利用者:G-Sounds/その記事では、理由を解説していますか?
この文書は私論です。一部のウィキペディアンが助言や意見を記したものです。広く共有されている考え方もあれば、少数意見の見解もあります。内容の是非については慎重に検討してください。 |
「その記事では、理由を解説していますか?」は、Wikipediaに関するG-Soundsの私論です。これは日本語版に限らず、全言語版のWikipediaの記事の品質を高める事につながると、G-Soundsは考えています。
要旨
[編集]まとめの節を参照してください。
本文
[編集]論理矛盾は記事の信頼性を失墜させる
[編集]2020年代に入っても、Wikipediaの記事を読んでいると、論理飛躍や論理矛盾を含んだ記述が散見されます。記事内に存在する論理矛盾は大問題で、記事内で論理矛盾が存在すると、どんな出典が付けられていようと、その記事は信頼が全くおけません。なぜなら、その記事の執筆や編集が、その内容を理解せずに行われた証拠だからです。少なくとも、その記事の編集に関わった誰かは、記事内の論理の破綻に気付けないレベルだった事を意味しており、そして、それが見落とされ続けている証拠だからです。
論理矛盾が存在している記事は、執筆に失敗した記事とも言えますから、何らかの方法で、その記事から論理矛盾を取り除く事が必要です。
論理飛躍の問題
[編集]もちろん、論理飛躍の存在も記事にとっては問題です。一見すると理由を解説しているように見えて、実は何の説明にもなっていない場合が、これです。説明の途中過程が抜けて落ちているせいで、その記事で解説している物事を、本質から理解してもらうための説明ができていないわけですね。
何らかの現象について説明している部分で、その現象が、一体どうして発生するのかを解説する事は、その現象を読者に理解してもらうためには重要です。しかし、そこで肝腎な理由の解説が抜けてしまっている事例が、2020年代に入っても見られるのです。
なお、理由の解説に関しては、文章に専門用語のような「keyword」を挿入する事で、省ける場合も有る事は確かです。しかし、それで充分に説明できているかどうか、慎重に検討する必要があります。特に、あなたが、その分野に精通した人物であればある程に、あなたが、その分野の記事を執筆する際に、より慎重さが求められると考えてください。なぜなら、その分野では当然の文脈であっても、一般的に見れば当然とは言い難い事例など、掃いて捨てる位に存在するからです。
Wikipediaは、ある特定の分野の専門家や、その分野を専門的に学んだ人物や、その分野のマニアのためだけに存在しているわけではないのです。これを忘れては、なりません。
無論、だからといって1つの記事の中で全てを説明する必要はないですし、それを省くために関連性の高い記事への内部リンクを作成もします。しかしながら、内部リンクに甘えて良いわけではありません。やはり、原則は順序立てて、論理飛躍が無いように、丁寧に解説するべきなのです。少なくとも、文章として読んだ時に、意味が通っている必要があります。当然の事のように思えるかもしれませんけれど、残念ながら、Wikipedia日本語版には2020年代に入っても、日本語として破綻した文章すら見られる位なので、気を付けるに越した事はないでしょう。
もっとも、あまりに詳述すると、その部分だけが異様に長くなり、記事全体として見た際には、かえって判り難くなる場合もあるでしょう。そのような時は「<ref>」の機能を使って、注釈を付けましょう。内部リンクで、内部リンク先の記事に解説を任せる事と併せれば、その分野に詳しければ、充分に判り易く、その分野の初学者にも判るように説明できる場合が多いでしょう。
理由の解説を避ける?
[編集]論理矛盾や論理飛躍が起こらないようにする、極めて消極的な方法として、理由を解説せずに、事柄だけを羅列する方法もあるでしょう。しかし、それではWikipediaの記事の品質として、不充分な場合が多いはずです。
そもそもWikipediaでは、基本的に箇条書きではなく、文章で論述する事が求められていますから、理由の解説を取り除く方法は、薦められません。
まとめ
[編集]何事でも、理由を知る事は、Wikipediaに限らず、物事を理解するために重要な事です。ですから、様々な事物について解説したWikipediaでも「なぜ、そうなのか」「どうしてなのか」など、きちんと理由を書く事を重視すべきなのです。
「その記事では、理由を解説していますか?」
Wikipediaで記事を執筆したり編集したりする際に、是非、心に留めてください。そうすれば、きっと、その記事の品質を向上させられるでしょう。