利用者:G-Sounds
G-Soundsは、G-Sounds_sub1とG-Sounds_sub2を持っています。しかし、G-Sounds_sub1もG-Sounds_sub2も運用を終了しました。詳細は「サブアカウントについて」の節を参照してください。
この利用者はウィキメールを受け付けていません。(会話ページへ) |
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私の考え方の一端 | ||||||||||||||||||||||
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始めに
- こんにちは。G-Soundsです。あまりInternet上には出没しないので、私からの返答は遅くなると思います。最近は、返信に1ヶ月程度の時間を要する事が多くなってきましたけれど、もし私が投稿(加筆・修正・削除)した内容に問題が有りましたら、または、個人的に私に御用が有りましたら、私の会話ページに書き込んでおいてください。気付き次第、なるべく早く返答したいと思っています。
- なお、たまに短い周期でWikipediaに顔を出す事もありますけれど、最近は1ヶ月に2回以上の出没は稀です。
- むしろ活動中のWikipedianのリストから外れる事もある位に、Wikipediaから遠ざかる事もあります。また、諸事情により不定期に数ヶ月単位のWikibreakに入る場合もありますので、返信の遅れについては、どうぞ御容赦ください。Wikibreakに入る時はなるべく告知しますけれども、必ず告知できるわけではない事も御了承ください。私の投稿記録を御覧いただき、投稿が滞っているようであれば、Wikibreakに入っていると判断してくださると、大変に、ありがたく思います。
- それと、一応英語は読めるものの、英語のネイティブではありませんので、その点は御留意ください。なお、英語の他にスペイン語なら少しは読めるようになってきましたけれども、スペイン語でのやり取りは、受け付けていません。その他の言語については事実上読めないので、その他の言語でのやり取りは事実上不可能と考えてください。まぁ、これだけ利用者のページに日本語を並べておけば、日本語をストレスなく操れる人物以外は、私にコンタクトを取ってくる事も無いでしょうけれども(笑)。
- ひとまず、このような言語能力である事と、Wikipedia英語版には充分な編集者が集まっている現状を鑑みるに、私は英語版以外を編集した方がWikipediaの発展に貢献できると考えています。
サブアカウントについて
G-Soundsは、特にセキュリティに問題の有る場所からの編集用に、パスワードなどが盗まれても良いよう、捨てアカウントとしてサブアカウントを取得しました。G-Sounds_sub1とG-Sounds_sub2が、これに当たります。
なお、G-Sounds_sub1はセキュリティに問題の有る場所から編集していた関係で、パスワードが盗まれた可能性があるため、今後は一切使用しません。やはりサブアカウントを使用しておいて正解でした。また、G-Sounds_sub2もセキュリティに問題が有る場所で使用していましたが、こちらも運用を終了しましたので、今後は一切使用しません。
ともあれ、ハードブロックのかかっていない接続経路を持った共有パソコンを一時的に利用できたために、しかし、共有パソコンの私以外の利用者がセキュリティーよりも利便性を優先したがるために、セキュリティを上げる事が叶わなかったので、やむを得ず乗っ取られても問題の少ないサブアカウントを一時的に利用していた次第です。
最近思う事
Wikipediaに関する私論
- /Wikipediaの記事の執筆は、創造的な行為です - 出典資料の劣化版メモ作成作業ではありません。
- /適切な漢字の使用は、文意を明確にする
- /その記事では、理由を解説していますか?
- /節を作ることは記事の成長を促進する
- /内部リンクのあるべき姿
- /厳選した仮リンクや赤リンクはWikipedia成長の道標になる
- /ヒトが編集し閲覧する事を忘れない - 記事のソースは見易さを優先させるべきです。
- /自分が専門的に学んだ分野の記事ばかり作らない
- /1 ppmの記事
- /数量の少ないブロックは使い勝手が悪い
- /警告タグは数を絞らなければ意味が無い
- /宣伝は記事の中立性を失わせる
その他、Wikipedia日本語版に関して思う事
- スタイルの修正は自分で行いなさい。
- Wikify関連タグを貼り付けるだけ貼り付けて放置する人が、あまりに多い事には閉口しています。記事のスタイルに問題が有ると判っているのなら、自分で修正してください。つーか、わざわざタグを貼り付ける暇が有るのなら、自分で修正しろ。ただ「問題が有る」と騒ぐだけ騒いで、結局何の改善もしないという行動は、非常に見苦しいです。
- ……もちろん、記事の内容の確認などは専門的な知識なども問われますし、資料が無い事も多いでしょうから、他人任せでも仕方が無いでしょう。これについては私も文句は言いません。然るべき場所で、加筆依頼するなり、査読依頼するなり、何なりすれば良いと思います。しかし、記事のスタイルについて問題にするWikifyの場合は、自分で修正しなさいと言いたい。そして是非、御手本を見せていただきたいと思う。
- ……こう思っているのは私だけですかねぇ?
- Wikify関連テンプレートを廃止しませんか?
- スタイルの修正は、気付いた人がその場で行えば済む話です。そして、内容の確認は、然るべき場所で査読依頼などをすれば良いわけです。
- こう考えると、Wikify関連のテンプレートは多くの場合で、不要との結論に至ります。残念ながら現状は、テンプレートを乱発しているだけで、有用な使われ方をしているとは思えません。むしろ、無駄に記事の更新履歴を増やしてサーバに負荷をかけているだけであり、何よりも閲覧者にとって見難いため、有害だと思います。
- 警告の乱発は、やめなさい。
- 「出典が無い」、「stubである」、その他様々な警告が乱発されているように思えます。警告を行う意義を全否定するつもりはありませんけれど、警告が付いている事が常態化しているせいで、警告のはずなのに、まるで風景のように見えてしまい、警告されている気がしません。そして、これが引き起こしている最大の問題は、本当に警告が必要な、重大な問題を孕んだ記事が、警告の乱発のせいで埋没している点にあります。ちょうど、日本の道路標識(特に制限速度)が、特に郊外において、その道路規格の割に無駄に遅く制限されている事に似ています。本当に危険な場所にだけ制限をかけておくようにしていない(充分に安全な場所の制限を緩和していない)ので、速度超過が常態化し、そして本当に危険な場所を、警告が有るだけでは危険だと思えない事に似ているのです。つまり、日本の道路では速度制限の警告が無意味になりかけていると私は見ているわけです。Wikipedia日本語版での警告の使い方も、それと全く同じになりつつある事を、私は強く懸念しています。(より詳しくは、警告タグは数を絞らなければ意味が無いを御覧ください。)
- しかし残念ながら、この現状を私だけの力で改善する事は不可能です。なぜなら、得意分野であれば、記事のレベルに応じてstubを外したり、さして重要でもない記事だから(警告をする程の問題を孕んでいないから)と警告を行わない事にしたり、警告が必要無い程度の最低限のレベルに記事を改善してしまったりといった事は可能ですし、実際に行ってきました。最悪の場合、つまり、自分には適切な資料が無いなどの理由で修正できない場合でも、本当に重大な問題を孕んでいる記事にだけ警告を貼り付けるという事もできます。しかし、得意分野以外では、そうもゆきません。
- 無論、今後も自分の得意分野では改善してゆきますけれども、それ以外は「どうしようもないかなー」と、諦めつつあります。
- 機械的な編集は、やめなさい。
- 残念ながらWikipedia日本語版の編集者には、機械的な編集をする者が見受けられます。警告の乱発がその典型例ですね。他にも、内部リンクできるから内部リンクを作成するといった編集も典型例です。
- ハッキリ言いますけれど、機械的な編集者は有害です。そのような編集者には、非建設的な編集、意味の薄い編集、記事の要点を判り難くする編集、文章としての論理性を破綻させる編集が、目立つように見えます。1つの小さな編集をする際でも、一旦考えた上で編集作業に入っていただきたいです。
- 内部リンクは記事の主題を考えて作りなさい。
- 残念ながらWikipedia日本語版の現状は、ただ単に「内部リンクを作れるから作っている編集者」が多過ぎます。内部リンクが作れるから、ただ機械的に内部リンクを作っているのでしょう。結果、本当に重要な内部リンクが埋もれて、かえって判り難いのです。挙句の果てに、1つの記事から同じ単語に10回以上も内部リンクを行っていた事例まで有ったなど、もはや荒らしと言って良いレベルの記事まで散見されます。これなら、もはやAIにでも編集させた方が、まだ記事はマシな状態を保てるかもしれません。
