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ジミー・ハート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジミー・ハート
ジミー・ハートの画像
プロフィール
リングネーム ジミー・ハート
"ザ・カーネル" ジミー・ハート
本名 ジェームズ・レイ・ハート
ニックネーム マウス・オブ・ザ・サウス
ザ・ウィンプ
誕生日 (1944-01-01) 1944年1月1日(80歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシシッピ州の旗 ミシシッピ州ジャクソン
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ジミー・ハートJimmy Hart、本名:James Ray Hart1944年1月1日 - )はアメリカ合衆国プロレスマネージャー作曲家歌手ミシシッピ州ジャクソン出身。ニックネームは「南部のおしゃべり男Mouth of the South)」。2005年WWE殿堂入り。

1980年代1990年代を代表するヒールマネージャーの一人で、コスチュームは原色の派手なスーツ、サングラスリーゼント。常に携帯しているメガホンは彼の代名詞となっている。元々は人気ロックバンドヴォーカリストだった[1]

来歴

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1963年ロックバンドザ・ジェントリーズThe Gentrys)」のメンバーとして音楽界にデビュー。1965年にリリースした最大のヒット曲『Keep on Dancing』では全米ビルボードチャート4位にランクインした。以降、1970年代初頭にかけてジェントリーズでの活動を続けた[2]

1970年代後半、テネシー州メンフィスの看板レスラー兼プロモーターであり、同じハイスクールの出身でもあったジェリー・ローラーのレコーディングに参加したことから[2]、ローラーにスカウトされてプロレス界に入り、彼のマネージャーに転身[3]。メンフィスのCWAではヒール期のローラーをはじめ、ジミー・バリアントロン・バスなどを担当し、プロレスラーではないにもかかわらず彼らと組んでのタッグマッチにも出場した[4][5]

1980年代初頭より、フェイスターンしたローラーとの抗争をスタートさせ、1982年にはアンディ・カウフマンを絡めた抗争により全国的な知名度を獲得[3]ファースト・ファミリーFirst Family)と呼ばれるユニットを結成し、テリー・ファンクオックス・ベーカーオースチン・アイドルポール・エラリングエディ・ギルバートランディ・サベージリック・ルード、さらにはハルカマニア以前のハルク・ホーガンなど、数多くのヒールをマネージメントしてローラーに対抗した[3][6]。ジェリー・ローラーが「The King(王様)」であったのに対し、ハートのニックネームは「The Wimp弱虫)」であった[2][6]

WWF時代

1985年WWFに移籍し、まずはキングコング・バンディを担当。レッスルマニア第1回大会S・D・ジョーンズ戦は長きに渡ってレッスルマニア史上最短試合となっていた。その後はハート・ファウンデーションナスティ・ボーイズなどを始め、特にタッグチームのマネージメントを担当し、数多くのコンビをタッグ王者に導いた[1]。CWAでもマネージャーを務めていたホーガンとも懇意になり、1990年代に入るとベビーフェイスのマネージャーに転向してホーガンとブルータス・ビーフケーキのタッグチーム、メガ・マニアックスも担当。1993年にはメガ・マニアックスのマネージャーとして新日本プロレスに2度来日している。また、元ミュージシャンの経歴を活かし、ホンキー・トンク・マンテッド・デビアスダスティ・ローデスショーン・マイケルズなど、多くの選手の入場曲を作曲した[2][1]

ホーガンと時を同じくしてWWFを離れ、1994年に共にWCWへ移籍。リング外でもホーガンのマネージャーを務めるようになり、2001年のWCWの崩壊後は新団体XWFの旗揚げに参画した[3]。程なくXWFは活動を停止したものの、その後はTNAに協力。一時期は彼のマネージメントで、WWEを離脱したホーガンのTNA登場が実現寸前となるも、2005年にはホーガンと共にWWE殿堂入りを果たすことになった[1]。殿堂入り後もTNAでザ・ナチュラルズのマネージャーを担当するなど独自の立場を取り、後年もWWEとの関係を保ちながら、インディー団体やオールドタイマーのリユニオン・イベントへのスポット出場を続けている[3]

左はランス・ホイット

2007年4月1日のレッスルマニア23では、バックステージで行われたクライム・タイムのダンス・パーティーにカメオ出演[3]2008年11月7日にはジェリー・ローラーのトリビュート・ショーに登場、メインイベントでローラーと対戦したシッド・ビシャスのマネージャー役を務めた[3]

2009年11月にはホーガンがオーストラリアでプロデュースした "Hulkamania Tour" に参加[3]2010年上期はWWF時代の盟友ナスティ・ボーイズのマネージャーとしてTNAに再登場した[3]

2011年3月よりWWEのレッスルマニア関連のプロジェクトに参画し、各地のハウス・ショーにも登場[7]。8月14日のサマースラム2011ではバックステージ・セグメントにてR・トゥルースと絡んだ。2012年4月10日には、ロディ・パイパーダスティ・ローデスらレジェンドと共にスマックダウンの "Blast from the Past" に出演。ウーソズと対戦したタイソン・キッド&ヒース・スレイターのマネージャー役で登場し、往年のメガホン口撃を見せるも、コメンテーターを務めていたミック・フォーリーマンディブル・クローの餌食となった[8]

担当選手

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後方はアドリアン・アドニス(1987年)

脚注

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  1. ^ a b c d WWE Hall of Fame: Jimmy Hart”. WWE.com. 2012年6月11日閲覧。
  2. ^ a b c d Jimmy Hart's Under-Appreciated Musical Talent, Explained”. The Sportster (2023年10月6日). 2024年5月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i Jimmy Hart”. Online World of Wrestling. 2024年5月24日閲覧。
  4. ^ The USWA matches fought by Jimmy Hart in 1979”. Wrestlingdata.com. 2024年5月24日閲覧。
  5. ^ The USWA matches fought by Jimmy Hart in 1980”. Wrestlingdata.com. 2024年5月24日閲覧。
  6. ^ a b Jimmy Hart”. Wrestlingdata.com. 2024年5月24日閲覧。
  7. ^ WWE results in Winnipeg, Canada: May 27, 2011”. Pro Wrestling Torch. 2012年6月11日閲覧。
  8. ^ WWE SmackDown Blast from the Past Results: April 10, 2012”. Wrestling 101. 2012年6月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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