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善通寺駐屯地

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善通寺自衛隊から転送)
善通寺駐屯地
第2営舎地区(第2キャンプ)内にある旧陸軍第十一師団兵器庫跡
第2営舎地区(第2キャンプ)内にある旧陸軍第十一師団兵器庫跡
位置
地図
所在地 香川県善通寺市南町二丁目1番1号
座標 北緯34度13分18秒 東経133度46分45秒 / 北緯34.22167度 東経133.77917度 / 34.22167; 133.77917
概要
駐屯地司令 第14旅団副旅団長
主要部隊 第14旅団司令部
第15即応機動連隊
第14後方支援隊
第14偵察隊
第14通信隊
第14音楽隊

開設年 1898年(大日本帝国陸軍)
1950年(警察予備隊・陸上自衛隊)
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善通寺駐屯地(ぜんつうじちゅうとんち、JGSDF Camp Zentsuji)は、香川県善通寺市南町二丁目1番1号に所在し、第14旅団司令部等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地

上方から見た駐屯地

概要

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駐屯地司令は、第14旅団副旅団長が兼務。隊区内の演習場は、国分台演習場高屋射撃場(射場)、大池訓練場大野原演習場小野演習場高知訓練場。隊区外では日本原演習場饗庭野演習場など。

戦前は陸軍第11師団などがおかれ同駐屯地を中心に善通寺は軍都として栄えた、戦後は四国地区の防衛警備等を担任する第14旅団司令部及びその主力部隊、業務隊などが置かれており、旧軍時代から四国地方における最大・最重要駐屯地である。

駐屯地内には、ベトナム独立戦争に参加し、戦死した石井卓雄(元陸軍少佐)を顕彰する石碑がある。

駐屯地内にある旧陸軍第11師団兵器庫跡3棟は、それぞれ1909年(明治42年)、1911年(明治44年)、1921年(大正10年)に完成した歴史的建造物である。これらはいずれも2階建ての赤レンガ造りで、明治期の2棟は幅14m×奥63m、大正期の1棟は幅14m×奥90mの大規模な建造物群である。具体的な設計者は不明だがドイツ人技師の設計といわれている[1]。屋上の○型と△型のモニュメントは、それぞれ銃の「照門」と「照星」を表している。

駐屯地内にある駐屯地資料館は、元は陸軍第11師団の司令部隊舎で戦後、陸上自衛隊第2教育団、第2混成団や第14旅団の本部・司令部隊舎として使われた。現在、資料館として一般開放されているほか、第14音楽隊が隊舎として使用している。

2006年(平成18年)に「第2混成団」から改編された第14旅団司令部が置かれ、第14旅団の中心となる。

旅団への改編初期には1個普通科連隊を新編する関係から隊舎や倉庫等が飽和状態になっており、仮設のプレハブ建築物が設置されていた。また過去には国旗掲揚(課業開始)前に、初音ミクの歌う各駐屯部隊歌が放送されていて、インターネット掲示板などで話題となったこともある(現在は行われていない)。

近い将来発生が予想される南海トラフ地震や旅団の機動旅団化を受けて、施設の近代化や、拠点としての機能拡大を行う予定。2018年(平成30年)3月には第15普通科連隊の即応機動連隊改編に伴い、旅団警備区外に所在していた日本原駐屯地の戦車中隊が移駐した。

沿革

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日本陸軍

警察予備隊善通寺駐屯地

  • 1950年(昭和25年):警察予備隊の創隊に伴い善通寺訓練所となる。
  • 1951年(昭和26年)5月1日:
    • 第3管区隊第9連隊が善通寺駐屯地で新編。
    • 第3管区隊第3施設大隊が善通寺駐屯地で新編。
    • 第3管区隊第3武器中隊が善通寺駐屯地で新編。

