー36"/><ref name="AVJ"/>。『パワーレンジャー』のベースとなった『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』の「原型を残すから作り変えさせてくれ」というサバンからの要望を認めたのは当時の[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]東映会長である<ref name="nikkei20030904"/><ref name="nikkei19930714">{{Cite news |author = 川崎満 |title = 東映・FOX、日米映像のプロ握手、パトロン不要(ビジネスTODAY) |date = 1993年7月14日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 1 }}</ref>。また『[[パワーレンジャー#テレビシリーズ|パワーレンジャー]]』の1993年からの[[フォックス放送|フォックス・テレビネットワーク]]を通じての全米放映は、岡田と[[20世紀フォックス]]の長い間の協力関係が実を結んだもので<ref name="nikkei19930714"/><ref name="映画時報19930708">{{Cite journal|和書 |author = |title = 東映=FOX、長期TV配給権締結テレビ放映用映画の共同製作も|journal = 映画時報 |issue = 1993年7、8月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 35-36 }}</ref><ref name="経済界19960827">{{Cite journal|和書 |author = 阿部崇 |title = マードックに狙われる東映・岡田茂会長の次の一手|journal = 経済界 |issue = 1996年8月27日号 |publisher = [[経済界 (出版社)|経済界]] |pages = 45-47 }}</ref><ref name="AVJ199307">{{Cite journal|和書 |title = NEW FLASH 放送 『東映がFOXと放映権の独占契約を締結』 |journal = AVジャーナル |issue = 1993年7月号 |publisher = 文化通信社 |pages = 17 }}</ref><ref name="財界20110607">{{Cite journal|和書 |author = 村田博文 |title = 東映・岡田茂さんを偲ぶ |journal = [[財界 (雑誌) |財界]]|issue = 2011年6月7日号 |publisher = 財界研究所 |pages = 61 }}</ref><ref group="注釈">岡田と20世紀フォックスの付き合いは『[[トラ・トラ・トラ!]]』の製作協力を始まりとしており(『映画監督 舛田利雄 ~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』 242–248頁、報知新聞1969年2月26日、10頁、日刊スポーツ1969年2月26日、15頁)、1973年、フォックス作品の日本のテレビでの放映権独占契約を結び(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁)、同年10月に[[木曜洋画劇場]]で放映された『[[ミクロの決死圏]]』を皮切りに、以降、『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』『[[エイリアン (映画) |エイリアン]]』『[[ダイ・ハード]]』『[[ホーム・アローン]]』などが(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁)、東映を通じて日本のテレビ局に売り込まれた(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁、『経済界』1996年8月27日号、45-47頁、『[[週刊読売]]』1982年2月21日号、30頁)。1982年には東映が『スター・ウォーズ』を他作品30本と抱き込みで13億円で[[日本テレビ]]に売り、映画テレビ関係者を驚かせた(『週刊読売』1982年2月21日号、30頁)。</ref>、1993年7月12日に、東映と20世紀フォックスとの間で、フォックス作品の長期間国内独占テレビ配給及びテレビ映画の共同製作に関る契約という東映国際化の一環として<ref name="私の経営説法"/>、岡田が[[先行投資]]を締結した際の契約の一つであった<ref name="nikkei19930714"/><ref name="映画時報19930708"/><ref name="AVJ199307"/><ref name="経済界19960827"/>。フォックスとの共同会見で岡田は、「これまでウチがFOX映画の数々のヒット作を独占的にテレビ配給して成功を収めてきた。この実績をもとに今回、FOXの全ての作品を配給する契約を結んだ。FOXの会長であり[[最高経営責任者|最高責任者]]の[[ルパート・マードック]]氏は、7年前にお会いしたとき意気投合し、一緒に仕事をやろうと話し合った昵懇の仲で、今回の契約が成立した。『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』のアメリカでの放映も決まり、大いに期待される」などと話した<ref name="映画時報19930708"/>。岡田はマードックや[[孫正義]]とも親しく<ref name="nikkei19961115">{{Cite news |author = 坂村道生 |title = 東映会長岡田茂氏―実力者の申し出袖に(談話室) |date = 1996年11月15日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 3 }}</ref>、1996年11月に来日した[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]を含む[[ハリウッド]]最強[[代理人]]・[[マイケル・オーヴィッツ]]は「数分でも会えれば奇跡」と面会希望者が殺到したが、そのオーヴィッツからの「会いたい」という申し出に「時間が合わない」と袖にしたこともある日本の[[エンターテインメント|エンターテインメント業界]]では数少ない[[メディア (媒体) |メディア]]通の一人でもあった<ref name="nikkei19961115"/>。 |
||
将来を見据えた[[コンピュータ]]の導入では[[1974年]](昭和49年)、社内に[[プロジェクトチーム]]を作り、[[1977年]](昭和52年)正式に技術委員会プロジェクトを発足させた<ref name="TVアニメーション大全" /><ref name="山口"/><ref name="増田">[[#増田]]、20-134頁([http://anime.typepad.jp/blog/2007/12/post_cf1c.html 『アニメビジネスがわかる』解説53])</ref>。これが同社の[[デジタル]]化([[デジタルアニメ]])の切っ掛けとなる<ref name="山口"/>。国内大手[[電機メーカー|家電メーカー]]と連携して研究開発に取り組んだが、1980年代に於いては初期費用、[[ランニングコスト]]も[[巨大数|天文学的な数字]]にのぼり実現できなかった<ref name="山口"/><ref name="増田"/>。しかし1990年代に入って[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の性能が飛躍的に向上し価格もどんどん下がり、1992年(平成4年)の『[[北斗の拳#ゲーム|北斗の拳]]』のゲーム用データ作成を手始めに、一部実験的に試用を始め、[[1997年]]『[[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ |
将来を見据えた[[コンピュータ]]の導入では[[1974年]](昭和49年)、社内に[[プロジェクトチーム]]を作り、[[1977年]](昭和52年)正式に技術委員会プロジェクトを発足させた<ref name="TVアニメーション大全" /><ref name="山口"/><ref name="増田">[[#増田]]、20-134頁([http://anime.typepad.jp/blog/2007/12/post_cf1c.html 『アニメビジネスがわかる』解説53])</ref>。これが同社の[[デジタル]]化([[デジタルアニメ]])の切っ掛けとなる<ref name="山口"/>。国内大手[[電機メーカー|家電メーカー]]と連携して研究開発に取り組んだが、1980年代に於いては初期費用、[[ランニングコスト]]も[[巨大数|天文学的な数字]]にのぼり実現できなかった<ref name="山口"/><ref name="増田"/>。しかし1990年代に入って[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の性能が飛躍的に向上し価格もどんどん下がり、1992年(平成4年)の『[[北斗の拳#ゲーム|北斗の拳]]』のゲーム用データ作成を手始めに、一部実験的に試用を始め、[[1997年]]『[[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎 第4シリーズ]]』4月放映分からデジタル制作に完全に切り替えた<ref name="TVアニメーション大全" /><ref name="山口"/><ref name="nikkei19970413">{{Cite news |author = |title = 第一部仮想が現実になる日(6) (モダンタイムス2001電脳社会なんて怖くない) |date = 1997年4月13日 |newspaper = [[日本経済新聞]]夕刊 |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 1 }}</ref>。それまで熟練した職人芸が要求された工程を全て画面上で処理するシステムの稼働で<ref name="nikkei19970413"/>、これが日本アニメのデジタル化第一作である<ref name="山口"/><ref name="sankei20160714"/><ref name="nikkei19970413"/>。 |
||
また1970年代後半から劇場用・テレビ用アニメーションの製作だけでなく活動領域を拡げ<ref name="レジャー産業198812"/>、[[スーパーマーケット]]や[[遊園地]]、[[ホテル]]などでの[[イベント]]に積極的にコミットし<ref name="avjournal199501"/>、各種キャラクター商品やイベントを通じ、市民生活に溶け込み、新たなファン層を獲得した<ref name="avjournal199501"/><ref name="レジャー産業198812"/>。レジャーメディアでの開発は、1976年の[[三重県]][[桑名市]][[ナガシマスパーランド]]に於ける「マジンガーZロボット館」でのスペース構成が最初といわれる<ref name="レジャー産業198812"/>。これによりアニメーションの製作のみならず、映像が生み出すキャラクターを主体とした関連事業が拡大した<ref name="レジャー産業198812"/>。[[1987年]](昭和62年)はイベント関連売上げが売り上げが約40億円になった<ref name="nikkei19880812">{{Cite news |author = |title = 映画会社、ノウハウ生かしイベント開拓―企画や建設、運営も。|date = 1988年8月12日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 4 }}</ref>。イベント関連事業は東映本社映像事業部、[[東映太秦映画村|映画村エンタープライズ]]と共にその中核として<ref name="nikkei19880812"/>、[[北九州市]]の[[スペースワールド]]の施設計画の立案等を手掛けた<ref name="nikkei19880812"/><ref>{{Cite journal|和書 |author = 新日本製鐵株式會社・滝本憲二/東映動画・村山賢郎 |title= 対談 『鉄屋の新日鐵と映画屋の東映動画が手を結ぶ時代―スペースワールドをめぐって』 |journal = [[月刊レジャー産業資料]] |issue = 1988年12月号 |publisher = 綜合ユニコム |pages = 188 - 192 }}</ref>。またマーチャンダイジング営業強化の施策では、制作部門に対して付帯・関連部門を強化し、関連部門の売り上げが全体の60~70%を占めるようになり、制作の差損を営業によって埋め合わせる仕組みを作った<ref name="TVアニメーション大全" />。1990年代に手掛けた『[[美少女戦士セーラームーン (テレビアニメ)|美少女戦士セーラームーン]]』のキャラクター商品は、1995年時点で1000アイテムを超えた<ref name="avjournal199501"/>。これらは今田が長い期間、営業体制の強化を計り実効を上げたものであった<ref name="avjournal199501"/>。同社の[[版権|版権事業]]は1960年の『[[西遊記 (1960年の映画)|西遊記]]』から始まっており<ref name="レジャー産業198812"/>、この分野も日本に於ける草分けであった<ref name="レジャー産業198812"/><ref>[http://corp.toei-anim.co.jp/company/our_business/licensing/ 版権事業|IR情報|東映アニメーション株式会社]</ref>。1987年には年間売上げ155億円を記録<ref name="レジャー産業198812"/>。1980年代以降は、東映の屋台骨を支えていく存在になった<ref name="avjournal199501"/>。大川時代から変わって、岡田=今田時代の東映動画は、"アニメーションの[[商社#総合商社|総合商社]]"として第2の創業といえるものであった<ref name="レジャー産業198812"/><ref>[http://sound.jp/jsaskyushu2018/ 一藤浩隆『今田智憲と東映動画第2の創業~1970年代中盤から80年代初頭にかけての営業戦略を中心に~』] 日本アニメーション学会 2018年度 第20回大会 2018年6月16日</ref>。 |
また1970年代後半から劇場用・テレビ用アニメーションの製作だけでなく活動領域を拡げ<ref name="レジャー産業198812"/>、[[スーパーマーケット]]や[[遊園地]]、[[ホテル]]などでの[[イベント]]に積極的にコミットし<ref name="avjournal199501"/>、各種キャラクター商品やイベントを通じ、市民生活に溶け込み、新たなファン層を獲得した<ref name="avjournal199501"/><ref name="レジャー産業198812"/>。レジャーメディアでの開発は、1976年の[[三重県]][[桑名市]][[ナガシマスパーランド]]に於ける「マジンガーZロボット館」でのスペース構成が最初といわれる<ref name="レジャー産業198812"/>。これによりアニメーションの製作のみならず、映像が生み出すキャラクターを主体とした関連事業が拡大した<ref name="レジャー産業198812"/>。[[1987年]](昭和62年)はイベント関連売上げが売り上げが約40億円になった<ref name="nikkei19880812">{{Cite news |author = |title = 映画会社、ノウハウ生かしイベント開拓―企画や建設、運営も。|date = 1988年8月12日 |newspaper = [[日本経済新聞]] |publisher = [[日本経済新聞社]] |page = 4 }}</ref>。イベント関連事業は東映本社映像事業部、[[東映太秦映画村|映画村エンタープライズ]]と共にその中核として<ref name="nikkei19880812"/>、[[北九州市]]の[[スペースワールド]]の施設計画の立案等を手掛けた<ref name="nikkei19880812"/><ref>{{Cite journal|和書 |author = 新日本製鐵株式會社・滝本憲二/東映動画・村山賢郎 |title= 対談 『鉄屋の新日鐵と映画屋の東映動画が手を結ぶ時代―スペースワールドをめぐって』 |journal = [[月刊レジャー産業資料]] |issue = 1988年12月号 |publisher = 綜合ユニコム |pages = 188 - 192 }}</ref>。またマーチャンダイジング営業強化の施策では、制作部門に対して付帯・関連部門を強化し、関連部門の売り上げが全体の60~70%を占めるようになり、制作の差損を営業によって埋め合わせる仕組みを作った<ref name="TVアニメーション大全" />。1990年代に手掛けた『[[美少女戦士セーラームーン (テレビアニメ)|美少女戦士セーラームーン]]』のキャラクター商品は、1995年時点で1000アイテムを超えた<ref name="avjournal199501"/>。これらは今田が長い期間、営業体制の強化を計り実効を上げたものであった<ref name="avjournal199501"/>。同社の[[版権|版権事業]]は1960年の『[[西遊記 (1960年の映画)|西遊記]]』から始まっており<ref name="レジャー産業198812"/>、この分野も日本に於ける草分けであった<ref name="レジャー産業198812"/><ref>[http://corp.toei-anim.co.jp/company/our_business/licensing/ 版権事業|IR情報|東映アニメーション株式会社]</ref>。1987年には年間売上げ155億円を記録<ref name="レジャー産業198812"/>。1980年代以降は、東映の屋台骨を支えていく存在になった<ref name="avjournal199501"/>。大川時代から変わって、岡田=今田時代の東映動画は、"アニメーションの[[商社#総合商社|総合商社]]"として第2の創業といえるものであった<ref name="レジャー産業198812"/><ref>[http://sound.jp/jsaskyushu2018/ 一藤浩隆『今田智憲と東映動画第2の創業~1970年代中盤から80年代初頭にかけての営業戦略を中心に~』] 日本アニメーション学会 2018年度 第20回大会 2018年6月16日</ref>。 |
||
123行目: | 123行目: | ||
東映アニメーションが制作した作品において、基本的に親会社の東映本体も製作に関わっていることがほとんどだが、[[日本放送協会]](NHK)、[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]]などの製作作品や、[[海外]]向け作品に関して、東映本体が製作に一切関与しない作品も存在する。映画作品に関しても多くは東映が配給しているが、2000年代後半以降は、小規模上映作品を中心に東映系列の[[ティ・ジョイ]]が配給している作品も目立つようになっている。 |
東映アニメーションが制作した作品において、基本的に親会社の東映本体も製作に関わっていることがほとんどだが、[[日本放送協会]](NHK)、[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]]などの製作作品や、[[海外]]向け作品に関して、東映本体が製作に一切関与しない作品も存在する。映画作品に関しても多くは東映が配給しているが、2000年代後半以降は、小規模上映作品を中心に東映系列の[[ティ・ジョイ]]が配給している作品も目立つようになっている。 |
||
過去に制作した作品の[[リメイク]]を盛んに行うのも東映アニメーションの特徴であり、[[1980年代]]は『[[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)| |