- 人間が編集しているのですから、きちんと、その記事で論述されている内容を考えた上で、内部リンクをしていただきたいです。(より詳しくは、内部リンクのあるべき姿を御覧ください。)
- 3語文や4語文の連続は、あまりに稚拙。
- Wikipediaでは、箇条書きを避ける事が推奨されています。しかし、箇条書きの方が見易い箇所は、マークアップをするなどして、箇条書きにした方が読者のためになります。そのような箇所で、機械的にマークアップを解除してはなりません。
- 逆に、箇条書きにすべきではない場所で、3語文や4語文が連続しているのであれば、文の作成に失敗した可能性が高いので、再編を考えた方が良いでしょう。もちろん、長過ぎる文も読み難い上に、主語も曖昧になるなどの弊害を産むため良くないですけれど、さりとて、3語文や4語文が連続している状態も良いとは言えないでしょう。
- 典型的な問題箇所として、例えば、3語文や4語文が連続している箇所には、しばしば2文にまたがっての重言を含む箇所が挙げられます。例えば「ASDはFG国・HJKL州の都市。HJKL州の州都。」ならば「ASDはFG国・HJKL州の州都。」で充分なはずです。さらに、これでは不完全な文ですので、きちんと「ASDはFG国・HJKL州の州都である。」としてあげれば、重言も解消されて1つの文になります。また、世界地図上の国家の位置くらいは周知の事柄としても、その国家の中の行政単位の位置の知識まで一般的な読者に求める事は酷ですから「ASDはFG国西部のHJKL州の州都である。」とすれば親切でしょう。間違っても「ASDはFG国の都市。HJKL州の州都。FG国西部の町。」などといった状態はいただけません。ケースバイケースと言える場合もあるでしょうけれど、箇条書きではなく文章として記述する事とは「ASDはFG国の都市。HJKL州の州都。FG国西部の町。」のような状態を「ASDはFG国西部のHJKL州の州都である。」などへと変換してゆく作業のはずです。
- 日本語になっていない記事が気になる。
- Wikipediaの記事を読んでいて、日本語の文章になっていない記事が散見される事が、気になります。
- 初版が執筆された段階で日本語として意味の通る文章になっていない場合もあります。しかしそれよりも、編集が繰り返された記事の中にも、記事全体を見渡した時に、文章が破綻している事例が見られる事が気になります。これを防ぐ方法は簡単で、ただ単に、編集の際に必ず記事を一読して、きちんと、そこに書かれている文章の意味を理解した上で編集を行えば良いのです。誤字脱字などのケアレスミスの見落としは仕方がないとしても、文章として意味が通るかどうかは、一読すれば、その文章の判り易さの程度に差はあれ、少なくとも意味の通らない文章にはならないはずです。是非とも、記事を執筆して初版をアップロードする時、または、記事を編集する時は、必ずその記事全体を読んで、記事の内容を把握する事を怠らないで欲しいです。
- 日本語になっていても、説明になっていない記事が気になる。
- Wikipediaの記事の中には、論理矛盾や論理飛躍を含んだ記事が散見される事も、気になります。(より詳しくは、その記事では、理由を解説していますか? を御覧ください。)
- 単位の重要性を、もっと意識するべき。
- Wikipedia日本語版の記事には、SI接頭辞を、まるで単位であるかのように扱っている文章が散見されます。私は、そのような記事を修正してきました。いずれにしても、単位をテキトーに扱うと、数値に意味が無くなる事を、もっと重大な問題として受け止めるべきです。
- ……もし、この「単位の重要性を、もっと意識するべき。」の項目を読んで、何の事を言っているのか判らないのなら、Wikipediaを編集しないでください。明らかに、基本的な知識が不足しています。
- カテゴリ設置数が、多過ぎるのではないだろうか?
- 記事を執筆していると、現在のWikipedia日本語版に存在しているカテゴリが多過ぎて、一体どのカテゴリを付ければ良いのか判らなくなってきます。何より、今、どんなカテゴリが存在しているのか、私には全貌がつかめません。元来はカテゴリを付加する事によって、記事の整理をしていたそうですけれども、ここまでカテゴリが乱立していては、果たしてカテゴリの付加が記事の整理につながっているのか疑問です。少なくとも私にはカテゴリの乱造にしか見えません。
- と言うわけで、カテゴリの設置制限を設けて、かつ、カテゴリの整理ができれば良いと思うのですけれども、カテゴリの全貌がつかめていない私には難しいので、この件については傍観しているのが現状です。
- カテゴリ付与で遊ぶ者が目立つ。
- そして、この多過ぎるカテゴリに目を付けているのでしょう。意味の薄いカテゴリを付与したり、最悪の場合には、記事の内容と乖離したカテゴリを付与している者がいます。恐らく「何となく貼り付けられそうだから」とテキトーに貼り付けるのでしょう。場合によっては、カテゴリを貼り付ける事を目的にしているかのような者も見かけます。
- だから、カテゴリを次々と作って、遊べるようにするのでしょうねぇ。
- 現状では記事へのカテゴリ設置が、有害になりつつあるように見える。
- カテゴリ付与遊びや、カテゴリ乱造が続いていては「記事のカテゴリ不要論」に正当性が出てきます。
- つまり、カテゴリ関係の議論や、編集などによるリソースの浪費を鑑みた時に、こんな事なら、カテゴリなど全廃してしまえば、版数が増えて編集履歴が見難くなる事も、カテゴリ関連の議論などで人的資源が浪費される事も、乱造されたカテゴリの管理のために人的資源が浪費される事も、その他、様々な弊害が無くなるという考え方ですね。
- 正直な所、Wikipediaの記事にカテゴリが付与されている事による有用性が、私には感じられ難くなってきました。それは、乱造されたカテゴリが増え、大量のクロスカテゴリも乱造され、カテゴリのtree構造の見通しが悪くなったためです。挙句の果てに、記事内容と乖離したカテゴリが付与された記事が散見される状況だからです。
- カテゴリの新設・編集には、管理者権限が必要であるように変更すると良いのではないか。
- 各記事にカテゴリを付与する行為と、そもそも各記事に付与するカテゴリ自体の存在価値の有無については、ひとまず置いておくとして、カテゴリの新設と、カテゴリの編集については、制限をかけた方が良いと考えます。
- Wikipedia日本語版は、カテゴリに関する荒らしで、限られた人的資源と時間を浪費しているように見えます。カテゴリの乱造をさせない仕組み作りが必要でしょう。そうしなければ、カテゴリ乱造のせいで、カテゴリのtree構造の見通しが悪化して、何のために記事にカテゴリを付与しているのか判らなくなってくるからです。
- カテゴリの新設や編集には、管理者以上の権限を持つか、または「カテゴリ編集者」の権限を新設するなどの対処をしては如何でしょうか。
- 巻き戻し者の権限の付与条件緩和は正解。
- タグ爆撃、記事の主題を無視した内部リンク濫造などの荒らしに対しては、そのような荒らし編集の「取り消し」で対処できます。私のように編集可能日が限られており、主に記事の加筆の際に、ついでに、この手の荒らしに対処している場合なら「巻き戻し者」は無用の権限ですけれど、もっと高頻度に対処している場合には、少しでも労力を減らすために、この「巻き戻し者」の権限が有ると良いでしょう。
- ただ、そもそも荒らし編集が減ると助かるのですけれどもね。
- 拡張承認された利用者について。
- 2020年にWikipedia日本語版では「拡張承認された利用者」の権限が新設されました。この「拡張承認された利用者」について、例えば、この権限について説明するページが幾度も荒らしを受けたため、結局「保護」という処置を行わざるを得ない状況に陥りました。このように荒らされるという事は、荒らしをしたい者にとって、目障りな権限なのでしょうね。いえ、むしろ「拡張保護」が目障りなのかもしれませんけれど。従来の「半保護」では、簡単な抜け道が有りますから。
- ところで「拡張承認された利用者」の権限は、自動的に得られる権限なのですけれど、調べてみると、権限の導入から半年以上が経過した2020年末時点でも、たったの数千accountしか持っていないようです。しかも私のように、この権限が導入された時点で、この権限が自動的に付与されたaccountが幾つも有るのに、この少なさです。これなら、一定の実効性が出そうですね。
- 残念ながら、荒らし編集が減らない以上は、荒らしへの対処に必要な手間を省くべく、次々と記事を「拡張保護」して、Wikipedia日本語版の執筆者が、荒らしのせいで少しでも手を煩わされないようにし、記事数の増加・記事内容の充実のために、人的リソースを使えるようにしてゆく事が、必要な時が来ているのかもしれません。
- Wikipedia日本語版での宣伝活動も、色々だなぁと。
