奥田民生
奥田民生 | |
---|---|
2009年 | |
基本情報 | |
出生名 | 奥田民生 |
別名 | OT |
生誕 | 1965年5月12日(59歳) |
出身地 | 日本・広島県広島市東区尾長 |
学歴 | 広島電子専門学校中退 |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1986年 - |
レーベル | ラーメンカレーミュージックレコード[2] |
事務所 | ソニー・ミュージックアーティスツ |
共同作業者 | |
公式サイト | 奥田民生 OKUDA TAMIO |
著名使用楽器 | |
奥田民生(RAMEN CURRY MUSIC RECORDS) | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
YouTube | ||||||||
チャンネル | ||||||||
活動期間 | 2015年 - | |||||||
ジャンル | 音楽 | |||||||
登録者数 | 19.2万人 | |||||||
総再生回数 | 7758.0万回 | |||||||
| ||||||||
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年2月21日時点。 |
奥田 民生(おくだ たみお、1965年〈昭和40年〉5月12日 - )は、日本のミュージシャン、歌手、シンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー。ロックバンド・ユニコーンのメンバー。身長171cm。広島県広島市東区尾長出身[3]。血液型はB型。既婚。
1987年、ロックバンド「UNICORN」のボーカリストとしてデビュー。「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」など、数々のヒット曲を世に送り出し[4]、バンドブームの寵児ともいわれ、その中心的な役割を果たした[4]。バンドは1993年に解散(2009年に再結成)。その後、約1年間の充電期間を経て、1994年からソロ活動を開始。
以降、ソロ活動の傍ら、「PUFFY」のプロデュースや「井上陽水奥田民生」をはじめとした様々なミュージシャンとのコラボレーションなど、バンド、ソロ、プロデュースあらゆる音楽活動において大きな成功を収めている[4]。 ソロ活動においての代表曲は、『愛のために』、『イージュー★ライダー』、『さすらい』など[4]。
経歴
[編集]広島市立尾長小学校、広島市立二葉中学校、広島皆実高校卒業[4][5]。 1979年、中学生の頃に、初めてバンドを結成[3]。
「当初は端でベースを弾いていたが、女の子がキャーキャー言い始めたため、引っぱり出されてフロントマンになった」とされる『INLIFE 男の履歴書』[6]の記述は誤りで、「最初からギターです」と宝島社『smart』2018年8月号にて語っている。子供の頃からビートルズファンで、ハモリは早い時期からやってはいた[7]。歌に専念という形になったのは高校に入ってからで、当時のバンドのボーカルが受験勉強で抜けたため、自然に歌うようになったという[3][7]。「最初は恥ずかしくて、今でもギターに専念した方が良かったかなと思う」と話している[3][7]。
高校時代には、アーチェリー部に所属、県の新人戦で優勝した経験がある。広島電子専門学校に進学後も、音楽活動を継続(後に専門学校は中退)[7]。『夕やけニャンニャン』の息っ子クラブメンバーオーディションに参加するも、落選。
ユニコーン時代
[編集]1986年、ユニコーンにボーカルとして加入。同年7月にソニーミュージックのオーディションに合格。1987年、ユニコーンは広島から上京、アルバム『BOOM』でデビュー[3]。
1989年に発表したファーストシングル『大迷惑』の大ヒットをきっかけにブレイク。以降、「働く男」「ヒゲとボイン」「雪が降る町」「すばらしい日々」などのヒット曲を生み出す。
- 1990年、期間限定で「THE BAND HAS NO NAME」を結成、同じ事務所のBe-Modernを解散した直後の3人(現SPARKS GO GO)とともにアルバム『BAND HAS NO NAME』をリリース。
- 1992年、同じ広島県出身であるJUN SKY WALKER(S)の寺岡呼人とのユニット「寺田」を結成してツアーを行う。リリースはない。2004年、後述の「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」の後夜祭にて、同郷のCHEMISTRYの堂珍嘉邦を交えて3人で「寺田堂」を結成。その後もイベント等でしばしば寺田として登場し、さまざまな曲のカバーを中心に演奏している。
- 『夢で逢えたら』のテーマ曲にユニコーンが起用され、同番組にも何度か出演。その後『ダウンタウンのごっつええ感じ』にて、阿部義晴と共に準レギュラーとして「民生くんとアベくん」のコーナーを担当。
1993年9月21日、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)内で、ユニコーンは解散を発表、7年間の活動に終止符を打つ。
ソロ・プロデュース活動
[編集]およそ半年間の充電期間の後、1994年にシングル「愛のために」でソロ活動を開始[3]。同曲は、ソロデビューシングルにして、自身初のミリオンセラーを達成。
1996年、音楽プロデューサーとして、女性デュオ「PUFFY」をデビューさせる。彼女たちの特異な脱力感、無気力感、気だるそうな立ち居振る舞いが話題になり、大ヒット。プロデューサーとしても注目を集める。
1997年、井上陽水とのコラボレーションユニット「井上陽水奥田民生」を結成。アルバム『ショッピング』を発表し、年末まで活動。浜田雅功のソロシングル「春はまだか」のプロデュースも行い、浜田の番組『人気者でいこう!』にも出演した。
1998年、ギター一本の弾き語りライブ「ひとり股旅」ツアーを行う。
2000年代
[編集]2000年、北海道のローカル番組『鈴井の巣』(HTB)に出演、大泉洋率いる「大泉バンド」のデビュー曲「負け戦」を作曲。
2001年、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2001」に出演。
2002年、東京スカパラダイスオーケストラのシングル「美しく燃える森」に、ゲストボーカルとして参加。Charと山崎まさよしとの3人によるユニット「三人の侍」を結成し、北海道のフェスに参加。
2003年、真心ブラザーズのYO-KINGらと4人組バンド「O.P.KING」を結成し、ミニアルバム『O.P.KING』を発表。「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2003」に2回目の出演。
2004年、ソロ10周年を記念して、広島市民球場にてコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を敢行、唯一、広島市民球場でのコンサートを実現させた歌手となった。また、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組『OH! MY RADIO』(J-WAVE、奥田は月曜日担当)も12月に復帰(3月で卒業)。
2005年、広島球場でのドキュメンタリーにドラマを加えた映画『カスタムメイド10.30』が公開。「THE BAND HAS NO NAME」を15年ぶりに再開、アルバム『II』をリリースし、フェスにも参加。同年10月7日、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2005」3回目の出演。
2006年、「三人の侍」の全国ツアーを、4月から神戸を皮切りに行う。9月には、阿部義晴の40歳記念ツアーにジェット機らとともに参加。また、9年振りに井上陽水奥田民生を再結成し、12月にシングル「パラレル・ラブ」をリリース。2007年にかけてユニットとしては初のツアーを行う。アメリカのバンド「The Verbs」にサポート参加し「The Verbs + 奥田民生」としてフェスなどに出演。
2007年、デビュー20周年を迎える。井上陽水奥田民生名義のセカンドアルバム「ダブルドライブ」を発表。10月24日にトリビュートアルバム『ユニコーン・トリビュート』、『奥田民生・カバーズ』が発売。12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007」に4回目の出演。12月14日に過去のアルバム(ユニコーン時代のコンピレーションは除く)を紙ジャケ仕様で再発。
2008年、自身最高傑作と豪語するアルバム『Fantastic OT9』を発表、1年で2度の全国ツアーに出る。12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2008」に5回目の出演。
2009年、ユニコーン活動再開[3]。ユニコーンの活動と並行して、夏フェスでは「ひとり股旅(北海道ではひとりポックル)」として参加し、また同年11月公開の映画『僕らのワンダフルデイズ』の音楽アドバイザーおよび劇中歌の楽曲提供、主題歌を担当するなどソロ活動も精力的に行っている。7月1日に所属事務所のソニー・ミュージックアーティスツ(Sony Music Artists、略称SMA)顧問に就任する。また、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2009」に6回目の出演。
2010年代
[編集]2010年、東京スカパラダイスオーケストラのシングル「流星とバラード」に、8年ぶり2度目のゲストボーカルとして参加。3月よりレコーディングソロツアー『ひとりカンタビレ』開催。通常のライブとは違い、各会場で新曲の制作を行うレコーディング・ライヴであり、観客の前ですべての楽器を自身でプレイ、レコーディングし、できた楽曲を配信リリースするという企画である。追加公演を含む全10公演、10曲のレコーディングを完了させた。これらの楽曲は後にスタジオでリミックスされ、8月4日に10thアルバム『OTRL』としてリリースされた。
プロデュース業も並行して行い、髭(HiGE)のシングルおよびアルバム「サンシャイン」の収録曲の数曲をプロデュース。
The Verbsへの正式加入が発表され、来日公演に参加。基本、奥田は国内での活動となっているが、2015年に米ツアーに参加することが発表された。
2011年、2004年以来となる「ひとり股旅スペシャル」を広島・厳島神社にて開催。
映画『マイ・バック・ページ』の主題歌として、真心ブラザーズとのユニット「真心ブラザーズ+奥田民生」名義でシングル「My Back Pages」リリース。
2012年、上記の延長として3人による新ユニット「地球三兄弟」の結成、リリースとツアーを発表。
