コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

スティービー・レイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スティービー・レイ
プロフィール
リングネーム スティービー・レイ
ケイン
スーパー・コライダー
本名 レーン・スティーブン・ハフマン
ニックネーム Straightshootin'
身長 195cm
体重 132kg(全盛時)
誕生日 (1958-08-22) 1958年8月22日(66歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州ヒューストン
トレーナー イワン・プトスキー
スコット・ケーシー
デビュー 1989年
引退 2002年
テンプレートを表示

スティービー・レイStevie Ray、本名:Lane Steven Huffman1958年8月22日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州ヒューストン出身のアフリカ系アメリカ人

現役選手時代は実弟のブッカー・Tとのタッグチーム "ハーレム・ヒート" などで活動した。

来歴

[編集]

1989年、師匠のイワン・プトスキーが主宰していたテキサスのインディー団体においてスーパー・コライダーSuper Collider)のリングネームでデビュー。1991年ダラスのグローバル・レスリング・フェデレーション(GWF)にてスティービー・レイStevie Ray)と改名し、弟のブッカー・Tエボニー・エクスペリエンスThe Ebony Experience)を結成。ベビーフェイスのポジションで活動し、1992年から1993年にかけてGWFタッグ王座を通算3回獲得した[1]。1992年10月には「ブラック・ボンバーズ」の名義で桜田一男らが主宰していたネットワーク・オブ・レスリングに初来日している。

1993年8月、ブッカー・Tと共にWCWに参戦。カーネル・ロバート・パーカーマネージャーに迎えてヒールに転向し、ニューヨークハーレム出身という設定のもと、チーム名をハーレム・ヒートHarlem Heat)に改めた。1994年からはシスター・シェリーを新しいマネージャーに、12月にマーカス・バグウェル&ザ・パトリオットからWCW世界タッグ王座を奪取[2]。以降1997年までブッカー・Tとのハーレム・ヒートで活躍、同タッグ王座を再三に渡って獲得した。この間、1996年3月には新日本プロレスに揃って来日している[3]

1997年秋、ミング&ザ・バーバリアンとの試合で足首を負傷。長期欠場を余儀なくされ、その間にブッカー・Tはベビーフェイスのシングル・プレイヤーとして成功を収める。しかし、復帰後のスティービー・レイは弟と袂を分かち、1998年ハリウッド・ハルク・ホーガンの誘いでnWoに加入。ブライアン・アダムススコット・ノートンなどで構成されたnWoブラック&ホワイトnWo black & white)と呼ばれるBチームのリーダー格となった。

1999年、ブッカー・Tの説得によりnWoを離れ、フェイスターンしてハーレム・ヒートを再結成。8月にバンバン・ビガロ&クリス・キャニオンを破り、WCW世界タッグ王座に返り咲く[2]。10月のPPV "Halloween Havoc 1999" ではコナン&ビリー・キッドマンブライアン・ノッブス&ヒュー・モラスとのトリプルスレットマッチを征して、同タッグ王座への10度目の戴冠を果たした[2][4]

しかし、ブッカー・Tがハーレム・ヒートのセコンドとして黒人女性ボディビルダーのミッドナイト[5]を帯同し始めたことにより、兄弟の間に再び亀裂が発生。ミッドナイトとのミックスドマッチに敗れたことを機にスティービーはヒールに戻り、ビッグ・Tを新しいパートナーにハーレム・ヒート2000Harlem Heat 2000)を結成、「ハーレム・ヒート」の名称使用権を巡り実弟との骨肉の抗争を展開する。悪徳弁護士のJ・ビッグス[6]をマネージャーに雇い、入場テーマ曲やリングネームの変更をブッカー・Tに強要するなどしたが、2000年3月のPPV "Uncensored 2000" にてブッカー&ビリー・キッドマンに敗退[7]。以後ハーレム・ヒート2000は解散、スティービー・レイは現役を離れて "WCW Thunder" のカラー・コメンテーターに転じた。

2001年のWCW崩壊後はオーストラリアワールド・レスリング・オールスターズ参戦を経て、2002年に引退。リタイア後は2005年に地元のヒューストンにてプロレスリング・アカデミー併設のインディー団体PWAPro Wrestling Academy)をブッカー・Tと共に主宰[8]。元WWEスーパースターのブギーマンもPWAで再トレーニングを積んでいた。

2019年4月6日、ブッカー・Tとのハーレム・ヒートとしてWWE殿堂に迎えられた[9]

得意技

[編集]

獲得タイトル

[編集]
グローバル・レスリング・フェデレーション
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・エンターテインメント

脚注

[編集]
  1. ^ a b GWF Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年1月20日閲覧。
  2. ^ a b c d WCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月17日閲覧。
  3. ^ The NJPW matches fought by Stevie Ray in 1996”. Wrestlingdata.com. 2019年4月10日閲覧。
  4. ^ Halloween Havoc 1999 Results”. ProWrestling History.com. 2010年9月17日閲覧。
  5. ^ Midnight”. Online World of Wrestling. 2010年9月17日閲覧。
  6. ^ Clarence Mason”. Online World of Wrestling. 2010年9月17日閲覧。
  7. ^ Uncensored 2000 Results”. ProWrestling History.com. 2010年9月17日閲覧。
  8. ^ Stevie Ray”. Online World of Wrestling. 2017年5月26日閲覧。
  9. ^ Booker T cedes the spotlight to Stevie Ray at Harlem Heat’s WWE Hall of Fame induction”. WWE.com. 2019年4月7日閲覧。
  10. ^ GWF North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年10月29日閲覧。

外部リンク

[編集]