- とある企業の記事に関する削除依頼で実に興味深い事例が有りました。これは、この企業にとって都合の良い記述だけが有る間は、初版作成者であり削除依頼の依頼者でもある人物が、業界団体が作成したリストと自社サイトの記述だけで、何とか記事を存続させるべく、中立な第3者による出典が無いなどの問題を指摘していたテンプレートを取り外していたのに、比較的中立な第3者である「国民生活センター」が発表した、この企業にとって不都合な記述が、他の利用者によって出典付きで加筆されると、削除依頼を行ったという事例です。
- Wikipediaの記事としては特筆性に疑問の有る企業の記事ながら、Wikipediaを宣伝活動に使うと、このような事態にもなり得る事を示す資料として「Wikipedia:**」と付くページのサブページなどとして、是非、初版からの編集履歴も含めて保存しておきたいような気がします。
- それにしても、2018年現在もWikipedia日本語版は、相変わらず宣伝活動に利用され続けているなぁ、と。うんざりしますね。
- 宣伝を許すと、Wikipediaの基本原則である中立的な観点からは遠ざかる、つまり、宣伝したい者の思惑が入るので、宣伝は許されていないのですけれども、理解されていないのでしょう。
- 要約欄が使い易くなった。
- いつの間にか、要約欄の文字数制限が大幅に緩和されていた点について、良い事をしてくれたと思います。
- 機械翻訳の丸投げを誘発しているとしか思えない機能を実装してくれたり、邪魔なeditorが増えたりと、寄付金の使い方を間違っているのではないかと思える事が目立っていましたけれども、この要約欄の文字数制限緩和は歓迎します。
- まぁ、以前の文字数制限が厳しかった時期の癖が抜けないのと、編集に時間が取れないのとで、以前のように要約欄を使ってしまう場合も多いですけれど……。
- 100万記事を超えたはずなのに、Wikipedia日本語版は記事不足を痛感している。
- 統計データが100万記事を超えている事を示している上に、他言語版の記述を見てもWikipedia日本語版は100万記事を超えていると書かれたまま、記述が変わらない事実を見るに、きっと、Wikipedia日本語版の記事総数は、100万を超えているのでしょう。Wikipedia日本語版が100万記事を突破した後に、大規模な荒らしが行われ、一時的に記事数が100万を下回りましたけれど、結局、日本語版の記事総数は100万を回復したようです。
- しかし、他言語版から日本語版への翻訳を行おうすると、多くの分野で、他言語版には当然のように存在する記事が、日本語版には無いという事態が、100万記事を超えてからも続いています。
- 月間新記事賞や月間強化記事賞の候補として挙がってくる記事も、日本にだけしか通用しない記事が目立ちます。さらに、日本ローカルでしかなく、世界的に見れば特筆性など到底満たさない、企業や個人や商品の記事が多数作成され続けています。
- もう少し、Wikipedia日本語版の執筆者は、世界的な観点に立ってみては如何でしょうか。
- なお、しばしばWikipedia日本語版で批判される、いわゆるサブカルチャー関連記事が多い点を批判する気は、私には全く無い事を、ここで明記しておきます。なぜなら、特にアニメで顕著ですけれども、アニメ化された作品は、しばしば世界中へと配信されますからね。漫画ですら、翻訳されてゆく位です。ですから、それこそ世界的な観点に立った際にも、必要な記事群の1つと言えるでしょう。
- 記事執筆や翻訳のための橋頭堡を、低品質でも作る必要性が、2021年現在ですら、有るようだ。
- ここまで記事不足を感ずるという事は、Wikipedia日本語版は、未だに、品質が低くとも、記事数を増やさねばならない段階なのでしょう。
- もちろん、宣伝や売名のための記事は論外ですし、そもそも、そのような記事は、記事の執筆や翻訳にも、事実上、役に立ちませんから、そのような記事は、さっさと削除するべきです。
- ここで言うのは、そのような記事ではなく、専門的で、その分野を専門的に学んだ事の無い者には判り難い内容を解説した記事です。
- 実際、過去に「低品質な記事を作る」として問題にされた執筆者が作成したWikipedia日本語版の記事が、記事の執筆や翻訳の際に役に立った事を、私は幾度となく経験してきました。ついでに、2021年に入って執筆した記事ですら、そのような経験をしました。
- Wikipediaは、百科事典の記事をWikiを使って作成してゆく取り組みです。殊にWikipedia日本語版の編集に関わっている面々には、この本来の目的を、もっと意識していただきたいですね。
- 加えて、カテゴリの作成や付与で遊んでいたり、内部リンクできるからと言って記事の主題とは関係性の薄い内部リンクを作成したりしている利用者を、Wikipediaの目的外利用者として、ブロックする必要が有るのかもしれません。彼らによる荒らしの対処のために、一体、どれだけの時間と人員と労力が浪費されているのでしょうか。
Wikipediaでの行動
お酒関連
私がお酒関連の記事の編集に関わった当時は、とにかくカクテル自体の記事の悲惨さが際立っていたので、カクテル自体の記事への加筆が多かったのですけれども、カクテル自体の記事については、なんとか有名どころは出揃った観があります。これでようやく、お酒の分野全体を充実させられる状態になったかなという気がしています。あと、Sake-substubを導入したのは正解だったと思っています。これで加筆や修正が必要な記事が、よりハッキリとしましたし、良い目印となるので。やはり、Sake-stubとSake-substubの両方が有るのは大きかったですね。
カクテル関連
軽い気持ちで加筆し始めたら、あっちこっち加筆してしまったのが、カクテルに関する記事です。カクテルは、ある意味狭い分野ですから、すぐに他の分野に行くつもりだったので、これほど加筆をするとは、正直な言うと、思っていませんでした。でも、私自身、とても勉強になったので、良かったかなと。クローバー・クラブが書けるまでにはなりましたしね。まぁ、ニューヨークは無理でしたけれども(苦笑)。なかなか難しいですねぇ。どんな分野でもそうですけれども、調べていってみると、狭いと思っていた分野でも、広がりが有りますよね。
- カクテル関係赤リンク消去計画(笑)
- 悲惨な状態だったので、2008年5月下旬から2008年7月上旬まで"こっそり"と行っていました。とりあえず、私が記述できる(記述したい)範囲は、だいたい終わりましたので、この辺りで終了です。
- ビールベースのカクテル拡充計画(笑)
- 2009年1月上旬に行おうと"こっそり"計画していました。せっかく「ビールベースのカクテル」というカテゴリが有るのに、あまり充実していなかったので行ってみました。しかし、あまり拡充できませんでしたけれども(苦笑)。なので、「カクテル関係赤リンク消去計画」の積み残し事案の処理(匙を投げたとも言う)を行ったり、カクテル関連記事の新設、加筆、修正も行ってみました。でも、もう、だいたい終わりですね。まぁ、「カクテルの一覧」も見易くなったし、こんな所でしょう。
- クローバー・クラブ計画
- 個々のカクテルの記事執筆の集大成の意味で、「クローバー・クラブ」の執筆を行いました。
- 量より質へ
- 2009年後半に入った辺りから、カクテル関連記事の質を改善する方向へと、完全に舵を切りました。
- 私がカクテル関連記事に関わった頃には、赤リンクになっている(有名だけど記事が執筆されていない)カクテルの記事が随分と有ったので、量も求められていたわけですけれども、とうとう2010年に入って、主要なカクテルでは赤リンクが消滅した(記事が執筆された)ので、いよいよ記述を充実させる段階に突入しました。……まぁ、肝腎な記事や記述がまだ存在していなかったりと、穴も残っているんですけどね(苦笑)。
- あと、個々のカクテルの記事については、比較的苦手なカクテルに対する加筆・修正が増えてきているので、その記事のノートを、もっと活用してゆこうかなと考えています。それによって、さらに質が改善されてゆけばと願っています。
- キール計画
- いつかは改訂しないとダメな記事だと判っていたのですけれども、この記事は関連記事も一気に改訂しないとダメで、大変なのが判っていたため、ずうっと二の足を踏んでいたのを、2010年が終わる前に私なりの決着を付けるべく、大幅な改訂を行いました。しかし、さすがにこれは疲れましたねぇ~。
- カリモーチョについて
- 何言語版にも記事が存在するカクテルなので、これならば誰かが作ってくれるだろうと信じて、赤リンクを作っておいたのですけれども、2019年8月になっても全く作成される気配が無かったので、とうとう簡易的に記事を作りました。
- この10年間、カクテルの分野では、喩えるならば、化合物であれば化学構造式に当たる事項、つまり、それを書かないと始まらない事項である、カクテルの標準的なレシピの記載ですら、単に「レシピだから」と杓子定規に解釈し、この分野の記事の成長を阻害する動きがWikipedia日本語版では活発化したように感じます。こんな状況では、カクテル関連の記事など執筆も翻訳も、中々されなくて当然だと思います。他人の足を引っ張っている場合ではないのですけれどもねぇ……。