過去に制作した作品の[[リメイク]]を盛んに行うのも東映アニメーションの特徴であり、[[1980年代]]は『ゲゲゲの鬼太郎』([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|第3作]])、『[[ひみつのアッコちゃん]]』(第2作)、『[[魔法使いサリー]]』(第2作)、[[1990年代]]は『ゲゲゲの鬼太郎』([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|第4作]])、『[[キューティーハニーF]]』、『ひみつのアッコちゃん』(第3作)、『[[Dr.スランプ#アニメ『ドクタースランプ』|ドクタースランプ]]』、[[2000年代]]は『[[ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU]]』、『[[祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン]]』、『ゲゲゲの鬼太郎』([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第5シリーズ)|第5作]])、[[2010年代]]は『ゲゲゲの鬼太郎』([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第6シリーズ)|第6作]])をそれぞれ制作した。また、『ドラゴンボールZ』を再編集した『[[ドラゴンボール改]]』を制作している([[2009年]] [平成21年] - [[2011年]] [平成23年]に第1期、[[2014年]] [平成26年]より第2期)。 |
||
各作品のエンディングの[[クレジットタイトル|クレジット]]に「協力:[[青二プロダクション]]」とあるように同社との関係が深く、かつては青二プロダクションの所属[[声優]]を独占的に多く起用した作品も多かったが、1990年代後半以降は[[東映アカデミー]]がキャスティングマネージメントを行う作品もある。東映アカデミーの解散後は、[[東映マネージメント|東映東京撮影所マネージメント部]]<ref group="注釈">クレジット上は東映東京撮影所</ref>がキャスティングマネージメントを引き継いでいる。 |
各作品のエンディングの[[クレジットタイトル|クレジット]]に「協力:[[青二プロダクション]]」とあるように同社との関係が深く、かつては青二プロダクションの所属[[声優]]を独占的に多く起用した作品も多かったが、1990年代後半以降は[[東映アカデミー]]がキャスティングマネージメントを行う作品もある。東映アカデミーの解散後は、[[東映マネージメント|東映東京撮影所マネージメント部]]<ref group="注釈">クレジット上は東映東京撮影所</ref>がキャスティングマネージメントを引き継いでいる。 |
||
396行目: | 396行目: | ||
* [[キングコング]](ビデオクラフトと共同制作、1967年) |
* [[キングコング]](ビデオクラフトと共同制作、1967年) |
||
* [[1/007親指トム]](ビデオクラフトと共同制作、1967年) |
* [[1/007親指トム]](ビデオクラフトと共同制作、1967年) |
||
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)| |
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第1シリーズ)|第1作]]、1968年 - 1969年) |
||
* [[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009]](第1作、1968年) |
* [[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009]](第1作、1968年) |
||
* [[あかねちゃん]](1968年) |
* [[あかねちゃん]](1968年) |
||
409行目: | 409行目: | ||
* [[さるとびエッちゃん]](1971年 - 1972年) |
* [[さるとびエッちゃん]](1971年 - 1972年) |
||
* [[アパッチ野球軍]](1971年 - 1972年) |
* [[アパッチ野球軍]](1971年 - 1972年) |
||
* ゲゲゲの鬼太郎(第2作、1971年 - 1972年) |
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第2シリーズ)|第2作]]、1971年 - 1972年) |
||
* [[原始少年リュウ]](1971年 - 1972年) |
* [[原始少年リュウ]](1971年 - 1972年) |
||
* [[魔法使いチャッピー]](1972年) |
* [[魔法使いチャッピー]](1972年) |
||
489行目: | 489行目: | ||
* [[はーいステップジュン]](1985年 - 1986年) |
* [[はーいステップジュン]](1985年 - 1986年) |
||
* [[コンポラキッド]](1985年) |
* [[コンポラキッド]](1985年) |
||
* ゲゲゲの鬼太郎(第3作、1985年 - 1988年) |
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|第3作]]、1985年 - 1988年) |
||
* [[地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー]](1985年 - 1987年、〇) |
* [[地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー]](1985年 - 1987年、〇) |
||
* メイプルタウン物語シリーズ |
* メイプルタウン物語シリーズ |
||
538行目: | 538行目: | ||
* [[世界名作童話シリーズ ワ〜ォ!メルヘン王国]](1995年) |
* [[世界名作童話シリーズ ワ〜ォ!メルヘン王国]](1995年) |
||
* [[ご近所物語]](1995年 - 1996年) |
* [[ご近所物語]](1995年 - 1996年) |
||
* ゲゲゲの鬼太郎(第4作、1996年 - 1998年) |
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|第4作]]、1996年 - 1998年) |
||
* [[ドラゴンボールGT]](1996年 - 1997年) |
* [[ドラゴンボールGT]](1996年 - 1997年) |
||
* [[地獄先生ぬ〜べ〜]](1996年 - 1997年) |
* [[地獄先生ぬ〜べ〜]](1996年 - 1997年) |
||
607行目: | 607行目: | ||
* [[銀色のオリンシス]](2006年) |
* [[銀色のオリンシス]](2006年) |
||
* [[祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン]](創立50周年記念作品、2006年 - 2007年) |
* [[祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン]](創立50周年記念作品、2006年 - 2007年) |
||
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ |
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第5シリーズ)|第5作]]、2007年 - 2009年) |
||
* [[ラブ★コン]](2007年) |
* [[ラブ★コン]](2007年) |
||
* [[太極千字文]]([[大韓民国|韓国]]での放映、[[韓国放送公社|KBS]]、[[Iconix Entertainment]]、[[東西大学校]]、[[JM ANIMATION]]との共同製作、2007年 - 2008年) |
* [[太極千字文]]([[大韓民国|韓国]]での放映、[[韓国放送公社|KBS]]、[[Iconix Entertainment]]、[[東西大学校]]、[[JM ANIMATION]]との共同製作、2007年 - 2008年) |
||
669行目: | 669行目: | ||
* [[正解するカド]](2017年) |
* [[正解するカド]](2017年) |
||
* [[おしりたんてい]](2018年) |
* [[おしりたんてい]](2018年) |
||
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ |
* ゲゲゲの鬼太郎([[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第6シリーズ)|第6作]]、2018年) |
||
* [[爆釣バーハンター]]([[ぎゃろっぷ]]との共同製作、2018年 - 2019年) |
* [[爆釣バーハンター]]([[ぎゃろっぷ]]との共同製作、2018年 - 2019年) |
||
* [[聖闘士星矢 セインティア翔]](実制作は[[ゴンゾ]]、2018年 - 2019年) |
* [[聖闘士星矢 セインティア翔]](実制作は[[ゴンゾ]]、2018年 - 2019年) |
||
741行目: | 741行目: | ||
* [[アンデルセン物語]](1968年) |
* [[アンデルセン物語]](1968年) |
||
* [[太陽の王子 ホルスの大冒険]](1968年) |
* [[太陽の王子 ホルスの大冒険]](1968年) |
||
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)# |
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第1シリーズ)#映画|ゲゲゲの鬼太郎]](1968年) |
||
* [[長靴猫シリーズ#『長靴をはいた猫』(第1作)|長靴をはいた猫]](1969年) |
* [[長靴猫シリーズ#『長靴をはいた猫』(第1作)|長靴をはいた猫]](1969年) |
||
* [[ひとりぼっち]](1969年) |
* [[ひとりぼっち]](1969年) |
||
800行目: | 800行目: | ||
* [[魔法少女ララベル 海が呼ぶ夏休み]](1980年) |
* [[魔法少女ララベル 海が呼ぶ夏休み]](1980年) |
||
* ゲゲゲの鬼太郎シリーズ |
* ゲゲゲの鬼太郎シリーズ |
||
** ゲゲゲの鬼太郎 地相眼(1980年) |
** [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第2シリーズ)#映画|ゲゲゲの鬼太郎 地相眼]](1980年) |
||
** [[ゲゲゲの鬼太郎 (1985年の映画)|ゲゲゲの鬼太郎 妖怪軍団]](1985年) |
** [[ゲゲゲの鬼太郎 (1985年の映画)|ゲゲゲの鬼太郎 妖怪軍団]](1985年) |
||
** [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争]](1986年) |
** [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争]](1986年) |
||
924行目: | 924行目: | ||
* ゲゲゲの鬼太郎シリーズ |
* ゲゲゲの鬼太郎シリーズ |
||
** [[ゲゲゲの鬼太郎 大海獣]](1996年) |
** [[ゲゲゲの鬼太郎 大海獣]](1996年) |
||
** [[ゲゲゲの鬼太郎 お |
** [[ゲゲゲの鬼太郎 おばけナイター]](1997年) |
||
** [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪特急! まぼろしの汽車]](1997年) |
** [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪特急! まぼろしの汽車]](1997年) |
||
* 地獄先生ぬ〜べ〜シリーズ |
* 地獄先生ぬ〜べ〜シリーズ |
||
984行目: | 984行目: | ||
* [[劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!]](2008年) |
* [[劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!]](2008年) |
||
* [[きかんしゃ やえもん]](2009年) |
* [[きかんしゃ やえもん]](2009年) |
||
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (アニメ)|ゲゲゲの鬼太郎 鬼太郎の幽霊電車3D]](2009年) |
* [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)#映画|ゲゲゲの鬼太郎 鬼太郎の幽霊電車3D]](2009年) |
||
==== 2010年代(劇場アニメ) ==== |
==== 2010年代(劇場アニメ) ==== |
2019年12月13日 (金) 13:19時点における版
旧大泉スタジオ[注釈 1] | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒164-0001 東京都中野区中野四丁目10番1号 中野セントラルパーク イースト5階 北緯35度42分28.0秒 東経139度39分46.5秒 / 北緯35.707778度 東経139.662917度座標: 北緯35度42分28.0秒 東経139度39分46.5秒 / 北緯35.707778度 東経139.662917度 |
設立 |
1948年(昭和23年)1月23日 (日本動画株式会社として設立) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 8011601004645 |
事業内容 | アニメーションの企画・制作、版権事業 |
代表者 | 代表取締役社長 高木勝裕 |
資本金 | 2,867,575千円[1] |
発行済株式総数 | 1,400万株[1] |
売上高 |
連結: 40,747,350千円 単独: 37,861,981千円 (2017年3月期)[1] |
営業利益 |
連結: 10,133,714千円 単独: 6,863,498千円 (2017年3月期)[1] |
経常利益 |
連結: 10,362,907千円 単独: 7,756,508千円 (2017年3月期)[1] |
純利益 |
連結: 7,203,702千円 単独: 5,413,529千円 (2017年3月期)[1] |
純資産 |
連結: 51,549,144千円 単独: 41,731,250千円 (2017年3月31日現在)[1] |
総資産 |
連結: 65,978,575千円 単独: 54,436,214千円 (2017年3月31日現在)[1] |
従業員数 |
連結: 645名 単独: 402名 (2017年3月31日現在)[1] |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
東映(株) 34.2% (大株主を参照) |
主要子会社 |
(株)タバック 100% 東映アニメーション音楽出版(株) 100% TOEI ANIMATION PHILS., INC. 100% |
関係する人物 | 関連人物を参照 |
外部リンク | http://www.toei-anim.co.jp/ |
特記事項:1952年(昭和27年)8月に日本動画株式会社から日動映画株式会社へ商号変更。 1956年(昭和31年)7月に日動映画株式会社から東映動画株式会社へ商号変更。 1998年(平成10年)10月に東映動画株式会社から東映アニメーション株式会社へ商号変更。 |
東映アニメーション株式会社(とうえいアニメーション、英: TOEI ANIMATION CO., LTD.)は、日本のアニメ制作会社。日本動画協会正会員、一般社団法人練馬アニメーション理事。
沿革
1950 - 1960年代
1948年(昭和23年)1月、政岡憲三、山本善次郎らにより日本動画株式会社設立[2]。設立当初は成城高校の空き教室約100坪を使って制作が行われた。1952年(昭和27年)8月、日動映画株式会社に商号変更した[2]。
1955年(昭和30年)、日動映画の藪下泰司と山本善次郎が東映の今田智憲営業課長を訪ね[3]、「自分たちは日動というアニメの会社を24、5人でやっているんだが、どうも難しい。協力してもらえないか」と相談があり[3][4]、国際的な映像の仕事としての大きな可能性を感じた今田が大川博東映社長に「東洋のウォルト・ディズニーになりましょう」と進言し日動映画の買収を決めた[3]。
1956年(昭和31年)1月、東映は東映動画の設立に向け「漫画映画製作研究委員会」を立ち上げ、委員長は大川社長で、設立準備の実務担当委員として赤川孝一管理課長[注釈 2]や、今田智憲らが任命された[5]。ところが、事業計画案を巡り赤川と今田の意見が対立した。今田は「カラー長編制作に加え、ディズニー社を始めとするアメリカの長編アニメ制作会社と提携し、その制作技術を導入すること」「作品制作事業だけでなく、関連商品販売やテーマパーク運営など、広範囲にわたる事業展開を図るべし」「絶対に天然色で、長編漫画でなければ収入はあがらない」などと提案[5]。今田は今日のキャラクター・ビジネスやマーチャンダイズに近い発想を既に持っていたが、結局赤川の教育映画部の意見が優先され、今田の意見は却下された。
同年7月、東映が日動映画を買収。1956年(昭和31年)8月1日[6]、東映動画株式会社が発足した[2]。設立に森康二、藪下泰司らも参加した。これ以前にも商業アニメーションは細々と存在したが[7]、東映が買収したことで初めて日本のアニメーションに光が当たった[8][注釈 3]。発足当時の35名の社員はほとんどが旧日動の社員で、会社住所も日動と同じ新宿区原町であった[9]。東映動画の発足にあたっては短編・中編制作の事業計画のみが記載され、長編の記載はなかったが[5]、もとは香港からの持ち込み企画であった『白蛇伝』の制作をスタートさせた。当時、日本国内にアニメーション制作会社はごく少なく、長編制作の経験もほとんどなかった中で、東映は日動映画を買収することによりアニメーション制作のノウハウを得ようとしたのである。
発足から4ヵ月後の1956年(昭和31年)12月[10]、まだ武蔵野の面影が残る閑静な東京都練馬区の東映東京撮影所南側に隣接してスタジオが完成[6][10]。東映動画は1957年(昭和32年)1月9日、この新スタジオに移転[2]。日本に於ける本格的アニメーションの製作が開始された[7][10]。スタジオ完成とともに新たに採用された東映動画第一期生の中には大塚康生、楠部大吉郎らがいた。スタジオ竣工時就業人員80人[6]。また1958年から手塚治虫が『西遊記』の製作のために嘱託として参加している[11]。この時のノウハウが旧虫プロダクションで活かされることとなる[11]。東映動画の遺伝子は後の日本のアニメーションの歴史に大きな影響力を持った[12][13][14][15][16][17][18]。岡田茂は「東映が日本のアニメーターを養成したようなもの」と述べている[19]。
新スタジオでは『白蛇伝』制作のためのスタッフ急増とCMフィルムの需要の増加に対応して同年末に第1次増設工事に着工して同年4月10日に竣工し、その2年後の1959年(昭和34年)6月15日には第2次増設工事竣工した。さらに『狼少年ケン』などのテレビアニメーション(テレビ漫画)の制作に対応するため1964年(昭和39年)6月2日には第3次増設工事が竣工して現在のスタジオに成長した。
スタジオの完成によって長編アニメーション制作の体制が整い、まず手慣らしとして旧日動映画スタッフの指導の下で、1957年(昭和32年)5月に初の短編作品『こねこのらくがき』を制作した。続いて1958年(昭和33年)10月には『白蛇伝』を完成した。日本でテレビ放送が始まって5年8ヵ月後のことで[20]、当時としては破格の製作費4000万円、製作期間9ヶ月を費やした[20]。東映動画は「日本でもここまでできる」と後進を刺激し[15][20]、家内制手工業の動画制作を近代産業に発展させ、同時に日本アニメーションの戦後を終わらせた[14][21]。その後、『わんぱく王子の大蛇退治』、そうして宮崎駿などの『白蛇伝』に影響を受けたスタッフらも制作に参加した『太陽の王子 ホルスの大冒険』、『長靴をはいた猫』などの長編作品を発表し、1960年代における東映動画の長編時代が築かれた。輸出向けに日本人の顔や言語のデメリットを克服する漫画映画は、子供向けの壁を超えて、家族映画のマーケットを確保していく[14]。社員総数は1959年(昭和34年)には250名にまで増えたが、そのうちCMアニメの制作に100名が従事しており、東映動画の主たる仕事は常にCMアニメの制作であった[9]。
