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利用者:G-Sounds/Wikipediaの記事の執筆は、創造的な行為です

「Wikipediaの記事の執筆は、創造的な行為です」は、Wikipediaに関するG-Soundsの私論です。これは日本語版に限らず、全言語版のWikipediaにおいて、記事の執筆や編集をする際に、留意しておく必要の有る事だと、G-Soundsは考えています。

なお、本稿に関しては、お急ぎなら「大きな誤解」の節のみ読んでいただければ、充分です。それ以降は「大きな誤解」に関連した、やや抽象的な補足説明が続きますので。

大きな誤解

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Wikipediaは、出典に準拠して執筆しなければなりません。このため、Wikipediaの記事の執筆に、文章作成能力や創造的な能力は、あまり必要とされないと誤解した発言が、時に見られますけれど、それは、大きな誤りです

なぜでしょうか?

その理由は、文章作成能力や創造的な能力が足りない状態で編集を行うと、百科事典の記事ではなく、出典の文章やデータの一部を抜き出してきた、単なる箇条書きのメモに成り下がるからです。そして、それは単に劣化した出典に過ぎないからです。そんな物ならば、出典を直接参照した方が早いですし、記述内容の取捨選択も行い易いでしょう。そして出典を見て、それで済んでしまうのならば、Wikipediaなど必要ありません。

Wikipediaの役割は、どこに有のでしょうか?

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Wikipediaには、幾つかの特徴が有ります。それを見れば、Wikipediaの記事の役割が何なのか、判ってくるでしょう。

  • まず、Wikipediaは紙媒体などではないので、字数制限が有りません。
  • そして、Wikipediaは論文や専門誌などではないので、専門家やマニアだけのための記事を書いていたのでは、意味が薄いのです。

この2点を併せると、字数が増えたとしても、専門家やマニアには当然の内容も含めて、順序立てて、可能な限り判り易く記述する事が大切だと言えそうです。何しろ、字数制限が有るのに色々と補足していては深い内容を書く前に字数オーバーに陥り勝ちですし、そもそも専門家やマニアのための文章であれば「冗長である」と言われて終わりですから、出典として用いた「専門的な資料」では、省かれている説明が、往々にして存在するためです。そこを判り易く説明する事が、Wikipediaの記事の役割の1つと言えましょう。

なお、Wikipediaで記事を公開する際には、隠語や略語を必要以上に使用していないかについても、必ず点検をしてください。特に略語は、しばしば分野外で全く異なる意味で使用されているので、混乱を招きます。さらに、その分野の初学者にとっても、隠語や略語の連続は、読み難い物です。そして、隠語や略語を排しただけでも、随分と判り易くなる場合が有ります。Wikipediaに字数制限が無い事を、思い起こしてください。

これに加えて、そもそもWikipediaは百科事典なのですから、分野横断的な視点が必要です。他の分野の用語と、整合性を持たせる必要も有るので、その記事での用語を機械的に選択して良いわけではない事も、忘れないでください。その上で、Wikipediaに字数制限が無い事を活かして、記事を執筆・編集してください。


ただし、もちろん、1つの記事だけで、全ての説明を行う事は難しいので、必要に応じて「脚注」の機能を用いたり、他の記事に説明を任せるための内部リンク仮リンクを作成するなどの手法も使います。そうしないと、1つの記事が長くなり過ぎる側面も有りましょう。

また、記事内で図や写真を適切に使用し、さらに、適切な説明文を付ける事で、随分と判り易く説明できる場合が有ります。この事も忘れないでください。

なお、その図や写真の説明文を可能な限り短くしたがる編集者が見受けられますけれども、それは誤りです。むしろ「数単語」の説明で足るような図や写真は、別に、その記事に無くても良い図や写真だという可能性も有ります。特に、数単語以内の説明で足るような図や写真が、ベタベタと多数貼り付けられた記事は、逆に図や写真を整理した方が良い場合も有ります。Wikipediaの機能として、Wikimediaの画像集へリンクする機能も用意されていますので、それで済ます選択肢も存在する事を、忘れないでください。

また、これに加えて、杓子定規に、記事の画像の1つ目は、最初に持ってゆきたがる編集者もいるようですが、そのような機械的な編集は、行うべきではありません。図や写真は、適切な場所に、適切な説明文と共に添える事で、効果的に機能するからです。