- このような状況の日本語版に対して、他言語版ではカクテルの分野も順調に成長していたらしく、残念ながらWikipedia日本語版は、カクテルの分野も、相対的に量が不足しようとしているのかもしれません。カリモーチョもそうですけれど、私がカクテルの記事を多数作成していた当時、参考文献が充分に集まらなかったカクテル、または、世界的には有名でも私が苦手とするカクテルについては、依然、記事の存在しない穴として残ったのですけれど、この穴が、いよいよ顕在化してきた気もします。
酒関連その他
お酒に関する記事の穴を、少しずつ埋めてきました。しかし、カクテルの記事と違う点は、宣伝が絡んでくる場合も多々有る点が、難しい所です。カクテル自体の記事なら、特定のバーテンダーや特定の店のオリジナルカクテルでなければ宣伝ではないものの、酒の銘柄その物の記事とかの場合、そのまま宣伝につながりかねませんからね。時々、そのような宣伝記事が作成されるので、削除依頼を出しましたし、宣伝でなくなるように記事の方向性を変えたりしてきた人間が宣伝記事を書くわけにもゆきませんから(笑)。……ひとまず、リキュール関係、酒の原料関係、酒に関連した解説すべき内容の記事、などの充実を目指して、細々とでも、執筆や加筆や修正を行い続けられれば良いな、とは考えています。
- リキュールの個別記事拡充計画
- あまりに悲惨な状況だったので、2011年暮れから2012年初旬かけて"こっそり"と行っていました。まぁ、リキュール関連の記事の一斉加筆修正を行った、2011年12月12日で実質的には、この計画も終わっていたのですけれどもね。本当は、マリブを削除依頼して計画終了の予定だったものの、どうも削除はしてくれるなという雰囲気なので、マリブについては放置して計画を終了しました。とりあえず、マリブ以外で、Sake-stub以上の記事については、体裁は整ったでしょう。しかし、リキュールの個別記事は宣伝が絡み易い記事なので、今後もメンテナンスなどはしないとダメでしょうけれども。
- なおその後、マリブの記事は長らく放置していたのですけれども、さる御方に全面改稿していただけたので、マリブ問題は2012年10月に解決しました。これで、ひとまず現存するリキュールの個別銘柄の記事で、Sake-stub以上の記事については体裁が整ったかなと思います。
その他の分野
散発的に気になった記事を編集していただけで、特に計画性を持った編集は行っていませんでしたけれども、とうとうやってしまいました(笑)。ただ、どうも涼しい(寒い)場所に関する記事の編集が多いのではないかと、最近、ふと気が付きました。もしかしたら「冬」好きが関係しているのかもしれませんね(笑)。
- ブラックバーン計画
- ただ単に名称が格好良いからという理由だけで翻訳してしまったのが、ブラックバーン山。はい。本当にそれだけの理由で翻訳しました。我ながらアホです(笑)。2012年11月の事でした。しかし、日本語版に周辺の記事が少なかったために、周辺記事の翻訳までする羽目になってしまいました。というか、本当に日本語版って英語版の5分の1も記事が有るのかと思ってしまう位に、記事が無い! いやはや酷い状態でして、ランゲル山地の周辺記事も何も無い! 正直、放り出そうかなと思うほどに記事が無かったのです(汗)。まぁ、ブラックバーン山を翻訳してしまった事が、運の尽きでしたな(苦笑)。
- ともあれ、ぼちぼち興味の無い場所から翻訳をやめました。一応、周辺記事はそれなりに翻訳して、他の記事から内部リンクを辿って来られるようにもしましたし。何より、他に読みたい記事も有りますし、未だに翻訳が止まっている分野の処理とかもしないとダメなので……。
- はい。ついに放り出したとも言います(大笑)。と言うか、さすがに、もう無理(苦笑)。
- ただ、この山とかの分野は、巡回してメンテナンスしてくださっている方々が結構いらっしゃったので助かりました。記述を削る編集は誰でもできますけれど、加筆して記述を充実させる方向での編集というのは誰でもというわけはゆきません。こういう充実させる方向の編集は、とてもありがたいですね。何より私も勉強になります。そしてうらやましい分野だなと思いました。
- 1日で世界1周計画
- 地理関係の記事のアップロードで世界1周をしてしまおうという計画です。実は2014年から計画していたのですけれども、2015年3月2日についに実行に移しました。
- まず、私は翻訳が遅いので、2014年は、少し翻訳の速度を上げてみるという試みをしていました。しかし、私はWikipediaの編集が可能な時間が限られているので、翻訳速度を上げるとアップロードが間に合わないという罠が(笑)。そこで、記事のアップロード速度を上げる訓練を2014年末頃から行いました。そして、ようやく計画実行の運びとなったわけです。
- 今回は、アフリカ大陸から大西洋に抜け、大西洋をアイスランドまで北上して、フランスからヨーロッパを東進し、中東に寄り道してタイ王国に行き、カムチャツカを中継地点として北アメリカ大陸に入り、カナダから南下してチリまで行き、南極大陸に渡って、最後はオーストラリアへというルートです。
- 個人的には、Fushimi Lakeがハイライトだと思っています。まさか、こんな目立たない湖の記事が、ここまで膨らむとは思いませんでしたから。ちなみに、これは「伏見湖」と言う湖ではありません。Fushimi Lakeを書いている時は、検索エンジンが作り出す架空の湖「伏見湖」の亡霊が現れて一苦労でした(笑)。ただ、凄いもので、Wikipedia日本語版に私がこの記事を作成して暫くすると、私が主要参考文献として使用した州立公園のサイトが一発で検索されてくるようになった事には驚きましたね。まさか、外部の検索エンジンにまで影響を与えるとは思わなかったです。
- 最後に、今回の計画を実行した結果、多数の美しい写真と出会えました。特に、タイ王国のナームアンの滝、チリのユルトン湖とかは良かったですね。他にも、私が記事に使用した写真の撮影者の皆さんに、この場で御礼を申し上げます。
- バスク河川計画
- 2015年は、結局1年間断続的にバスク地方の記事の執筆や編集をしていました。
- 元々、素晴らしいと私が思った編集者(執筆者)の方々への敬意を表すために行った表敬編集の一環として、バスク地方の記事を1つ日本語版に増やそうと考え、バスク地方の記事に手を出した事がきっかけで、この計画が始まりました。主に表敬対象の編集者うちの1人が日本語版に記事を増やしたり加筆した事で、比較的重要な川である事が判ったウロラ川を、2015年1月5日に翻訳した事が、恐らく私にとって初めてバスク地方の記事を編集した瞬間になったはずです。少なくとも、それ以前にバスク地方の記事を編集した記憶は無いです。
- 歴史的に見ると河川は道として利用され、各種用水としても利用されてきたわけですから、行政区域の中央部を流れる河川の記事は、間違いなくその地域の根幹記事の1つです。そんな事もあって、やや気後れしたのですけれども、私の書いた記事でもWikipedia日本語版に記事が無いよりはマシだろうという事にして書いてみました。
- バスク地方の記事には、少なくとも3人の力ある編集者が関わっていらっしゃったので、しかも、私が苦手とする記事が、すでに比較的揃っていたので、面白いように内部リンクがつながり、また、日本語版にある記事の記述を参考にする事もできた上に、バスク語の片仮名転記についてまで教えていただけたので、ややマイナーな川や、それに関連する事項の記事の執筆にまで手を出して、本計画に発展しました。正直、ここまで大きな計画に発展するとは思っていませんでしたね。いや、本当に皆様の御蔭です。
- バスク河川計画を終えて感じた事は、バスク人の知的レベルの高さです。たったの数十万人しかいないバスク人(バスク語話者)が、すでに2015年時点でWikipediaバスク語版で20万記事執筆を達成していて、しかも、画像や出典も豊富に用意してある事には、正直なところ驚きました。1億人を超える話者がいるのにもかかわらず、2015年時点でたったの100万記事執筆ですら達成できずにいるWikipedia日本語版とは大違いですね。さらに、Wikipedia以外に目を向けても、よくぞたったの数十万人であれだけの文書を用意したと驚きました。ネット上だけで幾らでも出典を拾ってこられる程なのですから。もしも、もう少しバスク人が多ければ、とっくにWikipedia日本語版など、バスク語版に凌駕されていたでしょう。そんな事もあって、この計画を終えた今、バスク人には、より敬意を表するようになりました。
- 太陽熱発電計画
- 2000年代に本格的に動き出し、2010年代に加速度的に発展した分野です。持続不可能な文明を、持続可能にするためにヒトが行った努力の一環のためですね。
