「夕やけニャンニャン」の版間の差分
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毎週5人出場して5日間を通してオーディションを実施し、会場の審査員の最終審査=金曜日に100点以上を獲得した出場者が合格し、おニャン子クラブの一員となる。この時に[[くす玉]]が割られ大量の[[紙吹雪]]と[[風船]]が舞い「アイドル誕生!!」と表記された垂れ幕で祝福を受ける。 |
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2015年11月21日 (土) 06:17時点における版
夕やけニャンニャン | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
企画 | 秋元康 |
演出 |
港浩一 笠井一二 ほか |
出演者 |
おニャン子クラブ 片岡鶴太郎 松本小雪 吉田照美 とんねるず (石橋貴明・木梨憲武) 田代まさし 逸見政孝 伊藤政則 ちびっこギャング 所ジョージ 桑野信義 三宅裕司 上柳昌彦 浜村淳 ABブラザーズ シブがき隊 大竹まこと ウッチャンナンチャン (内村光良・南原清隆) 稲川淳二 松本伊代 南州太郎 デーブ・スペクター 佐藤準 ほか |
製作 | |
プロデューサー | 石田弘 |
制作 | フジテレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1985年4月1日 - 1987年8月31日 |
放送時間 | 平日 17:00 - 18:00 |
放送分 | 60分 |
『夕やけニャンニャン』(ゆうやけニャンニャン)は、フジテレビ系列(一部地域除く)で生放送していたバラエティ番組である。通称は『夕ニャン』(ゆうニャン)。
番組概要
1985年4月1日から1987年8月31日の平日17:00 - 18:00(最終回は16:00からの2時間スペシャル)に放送された。当初の司会進行役は片岡鶴太郎、松本小雪だった。
元々は、女子大生をメインとした深夜番組『オールナイトフジ』の延長線上で企画・放送された『オールナイトフジ女子高生スペシャル』から派生したもの。 「女子高生スペシャル」は関東ローカルで2回放送され(1985年2月23日、3月16日。16:00 - 17:25、関東ローカル)、『夕やけニャンニャン』スタートを前提においた「初期おニャン子決定」という意図も持たせていた。
番組名は当初『夕暮れニャンニャン』(ゆうぐれニャンニャン)を予定していた。しかし当時、愛人バンク「夕ぐれ族」が社会問題化しており、それでは危なすぎるということで『夕やけニャンニャン』になった。当時のスタッフは「『夕やけロンちゃん』(TBS)みたいだが、ま、いいか」ということで『夕やけニャンニャン』に落ち着いたという[1]。
番組の全盛期は開始約3か月後となる1985年夏から1986年初頭にかけてで、この時期の視聴率は平日夕方5時台の視聴率としては異例とも言える13%前後で推移した。
おニャン子クラブについて
当番組の『アイドルを探せ』というコーナー名のオーディションに合格した女子高校生など(後述)はおニャン子クラブとしてデビュー。会員番号12番以降のおニャン子クラブメンバーはこのオーディションの通過者である。うしろゆびさされ組やニャンギラス、うしろ髪ひかれ隊などの個別ユニットや、各個人としてもレコードを出してオリコンウィークリーランキングの上位常連となり、新田恵利や国生さゆり、城之内早苗、渡辺美奈代、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子などのメンバーは、現在も芸能界で活躍している。
『アイドルを探せ』
毎週5人出場して5日間を通してオーディションを実施し、会場の審査員の最終審査=金曜日に100点以上を獲得した出場者が合格し、おニャン子クラブの一員となる。この時にくす玉が割られ大量の紙吹雪と風船が舞い「アイドル誕生!!」と表記された垂れ幕で祝福を受ける。
レギュラー出演者について
