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原田眞人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原田真人から転送)
はらだ まさと
原田 眞人
原田 眞人
生年月日 (1949-07-03) 1949年7月3日(75歳)
出生地 日本の旗 日本静岡県沼津市
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画
活動期間 1979年 -
配偶者 福田みずほ
著名な家族 原田遊人(長男)
事務所 スカイホーク
(業務提携:つばさプロジェクト)
公式サイト 公式プロフィール
主な作品
映画
KAMIKAZE TAXI
バウンス ko GALS
金融腐蝕列島〔呪縛〕
突入せよ! あさま山荘事件
クライマーズ・ハイ
わが母の記
駆込み女と駆出し男
日本のいちばん長い日
受賞
日本アカデミー賞
優秀監督賞
2000年金融腐蝕列島 呪縛
2003年突入せよ!あさま山荘事件
2009年クライマーズ・ハイ
2013年わが母の記
2016年日本のいちばん長い日
2018年関ヶ原
優秀脚本賞
2003年『突入せよ!あさま山荘事件』
2009年『クライマーズ・ハイ』
2013年『わが母の記』
2016年『日本のいちばん長い日』
ブルーリボン賞
  • 監督賞
  • 1998年『バウンス ko GALS』
その他の賞
報知映画賞
監督賞
1997年バウンス ko GALS
藤本賞 奨励賞
2012年わが母の記
日刊スポーツ映画大賞
監督賞
2015年日本のいちばん長い日
駆込み女と駆出し男
毎日映画コンクール
脚本賞
2016年『駆込み女と駆出し男』
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原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - )は、日本映画評論家映画監督脚本家

静岡県沼津市出身。スカイホーク所属(業務提携:つばさプロジェクト)。BS朝日番組審議会委員。

人物・来歴

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静岡県沼津市生まれ。静岡県立沼津東高等学校卒業、東京写真専門学校(現:専門学校東京ビジュアルアーツ)、ペパーダイン大学中退。1972年ロンドンに語学留学。『ラストショー』の評論を『キネマ旬報』に載せたことをきっかけに映画評論家となり、『キネマ旬報』や『宝島』にアメリカ発の映画情報を寄稿。著書も出している。

ロサンゼルスにて6年間の映画監督修行を積み、1976年ジャーナリストの福田みずほと結婚。一男一女をもうけ、息子は俳優の原田遊人

1979年に一時帰国して『さらば映画の友よ インディアンサマー』で監督デビュー。1983年西ドイツとの合作映画『ウィンディー』をヨーロッパで撮影した後、1984年に帰国。以後、監督業のみならず、脚本執筆や俳優業など映画関係で多方面に活動。テレビ映画オリジナルビデオも手がけ、中でも1991年から1992年にかけて監督した木村一八主演の『タフ』シリーズは三池崇史監督らが評価している[1][2]

1980年上映の『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』、1982年上映の『スター・ウォーズ』の日本語版吹替版の翻訳監修と演出を担当。1988年の映画『フルメタル・ジャケット』において、完璧主義者といわれるスタンリー・キューブリック監督が、猥褻な表現が直訳されていないため初稿の戸田奈津子の日本語字幕にNGを出した。配給のワーナーからの要請で原田に白羽の矢が立ち、字幕翻訳家としてもデビューした。その後原田は兵隊スラングが飛び交う映画『グッドモーニング・ベトナム』でも字幕を担当した他、キューブリックの代表作『時計じかけのオレンジ』ビデオ用字幕の新訳も手がける。

2003年、映画『ラスト サムライ』で「俳優として」ハリウッドデビュー。

インターネット上での評論が活性化した近年の風潮を「悪貨」として否定し、ネットに拠らない「本物の映画ファン」の意見こそが重要だと話している。また、2007年から日本大学国際関係学部教授として後進の育成にあたっている。

