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ABブラザーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ABブラザーズ
メンバー 中山秀征
松野大介
結成年 1985年
解散年 1992年
事務所 渡辺プロダクション
活動時期 1985年 - 1992年
出会い ライブにて
現在の活動状況 事実上解散(中山はタレント、松野は小説家として活動)
芸種 コント ほか
現在の代表番組 なし
過去の代表番組 ライオンのいただきます
夕やけニャンニャン
など
同期 ウッチャンナンチャン
ダチョウ倶楽部
松本明子
出川哲朗
など
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ABブラザーズ(エービーブラザーズ)は、1980年代に活動していたお笑いコンビ。1985年結成、1992年頃にコンビ自然消滅(事実上解散)。

メンバー

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中山秀征(なかやま ひでゆき、1967年7月31日[1] - )

群馬県藤岡市出身[1]。現在はタレント司会者

松野大介(まつの だいすけ、1964年2月5日[1] - )

神奈川県川崎市出身[1]。現在は小説家

概要

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松野は、音楽の道を諦め、お笑いタレントを目指しており、と中山はアイドル俳優を目指しオーディションに合格していた。それぞれ渡辺プロダクションに所属していた。中山は俳優として映画やドラマのオーディションを受けるも不合格が続いていた。その頃、同事務所にバラエティに特化した部門が発足され、中山は視野を広げる勉強の名目で預かりとなる。松野もまたバラエティチームに所属する。1984年頃からお笑いチーム「BIG THURSDAY」(ビッグサースデー)の一員としても活動。若手タレントを育てる趣旨のライブ「ビッグ・マンデー」に幾たびか出演した。比較的年齢の近い松野と中山を事務所はコンビとして組ませた[2]

1985年、正式にABブラザーズを結成。同年、『ライオンのいただきます』(フジテレビ)でメディアデビューを果たした。アイドルのルックスと砕けたトークを武器にしていた中山と、司会の小堺一機が急にアドリブを振っても切り返しが早く、機転の利く松野のコンビは番組内でも重宝にされた。昼間の生放送にも拘わらず女子中高生を中心に知名度が上がり、それに伴い人気も急上昇[2]。アイドル雑誌にも数多く取り上げられた。同年10月、長年続いた『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の後継としてパーソナリティーに抜擢されるなど[1]、周囲からの期待は高かった。

1986年7月には写真集「A&BEAT(エイトビート)」を発売。西武百貨店池袋本店で行われた発売記念の握手&サイン会には予想を上回る人数が集まり、当初予定していた会場には収まりきらず急遽会場を変更。トークショーを切り上げ、サイン会に移行しなければデパートの閉店時間までに会場撤収出来ない事態になるほど、その人気ぶりを見せつけた[注釈 1]

その後も『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)の進行(月曜日レギュラー)に抜擢されるなど、新たなジャンルの仕事が舞い込むようになる。しかし、自分たちの個性でなくても成立する内容の仕事であることや次に繋がる布石がない不安などから、松野は疑問や違和感を持ち始める。多くの芸能人と華やかな仕事をすることにマルチタレントとしての新たな光明を見い出し始めた中山と、あくまで基本はお笑いタレントとして舞台やライブで勝負をしたい松野との間に意見の相違が生まれ、顕著に溝が出来始めた。テレビやラジオでも二人の会話は噛み合わず、コーナーを消化することだけに気を急いていたと、のちに松野は回想している。

「ライオンのいただきます」卒業後はコンビでの仕事は減っていき、正式に解散というより自然消滅に近い形での終了となった。中山はダウンタウン、ウッチャンナンチャンの台頭もあり、当時のマネージャーから「中山、負けを認めろ」と言われたことが解散のポイントであったとしている[3]

また、まだコンビでやっている時期に、中山がビートたけしに初めて挨拶をし、コンビであることを説明したところ、それを知っているとした上で、「コンビに向いていない、ピンでやるべき」と指摘されており、これはその時点で既に2人の方向性にズレがあったことをたけしに見抜かれていたと回顧している[4]

その後、中山はタレント司会者、松野は小説家コラムニストに転向。以来、20年以上顔を合わせていない期間が続いている[5]

エピソード

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コンビ名「ABブラザーズ」は、血液型がそれぞれA型(松野)とB型(中山)ということから。しかし、後に松野もB型とわかり、ラジオなどでネタにしていた。

『ライオンのいただきます』放送開始直後は『笑っていいとも!』(フジテレビ)に出演していた初代「いいとも青年隊」が交代でアシスタント(居残り青年隊)として出演していた。そのため、後に新規で「いただきます」に出演するようになった松野と中山も「いいとも青年隊」と間違われることがあったという。

ABブラザーズとして最後にゲスト出演したテレビ番組は当時吉村明宏が司会をしていた『DAISUKI!』(日本テレビ)だった。その後中山は吉村の役割を受け継ぎ人気番組に成長させており、これについて運命的なものを感じた事を語っている[6]