レギュラー出演者であったとんねるず、田代まさし、デーモン小暮閣下、逸見政孝、三宅正治(当時フジテレビに入社したばかりの新人アナウンサー)らをスターダムに押し上げた。また進行役には吉田照美(文化放送を退職し、フリーになった直後)、上柳昌彦(ニッポン放送アナウンサー)のラジオ畑の出演者も起用された。特に吉田は、ひたすら軌道を逸らそうとする田代やとんねるずを無視して淡々と進行、番組のまとまりを維持するのに腐心していた。また三宅はこの番組が終了後スポーツ中継に専念していたが、2000年代以降、バラエティ番組に再び出演するようになった。
とんねるず人気絶頂に伴う番組のとんねるず優遇
当時、人気絶頂であるとんねるずは、1レギュラーという立場ながらとんねるず主体の企画が多くあり、その企画の多くが人気企画で夕やけニャンニャンの代表企画となった。
片岡鶴太郎vsダンプ松本
番組初期のエピソードとして、初代メイン司会の片岡鶴太郎が当時全日本女子プロレス所属レスラーだったダンプ松本に相当いじめられていたとされる時期がある(実際にはボクシングをやっていた鶴太郎が本当にダンプを怖がっていたかは不明である)。
その当時のある日、本番中に「電話が入っている」とスタッフから告げられ、鶴太郎はスタッフに対し「電話がダンプからのものではない」ことを何度も念を押して確認し、その上で電話を取ったところ、電話の相手はダンプ本人であった(鶴太郎のみならず、とんねるずも多少調子付いてダンプを挑発する言動をとっていた)。
その際、電話口でダンプが威圧や挑発の言葉を並べたやりとりの後、「そっちにこれから行くぞ!!」と凄んだことに対し、鶴太郎は「お前なんか来なくていいんだよ、このバーカ!!」と発言したところ、実はスタジオ内のセット裏から電話していたダンプ本人がブル中野と共にチェーンを振り回しセットをけり倒しながら登場。
ダンプらがスタジオにいることを一切知らされていなかった鶴太郎はその直後、生放送中ということを一瞬忘れたかのように「ダッ、ダンプさん!!すいません」と大泣きしながらスタジオ中を逃げ回ったという、笑うに笑えない場面があった。この「ハプニング」の際、スタジオに居合わせたおニャン子はほとんどが号泣し、身を寄せ合って怯えていたほか、一部観客にも泣き出す者や怯えるものもいたとされる。ここに、とんねるずも乱入し大荒れとなった。
ちなみにこの一件に関連しては、当時鶴太郎がレギュラー出演していた『オールナイトフジ』でも同様のハプニングが起きていた。どちらについても、ダンプに対して過剰に怖がっていた鶴太郎に対して番組スタッフとダンプらが仕組んだ、いわゆる「ドッキリ」的な要素も併せ持っていた。ダンプも鶴太郎を本気で嫌っていたわけではなかったことから、この騒動が落ち着いた後の関係は良好であったとされる。
主な企画・コーナー
- ザ・スカウト アイドルを探せ(毎日)
- 次期おニャン子を発掘するコーナーで毎週5人ずつ公募の(自・他薦問わず)素人高校生がオーディションを行なう。週代わりで5日間連続で出場し、歌・水着審査・かくし芸等を披露し、金曜日に得点制(合格基準点は100点以上)で合格者を決定する。(優勝者無しや複数合格も有り)進行役やとんねるずのノリ次第で合格させる様な風潮が多く見られ、山本スーザン久美子はその変わった名前からとんねるずがうまく乗せてしまい合格したという例もあった。
- 金曜日の総合審査の審査員は、田谷力三、小池聡行、保沢紀、秋元康、佐藤準らが担当した。
- 甲子園に行かなくても校歌が歌えるコーナー(月曜日→金曜日)
- いわゆる「学校自慢」、2チームによる対抗戦。同じ高校に通う3人組がチームとなり、自分の学校の自慢を互いに言い合い、判定の末勝った学校が校歌を歌える。火曜ワイドスペシャルでもSP版が放送された。尚、得点表示は「ザ・スカウト」の金曜日の総合審査で使われている表示器だった。とんねるずの帝京高校と逸見政孝の早稲田大学の対決では逸見が勝利した。
- 抱いておニャン子(月曜日)
- 「つるんでニャンニャン」→「とんでニャンニャン」→「ちびってニャンニャン」とコーナー名は変わった
- 公募の3~4人の男子が毎週1人のおニャン子を”花嫁抱っこ”を実現させる為にかくし芸やゲームを行ないアピールする。最後にそのおニャン子が「抱いて」といって1人を選ぶ。抱っこのシーンを写真に撮って貰える特典付き。
