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四條畷市

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四條畷村から転送)

しじょうなわてし ウィキデータを編集
四條畷市
四條畷市旗 四條畷市章
1970年7月1日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
市町村コード 27229-9
法人番号 6000020272299 ウィキデータを編集
面積 18.69km2
総人口 53,451[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 2,860人/km2
隣接自治体 寝屋川市交野市大東市
奈良県生駒市
市の木 クスノキ
市の花 サツキ
市のキャラクター
くっすん [1]
四條畷市役所
市長 東修平
所在地 575-8501
大阪府四條畷市中野本町1番1号
北緯34度44分24秒 東経135度38分22秒 / 北緯34.73992度 東経135.63953度 / 34.73992; 135.63953座標: 北緯34度44分24秒 東経135度38分22秒 / 北緯34.73992度 東経135.63953度 / 34.73992; 135.63953
四條畷市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

四條畷市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

四條畷市(しじょうなわてし)は、大阪府北河内地域に位置する

概要

大阪市から約15kmほどの近郊に位置しており、奈良県と接する。市域の3分の2は生駒山地の一部である北生駒山地であり、市の中心部は生駒山地の西麓に広がる。 市東部の田原地区(「田原地域」とも呼称)は大阪府では唯一、生駒山地の東麓に位置しており、下述する奈良県域としばしば混同される[注釈 1]。ただし往古は「田原郷」として文化的に一体であった。

当市の田原地区は奈良県生駒市北田原町南田原町と隣接しており、四條畷市域側を「西田原」、生駒市域側が「東田原」とそれぞれ呼ばれることがある(これも往古の呼称区分と同じである)。

市中心部では国道163号国道170号が交差しており、かつJR片町線の沿線でもあり、四條畷地区の東側は金剛生駒紀泉国定公園に指定されている。反対に生駒山地の東側は農業地帯・新興住宅地である。

遺跡が多く、貝塚跡があり古墳も少なくない。飛鳥時代までには馬飼を行う渡来人の定住があったと伝わる。白鳳時代には持統天皇が幼少期を過ごしたと伝わる正法寺の大伽藍が聳え立ち、平安時代には荘園延喜式神名帳には市域内の神社3社(忍陵、国中、御机)が記載され、1000年以上経た現在も残っている。また、1000年以上の歴史のある寺院(正法寺、龍尾寺)も存在している。南北朝時代には四條畷の戦いの舞台となり、戦国時代には飯盛山城の攻防戦が幾度かあり、キリシタン教会も存在した。江戸時代には天領となり農業地帯であった。

明治時代に入ると、南朝が正統な王朝とされるようになったことから、南朝を助けた楠木正成が神格化され、その息子である楠木正行も「小楠公」として崇拝されるようになった。正行が没した四條畷の戦いの故地で、正行の墓(小楠公御墓所)もあるこの地に、楠木氏を祀る神社を設けようとする機運が高まった結果、1890年(明治23年)、飯盛山山麓に別格官幣社・四條畷神社が創建された。1895年には浪速鉄道が四条畷駅まで延伸し、この地は人の集まる繁華な町へと一躍発展した。北河内地区に中学が開設されるにあたっては、忠君愛国教育の中心である四條畷神社があり、鉄道駅もあって交通の便利なこの地に四条畷中学(現在の大阪府立四條畷高等学校)が開校し、北河内の教育の中心となった。この地は1889年の町村制施行の際に甲可村となったが、次第に四條畷の名の方が通りがよくなり、1932年には甲可村は四條畷村へと改名した。

第二次世界大戦以降は「住宅都市」を目標とし、1955年頃から大阪市の近郊都市として四條畷地区を中心として開発が進み、大阪外環状線の開通・JR片町線が四条畷駅まで複線化され、都市化が進んだ。その結果、1970年7月1日市制を施行するにまで至った。市制施行後は、田原地区が関西文化学術研究都市に指定されると、それに則った開発が進められ、田原台などの新興住宅地が誕生した[2][3][4][5][6][7][8][8]

地理

四條畷市中心部周辺の空中写真。1985年撮影の3枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

面積

  • 18.74km2[10]
    • 四條畷地区 - 10.766 km2[11]
    • 田原地区 - 7.974 km2[11]

面積の変遷

広袤(こうぼう)

国土地理院地理情報 によると四條畷市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは7.3 km、南北の長さは5.4kmである。[3][5]