2013年、地元、広島にある企業・マツダとのタイアップにより、「風は西から」リリース。同曲はマツダの企業CM・「Be a driver.」のCMソングとして書き下ろされた。
2013年、5月、岸田繁(くるり)伊藤大地とともに、「サンフジンズ」[8]として『JAPAN JAM』[9]に登場した。
2015年、5月に生誕50年記念ライブ「OT50祭"もみじまんごじゅう"」公演を開催。
長年在籍したソニー系レーベルを離れ自主レーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」設立を発表。[10]
同年11月28日にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて「奥田民生ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム」公演を開催。ライブ中盤にてサプライズ的に広島東洋カープの前田健太、大瀬良大地が登場し、打者に奥田、捕手に大瀬良、投手に前田と言う形式で「始球式」が行われた。
2016年、スキマスイッチの「全力少年」をプロデュース(リアレンジ)した楽曲が「全力少年 produced by 奥田民生」のタイトルでリリースされる[11]。
2020年代
[編集]2020年、日本テレビ系テレビアニメ『ハクション大魔王2020』の主題歌を担当。「サテスハクション」を書き下ろした。
同年12月、マキシマム ザ ホルモン主催の企画「ホルモンの新曲俺ならこう歌う選手権!!」に参加[12]。
人物
[編集]性格
[編集]- 若い頃はテレビから音楽の情報を仕入れており[3][7]、『ザ・ベストテン』の広島からの中継は、ほぼ見に行ったという(二葉中学からの西城秀樹[3][7]、広島三越前(賀茂鶴オアシス)からの沢田研二、広島駅新幹線口からの田原俊彦他)[13]。
- さとう珠緒がグラビアを中心に活動していた頃、大ファンで「どんな人かは知らないけど笑顔がいい。頑張ろうという気持ちになる」とのことから自身のライブ用の機材にグラビアの切抜きを片っ端から貼り付けていた時期があった[14]。
- 小泉今日子の大ファンであり、『HEY!HEY!HEY!』で共に出演した際にはまともに彼女を見ることも出来ず、司会のダウンタウンの2人に冷やかされるほどガチガチに緊張してしまった[14]。
- 井上陽水は普段の奥田の性格を非常に寡黙であると語っている[15]。同放送では、井上、奥田、トータス松本が飲んでいた際、松本が音楽に対するモチベーションの低下からミュージシャンを辞めて俳優転向を考えていると洩らしたところ、奥田は非常に厳しい言葉で松本を引き止めたというエピソードが井上から語られた。井上は、普段寡黙である奥田からは考えられないようなキツい物言いをすることに驚き、松本に謝罪するよう諭したとも語った。
音楽性
[編集]- ROCKIN'ON JAPAN誌からは、「日本一のロック大将」[16]と称えられ、朝日新聞からは「J-POPの大立者」ともいわれている[17]。ROCK IN JAPAN FESTIVALには10年連続参加しており、数少ない皆勤賞のアーティストである。その他にも、毎年多くのフェス、イベントに参加し、他のアーティストとの交流は多いようである。特に同年代のアーティストとはよく絡み、トータス松本、草野マサムネ、山崎まさよし、斉藤和義、桜井和寿、岡野昭仁、吉井和哉とはしばしばテレビ、雑誌などで共演することがある。
- 音楽遍歴は雑多な音楽を聴いて育ったと話す[3][7]。自宅にビクターの一体型ステレオがあり、母親はエルヴィス・プレスリーや西城秀樹のファンで[3][7]、他にニール・セダカなどのアメリカンポップス、青江三奈などムード歌謡、演歌やイージーリスニング集などを聴く[3][7]。意識してレコードを買ったのは、小中学の先輩で地元が生んだスーパースター・西城秀樹[3]。ヒデキが『月刊明星』などの取材で、尾長小学校に凱旋した際、ヒデキに体に絡んだエピソードは双方から語られる[3][7]。小さい時はヒデキや沢田研二のファンで[3][7]、10歳の時、親戚のおばさんがガットギターを買ってくれ、『週刊明星』や『週刊平凡』に付いていた“歌本”を見てコード進行を覚え、ヒデキやかぐや姫など、色々な曲のコピーを始めた[7]。初めてのライブ観戦はダウン・タウン・ブギウギ・バンド[7]。洋楽で最初にガツンときたのはビートルズ[7]。ビートルズやキッス、ボストン、レインボーなどをコピーした[7]。また「歌番組世代」と話すように『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』は欠かさず見た[3][7]。在学中に中学の校庭から『ザ・ベストテン』の生中継があり[3]、ヒデキが「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を歌った[3]。Char、原田真二、世良公則&ツイストの「ロック御三家」には「彼らのテレビでの生演奏は衝撃的だった」と話している[7]。高校に入ってLOUDNESS、EARTHSHAKER、44MAGNUMなどを好んで聞いたが、この時期に一番影響を受けたのは子供ばんどだという[7]。専門学校時代(READY)からユニコーン加入までに影響を受けたのが安全地帯とポリス[3][7]。
- 音質に関してCDの音質に満足出来ず、カーオーディオにDAT搭載モデルがない事[注 1]を嘆いていた。アルバム『FAILBOX』以降はほぼ全ての作品をアナログ盤でもリリースしている。2002年以降に、レコード会社各社が導入したコピーコントロールCDについても、ミュージシャン側で導入前から音質面に大きな問題がある事を把握していた、数少ない人物の1人であった[注 2]。
- ギターコレクターであり、かなりの数のギターを所有している。中でも、ギブソン社製のギターが多く、名器・1959年製レスポール・スタンダードを長年に渡りメインで使用してきた。なお、40歳の誕生日に、ギブソン社からカスタムショップ製作のレスポール・スタンダード(キャンディレッド)を贈呈され、2008年8月には、近年メインで使用しているレスポール・スペシャル(P-90ピックアップ、ビグスビー、TVホワイト・フィニッシュ)を忠実に再現した、カスタムショップ製作の「Gibson Custom Shop The INSPIRED BY Series Okuda Tamio Les Paul OT Special」が100本限定で製造・販売された(2008年8月1日現在。奥田民生公式ホームページにて発表)。2013年の「SPICE BOYS」ツアーでは、前述の1959年製レスポール・スタンダードを忠実に再現したギブソン・カスタムショップ製のレプリカモデルを(パイロットランとして)使用し、2015年に同モデルが限定生産という形で市販された[21]。
- 歌詞に関しては、数々のインタビューにおいて、あまり重要視していないと語っているが、意味がないようでさまざまに解釈できるため、曲の魅力を引き立てるものとなっている。また、「それはなにかとたずねたら」という曲において、「なべつかみ」という単語を入れたことを自慢していたらしい(スタッフ談)。その他にも、ユニークでナンセンスな歌詞が多い。楽曲自体にも多数見受けられるが、楽曲のタイトルもまた、有名な書籍や楽曲などのタイトルのパロディとなっているものが多数ある。例:「ワインのばか」(元ネタはロシアの民話『イワンのばか』)、「AND I LOVE CAR」(ビートルズの「AND I LOVE HER」)、「怒りの別件」(ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』)等。
- PUFFYプロデュースの動機は、90年代半ば、小室哲哉や小林武史らがアーティストとして活動する傍ら、プロデューサー業に乗り出して目覚ましい活躍を納めていたことが大きい。同様のことが自分に出来るかどうか挑戦してみたかった、と著書で述べている[22]。これによりプロデューサーとして評価され、浜田雅功や木村カエラ、HiGEのプロデュースも手がけたことがある。
趣味
[編集]- 趣味は、釣りと車[3][7]。広島の著名海釣りスポットである能美や倉橋には今も行くことがあるという[3]。バスプロの今江克隆、河辺裕和とは、兼ねてから親交がある。車に関しては、レーサーの脇阪寿一とも交流がある。小さい頃からしょっちゅう親戚の修理工場に預けられていたことから[7]、4歳の頃に車のエンジン音を聞いただけで「ありゃルーチェじゃろ。ありゃぁシルビアじゃろ。」と言い当てた、という逸話を持つ車好きである[7]。「もちろん今はもう、まったくわからない」と話す[7]。歌詞の中にも、度々車やバイクに関するネタが登場し、それらの曲を集めたコンピレーション・アルバム『CAR SONGS OF THE YEARS』を発表している。愛車は、ダッジ・マグナム、初代カマロなどの外車のほか、最近は黒のスバル・R1に乗っており、タイヤとホイールとマフラーの交換や、パドルシフト仕様への改造など、車へのこだわりが垣間見られる(カーライフスタイル誌デイトナや、BSフジの番組『所さんの世田谷ベース』でも、奥田のR1が取り上げられた)。また、2012年にプロデュースしたチャットモンチーの「CHA-CHA-CHA(石井明美ver.のカバー)」では、曲冒頭で愛車カマロのエンジン音が録音されている。
- オン・オフ問わずサングラスを着用していることが多い(もともと視力は良い)が、本人曰くサングラスを着用するのは「照れ隠し」とのこと。近年はフォーナインズのフレームを愛用している。[23]
出身地にまつわるエピソード
[編集]- 父は元広島市議会議員(日本共産党)[24][25][注 3](引退後は飲食店経営)だったため、子供時代は『赤旗(現『しんぶん赤旗』)』配達などを手伝っていた。「民生(たみお)」の名も音読みが同じ「民青(みんせい)」から来ている。父親の選挙の応援時にミニライブを行ったことがある。
- 広島のプロスポーツチームである広島東洋カープ・サンフレッチェ広島の大ファンである[3][27]。
- 2000年3月にはタワーレコードのポスターで、当時カープの監督だった達川光男(達川晃豊)と共演(2種類有り、うち1枚は「奥田のカープ入団会見」風のポーズ[28])。また、山本浩二の息子がユニコーン時代からのファンであったこともあって奥田本人が結婚式に参加して自身の曲「息子」などを歌った。
- カープのマスコット「カープ坊や」の顔を奥田のイラストに変えた「民生坊や」をカープが公式グッズとして販売している(選手応援セットとして入場券とセットで販売[29])。また、マツダスタジアムで試合開始前・7回裏に放映される「それ行けカープ」のカープファンリレー映像にも2015年版で名を連ねている[30]。
- 2004年10月30日には、初代の広島市民球場において、同球場史上初のコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を行った。なお、本ライブの開会宣言を行ったのは、当時広島東洋カープ監督であった山本浩二であった。