- ツッチーホラーショー(月曜日)
- 「すみれSEPTEMBER LOVE」で知られる一風堂の土屋昌巳が出演し、ホラー映画のワンシーンを見せ、次のシーンでどうなるか、というのが問題で、とんねるずや複数のおニャン子が回答する。
- 君の名は(火曜日)
- 毎回ゲストを呼び、この人は何をしていた人か?(あの子供は私、CMに出ていた、あの声の主は私など)をクイズ形式で当てていた。タイトルコールには同名のNHKラジオドラマの主題歌が使われ、実際に歌っていた織井茂子が声の主としてゲストに登場したこともあった。
- ゴジテレビ(火曜日)
- とんねるずが昔のアニメやドラマなどをモチーフとして、生でコントを見せるコーナー。この企画からとんねるずの方向性が垣間見え、その後の「とんねるずのみなさんのおかげです」へと派生していく。ちなみに、タイトルコールは当時、フジテレビの放送開始・終了時に流れていた「I・愛・eye」の曲の最後のサビの部分(フジテレビ)にあわせている。
- ボブに挑戦・ニャンニャン腕相撲(水曜日)
- 水曜オープニングの“つかみ”コーナー。腕相撲が無類の強さだと自他共に認めるとんねるずのマネージャー・ボブ市川が、公募の挑戦者と腕相撲を行なう。確かにその強さは筋金入りであるが、たまに負けるとキャラクターを変更して「ボベ」「ボバ」「ボポ」等と改名をしてくる。石橋がマネージャー役でチャンピオンベルトを携え「ベルトが欲しかったらテキサスまで捕りに来い」が口癖。その後負けるたびに、「ボッボ」「ザブ」「ボボボ」「ボッキー」「busy★ウィッキー」「ラッキーチャ・チャ・チャ・ウ」「ロッキーバルボア」「ロッキー2」「ロッキー3」「ロッキー4」「ベティ」「スーパーベティJr」「スーパーベティJrスペシャル」などチャンピオンを入れ替え(素人を採用?同一人物が名前を変えただけの場合や、一週のみで敗退し降板する場合もあり)つつ、ほぼ番組終了まで形態を変えずにコーナーを維持した。また勝者判定時の木梨の「ロッキーッ」などの一声で観客が意味も無く暴れ出すのも特徴だった。ちなみに水曜日に石橋が「ロッキーッ」のお約束をやって水曜担当ディレクターに窘められたこともあった。
- (新)えばってんじゃねぇよ(水曜日)
- おニャン子同士が各々石橋と木梨とを従え互いの悪口をフリップで言い合うもの。
- お習字の時間(水曜日)
- 墨汁で半紙に書いたネタを視聴者が投稿し、貼り出してとんねるずが採点していくコーナー。次第に「とんねるずのオールナイトニッポン」のリスナーによるマニアックなネタが増えていった。その後、投稿ネタを写真に変更し、「石橋貴明の女は顔だ」と「木梨憲武のぶっこき写真」のコーナーに分割したが、短命に終わった。
- 私、里歌ちゃんコーナー(水曜日)
- 伊藤政則(ロック評論家。国内外の、主にヘヴィメタルロック解説の第一人者で外国アーティストからも”マサ・イトウ”の名で有名)が司会をする(アシスタントは福永恵規)、現役の東海大学生の立見里歌の頭の中身は如何程かという発想から始まった教養のコーナーで、毎週立見と、それに対抗する挑戦者のおニャン子が日替わりで、視聴者から出題される学校で学習する類の問題に答えるというコーナー。立見が毎回珍回答を繰り出すが、対抗するおニャン子の回答が立見のボケを上回る事もしばしばであった。ある意味クイズ!ヘキサゴンIIの前身とも言えるコーナー。
- タイマンテレフォン(木曜日→火曜日へ移動)
- 番組の黎明期にスタートし、途中木曜日から火曜日へ移動しながらも比較的長く続いたコーナー。公募の視聴者ととんねるずが電話を使いお互いを罵った後、頭に来たとんねるずが電話を切ろうと受話器を電話本体の上に乗せ、切ろうと徐々にスライドする時に「切らないで切らないで」と相手が絶叫するのが見もの。特に男子中高生が石橋に激しく突っかかるシーンが多く見られた。小樽在住のヒサエちゃん(おばさん)が石橋とUFOに乗ったという事で話題になった。尚、ヒサエちゃんがファンである木梨に送った御土産を石橋がこっそり食べてしまったということもあった。ゲスト出演していた明石家さんまが飛び入りで出演した事があった。腹を立てたとんねるずが一般視聴者の住所を公開し、「こいつの家に嫌がらせをしろ!」と煽ることもあった。