- 2010年代最後の年であった2019年に至っても、Wikipedia日本語版には関連記事があまりにも少なかったので、手入れを行いました。この分野はスペインが先進地域の1つなので、スペイン語が読めるようになってきた事は、大きかったですね。
- なお、日進月歩の分野の1つで、情勢が動き続けているので、とりあえず、メンテナンスの手間がかからない、確定した部分を中心に、記事を増やしてみました。
なんとかしたいと思う事
- スタブテンプレート全体の整列
- このままだと見難いし、使い難いので、自分で使うために整理してみました。
- /スタブテンプレートの整理
- しかし、どうにも、あまり使い易くはなりませんねぇ。何か良いアイディアは……。
- Wikipediaの索引の整理
- 索引の登録のされ方が、統一されていないのは、痛いですね。
- ただ、議論に関われるほど、頻繁に顔を出せないので、提案などは差し控えているのですけれども……。とりあえず、修正できる部分(登録順の修正、分野のミスの修正など)の修正をする事とかを、ボチボチ実行しています。まぁ、これも頻繁にWikipediaに顔を出せない以上、なかなか厳しいのですけれども……。
- それにしても「曖昧さ回避」ページへのリンクは、その項目の一番上に持っていかないと、索引の意味が無い(勝手に主要記事を決めた自分勝手な索引になってしまって混乱を招く可能性がある)のに、なにゆえ、杓子定規に50音順にしてしまう人がいるのか理解に苦しみます。例えば「XXXXX (曖昧さ回避)」を「XXXXX」の下に記載する意味が判りません。
- それから、分野を記載しない人がいる事も、困った話です。その分野に精通していれば不要な「分野の記載」ですけれども、そうでない人には、必要な情報なのですから。
- もう少し、初めて見る人に優しい索引を目指す人が増えて欲しいと、希望しています。初めて索引を見ても、一目で意味が判るのであれば、いつも索引を使っている人ならば、絶対に混乱しないわけで、結局、全ての人の利益になるはずだと、私は思うのですけれども。
- なお、かつては「曖昧さ回避」という、Wikipediaだけでしか通用しない特殊用語を、わざわざ「曖昧」などと省略して、初めて索引を見る人を混乱させる要素(Wikipediaの常連には曖昧と略す事が常識でも、それでは隠語になってしまう。曖昧には「ファジー」という別な意味が有るのだから、混乱を招く可能性が有る要素と言える)を増やす人が多数いた事にも理解に苦しみましたけれど、これに関しては、2010年代終盤には、ほとんど見かけなくなりました。この点は良くなった思います。
その他の行動
次項の編集方針にしたがった編集。
編集方針
- 明らかな矛盾や明らかな間違いでない限り、なるべく元々の記述を残す。
- 加筆の際は、元々の記述を活かすよう心掛ける。
- ただし、宣伝・売名など、絶対に中立にはなり得ない記述は除去する。
- 現象だけではなく、その理由を書くようにする。
- なるべく主語を省略しない。
- 多少長くなっても、誤解を生まないような文章にする。
- 略語はなるべく使用しない。
- 隠語は使用しない。
- 長過ぎる文章の分割。長い文章は、読みづらいので良くない事を忘れないようにする。
- 逆に、3語文や4語文が連続するような箇所があった場合は、箇条書きが適する箇所ならマークアップを行い、 単に文の作成の失敗なら改善を行う。
- つながりの悪い文章の修正、整理、接続詞挿入、入れ替えにより、文章化する。
- 読みづらい部分に読点や助詞の追加を行う。
- 同音異義語で混乱しないよう、漢字を使用する。
- 平仮名を使うと、 かえって 読みづらい部分を漢字に変換する。
- 助詞と同じ平仮名は読みづらいので、そのような平仮名を、助詞以外では可能な限り使用しない。
- 漢数字、特に「一」は「ー」などと見間違うため、可能な限り使用しない。
- どの言語の話者でも読める、算用数字を優先して使用する。
- 太字を適宜用いるなどして、なるべく読み易いようにする。
- 孤立記事をなるべく無くす。
- 記述内容の理解を助けない無意味な内部リンクは解除する。
- なるべく内部リンクを最適化する。
- 単位はSI単位系を基本とし、正しく用いる。
- 上記の中で、略語について少し書いておきます。私は、特に医療関係の分野での略語濫用は甚だしく、無用な混乱を招いている上に、何より大変読み難いと思っています。例えば「HEV」という略語を、ある分野では「Hepatitis E virus」つまりE型肝炎ウイルスの意味で使用し、またある分野では「high endothelial venule」つまり高内皮性小静脈の意味で使用するといった有様です。探せば幾つでも出てくるでしょう。恐らく、医療ミスの原因の1つも略語の濫用にあるように思います。ともあれ、ここはWikipediaであって、特定の分野の人間だけが見るための内輪の文章ではありません。よって、略語は極力使用しないようにします。略語の濫用が行われている記事については、可能な範囲で是正作業を行っています。
- それと単位についても、少し書いておきます。
- 単位は非常に重要な要素です。単位が不正確だと、多くの数値が意味を持たなくなります。そして、それは百科事典として致命的な欠陥になり得ます。
- 数多く見かける誤りとして「キロ」が挙げられます。これでは、長さなのか、質量なのか、体積なのか、周波数なのか、それとも違う物なのか全く判りません。なぜなら、これは単位ではなく、単なる接頭辞だからです。このような誤りが無くならないのは、恐らく、Wikipedia日本語版のスタイルマニュアルの欠陥も一役買っているのでしょう。国際的に通用する「kg」を「キログラム」と書くように指示していたり、同じく「km」を「キロメートル」と書くように指示していたりするために、長過ぎて省略したくなるのだと思います。
- その上、組立単位の場合は、Wikipedia日本語版のスタイルマニュアルに従うと、もはや読み難くて仕方がありません。スタイルマニュアルの方式だと、例えば「m/s2」は「メートル毎秒毎秒」と書く羽目になってしまいます。さらに複雑な組立単位では、もはや破綻します。
- しかも、国際的に通用するSI単位は、変な片仮名転記など行わずに、そのまま用いておけば、たとえ日本語を読めない者がWikipedia日本語版から数値だけを参照しようとした時に、大きな助けになり得ます。自分の読めない言語版から数値を拾ってくる時の事を考えていただければ、納得できるのではないでしょうか。国際的に通用する部分は、そのままにしておく事が、Wikipedia全体にとっての利益につながると私は信じています。
- 国際的に通用する単位は、日本語でも通用するのですから、Wikipedia日本語版の利益にも反しません。
- なお、上記の他に、断定は慎重に行う事を心掛けています。ルール『言葉を濁さない』に関しては、必要に応じて意図的に守りません。例えば、恐竜を絶滅させたとされる隕石は海底に落ちたと言われていたのに、実際には、ユカタン半島に落ちていました。例えば、18族元素に化合物が存在しないと言われていた(最近まで大学でもアルゴンより軽い18族元素に化合物は存在しないと教えられていた)のに、実際には、特殊な条件ではあっても化合物が存在します。このように、正しいと信じられてきた事が幾度となく覆されています。他にも、泥炭が形成されている現場を我々は直接見る事が出来ますけれども、縞状鉄鋼床の形成される現場を、我々は見る事が出来ません。泥炭の形成のように実際に観察できる内容は断定形で書くべきです。しかし、縞状鉄鋼床の形成のように観察できない内容は「考えられている」「言われている」などと書くべきでしょう。
- 原則として『言葉を濁さない』ようにはしますけれども、ほぼ正しいと多くの人間から支持されているものの、誰も目にしていない事象については、このルールを敢えて無視します。もちろん、だからと言って、信憑性の低い内容を書くつもりはありません。
- また、そもそも誰であれ公正中立であるという事は、あり得ないので、公正中立な記事を書く事は誰もが不可能であり、つまり誰もが必ず偏っているのであり、したがって、これについても守る事はできません。公正中立な記事を書けというルールについては、個人個人の編集においては建前であると理解しています。
- ともあれ、いかに編集を重ねようと、中立な記事はあり得ませんけれども、中立に近い記事というのは、多くの人が元々の記事の記述を活かす方向で編集する事でしか、実現し得ないと考えます。したがって、私も「加筆の際は、元々の記述を活かすよう心がける。」という編集方針を掲げています。また、もしも1つの立場からだけ書かれた記事を見つけた場合は、そして、その内容が別な見方も可能である場合には、別な見解も加えるようにしています。もちろん、自分で記事を書いた時も、複数の説を挙げられる場合は、列挙するようにしています。
