ハーバード大学に関係する日本人の一覧
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ハーバード大学に関係する日本人の一覧(ハーバードだいがくにかんするにほんじんのいちらん)は、ハーバード大学の日本人教員・卒業生等の一覧である。
特に著名な日本人
[編集]ハーバード大学で学んだり、研究活動や講義をしたりした日本人は数多いが、その中で特に著名な人物には、皇族(皇后)の皇后雅子(小和田雅子・1985年経済学部卒)のほか、学界では数学者の広中平祐(1968年-1992年教授、フィールズ賞受賞者)、小林俊行(2000年/2001年/2008年客員教授)、化学者の野依良治(1969年-1970年博士研究員、ノーベル賞受賞者)、岸義人(名誉教授、文化功労者)、経済学者の竹中平蔵(1989年客員准教授、政治家)、中谷巌(1973年博士号取得)などがおり、評論家・哲学者では鶴見俊輔(1942年哲学科を20歳で卒業、クワインがチューター)、小説家では村上春樹(2005年-2006年ライシャワー日本研究所客員)がいる。芸術家では、建築家の安藤忠雄(1989年客員教授)、音楽家の五嶋龍(ヴァイオリニスト、2011年物理学科を卒業)、実業界では新浪剛史(ローソン社長、1991年MBA取得)、三木谷浩史(楽天グループ創業者・会長、1993年MBA取得)、花沢菊香(社会起業家、慈善家、コロンビア大学理事 2002年MBA取得)がいる。日露戦争後の講和に尽力した小村壽太郎や金子堅太郎(1878年卒業)、戦前の軍人の山本五十六(1919年-1921年留学、元帥海軍大将)もハーバード大学で学んでいる。公衆衛生学・医学の分野では、社会疫学の先駆者としてイチロー・カワチ(2008年-教授)、分子病理疫学の先駆者として荻野周史(2015年-教授)がいる。
教員・研究者
[編集]現在
[編集]過去
[編集]- 相澤英孝 (客員教授、法学)
- 浅野豊美 (ライシャワーセンター研究員、1994-1995年)
- 新田英之 (客員研究員、工学、2014年)
- 安藤忠雄 (客員教授、1989年)
- 伊藤隆敏 (ケネディスクール客員教授、経済学、1992年)
- 出雲正剛 (教授、内科学)
- 岩倉正和 (客員教授、弁護士)
- 岩崎はる子 (准教授、文学)
- 岩原紳作 (ロー・スクール客員研究員・客員教授、法学、1981年・1991年)
- 江頭憲治郎 (ロー・スクール客員研究員、法学、1976年)
- 江田憲司 (国際問題研究所研究員、1987年)
- 大栗博司 (客員研究員、物理学者、素粒子論、1992-1993年・2016年)
- 小和田恆 (客員教授、法学、1979-1981年・1987年・1989年・2000-2002年)
- 神田秀樹 (ロー・スクール客員教授、法学、1996年)
- 香田洋二 (アジアセンター上席フェロー=Senior Fellow、元・海上自衛官・海将、2009年)
- 北川善太郎 (ロー・スクール客員教授、法学、1973年)
- 小林俊行 (客員教授、数学、2000-2001年・2008年)
- 櫻田嘉章 (ロー・スクール客員研究員、法学、1988-1989年)
- 佐藤隆三 (兼任教授、経済学、1983-2002年)
- 佐々木由香 (助教授、医学、放射線科)
- 重家俊範 (国際問題研究所研究員、外交官、1990年)
- 宍戸善一 (ロー・スクール客員教授、法学、2005年)
- 自見庄三郎 (公衆衛生学部主任研究員、1980年)
- 下谷政弘 (招聘教授、経済学、1999-2000年)
- 武隈慎一 (客員教授、経済学)
- 竹中平蔵 (客員准教授、経済学、1989年)
- 玉岡晃 (医学部ブリガム婦人病院神経疾患センター研究員、1989年)
- 野依良治 (1969年研究員として滞在、2001年ノーベル化学賞受賞)
- 原秀六 (ロー・スクール客員研究員、法学、1988-1990年)
- 松尾尊兊 (燕京研究所フェロー、歴史学、1968年)
- 村上春樹 (ライシャワー日本研究所客員研究員、2005年)
- 村瀬信也 (ロー・スクール客員研究員、法学、1974-1976年)
- 水野忠恒 (ロー・スクール、法学、1982-1984年)
主な出身者
[編集]政治・行政
[編集]- 池田千絵子(厚生労働省大臣官房総括審議官、新潟県副知事)