1961年(昭和36年)虫プロダクションが設立されると、手塚治虫にアニメ制作の才能を請われたアニメーターたちが虫プロに移動したり、両方の作業をするという混乱期があった[9][22]。虫プロは設立に当たり、人材の大半を東映動画からの引き抜きに依存した[22][23]。東映動画という先行者がなしでは、虫プロも手際よく発足し、設立から一年半の間にテレビ漫画シリーズをスタートさせることはできなかった[23]。一時期の虫プロは、東映動画のスタジオが一部分そのままそっくり移転したかのような様相を呈した[23]。東映動画は作画関係者だけに限らず、演出家、美術家、カラープランナー、カメラマン、プロデューサーに至るまで抱えて育んでいたため、東映動画はアニメーション業界に、人材をつぎつぎと送り込む供給源になっていった[23]。手塚も『西遊記』『シンドバッドの冒険』『わんわん忠臣蔵』の東映動画の製作に誘われ、実際の作業の現場を経験したことにより、アニメーション制作の意を強くした[11]。東映動画に残ったクリエーターの多くは劇場公開アニメーションの制作など、東映動画の従来のアニメ制作の方針に拘った者であった[9]。
当時、連続テレビ漫画番組は、制作に占める人件費の割合が多く、テレビ劇映画に比べて三倍の制作費がかかるといわれ[24]、毎週テレビ放送されるアニメシリーズの制作を企画したプロダクションやテレビ局はなかった。手塚は破格の安値で明治製菓に「鉄腕アトム」のスポンサーになってもらい[25]、低い放映権料で番組制作を請け負った[9][25]。赤字分は自分の漫画の収入で補填した[25]。手塚は「漫画は本妻、アニメは愛人」と冗談半分に言った[25][26]。このしわ寄せで「鉄腕アトム」の作業者(アニメーター)は徹夜に近い作業の連続[25]。「アニメーターは低賃金で長時間労働、好きでなければやっていられない」という産業構造を生み[25][27]、手塚アニメの安値受注が業界の水準となったため[25]、後々までアニメ業界は受注金額が低く抑えられる状態が続くことになった[9][25][28]。また「鉄腕アトム」の例から、漫画雑誌に掲載された漫画作品を元にすれば知名度の点から人気が取れることが分かり、動画の技術としては手抜きな作品であっても視聴率が取れるとされ、東映が劇場用で目指したのとは異なる種類のマーケットが確立し、拡大していくことになった[29][30]。
1961年(昭和36年)秋には東映動画に労働組合が結成され[27][31]、1962年10月、東映東京撮影所の敷地内に置く東映動画、東映テレビ・プロダクションなどの組合員を糾合して全東映労連が結成される[32][33]。過密労働と低賃金の改善という一般的な労組の目的の他、作品本数や出来高で賃金を払う契約者と呼ばれる個人請負の労働者の待遇改善[29][31][注釈 4]、東映本社が企画権を握り、漫画映画らしい作品の企画とその制作が制限されている状況を打開したい等の要求が増していく[9][16][31][34]。1959年(昭和34年)就業人員270人[6]。1964年(昭和39年)就業人員575人[6]。1963年(昭和38年)頃から赤字を出し始めた[6]。
1960年代はテレビの普及に伴い、劇場用アニメーションからテレビ用アニメーションへ主流が交代していった時代であったが[10]、この時代に『狼少年ケン』[22]や『魔法使いサリー』『ゲゲゲの鬼太郎』『ひみつのアッコちゃん』『タイガーマスク』などを手掛け、テレビ用アニメーションの市民権獲得に貢献した[10]。東映動画が主体的に関わった「東映まんがまつり」で育った親たちが、自分の子供たちを安心して連れて来れる「まんがまつり」に連れて行ったという評価もある[35]。
『ガリバーの宇宙旅行』が製作された1965年2月から毎週テレビ番組『狼少年ケン』『少年忍者風のフジ丸』『宇宙パトロールホッパ』の三本製作態勢に入ったため[36]、業界関係者からは長編動画の製作は事実上終了だろうと見られた[36]。時間も手間もかかる長編動画は群小プロには製作は不可能で[29][36]、東映動画一社だけが長編動画の製作を続けていた[36]。1965年に親会社である東映が定期採用を止めたことに倣い、東映動画も1965年を最後に正社員の定期採用を中止し[27]、以降1991年まで26年間採用をしなかった[27]。これに伴い、1965年から長編動画製作は、原則として正社員の作画職が従事し、テレビアニメ製作は、作業量に基づいて個人別に業務委託契約を結ぶ契約者が行うことが定められた[37]。これはスポンサー動向からの影響を受けるテレビアニメ製作と違い、東映本社を発注元とする長編動画製作は、東映動画の経営能力を証明しなければならないという特徴を持つものだったからである[37]。
翌1966年に白川大作の提言で[38]、夏休みのまんがまつりから、長編動画の呼び名「A作」に対して、「A作」とTVアニメの中間に位置する「B作」と呼んだ60分前後の中編『サイボーグ009』がプログラムに加えられた[38][39]。これが他作品と合わせて大ヒットことで[38]、テレビアニメや人気漫画原作の低予算映画に観客のニーズが高いと判断され、長編動画の存在意義が激しく揺らいだ[38]。長編動画の製作がなお続けられたのは、長編動画が日本の映画文化に果たした業績も極めて大きく[36]、長編動画を楽しみにしている子供たちもいる、長編製作の火を消してはならない、長編動画は東映の良心、という考えが大川社長にあり[40]、大塚康生は「大川社長は脚本もよく読んでなかったんじゃないかでしょうか。『君たち、任せたよ』という感じでね。これは作り手にとって一番いいタイプの経営者であり、一番怖い経営者でもある」などと話しているが[41]、長編動画を含めた東映動画の赤字は大川が黙認することで不問に付されていたといわれる[40]。
東映動画の外部導入は1966年(昭和41年)から始まる石ノ森章太郎とのコラボレーション『サイボーグ009』から漫画家との企画段階からの共同作業に至り[14]、『仮面ライダー』の変身ブームや、永井豪とのコラボ『マジンガーZ』はロボットアニメの興隆を生み出した[14][42]。
東映アニメーションのマスコットキャラクターは、『長靴をはいた猫』・『ながぐつ三銃士』・『長靴をはいた猫 80日間世界一周』の主人公ペロである。
1970 - 1990年代
大川博が1971年(昭和46年)8月に逝去し、後任として東映社長に就任した岡田茂は(同月兼東映動画会長)[13][43]、躊躇なく赤字噴出の東映動画の経営改善に踏み切り[6][44]、激しいリストラを敢行した[13][45][46][47][48][49][50]。岡田は労組との団交の席上「動画は東映のガンだ。ガンは放置しておいたら、やがて病巣は東映の全身に広がる。ガンは小さいうちに切開手術するのが医者(経営者)の義務だ」と発言し労組が猛反発した[51][52][53]。当時東映は映画製作ではただ一社黒字を出していたが[53]、岡田は赤字会社に350人もの従業員がいることを問題視し[19]、このまま東映動画を放っておくと他のセクションに悪い影響が拡がると判断した[19][53][54]。岡田は恫喝[55]、泣き落とし[56][57]、逃走[58]、俳優全員の前で土下座[57]とあらゆる手を使って、専属契約を結んでいたベテランの時代劇俳優・脚本家・監督を根こそぎ切り[59]、京都撮影所の従業員数を2100人から900人に減らしたこともある[59][60]東映の長年の労務担当者でもあった[18][57][58][59][61][62][63][64]。この頃長編動画の製作コストが上昇し作れば作るほど赤字を出していた[45]。東映動画は累積赤字を3億円を出し倒産寸前[65]。また東映労組(東制労)[66]の強力な拠点となっていた東映動画には[27][53]、責任者として行くことを皆嫌がったが[51]、岡田はギブアップして病気療養中の[65]高橋勇社長に替えて[6]、元東映勤労部長で労務管理のベテラン・登石雋一を言い含めて東映動画の社長に据え[6][49][50][65]、強硬なリストラを命じた[45][51]。岡田と登石は製作数を減らし、さらに従業員320名(うち契約者104人)の約半分の150人の希望退職を募集[45][51][53][33]。希望者がない場合は指名解雇に踏み切る態度を匂わせ、また組合の強硬手段を計算に入れ、買い取り作品で番組編成を行うなど対戦の長期化に備えた[53][67]。労組は激しく反発し、東映東京撮影所に機動隊が導入されるなど東制労闘争は激化[61][33][68]、労使の間で団交が繰り返されたが、希望退職の募集は何度も延期され、のち5カ月間に及ぶロックアウトが敢行され[45][29][33]、約120名が退職し東映動画は存続した[27][45][47][49][50][51][69]。その後も訴訟紛争は続き、労使紛争は二年に及び[6]、労使とも深い傷を残した修羅場の二ヵ年であった[6]。当時の東映の主な赤字部門は、東映フライヤーズと東京タワー交通、ボウリング部門、東映動画の4つで[51]、東映動画は関連会社で最も赤字幅が大きかったが[70]、岡田は動画以外の3つを切り動画のみ残した[19][51][59]。岡田が東映動画の独立採算体制を厳格に打ち出したことで[37]、1971年の『どうぶつ宝島』で長編動画製作は終了し[37]、結果として自社で抱えていたクリエーターの多くが他のプロダクションなどへと移るなどして東映動画を去った[13][18][31][37][48]。岡田、登石と1974年8月、後任として岡田から東映動画社長に抜擢された今田智憲の尽力により[6][51][48][71][72]、1970年代始めに3億円あった東映動画の累積赤字は一掃され、1981年(昭和56年)に東映動画は売上げ70億円、利益2億円を出すまで回復した[6][18][48][51][73]。登石、今田とその後の泊懋で、合計32年間動画の社長を務めた三人は、いづれも岡田から「お前、動画の社長やれ」と強要されたものであった[6][49][50][74]。登石の前に大川博の指名で[75]動画の社長を務めた高橋勇は、労働三法を全く知らない労務管理が全然できない人で[76]、行く先々で労使交渉に敗北して、にっちもさっちもいかなくなり[76][77]、毎回岡田が尻拭いを行った[76][77]。
1970年代に入ると、人気・制作本数ともに拡大し始めたテレビシリーズの制作におされ、コストのかさむ長編作品の制作は縮小されていくようになった。大手制作会社というイメージが、安心して仕事を任せられるという印象を放送局や広告代理店、出版社などに与えたこともあり、東映動画には週刊少年漫画誌原作のテレビアニメ制作の依頼が多く舞い込むようになった。人気テレビアニメの焼き直しの方が長編動画より利益幅が大きかった[45]。制作の中心はテレビシリーズへと移り劇場作品は漫画原作の「東映まんがまつり」が中心となり、さらに仮面ライダーシリーズのような実写ヒーロー物が「東映まんがまつり」に入ってくるようになったことで東映長編時代は終焉を迎える[13][37][78]。制作本数の増加と労働争議の激化により1973年(昭和48年)からは韓国への制作委託を開始。国外発注の強化とともに、自社のスタジオ周辺に下請けプロダクションを増やして制作の下請け・外注化を進めた。
大川博の息子・大川毅とそりが合わずユニオン映画に行っていた今田智憲が、盟友・岡田茂に呼び戻され1974年(昭和49年)社長に就任[48][71][79][80]。今田は1993年(平成5年)まで歴代最長の20年間社長を務め[81]、この間一度も赤字を出すことなく[6]、東映ビデオの社長も16年間兼任しながら大きな功績を残した[6][9][48]。今田はそれまでの強硬路線と違い、柔軟路線をとり労組に対応[48]、先のリストラ時の解雇者の中で裁判に訴えていた18名の解雇を取り消して労使は和解し[9]、労組問題に揺れた東映動画を立て直す[48][82]。続いて制作の赤字構造の改善に経営方針として、(1)版権ビジネス・キャラクター商品化の営業強化、(2)海外への販路拡大、(3)制作を下請け化して、その下請けプロを管理する、(4)海外にも下請けを拡大させる、(5)技術革新で省力化を図る、などを示した[6][9]。その後今田の施策は続々と実現されていった[6][9][48]。
1972年(昭和47年)放映開始した永井豪とのコラボレーション『マジンガーZ』に始まる"巨大ロボットもの"で一時代を築く[21][42][83]。初期長編の朗らか作品世界とは一変し、劇画タッチの荒々しいメカアクションは、超合金ロボットという玩具の分野を合わせて開拓し[83]、男児向けアニメの一大ジャンルとなった[21][83]。実写のキャラクター商品はこれ以前にもあったが[83]、アニメのテレビ放映と共にヒットしたキャラクター商品は『マジンガーZ』が初めてで[83]、これ以降、アニメ作品の二次利用(版権利用)が大きな収益を生むビジネスモデルとして定着した[83]。またそれまではアニメが放映されて人気を博したところでキャラクター商品が投入されていたが[83]、『マジンガーZ』は放映開始と同時[83]。これはテレビ放映権料が値上がりしたため、それまでのお菓子メーカーなど子供向けアニメのスポンサー以外の業種にスポンサーを広げなくてはならなくなり、『マジンガーZ』の広告を担当した旭通信社が放映開始と同時にキャラクター商品を出すことを条件にスポンサーを納得させたものであった[83]。アニメの歴史はビジネス面でいかに採算をとれるかの戦いでもあったが[84]、良い作品を作っても採算が取れず、倒産した製作会社が多い中、いち早く玩具メーカーと連携し、関連グッズから利益を生み出すビジネスモデルを確立させた[84]。
1976年(昭和51年)放映開始した『キャンディ・キャンディ』は高視聴率を確保し一年後の版権収入は11億5000万円を記録し[6]、1981年(昭和56年)放映開始した『Dr.スランプ アラレちゃん』が視聴率30%を維持して突っ走ると商品開発部の売上げは40億円を超えた[6]。時代の流れを捉えた今田の動画事業多角化は目論見通りの成果を生むようになった[6]。
今田は東映動画創業時から、"アニメは日本の映像産業が世界に輸出し得る唯一の商品"という考えを持っており[3]、東映動画は今田が社長に就任してようやく海外にも眼を向けていこうという方針になった[6][85]。日本アニメ海外進出の推進役として陣頭指揮を執り[3][6][9][85][86]、それまで東映本体が行っていた海外販売を1975年(昭和50年)から新設した動画版権営業部に行わせ、東アジア、東南アジアを手始めに欧州、アメリカ等、世界各国のテレビ・映画の見本市に毎年出展。今田自ら世界各地の映画祭や配給会社を訪ね、日本アニメの輸出促進を働きかけ[3]、フィルム輸出と海外版権の販路拡張を推し進めた[6][86]。
今田が有賀健[13]や、林幸夫(東映国際部)らを連れて世界的マルシェ(フィルムマーケット)に出掛けたのは1976年(昭和51年)のカンヌ国際映画祭が最初で[6]、ブースを確保し『マジンガーZ』などを展示したが、当時のヨーロッパでの日本のアニメの認知は0[6]。誰も寄り付かず、相手にもされず、「アニメは世界の共通語」と意気込んで出掛けた今田らはショックに打ちひしがれブースに坐り込んだ[6]。「鉄腕アトム」や「マッハGoGoGo」などがアメリカでもテレビ放送され[87][88]、他にも輸出されるアニメもあったが、全体的には1970年代前半まで日本製アニメは漫画同様、ほとんどの海外の国から相手にされなかった[87]。今田や有賀らはヨーロッパのテレビ局に売り込みに何度行っても門前払いを食らった[87]。懲りずに毎年売り込みを繰り返し認知が広がっていき[87]、ヨーロッパで最初に東映アニメが受け入れられたのは、当時番組が不足していたフランスやイタリア、スペインだった[42][87]。1978年7月にフランスアンテンヌ2で『キャンディ・キャンディ』と『UFOロボ グレンダイザー』(Goldorak(ゴルドラック)が放映され高視聴率を獲ると[6]、それが突破口になった[6]。『マジンガーZ』はイタリアやスペインで人気を博し[42]、1978年にフランスとイタリアで改題されて放送された『UFOロボ グレンダイザー』は最高視聴率80%を記録する社会現象になった(UFOロボ グレンダイザー#日本以外での放送)。また『キャンディ・キャンディ』もプライムタイムに放送され人気を博した[87]。1970年代から1990年代半ばにかけて日本のアニメがヒットしたのはフランス、イタリア、スペインなど欧州ラテン圏だけで[89]、イギリス、ドイツ、北欧など、言語文化が中心のアングロ・ゲルマン圏では、漫画やアニメに抵抗があり、個人主義で家族関係が冷めているとされ[89]、ほとんど放送されなかった[89]。またヨーロッパで一気に日本アニメの熱が上がらなかったのは、ヨーロッパは商品規制が厳しく、日本のキャラクター商品が入り込めず、テレビ放映の人気に限られたからで、こども達になかなか火が着かなかった[6]。1990年(平成2年)にフランスで規制が外れると『聖闘士星矢』(フランス題名;Les Chevaliers du Zodiaque(星座の騎士))から、テレビとマーチャンで一挙に大展開し[6]、『ドラゴンボール』[注釈 5]が続き、海外市場を切り拓いていった[6]。以降も自社制作作品の日本国外への売り込みを積極的に行う。特に『UFOロボ グレンダイザー』、『キャンディ・キャンディ』『ドラゴンボール』『美少女戦士セーラームーン』[注釈 6]は世界各国で放送され、日本のアニメーション輸出に弾みをつけた[6][9][90]。
東映及び、東映と『仮面ライダー』から商品開発を連動させてきたバンダイ[91][92]等に莫大な利益をもたらした『パワーレンジャー』の仕掛人・ハイム・サバンは[93][94][95]、『マジンガーZ』か[95]『UFOロボ グレンダイザー』が[94]、フランスで初めて放送された際に、音楽の一部入れ替えが行われ[95]、これを担当したプロデューサーがフランス在住時のサバンで[95]、子どもを対象にしたビジネスは国を超えて全世界で商売になると見てとったサバンは[95]、アメリカ移住後も東映とビジネスを続け、東映の特撮番組を購入し[注釈 7]、全米ネットワークに挑戦したが、アメリカは子どもの教育問題や暴力シーンの規制が厳しく、何度も失敗しながら『パワーレンジャー』でようやく長年抱き続けた夢を果たしたものであった[94][95]。『パワーレンジャー』のベースとなった『恐竜戦隊ジュウレンジャー』の「原型を残すから作り変えさせてくれ」というサバンからの要望を認めたのは当時の岡田茂東映会長である[93][96]。また『パワーレンジャー』の1993年からのフォックス・テレビネットワークを通じての全米放映は、岡田と20世紀フォックスの長い間の協力関係が実を結んだもので[96][97][98][99][100][注釈 8]、1993年7月12日に、東映と20世紀フォックスとの間で、フォックス作品の長期間国内独占テレビ配給及びテレビ映画の共同製作に関る契約という東映国際化の一環として[54]、岡田が先行投資を締結した際の契約の一つであった[96][97][99][98]。フォックスとの共同会見で岡田は、「これまでウチがFOX映画の数々のヒット作を独占的にテレビ配給して成功を収めてきた。この実績をもとに今回、FOXの全ての作品を配給する契約を結んだ。FOXの会長であり最高責任者のルパート・マードック氏は、7年前にお会いしたとき意気投合し、一緒に仕事をやろうと話し合った昵懇の仲で、今回の契約が成立した。『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のアメリカでの放映も決まり、大いに期待される」などと話した[97]。岡田はマードックや孫正義とも親しく[101]、1996年11月に来日したディズニーを含むハリウッド最強代理人・マイケル・オーヴィッツは「数分でも会えれば奇跡」と面会希望者が殺到したが、そのオーヴィッツからの「会いたい」という申し出に「時間が合わない」と袖にしたこともある日本のエンターテインメント業界では数少ないメディア通の一人でもあった[101]。