- ただし、宣伝などはそもそも情報発信者が自身にとって都合の良いように記述した文章であるわけですから、中立であろうとする立場とは対極であるため、これを除去する事によって、より中立に近い記事にします。元々の記述を活かすと書いているのは、あくまで元の記述が宣伝などでない場合に限った話である事を、断っておきます。(より詳しくは宣伝は記事の中立性を失わせるも御覧ください。)
翻訳について
- 適切な補足を行いながらの意訳を目標とし、理想としています。マニアック過ぎて伝わらないでしょうけれども、映画『アポロ13』で、燃料電池を2つ停止させる時のジム・ラベルの言葉を、市販されているDVDなどでは直訳して「燃料電池をシャットダウンしろと?」と半分英語のままで、半分しか日本語になっていない状態なのです。これはいただけません。こういう翻訳はしたくないと考えています。せめて「燃料電池への酸素供給をとめろと?」程度の翻訳は、行って欲しいと思いました。しかし、どこぞの放送局で独自に翻訳した版では、「全てぶち壊しにするつもりなのか? 燃料電池を切るってのは、そういう事だろう!」と、作品全体、史実、用語解説を全て一言でこなす見事な翻訳を行い、声優に演じさせていました。こういった鮮やかな翻訳を理想としています。
- ちなみに、基本的に興味の有る記事しか翻訳する気は無いのですけれども、たまに偶然見た記事を勢いで翻訳してしまう場合もあります。それにしても、英語の文章を日本語に翻訳していると、文章の書き方に文化の違いを感じます。文章の並び替えをしないと、日本語の文章として不自然だったり、さらには日本語の文章にならない場合もありますものねぇ~。
- なお、翻訳していてキツイなと思うのは、Wikipedia日本語版に私が翻訳したい記事(本丸)に加えて、その周辺記事までも日本語版に無い事(堀や城壁が幾重にも張り巡らされている事)が多々ある点です。そんなわけで、本丸を攻めようにも、まず堀を埋めたり、城壁を破壊したり、城門を破ったりしないとイケナイのがキツイ。そして、いざ攻め込んでみると、しばしばさらに翻訳しないとダメな別な記事(伏兵)が出てくるのがキツイ。やっとWikipedia日本語版に記事が有ったと思ったら、その記事も翻訳や加筆が必要だったりする(自軍の拠点を補修しないとならない)事がしばしば有る。さらに、下手をすると城攻めをする前に、幾つかの関連記事を翻訳しないとダメだったりする(出城が存在する)事も有るのがキツイ。そして、また伏兵が現れる……(汗)。ここで、自軍の拠点を補修しないとならない箇所が、さらに出てきたりする……(滝汗)。
- ……Wikipedia日本語版って「本当に規模の大きなWikipediaなのかなぁ~?」と思ってしまいます。何故Wikipedia日本語版には、これほど記事が無いのだろうか……。
- ただ、嘆いていも仕方が無いので、私は私のペースで翻訳をしてゆこうと思っているのですけれど、残念ながら翻訳断念に追い込まれる(敗走する)場合も、しばしばです。
- 参考までに、こっそりと、個人的な興味の関係で、バスク語を少し使えるようになりたいという思いはあります。
- ただ現状で最優先にしたい事は、もっとスペイン語を読めるようになる事です。スペイン語版からの翻訳もボチボチ始めていますけれども、ようやく簡単な記事を翻訳できる程度です。しかも英語の翻訳の数倍の時間がかかっています。一応、英語が判れば、だいたい意味が判る事も多いのですけれども、英語ならば辞書が無くともだいたい意味が判るのに対して、現状の私ではスペイン語は辞書が片手に無いと読めない点が厳しい。つまり、スペイン語の翻訳に苦労している大きな理由の1つは、単に私のスペイン語の語彙力が不足しているからですね。何と言いますか、初めて英語を勉強し始めた頃の事を思い出しました(笑)。この問題は、私が努力するしかありませんね。
- ただ、もう1つの大きな原因は、スペイン語の欠点だと言える、男性形と女性形を排除できていない事です。これは私のせいではなく、スペイン語が悪い。スペイン語が英語のように世界言語になれない大きな理由は、この点だと思います。
- それに対して、英語の最大の欠点は、移入した単語の発音をそのままにする不精を繰り返してきたせいもあって、発音がデタラメと言いますか、綴りと発音が一致しない事ですけれど、殊に翻訳する分には、あまり困りませんものね。英語が男性形と女性形を排除した事は、大正解でした。スペイン語の発音は、英語と比べれば、かなり規則的なのですけれど、それぞれの単語が「男だ女だ」と言われても、ネイティブでない人間には、その判断基準が判らないですから、本当に男性形と女性形は厄介です。
- もっとも、どの言語にも欠点は有るので、仕方が無いのですけれどもね。
- ちなみに、日本語の最大の欠点は、恐らく、主語の省略を、安易に許容している点です。そのせいで、日本語は内容が非常に曖昧になり勝ちであり、論述して他人に読ませる準備ができていないと言わざるを得ない言語なのです。したがって、よほど書き手が気を付けないとイケナイわけですね。
- さらに問題な点は、日本語ネイティブの中に、日本語の曖昧性が異常な程に高いレベルだとは感じていない人間が数多くいるためでしょうけれど、編集が重ねられるにつれて、記事の記述内容が曖昧になってゆく例が散見されますし、そもそも初版が曖昧な文で満たされている例も散見される事です。
- その上、主語の省略に味を占めたのか、体言止めを多用する事で「(主語が)行った事」なのか「(主語に)行われた事」なのかまで曖昧にするのだから困ります。つまりは述語の破壊ですね。
- 他にも、語尾まで曖昧にしたがる傾向が見え隠れするのですから、本当に困ります。例えば、別に「(その状態に)なった」わけでもないのに「になる。」と「なる」という言葉を曖昧に用いたりする事が代表例ですね。
- 日本語は、漢字の他に平仮名も併用した事で、極めて効率良く記述できるわけですけれど、表音文字である平仮名を導入した弊害として、平仮名を用いた部分は、意味を曖昧にしてしまい易い事が挙げられると思います。その点、スペルが決まっている英語などではそうはゆきません。さらに、英語などは主語の省略も基本的に許されませんから、極めて高い論理性を求められますけれど、日本語にはその厳しさが無いのです。結果、書き手が気を付けていないと、記述はどんどん曖昧になってゆくのでしょう。
- ともあれ日本語は、表意文字の漢字で大体の意味を伝えられ、表音文字の平仮名を併用する事で中国語のような文字数の爆発的増加を防ぎ、かつ、漢字と混交させる事で文章を見易くする事まで可能で、さらに強調のための表音文字の片仮名まで使えるなどといった長所は有るのですけれども、こんな曖昧な言語では世界言語足り得ないだろうなぁと、英語、スペイン語、そして話者が少数ながらも一目置かれているバスク語を見ていて納得したのでした。
- ひとまず、私は他言語と比較した事によって見えてきた、日本語の欠点に注意を払いながら、翻訳をしてゆきたいと考えています。
- なお、日本語への翻訳をしていて感じる事は、たったの数十文字でスペルを組むような非効率的な事をしなくて済むように漢字を整理してくれた古代中国人と、平仮名を開発して漢字と混交させてくれた平安時代の人々と、片仮名を開発してくれた仏教徒への感謝の念なのでした。
各月間賞の投票について
知人に私G-Soundsの各月間記事賞の投票は不公平なのではないかと疑問を呈されたので、投票基準のうち、開示が必要だと思われた基準を以下に開示しておきます。特に読んでいただく必要はないのですけれども、私による投票が不公平だと感じた方は、まず以下を読んでください。その上での御批判であれば、謹んで受ける所存です。
月間新記事賞
まず、以下の条件に当てはまらない限り、そもそも私は選考の対象にしません。
- 宣伝ではない事。宣伝につながる記事ではない事。
- (宣伝と見なす例1) 個人商店の類。歴史も不充分。
- (宣伝と見なす例2) 買収や合併や社名変更を行ったわけでもないのに、歴史の短い企業。
- (宣伝と見なす例3) 個別商品の類。歴史も不充分。
- (宣伝と見なす例4) ノーベル賞を取ったなど、非常に大きな業績の無い一個人・グループ。
- (宣伝と見なす例5) 特定の者にとって利益となると考えられる記述が目立つ記事。
- 記事のほぼ全体が日本語として大きな問題が無く、理解するのに支障が無い。大きな論理矛盾も認められない。
つまり、宣伝ではなく、かつ、記事の根幹部分に日本語としては大きな問題が無く、その記事の根幹部分に矛盾も無い場合に、初めて選考対象とします。
Wikipedia日本語版にはうんざりするほど、小さな店やら、売り出し中の人物やら商品やらの記事が存在しますし、毎日のように新たに執筆されていますけれども、それらは全て選考の対象外です。どんなに内容や出典が充実していようとも関係無く、選考対象外です。むしろ、宣伝に当たるので、削除すべきだと考えています。そして、そのような記事と判断した段階で、もはや記事内容も一切読みません。逆に、宣伝に当たらない記事については、投票する以上、表彰候補記事の全てに目を通す事はしています。
ともあれ、上記を満たしている場合は、以下の点を考慮して投票を行っています。