- 伊東香織(総務省国際部多国間経済室長、倉敷市長)
- 伊藤信太郎(衆議院議員、外務副大臣)
- 猪熊純子(東京都副知事)
- 上野宏史(衆議院議員、厚生労働大臣政務官)
- 大塚玲奈(国連開発計画環境専門官)
- 岡田康裕(衆議院議員、加古川市長)
- 岡村健司(財務省・国際局長、財務官)
- 加瀬俊一(外務省参与、国連大使、内閣総理大臣顧問)
- 加藤紘一(外務省中国課次席事務官、衆議院議員、防衛庁長官、内閣官房長官、自由民主党幹事長)
- 金子堅太郎(枢密院書記官、貴族院議員、司法大臣、農商務大臣)
- 蒲島郁夫(東京大学教授、熊本県知事)
- 可部哲生(財務省理財局長、国税庁長官)
- 上川陽子(衆議院議員、内閣府特命担当大臣、法務大臣)
- 大塚拓(衆議院議員、財務副大臣)
- 河上和雄(法務省矯正局長、最高検察庁公判部長、駿河台大学名誉教授)
- 北村隆則(駐ギリシャ特命全権大使、香港総領事)
- 越直美(弁護士、大津市長)
- 小林鷹之(衆議院議員、防衛大臣政務官)
- 小林嘉文(岡山県笠岡市長)
- 小村壽太郎(大審院判事、外務次官、駐アメリカ特命全権大使、外務大臣)
- 五味廣文(大蔵省審議官、金融庁長官)
- 酒井明(法務省広島入国管理局長、東日本入国管理センター所長)
- 佐原康之(厚生労働省健康局長)
- 塩崎恭久(衆議院議員、内閣官房長官、厚生労働大臣)
- 高島崚輔(芦屋市長)
- 髙橋寛(元外務省在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官、大阪工業大学大学院教授)
- 竹内春海(元駐イタリア大使、元外務省アメリカ局長、元内閣総理大臣秘書官)
- 玉木雄一郎(元財務省官僚、衆議院議員、国民民主党代表)
- 豊田真由子(厚生労働省高齢者支援課課長補佐、衆議院議員、文部科学大臣政務官、復興大臣政務官)
- 中尾泰久(財務省副財務官)
- 西堀正弘(外務省国際連合局長、国連大使)
- 西山英彦(経済産業省審議官、環境省福島除染推進チーム次長
- 平野英治(日本銀行理事、年金積立金管理運用独立行政法人経営委員長)
- 林芳正(参議院議員、防衛大臣、農林水産大臣、文部科学大臣)
- 藤末健三(東京大学助教授、参議院議員、早稲田大学客員教授、総務副大臣)
- 細田健一(衆議院議員、農林水産大臣政務官)
- 松崎哲久(衆議院議員、自由党埼玉県連会長)
- 松本瀧蔵(内閣官房副長官、国民協同党政調会長、サンフランシスコ講和会議全権随員)
- 丸山剛司(宇宙開発戦略本部事務局長代理、文部科学省科学技術・学術政策局長、東京工業大学副学長)
- 宮尾龍蔵(東京大学教授、日本銀行政策委員会審議委員)
- 宮本一三(大蔵省審議官、衆議院議員、文部科学副大臣)
- 宮澤洋一(大蔵省企画官、内閣総理大臣秘書官、参議院議員、経済産業大臣)
- 武藤正敏(元駐韓国特命全権大使)
- 目賀田種太郎(大蔵省主税局長、貴族院議員、国連大使)
- 茂木賢三郎(独立行政法人日本芸術文化振興会理事長)
- 茂木敏充(衆議院議員、金融担当大臣、経済産業大臣、経済財政政策担当大臣、外務大臣)
- 森清(第52代特許庁長官)
- 山本栄二(駐ブルネイ特命全権大使、元駐東ティモール特命全権大使)
学術界
[編集]- 赤津晴子 (国際医療福祉大学医学部教授、医学教育統括センター長)
- 浅見定雄 (宗教学者、東北学院大学名誉教授)
- 石倉洋子(経営学者、一橋大学名誉教授、デジタル監、日本学術会議副会長)
- 石田浩(社会学者、東京大学名誉教授)
- 伊藤隆敏 (経済学者、コロンビア大学教授)
- 今井耕介 (ハーバード大学政治学部・統計学部教授)
- 江川雅子(経営学者、一橋大学教授、成蹊学園学園長、東京大学理事)
- オリガ・T・ヨコヤマ(言語学者、カリフォルニア大学ロサンジェルス校特別栄誉教授)
- 祝迫得夫 (経済学者、一橋大学教授)
- 小幡績 (経済学者、慶應義塾大学 大学院経営管理研究科准教授)
- 鎌田雄一郎 (経済学者、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院准教授)
- 梶井厚志 (経済学者、京都大学名誉教授)
- 河合江理子 (経営学者、京都大学教授)
- 神田駿(建築家、都市計画家。ハーバード大学デザイン大学院修士課程修了)