- 2015年にマツダスタジアムにおいて、同球場開場以来初のコンサート「ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム」を行い、ライブ発表当日(2015年シーズンの開幕戦)の始球式では松井一實広島市長の投じた球を受ける捕手役を務めた[31]。
- 2012年元旦の中国新聞朝刊の「カープV逸20年 私の提言」にて『負けたとき,もっと怒ろう』と題し、ファンを過激に叱咤激励する内容の寄稿を行っている。また、2015年に黒田博樹がメジャーリーグから復帰した際には、所属事務所を通じて「私は泣いています」というメッセージを寄せている(ちなみに3月29日の復帰後公式戦初登板はマツダスタジアムにて現地観戦している)。
- 2003年、アルビレックス新潟の応援チャントとして使われているユニコーン時代の曲「I'M A LOSER」の替え歌「アイシテルニイガタ」をサポーターズCDに収録するために許諾を奥田に求めたところ、奥田は「サンフレッチェ広島の敵に曲を提供することはできない」と許諾を拒否したという(当時新潟と広島は共にJ2に所属しており、昇格争いのライバルだった)。現在も「アイシテルニイガタ」は新潟のサポーターズCDに収録されていない。
- お好み焼きは実家近くの「まるめん」を薦める[32]。
- 吉川晃司(寺田堂(前述)で「モニカ」と「Y.M.C.A.」のパロディーを披露)、元T-BOLANの森友嵐士は同級生。吉川は奥田が高校生のときにデビューしてすぐに大スターになり[3]、当時は広島出身のスターが多かったため、「ついに同い年のヤツまで!」と尻を叩かれる思いだったという[3]。広島皆実高校の先輩には吉田拓郎(ひとり股旅スペシャル@広島市民球場で「唇をかみしめて」をカバー)[3][5]、後輩に磯部正文(元HUSKING BEE)、MEG、為末大、森重真人、久保田智子、石川みなみらがいる[3][5]。
エピソード
[編集]- デビュー前、アルバイト先の喫茶店で「民生スペシャル」という鶏肉中心の定食メニューを考案した[33]。
- 1995年9月8日、5歳年上のユニコーン当時のスタイリスト美由紀(旧姓佐野)と結婚。8月25日には音楽仲間の世良公則、井上陽水、渡辺満里奈らを招いて披露宴も開催。
- ユニコーン在籍時、ソロ活動もまだの段階で『PATi PATi』発の単行本『奥田民生ショウ』(ソニー・マガジンズ、1992年)という奥田個人の本が出た[34](なお、13年後の2005年には本著の続編となる『奥田民生ショウ2』が発売された)
- 奥田のファンだと言う木村拓哉とテレビで共演した時、木村が一番好きな曲と言うPUFFYに書いた「海へと」を演奏した。この時、木村が「こんないい曲、何で自分で歌わないんですか」と聞くと「いやぁ時間が無くて」と締め切りに間に合わず、やむなくPUFFYに渡したことを明かした。後に「海へと」自体はライブ盤で民生バージョンがCD化された。
- 大のゲーマーで、ユニコーン時代に雑誌に連載を持つほどであった。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』では「スーパーファイヤープロレスリング」でピエール瀧との熱戦を繰り広げた。『ダウンタウンのごっつええ感じ』において、松本人志と「テトリス」や「ぷよぷよ」「マリオカート」で対決し勝利したこともある。シンプルなゲームが好きなようで一時期はWindowsのピンボールに熱中しており、毎日2時間はプレイしていたという[35][36]。
- Charと山崎まさよしとの3人によるユニット「三人の侍」の全国ツアーの際、ステージにはユニットの家紋が飾られ、刀を携え、侍語のアピールに、歌詞以外は外来語を禁止、ビートルズの歌を歌う時は「次はかぶとむしの歌でござる」、「アレルギーの特効薬」という曲は「腫れ物全般の特効薬」などと紹介していた。
- 奥田と親交のある小原礼・尾崎亜美夫妻がホスト役を務めた日本BS放送(BS11)の音楽番組『MUSICA〜音のおもてなし〜』では、毎年、新年最初の放送に奥田がゲスト出演するのが恒例となっていた。
- ユニコーンでのデビュー前、おニャン子クラブの男性版「息っ子クラブ」のオーディションを受けていたことが、元息っ子クラブのメンバーのインタビュー記事内で明らかになっている[37]。
影響
[編集]- 漫画家のいくえみ綾が奥田のファンであり、奥田の楽曲をモチーフとした作品『スカイウォーカー』を発表している。
- 渋谷直角は2015年に奥田に憧れる男性を描いた漫画『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』を発表。2017年に大根仁監督により『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』のタイトルで映画化が予定され、奥田の曲も使用される[38]。
- 学生時代はLOUDNESSに憧れていたとのこと[39]。
ライブ
[編集]ライブ・バンド
[編集]GOZ 第1期 1995年 - 2002年、2004年、2015年
[編集]- 奥田民生:ヴォーカル/ギター/サックス/ハーモニカ
- 長田進(Dr.StrangeLove):ギター/コーラス
- 斎藤有太:キーボード/コーラス
- 根岸孝旨(Dr.StrangeLove):ベース/コーラス
- 古田たかし(Dr.StrangeLove):ドラム/コーラス
- TOUR "29-30"〜TOUR 0102「奥田STANDARD民生CUSTOM」、TOUR OT10
、『となりのベートーベン』
GOZ 第2期 2002年 - 2003年
[編集]- 奥田民生:ヴォーカル/ギター/サックス
- 長田進:ギター/コーラス
- 斎藤有太:キーボード/コーラス
- 根岸孝旨:ベース/コーラス
- 古田たかし:ドラム/コーラス/フルート
- 西岡英朗:パーカッション/トランペット/コーラス
- ワンツー佐藤(佐藤一二):ドラム(古田がフルートを演奏している時)
- Live E 0203
MTR&Y 2005年 - 現在
[編集]- TOUR "MTR&Y 05" - 2015ツアー“秋コレ”
ひとり股旅
[編集]奥田のライブ形態の一種。作務衣(松本人志から「一人ごっつ」用のものを譲り受けた)にタオルを頭に巻いた出で立ちで、バックバンドは一切設けずアコースティックギター1本で事務用の椅子に座って演奏する。MCでは酒を挟み、演奏曲もその時の気分で決められる。通常のライブでは披露することの無いカバー(ブラックビスケッツ「タイミング」、エキセントリック少年ボウイオールスターズ「ああエキセントリック少年ボウイ」等)が披露されるのも特徴のひとつ。1998年の「ひとり股旅ツアー」終了後も単独ライブやロックフェスティバルで時折開催されるようになり、2004年の広島市民球場ライブは、当初は球場の周辺に住宅地が多く存在するため騒音問題を懸念した球場側が難色を示していたが、ひとり股旅形式で行う事を条件に開催が実現した。
ワンマンライブ・主催イベント
[編集]- 1995年 - tamio okuda TOUR "29-30"
- 1996年 - okuda tamio tour '96 イージュー☆ライダー
- 1996年 - 奥田民生 LIVE WORKS SPECIAL "WEEKEND NIGHT FEVER with his friends"
- 1997年 - okuda tamio tour '97 股旅
- 1998年 - okuda tamio tour '98 股旅ふたたび
- 1999年 - okuda tamio tour '99 CANNONBALL
- 2000年 - okuda tamio TOUR 2000 GOLDBLEND
- 2001年 - okuda tamio tour 0102 奥田STANDARD民生CUSTOM
- 2002年 - OKUDA 3 NIGHTS
- 2002年 - okuda tamio live E 0203
- 2003年 - okuda tamio live Ez
- 2004年 - okuda tamio TOUR OT10
- 2004年 - ひとり股旅スペシャル@広島市民球場
- 2005年 - okuda tamio tour"MTR&Y 05"
- 2006年 - okuda tamio Cheap Trip 2006
- 2006年 - 三人の侍〜旅情編〜
- 2006年 - The Verbs + 奥田民生 #1st Tour 2006
- 2007年 - DOUBLEHEADER @ZEPP LEAGUE
- 2008年 - okuda tamio FANTASTIC TOUR 08
- 2008年 - okuda tamio FANTASTIC TOUR "AGAIN" 08
- 2010年 - 奥田民生ひとりカンタビレ
- 2010年 - The Verbs JAPAN TRIP 2010
- 2010年 - OKUDA TAMIO JAPAN TOUR MTR&Y 2010
- 2011年 - okuda tamio tour 2011-2012 〜おとしのレイら〜
- 2011年 - ひとり股旅スペシャル@嚴島神社
- 2013年 - 奥田民生 2013ツアー"SPICE BOYS"
- 2013年 - ひとりギロッポン
- 2015年 - 秋コレ 〜MTR&Y Tour 2015〜
- 2015年 - ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム
出演イベント
[編集]- 1993年05月10日 - SPARKS GO GO Rock'nRollCIRCUS
- 1995年08月12日 - KIRIN SOUND TOGETHER POP HILL '95
- 1996年07月27日 - スピッツ ガッツな息子がキラリ☆
- 1996年07月28日 - FM802 MEET THE WORLD BEAT 1996
- 1996年08月03日 - KIRIN SOUND TOGETHER POP HILL '96
- 1999年07月30日 - FUJI ROCK FESTIVAL '99
- 1999年08月28日 - SETSTOCK'99
- 2000年7月 - Beautiful Songs
- 2000年07月29日 - FUJI ROCK FESTIVAL '00
- 2000年08月06日 - KIRIN SOUND TOGETHER POP HILL '00
- 2000年08月13日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2000
- 2000年08月19日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2000 in EZO
- 2001年08月04日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001