専門家やマニア向けでない文章の作成は、意外に難しい

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仲間内への文章ならば、少々の論理飛躍が有っても、仲間内での前提条件を共有できているために「甘え」が可能ですから、ある意味で「テキトー」な文章を書いていても、問題無く通じてしまう物です。ところが、それは専門家やマニアの間でなければ通用しない事も、往々にして有ります。そして、そのような状態の文章は、Wikipediaにおいては不適切です。

端的に言えば、Wikipediaの記事を、専門家やマニアのための暗号文にしないでくださいという事です。

もちろん、何故「その文章で理由の説明」と言えるのか「論理的に繋がった説明」と言えるのかについては、その分野に関する深い理解が必要な「説明」だったとしても、仕方が無い側面も有りましょう。それこそWikipediaには内部リンクの機能が有るのですから、keywordに「判らなければ、その先を読んでください」とばかりに内部リンクしておく方法は、有用です。きちんとkeywordに内部リンクしているのですから、それは単なる単語への内部リンクでもないはずで、記事内容を理解するために必要な内部リンクが作成できたはずです。逆に言えば、内部リンクを、赤リンクや仮リンクも含めて、適切なkeywordにのみ作成できる能力というのは、その分野に関して、一定以上に深い理解を基礎として成り立っているわけですね。

ただし、内部リンクだけに任せてしまうという説明の仕方は、特に高度な内容であればある程、不親切だという側面も有ります。また、それが狭い分野の内容であって専門書1冊を読んでも載っているかどうかといった知名度の低い内容であればある程、内部リンクだけに任せてしまうという説明の仕方では、なおさら不親切だと言えるでしょう。

ここで自分が、その分野の初学者だった頃の事を思い出してください!

そこに、たったの1文で良いから、簡易的な説明文さえあれば、わざわざ「重い教科書や参考図書類と格鬪する必要無かったのに」とか、それだけの事で「判り易かったのに」とか、思った事が必ず有ったはずです。同様に、1文では足りず、少し高度な内容なので「注釈が欲しかった」と思った事も、きっと有ったと思います。

そのような箇所には、既に初学者でなくなった自分には「当然の内容」だったとしても、そこに1文の説明を挿入したり、注釈を入れたりしておきましょう。Wikipediaの注釈の機能は、このためにも有るのですから。

なお、それでも説明し切れない深い内容の場合も、時には有ると思います。そのような場合には、どのような分野の資料を参照して学べば良いのかを書いておく事も、1つの方法と言えるかもしれません。

Wikipediaの記事執筆には、創造的な文章作成能力が必要

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ここまで読んでいただければ、いくら出典に準拠して書かなければならない物がWikipediaの記事であったとしても、出典の内容の一部を著作権侵害に気を付けつつ拾ってきただけでは、甚だ不充分だと判っていただけたと思います。

大切な事なので、もう1回だけ繰り返します。出典の文章やデータの一部を抜き出してきただけでは、単なる箇条書きのメモに成り下がるのであって、そんな物は、出典として使った資料が、劣化しただけの物に過ぎないという事は、絶対に忘れないでください。

Wikipediaの記事を、出典とした資料の劣化版にしないためには、次のような事が必要です。

  • 専門家やマニア向けの資料では「当然のように省かれている」内容を上手く補う。
  • 専門家やマニア向けの資料で用いる「その分野での略語や隠語」を、上手く一般的な語に翻訳する。または略記を排する。
  • 百科事典として、他の分野との用語の整合性を取る。つまり、分野横断的な視点で、用語を適切に選択する。
  • 図や写真を軽視せずに「適切な場所」に貼り付け、その付属説明文も吟味して、図や写真の付属説明文を「きちんと」書く。
  • 必要に応じて、概念図や表などを、新たに作成する。
  • Wikipediaの機能を、記事を整理するため、または、記事を判り易くするため、適切に利用する。

これらを考慮しながら、記事を執筆します。


そうです。出典の抜き出しメモの作成ではなく、創造的な執筆なのです!

きちんと適切に執筆されたWikipediaの記事には、そこにオリジナリティが存在します。