隣接している自治体

歴史

紋章

  • 町章は1961年に田原村の編入合併を記念して2回にわたって公募で募集して同年12月に議会によって制定された[12][12][13][14]。 市章は市制施行に合わせて住民意識の向上のために公募で募集し、募集した結果、「し」と畷の「ナ」を鳩に図案化したもので未来に向かって羽ばたく姿を意味して、1970年7月1日の市制施行の日に合わせて制定された[3][15][16][17][18]

市制施行前

市制施行後

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

2002年2月14日にこの建物の駐車場建設地に日本最古のキリシタン墓碑が発見される。

ご当地キャラクター

・2008年(平成20年)四条畷市イメージキャラクター「くっすん」

「四條畷」と「四条畷」

貼りなおされた四條畷市のカントリーサイン

市の固有名詞としては、四條畷村以来一貫して「四畷」と表記するのが正式である。「条」は「條」の略字であるが、戦後「条」が当用漢字(現・常用漢字)に指定されたため、「四畷」と表記されることがある。

現在でも新聞や道路標識などでは「四条畷市」と書かれることがあり、2003年度末までは四條畷市内の郵便局は「四条畷」表記だった(現在は「四條畷」表記となっている)。

JR西日本の四条畷駅は「条」の字を使っている。1895年に北河内郡四条村に開業した当初は、四条畷駅および所在地の四条村(のち町制を施行して四条町)ともに、「條」の字を使っていた。しかし、四条町は1956年の町村合併によって大東市となり廃止され、当時の国鉄が当用漢字の使用を推進していたこともあって、「条」の字を使うようになった。四條畷市はJR西日本に駅名の変更を申し入れているが、JR西日本側が「駅名変更は地元からの要望で行うが費用は自治体の全額負担」としており、さらに費用は数億円かかるため市側での負担が困難な状態なことから、現在も駅名の変更はされていない。

一方、四条畷駅と同様に大東市に所在する四條畷警察署は「條」の字を使っている。これは1978年に現在地へ移転するまで四條畷市内に庁舎があった名残で、移転後も変更されることなく現在に至る。

2003年の大阪府議会において、四條畷の表記に関する条例が可決された。大阪府庁ホームページ 大阪府議会だよりNo.119[リンク切れ]。四條畷市及び大阪府は、表記について次のように定義している。四條畷市役所ホームページ 四條畷市の、「じょう」の漢字について

以上の歴史的経緯から、四條畷市・大阪府の地方自治体は、官公庁関連の施設に関しては「條」を使用し、民間施設に関しては「条」を使用している。

奈良県五條市にも、四條畷市と類似の表記問題がある。

市町村合併

田原村との合併

  • 四條畷町(当時)は当村との合併を1961年初頭に活発な動きをし、編入合併を目指し、6月25日に発足を予定していた。その結果、合併が可決され、同年5月19日に合併調印式を開催し、同年5月22日に議会臨時会で議決され、同年5月23日に合併申請書を提出し、5月31日に定例府会で議決された。そして、予定通りに同年6月25日に編入された。そして、同年7月1日に合併を記念した祝賀式を開催した。[19][20][40]

大東市との合併

  • 勉強会は設置しているが、具体的な実現には至っていない。[41]

人口

  • 1965年から1975年までは大幅な増加を示しており、1960年の国勢調査では10,779人であり、1965年の国勢調査では19,314人であったが、1970年の国勢調査では37,893人であり、住宅開発をしていた四條畷地区の岡山・雁屋(雁屋北町・雁屋南町)を中心に増加し、1960年から1965年の増加率は大阪府下の自治体では1番である79.6%を記録した。そして、1975年の国勢調査では52,368人であり、一旦ピークを迎えた。その後は減少し、1980年・1985年・1990年の国勢調査では5万人を少し上回る人口で推移してきた。しかし、田原地区が関西文化学術研究都市に指定されると、開発が進みその後は増加し、2003年には57,000人を突破した。その後は57000人台で推移しているが、市内の西部の再開発と田原地区の新興住宅地の開発でこれからも増加すると予測されている[4][5][8][8][42][43][44][44]
  • 平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.37%増の57,554人であり、増減率は府下43市町村中17位、72行政区域中35位。
四條畷市と全国の年齢別人口分布(2005年) 四條畷市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 四條畷市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
四條畷市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 37,893人
1975年(昭和50年) 52,368人
1980年(昭和55年) 50,582人
1985年(昭和60年) 50,352人
1990年(平成2年) 50,035人
1995年(平成7年) 53,763人
2000年(平成12年) 55,136人
2005年(平成17年) 57,342人
2010年(平成22年) 57,554人
2015年(平成27年) 56,075人
2020年(令和2年) 55,177人
総務省統計局 国勢調査より