- 2001年08月25日 - SETSTOCK'01
- 2001年10月09日 - Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2001
- 2002年03月 - Beautiful Songs 2002
- 2002年08月09日,11日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002
- 2002年08月17日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2002 in EZO
- 2002年09月01日 - RUSH BALL 2002
- 2002年09月22日 - SPACE SHOWER TV SWEET LOVE SHOWER 2002
- 2003年08月02日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2003
- 2003年12月09日 - Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2003
- 2003年12月29日 - COUNTDOWN JAPAN 03/04
- 2004年08月08日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2004
- 2004年12月29日 - COUNTDOWN JAPAN 04/05
- 2005年07月24日 - SETSTOCK'05
- 2005年08月07日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005
- 2005年08月20日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO
- 2005年08月26日 - ロックロックこんにちは! Ver.Episode-Q
- 2005年09月03日 - OTODAMA'05 〜音泉魂〜
- 2005年12月29日 - COUNTDOWN JAPAN 05/06
- 2006年07月22日,23日 - SETSTOCK'06
- 2006年08月05日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2006
- 2006年08月12日 - SUMMER SONIC 2006
- 2006年08月17日 - ロックロックこんにちは! in 仙台
- 2006年08月19日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2006 in EZO
- 2007年02月 - 井上陽水奥田民生ツアー「double shopping drive 07」
- 2007年08月03日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2007
- 2007年08月25日 - OTODAMA'07 〜音泉魂〜
- 2007年09月15日 - Hit & Runちゃん祭り2007〜ワカすバンド天国!〜
- 2007年12月28日 - COUNTDOWN JAPAN 07/08
- 2007年12月29日 - COUNTDOWN JAPAN 07/08 -WEST-
- 2008年05月23日 - Bent Beat Special'08 〜踊る大演奏会 事件はBENTで起きてるんじゃない ZEPPで起きてるんだ ! 〜
- 2008年08月03日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008
- 2008年08月04日,05日 - ロックロックこんにちは! Ver.12「十二2宴」(Jyuni Hutae)
- 2008年08月31日 - SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2008
- 2008年09月06日 - 音楽と髭達 2008 -ONE-
- 2008年09月07日 - OTODAMA'08 〜音泉魂〜
- 2008年12月28日 - COUNTDOWN JAPAN 08/09
- 2008年12月29日 - COUNTDOWN JAPAN 08/09 -WEST-
- 2009年07月25日 - SETSTOCK'09
- 2009年07月31日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2009
- 2009年08月15日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 in EZO
- 2009年09月22日 - 京都音楽博覧会2009
- 2009年11月14日 - 樋口宗孝追悼ライブ 2009 Munetaka Higuchi Forever Our Hero
- 2009年12月28日 - COUNTDOWN JAPAN 09/10
- 2010年03月20日 - Producer<meet>BLITZ Yohito Teraoka presents Golden Circle vol.14
- 2010年03月27日,04月24日 - 東京スカパラダイスオーケストラ 東京スカパラダイス国技館
- 2010年05月16日 - JAPAN JAM 2010
- 2010年07月17日 - フジファブリック presents フジフジ富士Q
- 2010年08月08日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2010
- 2010年08月13日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO
- 2010年08月19日 - 坂崎幸之助のお台場フォーク村デラックス 第29夜「お台場 J-POP HIGH SCHOOL」
- 2010年08月29日 - SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2010 -15th ANNIVERSARY-
- 2010年10月17日 - ベストヒット☆SMA「円山町ロックサーキット」
- 2010年12月28日 - COUNTDOWN JAPAN 10/11
- 2010年12月29日 - FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY 2010
- 2011年03月05日 - Yohito Teraoka Presents『OK! C'MON CHABO!!!』〜CHABO'S 60th Aniv.〜
- 2011年04月29日 - 斉藤和義 on USTREAM 『空に星が綺麗』
- 2011年05月02日 - 忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 日本武道館 Love&Peace
- 2011年05月05日 - JAPAN JAM 2011
- 2011年09月10日 - SPITZ 2011 SUMMER ロックロックこんにちは!Ver.15
- 2011年12月08日 - Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2011
- 2011年12月28日 - COUNTDOWN JAPAN 11/12
- 2011年12月29日 - FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY 2011
- 2012年05月02日 - 忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 日本武道館 Love&Peace
- 2012年06月09日 - Tropical Lovers Beach Festa 2012
- 2012年06月28日 - LÄ-PPISCH 25th Anniversary -Tug of war- Vol.4
- 2012年08月05日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2012
- 2012年08月13日 - J-WAVE LIVE 813+ac
- 2012年08月19日 - SETSTOCK'12 -10th Anniversary in Bihoku-
- 2012年08月24日 - ロックロックこんにちは!Ver.16 〜ヒーロー広場〜
- 2012年08月25日 - ロックロックこんにちは!Ver.16 〜ヒーロー広場〜
- 2012年08月29日 - FM802×FM COCOLO present MARK'E Rolling 60
- 2012年09月02日 - ENDLESS SUMMER BREEZE 2012
- 2012年09月08日 - OTODAMA'11-'12 〜音泉魂〜
- 2012年09月26日,10月05日,14日 - MANNISH BOYS Presents 〜CRAZY FRIENDS' COMING TO TOWN〜
- 2012年10月01日 - Char 2012 Tour "TRADROCK" by Char
- 2012年10月20日 - SPARKS GO GO『SHINKIBA JUNCTION 2012〜ファン感謝でー』
- 2012年11月07日 - LIVE! TOWER RECORDS 「Zepp! Step! SMA!」
- 2012年11月23日 - 仮面チャウダーVol.1 〜YAJIO CRAZY〜
- 2012年12月07日 - GACHI・シーズン3[全?回]其の三 浜崎貴司 VS. 奥田民生
- 2012年12月08日 - Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2012
- 2012年12月20日 - 中津川 THE SOLAR BUDOKAN
- 2013年02月27日 - 弱虫のロック論 -平山雄一第二音楽評論集リリースパーティ-
- 2013年04月20日 - J-WAVE 25th ANNIVERSARY TOKYO Guitar Jamboree
- 2013年04月28日 - ARABAKI ROCK FEST.13
- 2013年05月02日 - 忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 日本武道館 Love&Peace
- 2013年05月04日 - JAPAN JAM 2013
- 2013年05月11日 - 矢野顕子、忌野清志郎を歌うツアー2013
- 2013年05月18日 - GREENROOM FESTIVAL '13
- 2013年06月04日,05日 - ずっと好きだったんじゃけぇ〜さすらいの麺カタPerfumeFES!!
