ケビン・フォン・エリック
ケビン・フォン・エリック | |
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1983年 | |
プロフィール | |
リングネーム | ケビン・フォン・エリック |
本名 | ケビン・ロス・アドキッソン |
ニックネーム |
The Golden Warrior 鷹の爪 |
身長 | 188cm |
体重 | 107kg |
誕生日 | 1957年5月15日(67歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 イリノイ州ベルビル |
トレーナー | フリッツ・フォン・エリック |
デビュー | 1976年 |
引退 | 1995年 |
ケビン・フォン・エリック(Kevin Von Erich、本名:Kevin Ross Adkisson、1957年5月15日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(次男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては長男)である。
フォン・エリック・ファミリーでは唯一シューズを履かず素足でファイトしていた。
2012年には長男ロス・フォン・エリック、二男マーシャル・フォン・エリックがプロレスリング・ノアへ入団し、プロレスラーとしてデビューしている。また、これに合わせてケビン本人も同団体のGHCタイトル管理委員に任命されている。
来歴
[編集]ノース・テキサス大学でアメリカンフットボールの選手として活動後、1976年にデビュー。父フリッツの主宰するテキサス州ダラスのNWAビッグタイム・レスリング(後のWCCW)にてキャリアを積み、1978年12月25日にブルーザー・ブロディからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取[1]。中西部のセントルイス地区でも活躍し、1979年11月23日にはディック・マードックを破りNWA世界王座への登竜門であるミズーリ・ヘビー級王座を獲得、翌1980年4月25日にケン・パテラに敗れるまで保持した[2]。
1979年5月、NWAルートで弟デビッドと共に全日本プロレスに初来日[3]。1981年にもデビッドとのコンビで再来日し、5月23日にグレート小鹿&大熊元司の極道コンビからアジアタッグ王座を奪取[4]。6月11日に石川隆士&佐藤昭雄に敗れ短命王者に終わるも、日本での初戴冠を果たした[4]。
以降もアメリカではWCCWを主戦場に、1980年代前半は弟のデビッドやケリーと組んでファビュラス・フリーバーズやダイナミック・デュオ(ジノ・ヘルナンデス&クリス・アダムス)などと抗争した。1985年からはWCCWと新たに提携を結んだ新日本プロレスにケリーと共に参戦。初戦となる10月4日の札幌大会では、藤波辰巳&木村健吾の保持していたWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している[5]。
WCCW(WCWA)では1986年10月12日、ブラック・バートを破りフラッグシップ・タイトルのWCWA世界ヘビー級王座を獲得[6]。アル・マドリル、ジョン・ノード、キング・パーソンズらを抗争相手に防衛戦を行い、ブッカー業務も兼任していたが、WWFの全米侵攻でアメリカのマット界のテリトリー制が崩壊した1980年代末にセミリタイアし、1995年に引退した。
引退後は母親や妻子とともにハワイのカウアイ島に居住[7]。プロレス業界からは完全に身を引いていたが、2009年にフォン・エリック・ファミリーとして父や兄弟たちと共にWWE殿堂に迎えられた[8]。4月4日にヒューストンのトヨタ・センターで行われた式典では、かつて抗争を繰り広げたフリーバーズのマイケル・ヘイズがインダクターを務めた[9]。
2011年12月8日、長男のロス・フォン・エリックと次男のマーシャル・フォン・エリックが、2012年1月にプロレスリング・ノアに入団することが発表された[10]。2012年にはケビンも約24年ぶりに来日し、1月14日に息子たちとともに入団会見に登場[11]、1月15日にはGHC管理委員に就任することが発表された[12]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回[2]
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:5回[1]
- NWAテキサス・ヘビー級王座:2回[13]
- NWAテキサス・タッグ王座:2回(w / デビッド・フォン・エリック)[14]
- NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / デビッド・フォン・エリック)[15]
- NWA世界タッグ王座(テキサス版):1回(w / デビッド・フォン・エリック)[16]
- NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):7回(w / デビッド・フォン・エリック&ケリー・フォン・エリック×2、フリッツ・フォン・エリック&マイク・フォン・エリック、ケリー・フォン・エリック&マイク・フォン・エリック×3、ケリー・フォン・エリック&ブライアン・アディアス)[17]
- WCWA世界ヘビー級王座:1回[6]
- WCWA世界タッグ王座:3回(w / ケリー・フォン・エリック)[18]
- WCWA世界6人タッグ王座:4回(w / ケリー・フォン・エリック&ランス・フォン・エリック、マイク・フォン・エリック&ランス・フォン・エリック、クリス・アダムス&スティーブ・シンプソン、ケリー・フォン・エリック&マイケル・ヘイズ)[17]
- NWAサウスウエスト
- NWA北米ヘビー級王座:1回[19]
フォン・エリック・ファミリー
[編集]フリッツ・フォン・エリック | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャック・アドキッソン・ジュニア (幼少期に死去) | ケビン・フォン・エリック | デビッド・フォン・エリック | ケリー・フォン・エリック | マイク・フォン・エリック | クリス・フォン・エリック | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロス・フォン・エリック | マーシャル・フォン・エリック | レイシー・フォン・エリック | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b “NWA American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ a b “NWA Missouri Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “AJPW 1979 Super Power Series”. Puroresu.com. 2024年4月19日閲覧。
- ^ a b c “All Asia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月24日閲覧。
- ^ “NJPW 1985 Burning Spirit in Autumn”. Puroresu.com. 2024年4月19日閲覧。
- ^ a b “WCWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “Where Are They Now? Kevin Von Erich”. WWE.com. 2015年2月7日閲覧。
- ^ “The Von Erichs: Bio”. WWE.com. 2024年4月19日閲覧。
- ^ “Michael Hayes”. Online World of Wrestling. 2024年4月19日閲覧。
- ^ ロス・フォン・エリック&マーシャル・フォン・エリック 入団のご報告 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト
- ^ エリック一家来日&公開入団記者会見の模様 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト
- ^ GHCタイトル管理委員会よりご報告 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト
- ^ “NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月13日閲覧。
- ^ “NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月13日閲覧。
- ^ “NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月13日閲覧。
- ^ “NWA World Tag Team Title [Dallas]”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月13日閲覧。
- ^ a b “WCWA World 6-Man Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月31日閲覧。
- ^ “WCWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月31日閲覧。
- ^ “NWA North American Heavyweight Title: Post-1993 NWA Version”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- Kevin Von Erich (@ErichKevin) - X(旧Twitter)
- WWE Hall of Fame
- WWE Where Are They Now?
- Online World of Wrestling
- ケビン・フォン・エリックのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database