将来を見据えたコンピュータの導入では1974年(昭和49年)、社内にプロジェクトチームを作り、1977年(昭和52年)正式に技術委員会プロジェクトを発足させた[9][79][102]。これが同社のデジタル化(デジタルアニメ)の切っ掛けとなる[79]。国内大手家電メーカーと連携して研究開発に取り組んだが、1980年代に於いては初期費用、ランニングコストも天文学的な数字にのぼり実現できなかった[79][102]。しかし1990年代に入ってパソコンの性能が飛躍的に向上し価格もどんどん下がり、1992年(平成4年)の『北斗の拳』のゲーム用データ作成を手始めに、一部実験的に試用を始め、1997年『ゲゲゲの鬼太郎 第4シリーズ』4月放映分からデジタル制作に完全に切り替えた[9][79][103]。それまで熟練した職人芸が要求された工程を全て画面上で処理するシステムの稼働で[103]、これが日本アニメのデジタル化第一作である[79][84][103]。
また1970年代後半から劇場用・テレビ用アニメーションの製作だけでなく活動領域を拡げ[10]、スーパーマーケットや遊園地、ホテルなどでのイベントに積極的にコミットし[6]、各種キャラクター商品やイベントを通じ、市民生活に溶け込み、新たなファン層を獲得した[6][10]。レジャーメディアでの開発は、1976年の三重県桑名市ナガシマスパーランドに於ける「マジンガーZロボット館」でのスペース構成が最初といわれる[10]。これによりアニメーションの製作のみならず、映像が生み出すキャラクターを主体とした関連事業が拡大した[10]。1987年(昭和62年)はイベント関連売上げが売り上げが約40億円になった[104]。イベント関連事業は東映本社映像事業部、映画村エンタープライズと共にその中核として[104]、北九州市のスペースワールドの施設計画の立案等を手掛けた[104][105]。またマーチャンダイジング営業強化の施策では、制作部門に対して付帯・関連部門を強化し、関連部門の売り上げが全体の60~70%を占めるようになり、制作の差損を営業によって埋め合わせる仕組みを作った[9]。1990年代に手掛けた『美少女戦士セーラームーン』のキャラクター商品は、1995年時点で1000アイテムを超えた[6]。これらは今田が長い期間、営業体制の強化を計り実効を上げたものであった[6]。同社の版権事業は1960年の『西遊記』から始まっており[10]、この分野も日本に於ける草分けであった[10][106]。1987年には年間売上げ155億円を記録[10]。1980年代以降は、東映の屋台骨を支えていく存在になった[6]。大川時代から変わって、岡田=今田時代の東映動画は、"アニメーションの総合商社"として第2の創業といえるものであった[10][107]。
1966年から放送された日本初の少女向けアニメ『魔法使いサリー』は"魔女っ子もの"いうジャンルを開拓し[21][84]、この流れは『ひみつのアッコちゃん』などの"変身もの"へ繋がり、その系譜は『美少女戦士セーラームーン』や『プリキュア』などに受け継がれた[84]。魔法使いの少女アニメと変身して敵を倒すヒーローアニメ、人気の二大路線を東映動画が合体させたのが『美少女戦士セーラームーン』[108]。世の女の子を夢中にさせた同作は"女の子の独立宣言"とも評され[108]、海外50ヵ国で放映された[108]。"女子向けアニメ"を確立したのも東映動画であった[21][84]。
1980年代以降は『Dr.スランプ アラレちゃん』『キン肉マン』『北斗の拳』『ドラゴンボール』『スラムダンク』『ONE PIECE』と立て続けに『週刊少年ジャンプ』作品をアニメ化、"ジャンプ黄金時代"を併走した[21]。
1992年(平成4年)、フィリピンに地元企業EEIとの合弁でEEI-TOEI Animation Corp.[注釈 9]を設立[2]。これによりコスト的に日本国内とほぼ変わらなくなった韓国に代わりフィリピンへの制作委託体制が確立した。1996年(平成8年)、東映グループにおける大人事改革の影響でそれまで継続していたテレビアニメ作品の全てを一旦終了。
1995年(平成7年)、人材育成を目的として東映アニメーション研究所を開設[2]。ディレクター・アニメーター・美術デザイナー・CGクリエーターの研究生募集を開始(現在は閉所)。1998年(平成10年)、東映アニメーション株式会社に商号変更した[2]。
2000年代以降
2000年(平成12年)、ペンタブレットによる作画工程のデジタル化システムを導入。同年、フィリピンおよび日本国内の制作プロダクションを光ファイバー通信で結ぶ「東映アニメ製作ネットワークシステム」[注釈 10]の運用を開始[2][109]。これにより素材の輸送にかかる時間を大幅に短縮。生産性を大幅に向上させることに成功し、テレビシリーズ・劇場作品をあわせ現在に至るまで業界最多クラスの制作本数を維持している。
2003年(平成15年)に大泉スタジオ内に東映アニメーションギャラリーを開館。歴代作品がパネルで展示されているほか、時期により特定の作品にクローズアップした企画展が行われている。入場料は無料だが、社屋内に立ち入ることになる関係上、入館の際は守衛に申し込んで手続きする必要があった。
2006年(平成18年)には幻冬舎と共同でアニメや映画とは異なる映像カテゴリー「画ニメ(がにめ)」レーベルを立ち上げる[注釈 11][110]。
2013年(平成25年)7月16日、営業・管理部門及び子会社である東映アニメーション音楽出版のオフィスを神楽坂(新宿区横寺町)から中野セントラルパークイースト(中野区中野)に移転した。2014年には株主総会での承認を得た上で登記上の本店を実質的な本社機能のある中野オフィスに移したほか、同年9月より老朽化した大泉スタジオの建て替えを含めた敷地内の全面リニューアルを行うため、大泉スタジオの機能を2017年頃まで約3年間、練馬区光が丘に一時移転した[111]。大泉の新スタジオは2017年8月に竣工し、2017年末に引っ越し作業を行った上で2018年1月より稼働を開始している[112]。大泉スタジオ内にあった東映アニメーションギャラリーについても同年9月23日より長期休館に入っていたが[113]、2018年7月28日に東映アニメーションミュージアムとしてリニューアルオープンしている[114]。
2014年(平成26年)12月17日、委託契約を結んでいる原画制作者、CGクリエーター約400人に対する報酬を消費税増税後も据え置く「買いたたき」を行ったとして、公正取引委員会より消費税転嫁対策特別措置法に基づく再発防止の勧告を受けた。委員会の調査後、4-9月分の差額約2千万円を支払った。
特徴
東映アニメーションには、撮影所長以下スタッフ自ら「活動屋」と呼ぶ東映流映画づくりのポリシーと、日本のアニメーションの良質な部分を引き継いだ日動の技術の双方が濃厚に引き継がれている[12][30]。この二つは後々にも大きな影響力を持った[12][30]。アニメ版『タイガーマスク』の演出家は、大半が東映京都撮影所をリストラされて東映動画に移籍したルサンチマンたちで[115]、現場上りの荒くれ者たちが、時代劇やギャング映画、任侠映画の世界観をそのまま子供番組に持ち込んだものであった[115]。
実写映画の制作スタイルを踏襲し、劇場作品を「長編」、テレビシリーズを劇場作品の短編と捉えて「短編」と呼ぶ。短編作品では各話の担当演出が事実上の監督であるとの考えからシリーズ全体での監督職の表記はなく、シリーズ全体の統括職として他社制作アニメの監督よりも権限の弱い「シリーズディレクター」及び「チーフディレクター」の役職を設けている。音響監督はおいておらず、基本的に各話の演出担当者が行う[注釈 12]。そのため他社に比べ負担は重くなるが、その補佐をする役職として演出助手をおいている。演出助手が制作進行(東映では「製作進行」と表記)を兼任する場合は「演助進行」と呼ばれる。制作進行の担当は作画までで、仕上、美術の各工程それぞれに進行担当者が置かれる。背景美術についても美術担当が各話ごとに置かれる。他にスクリプターが設けられているなど映画会社母体の特徴が見られる。プロデューサーに転向した演出家もおり、作品によってはプロデューサーが演出に携わるケースもある。
東映アニメーションが制作した作品において、基本的に親会社の東映本体も製作に関わっていることがほとんどだが、日本放送協会(NHK)、ウォルト・ディズニー・ジャパンなどの製作作品や、海外向け作品に関して、東映本体が製作に一切関与しない作品も存在する。映画作品に関しても多くは東映が配給しているが、2000年代後半以降は、小規模上映作品を中心に東映系列のティ・ジョイが配給している作品も目立つようになっている。
過去に制作した作品のリメイクを盛んに行うのも東映アニメーションの特徴であり、1980年代は『ゲゲゲの鬼太郎』(第3作)、『ひみつのアッコちゃん』(第2作)、『魔法使いサリー』(第2作)、1990年代は『ゲゲゲの鬼太郎』(第4作)、『キューティーハニーF』、『ひみつのアッコちゃん』(第3作)、『ドクタースランプ』、2000年代は『ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU』、『祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン』、『ゲゲゲの鬼太郎』(第5作)、2010年代は『ゲゲゲの鬼太郎』(第6作)をそれぞれ制作した。また、『ドラゴンボールZ』を再編集した『ドラゴンボール改』を制作している(2009年 [平成21年] - 2011年 [平成23年]に第1期、2014年 [平成26年]より第2期)。
各作品のエンディングのクレジットに「協力:青二プロダクション」とあるように同社との関係が深く、かつては青二プロダクションの所属声優を独占的に多く起用した作品も多かったが、1990年代後半以降は東映アカデミーがキャスティングマネージメントを行う作品もある。東映アカデミーの解散後は、東映東京撮影所マネージメント部[注釈 13]がキャスティングマネージメントを引き継いでいる。
長期に渡って放送されている一部作品ではストーリーの展開や設定を刷新し、番組終了後もタイトルを変更する形で次週以降も放送を継続したものが多い(例『ドラゴンボール』→『ドラゴンボールZ』など)。そのため、番組タイトルを変更せず10年以上継続して放送しているアニメは現在に至って『ONE PIECE』のみとなっている。
TV放送に関しては同社作品のレギュラー放送枠を複数持っており、テレビシリーズの作品の大半は東映レギュラー枠で放送される。ただし、資本関係を有するテレビ朝日・フジテレビとの制作作品は、一時全国同時スポンサードネット番組としての放映が途絶えていた時期があった[注釈 14][注釈 15][注釈 16]。
『週刊少年ジャンプ』との結びつきが強く、1981年に製作された『Dr.スランプ アラレちゃん』以降継続的にジャンプ作品のアニメが製作されており、「東映アニメーション=週刊少年ジャンプ」を連想する人も多い。漫画家の澤井啓夫は、『ボボボーボ・ボーボボ』のアニメ化に際し「アニメ化の話を聞いて一番嬉しかったのは、東映アニメーションが製作を担当すること」とコメントしている[116]。
1986年から1993年まではショウエイシステムの開発のもとでゲームソフトの販売を行っていたことがあり、自社版権の作品以外にも東映本体の版権作品や『バルトロン』や『ファイティングロード』といったオリジナル作品も携わっていた。ショウエイシステムとの提携による販売から撤退して以降はショウエイシステム自体もゲームの販売に参入しており、中でもパチンコシミュレーターの『HEIWAパチンコワールド』はシリーズ化し、1999年まで存続した。その後、2010年の『こえであそぼう! ハートキャッチプリキュア』で17年ぶりにゲームソフトを販売。2014年にはスマートフォン向けのオリジナル作品ゲーム『円環のパンデミカ』を自社内で企画し、同年5月からサービスを開始した[注釈 17]。
編集・音響制作等のポストプロダクションに100%子会社のタバックを起用している。録音業務も新宿区内のビルにあったタバックの本社スタジオで主に行っていたが、ビルの老朽化により現在は録音スタジオを東映デジタルセンターに移し、音響制作は引き続きタバックが担当している。長年存在しなかった撮影監督、音響監督を設けるようになり、2014年以降からエンディングで表記されることが多くなった。ただし、音響監督はかつての様におかない場合もあり、2016年から2017年頃に廃止された。『うちの3姉妹』の様に、完全に他社に音響制作や録音・編集作業を委託した例もある。
大株主
2019年(平成31年)3月31日現在[117][注釈 18]
名称 | 所有株式割合(%) |
---|---|
東映株式会社 | 34.2 |
株式会社テレビ朝日 | 20.0 |
株式会社バンダイナムコホールディングス | 11.0 |
株式会社フジ・メディア・ホールディングス | 10.3 |
東映ビデオ株式会社 | 3.3 |
東映ラボ・テック株式会社 | 2.5 |
みずほ信託銀行株式会社退職給付信託ソニー株003口 再信託受託者 資産管理サービス信託銀行株式会社 |
1.9 |
株式会社ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント | 1.9 |
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) | 1.2 |
株式会社東映エージエンシー | 0.8 |
関連会社
連結子会社
- 株式会社タバック
- 東映アニメーション音楽出版株式会社
- TOEI ANIMATION PHILS., INC.
- TOEI ANIMATION ENTERPRISES LIMITED(香港現地法人)
- TOEI ANIMATION INCORPORATED(北米現地法人、ロサンゼルス)
- TOEI ANIMATION EUROPE S.A.S.(欧州現地法人、パリ)
持分法適用会社
非連結子会社
- TOEI DOGA US Service, INC.
- TOEI DOGA US Productions, LLC
- TOEI DOGA US Entertainment, LLC
- TOEI ANIMATION (SHANGHAI) CO., LTD.(中国現地法人、上海、2017年6月設立)
その他関係会社
- 東映株式会社
- 株式会社テレビ朝日
- 株式会社バンダイナムコエンターテインメント(兄弟会社としての扱い)
- 株式会社アニュータ(音楽配信サービス、発足時に東映アニメーション音楽出版が参画)
- コヨーテ株式会社(東映・東映アニメーション音楽出版・ディー・エル・イーの合弁会社(後にディー・エル・イーとは合弁を解消)、新規コンテンツの企画開発プロデュース)
- 株式会社TENH ANIMATION MAGIC(SOLA DIGITAL ARTSとサンジゲンの共同設立によるCGアニメーションスタジオ、東映アニメーションも経営に参画)
- 株式会社ダンデライオンアニメーションスタジオ(2018年8月に資本業務提携[118])
関連人物
歴代社長
- 大川博(1948年設立 - 1964年)
- 山崎李四郎(1964年 - 1964年)
- 山梨稔(1964年 - 1971年)
- 高橋勇(1971年 - 1972年)
- 登石雋一(1972年 - 1974年)
- 今田智憲(1974年 - 1993年)
- 泊懋(1993年 - 2003年)
- 高橋浩(2003年 - 2012年)
- 高木勝裕(2012年 - )
現役員
企画
アニメーター・演出家
- 青山充(作画)
- 浅沼昭弘(作画)
- 芦田豊雄(作画・演出)
- 荒木伸吾(作画)
- 五十嵐卓哉(演出)
- 幾原邦彦(演出)
- 稲上晃(作画)
- 井上栄作(作画)
- 入好さとる(作画)
- 今沢哲男(演出)
- 今村隆寛(演出)
- 上野ケン(作画)
- 宇田鋼之介(演出)
- 内山正幸(作画)
- 馬越嘉彦(作画)
- 梅澤淳稔(演出・製作)
- うるし原智志(作画)
- 海老沢幸男(作画)
- 大田朱美(作画)
- 大塚康生(作画)
- 大西陽一(作画)
- 岡迫亘弘 (作画)
- 奥山玲子(作画)
- 貝澤幸男(演出)
- 角銅博之(演出)
- 葛西治(演出)
- 勝間田具治(演出)
- 金田伊功(作画)
- 椛島義夫(作画)
- 川村敏江(作画)
- 木村圭市郎(作画)
- 楠部大吉郎(作画)
- 小泉昇(作画)
- 香西隆男(作画)
- 古賀豪(演出)
- 小田部羊一(作画)
- 小松原一男(作画)
- 小村敏明(演出)
- 小林治(演出)
- 紺野修司(作画)
- 佐々門信芳(作画)
- 境宗久(演出)
- 佐藤元(作画)
- 佐藤順一(演出)
- 設楽博(演出)
- 芝田浩樹(演出)
- 芝山努(演出)
- 志水淳児(演出)
- 白土武(作画・演出)
- 杉井ギサブロー(演出)
- すしお(作画)
- 芹川有吾(演出)
- 高畑勲(演出)
- 高橋信也(作画)
- 田口勝彦(演出)
- 竹田欣弘(作画)
- 舘直樹(作画)
- 田中裕太(演出)
- 爲我井克美(作画)
- 月岡貞夫(作画)
- 角田紘一(作画)
- 中尾幸彦(演出)
- 永樹凡人(演出)
- 中鶴勝祥(作画)
- 長峯達也(演出)
- 中村和子(作画)
- 西尾大介(演出)
- 西沢信孝(演出)
- 西田達三(作画)
- 新田義方(演出)
- 長谷川眞也(作画)
- 濱洲英喜(作画)
- 姫野美智(作画)
- 福田道生(作画・演出)
- 細田雅弘(演出)
- 細田守(演出)
- 三塚雅人(演出)
- 宮崎駿(演出)
- 宮原直樹(作画)
- 宮本浩史(演出)
- 森利夫(作画)
- 藪下泰司(演出)
- 山下高明(作画)
- 山室直儀(作画)
- りんたろう(演出)
脚本家
プロデューサー
美術デザイン
- 佐藤千恵
- 増田竜太郎
- 行信三 (カルロス・ユキ)
- ゆきゆきえ
- 吉池隆司
- 渡辺佳人
色彩設計
CG監督
- 中沢大樹
- 川崎健太郎
- さとうえい
- 加藤康弘
- 能沢諭
- 牧野快
- 宮本浩史
- 日向学
- 鎌田匡晃
- 小林真理
- 鄭載薫
- 高橋友彦
製作担当
作品履歴
テレビアニメ(連続物)
1960年代
- 狼少年ケン(1963年 - 1965年)
- 少年忍者風のフジ丸(1964年 - 1965年)
- 宇宙パトロールホッパ(後に「パトロール・ホッパ 宇宙っ子ジュン」に改題、1965年)
- ハッスルパンチ(1965年 - 1966年)
- レインボー戦隊ロビン(1966年 - 1967年)
- おそ松くん(第1作、制作元請:チルドレンズ・コーナー/スタジオ・ゼロ、制作協力、1966年 - 1967年)
- 海賊王子(1966年)
- 魔法使いサリー(第1作、1966年 - 1968年)
- かみなり坊やピッカリ・ビー (制作元請:チルドレンズ・コーナー/放送動画制作、制作協力、1967年 - 1968年)
- ピュンピュン丸(第1期:1967年/第2期:1969年 - 1970年)
- キングコング(ビデオクラフトと共同制作、1967年)
- 1/007親指トム(ビデオクラフトと共同制作、1967年)
- ゲゲゲの鬼太郎(第1作、1968年 - 1969年)
- サイボーグ009(第1作、1968年)
- あかねちゃん(1968年)
- 佐武と市捕物控(スタジオ・ゼロ・虫プロダクションと共同制作、1968年 - 1969年)
- ひみつのアッコちゃん(第1作、1969年 - 1970年)
- もーれつア太郎(第1作、1969年 - 1970年)
- タイガーマスク(1969年 - 1971年)
1970年代
- キックの鬼(1970年 - 1971年)
- 魔法のマコちゃん(1970年 - 1971年)
- さるとびエッちゃん(1971年 - 1972年)
- アパッチ野球軍(1971年 - 1972年)
- ゲゲゲの鬼太郎(第2作、1971年 - 1972年)
- 原始少年リュウ(1971年 - 1972年)
- 魔法使いチャッピー(1972年)
- デビルマン(1972年 - 1973年)
- マジンガーシリーズ
- バビル2世(第1作、1973年)
- ミクロイドS(1973年)
- ミラクル少女リミットちゃん(1973年 - 1974年)
- ドロロンえん魔くん(1973年 - 1974年)
- キューティーハニー(1973年 - 1974年)
- 魔女っ子メグちゃん(1974年 - 1975年)
- ゲッターロボシリーズ
- ゲッターロボ(1974年 - 1975年)
- ゲッターロボG(1975年 - 1976年)
- カリメロ(1974年 - 1975年)
- 少年徳川家康(1975年)
- マグネモシリーズ
- 鋼鉄ジーグ(1975年 - 1976年)
- マグネロボ ガ・キーン(1976年 - 1977年)
- 超人戦隊バラタック(1977年 - 1978年)