- その記事の内容と、関連する事項が多岐にわたり、その記事内容を理解する事が重要と考えられる。他の事物を説明するために必要な記事である。
- 他言語版には整備されているのに、日本語版に記事が存在していなかった。
- その記事の内容を知っていると、様々な事に応用できる。他の知識とつながる内容である。なお、この基準に関しては、他言語版に記事が有るかどうかは無関係です。重要な知識と言えるかどうかです。これに関連して、世界的に見て重要な知識と言えるかどうか、世界的に見て重要な事物であるかどうかも評価基準としています。
- 分野横断的な視点で記述が行われている。
- その記事の内容が書かれた日本語資料が非常に少ないため、日本語で書かれている事だけで意味が有る。
- もちろん、記事内容がある程度以上に充実している。
以上に当てはまる場合は、投票を優先して行っています。つまり、加点対象です。
なお、以上に加えて、比較的大きな加点を行う基準として、
- 記事内容の理解を助ける、適切な画像が表示されている。または、適切なグラフや表などが存在する。ただし、画像やグラフや表の形にするのがそぐわない内容の場合は、画像やグラフや表が存在しない事によって不利にならないよう、補正を行う。
この基準が存在します。しかし、ただし書きが有る事からも明らかなように、画像を表示させるべき記事に表示させていない場合や、グラフや表を作るべき記事なのに作成していない場合などでない限り、補正を行うため、画像や表やグラフが無くとも比較的影響が小さいようです。むしろ、有るべき画像やグラフや表が存在しない時に、この加点を受けられない事による影響の方が大きくなりがちです。
その他に、小さな加点を行う基準として、
- 説明の仕方が上手いので、判り易い。または、判り易くなるように、補足説明を入れている。その分野を専門に学んだ事が無くとも、充分に理解し易い。なお、適切な画像やグラフや表が有ると、理解し易くなるので、この加点を取り易くなります。
- 単位を正確に用いている。
- 翻訳が鮮やかな意訳で、原文の意味を上手くとらえている。
- 冒頭文に出典など付けるまでもなく、本文を読めば冒頭文に書かれている内容は全て出典付きで網羅されている。なお冒頭文などに、明らかな事であって出典が不要な内容を含んでいる場合も問題はありません。同様に、論述を行い、論理的に明らかであって出典が不要と考えられる記述を含んでいる場合も問題はありません。
- 日本語として意味が通らない部分が存在しない。
これらに当てはまる場合は、投票するかどうか迷った時に、私に投票行動をとらせる方向に修正が加わります。
対して、以下に当てはまる場合は、記事のでき自体は良くとも投票を行わない場合があります。
- 局所的な事物。これに関連して、日本国内だけに関係する事物。特に市町村単位だけに強く関連する事物。世界的には注目されていない事物。
- (例1) 人口の少ない都市で、数百 km圏内に大きな都市が他に存在する場合。
- (例2) 交通の要衝、何らかの産業の中心地、多くの観光客が訪れる場所などといった目を引く特徴を持っていない都市。
- (例3) 単なる1つの建造物。さしたる特徴も見られない、または、世界的・その地域全体的に見れば、どこにでも有るような特徴ばかりが目立つ。
- 物事の枝葉に当たる事物。
- 記述が「井の中の蛙」状態であって、世界的観点からの記述になっていない。いわゆる国際化が必要とされる記事。
- 記事内に論理矛盾が有る。ただし、例えば記事の主題について「矛盾が存在する事」を説明している場合は、この限りではありません。
- まだ歴史の浅い事物。ただし、最新の知見などである場合は、この限りではありません。
この言わば減点基準に当てはまる記事、それも複数基準に当てはまる記事は、私による選考にとっては非常に不利です。私の知人が指摘した私による不公平な投票は、この基準に当てはまる場合でした。もっと言えば、上記の加点基準と減点基準のせいで、逆転が起こった場合でした。ですので、この場に開示しておく事にした次第です。
なお、ここまでの説明で明らかですけれども、減点基準にこそ該当しないものの、加点基準に該当しなかった場合は、私による選考において、やや不利になる事も付記しておきます。例えば、数学関係や法学関係の記事などに有りがちですけれど、その分野の人間だけのための記事になっていて、他の分野からの視点に欠ける記事は、分野横断的と言えませんので不利になります。分野横断的になっていない場合、私が他分野の視点から加筆を試みたりする事があります。この私による加筆の結果、分野横断的な視点で記述が行われた記事になる事があり、その場合も加点対象としています。他にも、例えば、単位が不正確な記事を、私が修正して正確な単位に変更した場合でも、加点対象としています。しかしながら、投票を行うからといって、全ての選考対象記事に同様の加筆や修正を行う義務を、私は負いません。そこまでの責任は無いと考えています。
月間画像賞
- 描かれた事物、または、撮影された被写体に関する画像の数が少ない。つまり、Wikimediaにとって希少価値が有る。
- 撮影技術や撮影タイミングなどが難しい。その分、貴重な写真と考えられる。
- その画像が存在すると、事物の理解の助けになる。
以上に当てはまる場合は、投票を優先して行っています。ただ、画像作成者の方には大変申し訳ないのですけれども、画像については美しいと私が感じたかどうかという、非常に主観的な事も選考に関係してしまう点だけは、御容赦いただきたく思います。この点だけは不公平かもしれません。どうしてこうなるのか考えてみると、画像ファイルには短い説明が付記されている事はあっても、基本的に画像その物の見た目での選考になりがちだからではないかと推測しました。ただ、仮に美しいとは思わなくとも、上記の基準に当てはまっていて重要だと考えた画像については投票を行う場合もあります。
以上に加えて、2019年1月以降の投票からは、画像ファイルに付けられている説明が、その画像を記事で使用する上で有用な物になっている場合は、加点を行う事にしました。画像の制作者によって適切な説明文が付けられている事によって、記事での画像の利用が行いやすくなると考えられるためです。……これで、少しは画像の選考に関する不公平感を取り除けるでしょうかね。
月間強化記事賞
概ね、上記の月間新記事賞の基準に従います。
ただし、こちらは加筆の労力も加味します。例えば、元々充実していた記事をさらに充実させるのは非常に大変ですから、これは評価されるべきでしょう。この意味において、Wikipedia日本語版に元々充実した記事の多い日本の事物に関する記事を大幅に加筆した場合については、新記事賞の選考と違って有利だと言えます。また例えば、比較的、出典にできる良質な資料の少ない、または、手に入り難いと考えられる記事を加筆した場合も、資料を探すだけで大変ですから、投票を行う場合があります。
それから、その記事の内容を理解するための助けになる良い画像を増やした事なども評価されるべきだと思います。そのような画像を追加した場合は、加点対象としています。表の追加、グラフの追加、概念図の追加、フローチャートの追加なども同様です。他にも例えば、その記事の主題の背景となる事柄に関する記述の追記、その記事の主題についてより広い視点・分野横断的な解説を追記した場合は、特に高く評価します。
逆に、事実上の書き直しであれば、新記事賞で表彰されるべきであって、こちらの候補に挙がっていた時は、如何な物かと考えています。このような場合は、投票しない場合があります。
この他、加筆は大変だっただろうと思うものの、元々の方がコンパクトにまとまっていて良かった、または、文脈や文章の流れが良かったと感じた場合は、投票を行いません。私が投票を行っている月であるのにもかかわらず、充分な文章量の有る記事に対して大幅な加筆を行った記事に対して、私による投票が無い場合は、分割するなりした方が良いとか、元々の文章の方が良かったとか、私が感じたケースであることが有り得ます。特に文章量が大幅に増えた場合は、例えば「概要」節を設けるなどして、記事内容の概略を記していない記事については、読者に読ませるつもりのない不親切な加筆と見なし、投票を行わない可能性が上昇します。
それから、月間強化記事賞では、初版執筆者と主加筆者が同一である場合は、投票しないことがあります。ただし、これは単に初版の執筆を続けているだけと見られる状態であるのにもかかわらず、月間強化記事賞の候補に挙がった場合に限ります。2018年11月期の月間強化記事賞の候補に、この条件に当てはまる候補が挙がっていたので、この条文を追加しました。いくら何でも、これは賞の趣旨に反しているのではないでしょうか。まさか、こんな候補が出てくるとは想像していませんでしたね。
なお、月間強化記事賞の選考においても、上記の月間新記事賞での選考除外基準は用いています。したがって、選考除外基準に該当する記事と判断した時点で、いかに労力のかかる加筆を行っていようとも投票を行いません。
自己紹介