- 2013年07月07日 - 日比谷野音90周年記念事業 Rock Beats Cancer FES Vol.2 supported by チューリッヒ生命
- 2013年07月20日 - JOIN ALIVE 2013
- 2013年07月27日 - FUJI ROCK FESTIVAL '13
- 2013年08月04日 - ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2013
- 2013年08月11日 - WORLD HAPPINESS 2013
- 2013年08月16日 - RISING SUN ROCK FESTIVAL 2013 in EZO
- 2013年08月18日 - WILD BUNCH FEST. 2013
- 2013年09月07日 - OTODAMA'13 〜音泉魂〜
- 2013年09月22日 - 京都音楽博覧会2013
- 2013年10月06日 - 仮面チャウダー 〜YAJIO CRAZY〜 チャウ大付属脂身高等学校2
- 2013年11月13日,14日 - Golden Circle Vol.18 〜Yohito Teraoka 20th Anniversary Special〜
- 2013年11月25日 - 古田たかしドラム生活40年祭〜しーたか40〜
- 2013年12月07日 - Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2013
- 2013年12月08日 - 矢野顕子 さとがえるコンサート2013
- 2013年12月28日 - COUNTDOWN JAPAN 13/14
- 2013年12月29日 - FM802 ROCK FESTIVAL RADIO CRAZY 2013
- 2014年05月02日 - 忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 渋谷公会堂 Love&Peace 2014年5月2日〜アンプラグド〜
- 2014年07月17日 - SMA 40th presentsスパゴー兄弟vsチャランポ姉妹
- 2014年07月20日 - JOIN ALIVE 2014
- 2014年09月 - ABEDON SPECIAL 2DAYS "BLACK AND WHITE" featuring 八熊慎一、奥田民生、木内健、斎藤有太
ディスコグラフィ
[編集]シングル
[編集]枚 | 発売日 | タイトル | 最高順位 |
1st | 1992年8月29日 | 休日 | 9位 |
---|---|---|---|
2nd | 1994年10月21日 | 愛のために | 2位 |
3rd | 1995年1月15日 | 息子 | |
4th | 1995年5月21日 | コーヒー | 7位 |
5th | 1995年10月1日 | 悩んで学んで | |
6th | 1996年6月21日 | イージュー★ライダー | 4位 |
7th | 1997年11月1日 | 恋のかけら | 16位 |
8th | 1998年2月5日 | さすらい | 4位 |
9th | 1999年2月20日 | 月を超えろ | 12位 |
10th | 2000年1月19日 | マシマロ | 4位 |
11th | 2001年7月25日 | The STANDARD | 10位 |
12th | 2001年10月24日 | CUSTOM | 15位 |
13th | 2002年3月20日 | 花になる | 8位 |
14th | 2002年9月4日 | ヘヘヘイ | |
15th | 2002年10月23日 | まんをじして | 18位 |
16th | 2004年4月28日 | サウンド・オブ・ミュージック | 8位 |
17th | 2004年6月30日 | スカイウォーカー | 10位 |
18th | 2004年8月25日 | 何と言う | 11位 |
19th | 2005年10月5日 | トリッパー | |
20th | 2006年7月19日 | MANY | 19位 |
21st | 2007年11月21日 | 無限の風 | 17位 |
22nd | 2008年9月17日 | SUNのSON | 9位 |
23rd | 2010年9月8日 | 最強のこれから | 19位 |
24th | 2012年1月11日 | 拳を天につき上げろ | 9位 |
25th | 2013年9月11日 | 風は西から | 8位 |
26th | 2017年7月12日 | エンジン | 19位 |
27th | 2020年6月17日 | サテスハクション | 14位 |
28th | 2022年3月9日 | 太陽が見ている | 11位 |
- 1.「休日/健康」から8.「さすらい」までの8cmシングルは2005年3月24日に12cmシングルで再発された。
- 以下の3作品は当初、LGCD2(コピーコントロールCD)で発売されたが、SMEのLGCD廃止に伴い、店頭回収、新品番にてCD-DA盤がリリースされ、ジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。
- 『サウンド・オブ・ミュージック』旧品番:SECL-73 → 新品番:SECL-318
- 『スカイウォーカー』旧品番:SECL-83 → 新品番:SECL-321
- 『何と言う』旧品番:SECL-99 → 新品番:SECL-327
オリジナルアルバム
[編集]枚 | 発売日 | タイトル | 最高順位 |
---|---|---|---|
1st | 1995年3月8日 | 29 | 2位 |
2nd | 1995年12月1日 | 30 | 3位 |
3rd | 1997年7月1日 | FAILBOX | 4位 |
4th | 1998年3月18日 | 股旅 | 3位 |
5th | 2000年3月23日 | GOLDBLEND | 6位 |
6th | 2002年9月19日 | E | 4位 |
7th | 2004年10月6日 | LION | 3位 |
8th | 2005年4月27日 | comp | 5位 |
9th | 2008年1月16日 | Fantastic OT9 | |
10th | 2010年8月4日 | OTRL | 4位 |
11th | 2013年11月27日 | O.T.Come Home | 8位 |
12th | 2017年9月6日 | サボテンミュージアム | 5位 |
- 1st〜8thが2007年12月に紙ジャケット仕様で再発売された。
- 1st〜11thのリマスタリングしたものをまとめた『OT REMASTERS』というBOXが2014年10月22日に発売された。
企画盤
[編集]発売日 | タイトル | 最高順位 | |
---|---|---|---|
カーソング・セレクション | 2001年1月11日 | CAR SONGS OF THE YEARS | 2位 |
ライブ・アルバム | 2003年11月6日 | OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS / CD | 13位 |
ベスト・アルバム | 2007年1月17日 | 記念ライダー1号〜奥田民生シングルコレクション〜 | 3位 |
記念ライダー2号〜オクダタミオシングルコレクション〜 | 5位 | ||
トリビュート・アルバム | 2007年10月24日 | 奥田民生・カバーズ | 7位 |
カップリング・ベストアルバム | 2008年10月29日 | BETTER SONGS OF THE YEARS | 15位 |
サウンドトラック | 2009年11月4日 | 僕らのワンダフルデイズ サウンドトラック シーラカンズ / 奥田民生 名義 |
29位 |
コラボレーション・シングル | 2011年5月25日 | My Back Pages 真心ブラザーズ + 奥田民生 名義 |
26位 |
ライブ・アルバム | 2012年3月28日 | Gray Ray & The Chain Gang Tour Live in Tokyo 2012 | 15位 |
トリビュート・アルバム | 2013年3月6日 | 奥田民生・カバーズ2 | 39位 |
ライブ・アルバム | 2016年5月11日 | 秋コレ 〜MTR&Y Tour 2015〜 | 7位 |
2016年9月7日 | 奥田民生 生誕50周年伝説“となりのベートーベン” | 48位 | |
サウンドトラック | 2017年9月13日 | 奥田民生になりたいボーイに贈るプレイリスト | 116位 |
セルフカバー・アルバム | 2018年9月26日 | カンタンカンタビレ | 13位 |
配信限定
[編集]シングル
[編集]枚 | 配信日 | タイトル | 収録曲 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1st | 2007年7月9日 | 明日はどうだ | イナビカリ(football mix) / 明日はどうだ | 1. NHK「サッカーAFCアジアカップ2007」テーマ曲 |
2nd | 2011年4月13日 | タビザル★ライダー | タビザル★ライダー | 日本テレビ「東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…」のために、
1996年発表の「イージュー★ライダー」の歌詞を一部変えセルフカバーしたもの |
3rd | 2011年8月8日 | EBm | EBm | 「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2011」の「奥田民生の数人カンタビレ」で録音した曲
2012年にシングル「拳を天につきあげろ」のカップリングとして収録 |
4th | 2022年4月13日 | さすらい - From THE FIRST TAKE | さすらい - From THE FIRST TAKE | 「さすらい」のTHE FIRST TAKEのバージョン |
5th | 2022年4月13日 | 太陽が見ている - From THE FIRST TAKE | 太陽が見ている - From THE FIRST TAKE | 「太陽が見ている」のTHE FIRST TAKEのバージョン |
6th | 2022年8月3日 | はんなりドライブ | はんなりドライブ | 奥田民生 with 屋敷豪太名義 |
