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WAO!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「WAO!」
UNICORNシングル
初出アルバム『シャンブル
リリース
規格 マキシシングル
ジャンル
時間
レーベル Ki/oon Records
作詞・作曲 阿部義晴
プロデュース UNICORN
チャート最高順位
UNICORN シングル 年表
雪が降る町“more bell mix”
1996年
WAO!
2009年
半世紀少年
(2009年)
奥田民生関連のシングル 年表
SUNのSON
2008年
WAO!
(2009年)
「半世紀少年」
(2009年)
シャンブル 収録曲
ミュージックビデオ
ユニコーン 『WAO!』 - YouTube
EANコード
EAN 4582117989462(初回盤)
EAN 4582117989479(通常盤)
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WAO!」(ワオ!)は、日本のロックバンドであるUNICORNの楽曲。

2009年2月4日Ki/oon Recordsから10枚目のシングルとしてリリースされた[注釈 1]1993年に解散したUNICORNの復帰第一弾、Sony Recordsからの移籍第一弾となる作品であり[注釈 2]、前作「すばらしい日々」(1993年)より16年ぶりの新曲としてリリースされた。作詞および作曲は阿部義晴が担当している。

UNICORN復活第一弾となるアルバム制作時に阿部が自ら歌唱するために制作されたロックンロール色の強い楽曲。当初シングルカットする予定ではなかったが、阿部がメイン・ボーカルを担当した状態でシングルリリースされたため、コラボレーション作品を除き、奥田以外のメンバーが初めてボーカルを担当したシングル曲となった。

本作はアルバム『シャンブル』(2009年)の先行シングルとしてリリースされ、コカ・コーラ社アクエリアス」のコマーシャルソングとして使用された。オリコンシングルチャートでは最高位第3位、Billboard Japan Hot 100においては第1位を獲得した。

背景

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UNICORNはアルバム『BOOM』(1987年)にてメジャー・デビューを果たし、2枚目のアルバム『PANIC ATTACK』(1988年)の制作中にすでに脱退していたキーボード担当の向井美音里に代わって阿部義晴が正式にメンバーとして加入することになった[3]。阿部が正式に加入して制作された3枚目のアルバム『服部』(1989年)はオリコンアルバムチャートにて最高位3位となり、また同作を受けたコンサートツアー「UNICORN WORLD TOUR 1989 服部」において7月10日に初の日本武道館公演を達成することとなった[4]。その後フジテレビ系バラエティ番組『夢で逢えたら』(1988年 - 1991年)の主題歌として使用された「働く男」(1990年)がオリコンシングルチャートにて最高位3位となりシングルとしては歴代最高の売り上げを記録、また同曲が収録された4枚目のアルバム『ケダモノの嵐』(1990年)はオリコンアルバムチャートにて最高位1位を獲得し、UNICORNのオリジナル・アルバムとしては歴代最高の売り上げを記録した。

7枚目のアルバム『ヒゲとボイン』(1991年)を受けたコンサートツアー「UNICORN WINTER TOUR 1991-1992 "THE WAR without STAGE MANAGER/舞監なき戦い"」は52都市全77公演を実施しUNICORNとしては歴代最長のツアーとなった。しかしアルバム『ヒゲとボイン』の制作中にメンバー間で確執が生まれ、プロデューサー的な役割を担っていた阿部はストレスによって失調をきたしメンタル面のケアのため暫し休養を取ることとなった[5]。その後8枚目のアルバム『SPRINGMAN』(1993年)制作中にドラムス担当の川西幸一がバンドから脱退することが発表された[6]。川西の脱退以降、同アルバムは残ったメンバー4人で完成させ、同作を受けたコンサートツアー「UNICORN TOUR 1993 "4946"」を川西の代わりにDr.StrangeLoveに所属していた古田たかしがドラムスを担当する形で40都市全59公演を実施。しかし同年9月21日に放送されたニッポン放送ラジオ番組『電気グルーヴのオールナイトニッポン』(1991年 - 1994年)の特別番組に電気グルーヴの代わりにUNICORNメンバーが出演し解散を発表[7][8]。同放送においてドラムスが入っていない状態で「すばらしい日々」(1993年)のアコースティック・バージョンを演奏したことが最後となり、UNICORNは解散することとなった[9]

