第2教育団
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第2教育団 | |
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廃止 | 2008年(平成20年)3月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 団 |
兵科 | 諸職種混成 |
兵種/任務 | 教育・訓練 |
所在地 | 滋賀県 大津市 |
編成地 | 大久保 |
最終上級単位 | 中部方面隊 |
担当地域 | 関西、中部地方、中国地方、四国 |
最終位置 | 大津 |
第2教育団(だいにきょういくだん、JGSDF 2nd Training Brigade)は、大津駐屯地に駐屯していた陸上自衛隊の教育団のひとつで中部方面隊の隷下部隊であった。2008年(平成20年)3月25日に廃止された。
概要
[編集]教育大隊隷下の3個共通教育中隊は2等陸士として入隊直後の、新隊員前期教育課程(3ヶ月)を担当。毎月入隊してくる新隊員に対して、3個中隊で順に担当していた。過去には、「通信教育中隊」(各部隊の通信科隊員を育成。新隊員後期教育課程と、一般部隊配属後の隊員向けである部隊教育課程を担当)などの編成もあったが、逐次整理されていった。
沿革
[編集]- 1959年(昭和34年)8月13日:大久保駐屯地において第2教育団が編成完結、大久保駐屯地司令職務担任部隊に指定。
- 1961年(昭和36年)8月20日:第2教育団本部が大久保駐屯地から善通寺駐屯地に移駐、大久保駐屯地司令職務指定部隊を第4施設団長へ委譲。
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:第112教育大隊(山口駐屯地)を隷下に編合。
- 3月31日:第107教育大隊が大久保駐屯地から善通寺駐屯地へ移駐。
- 8月15日:第107教育大隊(善通寺駐屯地)を廃止。
- 1964年(昭和39年)8月1日:第116教育大隊が久居駐屯地において編成完結。
- 1969年(昭和44年)
- 1981年(昭和56年)3月25日:団本部が善通寺駐屯地から大津駐屯地に移駐、駐屯地司令職務指定部隊を第2混成団長へ委譲。
- 1994年(平成6年)3月24日:第4陸曹教育隊が松山駐屯地から大久保駐屯地へ移駐。
- 1997年(平成11年)3月29日:第112教育大隊(山口駐屯地)を廃止。
- 2004年(平成16年)3月28日:第116教育大隊(久居駐屯地)を廃止。
- 2006年(平成18年)3月26日:第4陸曹教育隊が大久保駐屯地から大津駐屯地へ移駐。
- 2008年(平成20年)3月25日:中部方面混成団への改編に伴い廃止。
廃止時の編成
[編集]- 第2教育団本部
- 総務科
- 訓練科
- 管理科「2教団-本」
- 第109教育大隊
- 第109教育大隊本部「109教-本」
- 第314共通教育中隊「109教-314共」
- 第315共通教育中隊「109教-315共」
- 第316共通教育中隊「109教-316共」
- 自動車教習所「109教-自教」
- 第110教育大隊(善通寺駐屯地)
- 第110教育大隊本部「110教-本」
- 第317共通教育中隊「317共」
- 第332共通教育中隊「332共」
- 第333共通教育中隊「333共」
- 第4陸曹教育隊
- 第4陸曹教育隊本部
- 総務科
- 訓練科
- 管理科「4曹教-本」
- 上級陸曹教育中隊「4曹教-上」
- 普通科教育中隊「4曹教-普」
- 共通教育中隊「4曹教-共」
- 第4陸曹教育隊本部
歴代の第2教育団長
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
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1 | 橋詰勇 | 1959年 ※1962年 7月 1日 陸将補昇任 |
8月13日 - 1962年 7月31日陸士44期・ 陸大53期 |
第3管区総監部付 (1等陸佐) |
陸上自衛隊調査学校長 |
2 | 森二三吉 | 1962年 | 8月 1日 - 1965年 3月15日慶応義塾大学 | 東北方面総監部幕僚副長 | 陸上幕僚監部付 →1965年11月18日 停年退官(陸将昇任) |
3 | 豊嶋俊夫 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 7月16日海兵60期 | 第3教育団長 兼 別府駐とん地司令 |
第2教育団本部付 →1967年11月30日 停年退官 |
4 | 松清格 | 1967年 | 7月17日 - 1969年 7月15日陸士48期・ 陸大57期 |
第8師団副師団長 兼 北熊本駐とん地司令 |
陸上幕僚監部付 →1970年1月1日 退職 |