7th | 2023年8月9日 | ハナウタ | ハナウタ | 「ドコモビジネス」CMソング |
8th | 2023年12月27日 | 旅をゆけ | 旅をゆけ | 奥田民生はっとり名義 |
ひとりカンタビレ
[編集]- 2010年に行われたレコーディングツアー「ひとりカンタビレ」にて制作された楽曲。これらはライブ終了の3〜4時間後には配信が開始された。
録音日 | タイトル | 会場 |
---|---|---|
2010年3月15日 | 最強のこれから | 東京都・DUO MISIC EXCHANGE |
2010年4月10日 | わかります | 福岡県・DRUM LOGOS |
2010年4月18日 | えんえんととんでいく | 広島県・CLUB QUATTRO |
2010年4月27日 | RL | 京都府・磔磔 |
2010年4月29日 | 音のない音 | 東京都・パルコ劇場 |
2010年5月5日 | たびゆけばあたる | 宮城県・Zepp Sendai |
2010年5月7日 | ひとりカンタビレのテーマ | 東京都・SHIBUYA-AX |
2010年5月10日 | かたちごっこ | 北海道・ペニーレーン24 |
2010年5月21日 | Room 503 | 愛知県・CLUB DIAMOND HALL |
2010年5月23日 | 解体ショー | 石川県・EIGHT HALL |
映像作品
[編集]LIVE
[編集]- tamio okuda TOUR "29-30"(1995年)
- tamio okuda TOURDUST "0-30"(1995年)
- TOUR 1997 股旅(1998年)
- ひとり股旅(1999年)
- TOUR 2000 GOLDBLEND(2000年)
- OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS / DVD(2003年)
- ひとり股旅スペシャル@広島市民球場(2005年)
- okuda tamio Cheap Trip 2006(2006年)
- okuda tamio FANTASTIC TOUR 08(2008年)
- OKUDA TAMIO JAPAN TOUR MTR&Y 2010 C.C.Lemon Hall(2011年)
- ひとり股旅スペシャル@厳島神社(2012年)
- 奥田民生2013ツアー SPICE BOYS at 中野サンプラザ(2014年)
- 奥田民生ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム(2016年)
- 奥田民生 生誕50周年伝説“となりのベートーベン”(2016年)
PV集
[編集]- OT clips of the years(2001年)
- 『29』から『GOLDBLEND』までのPVを収録。
- OT clips of the years Vol.2(2004年)
- 『E』、『LION』のPVを収録。
その他
[編集]- ドーロムービー“トツゲキ!オートモビレ”(2023年1月25日)BD+CD
その他参加作品
[編集]アーティスト | 発売日 | タイトル | 収録作品 |
---|---|---|---|
ピチカート・ファイヴ | 1990年5月21日 | これは恋ではない | 月面軟着陸 |
渡辺満里奈 | 1990年7月21日 | 夜道 | a piece of cake! |
ササジーズ | 1991年11月1日 | 竜巻ジェーン | アナコンダウーマン |
オムニバス | 1998年3月21日 | ラ・ラの女 | ARB COVERS |
鈴木祥子 | 1998年7月15日 | たしかめていてよ | 私小説 |
ムーンライダーズ | 1998年11月21日 | SWEET, BITTER, CANDY-秋 - 冬 | New Directions of Moonriders Vo.1 |
忌野清志郎 | 2000年5月5日 | つ・き・あ・い・た・い | RESPECT! ~The 30th Anniversally of KIYOSHIRO IMAWANO |
オムニバス | 2000年10月18日 | Sweet Bitter Candy他 | Live Beautiful Songs |
オムニバス | 2001年3月28日 | 世話がやけるぜ | JOYRIDE 矢沢永吉スーパーカバートラックス |
東京スカパラダイスオーケストラ | 2002年2月14日 | 美しく燃える森 | Stompin' On DOWN BEAT ALLEY |
桑田佳祐 | 2002年11月27日 | 光の世界 | TOP OF THE POPS |
オムニバス | 2002年10月17日 | うめぼし | 一期一会 Sweets for my SPITZ |
つじあやの | 2004年5月19日 | シャ・ラ・ラ | COVER GIRL |
オムニバス | 2004年9月1日 | 空にまいあがれ | 真心COVERS |
オムニバス | 2004年11月10日 | リバーサイドホテル | YOSUI TRIBUTE |
オムニバス | 2005年9月30日 | Hey Bulldog | HAPPY BIRTHDAY, JOHN |
SPARKS GO GO | 2005年9月7日 | Something Wild | VARIETLY |
Fairlife | 2007年3月7日 | 鳥のように消えた日 | パンと羊とラブレター |
オムニバス | 2008年3月26日 | Whole Lotta Rosie | THUNDER TRACKS |
オムニバス | 2008年9月24日 | プレゼント | Sirius〜Tribute to UEDA GEN〜 |
オムニバス | 2009年3月18日 | 散歩道 | JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album |
レイジー | 2009年4月22日 | 感じてKnight | Lantis 10th anniversary Best |
オムニバス | 2009年7月22日 | 君はTVっ子 | BOOMANIA〜THE BOOM SPECIAL BEST COVERS〜 |
オムニバス | 2009年10月21日 | ばらの花 | くるり鶏びゅ〜と |
オムニバス | 2009年12月9日 | LOVE LOVE SHOW | THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM |
東京スカパラダイスオーケストラ | 2010年1月27日 | 流星とバラード | WORLD SKA SYMPHONY |
Golden Circle of Friends | 2010年10月20日 | 脳がない | Golden Circle |
オムニバス | 2011年2月23日 | チャンスは今夜 | OK!!! C'MON CHABO!!! |
東京スカパラダイスオーケストラ | 2012年2月8日 | 流星とバラード (Yasutaka Nakata remix) | on the remix |
オムニバス | 2013年12月18日 | 突然の贈り物 | 大貫妙子トリビュート・アルバム Tribute to Taeko Onuki |
オムニバス | 2014年5月28日 | ああエキセントリック少年ボウイ | YEAH♪♪ ~YOSHIMOTO COVER & BEST~ |
オムニバス | 2018年4月1日 | TWITT AND CHATT | MAGICAL MYSTERY COVERS |
星野源 | 2020年10月21日 | 愛のせい | IN GRATITUDE |
オムニバス | 2020年12月30日 | ロケットに乗って | TRIBUTE TO TRICERATOPS |
伊藤蘭 | 2023年7月19日 | 春になったら featuring chorus 奥田民生&トータス松本 |
LEVEL 9.9 |
受賞歴
[編集]- 1998年
- 第16回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主題歌賞(『さすらい』、ドラマ『Days』主題歌)
使用機材
[編集]- ギター
- AriaPro Les Paul Type
- AriaPro Stratocaster Type
- Danelectro 3011 1960s
- Epiphone Casino Dbl E-230TD 1961
- Epiphone Coronet 1964
- Fender Custom Shop '67 Relic Telecaster 2011
- Fender Jazzmaster 1962
- Fender Mustang 1965
- Fender Telecaster 1952
- Fender Telecaster 1969
- Fernandes Flying V
- Gibson B-25 1965
- Gibson CF-100E 1951
- Gibson Custom Shop Explorer 2019
- Gibson Custom Shop Flying V 2012
- Gibson Custom Shop Les Paul Special Single Cut w/Bigsby 2003
- Gibson ES-295 1954
- Gibson ES-330 TAMIO OKUDA Model
- Gibson Firebird II 2003
- Gibson Flying V 1975
- Gibson J-45 1945
- Gibson J-45 1958
- Gibson J-45 1969
- Gibson J160-E 1967
- Gibson Les Paul Standard Collectors Choice Gold Top 2014
- Gibson Les Paul Standard w/Bigsby 1956 - ビグスビー搭載。元々はP-90搭載のゴールドトップを様々な改造を施して現在の姿に生まれ変わった。
- Gibson Les Paul Standard 1959 - 今現在プレミア化しているギター。UNICORN時代から愛用してきた一本。
- Gibson Les Paul Special 1957
- Gibson Memphis ES-330 2013