2006年2月7日Zepp Tokyoにて開催された、1966年生まれで当時40歳となるミュージシャンが参加したイベントライブ「ROOTS 66 DON'T TRUST OVER 40 -The Additional Party-」に阿部が出演[10][11]。その後阿部主催のイベントライブ「阿部義晴 音楽祭~仲間とノリノリ40祭~」において奥田民生がゲスト参加することになり、UNICORN解散以来の共演となった[12]2007年7月14日、UNICORN時代から「Jメン」の通称で知られていたスタッフの結婚披露宴にて、主賓からの要望により仕事の都合で同席できなかった川西を除くUNICORNメンバーが集結、ドラムスを古田が担当する形でUNICORN時代の楽曲「ヒゲとボイン」「ペケペケ」「人生は上々だ」「車も電話もないけれど」「すばらしい日々」の全5曲を演奏する[13]。同年11月に阿部は川西に声をかけ、渋谷の居酒屋にてかつての楽曲ではなくメンバー揃っての新曲の制作を打診[14]2008年1月13日に居酒屋「シャンブル」にて行われた新年会の席でメンバー一同は新曲のレコーディングを了承、さらに4月16日に再び「シャンブル」に集結したメンバーはそれぞれが持ち寄った楽曲の選曲会を行った[15]

録音、制作

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復活第一弾となるアルバム『シャンブル』(2009年)のレコーディングは2008年5月7日から開始された[15]。当初UNICORNの新曲レコーディングに関しては外部に極秘の状態で行われていたが、奥田民生の所属事務所「Hit&Run」名義でスタジオを借りていたため奥田の関係者が立ち寄ることが多く、ベーシスト沖山優司にメンバーが集結しているところを目撃されてしまいスタッフサイドは沖山に口外しないよう依頼することとなった[16]。そのような経緯から、名義を「シャル並木[注釈 3]」に変更したことで訪れる関係者がいなくなったという[17]

アルバム制作にあたり、阿部義晴は始めに「HELLO」、続けて「ひまわり」を制作した[18]。阿部は両曲とも完全にUNICORNのために制作した楽曲であると述べ、復活当時の「今現在のユニコーンの形っていうのはこんなんかな?」という部分を前面に出すことを意識したほかに、奥田が歌唱することを前提に制作された曲であると述べている[18]。その後、自身が歌唱する楽曲として本作を制作したが、シングルとしてリリースされることは考えていなかったと阿部は述べている[18]。阿部は曲中の「ワオ!」という叫び声にこだわり、10回程度は叫び声をレコーディングしたと述べている[18]。「HELLO」に関してはデモテープの段階でドラムスベースの演奏が確定していたが、本作はほぼすべてのパートを決定しないままメンバー全員で考えた末に各パートの演奏を決定している[18]。また、解散後に阿部は手島いさむとは共演がほぼなかったために、16年間の間にどの程度ギタリストとして変化があったのかを試すため、無理を承知でライトハンド奏法を依頼したところ断りもせず実施したことについて阿部は「そこがテッシーらしいところ」と述べている[19]。さらに、奥田がメイン・ボーカルではなくカウベル担当であるところもバンドらしい部分であると阿部は述べている[20]

リリース、プロモーション、チャート成績

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本作リリース以前となる2008年12月27日東京スポーツによりUNICORNが翌年に再結成すると報じられる[21]2009年1月1日にはUNICORNの新規公式サイト「uc2009.jp」が開設され、メンバー全員が集結した状態で「今年もよろしくお願いします」と挨拶する動画が公開された[22]。その後本作のリリースは2009年1月5日の再結成の報道とともに告知された[23][24][25]。同報道ではアルバム『シャンブル』のリリースおよび全国ツアーの開催も合わせて告知された[23][24][25]

その後本作は2009年2月4日Ki/oon Recordsからマキシシングルでリリースされた。初回限定盤にはアルバム『シャンブル』のレコーディング風景などを収録したDVDが付属されたほかに特製ブルーモンスターイラスト仕様のジャケットシールが封入された。また、初回限定盤と通常盤はシングル盤ジャケットが異なるものとなっている。本作は2009年1月30日からコカ・コーラ社アクエリアス」のコマーシャルソングとして使用された[1][注釈 4]。本作はオリコンシングルチャートにて最高位第3位、登場週数10回で売り上げ枚数は7.5万枚となった。この売り上げ枚数はUNICORNのシングル売上ランキングにおいて第7位となっている[27]。また、同年2月11日付けのBillboard Japan Hot 100においては第1位を獲得した[2]2021年に実施されたねとらぼ調査隊によるUNICORNのシングル人気ランキングでは第6位で、再結成後のシングルとしては最も高い順位となった[28]