- UFOロボ グレンダイザー(1975年 - 1977年)
- 一休さん(1975年 - 1982年)
- 大空魔竜ガイキング(1976年 - 1977年)
- マシンハヤブサ(1976年)
- キャンディ・キャンディ(1976年 - 1979年)
- ジェッターマルス(1977年)
- 惑星ロボ ダンガードA(1977年 - 1978年)
- アローエンブレム グランプリの鷹(1977年 - 1978年)
- 宇宙海賊キャプテンハーロック(1978年 - 1979年)
- SF西遊記スタージンガー(後に「SF西遊記スタージンガーII」に改題、1978年 - 1979年)
- 銀河鉄道999(1978年 - 1981年)
- キャプテン・フューチャー(1978年 - 1979年)
- 花の子ルンルン(1979年 - 1980年)
- 円卓の騎士物語 燃えろアーサー(1979年 - 1980年)
1980年代
※は国際映画社、〇はサンボウ・プロダクションやマーベル・プロダクションとの共同制作。
- 魔法少女ララベル(1980年 - 1981年)
- 燃えろアーサー 白馬の王子(1980年)
- がんばれ元気(1980年 - 1981年)
- めちゃっこドタコン(1981年、※)
- 若草の四姉妹(1981年、※)
- ハロー!サンディベル(1981年 - 1982年)
- Dr.スランプ アラレちゃん(1981年 - 1986年)
- ハニーハニーのすてきな冒険(1981年~1982年、※)
- J9シリーズ※
- 銀河旋風ブライガー(1981年 - 1982年)
- 銀河烈風バクシンガー(1982年 - 1983年)
- 銀河疾風サスライガー(各話制作協力、1983年 - 1984年)
- 新竹取物語 1000年女王(1981年 - 1982年)
- タイガーマスク二世(1981年 - 1982年)
- 魔境伝説アクロバンチ(1982年、途中から、※)
- あさりちゃん(1982年 - 1983年)
- 機甲艦隊ダイラガーXV(1982年 - 1983年)
- パタリロ!(後に「ぼくパタリロ!」に改題、1982年 - 1983年)
- The・かぼちゃワイン(1982年 - 1984年)
- わが青春のアルカディア 無限軌道SSX(1982年 - 1983年)
- 愛してナイト(1983年 - 1984年)
- 光速電神アルベガス(1983年 - 1984年)
- キン肉マン(1983年 - 1986年)
- ストップ!! ひばりくん!(1983年 - 1984年)
- ベムベムハンターこてんぐテン丸(1983年)
- 夢戦士ウイングマン(1984年 - 1985年)
- トランスフォーマーシリーズ
- 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー(1984年 - 1986年、〇)
- 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー2010(1986年 - 1987年、〇)
- トランスフォーマー ザ・リバース(制作元請:AKOM、OPアニメーション、1987年、〇)
- トランスフォーマー ザ☆ヘッドマスターズ(1987年 - 1988年)
- トランスフォーマー 超神マスターフォース(1988年 - 1989年)
- 戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマーV(1989年)
- とんがり帽子のメモル(1984年 - 1985年)
- ビデオ戦士レザリオン(1984年 - 1985年)
- Gu-Guガンモ(1984年 - 1985年)
- 北斗の拳シリーズ(2006年の映画は、トムス・エンタテインメントが制作)
- 北斗の拳(1984年 - 1987年)
- 北斗の拳2(1987年 - 1988年)
- はーいステップジュン(1985年 - 1986年)
- コンポラキッド(1985年)
- ゲゲゲの鬼太郎(第3作、1985年 - 1988年)
- 地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー(1985年 - 1987年、〇)
- メイプルタウン物語シリーズ
- メイプルタウン物語(1986年 - 1987年)
- 新メイプルタウン物語 パームタウン編(1987年)
- ドラゴンボールシリーズ
- 銀牙 -流れ星 銀-(1986年)
- 剛Q超児イッキマン(1986年)
- 聖闘士星矢(1986年 - 1989年)
- 宇宙家族ジェットソン(制作元請:ハンナ・バーベラ・プロダクション、制作協力、1987年)
- ビックリマンシリーズ
- 仮面の忍者 赤影(1987年 - 1988年)
- レディレディ!!シリーズ
- レディレディ!!(1987年 - 1988年)
- ハロー!レディリン(1988年 - 1989年)
- 闘将!!拉麵男(1988年)
- 魁!!男塾(1988年)
- ひみつのアッコちゃん(第2作、1988年 - 1989年)
- 悪魔くん(1989年 - 1990年)
- 魔法使いサリー(第2作、1989年 - 1991年)
- かりあげクン(1989年 - 1990年)
1990年代
- もーれつア太郎(第2作、1990年)
- まじかる☆タルるートくん(1990年 - 1992年)
- きんぎょ注意報!(1991年 - 1992年)
- ゲッターロボ號(1991年 - 1992年)
- キン肉マン キン肉星王位争奪編(1991年 - 1992年)
- DRAGON QUEST -ダイの大冒険-(1991年 - 1992年)
- 美少女戦士セーラームーンシリーズ
- 美少女戦士セーラームーン(1992年 - 1993年)
- 美少女戦士セーラームーンR(1993年 - 1994年)
- 美少女戦士セーラームーンS(1994年 - 1995年)
- 美少女戦士セーラームーンSuperS(1995年 - 1996年)
- 美少女戦士セーラームーンセーラースターズ(1996年 - 1997年)
- スーパービックリマン(1992年 - 1993年)
- GS美神(1993年 - 1994年)
- SLAM DUNK(1993年 - 1996年)
- リトルツインズ(1993年)
- 蒼き伝説シュート!(1993年 - 1994年)
- ママレード・ボーイ(1994年 - 1995年)
- 真拳伝説タイトロード(1994年)
- 空想科学世界ガリバーボーイ(1995年)
- 世界名作童話シリーズ ワ〜ォ!メルヘン王国(1995年)
- ご近所物語(1995年 - 1996年)
- ゲゲゲの鬼太郎(第4作、1996年 - 1998年)
- ドラゴンボールGT(1996年 - 1997年)
- 地獄先生ぬ〜べ〜(1996年 - 1997年)
- 花より男子(1996年 - 1997年)
- キューティーハニーF(1997年 - 1998年)
- 金田一少年の事件簿(1997年 - 2000年)※最後のセル画作品
- あずみマンマ・ミーア(スーパーJチャンネル枠内にて放送、1997年)
- 夢のクレヨン王国(初のデジタル制作作品、1997年 - 1999年)
- ハニ太郎です。(スーパーJチャンネル枠内にて放送、1997年 - 1998年)
- ドクタースランプ(1997年 - 1999年)
- 春庭家の3人目(スーパーJチャンネル枠内にて放送、1998年)
- こっちむいて!みい子(アニメ週刊DX!みいファぷー内で放送、1998年 - 1999年)
- ふしぎ魔法ファンファンファーマシィー(アニメ週刊DX!みいファぷー内で放送、1998年 - 1999年)
- ヘリタコぷーちゃん(アニメ週刊DX!みいファぷー内で放送、1998年 - 1999年)
- 遊☆戯☆王(第1作、1998年)
- ひみつのアッコちゃん(第3作、1998-1999年)
- まもって守護月天!(1998年 - 1999年)
- おジャ魔女どれみ(1999年 - 2000年)
- 神風怪盗ジャンヌ(1999年 - 2000年)
- デジモンアドベンチャー(1999年 - 2000年)
- ONE PIECE(1999年 - )
2000年代
- マシュランボー(2000年)
- おジャ魔女どれみシリーズ
- おジャ魔女どれみ#(2000年 - 2001年)
- も〜っと!おジャ魔女どれみ(2001年 - 2002年)
- おジャ魔女どれみドッカ〜ン!(2002年 - 2003年)
- デジモンシリーズ
- デジモンアドベンチャー02(2000年 - 2001年)
- デジモンテイマーズ(2001年 - 2002年)
- デジモンフロンティア(2002年 - 2003年)
- デジモンセイバーズ(創立50周年記念作品、2006年 - 2007年)
- 勝負師伝説 哲也(2000年 - 2001年)
- ピポパポパトルくん(2000年 - 2001年)
- ののちゃん(2001年 - 2002年)
- Kanon(第1作、2002年)
- 最終兵器彼女 (制作元請:GONZO、制作協力、2002年)
- キン肉マンシリーズ
- キン肉マンII世(2002年)
- キン肉マンII世 ULTIMATE MUSCLE(2004年)
- キン肉マンII世 ULTIMATE MUSCLE2(2006年)
- 釣りバカ日誌(2002年 - 2003年)
- 明日のナージャ(2003年 - 2004年)
- エアマスター(2003年)
- ボボボーボ・ボーボボ(2003年 - 2005年)
- 金色のガッシュベル!!(2003年 - 2006年)
- リングにかけろシリーズ
- リングにかけろ1(2004年)
- リングにかけろ1 日米決戦編(2006年)
- プリキュアシリーズ
- ふたりはプリキュア(2004年 - 2005年)
- ふたりはプリキュア Max Heart(2005年 - 2006年)
- ふたりはプリキュア Splash Star(創立50周年記念作品、2006年 - 2007年)
- Yes!プリキュア5(2007年 - 2008年)
- Yes!プリキュア5GoGo!(2008年 - 2009年)
- フレッシュプリキュア!(2009年 - 2010年)
- 冒険王ビィトシリーズ
- 冒険王ビィト(テレビ東京開局40周年記念作品、2004年 - 2005年)
- 冒険王ビィトエクセリオン(2005年 - 2006年)
- ゼノサーガ Xenosaga THE ANIMATION(2005年)
- ガイキング LEGEND OF DAIKU-MARYU(2005年 - 2006年)
- 怪 〜ayakashi〜(2006年)
- エア・ギア(東映アニメーション創立50周年記念作品、マーベラスエンターテイメント、エイベックスとの共同製作、2006年)
- 神様家族(創立50周年記念作品、2006年)
- 貧乏姉妹物語(創立50周年記念作品、2006年)
- 出ましたっ!パワパフガールズZ(東映アニメーション創立50周年記念作品、カートゥーン・ネットワーク、テレビ東京、アニプレックスとの共同製作。2006年 - 2007年)
- 銀色のオリンシス(2006年)
- 祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン(創立50周年記念作品、2006年 - 2007年)
- ゲゲゲの鬼太郎(第5作、2007年 - 2009年)
- ラブ★コン(2007年)
- 太極千字文(韓国での放映、KBS、Iconix Entertainment、東西大学校、JM ANIMATIONとの共同製作、2007年 - 2008年)
- モノノ怪(2007年)
- はたらキッズ マイハム組(2007年 - 2008年)
- 墓場鬼太郎(2008年)
- バトルスピリッツ 少年突破バシン (制作元請:サンライズ、制作協力、2008年-2009年)
- うちの3姉妹(2008年 - 2010年)
- ロボディーズ -RoboDz- 風雲篇(ウォルト・ディズニー・テレビジョン・インターナショナルジャパンとの共同製作、2008年)
- ねぎぼうずのあさたろう(2008年 - 2009年)
- 京浜家族(ケータイ配信、2009年)
- マリー&ガリー(すイエんサー枠内にて放送、2009年 - 2010年)
- ドラゴンボール改(『ドラゴンボールZ』のデジタルリマスター再編集版、2009年 - 2011年)
- 怪談レストラン(2009年 - 2010年)
- 空中ブランコ(2009年)
2010年代
- プリキュアシリーズ
- ハートキャッチプリキュア!(2010年 - 2011年)
- スイートプリキュア♪(2011年 - 2012年)
- スマイルプリキュア!(2012年 - 2013年)
- ドキドキ!プリキュア(2013年 - 2014年)
- ハピネスチャージプリキュア!(2014年 - 2015年)
- Go!プリンセスプリキュア(2015年 - 2016年)
- 魔法つかいプリキュア!(2016年 -2017年)
- キラキラ☆プリキュアアラモード(2017年 - 2018年)
- HUGっと!プリキュア(2018年 - 2019年)
- スター☆トゥインクルプリキュア(2019年 - )
- マリー&ガリー ver.2.0(すイエんサー枠内にて放送、2010年 - 2011年)
- うちの3姉妹 おかわりぱれたい(2010年)
- リングにかけろシリーズ
- リングにかけろ1 影道編(2010年)
- リングにかけろ1 世界大会編(2011年)
- デジモンシリーズ
- デジモンクロスウォーズ(2010年 - 2011年)
- デジモンクロスウォーズ 〜悪のデスジェネラルと七つの王国〜(2011年)
- デジモンクロスウォーズ 〜時を駆ける少年ハンターたち〜(2011年 - 2012年)
- デジモンユニバース アプリモンスターズ(創立60周年記念作品、2016年 - 2017年)
- トリコ(2011年 - 2014年)
- 聖闘士星矢Ω(2012年 - 2014年)
- 探検ドリランドシリーズ
- 探検ドリランド(2012年 - 2013年)
- 探検ドリランド -1000年の真宝-(2013年 - 2014年)
- 京騒戯画(2013年)
- ロボットガールズZ(2014年)
- マジンボーン(2014年 - 2015年)
- ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ(ウォルト・ディズニー・ジャパンとの共同製作、2014年 - 2015年)
- 金田一少年の事件簿シリーズ
- 金田一少年の事件簿R(2014年)
- 金田一少年の事件簿R 第2期(2015年 - 2016年)
- 暴れん坊力士!!松太郎(2014年)
- ミラキュラス レディバグ&シャノワール(フランスのZagtoon、Method Animation、韓国のSAMGアニメーションと共同制作、2015年、2018年)
- ドラゴンボールシリーズ
- ドラゴンボール改 魔人ブウ編(2014年 - 2015年)
- ドラゴンボール超(2015年 - 2018年)
- ワールドトリガー(2014年 - 2016年)
- 美少女戦士セーラームーンCrystalシリーズ
- タイガーマスクW(創立60周年記念作品、2016年 - 2017年)
- 正解するカド(2017年)
- おしりたんてい(2018年)
- ゲゲゲの鬼太郎(第6作、2018年)
- 爆釣バーハンター(ぎゃろっぷとの共同製作、2018年 - 2019年)
- 聖闘士星矢 セインティア翔(実制作はゴンゾ、2018年 - 2019年)
テレビアニメ(スペシャル)
- あしたの勇者たち(1979年)
- ジャン・バルジャン物語(1979年)
- 大恐竜時代(1979年)
- 若草物語(1980年)
- 恐怖伝説 怪奇!フランケンシュタイン(1981年)
- 夏休み人気アニメ祭り アラレちゃん一家総登場!! 1000年女王の正体は!?(1981年)
- Dr.スランプ アラレちゃんシリーズ
- Dr.スランプアラレちゃん あやや!?ペンギン村でテレビジャック(1981年)
- Dr.スランプアラレちゃん「ペンギン村SOS!!」「ハートで勝負!」・「なんでもOKオーチャくん」(1981年)
- Dr.スランプ アラレちゃん ペンギン村英雄伝説(1982年)
- 帰って来たDr.スランプ アラレちゃんスペシャル(1990年)
- Dr.スランプアラレちゃん‘92お正月スペシャル(1992年)
- Dr.スランプアラレちゃんSP 〜うほほ〜い!帰ってきちったの巻〜(2007年)
- ドクタースランプスペシャル ロボット対決!宿敵ドクターマシリト登場!!キーンで優勝!?ペンギン・グランプリ(1998年4月1日水曜日放送)
- アンドロメダ・ストーリーズ(1982年)
- デジタルモンスター ゼヴォリューション(2005年)
- 金田一少年の事件簿SP「オペラ座館・最後の殺人」・「吸血鬼伝説殺人事件」(テレビスペシャル、2007年11月12日・19日)
- ONE PIECEシリーズ
- ONE PIECE エピソードオブナミ 〜航海士の涙と仲間の絆〜(2012年)
- ONE PIECE エピソードオブルフィ 〜ハンドアイランドの冒険〜(2012年)
- ONE PIECE エピソードオブメリー 〜もうひとりの仲間の物語〜(2013年)
- ONE PIECE “3D2Y” エースの死を越えて! ルフィ仲間との誓い(2014年)
- ONE PIECE エピソードオブサボ 〜3兄弟の絆 奇跡の再会と受け継がれる意志〜(2015年)
- ONE PIECE 〜アドベンチャー オブ ネブランディア〜(2015年)
- ONE PIECE 〜ハートオブゴールド〜(2016年)
- ONE PIECE エピソードオブ東の海 〜ルフィと4人の仲間の大冒険!!〜(2017年)
- ONE PIECE エピソードオブ空島(2018年)
ウェブアニメ
- 京騒戯画(2011年)
- 美少女戦士セーラームーンCrystal(2014年 - 2015年)
- 聖闘士星矢シリーズ
- 聖闘士星矢 黄金魂 -soul of gold-(2015年)
- 聖闘士星矢:Knights of the Zodiac(2019年)
- ロボットガールズZプラス(2015年)
- おしりたんてい(2017年)
劇場アニメ
1950年代(劇場アニメ)
- こねこのらくがき(1957年5月13日完成、短編映画、東映教育映画部製作、東映動画製作第一作)
- ハヌマンの新しい冒険(1957年10月14日完成、短編映画、東映製作)
- かっぱのぱあ太郎(1957年11月23日公開、短編映画、東映教育映画部製作)
- 白蛇伝(1958年10月22日公開、東映動画長編映画第一作)
- みんなでいっしょにうたいましょう(1958年12月29日完成、短編PR映画、非公開)
- 夢見童子(1958年4月5日、短編映画、東映教育映画部製作)
- こねこのスタジオ(1959年4月9日完成、短編映画)
- たぬきさん大当り(1959年6月20日完成、短編映画)
- 熊と子供たち(1959年10月20日完成、短編PR用映画、非公開)
- 少年猿飛佐助(1959年12月25日公開、東映動画長編映画第二作)
- もちつもたれつ(1959年12月30日完成、短編PR用映画、非公開)
1960年代(劇場アニメ)
- 西遊記(1960年)
- 安寿と厨子王丸(1961年)
- ねずみのよめいり(1961年10月14日完成、短編映画)
- 鉄ものがたり(1962年3月完成、4月22日日活封切、短編映画)
- もぐらのモトロ(1962年7月19日完成、短編映画)
- アラビアンナイト・シンドバッドの冒険(1962年)
- わんぱく王子の大蛇退治(1963年)
- わんわん忠臣蔵(1963年)
- ガリバーの宇宙旅行(1965年)
- サイボーグ009シリーズ
- サイボーグ009(1966年)
- サイボーグ009 怪獣戦争(1967年)
- 少年ジャックと魔法使い(1967年)
- アンデルセン物語(1968年)
- 太陽の王子 ホルスの大冒険(1968年)
- ゲゲゲの鬼太郎(1968年)
- 長靴をはいた猫(1969年)
- ひとりぼっち(1969年)
- 空飛ぶゆうれい船(1969年)
1970年代(劇場アニメ)
- ちびっ子レミと名犬カピ(1970年)
- チュウチュウバンバン(1970年)
- 海底3万マイル(1970年)
- どうぶつ宝島(1971年)
- アリババと40匹の盗賊(1971年)
- ながぐつ三銃士(1972年)
- 魔犬ライナー0011変身せよ!(1972年)
- パンダの大冒険(1973年)
- マジンガーZシリーズ
- マジンガーZ対デビルマン(1973年)
- マジンガーZ対暗黒大将軍(1974年)