5 | 森山高士 | 1969年 | 7月16日 - 1971年 3月15日陸士50期 | 第12師団副師団長 兼 相馬原駐とん地司令 |
陸上幕僚監部付 →1971年7月1日 退職 |
6 | 重富和男 | 1971年 ※1971年 7月 1日 陸将補昇任 |
3月16日 - 1973年 3月15日陸士52期 | 第2教育団副団長 (1等陸佐) |
陸上幕僚監部付 →1973年7月1日 退職 |
7 | 南村弘之 | 1973年 | 3月16日 - 1974年 3月15日陸士53期 | 第13師団副師団長 兼 海田市駐とん地司令 |
陸上幕僚監部付 →1974年7月1日 退職 |
8 | 後藤由郎 | 1974年 | 3月16日 - 1976年 3月15日陸士55期 | 陸上自衛隊富士学校企画室長 | 中部方面総監部付 →1976年4月1日 退職 |
9 | 濱口孝知 | 1976年 | 3月17日 - 1977年 3月15日陸士58期 | 中部方面総監部幕僚副長 | 陸上幕僚監部第5部副部長 |
10 | 上原博 | 1977年 | 3月16日 - 1979年 3月15日陸航士59期 | 中部方面総監部幕僚副長 | 陸上自衛隊調査学校長 |
11 | 松浦愷 | 1979年 ※1979年 4月 1日 陸将補昇任 |
3月16日 - 1981年 3月30日広島師範 昭和22年卒 |
西部方面総監部防衛部長 (1等陸佐) |
第13師団司令部付 →1981年4月1日 退職 |
12 | 大塚瑞夫 | 1981年 | 3月31日 - 1982年 6月30日早稲田大学 昭和29年卒 |
北部方面総監部付 | 第2混成団長 兼 善通寺駐屯地司令 |
13 | 櫻井和雄 | 1982年 | 7月 1日 - 1984年 3月15日中央大学 昭和29年卒 |
第11師団副師団長 兼 真駒内駐屯地司令 |
第2混成団長 兼 善通寺駐屯地司令 |
14 | 岩崎晋 | 1984年 | 3月16日 - 1986年 3月16日法政大学 昭和31年卒 |
自衛隊神奈川地方連絡部長 | 陸上幕僚監部付 →1986年7月1日 退職 |
15 | 吉森基 (1等陸佐) |
1986年 | 3月17日 - 1987年 7月31日大阪大学 昭和31年卒 |
陸上自衛隊幹部学校 主任研究開発官 |
退職(陸将補昇任) |
16 | 新津保義 (1等陸佐) |
1987年 | 8月 1日 - 1989年 3月31日防大2期 | 陸上自衛隊関西地区補給処副処長 | 退職(陸将補昇任) |
17 | 福留真信 (1等陸佐) |
1989年 | 4月 1日 - 1991年 3月31日立命館大学 昭和35年卒 |
陸上自衛隊関西地区補給処 総務部長 |
退職(陸将補昇任) |
18 | 三塚弘之 (1等陸佐) |
1991年 | 4月 1日 - 1992年11月30日防大4期 | 自衛隊宮城地方連絡部長 | 退職(陸将補昇任) |
19 | 三輪勤也 (1等陸佐) |
1992年12月 | 1日 - 1993年11月30日防大7期 | 相馬原駐屯地業務隊長 | 退職(陸将補昇任) |
20 | 遊橋洪孝 (1等陸佐) |
1993年12月 | 1日 - 1995年 7月31日防大7期 | 陸上自衛隊関西地区補給処副処長 | 退職(陸将補昇任) |
21 | 井上文彦 (1等陸佐) |
1995年 | 8月 1日 - 1998年 7月31日防大9期 | 伊丹駐屯地業務隊長 | 退職(陸将補昇任) |
22 | 中村浩三郎 (1等陸佐) |
1998年 | 8月 1日 - 2000年11月30日防大11期 | 防衛大学校教授 | 退職(陸将補昇任) |
23 | 豊島克治 (1等陸佐) |
2000年12月 | 1日 - 2003年 7月31日防大14期 | 陸上自衛隊富士学校総務部長 | 退職(陸将補昇任) |
24 | 児玉慎二 (1等陸佐) |
2003年 | 8月 1日 - 2005年 7月31日防大17期 | 陸上自衛隊研究本部総合研究部 第1研究課長 |
陸上自衛隊九州補給処副処長 |
25 | 坂田善穂 (1等陸佐) |
2005年 | 8月 1日 - 2006年12月6日防大17期 | 第8師団司令部幕僚長 | 退職(陸将補昇任) |
末 | 上野恵 (1等陸佐) |
2006年12月 | 6日 - 2008年 3月25日防大19期 | 陸上自衛隊富士学校総務部長 | 中部方面混成団長 兼 大津駐屯地司令 |
廃止部隊
[編集]- 第107教育大隊「107教-本」(善通寺駐屯地):1962年(昭和37年)8月15日廃止。
- 第108教育大隊「108教-本」(信太山駐屯地):1969年(昭和44年)7月31日廃止。
- 第112教育大隊「112教-本」(山口駐屯地):1997年(平成11年)3月29日廃止。
- 第116教育大隊「116教-本」(久居駐屯地):2004年(平成16年)3月28日廃止。