下長磯町
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下長磯町 | |
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北緯36度22分7秒 東経139度7分42秒 / 北緯36.36861度 東経139.12833度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 群馬県 |
市町村 | 前橋市 |
面積 | |
• 合計 | 0.65 km2 |
人口 | |
• 合計 | 627人 |
• 密度 | 960人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
379-2151[2] |
市外局番 | 027[3] |
ナンバープレート | 前橋 |
下長磯町(しもながいそまち)は、群馬県前橋市の地名。郵便番号は379-2151[2]。2013年現在の面積は0.65km2[4]。
地理
[編集]桃ノ木川右岸に位置している。
河川
[編集]- 桃ノ木川
歴史
[編集]江戸時代頃からある地名であり、前橋藩領だった。もとは上長磯村と一村で「長磯村」と称した。
年表
[編集]- 戦国時代 - 「大胡庄之内・・・長安村」の名が山内上杉氏所領として「上州之内 持分之事」(「彦部文書」)に見える[5]。
- 天正18年(1590年) - 平岩親吉が前橋城主となり、以後下長磯は江戸時代を通じて前橋藩領だった[6]。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行により、下長磯村は天川大島村、上大島村、女屋村、上長磯村、東上野村、野中村、小島田村、小屋原村、下大島村、笂井村、上増田村、下増田村、駒形新田と合併し南勢多郡木瀬村が成立する。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 南勢多郡と東群馬郡が統合し勢多郡となる。
- 昭和32年(1957年)
地名の由来
[編集]昔、この辺りを利根川が流れていた頃、川岸の磯であったからという[8]。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)8月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
下長磯町 | 227世帯 | 627人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 前橋市立永明小学校 | 前橋市立木瀬中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]鉄道駅はない。
バス
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道路
[編集]施設
[編集]- 下長磯稲荷神社 - 旧社格は村社[10]。4月15日に拝殿で奉納される式三番叟は、江戸時代中期にまで遡り、「下長磯の式三番」として記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に指定[11]、「下長磯あやつり式三番 附人形3個」として群馬県指定重要無形文化財に指定されている[12][13]。
脚注
[編集]- ^ a b “人口及び世帯数 - 町別住民基本台帳人口表”. 前橋市 (2017年9月5日). 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年9月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 第2章 人口 - 前橋市 2016年04月10日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 52–53.
- ^ 前橋市史編さん委員会 1973, p. 1039.
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 58–61.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 863.
- ^ “前橋市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則”. 前橋市 (2017年4月24日). 2017年9月16日閲覧。
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1231.
- ^ “国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 2024年7月29日閲覧。
- ^ “県指定文化財一覧|前橋市”. www.city.maebashi.gunma.jp. 2024年7月29日閲覧。
- ^ 木瀬村誌編纂委員会 1995, pp. 431–435.
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年7月8日。ISBN 4-04-001100-7。
- 木瀬村誌編纂委員会『木瀬村誌』1995年9月20日(原著1995年9月20日)。doi:10.24484/sitereports.101883。 NCID BN1378655X 。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。
- 前橋市史編さん委員会『前橋市史』 2巻、前橋市、1973年8月1日。