- 笑ってたまるか一本勝負!(木曜日)
- 牛乳(番組内では「飲み物」と表現)を口に含んだ一般参加者を1対1で向かい合わせ、田代まさしが視聴者投稿による一言ギャグを読み、牛乳を吐き出した方が敗退というルールのコーナー。「おしっこだにょー」など、実にくだらないネタが多かった。また、段田男の兄弟姉等紹介ネタ(「ずんずずん」「ぎんぎぎん」「まんままん」等)もシリーズ化し、後の段田のレギュラー化につながった。
- ニャンニャンフォーカス(木曜日、一部金曜日にも)
- 視聴者からの投稿写真でUFOの写真や心霊写真。そして有名人のショットが番組出演者やおニャン子メンバーに似ているといった事を指摘するコーナー。
- オリコン速報(金曜日)
- 最新のオリコンベスト5をいち早く紹介。当初は当時ニッポン放送アナウンサーだった湯浅明(国際弁護士・湯浅卓の実兄)とおニャン子メンバーが担当していたが、末期はおニャン子メンバーだけで担当した。おニャン子系の曲がランク入りするとお祝いもしていた。
- おニャン子向上企画シリーズ(金曜日)
- 番組末期のコーナーでおニャン子の代表者達が料理やダンスなどに挑戦するコーナーであった。特に料理の回では大竹まことが美味しいチャーハンを調理して観客達や総合司会である田代まさし・松本伊代に絶賛されたが、一方おニャン子は不味いチャーハンを調理して田代・大竹を呆れさせた。
- 今週の5秒(金曜日)
- MCのおニャン子が放送終了前に一瞬芸を見せるコーナーである。
- あ、不幸だな
- 視聴者が送ったはがきに書かれた不幸話を読み上げ、不幸かどうかを判定するコーナー。一時期田代まさしが読み上げ、おニャン子がそれを判定していた。
- 部分美人コンテスト
- おニャン子が原宿等に繰り出し、無作為に選んだ通行人に、おニャン子の写真が書かれているボードから目、耳、鼻、口を組み合わせ、出来上がった写真を番組内で披露するもの。
- チャンーカ・チャーンカ・チャンカ・チャンカ・チャン
- 視聴者参加型コーナー。黛敏郎作曲の「スポーツ行進曲[2]」のイントロが流れた後で一発芸を披露し、おニャン子に判定してもらう。「○」が多いと合格だが、「×」が多いとほら貝の音が流れる中不合格となり、その後突撃ラッパが流れる中で不合格者が周りにいた他の視聴者たちにピコピコハンマー等で袋叩きにされるお仕置きを受ける。
- その後、東西対抗戦になった。
- うちの子に小切手
- コーナー名は当時TBSで放映されていたドラマ「うちの子にかぎって…」の番組タイトルを文字ったもの。視聴者が送った葉書の入った箱から無造作にはがきを選び、それに書いてある電話番号を元に電話をかけ、電話越しで出された問題に答えるというもの。
- 6時のニュース告知(報道センターから)
- 当番組のすぐ後、6時からのニュースの予告。逸見政孝(当時フジテレビアナウンサー)がその日の司会者やMCのおニャン子と世間話めいた事を喋るが、その時に逸見が「私に手紙を下されば写真を差し上げますよ」と言った言葉に端を発して、ブロマイドの老舗「マルベル堂」から逸見のブロマイドが発行される事になり大変な人気になった。その後「マジメまして逸見です Majime it's Me」という逸見が上梓した本も発行された他、「眼鏡をはずした恋」でレコードデビューも果たした。後に逸見自身がフリーアナウンサーになるきっかけとなった。
- なお、この当時の6時からのニュースは、ネット局内で番組タイトルの統一がされておらず、関東・静岡・愛媛・福岡・鹿児島では「スーパータイム」という番組タイトルであったが、東海や関西・長野などかなりの地域では別タイトル(元々のローカルニュースタイトルをそのまま使用する局が多かった)を使用していたため、「ニュースのお知らせ」もしくは「6時のニュース」という曖昧な表現をせざるを得なかった(関東では“ローカルスーパー”にて「このあと6時から スーパータイム」と5秒間表示していた)。
番組終了とその後
番組、そしておニャン子クラブの終了の兆しは、放送開始から2年を経た1987年4月頃から見られるようになった。