人口の内訳

調査名[45] 総数[45] 15歳未満[45] 15歳から64歳まで[45] 65歳以上[45]
2005年国勢調査 57,342人 9,330人 38,597人 8,991人
2010年国勢調査 57,561人 8,721人 34,629人 11,623人

地域

四條畷市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。

町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
大字南野 みなみの 1889年4月1日 未実施
南野一〜六丁目 みなみの 1976年11月1日 1976年11月1日 大字南野、大字清瀧の各一部
江瀬美町 えせびちょう 1974年10月7日 1974年10月7日 大字南野の一部
雁屋北町 かりやきたまち 1974年10月7日 1974年10月7日 大字南野の一部
雁屋南町 かりやみなみまち 1974年10月7日 1974年10月7日 大字南野の一部
雁屋西町 かりやにしまち 1974年10月7日 1974年10月7日 大字南野の一部
北出町 きたでちょう 1974年10月7日 1974年10月7日 大字南野の一部
二丁通町 にちょうどおりちょう 1974年10月7日 1974年10月7日 大字南野の一部
楠公一・二丁目 なんこう 1975年10月20日 1975年10月20日 大字南野の一部
米崎町 こめざきちょう 1975年10月20日 1975年10月20日 大字南野の一部
塚脇町 つかわきちょう 1976年11月1日 1976年11月1日 大字南野の一部
大字中野 なかの 1889年4月1日 未実施
中野一〜三丁目 なかの 1976年11月1日(一・二) 1976年11月1日 大字中野、大字南野、大字清瀧の各一部
1979年10月1日(三) 1979年10月1日 大字中野の一部
中野新町 なかのしんまち 1975年10月20日 1975年10月20日 大字中野の一部
中野本町 なかのほんまち 1977年10月1日 1977年10月1日 大字中野の一部
美田町 みたちょう 1975年10月20日 1975年10月20日 大字蔀屋、大字中野の各一部
大字蔀屋 しとみや 1889年4月1日 未実施
蔀屋本町 しとみやほんまち 1975年10月20日 1975年10月20日 大字蔀屋の一部
蔀屋新町 しとみやしんまち 1979年10月1日 1979年10月1日 大字蔀屋の一部
大字清瀧 きよたき 1889年4月1日 未実施
清滝中町 きよたきなかまち 1979年10月1日 1979年10月1日 大字清瀧の一部
清滝新町 きよたきしんまち 1979年10月1日 1979年10月1日 大字清瀧の一部 大阪府営清滝住宅などがある
大字岡山 おかやま 1889年4月1日 未実施
岡山一〜五丁目 おかやま 1977年10月1日 1977年10月1日 大字岡山、大字中野の各一部
岡山東一〜五丁目 おかやまひがし 1979年10月1日 1979年10月1日 大字岡山、大字清瀧の各一部
砂一〜四丁目 すな 2013年11月5日 2013年11月5日 大字砂の全部
大字逢坂 おうさか 1889年4月1日 未実施
大字下田原 しもたわら 1961年6月25日 未実施
大字上田原 かみたわら 1961年6月25日 未実施
田原台一〜九丁目 たわらだい 1989年7月1日 1989年7月1日 大字下田原、大字上田原の各一部
さつきヶ丘 さつきがおか 2000年8月1日 2000年9月1日 さつきヶ丘の一部
2001年2月1日 さつきヶ丘のうち住居表示未実施区域の全部
緑風台 りょくふうだい 2003年3月1日 2003年3月1日 大字上田原の一部

四條畷地区

四條畷地区の範囲

田原村を編入する前の四條畷町の範囲であり、大阪平野の一部である。大阪市の近郊都市として、国道163号国道170号が交差しておりかつJR片町線の沿線である。また、農地や史跡が残されている地域もあり、地区の東側は生駒山地の北側に位置しており、金剛生駒紀泉国定公園に指定されている。また、旧大阪府立四條畷北高等学校第二京阪道路の近隣地帯である地区の開発も進められている。[3][5][46]

田原地区

田原地区の範囲

旧田原村の範囲であり、奈良県の県境に位置する地区である。生駒山地の一部である北生駒山地の麓の農業地帯であるが、1969年5月20日に都市計画区域に指定され、その後は関西文化学術研究都市に指定されるとそれらに似合った開発し、1978年10月に土地区画整理事業の計画を終えてから、1984年10月に田原ニュータウンの起工が行われ、宅地として開発された。その結果、1990年5月11日にパークヒルズ田原が街開きされ、田原台などの新興住宅地が点在しており、それまで減少傾向であった市内の人口が増加した[3][6][7][32][47][48]