逸話

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  • 2002年に出演した『ラスト サムライ』の撮影初日にトム・クルーズに自らの監督作品のビデオを数本渡したという。その中の1本『KAMIKAZE TAXI』と数年後に観たトム・クルーズ主演の『コラテラル』の設定・台詞が酷似していた事に憤りと絶望感に苛まれたという。原田は自らのブログで「訴訟も考えている」と書いたが、その後、訴状の類いをクルーズ及び製作のドリームワークスに送ったなどの報道はない。
  • 2002年公開の『突入せよ! あさま山荘事件』の撮影現場で、スタッフの一人を自分のブログで批判。これで原田は批判の矢面に立たされる。
  • 野球はロサンゼルス・ドジャース、映画はハワード・ホークス監督作品をこよなく愛する。
  • 1990年代にアメリカで原田の監督作『ガンヘッド』のVHSが発売になっているが、アメリカ人のテイストに合わないと大幅に再編集された。これに憤慨した原田は監督のクレジットから名前を削除し、DGA(全米映画TV監督組合)が定める偽名クレジット「アラン・スミシー」監督作品とした。なお、原田は日本映画監督協会員だが、DGAとはまったく関係ない。2004年にアメリカのADV FilmsからDVDが発売。DVD版の内容が日本版と同じなのかは不明。
  • サム・ペキンパーを敬愛する映画監督の一人にあげて「ペキンパーは親日家だった」と切り出した原田は、「友人の日本人女性がペキンパー監督の通訳をやっていて、ものすごく気に入られていた。彼女は小柄だったけど、ウイットに富んでいて、ペキンパーは彼女のことをマイ・リトル・ニンジャガールと呼んで親しんでいました。ただ彼女は若くして亡くなってしまった。日本に来た時にそれを知らされたペキンパーは、大酒を飲んで荒れていたということを後に聞きましたね」と述懐。さらに「彼はもともとはシャイな人なんです。しかし監督として成功するために、シャイな自分を押さえつけて、現場でもマッチョを気取るんですよね」と指摘した[3]

受賞歴

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監督作品

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映画(監督作品)

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テレビドラマ

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配信ドラマ

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  • RETURN(2013年、UULA) - 監督・脚本 ※同年劇場公開

Vシネマ

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  • タフ PART 1 誕生篇(1990年、ジーダス) - 監督・脚本
  • タフ PART 3 ビジネス殺戮篇(1991年、ジーダス) - 監督・脚本
  • タフ PART 4 血の収穫篇(1991年、ジーダス) - 監督・脚本

PV

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脚本作品

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映画(脚本作品)

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劇場アニメ

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出演作品

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映画(出演作品)

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著作

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  • 『ハリウッドインタVュー 俳優篇』(ヘラルド出版、1978年)
  • 『ハリウッド映画特急 L.A.express』(早川書房、1986年)
  • 『砂塵のレーサーたち パリ・ダカール最前線』(早川書房、1986年)
  • 『原田眞人の監督術』(雷鳥社、2007年) - 原田の監督経験を映画制作の時系列に沿って書いている。
  • 黒沢明語る』聞き手(福武書店、1991年) - 後年に文庫化されている。 

小説

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翻訳

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雑誌連載

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  • 原田真人のロサンジェルス超特急(M.Harada's L.A.EXPRESS) - 雑誌「ポパイ」連載のコラム(平凡出版、1976 - 1984年)

その他

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脚注

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注釈

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  1. ^ 原田個人に対する受賞。ほかに作品賞なども受賞した[5]
  2. ^ センデロ・ルミノソによる虐殺を告白する場面がある[7]

出典

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  1. ^ 轟夕起夫編『映画監督になる15の方法』洋泉社、2001年、p41
  2. ^ 的田也寸志「原田眞人」『<日本製映画>の読み方 1980-1999』フィルムアート社、1999年
  3. ^ “生涯監督作は14本…トラブルメーカー、サム・ペキンパーを映画監督の原田眞人が振り返る”. シネマトゥデイ (シネマトゥデイ). (2015年9月27日). https://www.cinematoday.jp/news/N0076796 2020年4月22日閲覧。 
  4. ^ “原田監督が昭和天皇描き裕次郎賞&監督賞/映画大賞”. ニッカンスポーツ・コム (日刊スポーツ新聞社). (2015年12月8日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1576491.html 2015年12月8日閲覧。 
  5. ^ 第39回日本アカデミー賞優秀賞決定!”. 日本アカデミー賞公式サイト. 2016年1月18日閲覧。
  6. ^ “毎日映画コンクール 大賞に橋口監督の「恋人たち」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2016年1月21日). https://mainichi.jp/articles/20160121/k00/00m/040/131000c 2016年1月21日閲覧。 
  7. ^ 「映画の旅人」朝日新聞2014年8月23日。
  8. ^ “岡田准一と原田眞人が「関ヶ原」映画化で初タッグ、共演に役所広司と有村架純”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2016年8月10日). https://natalie.mu/eiga/news/197665 2016年8月10日閲覧。 
  9. ^ “岡田准一主演で「燃えよ剣」映画化!共演に柴咲コウ、鈴木亮平、山田涼介、伊藤英明”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2019年2月11日). https://natalie.mu/eiga/news/319410 2019年2月12日閲覧。 
  10. ^ 最高にクレイジーな岡田准一に完全ノックアウト 映画『ヘルドッグス』公開決定”. ORICON NEWS (2021年12月1日). 2022年3月14日閲覧。
  11. ^ ラストサムライ”. 日曜洋画劇場. 2016年7月17日閲覧。

参考文献

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  • 日本映画テレビ監督全集 キネマ旬報社、1988年

外部リンク

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