- きかんしゃやえもん D51の大冒険(1974年)
- グレートマジンガーシリーズ
- グレートマジンガー対ゲッターロボ(1975年)
- グレートマジンガー対ゲッターロボG 空中大激突(1975年)
- アンデルセン童話 にんぎょ姫(1975年)
- これがUFOだ!空飛ぶ円盤(1975年)
- 宇宙円盤大戦争(1975年)
- UFOロボ グレンダイザーシリーズ
- UFOロボ グレンダイザー対グレートマジンガー(1976年)
- グレンダイザー ゲッターロボG グレートマジンガー 決戦! 大海獣(1976年)
- 長靴をはいたネコ 80日間世界一周(1976年)
- 世界名作童話シリーズ
- 惑星ロボ ダンガードA 劇場版
- 惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団(1977年)
- 惑星ロボ ダンガードA 宇宙大海戦(1978年)
- さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち(制作元請:オフィス・アカデミー、1978年)
- キャンディ・キャンディ 劇場版
- キャンディ・キャンディ(1977年)
- キャンディ・キャンディ 春の呼び声(1977年)
- キャンディ・キャンディ キャンディ・キャンディの夏休み(1978年)
- 一休さんとやんちゃ姫(1978年)
- 宇宙海賊キャプテンハーロック アルカディア号の謎(1978年)
- 龍の子太郎(1979年)
- SF西遊記スタージンガー(1979年)
- 銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)(1979年)
1980年代(劇場アニメ)
- 銀河鉄道999 劇場作品
- 銀河鉄道999 ガラスのクレア(1980年)
- さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅(1981年)
- 1000年女王(1982年)
- わが青春のアルカディア(1982年)
- 宇宙戦艦ヤマトシリーズ
- ヤマトよ永遠に(制作元請:オフィスアカデミー、制作協力、1980年)
- 宇宙戦艦ヤマト 完結編(ウェスト・ケープ・コーポレーションと共同制作、1983年)
- 森は生きている(1980年)
- 花の子ルンルン こんにちわ桜の国(1980年)
- 地球へ…(1980年)
- 魔法少女ララベル 海が呼ぶ夏休み(1980年)
- ゲゲゲの鬼太郎シリーズ
- ゲゲゲの鬼太郎 地相眼(1980年)
- ゲゲゲの鬼太郎 妖怪軍団(1985年)
- ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大戦争(1986年)
- ゲゲゲの鬼太郎 最強妖怪軍団!日本上陸!!(1986年)
- ゲゲゲの鬼太郎 激突!! 異次元妖怪の大反乱(1986年)
- サイボーグ009 超銀河伝説(1980年)
- 世界名作童話シリーズ
- 白鳥の湖(1981年)
- アラジンと魔法のランプ(1982年)
- 悪魔と姫ぎみ(1981年)
- 夏への扉(マッドハウスと共同制作、1981年)
- Dr.スランプ アラレちゃんシリーズ
- Dr.スランプ アラレちゃん ハロー!不思議島(1981年)
- Dr.SLUMP “ほよよ!”宇宙大冒険(1982年)
- Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ世界一周大レース(1983年)
- Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!ナナバ城の秘宝(1984年)
- Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!夢の都メカポリス(1985年)
- 浮浪雲(1982年)
- FUTURE WAR 198X年(1982年)
- あさりちゃん 愛のメルヘン少女(1982年)
- まんがイソップ物語(1983年)
- パタリロ! スターダスト計画(1983年)
- 少年ケニヤ(1984年)
- パパママバイバイ(1984年)
- The・かぼちゃワイン ニタの愛情物語(1984年)
- キン肉マン 劇場版
- キン肉マン 奪われたチャンピオンベルト(1984年)
- キン肉マン 大暴れ!正義超人(1984年)
- キン肉マン 正義超人vs古代超人(1985年)
- キン肉マン 逆襲!宇宙かくれ超人(1985年)
- キン肉マン 晴れ姿!正義超人(1985年)
- キン肉マン ニューヨーク危機一髪!(1986年)
- キン肉マン 正義超人vs戦士超人(1987年)
- GU-GUガンモ(1985年)
- とんがり帽子のメモル(1985年)
- オーディーン 光子帆船スターライト(ウェスト・ケープ・コーポレーションと共同制作、1985年)
- 北斗の拳(1986年)
- トランスフォーマー ザ・ムービー(1986年)
- メイプルタウン物語シリーズ
- メイプルタウン物語(1986年)
- 新メイプルタウン物語 パームタウン編 こんにちは!新しい町(1987年)
- ドラゴンボールシリーズ
- ドラゴンボール 神龍の伝説(1986年)
- ドラゴンボール 魔神城のねむり姫(1987年)
- ドラゴンボール 摩訶不思議大冒険(1988年)
- グリム童話 金の鳥(1987年)
- 聖闘士星矢シリーズ
- 聖闘士星矢(1987年)
- 聖闘士星矢 神々の熱き戦い(1988年)
- 聖闘士星矢 真紅の少年伝説(1988年)
- 聖闘士星矢 最終聖戦の戦士たち(1989年)
- ビックリマンシリーズ
- 第一次聖魔大戦(1988年)
- 無縁ゾーンの秘宝(1988年)
- 闘将!!拉麵男(1988年)
- レディ!レディ READY! LADY(1989年)
- ひみつのアッコちゃんシリーズ
- ひみつのアッコちゃん(1989年)
- ひみつのアッコちゃん 海だ! おばけだ!! 夏祭り(1989年)
- ドラゴンボールZ(1989年)
- 悪魔くん(1989年)
1990年代(劇場アニメ)
- ドラゴンボールZシリーズ
- ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ(1990年)
- ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦(1990年)
- ドラゴンボールZ 超サイヤ人だ孫悟空(1990年)
- ドラゴンボールZ とびっきりの最強対最強(1991年)
- ドラゴンボールZ 激突!!100億パワーの戦士たち(1992年)
- ドラゴンボールZ 極限バトル!!三大超サイヤ人(1992年)
- ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦(1993年)
- ドラゴンボールZ 銀河ギリギリ!!ぶっちぎりの凄い奴(1993年)
- ドラゴンボールZ 危険なふたり!超戦士はねむれない(1994年)
- ドラゴンボールZ 超戦士撃破!!勝つのはオレだ(1994年)
- ドラゴンボールZ 復活のフュージョン!!悟空とベジータ(1995年)
- ドラゴンボールZ 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる(1995年)
- 悪魔くん ようこそ悪魔ランドへ!!(1990年)
- 魔法使いサリー(1990年)
- Pink みずドロボウあめドロボウ(1990年)
- 剣之介さま(1990年)
- 宇宙皇子 天上編(1990年)
- まじかる☆タルるートくんシリーズ
- まじかる☆タルるートくん(1991年)
- まじかる☆タルるートくん 燃えろ!友情の魔法大戦(1991年)
- まじかる☆タルるートくん すき・すき タコ焼きっ!(1992年)
- ドラゴンクエスト ダイの大冒険シリーズ
- ドラゴンクエスト ダイの大冒険(1991年)
- ドラゴンクエスト ダイの大冒険 起ちあがれ!!アバンの使徒(1992年)
- ドラゴンクエスト ダイの大冒険 ぶちやぶれ!!新生6大将軍(1992年)
- 三国志シリーズ
- 三国志 第一部・英雄たちの夜明け(1992年)
- 三国志 第二部・長江燃ゆ!(1993年)
- 三国志 完結編・遥かなる大地(1994年)
- 光の風のアーマ(短編映画、1992年)
- キャンディ・キャンディ(リメイク版、1992年)
- きんぎょ注意報!(1992年)
- ろくでなしBLUESシリーズ
- ろくでなしBLUES(1992年)
- ろくでなしBLUES 1993(1993年)
- Dr.スランプ アラレちゃんシリーズ
- Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!ペンギン村はハレのち晴れ(1993年)
- Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!ペンギン村より愛をこめて(1993年)
- Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!!助けたサメに連れられて…(1994年)
- Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!!わくわくハートの夏休み(1994年)
- 美少女戦士セーラームーンシリーズ
- 劇場版美少女戦士セーラームーンR(1993年)
- メイクアップ!セーラー戦士(1993年)
- 劇場版美少女戦士セーラームーンS〜かぐや姫の恋人(1994年)
- 美少女戦士セーラームーンSuperS セーラー9戦士集結!ブラック・ドリーム・ホールの奇跡(1995年)
- スペシャルプレゼント 亜美ちゃんの初恋 美少女戦士セーラームーンSuperS 外伝(1995年)
- 遠い海から来たCOO(1993年)
- 蒼き伝説シュート!(1994年)
- おさわが!スーパーベビー(1994年)
- GS美神・極楽大作戦!!(1994年)
- SLAM DUNKシリーズ
- スラムダンク(1994年)
- スラムダンク 全国制覇だ! 桜木花道(1994年)
- スラムダンク 湘北最大の危機! 燃えろ桜木花道(1995年)
- スラムダンク 吠えろバスケットマン魂!! 花道と流川の熱き夏(1995年)
- ママレード・ボーイ(1995年)
- ドラゴンボール 最強への道(1996年)
- ご近所物語(1996年)
- ゲゲゲの鬼太郎シリーズ
- ゲゲゲの鬼太郎 大海獣(1996年)
- ゲゲゲの鬼太郎 おばけナイター(1997年)
- ゲゲゲの鬼太郎 妖怪特急! まぼろしの汽車(1997年)
- 地獄先生ぬ〜べ〜シリーズ
- (超)劇場版!地獄先生ぬ〜べ〜(1996年)
- 地獄先生ぬ〜べ〜 午前0時ぬ〜ベ〜死す!(1997年)
- 地獄先生ぬ〜べ〜 恐怖の夏休み!! 妖しの海の伝説!(1997年)
- 金田一少年の事件簿シリーズ
- 金田一少年の事件簿(1996年)
- 金田一少年の事件簿2・殺戮のディープブルー(1999年)
- キューティーハニーF(1997年)
- 花より男子(1997年)
- たまごっちホントのはなし(1997年)
- 蓮如物語(1998年)
- 銀河鉄道999・エターナルファンタジー(1998年)
- ドクタースランプ アラレのびっくりバーン(1999年)
- 遊☆戯☆王(1999年)
- デジモンアドベンチャー(1999年)
2000年代(劇場アニメ)
- デジモンシリーズ
- デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!(2000年)
- デジモンアドベンチャー 3D デジモングランプリ!(2000年)
- デジモンアドベンチャー02 前編・デジモンハリケーン上陸!!/後編・超絶進化!!黄金のデジメンタル(2000年)
- デジモンアドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲(2001年)
- デジモンテイマーズ 冒険者たちの戦い(2001年)
- デジモンテイマーズ 暴走デジモン特急(2002年)
- デジモンフロンティア 古代デジモン(オニスモン)復活!!(2002年)
- デジモンセイバーズ 3D デジタルワールド危機イッパツ!(2006年)
- デジモンセイバーズ THE MOVIE 究極パワー! バーストモード発動!(2006年)
- ONE PIECEシリーズ
- ONE PIECE(2000年)
- ONE PIECE ねじまき島の冒険(2001年)
- ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国(2002年)
- ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険(2003年)
- ONE PIECE 呪われた聖剣(2004年)
- ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島(2005年)
- ONE PIECE THE MOVIE カラクリ城のメカ巨兵(2006年)
- ONE PIECE エピソードオブアラバスタ 砂漠の王女と海賊たち(2007年)
- ONE PIECE THE MOVIE エピソードオブチョッパー+冬に咲く、奇跡の桜(2008年)
- ONE PIECE FILM STRONG WORLD(2009年)
- おジャ魔女どれみシリーズ
- おジャ魔女どれみ♯(2000年)
- も〜っと! おジャ魔女どれみ カエル石のひみつ(2001年)
- キン肉マンII世シリーズ
- キン肉マンII世(2001年)
- キン肉マンII世 マッスル人参争奪! 超人大戦争(2002年)
- 聖闘士星矢 天界編 序奏〜overture〜(2004年)
- 劇場版AIR(2005年)
- プリキュアシリーズ
- 映画 ふたりはプリキュア Max Heart(2005年)
- 映画 ふたりはプリキュア Max Heart 2 雪空のともだち(2005年)
- 映画 ふたりはプリキュア Splash Star チクタク危機一髪!(2006年)
- 映画 Yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険!(2007年)
- 映画 Yes!プリキュア5GoGo! お菓子の国のハッピーバースディ♪(2008年)
- 映画 プリキュアオールスターズDX みんなともだちっ☆奇跡の全員大集合!(2009年)
- 映画 フレッシュプリキュア! おもちゃの国は秘密がいっぱい!?(2009年)
- Dr.マシリト アバレちゃん(2007年)
- 劇場版CLANNAD(2007年)
- 劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!(2008年)
- きかんしゃ やえもん(2009年)
- ゲゲゲの鬼太郎 鬼太郎の幽霊電車3D(2009年)
2010年代(劇場アニメ)
- プリキュアシリーズ
- 映画 プリキュアオールスターズDX2 希望の光☆レインボージュエルを守れ!(2010年)
- 映画 ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?(2010年)
- 映画 プリキュアオールスターズDX3 未来にとどけ! 世界をつなぐ☆虹色の花(2011年)
- 映画 スイートプリキュア♪ とりもどせ! 心がつなぐ奇跡のメロディ♪(2011年)
- 映画 プリキュアオールスターズNewStage みらいのともだち(2012年)
- 映画 スマイルプリキュア! 絵本の中はみんなチグハグ!(2012年)
- 映画 プリキュアオールスターズNewStage2 こころのともだち(2013年)
- 映画 ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!?未来につなぐ希望のドレス(2013年)
- 映画 プリキュアオールスターズNewStage3 永遠のともだち(2014年)
- 映画 ハピネスチャージプリキュア! 人形の国のバレリーナ(2014年)
- 映画 プリキュアオールスターズ 春のカーニバル♪(2015年)
- 映画 Go!プリンセスプリキュア Go!Go!!豪華3本立て!!!(2015年)
- 映画 プリキュアオールスターズ みんなで歌う♪奇跡の魔法!(2016年)
- 映画 魔法つかいプリキュア! 奇跡の変身!キュアモフルン!(2016年)
- 映画 プリキュアドリームスターズ!(2017年)
- 映画 キラキラ☆プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ!(2017年)
- 映画 プリキュアスーパースターズ!(2018年)
- 映画 HUGっと!プリキュア♡ふたりはプリキュア オールスターズメモリーズ(2018年)
- 映画 プリキュアミラクルユニバース(2019年)
- 映画 スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて(2019年)
- ドラゴンボールZ シリーズ
- ドラゴンボールZ 神と神(2013年)
- ドラゴンボールZ 復活の「F」(2015年)
- ドラゴンボール超 ブロリー(2018年)
- ONE PIECEシリーズ
- ONE PIECE 3D 麦わらチェイス(2011年)
- ONE PIECE FILM Z(2012年)
- ONE PIECE FILM GOLD(2016年)
- ONE PIECE STAMPEDE(2019年)
- トリコシリーズ
- トリコ 3D 開幕!グルメアドベンチャー!!(2011年)
- 劇場版 トリコ 美食神の超食宝(2013年)
- 手塚治虫のブッダ シリ―ス(当初3部作を予定)
- 手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ!美しく-(2011年)
- BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅-(2014年)
- 虹色ほたる 〜永遠の夏休み〜(2012年)
- アシュラ(2012年)
- キャプテンハーロック(CGプロダクション:マーザ・アニメーションプラネット、2013年)
- BAYONETTA BLOODYFATE(アニメーション制作:GONZO、2013年)※製作委員会参加
- 一休さん 反闘公主(2014年)※中国版映画
- 聖闘士星矢 Legend of Sanctuary(2014年)
- 楽園追放 -Expelled from Paradise-(アニメーション制作:グラフィニカ、2014年)
- ミラキュラス レディバグ&シャノワール (アニメーション制作:ザグトゥーン,SAMGアニメーション)(2015年)
- ポッピンQ(創立60周年記念作品、2016年)
- 劇場版 マジンガーZ / INFINITY(2018年)
2020年代(劇場アニメ)
- デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆(2020年)
- 魔女見習いをさがして(2020年)
- 劇場版 美少女戦士セーラームーン Eternal(共同制作:スタジオディーン、2020年)
OVA
- 戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー スクランブルシティ発動編(1986年)
- 湘南爆走族シリーズ
- 湘南爆走族 残された走り屋たち(1986年)
- 湘南爆走族II 1/5 LONELY NIGHT(1987年)
- 湘南爆走族III 10オンスの絆(1987年)
- 湘南爆走族IV ハリケーン・ライダーズ(1988年)
- 湘南爆走族V 青ざめた暁(1989年)
- 湘南爆走族VI GT380ヒストリー(1990年)
- 湘南爆走族VII スポ根マッド・スペシャル(1991年)
- 湘南爆走族VIII 赤い星の伝説(1992年)
- 湘南爆走族IX 俺とお前のGOOD LUCK!(1993年)
- 湘南爆走族X FROM SAMANTHA(1995年)
- 湘南爆走族XI 喧嘩の花咲く修学旅行(1996年)
- 湘南爆走族XII 完結篇 桜吹雪の卒業式(1999年)
- G.I.ジョー ザ・ムービー(制作元請:マーベル・プロダクション/サンボウ・プロダクション、アニメーション制作、1987年)
- Crying フリーマン(1988年 - 1994年)
- 左のオクロック!!(1989年)
- トランスフォーマーZ(1990年)
- 3×3 EYES(1991年)