私の考え方の一端
- 著作権の保護期間は、作者が死亡した時点を以って保護期間を打ち切る、もしくは、作者及びその配偶者の死亡を以って保護期間を打ち切るべきだと考えています。著作権の保護期間の延長は新しい作品を産み出す際の障害にしかなりません。そうすると、結局、あらゆる分野での制作活動が尻すぼみとなるため、有害です。具体的な名前は敢えて挙げませんし、どこがやっている事なのかも敢えて言いませんけれども、ただ単にネズミをキャラクターにしただけで訴えかねない、水の分子模型を逆さにしただけで訴えかねない、そんな事をしているのを見れば、有害である事は感覚としても判り易いでしょう。無論、他人の作品を自分の利益のために用いる、偽物や海賊版などは認められません。しかし、所詮、制作活動は模倣に始まり模倣に終るのだという事も頭の片隅に置いておくべきでしょう。それに、だいたいにして作品を産み出してもいない者が甘い汁を吸い続けている事は、妙な話です。もちろん家計を同一にしている配偶者の事については考慮せねばならないでしょう。でも、それ以上の保護は不要であり、有害であると考えます。よって、当然ながら保護期間の更なる延長など認められません。また、他者が甘い汁を吸う構造を助長しかねない、著作権の非親告罪化にも反対します。そもそも自身の作品をどのように管理するかは、全て作者に委ねられるべきであり、他者がとやかく言うべき事ではありません。それこそ作者本人が持つ権利の侵害です。
- 死刑制度については、殺人が罪になるのであれば、死刑制度が有る事は、おかしな話です。またヒトは必ず過ちを犯します。不可逆な変化を与える死刑は、ヒトが行って良い事ではありません。死刑を執行する者や死刑の判決を出す者や死刑制度を支持する者は傲慢以外の何物でもないと考えます。
- それに死刑制度を良しとするという事は、自分の論理で正当な殺人であれば、殺人に問題は無いと言っている事と同義ですから、死刑制度に賛成している者は、誰に殺されようとも文句を言う事は出来ません。殺人犯の論理によれば、自分が行った殺人は、正当な殺しなのですから。
- 当然ながら、「しつけ」や「教育」と称した暴力を正当化する事についても良しとしていません。これを正当化する事が、虐待の温床になっているのは明らかです。死刑を筆頭とする暴力の全面的な違法化こそ正しいと考えます。しつけや教育と称した暴力を正当化する者は、同じく、いかなる暴行を受けても文句を言う事は出来ないとも付言しておきます。そのような人は、いかなる暴力を受けても訴えたりしないでください。無論、あなた自身が殺されたとしても、あなたを殺した人を罪に問わないように遺言を書いておいて、その遺言を常に持ち歩いてください。そこまでの覚悟が有るのであれば、死刑のような暴力制度に賛成していただくのは御自由に。それはそれで言行一致で立派だと思います。しかし、暴力を正当化する事は、教育に取っても、安全に取っても、マイナスに作用していることを、考えていただきたくは思いますけれども。
- なお余談ながら、日本の場合、終身刑(仮釈放なし)を追加するべきだと考えます。また無期懲役にも、最低懲役期間(この間仮釈放も無し)を判決の時に言い渡せるようにするべきだと考えます。そんな事をすると、ただでさえ刑務所が足りないのだから困るという声も有りますけれども、刑務所を作って欲しいと言っている自治体も有るのですから、早急に建設するべきです。いくらでも無駄に税金を使っているのですから財源くらいはどうとでもなるでしょうし。
その他の情報について
- とりあえず、気になった所を編集しています。「おまかせ表示」で移動している事もあるので、やや神出鬼没な面があります。長い間ROMだったのですけれど、誤字脱字が気になって修正してしまった事をきかっけに、少しずつ加筆などをするようになり、とうとうアカウントを取るに至りました。
- それから、HTMLについては、必要に応じて論理的タグを使うようにしています。物理的タグで充分と言えば充分なのですけれど、こっそりと論理的タグ使用運動(笑)を行っております。なので、私が加筆した記事には論理的タグが埋め込まれている事があります。ただ、全てのHTMLタグを手打ちする事が面倒臭くなってきたので、とりあえず、スタイルシートも扱える程度にはしました。ちなみに、Javaスクリプトなんて面倒臭い物は使いません。なお、プログラミングも、やっぱり守備範囲外……、だと思っていたのですけれども、最近Perlで私が欲しかった簡単なソフトウェアが作れてしまったので、全くの守備範囲外というわけではなかったみたいです。……結局、興味が有るかどうかの問題だった事に気が付いた今日この頃です。なお、プログラミングに関連して、半角カナについては、文字コードとして変な番号が使用されていて、これがしばしばバグの温床になっているので、私は半角カナを使用しません。ちなみに、パソコンでの日本語入力はローマ字入力で行っています。ですので、例えば「NI(に)」と打つつもりで「BU」と打ったり「NO」と打ったせいで、一見なんでそんなミスをしているのか判り難いミスをしてしまう事が、時々有ります。本人(私)は正しく打っているつもりなので、見落としたままアップロードしてしまった事まであります。気を付けてはいるのですけれども、100 %は防げないミスだと思います。無論、気が付き次第、私自身で訂正しますけれども、気が付かなければ訂正されないままになってしまいます。ともあれ、私のミスの特徴の一端を示すために、ここに日本語入力の方法を開示しておく事にしました。
- あとは楽譜ですね。一応、問題なく読めるのですけれど、ハ音記号は嫌いです。どうにも慣れません(笑)。ウィオラ奏者さんは大変だなぁ~って思っています。あと音を聴きながら移調楽器の楽譜を読むのは、もっと嫌いです。鳴っている音と楽譜の音が違うという事が、許せない(笑)んですよね。それと、加線が多い譜面は嫌いなので、オクターブ記号を使う方が私は好きです。ついでに言うと、音符を省略する記譜法は曲に対する愛が感じられないので嫌いだったりします。ちなみに、一応ピアノの演奏はできます。
- なお、冬好きなのは、寒い分には厚着をすれば問題ないからです。暑い時期は、早く初冬にならないものかと毎日思います。ついでに春になると、また憂鬱な暑い時期が来る、早く秋にならないかなと思います。あと、冬は私が最も嫌いな虫である、蚊と出会わない点が助かります。間違っても1年中蚊が出るような場所には絶対に住みたくないですね。ただ、好きな色は白ではなくて、緑系の色なのですけれども。ちなみに、私の最も嫌いな色は、青だったりします。
- それから蕎麦についてですけれども……。大抵の蕎麦にはソバの他に、つなぎとしてコムギも入っているので、栄養価を考えると蕎麦の方がいっぺんに色々な成分を摂取できる分、お得だと思います。なので、うどんと蕎麦ならば、蕎麦を食べないと損だと私は思います。ついでに、蕎麦湯も中々良い物ですし。しかし、東日本ではスープの塩辛い蕎麦が多く、西日本ではスープは旨くても蕎麦自体がイマイチな事が多いので、残念です。ダシがしっかりと出ているスープと香り高く旨い蕎麦という私が満足するような蕎麦には、簡単に出会えない事が残念でなりません。
- 最後に、……もはや何も言わずともお気づきでしょうけれど、私は酒好きです。これだけ酒やカクテルの記事に関わった過去を持っていれば、バレますよね(笑)。ただし、私は大の嫌煙家であり、全席禁煙でないバー(酒の香りを楽しめないバー)には基本的に行きません。酒の香りを楽しむ事を邪魔する権利など、喫煙者には無いはずです。まして、三次喫煙を含めて、受動喫煙による害を他者に与えている喫煙者は、傷害罪で告訴されても文句は言えないのではないでしょうか。全世界で、公的な場での全面禁煙は当然の事であり、これが行われていない地域は、文化レベルが低いと言わざるを得ないでしょう。当然、公的な場所での全面禁煙が為されていない国を先進国などと呼ぶ事は、愚の骨頂と考えます。
- ……こんな所でしょうか。
- あっ、あと、編集方針と重複しますけれども、妙な略語は大嫌いです。例えばWikiとWikipediaは別物ですから、当然Wikipediaの意味でWikiという単語を使用する事など、有り得ません。ちなみに、WikipediaをWikiと略す事を問題視する記事によると、このような行うべきではない略語に対する嫌悪度による分類は、Lv.4からLv.5弱付近であるようです。……比較的強い地震が起こるようですね。
よく利用するページ
- どのように編集されてゆくのかを見る事を目的としています。
- 以前はWikipedia:短いページを加筆するべき記事探しに利用していました。ただ、効率が悪いという難点は有ります。それでも、たまに見ると思わぬ発見が有り、加筆のきっかけになる場合も有ります。
- 最優先で索引に載せないとイケナイ記事を探すために利用しています。
- このカテゴリの文章を参照しています。
- 時々様子を見ています。
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