アートワーク

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シングル盤のアートワークはデザイナー木村豊が担当した[29]。木村はコンサートツアー「UNICORN WORLD TOUR 1989 服部」のポスターデザインやアルバム『SPRINGMAN』のキャラクターデザインなど解散前からUNICORNの作品を手掛けていたが、本作のアートワークを担当するにあたって奥田以外のメンバーと初めて顔を合わせることとなり、また初めて奥田以外のメンバーと打ち合わせを行ったと述べている[30]。アルバムのために撮影されたアーティスト写真のアウトテイクの中に「ガラス越しにメンバーがいる構図」があったことから、ドアーズのアルバム『モリソン・ホテル』(1970年)のパロディーの意図で通常盤のシングル盤ジャケットに使用された[31]

批評

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専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
CDジャーナル肯定的[32]
音楽誌が書かないJポップ批評肯定的[33]

本作の音楽性に対する批評家たちからの反応は概ね肯定的なものとなっており、音楽情報サイト『CDジャーナル』では、本作が16年ぶりの新作であることや阿部が制作した楽曲であることに触れた上で、「メンバーの変わらぬ遊び心とそれぞれがソロ活動で手に入れた音楽的完成度が、高いポイントで結実している」と肯定的に評価した[32]。書籍『音楽誌が書かないJポップ批評 ユニコーン』においてライターの齋藤奈緒子は、UNICORNの復活第一弾であるにもかかわらずボーカル担当が阿部で奥田がカウベル担当であるということに驚愕したと述べたほか、中年期に差し掛かったメンバー5人が演奏する軽快なロックンロールである点は再結成というイベントに相応しい楽曲であると指摘、歌詞が過密すぎて途中で息切れする演出なども含め、阿部のプロデューサーとしての感覚が随所で発揮されていることやサビにおける手島のライトハンド奏法を称賛した[33]

ミュージック・ビデオ

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本作のミュージック・ビデオはUNICORNの過去作を手掛けていた板屋宏幸が監督している[34]。本作制作の切っ掛けは、2008年の晩夏に奥田の所属事務所から板屋に対して、12月13日から15日に掛けてゴルフコンペを行うためのスケジュール確保依頼の電話があったことであり、同年10月中旬に再び奥田の所属事務所から電話があり、「ぜひ板屋さんに見てほしい新人バンドがいるのですよ」と誘われたためスタジオに行ったところUNICORNの5人が揃っていたという[34]。これらの件はUNICORN再結成の話が外部に漏洩しないように極秘で行われていたためのスタッフによる方便であり、前述のゴルフコンペの話も虚偽で12月にミュージック・ビデオ制作用のスケジュール確保のためであったと板屋は述べている[34]。この時点では楽曲の音源も情報もなかったことから、板屋は曲を聴かないままアイデアを練っていたと述べている[34]

その後撮影予定日の2週間前ほどに阿部が制作した本作がコマーシャルソングとして使用されることが決定し、本作のミュージック・ビデオを制作することが急遽決定した[34]。板屋は事前に壮大なイメージのビデオ制作を検討しており、本作のイメージと合わないとは思ったもののそのままの構想で企画書を提出[35]。しかし板屋の誕生日である12月8日、スタッフが奥田に企画書を見せたところ「方向性が180度違う。もっと楽曲よりのアイデアが欲しい。今さら俺たちのことをカッコよく見せてどうするんだよ」と発言したことを板屋はスタッフから伝え聞いたという[36]。そのため板屋は大慌てで新しいアイデアを3時間で考案、ジミ・ヘンドリックス横山やすしコスプレはアルバムのアーティスト写真用に用意されていたものであり、それをそのままミュージック・ビデオでも使用することに決定した[36]。メンバー全員が同一のコスプレをするというアイデアに関して、板屋はユニフォームのようなものを必要とした結果ではないかと推測している[36]。また、横山のコスプレに関しては関係者に許諾を得ていると板屋は述べている[36]