- リトルツインズ(KSS、ヒーロー・コミュニケーションズとの共同製作、1992年 - 1993年)
- 仮面ライダーSD(1993年)
- エンジェル伝説(1996年)
- 伝心 まもって守護月天!(2000年 - 2001年)
- 聖闘士星矢 冥王ハーデス編(2003年 - 2008年)
- インタールード(2004年)
- イリヤの空、UFOの夏(2005年)
- Halo Legends エピソード5【Odd One Out】(2010年)
- 金田一少年の事件簿 「黒魔術殺人事件」(2012年 - 2013年)※20周年コミックス3・4巻DVD付き限定版
- デジモンシリーズ
- デジモンアドベンチャー tri. 第1章「再会」(2015年)
- デジモンアドベンチャー tri. 第2章「決意」(2016年)
- デジモンアドベンチャー tri. 第3章「告白」(2016年)
- デジモンアドベンチャー tri. 第4章「喪失」(2017年)
- デジモンアドベンチャー tri. 第5章「共生」(2017年)
- デジモンアドベンチャー tri. 第6章「ぼくらの未来」(2018年)
実写映画参加作品
- デビルマン - アニメ、CG担当
- キューティーハニー - アニメ、CG担当
- 男たちの大和/YAMATO - CG担当
- 俺は、君のためにこそ死ににいく - CG担当
- 最終兵器彼女 - VFX担当
- 蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜 - CG担当
- ヤッターマン - CG担当
- ハッピーフライト - CG担当
- ママレード・ボーイ - 製作委員会メンバー
コンピュータゲーム
- バルトロン(1986年、ファミリーコンピュータ)
- 北斗の拳1〜7(1986年、ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン)
- 長靴をはいた猫 世界一周80日大冒険(1986年、ファミリーコンピュータ)
- SWAT(1987年、ファミリーコンピュータ)
- スケバン刑事III(1988年、ファミリーコンピュータ)
- 仮面の忍者 赤影(1988年、ファミリーコンピュータ)
- ファイティングロード(1988年、ファミリーコンピュータ)
- 新里見八犬伝 光と闇の戦い(1989年、ファミリーコンピュータ)
- もっともあぶない刑事(1990年、ファミリーコンピュータ)
- ブラッディ・ウォリアーズ(1990年、ファミリーコンピュータ)
- 雷電伝説(1991年、スーパーファミコン)
- 魔女っ子大作戦(1999年、PlayStation)
- こえであそぼう ハートキャッチプリキュア!(2010年、ニンテンドーDS)
- スタプラ!(2012年 -、携帯電話ゲーム、コロプラとの共同開発)
- 円環のパンデミカ(2014年、iOS/Android)
- 拡張少女系トライナリー(2016年、iOS/Android、コーエーテクモゲームス(ガストブランド)との共同開発)
レーザーディスクゲーム
- アルベガス(1984年、販売元:セガ)
- サンダーストーム(1984年、販売元:データイースト)
- 宇宙戦艦ヤマト(1985年、販売元:タイトー)
- タイムギャル(1985年、販売元:タイトー)
- ロードブラスター(1985年、販売元:データイースト)
- キャッシングストーン(1985年、発売元:データイースト)
- Freedom Fighter(1986年、発売元:ミレニアムゲームプロダクツ、海外のみリリース)「銀河鉄道999」と「さよなら銀河鉄道999」の一部を加われる新作シーンが作成された。
ミュージカル
- 美少女戦士セーラームーン (ミュージカル)
- 白蛇伝〜White Lovers〜(創立50周年記念作品、2006年)
CM
- スズキ・ハスラー(2014年 -、アニメーション制作)[119]
- 『Dr.スランプ アラレちゃん』篇
- 『クリスマス アラレちゃん』篇
- 『感謝をこめて 特別仕様車・決算付』篇
- 『コラージュ』篇
- 『ワクワク広がれ』篇
- 『ワクワクがズラリ』篇
- 『ぴたっ!と安全』篇
- カップヌードル(2019年、監修、アニメーション制作:シャフト)
その他
- ぼくらマンガ家トキワ荘物語(1981年、スペシャル番組)
- 新世紀ロボユーバロット誕生!(館内アニメ)
- おまじないアイドル・リリカルレナ→リリカルレナ・エンジェルパーティー(セイカノート(現:サンスター文具)との共同展開によるオリジナル女児用文具プロジェクト)
- 動物のカメちゃん(同社ホームページにゲームがある)
- ソニック・ザ・ヘッジホッグCD(1993年、アニメーション制作(OP/ED)、メガCD用ソフト)
- 新婚さんいらっしゃい!(番組オープニングのタイトルアニメを制作)
- クロノ・トリガー(1999年、アニメーション制作、PlayStation用ソフト)
- 水木しげるの遠野物語(制作元請:小学館集英社プロダクション、アニメーション制作、館内アニメ)
- 農業ムスメ!(2009年 -、マッグガーデンとの共同メディアミックス企画)
- ゲゲゲの女房(2010年、番組オープニングや妖怪等のアニメーションを制作)
- 魔法少女 鬼塚さくら(2011年 -、漫画原作、作画:小林マサト)
- 鉄拳戦士アイアン・キッド(日本語版制作)
- もののけ姫(制作元請:スタジオジブリ、仕上、劇場映画)
- 平清盛(CG制作)
- ラブライブ!(第2期・2014年、制作元請:サンライズ、OP3DCG)
- ミラキュラス レディバグ&シャノワール(2015年 -、フランス・日本・韓国3カ国共同製作)
- まほう×少年×Days!!!!!(2015年、フロンティアワークスとの共同企画。同名ドラマCD第1巻アニメーションPV)
- 帰ってきた手裏剣戦隊ニンニンジャー ニンニンガールズVSボーイズ FINAL WARS(2016年、アニメーションパート制作)
- 映画 妖怪ウォッチ シャドウサイド 鬼王の復活(制作元請:OLM、協力、劇場映画)
- 声ガール!(2018年、アニメーション監修)
- なつぞら(2019年、アニメーション制作)
参考文献
- 渡辺泰・山口且訓『日本アニメーション映画史』有文社、1978年。
- 東映動画・徳間書店児童少年編集部『東映動画 長編アニメ大全集』 上巻、徳間書店、1978年。
- 大下英治『日本ヒーローは世界を制す』角川書店、1995年。ISBN 4-04-883416-9。
- 御園まこと監修『図説テレビアニメ全書』原書房、1999年。ISBN 4-562-03217-0。
- 川崎市市民ミュージアム編集『日本アニメの飛翔期を探る』読売新聞社・美術館連絡協議会、2000年。
- 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』徳間書店、2001年(ISBN 4198613613)
- 多田信『これがアニメビジネスだ』廣済堂出版、2002年(ISBN 4331508676)
- 山口康男『日本のアニメ全史 世界を制した日本アニメの奇跡』テン・ブックス、2004年。ISBN 4-88696-011-1。
- 大塚康生・森遊机『大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽』実業之日本社、2006年。ISBN 4-408-61255-3。
- 津堅信之『アニメ作家としての手塚治虫-その軌跡と本質』NTT出版、2007年(ISBN 9784757141520)
- 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年。ISBN 978-4-636-88519-4。
- 布村建「極私的東映および教育映画部回想」『映画論叢』第18巻、国書刊行会、2014年7月号。
- 大下英治『仮面ライダーから牙狼へ 渡邊亮徳・日本のキャラクタービジネスを築き上げた男』竹書房、2014年。ISBN 978-4-8124-8997-0。
- 『日本TVアニメーション大全』世界文化社、2014年。ISBN 978-4-418-14901-8。
- 増田弘道『デジタルが変えるアニメビジネス』NTT出版、2016年。ISBN 978-4-7571-2356-4。
- 津堅信之:「ディズニーを目指した男 大川博 ―忘れられた創業者―」、日本評論社、ISBN 978-4-535-58695-6 (2016年8月25日)。
- 谷川建司「最大利益を確保するための構造 東映動画株式会社における映画製作事業とその縮小 文・木村智哉」『戦後映画の産業空間 資本・娯楽・興行』森話社、2016年。ISBN 978-4-86405-098-2。
注釈
- ^ 写真は建替前の建物。新社屋は2018年1月稼働開始。
- ^ 後の教育映画部次長、赤川次郎の父。
- ^ 一般人のアニメーションへの知識や関心が高まったのは、1978年に『アニメージュ』などのアニメ雑誌が創刊されて以降の話で、それまではアニメーターや演出家などのスタッフ名まで知っている人はほとんどいなかった(『大塚康生インタビュー』15頁)。
- ^ 社員でない契約者は労働者ではない、契約期間が過ぎたら、資本側が一方的に契約打ち切り(解雇)する自由があるという会社側の主張(佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第三十六回 佐渡でサド」『シナリオ』2015年6月号、日本シナリオ作家協会、66-61頁)。
- ^ 『ドラゴンボール』のフランスでの初放送はTF1で、1988年9月から104話(30分)が放送され、裏番組のディズニーアニメ平均視聴率14%に対して最高視聴率67%を記録した(『AVジャーナル』1989年4月号、7頁)。
- ^ 『美少女戦士セーラームーン』のフランスでの初放送は1993年末(『毎日新聞』夕刊1994年12月21日、3頁)。
- ^ 岡田茂は「1980年代にサバンに『超電子バイオマン』や『超人機メタルダー』などの権利を売った」と話している(『AVジャーナル』1995年3月号、27頁)。また1996年にルパート・マードックが孫正義と組んでテレビ朝日を買収しようとして、日本の電波業界が大揺れした際(ソフトバンクが豪社と合弁で、テレビ朝日に資本参加、『日経ビジネス』1997年2月17日号、『財界』2011年6月7日号、61頁、『AVジャーナル』1996年9月号、7頁)、東映グループ全体で当時22%前後の株式を持つ岡田がマードックとの交渉にあたり(『財界』2011年6月7日号、61頁、『経済界』1996年8月27日号、45-47頁)、サバン・エンターテイメントがフォックステレビ傘下に入っていたため、事務折衝の当事者として岡田と交渉を持ったのが岡田と付き合いの長いサバンであった(『AVジャーナル』1997年3月号、22-27頁)。「無理やり日本に進出しても支持されない」とマードックを説得し、マードックがテレビ朝日の当時の大株主・旺文社から買ったテレビ朝日の株を同額で朝日新聞に引き取らせる交渉を行ったのは岡田であった(『財界』2011年6月7日号、61頁)。
- ^ 岡田と20世紀フォックスの付き合いは『トラ・トラ・トラ!』の製作協力を始まりとしており(『映画監督 舛田利雄 ~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~』 242–248頁、報知新聞1969年2月26日、10頁、日刊スポーツ1969年2月26日、15頁)、1973年、フォックス作品の日本のテレビでの放映権独占契約を結び(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁)、同年10月に木曜洋画劇場で放映された『ミクロの決死圏』を皮切りに、以降、『スター・ウォーズ』『エイリアン』『ダイ・ハード』『ホーム・アローン』などが(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁)、東映を通じて日本のテレビ局に売り込まれた(『映画時報』1973年7、8月号、35-36頁、『経済界』1996年8月27日号、45-47頁、『週刊読売』1982年2月21日号、30頁)。1982年には東映が『スター・ウォーズ』を他作品30本と抱き込みで13億円で日本テレビに売り、映画テレビ関係者を驚かせた(『週刊読売』1982年2月21日号、30頁)。
- ^ 1999年よりTOEI ANIMATION PHILS., INC. 略称:TAP、Toei Phils.
- ^ 略称: PRO2NET、プロツーネット
- ^ 当時はイラストなどに音楽やナレーションなどを加えて、画の持つ魅力やメッセージ性を強調していく表現手法として、また少人数、低予算で製作でき、作者のカラーを出しやすくなることも特徴」と説明された。(なお、同レーベルは数年後にほぼ終息した)
- ^ ただしまれに社内でない演出家がシリーズディレクターになった場合などは音響監督を置く。代表的な例は『バビル2世』、『北斗の拳』、『Dr.スランプ アラレちゃん』など。また、国際映画社制作の作品や『ドラゴンボール』シリーズ(『ドラゴンボール超』の第76話まで)など、自社の演出家がシリーズディレクターになっても稀に音響監督を置くことがあった。
- ^ クレジット上は東映東京撮影所
- ^ テレビ朝日がシンエイ動画とも提携・資本関係を強化したことや、アニメ枠が減少したことも影響した。なお、シンエイ動画は元々東京ムービーの協力企業だったAプロダクションが発祥で、テレビ朝日との関係が深まる以前は東京ムービーを通じてTBSテレビ(現在の東京放送ホールディングスに相当する旧法人が東京ムービーに設立に関与)・日本テレビや、在阪局の朝日放送(現:朝日放送テレビ)・毎日放送・読売テレビと親密な関係だった。
- ^ その間テレビ朝日系では、東映アニメーションとは直接の資本関係を有しない(東映本社とは2000年代以降資本関係を有している)在阪準キー局・朝日放送(現:朝日放送テレビ)との作品で全国同時ネット放送を維持していた。上述の経緯から、放送枠上では1970~1980年代初期と2000年代で在京局(NET~テレビ朝日)・在阪局(毎日放送→朝日放送)と制作会社(シンエイ動画/東映アニメーション)との取引関係が実質逆転状態となっていた。
- ^ フジテレビ系では2013年現在も全国同時ネットは途絶えているが、『ONE PEICE』は個別スポンサードネット・番組販売扱いを組み合わせる形で遅れネットも含め全国で放送している(系列局所在地でも大分県のみ、編成上の都合で同地域の系列外局に放映権を移譲)。
- ^ 「円環のパンデミカ」 東映アニメがゲームに乗り出した理由を訊く
- ^ 東映の連結子会社、テレビ朝日の親会社であるテレビ朝日ホールディングスの持分法適用会社である。
出典
- ^ a b c d e f g h i 東映アニメーション株式会社 (29 June 2017). 第79期(平成28年4月1日 - 平成29年3月31日)有価証券報告書 (Report).
{{cite report}}
: 不明な引数|coauthors=
が空白で指定されています。 (説明) - ^ a b c d e f g h “沿革|IR情報|東映アニメーション株式会社”. 東映アニメーション. 2014年10月19日閲覧。
- ^ a b c d e f #アニメ大全集、4-5頁
- ^ #アニメ飛翔期、64-67頁 渡辺泰「東映動画の設立とアニメーション全盛時代」
- ^ a b c Autodesk :: AREA JAPAN | コラム | 第4回:池田 宏 氏
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 「東映動画・泊懋社長インタビュー 『東映アニメ高潮気運を生かして』」『AVジャーナル』1995年1月号、文化通信社、22 - 29頁。 「東映動画創立40周年・泊懋社長インタビュー 『アニメに賭けた創業の初心に立ち返る』」『AVジャーナル』1996年7月号、文化通信社、24 - 29頁。
- ^ #大塚森、15頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #TVアニメーション大全、316-323頁 吉村次郎「東映、アニメの技術史」
- ^ a b c d e f g h i j k l m 「アニメーションの総合商社として業容拡大の一途をたどる東映動画株式会社」『月刊レジャー産業資料』1988年12月号、綜合ユニコム、185 - 187頁。
- ^ a b c #図説全書、124-130、227-229頁
- ^ a b c 【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第9回 アニメーション映画と湯浅政明監督
- ^ a b c d e f 氷川竜介・叶精二 (2017年6月17日). “東映動画の傑作『どうぶつ宝島』を語りつくすトークイベント「このアニメはすごい!」レポート”. 練馬アニメーションサイト (練馬区商工観光課アニメ産業振興係). オリジナルの2017年7月2日時点におけるアーカイブ。 2018年3月24日閲覧。氷川竜介・原口正宏 (2017年). “第18回 東映動画初期劇場作品を作った人々 その1”. 練馬アニメーションサイト (練馬区商工観光課アニメ産業振興係) 2019年4月25日閲覧。
- ^ a b c d e 「特集 東映動画まつり 『いま光り輝く、東映動画』 文・山下彗」『東映キネマ旬報』2008年冬号 vol.8、東映ビデオ、2-5頁。
- ^ a b 小原篤 (2009年11月16日). “「水攻めにしてやる」と森繁さんは言った”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2019年5月17日時点におけるアーカイブ。 2019年5月16日閲覧。
- ^ a b 朝ドラ『なつぞら』が宮崎駿・高畑勲も闘った「東映動画・労使紛争」を矮小化! 労働組合の意義、会社との対立をなかったことに
- ^ 『なつぞら』東洋動画のモデルとなる人々は? 日本の「漫画映画」の礎築いた東映動画のレジェンド数土直志 (2018年5月15日). “ジブリ高畑勲監督がアニメ業界に遺した宝物宮崎駿やガンダム監督にまで影響を与えた”. 東洋経済ONLINE. 2019年9月8日閲覧。生ける伝説のアニメーター・小田部羊一が明かす、高畑勲初監督作「ホルスの大冒険」誕生秘話【レポート】 服部東平 (1995年11月7日). “アニメ 基礎を築いた東映動画(映画100年邦画の軌跡:7)”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 11“【社会】 「魂込めた作品 作り続けて」 京都アニメ創業者の兄 呼び掛け”. 東京新聞 TOKYO Web (中日新聞東京本社). (2019年7月20日). オリジナルの2019年7月22日時点におけるアーカイブ。 2019年9月8日閲覧。
- ^ a b c d 金田信一郎「岡田茂・東映相談役インタビュー」『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡史』日経BP社、2006年、211-215頁。ISBN 4-8222-0158-9。(NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した(Internet Archive)
- ^ a b c d 「東映株式会社岡田茂社長にきく『ヤングの嗜好をつかめば吉と出る映画産業』きき手・伊沢甲子麿」『中部財界』1978年10月号、中部財界社、20頁。
- ^ a b c 岡田敬一 (2003年6月2日). “【競うライバル物語】(42)日本アニメの先駆者達(1)”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. オピニオン
- ^ a b c d e f 小原篤 (2006年8月25日). “東映アニメ、夢追い50年 白蛇伝・銀河鉄道999...宮崎駿監督も輩出”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 文化芸能3頁
- ^ a b c トレンド&テクノロジー / 3DCG の夜明け 〜日本のフルCG アニメの未来を探る〜第13回:月岡貞夫氏(アニメーション作家)
- ^ a b c d #図説全書、115-120頁
- ^ #図説全書、13-17頁
- ^ a b c d e f g h 井本省吾 (2002年6月17日). “マンガアニメ世界へ(11)キャラクターは金の卵(ドキュメント挑戦)”. 日本経済新聞夕刊 (日本経済新聞社): p. 3
- ^ アニメは愛人 | アニメ!アニメ!