この時期、『アイドルを探せ』も最後のメンバーとなった鈴木和佳子の合格後程なく終了となり、番組内容と番組を基盤としたタイアップ戦略や人材発掘もまた行き詰まりの様相を呈しつつあった。
最終的には、同年6月15日に番組終了とおニャン子クラブの解散が正式に予告発表され、番組は8月31日に最終回を放送して終了した。おニャン子クラブもまた9月20日の国立代々木競技場第一体育館での大規模な解散コンサートを以て活動を終了した。番組の最終回の前日はこの番組も大々的に連動を行っていたフジサンケイグループ主催の大型イベント「コミュニケーションカーニバル 夢工場'87」の最終日だった。番組末期に生放送の番組進行がいわゆるグダグダな状態に陥った時、とんねるずが「夢工場までは頑張るんだろ!」と叫ぶ一幕もあった。
最終回は、放送開始以来最初で最後の2時間スペシャルとして放送し、これまでの秘蔵VTRやレギュラー陣総出演で幕を下ろした。『ボブに挑戦・ニャンニャン腕相撲』、『笑ってたまるか一本勝負!』、『Let'sリンボー!』、『ゴジテレビ』、『ドッカンを探せ!』などのコーナーが1日限定で復活したほか、おニャン子クラブ最終メンバーの卒業式も番組内で行われたが[3]、彼女たちが最後に歌った曲は定番の『じゃあね』ではなく、『瞳の扉』だった[4]。
その後のフジテレビ平日17時台はドラマ再放送枠や『桃色学園都市宣言!!』など二転三転した後、『夕ニャン』終了から1年半後の1989年4月にはプロデューサーの石田弘など主なスタッフがこの時間帯に再登板し、『夕ニャン』とおニャン子の再来を期してアイドルバラエティ番組『パラダイスGoGo!!』を放送し乙女塾を展開していたが、平日17時台のバラエティ番組は廃止となって『チャンネルα』からニュース番組に移り変わり、現在は『FNNスーパーニュース』→『みんなのニュース』といったニュース番組となっている。
出演者
総合司会
期間 | 男性 | 女性 | |
---|---|---|---|
1985.4.1 | 1985.9.27 | 片岡鶴太郎 | 松本小雪 |
1985.9.30 | 1986.4.11 | 吉田照美(月 - 水) 田代まさし(木→木・金[5]) | |
1986.4.14 | 1986.9.26 | 吉田照美(月・火・木) 上柳昌彦(水) 田代まさし(金) | |
1986.9.29 | 1987.2.27 | 吉田照美(月 - 水) 田代まさし(木) ちびっこギャング(金) |
(不在) |
1987.3.2 | 1987.8.31 | 田代まさし | 松本伊代 |
メインパーソナリティー(曜日別司会、1987年3月2日以降)
コーナー司会
レギュラー
- とんねるず(月曜日レギュラー→全曜日レギュラー(1985年10月〜1986年3月)→火・水曜日レギュラー(1986年4月〜9月)→水曜レギュラー(1986年10月〜終了まで))
- ABブラザーズ(月曜日レギュラー)
- パワーズ(木曜日レギュラー、1986年4月〜終了まで)
- ウッチャンナンチャン(木曜日レギュラー)
- ちびっこギャング(月曜日レギュラー(1986年4月〜9月)→金曜日司会(1986年10月〜1987年2月)→金曜日レギュラー)
- 常滑川まこと[7](現:大竹まこと / 月曜日レギュラー(1986年5月〜9月)→金曜日レギュラー(1986年10月〜1987年2月)→金曜日司会)
- 高杢禎彦(木曜日レギュラー→木曜日司会、1986年10月〜終了まで)
- 桑野信義(火曜日レギュラー、1987年3月〜終了まで)
- 湯浅明(当時:ニッポン放送アナウンサー / 金曜日レギュラー)
- 三宅裕司(月曜日レギュラー。開始〜1985年6月)
- 浜村淳(司会者・ラジオパーソナリティ / 火曜日レギュラー、初期のみ)
- 稲川淳二(火曜日レギュラー、1985年10月〜1987年2月)
- 伊藤政則(音楽評論家 / 水曜日レギュラー、開始〜1986年8月)
- 南州太郎
- 小池聰行(当時オリコン社長)
- 田谷力三(『アイドルを探せ』審査員)
- 土屋昌巳(月曜レギュラー、1985年10月〜不明)
- デーモン小暮(現:デーモン閣下)
- 三宅正治(フジテレビアナウンサー / 金曜日レギュラー)
- 段田男