奥田が演奏しているカウベルは撮影前日もしくは当日に奥田が言い出したものであり、突然のアイデアであったために急遽ダンボールと厚紙でローディ・スタッフが制作したものが使用された[36]。奥田の持つカウベルが大きすぎる点に関して、板屋はライブにおいてもカウベルの存在によって本作の演奏が始まると観客が理解できるために本作における重要なポイントになっていると述べている[36]。赤い部屋で5人がすし詰めになっているシーンは、板屋による「5人がギュッと詰まってるイメージ」から制作された[36]。すべてが急ぎで制作されていたこともあり、部屋の色は板屋も含めたスタッフ全員で塗ったと述べているほか、セットが狭すぎたことからメンバーが順序だてて入らないと全員がそれぞれのポジションに立てない状態になっていたと述べている[37]。本作のミュージック・ビデオに関して板屋が最も意識したのは常に5人が揃っている場面を多く使用することであり、個人のカットは冒頭の阿部の歌唱シーンとギターソロでの手島のシーンのみになっている[37]。板屋は赤い部屋で5人が肩を組んで楽しそうに歌唱するシーンを見て思わず感極まったと述べている[37]

歌詞中の「愛のキーワード1173」は「いい波」を表しており、ミュージック・ビデオ内やライブにおいて阿部が指で「1173」のサインを示す見せ場が存在する。

シングル収録曲

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CD

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全作詞・作曲: 阿部義晴、全編曲: UNICORN
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.WAO!阿部義晴阿部義晴
2.WAO!(KARAOKE!)阿部義晴阿部義晴
合計時間:

初回特典DVD

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  1. MOVIE11「バンドやろうぜ 〜 アルバム"シャンブル"ができるまで Part I」
    アルバム『シャンブル』完成までのドキュメンタリー映像を収録。各メンバーの解説を織り交ぜながら、レコーディング風景をはじめ、再始動を決めた新年会の映像からデモテープ鑑賞会までに至る映像を収録している。「Part II」はアルバム『シャンブル』初回生産限定盤に同梱されたDVDに収録されている。

参加ミュージシャン

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脚注

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注釈

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  1. ^ 企画シングルおよび再発売シングル除く。
  2. ^ UNICORN再結成の直前に、奥田民生もソロにおいてシングル「SUNのSON」(2008年)からKi/oon Recordsに移籍している(両者ともSony Records→SME Records→Ki/oon Recordsの順)。
  3. ^ 広島市中区に実在するビジネスホテル。
  4. ^ 12枚目のシングル「裸の太陽」(2010年)も2010年2月から同商品のコマーシャルソングとして使用された[26]