- Gibson Memphis ES-335
- Gibson SG Melody Maker 1967
- Gibson SG Special 2003
- Gibson Tamio Okuda CF-100E FC 2015
- Gretsch Tennessean 1966
- Hefner Model 191
- Hefner 500/1
- Ibanez Duke
- Kay Truetone Acoustic Guitar 1960s
- Martin D-28 1967
- Rickenbacker 325 1981
- Rickenbacker 360-12FG 1966
- ベース
- Teisco EB-120 1960s
- アンプ
- Ampeg B-15n 1965
- Fender Tremolux 1955
- Marshall PA 20 1960~1970s
楽曲提供
[編集]- A.B.C-Z
- 石川さゆり
- 「Baby Baby」 作詞・作曲・編曲:奥田民生
- 「スロウサーフィン」 作詞・作曲・編曲:奥田民生
- 伊藤蘭
- 「春になったら」 作詞・作曲:奥田民生&トータス松本、編曲:笹本安詞
- 大泉バンド
- 「負け戦」 作詞:大泉洋、作曲:奥田民生
- 大貫亜美
- 「女の子男の子」 作詞:奥田民生、作曲:Andy Sturmer、編曲:奥田民生
- 尾崎亜美
- 葛山信吾
- 木村カエラ
- 「BEAT」 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
- 「ROCK ON」 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
- 「1115」 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
- KinKi Kids
- 「スピード」 作詞・作曲:奥田民生、編曲:白井良明
- CHEMISTRY
- 「マイウェイ」 作詞・作曲:奥田民生
- 小泉今日子
- 「月ひとしずく」 作詞:小泉今日子・井上陽水・奥田民生、作曲:井上陽水・奥田民生、編曲:白井良明
- 「オトコのコ オンナのコ」 作詞:小泉今日子、作曲:奥田民生、編曲:菅野よう子
- 小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンド
- 「東京ナイス・ガイ」 作詞・作曲:奥田民生
- 西城秀樹
- 坂本美雨
- 「鉄道員」 作詞:奥田民生、作曲・編曲:坂本龍一
- THE COLLECTORS
- 「悪い月」 作詞・作曲:奥田民生
- ササジーズ
- 「竜巻きジェーン」 作詞:奥田民生 作曲:坂井紀雄
- サディスティック・ミカ・バンド
- 「Sadistic Twist」 作詞:奥田民生・木村カエラ 作曲:小原礼
- 清水小百合
- 「丘の上の少女」 作詞・作曲:奥田民生
- シーラカンズ(映画『僕らのワンダフルデイズ』サウンドトラック)
- 「ドキドキしよう」 作詞・作曲:奥田民生
- 「僕らの旅」 作詞・作曲:奥田民生
- 柴咲コウ
- 「ゆくゆくは」 作詞:柴咲コウ、作曲:奥田民生・柴咲コウ、編曲:奥田民生
- 鈴木祥子
- 「たしかめていてよ」 作詞:鈴木祥子、作曲:鈴木祥子・奥田民生、編曲:鈴木祥子・奥田民生・斎藤有太
- 「赤い実がはじけてた」 作詞:鈴木祥子・只野菜摘、作曲:鈴木祥子・奥田民生、編曲:鈴木祥子・奥田民生・斎藤有太
- ダウンタウン
- 「くつみがき」 作詞:松本人志、作曲:奥田民生、編曲:佐藤英二
- TUBE
- 長田進 with GRAPEVINE
- 「俺の車」 作詞・作曲:奥田民生
- 中山忍
- 芳賀ゆい
- PUFFY
- 浜田雅功
- 濱田マリ
- 「人の息子」 作詞・作曲:奥田民生、編曲:森俊之
- Hit&Run軍団
- 「ハラダ記念樹」 (作詞:奥田民生・八熊慎一・PUFFY、作曲:志村正彦・永友聖也・西村晋弥)
- 藤井フミヤ
- 「SUNNYで!」 作詞:奥田民生・藤井フミヤ、作曲:奥田民生、編曲:佐橋佳幸・奥田民生
- 「嵐の海」 作詞・作曲・編曲:奥田民生、ホーンアレンジ:佐橋佳幸 ※ 奥田の自宅録音がそのまま作品となり、PVにも出演
- 松浦善博
- 「フィルモア最初の日」 作詞・作曲:奥田民生
- 森山愛子
- 「キャベツ畑のサンマ」 作詞:高田ひろお、作曲:奥田民生
- 矢野顕子
- 「Money Song」 作詞・作曲:奥田民生・矢野顕子
- 山瀬まみ
- 吉田ヒロ
- 「君の涙に微笑みを」 作詞:島武実、作曲:奥田民生、編曲:鈴木智文
- チコ村民生と江戸川オールスターズ
- 「叱られたい!」 作詞・作曲・編曲:奥田民生 ※演奏で参加。ジャケットイラストでギターを持つ奥田がらしき人物が描かれているが、よく見ないと分からない。
書籍
[編集]- 奥田民生、宇都宮美穂『奥田民生ショウ』ソニー・マガジンズ、1992年。ISBN 978-4789706674。
- 『奥田民生ショウ』ソニー・マガジンズ〈ソニー・マガジンズ文庫〉、1993年。ISBN 978-4789708159。 ※文庫化
- 奥田民生『FISH OR DIE』角川書店、1996年。ISBN 978-4048834612。
- 『FISH OR DIE』角川書店、1999年。ISBN 978-4043476015。 ※文庫化
- 奥田民生『奥田民生別注武運』祥伝社、1999年。ISBN 978-4396420017。
- 奥田民生『奥田民生別注 武運復刻 「奥田民生のただいま別注中」ダイジェスト版DVD封入』祥伝社、2004年。ISBN 978-4396420468。
- 奥田民生『俺は知ってるぜ』ロッキングオン、2004年。ISBN 978-4860520427。
- キース・リチャーズ、奥田民生(翻訳)『Gus & Me』ポプラ社、2014年。ISBN 978-4591141335。
- 奥田民生『ラーメン カレー ミュージック』KADOKAWA〈角川マガジンズ〉、2014年。ISBN 978-4047314337。
- 奥田民生『59-60 奥田民生の 仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』ダイヤモンド社、2024年。ISBN 978-4478119457。
- スコアブック
- 奥田民生『奥田民生ギター弾き語り全曲集 ALL ABOUT』ドレミ楽譜出版社、2005年。ISBN 9784285105216。
アニメ映画
[編集]- 宇宙兄弟#0(2014年8月9日、ワーナー・ブラザース映画) - 奥田民生(1996年当時の本人) 役[40]
テレビ出演
[編集]- Dear 忌野清志郎(2023年9月16日、NHK BSプレミアム)[41]
ゲーム
[編集]- 『○○おもいっきり男』(2003年) - 監修
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 実際にはソニーからカーDATが発売されていた。奥田も後に購入。
- ^ SMEが全リリース作品レーベルゲートCD化の発表をして以降最初のシングル、「サウンド・オブ・ミュージック」発売直前、公式掲示板にスタッフから「レーベルゲートCDでのリリースとなります」との書き込みがあり、掲示板には多くの批判や通常のCD(以下CD-DA)でのリリースを望む意見が書き込まれた。これを受け奥田自身が公式サイト上で異例のコメントを発表、CCCD導入に至った経緯を説明した[18]。奥田は対策としてCCCDだけでなく、アナログ盤や実験的に「DVD-Music」(専用の再生機器が必要なDVD-Audioと違い、一般的なDVDプレイヤーで再生可能でCD-DAよりも高音質)盤を発売したり、ジャケットに大きくフォーマット名が書かれているデザインを採用(通常CCCDロゴは帯やステッカーに表記されている為、これらが無ければ通常CDとの区別が困難)。雑誌のインタビューでも「もめている」、「レコード会社の中で(自分が)目立ってしまっている」、「なぜ他の人は(CCCDの問題について)言わないのか」などと発言[19]。こうしてシングル3枚を3フォーマットで発売、アルバム『LION』はさらにSACD盤も加え4フォーマットでの発売となった。しかし『LION』発売直前、公式サイト上でスタッフからCD-DAでのリリースがアナウンスされ、ほぼ同時期にSMEがレーベルゲートCDの撤廃を発表した。当初、既にレーベルゲートCDで発売されている商品に関してはそのまま販売を継続するとされていたが、後にレーベルゲートCDでリリースされたシングル3作品も店頭回収、新品番にてCD-DA盤が再リリースされ、ジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。当時のシングルのアナログ盤のB面曲がCDと同じ(それまでは未アナログ化の過去のシングルのA面曲などを収録していた)なのは「当時はCCCD問題でそれどころではなかった」と後に当時のチーフマネージャー原田公一が回想している[20]。
- ^ 奥田幹二(おくだ かんじ、1941年6月20日 -)。民生は「父ちゃんは…政治家といえば政治家ですよね。市の市会議員ですね。でも給料少ないんですよ。何と言ってもね、共産党ですからね……こんなこと言っていいんですかね?党にね、給料持って行かれるんですよ(笑)。給料というか、ボーナスとかは結構持って行かれるのかな?でもなんで父ちゃんは共産党にいるんだろう?とは思ってましたね。周りはみんな自民党なのに、一番人気のない共産党にいるんだろう、親戚や母ちゃんとかも『なんでこういう苦労をわざわざするのか』みたいな話になるじゃないですか」などと述べている[26]。
出典
[編集]- ^ a b True, Chris. Tamio Okuda | Biography & History - オールミュージック. 2020年10月11日閲覧。