- 保沢紀(ほざわおさむ、当時:フジテレビ衣装部勤務/『アイドルを探せ』審査員)
- 吉村明宏
- キッチュ(現:松尾貴史)
- 野沢直子(火曜日レギュラー)
- 伊藤克信(初期のみ)
- 八神康子(初期のみ)
- 乱一世
- シブがき隊(現在は解散、金曜日→木曜日レギュラー、1985年10月〜1986年9月)
- 間下このみ
- カケフくん
- 息っ子クラブ
- デーブ・スペクター
- リサ・パドリック
- 岡本かおり(女優・カーレーサー / 水曜日レギュラー、開始〜1986年4月)
- 細川隆一郎(コメンテーター / 水曜日レギュラー)
ほか
補足
- 逸見は『FNNスーパータイム』を兼務。
- 鶴太郎は『森田一義アワー 笑っていいとも!』火曜日レギュラーを兼務。
- 露木・野間はそれぞれ逸見の代役で数回出演。
- 1985年10月〜1986年1月までの金曜は形式上は松本小雪の単独司会の形を採りながら、同時に曜日別のレギュラーとなったシブがき隊(3人のうち1人が週替りで出演)と全曜日出演のとんねるずが実質上のメインパーソナリティーとして大半のコーナーの司会進行を担当。
主題歌
※番組のオープニングとエンディングは、おニャン子(ソロ含む)が歌手デビュー以降シングルやアルバム曲などを各々一定期間直接歌うものになった。
スタッフ
編成
- 土屋登喜蔵、亀山千広
制作
- プロデューサー:石田弘
- アシスタントプロデューサー:笠井一二、熊田共一[8]
- チーフディレクター:坂間和夫
- ディレクター(曜日別担当)
- 月曜:後藤正行、小西康弘
- 火曜担当:守谷徹、石井正幸
- 水曜担当:港浩一
- 木曜担当:坂間和夫、光野道夫、関根義一
- 金曜担当:木村忠寛
- アシスタントディレクター:水口昌彦、鈴木正人、和久津一成、遠藤達也、工藤久男、小川三枝、岡本知士、大河孝章、岡崎洋三、時宗大、北村要、他
- TK:長谷川啓子、藤巻理恵
構成
秋元康、長谷川勝士、沢口義明、西川晋、遠藤察男、井辺清、鶴間政行、三木聡、佐々木勝俊、大村貴行、野中浩之、近藤博幸、坂本秋広、山下通、田淵寛、菅原誠、他
技術
- TD/SW:笹川一男、佐藤正直、佐藤五十一
- カメラ:福田伸一郎、西尾章、石田智男、斉藤浩太郎、木村好信、横山進、金桶博行、鴨沢修、一之瀬一、樋口一雄、他
- VE:森谷勇、西野健二、森田繁夫、青木一夫、下田弘一、野中正男、井上武典、鎌倉恒夫、新川力、小林勇、他
- AUD:大河真、吉田信吾、松村勲、西田貞雄、八木成雄、渋川幸男、松永英一、他
- 照明:田村春夫、浅香勉、石井健治、阿部一夫、藤井梅雄、他
- 音響効果:佐藤昭、張替正美、川端智之、他
- 技術協力:共同テレビ
美術
- 美術製作:堀切清
- デザイン:根本研二
- 美術進行:重松照英、相馬徹
- 大道具:東宝舞台
- 装飾:テレフィット
- 持道具:京阪商会
- 衣装:土田清
- メイク・かつら:山田屋
- 視覚効果:東京特殊効果(渡部宏一、北條光昭)
- アクリル装飾:野尻一幸、村瀬敏彦
- 生花装飾:京花園(佐伯孝夫、阿部雅子)
- 植木装飾:須田信治(野沢園)
- タイトル:高柳義信、川崎利治
[9] ※スタッフロールはオープニングで出演者、構成から衣装協力まで、エンディングでプロデューサー、ディレクター名と「制作著作:フジテレビ」に分かれて表記されていた。
ネット局
※系列は放送終了時点のもの。備考欄空白の局(東海テレビなど)はフジテレビでの番組開始当初から番組終了まで放映。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 北海道文化放送 | ||
宮城県 | 仙台放送 | 1985年5月1日からネット開始 | |
山形県 | 山形テレビ | 1986年8月4日からネット開始 | |
福島県 | 福島テレビ | 1986年2月3日からネット開始 | |
新潟県 | 新潟総合テレビ | 1985年9月2日からネット開始 | |
長野県 | 長野放送 | ||
静岡県 | テレビ静岡 | 1986年3月3日からネット開始 | |
富山県 | 富山テレビ | 1986年3月31日からネット開始 | |
福井県 | 福井テレビ | 1985年8月27日からネット開始 | |