出典

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  1. ^ a b WAO!|UNICORN”. オリコンニュース. オリコン. 2023年5月7日閲覧。
  2. ^ a b Billboard Japan Hot 100|Charts”. 阪神コンテンツリンク. オリコン. 2023年5月7日閲覧。
  3. ^ 人に歴史あり 1990, p. 94- 「INTERVIEW」より
  4. ^ 人に歴史あり 1990, p. 128- 「LIVE Part 1 ('87 - '89)」より
  5. ^ 別冊宝島 2003, p. 24- 「発言から読み解く彼らの“本音”&“変節” ユニコーン&民生トーク30」より
  6. ^ 人に歴史あり 其の参 1993, p. 122- 「1993年4月号②」より
  7. ^ 人に歴史あり 其の参 1993, p. 190- 「1993年11月号」より
  8. ^ 別冊宝島 2003, p. 49- 市川誠「THE HISTORY ユニコーンのいっしょう 第5期: 終焉 (1992-1993)」より
  9. ^ 人に歴史あり 其の参 1993, p. 194- 「1993年11月号」より
  10. ^ 夢の共演が多数実現! 『ROOTS 66 DON'T TRUST OVER 40』東京公演”. オリコンニュース. オリコン (2006年2月7日). 2023年5月3日閲覧。
  11. ^ 別冊カドカワ 2009, p. 102- 池沢理美「ノンフィクション・UCコミック「ロードtoシャンブル」より
  12. ^ ユニコーン再結成!? 阿部義晴、奥田民生と共演”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2006年8月28日). 2023年8月28日閲覧。
  13. ^ 別冊カドカワ 2009, pp. 103–104- 池沢理美「ノンフィクション・UCコミック「ロードtoシャンブル」より
  14. ^ 別冊カドカワ 2009, p. 103- 池沢理美「ノンフィクション・UCコミック「ロードtoシャンブル」より
  15. ^ a b 別冊カドカワ 2009, p. 105- 池沢理美「ノンフィクション・UCコミック「ロードtoシャンブル」より
  16. ^ 別冊カドカワ 2009, pp. 106–107- 池沢理美「ノンフィクション・UCコミック「ロードtoシャンブル」より
  17. ^ 別冊カドカワ 2009, pp. 107–108- 池沢理美「ノンフィクション・UCコミック「ロードtoシャンブル」より
  18. ^ a b c d e 別冊カドカワ 2009, p. 15- 平山雄一「スピリチュアル・メッセージ 阿部義晴『一枚欠けてしまった“四つ葉”の葉を求めて』」より
  19. ^ 別冊カドカワ 2009, pp. 15–16- 平山雄一「スピリチュアル・メッセージ 阿部義晴『一枚欠けてしまった“四つ葉”の葉を求めて』」より
  20. ^ 別冊カドカワ 2009, p. 16- 平山雄一「スピリチュアル・メッセージ 阿部義晴『一枚欠けてしまった“四つ葉”の葉を求めて』」より
  21. ^ 「奥田民生「ユニコーン」再結成」『東京スポーツ』東京スポーツ新聞社、2008年12月27日。
  22. ^ ユニコーン新サイト「uc2009.jp」でメンバー5人再集合”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2009年1月1日). 2023年5月3日閲覧。
  23. ^ a b ユニコーン再結成正式発表!16年ぶり新作&全国ツアー”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2009年1月5日). 2023年5月3日閲覧。
  24. ^ a b 再結成ユニコーン、シングル&アルバムを2月に発売、3月全国ツアー決定!!”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク (2009年1月5日). 2023年5月3日閲覧。
  25. ^ a b ユニコーン、16年ぶりの復活アルバム発売と全国ツアー開催を発表!”. CDジャーナル. 音楽出版社 (2009年1月6日). 2023年5月3日閲覧。
  26. ^ 裸の太陽|UNICORN”. オリコンニュース. オリコン. 2023年5月7日閲覧。
  27. ^ UNICORNのシングル売上TOP17作品”. オリコンニュース. オリコン. 2023年5月7日閲覧。
  28. ^ 「UNICORN(ユニコーン)」シングル曲人気ランキングTOP29! 1位は「大迷惑」【5月12日は奥田民生さん誕生日】(5/7)”. ねとらぼ調査隊. アイティメディア. p. 5 (2021年5月12日). 2023年5月7日閲覧。
  29. ^ 別冊カドカワ 2009, p. 172- 木村豊「ユニコーン奇跡の軌跡 アートワーク編」より
  30. ^ 別冊カドカワ 2009, pp. 172–173- 木村豊「ユニコーン奇跡の軌跡 アートワーク編」より
  31. ^ 別冊カドカワ 2009, p. 173- 木村豊「ユニコーン奇跡の軌跡 アートワーク編」より
  32. ^ a b ユニコーン / WAO! [CD+DVD] [限定]”. CDジャーナル. 音楽出版社. 2023年5月7日閲覧。
  33. ^ a b 音楽誌が書かないJポップ批評 ユニコーン 2009, p. 219- 「PART 4 『BOOM』から『CHAMBRE』まで! 22年110曲 勝手に全曲ガイド」
  34. ^ a b c d e 別冊カドカワ 2009, p. 176- 大野貴史「ユニコーン奇跡の軌跡 ミュージックビデオ編」より
  35. ^ 別冊カドカワ 2009, pp. 176–177- 大野貴史「ユニコーン奇跡の軌跡 ミュージックビデオ編」より
  36. ^ a b c d e f g 別冊カドカワ 2009, p. 177- 大野貴史「ユニコーン奇跡の軌跡 ミュージックビデオ編」より
  37. ^ a b c 別冊カドカワ 2009, p. 178- 大野貴史「ユニコーン奇跡の軌跡 ミュージックビデオ編」より

参考文献

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  • 『人に歴史あり』音楽専科社、1990年7月27日、94, 128頁。ISBN 9784900343115 
  • 『人に歴史あり さん・完結編』音楽専科社、1993年12月19日、122 - 194頁。ISBN 9784900343580 
  • 「音楽誌が書かないJポップ批評22 ユニコーン&奥田民生の摩訶不思議ロック・マジック」『別冊宝島』第724号、宝島社、2003年2月14日、24, 49頁、ISBN 9784796630559 
  • 別冊宝島編集部 編『音楽誌が書かないJポップ批評 ユニコーン』宝島社、2009年4月18日、219頁。ISBN 9784796670500 
  • 「総力特集ユニコーン 2009 ライヴ イズ ライフ!!」『別冊カドカワ』第308号、角川マーケティング、2009年6月15日、15 - 178頁、ISBN 9784048950565、雑誌 62483-11。 

外部リンク

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