- 北尾早霧 (経済学者、東京大学教授)
- 清滝信宏 (経済学者、プリンストン大学教授)
- 小島武仁 (経済学者、東京大学教授)
- 齋藤直子(哲学者、京都大学教授)
- 渋谷健司 (公衆衛生学者、キングス・カレッジ・ロンドン教授)
- 鶴見俊輔(評論家・哲学者、1942年哲学科を20歳で卒業、クワインがチューター)
- 浜田道代(法学者、名古屋大学名誉教授、公正取引委員会委員)
- 林文夫 (経済学者、政策研究大学院大学教授、アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員)
- 原千秋 (経済学者、京都大学経済研究所教授)
- 松山公紀 (経済学者、ノースウェスタン大学教授)
- 美馬のゆり(工学者、公立はこだて未来大学教授、日本科学未来館副館長)
- 宮尾龍蔵 (経済学者、神戸大学名誉教授、日本銀行政策委員会審議委員)
- 宮部金吾(植物学者、理学博士取得)
- 森嶌昭夫(法学者、名古屋大学名誉教授、損害保険料率算出機構理事長)
- 米倉誠一郎(経営学者、一橋大学名誉教授)
- 渡辺努(経済学者、東京大学教授)
- 渡辺靖(国際政治学者、文化人類学者、慶應義塾大学SFC教授)
その他
[編集]脚注
[編集]- ^ (ラドクリフ大学の項にDuring World War II, Harvard and Radcliffe signed an agreement that allowed women to attend classes at Harvard for the first time, officially beginning joint instruction in 1943. From 1963, Radcliffe students received Harvard diplomas signed by the presidents of Radcliffe and Harvard, and joint commencement exercises began in 1970. The same year, several Harvard and Radcliffe dormitories began swapping students experimentally, and in 1972 full co-residence was instituted. The schools' departments of athletics merged shortly thereafter. In 1977, Harvard and Radcliffe signed an agreement that put undergraduate women entirely in Harvard College, maintaining for them only a nominal enrollment in Radcliffe College. In practice most of the energies of Radcliffe (which remained an autonomous institution) were devoted to its other initiatives, such as the Bunting fellowship program, rather than to female undergraduates. During this time, the Harvard undergraduate community and class was officially known as "Harvard and Radcliffe" or "Harvard-Radcliffe", and female students continued to be awarded degrees signed by both presidents, even though Radcliffe usually had little to no impact on the average undergraduate's experience at the university.とあることから、小和田雅子が大学に入学した1981年当時、すでにラドクリフ大は大学独自の入学生を募集していなかった事実があげられる