宮崎晃
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みやざき あきら 宮崎 晃 | |||||||||
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生年月日 | 1934年10月27日 | ||||||||
没年月日 | 2018年11月25日(84歳没) | ||||||||
出身地 | 日本・東京府東京市荒川区 | ||||||||
職業 |
映画監督 脚本家 | ||||||||
活動期間 | 1961年 - 2018年 | ||||||||
主な作品 | |||||||||
映画(脚本) 『続・男はつらいよ』 『男はつらいよ フーテンの寅』 『新・男はつらいよ』 『男はつらいよ 望郷篇』 『男はつらいよ 純情篇』 『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』 テレビアニメシリーズ(脚本) 『あらいぐまラスカル』 『トム・ソーヤーの冒険』 『楽しいムーミン一家』 | |||||||||
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宮崎 晃(みやざき あきら、1934年10月27日 - 2018年11月25日)は、日本の映画監督、脚本家。東京市(現東京都)荒川区出身。
来歴
[編集]1934年、東京市荒川区日暮里に生まれる。東京都立北園高等学校を卒業後、出版社で働くかたわら新劇の演出家を志す。4年間の社会人生活の後、東京外国語大学ロシア語科へ入学。
1961年、大学卒業と同時に松竹大船撮影所の助監督試験に合格して入社。野村芳太郎や山田洋次の助監督を務める。山田作品の多くでは脚本も共同執筆、『男はつらいよ』シリーズにも第2~6作、第11作に参加した。1971年、「泣いてたまるか」で監督デビュー。1975年、戯曲『青い鳥』をベースにした「想い出のかたすみに」監督。1975年、「友情」監督。その後、松竹の契約監督になる。
1977年、友人の紹介により、遠藤政治監督のテレビアニメ『あらいぐまラスカル』の脚本を担当し、共同監督だった斎藤博と知り合う。以降、アニメの脚本も手がける。
2018年11月25日、胆管がんのため埼玉県内の病院で死去[1]。84歳没。
作品
[編集]映画(監督)
[編集]映画(脚本)
[編集]- 九ちゃんのでっかい夢(1967年、松竹)
- 喜劇 一発勝負(1967年、松竹)
- ハナ肇の一発大冒険(1968年、松竹)
- 続・男はつらいよ(1969年、松竹)
- 男はつらいよ フーテンの寅(1970年、松竹)
- 新・男はつらいよ(1970年、松竹)
- 男はつらいよ 望郷篇(1970年、松竹)
- 家族(1970年、松竹)
- 男はつらいよ 純情篇(1970年、松竹)
- 望郷(1971年、松竹)
- 故郷(1972年、松竹)
- 男はつらいよ 寅次郎忘れな草(1973年、松竹)
- 流れの譜(1974年、松竹)
- ガキ大将行進曲(1978年、映像企画)
- ぼくは蒸気機関車に乗った(1982年、東映)
- 結婚(1982年)
- わが愛の譜 滝廉太郎物語(1993年、東映)
テレビ映画(監督・脚本)
[編集]- 泣くな源太郎 恋のトラック特急(1978年、テレビ朝日)
テレビドラマ(脚本)
[編集]- 花くれないに(1969年、フジテレビ)
- 坊っちゃん(1970年、日本テレビ)
- 青春の挽歌(1971年、フジテレビ)
- ボクのしあわせ(1973年、フジテレビ)
- 青葉繁れる(1974年、TBS)
- 悪妻行進曲(1977年、木下プロ・TBS)
- 華やかな孤独(1978年、木下プロ・TBS)
- アヒル大合唱(1978年、木下プロ・TBS)
- オレンジ色の愛たち(1979年、TBS)
- 海辺の家族(1980年、NHK)
- 必殺仕事人V・激闘編(1985年、朝日放送)
- 遊びの時間は終らない (1985年 TBS)
テレビアニメシリーズ(脚本)
[編集]- あらいぐまラスカル(1977年、日本アニメーション、フジテレビ)
- ペリーヌ物語(1978年、日本アニメーション、フジテレビ)
- トム・ソーヤーの冒険 (1980年、日本アニメーション、フジテレビ)
- 南の虹のルーシー(1982年、日本アニメーション、フジテレビ)
- 牧場の少女カトリ(1984年、日本アニメーション、フジテレビ)
- 青春アニメ全集(1986年、日本アニメーション、日本テレビ)
- オズの魔法使い(1986年、パンメディア、テレビ東京)
- 愛の若草物語(1987年、日本アニメーション、フジテレビ)
- 新グリム名作劇場(1988~1989年、日本アニメーション、テレビ朝日)
- 小さなアヒルの大きな愛の物語 あひるのクワック(1989年、テレスクリーン、テレビ東京)
- 楽しいムーミン一家(1990年、テレスクリーン、テレビ東京)
- 大草原の小さな天使 ブッシュベイビー(1992年、日本アニメーション、フジテレビ)
テレビアニメスペシャル(脚本)
[編集]- 怪盗ルパン 813の謎(1979年、タツノコプロ、フジテレビ)のちに劇場公開
- まえがみ太郎(1979年、日本アニメーション、フジテレビ)
- あしながおじさん(1980年、タツノコプロ、フジテレビ)
- 雲のように風のように(1991年、スタジオぴえろ、日本テレビ)
- 世界名作劇場・完結版 ペリーヌ物語(2001年、日本アニメーション、BSフジ)
劇場アニメ(脚本)
[編集]- あらいぐまラスカル(1977年、日本アニメーション、東映)
- ゆき(1981年、にっかつ児童映画・虫プロ、日活)
- 世界名作童話 アラジンと魔法のランプ(1982年、東映動画、東映)
- ペリーヌ物語(1990年、日本アニメーション、東宝東和)
- 楽しいムーミン一家 ムーミン谷の彗星(1992年、テレスクリーン、松竹)
- 邦ちゃんの一家ランラン(1994年、日本アニメーション・萩本企画、東宝)
ビデオアニメ(脚本)
[編集]- 青春夫婦物語 恋子の毎日 全2話(1989年 - 1990年、日本映像)
- 殺人切符はハート色(1990年、日本映像)
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ “「男はつらいよ」脚本の宮崎晃氏が死去 84歳”. 日刊スポーツ. (2018年11月26日)
外部リンク
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