中京広域圏 | 東海テレビ | ||
近畿広域圏 | 関西テレビ | 1985年6月3日からネット開始 | |
島根県・鳥取県 | 山陰中央テレビ | 1986年6月9日からネット開始 | |
広島県 | テレビ新広島 | ||
岡山県・香川県 | 岡山放送 | ||
愛媛県 | テレビ愛媛 | 1986年6月30日からネット開始 | |
福岡県 | テレビ西日本 | 1986年1月27日からネット開始 | |
佐賀県 | サガテレビ | 1986年3月10日からネット開始 | |
熊本県 | テレビ熊本 | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1986年3月26日からネット開始 |
大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1986年4月1日からネット開始 |
宮崎県 | テレビ宮崎 | ||
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1986年6月16日からネット開始 |
沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 |
脚注
- ^ 「こニャン子クラブ編 あぶな〜いおニャン子」 扶桑社 146項 ISBN 4-89353-097-6
- ^ 日本テレビのスポーツ中継テーマ曲。
- ^ 番組内でのおニャン子クラブの卒業式は最終回を含めて6回行われているが、このうち第1回(1986年3月31日)、第2回(1986年9月26日)、第5回(1987年3月30日)は放送当日にコンサート(第1回、第2回とも放送当日は日本武道館(ただし、第1回卒業生の中島美春と河合その子は翌日のコンサートを持って正式におニャン子クラブを卒業した)、第5回が放送されていた1987年3月30日はコンサートツアー(大阪城ホールから福岡国際センターへの移動日。最終公演は同年4月4日、5日の国立代々木競技場第一体育館)に充てられていた)が行われていたため、VTR収録によるものだった。生放送で卒業式が挙行されたのは第3回(1986年12月25日)、第4回(1987年3月20日)、第6回の3回のみである。
- ^ 『じゃあね』は『瞳の扉』のひとつ前で歌っている。前述の2曲以外で最終回でおニャン子クラブが歌った楽曲は、『セーラー服を脱がさないで』、『真赤な自転車』、『夏休みは終わらない』。なお、後藤次利が手がけたおニャン子クラブの楽曲(おニャン子クラブ以外の後藤が手がけた楽曲で最終回で披露されたのはとんねるずの『おらおら』のみ)およびラストシングルの『ウェディングドレス』は歌わなかった(作詞はすべて秋元康だが、『セーラー服を脱がさないで』の作曲は佐藤準、それ以外の作曲は高橋研。『ウェディングドレス』は、卒業式終盤の永田ルリ子による最後の挨拶時にインストゥルメンタルとして使われた)。
- ^ 1986年2月7日放送分より金曜も兼務。
- ^ 堀部圭亮(パワーズ時代の芸名は火野玉男)以前の相方。
- ^ 本番組限定で名乗っていた芸名。
- ^ 番組参加当初はディレクターを担当。
- ^ 『オリコン・テレビ50年史』発行:オリジナルコンフィデンス出版社 (2001年2月1日)「1985年話題のバラエティー番組」
関連項目・番組
- アイドル
- 女子高生
- 夕食ニャンニャン
- おニャン子のアブない夜だよ 生放送(1986年6月3日、「火曜ワイドスペシャル」枠にて放送されたSP)
- フジテレビ番組一覧
- コミュニケーションカーニバル 夢工場'87
- アイドル夢工場
- YOUごはんまだ? - 同時期、同時間に裏番組として朝日放送で放映されていた、同様のバラエティ帯番組。
フジテレビ 毎週月曜日~金曜日 17:00 - 18:00 枠 (1985年4月1日~1987年8月31日) |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
夕やけニャンニャン
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