保安隊善通寺駐屯地

  • 1952年昭和27年)10月15日:警察予備隊が保安隊に改編。

陸上自衛隊善通寺駐屯地

  • 1954年(昭和29年)
    • 7月1日:陸上自衛隊発足により移管[2]。第9連隊が第9普通科連隊に称号変更。
    • 9月10日:第9普通科連隊第2大隊を基幹に第15普通科連隊が編成完結(連隊長三好鹿雄一等陸佐以下1,061名)、駐屯地司令職務担任部隊に指定。
    • 9月30日:第9普通科連隊(第2大隊欠)が善通寺駐屯地及び松山駐屯地(第3大隊)から東千歳駐屯地に移駐、第2管区隊の隷下に入る。
  • 1961年(昭和36年)
    • 8月20日:第2教育団本部が大久保駐屯地から移駐、駐屯地司令職務担任部隊に指定。
    • 12月16日:第15普通科連隊第3大隊が松山駐屯地から移駐。
  • 1962年(昭和37年)
  1. 1月18日:第15普通科連隊が本部管理中隊及び4個普通科中隊、重迫撃砲中隊編成となる。
  2. 3月31日:第107教育大隊が大久保駐屯地から移駐。
  3. 8月15日:第107教育大隊を廃止。
  1. 第107全般支援大隊整備中隊善通寺派遣隊を新編。
  2. 第104施設直接支援大隊第2直接支援隊を新編。
  3. 中部方面輸送隊第104輸送業務隊第3端末地業務班を新編。
  • 2006年(平成18年)3月27日:部隊改編。
  1. 第2混成団が廃止され、第14旅団を新編[3]
  2. 第14旅団司令部及び付隊、第50普通科連隊、第14後方支援隊、第14偵察隊、第14通信中隊、第14音楽隊を新編。
  3. 第305施設隊及び第2直接支援隊が三軒屋駐屯地へ移駐。

ギャラリー

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駐屯部隊

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中部方面隊隷下部隊

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防衛大臣直轄部隊

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過去の駐屯部隊

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  • 第3施設大隊:1952年昭和27年)1月23日千僧駐屯地へ移駐。
  • 第3武器中隊:1952年昭和27年)1月23日千僧駐屯地へ移駐。
  • 第9普通科連隊(第2大隊欠):1954年(昭和29年)9月30日東千歳駐屯地に移駐。
  • 第107教育大隊:1962年(昭和37年)8月15日廃止。
  • 第311ダンプ車両中隊:1985年(昭和60年)3月25日廃止。
  • 第8施設群:1999年(平成11年) 3月29日廃止。第305施設隊に改編。
  • 第2混成団:2006年(平成18年)3月27日廃止。
  • 第305施設隊:2006年(平成18年) 3月27日三軒屋駐屯地へ移駐。
  • 第104施設直接支援大隊第2直接支援隊:2006年(平成18年) 3月27日三軒屋駐屯地へ移駐。
  • 第50普通科連隊:2010年(平成22年)3月26日:高知駐屯地へ移駐[6][7]
  • 第312基地通信中隊善通寺派遣隊:2012年(平成24年)3月26日廃止。第323基地通信中隊新編。
  • 第110教育大隊:2018年(平成30年)2月8日:松山駐屯地に移駐[8]
  • 中部方面輸送隊第104輸送業務隊第3端末地業務班:2018年(平成30年)3月26日廃止。陸上自衛隊中央輸送隊隷下の第4方面分遣隊第3端末地業務班に改編。

最寄の幹線交通

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重要施設

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脚注

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注釈

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  1. ^ 第2混成団創設から徳島駐屯地開庁までの間、四国所在の基地通信部隊は第13旅団司令部(海田市)のある第312基地通信中隊に隷属する派遣隊であった

出典

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  1. ^ 四国新聞・21世紀へ残したい香川
  2. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1954年6月30日). 2016年5月14日閲覧。
  3. ^ 統合体制へ各幕改組14旅団、50普連など新編 朝雲新聞(2006年3月30日付)
  4. ^ 四国新聞・陸上自衛隊駐屯地に初のコンビニ-善通寺
  5. ^ 中部方面混成団 編成”. 中部方面混成団公式HP. 2020年2月23日閲覧。
  6. ^ a b 第14旅団新編等のお知らせ 第14旅団
  7. ^ a b 高知駐屯地第1営舎地区 自衛隊高知地方協力本部
  8. ^ a b スライド 1” (PDF). 陸上自衛隊第14旅団. 広報紙【しこく】2月号. 防衛省 (2018年2月26日). 2018年3月5日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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