行政

四條畷市役所

市役所

  • 四條畷市役所

1912年に竣工した庁舎であり、老朽化・第二室戸台風に伴う被害・急激な人口増加に対する対応・田原村との合併に伴う行政の向上のために当町の建設計画事業の一環として建設され、1964年11月5日に新築移転され、現在の場所で業務を開始している。[3][22][22][49][49][50][50]

  • 田原支所

田原村と編入合併した結果、田原村役場跡に田原支所を設置した。[40]

財政

  • 市税収入は減ってきているため1998年から2007年度まで赤字を出していたが、人件費を削減したりと対策した結果、2008年度から3年連続で黒字を維持している。[16][51]
  • 住民税の半分以上を収めるにもかかわらず、田原台・さつきが丘・緑風台・大字上田原、下田原への税金投資はほぼない。そのため、かなり発展が遅れていると言える。

歴代市長

[52] 氏名[52] 就任日[52] 退任日[52] 備考
初代市長 三牧信知 1967年10月15日 1972年10月14日 四條畷町長から継承
二代目 森本稔 1972年10月15日 2002年7月31日 汚職事件で逮捕され辞職
市長職務代理者 ーーー 2002年8月1日 2002年9月8日
三代目 田中夏木 2002年9月8日 2012年11月30日 健康状態を理由に辞職
市長職務代理者 大井俊道 2012年12月1日 2013年1月19日 副市長
四代目 土井一憲 2013年1月20日 2017年1月19日
五代目 東修平 2017年1月20日 現職 2024年12月に、市長選挙を、年内実施の予定。選挙期日は現時点で未定で、2025年1月19日に任期満了となる。前回は、2020年12月27日に投・開票が実施された。

立法

市議会

定数は12人。任期は2023年5月1日 - 2027年4月30日。

大阪府議会(大東市及び四條畷市選挙区)

  • 定数:2名 (2015年の府議選より、大東市と合区)
  • 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日
  • 橋本和昌(大阪維新の会)
  • 内海久子(公明党)

国政選挙

警察署・消防署

かつては警察署は市内にあったが、1978年1月9日大東市にある四條畷警察署に移転し、それ以降は市内にはない。

消防は四條畷市消防本部として市内に消防本部消防署を設置していたが、消防広域化に伴って大東市消防本部と統合し大東・四條畷消防組合で本部は大東市内となり、市内には四條畷消防署と田原分署がある[53]

施設

図書館

  • 四條畷市立四條畷図書館[53]
  • 四條畷市立田原図書館[53]

公園

  • 戎公園
  • 北谷公園[3]
  • 雁屋北公園[3]

病院

福祉施設

  • ハニコウム園芸[53]
  • なわて更生園[53]
  • 四條畷市立老人福祉センター[53]
  • 四條畷市立福祉コミュニティーセンター[53]

その他の施設

姉妹都市・友好都市

経済

産業人口

調査名[54] 総数[54] 第1次産業[54] 第2次産業[54] 第3次産業[54]
2010年国勢調査 23,404人 106人 6,431人 15,793人

商業施設

長らく大阪府下の市では珍しく、大型スーパーマーケットがないため隣接市などのショッピングセンター(SC)へ向かう流れが強かったが、2015年10月23日寝屋川市にまたがる形でイオンモール四條畷がオープンした。

オープン以前の人の流れは、清滝峠以西の住民は守口市イオンモール大日大阪市鶴見区イオンモール鶴見緑地大東市ポップタウン住道寝屋川市イオンモール寝屋川ビバモール寝屋川または平和堂アル・プラザ香里園店への商圏になっていた。

清滝峠以東にある上田原・下田原・田原台・緑風台・さつきヶ丘地区の住民は奈良県生駒市にある近鉄百貨店生駒店やイオン奈良登美ヶ丘SC(現:イオンモール奈良登美ヶ丘)、2007年5月1日に開業した京都府木津川市のイオン高の原SC(現:イオンモール高の原)への商圏になっていた。

現在は、隣接する奈良県側からも買い物に来る車が多数見受けられる様になった。

業務効率化とコスト削減の取り組み

購買DX・契約DX・請求DXの「Pro-Sign」を提供する株式会社プロレド・パートナーズと、大阪府四條畷市は、企業や自治体の購買活動・管理を効率化するクラウドサービス 「Pro-Sign(プロサイン)」を活用した実証実験を開始した。今回の実証実験では、株式会社プロレド・パートナーズが提供する「Pro-Sign(プロサイン)」の見積取得機能を活用したもので、クラウド上で複数の企業から見積を取得できるサービス。一度の依頼で複数社からの見積をクラウド上で取得でき、その後の連絡もチャット上で行えることから、業務効率化を図るとともに、見積の取得のために何度も来庁してもらう必要がなくなり、見積提供事業者の時間的負担および経済的負担も軽減することができる。[1]