- ^ “奥田民生、自主レーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」設立発表”. rockin'on.com (ロッキング・オン). (2015年5月13日) 2020年10月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z Vol.2 奥田民生 - 中国新聞社120周年・広島恋心プロジェクト、アーティストの音楽履歴書 第12回 奥田民生のルーツをたどる 音楽好きの母親がきっかけで始まった長いロックンロール人生、奥田民生、コロナ禍でライブできず「こんなに絶望するのか…」 伊集院光も深く共感、西城秀樹はなぜ愛され続けるのか? 奥田民生が語る、同郷のスターがロックシーンに与えた多大な影響、西城秀樹「秀樹とHヒデキ ワシら、みんな広島じゃけん」『週刊朝日』2008年4月18日号、朝日新聞出版、43頁。わしらのヒデキと奥田民生さん🌹ラジオの写真前沢裕文 (2022年12月25日). “奥田民生は「おじさん」をユニコーンの武器にした”. 日経BOOKプラス. 日経BP. 2022年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月20日閲覧。
- ^ a b c d e 猪熊建夫 (2023年6月27日). “日本を動かす名門高校人脈 【広島皆実高校】華麗なる卒業生人脈!吉田拓郎、奥田民生、吉野家HD社長の河村泰貴、元陸上選手の為末大…”. ダイヤモンド・オンライン. ダイヤモンド社. 2023年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月28日閲覧。
- ^ a b c 奥田民生 Official 2015年11月12日 16:43(JST)吉田拓郎YOKOSO ゲスト 奥田民生FANTASTIC OT! 発売記念 民生検定 (PDF) ソニー・ミュージックアーティスツ、'05年8月21日 広島皆実高校サッカー部のトレーニング/広島皆実高校サッカー部“Vol.14 奥田民生&吉田拓郎で、鉄道に乗ってさすらいの旅へ”. ザ・カセットテープ・ミュージック. BS12 トゥエルビ (2018–11–10). 2020年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月20日閲覧。スージー鈴木 (2023年2月15日). “【スージー鈴木の球岩石】Vol.3:2013年のマツダスタジアムと吉川晃司「イマジン」”. mysoundマガジン. ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス. 2023年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月20日閲覧。
- ^ INLIFE 男の履歴書 奥田民生
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w “奥田民生、720万のギターを値切って…デビューの経緯など音楽人生を振り返る”. J-WAVE NEWS. J-WAVE (2021年11月12日). 2021年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月20日閲覧。“奥田民生が影響を受けた楽曲– 『FUKA/BORI』SIDE B 全編書き起こし”. THE FIRST TIMES. ソニー・ミュージックマーケティングユナイテッド/ソニー・ミュージックソリューションズ/THE FIRST TAKE (2022年3月29日). 2022年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月20日閲覧。なぜ奥田民生は子供ばんどに多大な影響を受けたのか、奥田民生から見た、玉置浩二・井上陽水の魅力とは? スカパラ谷中敦がホストを務める、曲やアーティスト自身について深く掘って語る最深音楽トークコンテンツ「FUKA/BORI」第4回SIDE Bに奥田民生が登場!、CLAMP TALK Non-Edit Version Vol.33“奥田民生 小学生で出会った大物ミュージシャンの音楽に衝撃「一番インパクトがあるというか。ドンッ!て」”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2021年11月21日). オリジナルの2021年11月21日時点におけるアーカイブ。 2023年6月20日閲覧。
- ^ サンフジンズ
- ^ RO69 サンフジンズ
- ^ RO69 奥田民生、自主レーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」設立発表
- ^ “スキマスイッチ、奥田民生プロデュース新録「全力少年」がアニメEDテーマに”. 音楽ナタリー. (2016年9月15日) 2016年9月15日閲覧。
- ^ “奥田民生、桜井和寿、TERUらがホルモンの新曲を歌う<俺ならこう歌う選手権!!>開幕”. BARKS. (2020年12月10日) 2020年12月10日閲覧。
- ^ 『めざましテレビ』、フジテレビ、2013年9月17日放送、"同郷対談"奥田民生×三宅正治[出典無効]
- ^ a b 『奥田民生別注 武運』1999年、祥伝社
- ^ J-Wave OH!MY RADIO 2005年12月15日放送[出典無効]
- ^ 「ROCKIN'ON JAPAN」、2002年10月10日号、表紙
- ^ 朝日新聞、2008年2月9日、17頁
- ^ “奥田民生よりコメント”. 2009年1月24日閲覧。
- ^ WHAT's IN? (2004年7月号、ソニーマガジンズ)
- ^ 特集2.
- ^ “Gibsonから「Gibson Custom Collector's Choice #29 Tamio Okuda 1959 Les Paul」がリリース!”. 2015年1月30日閲覧。
- ^ 俺は.
- ^ 鯖江メガネファクトリー | “鯖江メガネファクトリー”. 2010年7月13日閲覧。
- ^ 民生ショウ2; 俺は.
- ^ 『サンケイ日本紳士年鑑 第19版』(サンケイ新聞データシステム) より
- ^ 加藤, pp. 20–60.
- ^ “奥田民生さん「音楽やる場所増えて喜ばしい」 ひろしまゲートパーク誕生への思い”. 中国新聞デジタル (中国新聞社). (2023年3月20日). オリジナルの2023年3月20日時点におけるアーカイブ。 2023年6月20日閲覧。
- ^ “NO MUSIC, NO LIFE. 奥田民生 & 達川晃豊”. タワーレコード. 2015年10月14日閲覧。
- ^ “選手応援セット”. 広島東洋カープ. 2015年10月14日閲覧。
- ^ 【公式】それ行けカープ<著名カープファン/リレー映像/2015> - YouTube
- ^ “広島ファン奥田民生、始球式で女房役 優勝に期待”. 日刊スポーツ. (2015年3月27日) 2015年6月14日閲覧。
- ^ “3月16日(木)のヒルナンデス!「大沢女子会」「世界一役立つ達人ツアー」「来たら絶対食べてほしいグルメグランプリ」”. ヒルナンデス!. 日本テレビ放送網 (2023年3月16日). 2023年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月20日閲覧。
- ^ UNICORN 人に歴史あり〈其の壱〉1990年、音楽専科社
- ^ 音楽誌が書かないJポップ批評56、宝島社、2008年11月、p64
- ^ “Excite エキサイト : ミュージック (音楽)インタビュー・奥田民生 My旬ランキング”. 2009年5月26日閲覧。
- ^ “Excite エキサイト : ミュージック (音楽)インタビュー・奥田民生 My旬ランキング”. 2023年6月30日閲覧。
- ^ “おニャン子クラブの男の子版「息っ子クラブ」のメンバーだった篠崎裕利さん”. ゲンダイネット. (2011年12月21日) 2012年11月26日閲覧。
- ^ 民生楽曲たっぷり使用!「奥田民生になりたいボーイ」を大根仁が映画化(2016年5月20日)、音楽ナタリー、2016年6月13日閲覧。
- ^ “奥田民生感激 ラウドネスとコラボ”. デイリースポーツ (2013年7月8日). 2018年9月2日閲覧。
- ^ “『宇宙兄弟#0』”. 映画『宇宙兄弟』公式サイト. 2024年10月30日閲覧。
- ^ “Dear 忌野清志郎”. NHK. 2024年2月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 『総力特集奥田民生』角川書店〈別冊カドカワ カドカワムック No.206〉、2004年。ISBN 978-4047215207。
- 『総力特集奥田民生』角川書店〈別冊カドカワ カドカワムック No.266〉、2008年。ISBN 978-4048950091 。
- 加藤典洋『耳をふさいで、歌を聴く』アルテスパブリッシング、2011年。ISBN 978-4-903951-45-4。
外部リンク
[編集]- 奥田民生 | OKUDA TAMIO
- 奥田民生|Sony Music Artists
- 奥田民生|ソニーミュージック
- 奥田民生 STAFF (@OT_staff) - X(旧Twitter)
- RCMR (@RCMR_official) - X(旧Twitter)
- 奥田民生(RAMEN CURRY MUSIC RECORDS) - YouTubeチャンネル(奥田及びRAMEN CURRY MUSIC RECORDSの動画チャンネル)
- Excite エキサイト: ミュージック: 奥田民生: ブログOT - 本人によるウェブログ(終了)
- 「okuda tamio FANTASTIC TOUR 08」ライブレポート - ウェイバックマシン(2017年8月24日アーカイブ分)ミュージックシェルフ
- シリーズ奥田民生の旅 - ウェイバックマシン(2014年1月7日アーカイブ分)ミュージックシェルフ
- UNICORNのメンバー
- 日本の男性シンガーソングライター
- 日本の男性作曲家
- 日本の男性ポップ歌手
- 日本の男性ロック歌手
- 日本の音楽プロデューサー
- 日本のロック・ギタリスト
- 日本のマルチプレイヤー
- 日本の作詞家
- 20世紀日本の音楽家
- 21世紀日本の音楽家
- 日本のタレント
- ソニー・ミュージックアーティスツ
- キューンミュージックのアーティスト
- ソニー・ミュージックレコーズのアーティスト
- 釣り人
- フジロック・フェスティバル出演者
- サマーソニック出演者
- ROCK IN JAPAN FESTIVAL出場者
- 自動車に関する人物
- 広島県立広島皆実高等学校出身の人物
- 広島東洋カープ関連人物
- サンフレッチェ広島F.Cの人物
- 広島市出身の人物
- 1965年生
- 存命人物