2016年3月20日放送の『ウチくる!?』(フジテレビ)で小堺一機がゲスト出演し、中山と「ライオンのいただきます」での思い出を語り合った。この時『ライオンのいただきます』のABブラザース登場シーンのVTRも放送されたが、松野が芸能人から文化人(小説家)に転身したためか松野の顔にぼかし処理が施され、番組内でも松野の話題には一切触れられなかった。

お笑い第三世代が台頭する以前はABブラザーズは関東のお笑い代表として扱われており[要出典]、それに対する違和感からダウンタウン今田耕司東野幸治といった主に関西勢の芸人からは敵視されていた[7][8]爆笑問題は若手時代にABブラザーズの前座を務めた経験がある。この縁から現在も中山とは交流がある[9][10]。中山が2018年にゲスト出演した『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)および2020年にゲスト出演した『太田上田』(中京テレビ)『爆笑問題の日曜サンデー[注釈 2]TBSラジオ)ではABブラザーズ時代の話題になり、前者ではパーソナリティの高田文夫により松野の近況が報告され、後者では太田光が松野の名前を出して笑いを誘った[12][9][10]

出演

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テレビ番組

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ラジオ

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映画

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  • ワンルーム・ストーリー『ROOM No.01「あ・い・た・い」』(1991年、パル企画 / タカラ) - 都々木和典 役(松野) / 阿部孝 役(中山) ※オムニバス作品

オリジナルビデオ

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  • ダンディーとわたし(1991年2月1日、日本ビデオ映画、監督:神代雅喜) - 角巻圭一 役(中山) / ?(松野)

脚注

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注釈

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  1. ^ 写真集で中山はシャワーを浴びている写真を掲載。背中と臀部の一部が映っているその写真は一押しのショットであるとオールナイトニッポンで話していた。
  2. ^ 新型コロナウイルス感染症罹患による療養のため欠席した田中裕二の代役として出演[11]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i DJ名鑑 1987三才ブックス、1987年2月15日、36頁。
  2. ^ a b 中山秀征、“9割以上ヒデちゃんのファン”だった大人気コンビ時代。36年前の超貴重映像を公開”. テレ朝POST. テレビ朝日 (2024年6月4日). 2024年6月21日閲覧。
  3. ^ 中山秀征 テレビで活躍していたABブラザーズ解散の真相告白 マネジャーから言われた言葉 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex (2022年12月4日). 2024年7月6日閲覧。
  4. ^ ビートたけしがズバリ指摘「コンビ向いてねえな」 その後解散し、マルチタレントで大ブレークしたのは?(スポニチアネックス)”. Yahoo!ニュース. 2024年10月14日閲覧。
  5. ^ 「最強の暴露本」20冊イッキ読みする!お笑い編 松野大介「芸人失格」存在を“抹消”されたことが執筆の原動力!「元相方・中山秀征とは20年以上会っていない」アサ芸プラス
  6. ^ 中山秀征、25年のMC術の極意は“プロレスイズム” ナンシー関の酷評も心の糧に2017年8月11日配信 2021年3月8日閲覧
  7. ^ 今田耕司&中山秀征「共演NG」だった2人の夢の共演女性自身 2013年12月13日配信 2021年3月23日閲覧
  8. ^ 中山秀征が芸能界で長生きする理由 「愛想力」に絶賛の声NEWSポストセブン 2020年10月13日配信 2021年3月23日閲覧
  9. ^ a b 田中の代役に中山秀征が登場!太田&ヒデちゃんで4時間生放送!!TBSラジオ 2020年8月30日配信 2021年3月7日閲覧
  10. ^ a b 第二の吉川晃司は誰!?共演者に電話番号を渡す方法とは?『太田上田』中山秀征がやってきた編2中京テレビ 2020年9月13日配信 2021年3月7日閲覧。
  11. ^ 中山秀征、田中裕二の代打で『日曜サンデー』緊急登板 太田光と禁断の“裏番組”タッグ”. ORICON NEWS (2020年8月30日). 2020年9月2日閲覧。
  12. ^ 「くりびつてんぎょのいたおどろ!」ヒデライブを控えた中山秀征さん登場!!ニッポン放送 2018年8月27日配信 2021年3月7日閲覧
  13. ^ 水曜・パワーズ、木曜・ウッチャンナンチャン、金曜・ちびっこギャング
  14. ^ 当時、フジテレビのバラエティー制作部では主に二つの派閥が存在していた(いただきます・いいとも・ひょうきん族のセクションと、夕やけニャンニャン・オールナイトフジのセクション)。その番組に出演するタレントも担当ディレクターの贔屓があからさまに現れていた(例えばとんねるずがいいともにレギュラー出演することは無いなど)。「いただきます」にレギュラー出演しているABブラザーズが、他セクションの担当番組「夕やけニャンニャン」に出ることに内輪からクレームが入り(横澤彪率いる「横澤班」と石田弘率いる「石田班」は仲が悪かったと実しやかに囁かれている)、事務所とスタッフの協議の結果、なぜか松野だけ降板させることで決着がついた。