四條畷市に本社を置く主な企業

金融機関

日本郵政グループ

(2012年12月現在)

  • 日本郵便株式会社
    • 四條畷郵便局(中野本町) - 集配局。★
    • 四條畷楠公(なんこう)郵便局(雁屋南町) ★
    • 四條畷岡山郵便局(岡山東2丁目) ★
    • 四條畷南野(みなみの)郵便局(南野4丁目)
    • 四條畷二丁通(にちょうどおり)郵便局(二丁通町)
    • 田原(たわら)簡易郵便局(田原台5丁目)
田原簡易郵便局を除く各郵便局にゆうちょ銀行のATMが設置されており、★印の郵便局ではホリデーサービスを実施。

※四條畷市内各区域の郵便番号は「575-00xx」(四條畷郵便局の集配担当)となっている。

教育

幼稚園

小学校

中学校

高等学校

大学

特別支援学校

交通

鉄道

四條畷市の中心駅でもある四条畷駅は、駅としては隣の大東市に立地している。なお田原地区の住民は、奈良交通バスで奈良県生駒市にある近鉄生駒駅へ出る場合が多い。

バス

道路

田原地区を縦断する国道163号
下田原で撮影

名所・旧跡

小楠公(御墓所)の楠
和田賢秀公の墓

スポーツ

市内を本拠地とするプロスポーツチームはないが、サッカーJリーグのガンバ大阪が活動地域として当市を含めている[55]。地理的な関係から奈良クラブとも縁が深く、アカデミーが市内の施設を利用したり、奈良県と隣接する田原地区の学校に対して選手が訪問を行ったりしている[56]

出身有名人

著名な出身者

ゆかりのある人物

その他

参考文献

  • 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』(初版第1刷)小学館、2007年1月10日。ISBN 4095263113 
  • 『四條畷町広報 1号 - 111号 1961 - 70』(初版第1刷)四條畷市。 
  • 『四條畷町広報 町だより 1 - 111 1961 - 70』(初版第1刷)四條畷市。 

関連項目

注釈

  1. ^ 電話のMA地域でも実際に奈良MA(市外局番0743、市の大部分は072 (旧0720)枚方MA)であり、大部分の有線放送の営業エリアも配線の都合上奈良県扱いになっている。
  2. ^ 作詞・金堀則夫、補作詞・島田陽子、作曲・キダ・タロー、編曲・大前成之(毎日、正午に防災無線を通じてこの曲が流れている。)

脚注

  1. ^ https://www.city.shijonawate.lg.jp/site/citypromotion/17361.html
  2. ^ a b c 四條畷市の概要”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak 第5次四條畷市総合計画【後期計画】 序論”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
  4. ^ a b 近世”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
  5. ^ a b c d 地域の現状”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
  6. ^ a b c d 田原地区地区計画”. 四條畷市. 2012年8月12日閲覧。
  7. ^ a b c 町だより 101号
  8. ^ a b c d 町だより 57号
  9. ^ 市の位置”. 四條畷市. 2012年8月12日閲覧。
  10. ^ a b c d 市域の変遷”. 四條畷市. 2012年8月12日閲覧。
  11. ^ a b 町丁字別面積”. 四條畷市. 2012年8月12日閲覧。
  12. ^ a b 町だより 5号
  13. ^ 町だより 10号
  14. ^ 広報 10号
  15. ^ a b c 図典日本の市町村章 p154
  16. ^ a b c 行財政の現状”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
  17. ^ a b c 市章・市民憲章”. 四條畷市. 2015年11月16日閲覧。
  18. ^ 町だより 特別号
  19. ^ a b 四條畷町の設置”. 四條畷市例規集. 2012年8月11日閲覧。
  20. ^ a b 町だより 4号
  21. ^ a b c 町だより 7号
  22. ^ a b c d 町だより 21号
  23. ^ 町だより 110号
  24. ^ 町だより 111号
  25. ^ a b 四條畷町を市とする処分”. 四條畷市例規集. 2012年8月11日閲覧。
  26. ^ 広報 110号
  27. ^ 広報 111号
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 市制施行(昭和45年)以降”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
  29. ^ 非核平和都市宣言”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
  30. ^ 青少年健全育成都市宣言”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
  31. ^ 健康づくり都市宣言”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
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  33. ^ 人権擁護都市宣言”. 四條畷市. 2012年8月11日閲覧。
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外部リンク