- ^ a b c d e f 新井栄三「長年の交渉の積み重ねで「請負契約」から労働基準法を完全適用し、契約社員の制度化を実現―東映動画労働組合」『ビジネス・レーバー・トレンド』2018年7月号、50-57頁。
- ^ #図説全書、124-130、229-231頁
- ^ a b c d 黒木鉄也のツイート 2015年6月21日
- ^ a b c #大塚森、92-95頁「東映動画の遺伝子とは?」
- ^ a b c d 田代正則 (2019年7月14日). “出産退職誓わされた時代...『なつぞら』舞台モデル・東映動画の労組を訪ねて”. しんぶん赤旗日曜版 (日本共産党中央委員会): p. 33きょうの潮流 2019年7月24日 – 日本共産党、きょうの潮流 2019年8月19日 – 日本共産党
- ^ 佐伯俊道「終生娯楽派の戯言 第三十六回 佐渡でサド」『シナリオ』2015年6月号、日本シナリオ作家協会、66-61頁。
- ^ a b c d (7)村山新治と佐伯孚治 - 俎板橋だより
- ^ 高鳥都のツイート 2019年8月16日
- ^ 池田静雄 (東映取締役・映像事業部長)他、各地区映像事業部長など11人、司会・北浦馨「50億から100億~各支社の大胆細心の経営戦略東映の特殊部隊」『映画時報』1983年8、9月号、映画時報社、8頁。
- ^ a b c d e 河上英一「芸能ジャーナル『長編動画を続けよ』」『週刊読売』1965年2月28日号、読売新聞社、50頁。
- ^ a b c d e f #戦後映画の産業空間、86-88頁
- ^ a b c d #戦後映画の産業空間、91-93頁
- ^ 東映長編研究 第14回 白川大作インタビュー(6) 『風のフジ丸』と「東映まんがまつり」の始まり WEBアニメスタイル
- ^ a b #戦後映画の産業空間、103-110頁
- ^ #大塚森、105頁
- ^ a b c d 岡田敬一 (2003年6月5日). “【競うライバル物語】(45)日本アニメの先駆者達(4)”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. オピニオン2頁 岡田敬一 (2003年6月6日). “【競うライバル物語】(46)日本アニメの先駆者達(5)”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. オピニオン
- ^ 『クロニクル東映:1947-1991』 II、東映、1992年、54頁。岡田茂氏死去 東映名誉会長 東映アニメ取締役
- ^ 永野健二「岡田茂氏〔東映会長〕インタビュー 『メディアの激変、体験で読む大合併時代こそ指導力を』」『日経ビジネス』1997年2月17日号、日経BP社、70-73頁。
- ^ a b c d e f g #アニメーション映画史、131-133頁
- ^ 昭和47年 - WEBアニメスタイル
- ^ a b WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり「五味洋子」その42 労働争議の中で - Style.fm
- ^ a b c d e f g h i 木村智哉、「残された人びと : 「それ以降」の東映動画」 『千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書』紀要論文 2016年 305巻 p.154-165, ISSN 1881-7165。
- ^ a b c d 「映画界東西南北談議 不安定な社会状況に楽観許されず 各社に漂う上昇ムードに全体が活気 新しい企画路線が軌道に乗った東映」『映画時報』1975年4月号、映画時報社、33頁。
- ^ a b c d 「映画界東西南北談議 復調気配の74年をふりかえって 大きく揺れた映画界の人脈とその動き」『映画時報』1974年12月号、映画時報社、32頁。
- ^ a b c d e f g h i #活動屋人生、24、28-31、156頁
- ^ 岡本明久「東映東京撮影所の血と骨 泣く 笑う 握る」『映画論叢』第36巻、国書刊行会、2014年7月号、69頁。
- ^ a b c d e f “〈あんぐる〉 人員整理、東映よお前もか”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 7. (1972年8月1日)“〈あんぐる〉 合理化と社長のガン発言”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 9. (1972年11月27日)
- ^ a b 朝日新聞「ウイークエンド経済」編集部「時代の流れについていく感覚とは義理と人情東映会長岡田茂」『私の「経営」説法 ―ビジネス戦記 8人のトップが語る「マネジメントの要諦」』プレジデント社、1995年、47-48頁。ISBN 4833415917。
- ^ 「『スペシャル対談】加藤哲夫vs.山内鉄也+中田雅喜」『ぼくらが大好きだった 特撮ヒーローBESTマガジン vol.6』2005年12月9日号、講談社、12 - 14頁、ISBN 4-06-370006-2。
- ^ 立松和平『映画主義者 深作欣二』文藝春秋、2003年、41頁。ISBN 4-89036-181-2。
- ^ a b c 品川隆二・円尾敏郎『品川隆二と近衛十四郎、近衛十四郎と品川隆二』ワイズ出版、2007年、74-76頁。ISBN 9784898302064。
- ^ a b 『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)
- ^ a b c d 「トップ戦後50年東映・岡田茂会長インタビュー『おもしろおかしく生きて勲二等瑞宝』」『AVジャーナル』1995年12月号、文化通信社、27-29頁。
- ^ 岡田茂『悔いなきわが映画人生東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、147-152頁。ISBN 4879320161。春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、215-229頁。ISBN 4163768106。斎藤あけみ「新 家の履歴書(357) 岡田茂」『週刊文春』2002年1月17日号、文藝春秋、75頁。
- ^ a b #論叢18、30頁
- ^ あかんやつら――東映京都撮影所血風録 | 春日太一 | 評者 鈴木毅鈴木毅(進駸堂書店中久喜本店)、泊 懋氏(元東映アニメーション会長)が語る映画の時代とテレビの時代春日太一『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』文藝春秋、2013年、215-229頁。ISBN 4163768106。春日太一「特別企画 『現代の軍師』16人の素顔 知られざるエピソードでつづる伝説の男たち 翁長孝雄 『映画界のドン・岡田茂』を支え続けた現場力」『文藝春秋special「日本の軍師100人」』第26巻、文藝春秋、2013年・冬、104-107頁。由原木七朗「由原木七朗の日本映画スケッチ(82) (秘)エピソードでつづるあの男優この女優 萬屋錦之介 その四 東映"城"との対決」『週刊明星』、集英社、1979年5月13日号、168-169頁。
- ^ 岡田茂(東映常務取締役・映画事業本部長)・石渡錠太郎(東映取締役・東京撮影所長)・本郷武郎(東映・関東支社長)、聞く人・北浦馨「東映七〇年代の飛躍路線」『映画時報』1971年2月号、映画時報社、14頁。
- ^ 脇田巧彦・川端靖男・斎藤明・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 製作畑の一筋に歩んできた東映高岩淡常務が労政を兼務」『キネマ旬報』1985年9月下旬号、キネマ旬報社、173頁。
- ^ a b c 「東映・岡田茂会長インタビュー『製作配給の赤字をどう止めるか』」『AVジャーナル』1994年1月号、文化通信社、23頁。
- ^ 日本のドキュメンタリー作家インタビュー No. 24 呉徳洙(オ・ドクス)聞き手:門間貴志 - 山形国際ドキュメンタリー映画祭公式サイト
- ^ 黒木鉄也のツイート 2017年12月1日
- ^ 「クローズアップ・トーク 〈ゲスト〉佐伯俊道 『猫の好きなシナリオライターの書斎にて』 インタビュー・桂千穂」『シナリオ』1990年8月号、日本シナリオ作家協会、88頁。
- ^ 「匿名座談会 ヘンシンを余儀なくされる映画産業の構造 ゴルフ場経営まで総合レジャー産業に発展 儲かるものなら何でもの岡田方式 映像中心にあらゆる職種に進出」『映画時報』1972年11月号、映画時報社、8頁。
- ^ “東映会長岡田茂氏―アニメ成長に感激(回転イス)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 11. (1995年3月31日)
- ^ a b #論叢18、14頁
- ^ 「東映株式会社・高岩淡社長直撃インタビュー 『邦画復活には映画屋がまず燃えろ』」『月刊 財界人』1995年2月号、政経通信社、45 - 46頁。
- ^ 『キネマ旬報』1973年10月秋の特別号、188頁。
- ^ 岡田 茂 東映 相談役 - 株式会社プレスネット
- ^ “東映幹部級の人事異動 高橋勇氏東動の社長に”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 2. (1971年1月16日)
- ^ a b c 岡田茂『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』角川書店、2004年、164 - 165頁。ISBN 4-04-883871-7。
- ^ a b 高岩淡(東映専務取締役撮影所担当)・岡田裕介(東映役員待遇東京撮影所長)・佐藤雅夫(東映役員待遇京都撮影所長)「対談 『時間差でつながる両撮影所の命題』」『AVジャーナル』1990年9月号、文化通信社、15頁。
- ^ WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり「五味洋子」その40 変化のきざし - Style.fm
- ^ a b c d e f #山口、132-134頁
- ^ 岡田 茂 東映 相談役
- ^ IR News サマリー/東映アニメーション株式会社
- ^ 昭和49年 - WEBアニメスタイル
- ^ a b c d e f g h i りん・たいこ「〔特集〕赤字体質が生むアニメーターの"空洞化" 西東京アニメ地帯」『エコノミスト』第36巻、毎日新聞出版、2003年3月18日号、86-90頁。
- ^ a b c d e f 本間英士 (2016年7月14日). “東映アニメーション60周年楽しさとビジネス両立”. 産業経済新聞大阪 (産経新聞大阪本社): p. 朝刊文化
- ^ a b #キャラクタービジネス、280頁
- ^ a b #日本ヒーロー、261頁
- ^ a b c d e f 井本省吾 (2002年6月25日). “マンガアニメ世界へ(17)ジャパニメーション開花(ドキュメント挑戦)”. 日本経済新聞夕刊 (日本経済新聞社): p. 5
- ^ 海部正樹「アメリカにおける日本のコンテンツ市場」『一橋ビジネスレビュー』2010年夏号、東洋経済新報社、7 – 8頁、ISBN 9784492820469。
- ^ a b c “純日本的作品はいかが?- -海外進出のテレビアニメ”. 毎日新聞夕刊 (毎日新聞社): p. 2. (1995年1月11日)
- ^ “邦画サバイバル(5) 東映、撮影所売却で波紋―打開策欠き苦戦(映画ビッグバン)終”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 3. (1999年2月23日)
- ^ “テレビ朝日:『スーパー戦隊シリーズ』30周年、高視聴率維持マジレンジャー”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 11. (2005年5月23日)“仮面ライダー、米でデビュー年内TV放映前にバンダイがグッズ販売”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 3. (1995年6月16日)
- ^ 「トップインタビュー/山科誠バンダイ社長 『映画ビジネスは自主製作をメインに』」『AVジャーナル』1997年7月号、文化通信社、46 - 51頁。
- ^ a b “独民放最大手買収の米投資家サバン氏―『パワーレンジャー』生みの親。”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 21. (2003年9月4日)
- ^ a b c 豊永真美「パワーレンジャーをヒットさせた男 ハイム・サバンと日本のコンテンツ」『一橋ビジネスレビュー』2010年夏号、東洋経済新報社、36 – 51頁、ISBN 9784492820469。
- ^ a b c d e f 「東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『映像ソフト、当らにゃ一文にもならん』」『AVジャーナル』1995年3月号、文化通信社、26 - 27頁。「東映・岡田茂代表取締役会長インタビュー 『R・マードック乗り込みで俄然』」『AVジャーナル』1997年3月号、文化通信社、22-27頁。
- ^ a b c 川崎満 (1993年7月14日). “東映・FOX、日米映像のプロ握手、パトロン不要(ビジネスTODAY)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 1
- ^ a b c 「東映=FOX、長期TV配給権締結テレビ放映用映画の共同製作も」『映画時報』1993年7、8月号、映画時報社、35-36頁。
- ^ a b 阿部崇「マードックに狙われる東映・岡田茂会長の次の一手」『経済界』1996年8月27日号、経済界、45-47頁。
- ^ a b 「NEW FLASH 放送 『東映がFOXと放映権の独占契約を締結』」『AVジャーナル』1993年7月号、文化通信社、17頁。
- ^ 村田博文「東映・岡田茂さんを偲ぶ」『財界』2011年6月7日号、財界研究所、61頁。
- ^ a b 坂村道生 (1996年11月15日). “東映会長岡田茂氏―実力者の申し出袖に(談話室)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 3
- ^ a b #増田、20-134頁(『アニメビジネスがわかる』解説53)
- ^ a b c “第一部仮想が現実になる日(6) (モダンタイムス2001電脳社会なんて怖くない)”. 日本経済新聞夕刊 (日本経済新聞社): p. 1. (1997年4月13日)
- ^ a b c “映画会社、ノウハウ生かしイベント開拓―企画や建設、運営も。”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 4. (1988年8月12日)
- ^ 新日本製鐵株式會社・滝本憲二/東映動画・村山賢郎「対談 『鉄屋の新日鐵と映画屋の東映動画が手を結ぶ時代―スペースワールドをめぐって』」『月刊レジャー産業資料』1988年12月号、綜合ユニコム、188 - 192頁。
- ^ 版権事業|IR情報|東映アニメーション株式会社
- ^ 一藤浩隆『今田智憲と東映動画第2の創業~1970年代中盤から80年代初頭にかけての営業戦略を中心に~』 日本アニメーション学会 2018年度 第20回大会 2018年6月16日
- ^ a b c 小原篤 (2010年3月8日). “(ニッポン人脈記)いつもアニメが:1 月にかわって、勇気くれた”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2019年5月17日時点におけるアーカイブ。 2019年5月17日閲覧。
- ^ “「東映アニメ製作ネットワークシステム」の運用開始について”. 東映アニメーション,東日本電信電話,セルシス (2000年5月9日). 2014年10月19日閲覧。
- ^ “静止画が動く“画ニメ”に、天野喜孝氏などが参加――アートなゲキメーション?”. ASCII.jp. (2006年5月30日) 2013年10月12日閲覧。
- ^ “大泉スタジオ仮移転のお知らせ”. 東映アニメーション (2014年6月2日). 2014年6月9日閲覧。
- ^ スタジオ移転のお知らせ,東映アニメーション株式会社,2018年1月1日
- ^ “「東映アニメーションギャラリー」 スタジオ仮移転に伴う長期休館のお知らせ”. 東映アニメーション (2014年7月17日). 2014年9月15日閲覧。
- ^ 東映アニメーションミュージアム
- ^ a b 山田知広. “〈特集〉 俺たちのDark Hero 『心やさしきダークヒーロー タイガーマスク』”. 昭和40年男 (クレタパブリッシング) (2017年4月号): 62–63頁.
- ^ ジャンプコミックス『ボボボーボ・ボーボボ』12巻より
- ^ 第81期定時株主総会招集ご通知
- ^ 東映アニメーション:ダンデライオンと資本業務提携 デジタルコンテンツの制作、発信力を強化,毎日新聞,2018年8月22日
- ^ ハスラー・CMウラ話(9月13日時点)
関連項目
- 東映アニメフェア、東映まんがまつり - 2019年の大型連休に、1990年春以来29年ぶりに「東映まんがまつり」のタイトルが復活
- 東堂いづみ
- 東映アニメBBプレミアム
- 青二プロダクション
- 東映魔女っ子シリーズ
- 国際映画社 - 社員はプロデューサーと制作スタッフしかいないため、演出、作画作業に関してはこの東映動画に発注した。
- マーベル・プロダクション - プリプロダクションのみ行い、作画以降の作業を東映動画に発注した。
- チルドレンズ・コーナー - 東映動画の三幸スタジオが独立してできたが、一部の作業や録音を東映動画で行っていた。
- ショウエイシステム
外部リンク
- 公式サイト
- 公式YouTubeチャンネル
- 東映アニメオンデマンド - 「東映アニメBBプレミアム」(東映アニメーション制作によるアニメ配信サイト)・「アニメジャン」(東映アニメーションが制作した、「ジャンプ」ほか集英社原作系アニメに特化した配信サイト)その他のアニメ(「ゲスト作品」と呼称)を集約したポータルページ。
- 東映長編研究 第9回 白川大作インタビュー(1)東映入社と『白蛇伝』
- 東映長編研究 第10回 白川大作インタビュー(2)手塚治虫と『西遊記』
- 東映長編研究 第11回 白川大作インタビュー(3)『西遊記』と各スタッフの活躍
- 東映長編研究 第11回 白川大作インタビュー(4)『ねずみのよめいり』と『鉄腕アトム』前夜
- 東映長編研究 第13回 白川大作インタビュー(5)メイキング・オブ『わんわん忠臣蔵』
- 東映長編研究 第14回 白川大作インタビュー(6)『風のフジ丸』と「東映まんがまつり」の始まり
- 東映長編研究 第14回 白川大作インタビュー(7)『魔法使いサリー』と博報堂時代
- アニメの3大源流とその系譜 ~東映・虫プロ・タツノコ〜 (平成25年3月 文部科学省 平成24年度「成長分野等における中核的専門人材養成の戦略的推進事業」)
- 山口 康男:「なぜアニメ産業は今の形になったのか ~アニメ産業史における東映動画の位置付け~」、アニメを教える教員とアニメを学ぶ学生のためのアニメ人材養成セミナー 「日本のアニメを学び尽くす」~歴史からビジネスまで講演記録テキストシリーズ 歴史編(1)平成25年3月
Template:Navbox with collapsible groups Template:Navbox with collapsible groups #invoke:Authority control