桂萱村
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かいがやむら 桂萱村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 桂萱村、上川淵村、下川淵村、芳賀村、東村、元総社村、総社町 → 前橋市 |
現在の自治体 | 前橋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 群馬県 |
郡 | 勢多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 17.04 km2. |
総人口 |
12,368人 (1952年9月30日) |
隣接自治体 | 前橋市、勢多郡木瀬村、荒砥村、芳賀村、南橘村 |
桂萱村役場 | |
所在地 | 群馬県勢多郡桂萱村 |
座標 | 北緯36度23分38秒 東経139度06分16秒 / 北緯36.39389度 東経139.10439度座標: 北緯36度23分38秒 東経139度06分16秒 / 北緯36.39389度 東経139.10439度 |
ウィキプロジェクト |
桂萱村(かいがやむら)は群馬県の中部、勢多郡に属していた村。現在の前橋市桂萱地区に相当する。
「桂萱」の地名は『和名類聚抄』に勢多郡の郷の一つとして挙げられた「桂萱郷」に由来する[1]。
地理
[編集]赤城山の南麓に位置する。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により周辺13村(上泉村、江木村、堤村、亀泉村、堀之下村、石関村、東片貝村、西片貝村、三俣村、幸塚村、上沖之郷、下沖之郷、荻窪村)が合併し南勢多郡桂萱村が成立する[2]。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡統合(南勢多郡と東群馬郡の統合)により勢多郡に所属する。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 三俣地区の一部が前橋市へ編入される。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 周辺1町5村(上川淵村、下川淵村、芳賀村、東村、元総社村、総社町)とともに前橋市へ編入され、前橋市桂萱地区となる。
行政
[編集]村長
[編集]氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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三野長十郎 | 1889年〈明治22年〉 | ||
田村庄作 | 1893年〈明治26年〉 | 県会議員 | |
兼子藤造 | 1898年〈明治31年〉 | ||
須賀政重郎 | 1900年〈明治33年〉 | ||
長沼佐文治 | 1912年〈大正元年〉10月25日 | 1914年〈大正3年〉6月20日 | 県会議員 |
中沢筆造 | 1915年〈大正4年〉2月6日 | 1919年〈大正8年〉2月5日 | |
同 | 1919年〈大正8年〉2月5日 | 1922年〈大正11年〉3月6日 | |
菅野宇平太 | 1922年〈大正11年〉12月5日 | 1926年〈大正15年〉12月1日 | |
大沢安造 | 1926年〈大正15年〉12月17日 | 1930年〈昭和5年〉12月16日 | |
田村庄作 | 1932年〈昭和7年〉5月14日 | 1936年〈昭和11年〉5月3日 | |
同 | 1936年〈昭和11年〉5月14日 | 1940年〈昭和15年〉5月13日 | |
同 | 1940年〈昭和15年〉5月14日 | 1944年〈昭和19年〉5月13日 | |
同 | 1944年〈昭和19年〉6月16日 | 1946年〈昭和21年〉12月3日 | |
笛木嘉久三 | 1947年〈昭和22年〉3月1日 | 1947年〈昭和22年〉4月1日 | |
同 | 1947年〈昭和22年〉4月5日 | 195年〈昭和25年〉3月27日 | |
須賀政助 | 1950年〈昭和25年〉4月27日 | 1954年〈昭和29年〉3月31日 | 前橋市と合併 |
地域
[編集]村内の大字
[編集]教育
[編集]小学校
[編集]- 桂萱村立桂萱小学校(現・前橋市立桂萱小学校)
- 桂萱村立桂萱小学校堤分校(現・前橋市立桂萱東小学校)
中学校
[編集]- 桂萱村立桂萱中学校(現・前橋市立桂萱中学校)
脚注
[編集]- ^ 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, p. 3.
- ^ 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, p. 236.
- ^ 桂萱地区自治会連合会 & 桂萱村誌刊行委員会 2006, pp. 236–237.
- ^ 勢多郡誌編纂委員会 1958, p. 1066.
参考文献
[編集]- 桂萱地区自治会連合会、桂萱村誌刊行委員会『桂萱村誌』2006年1月30日。
- 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日。