ディノ・ブラボー
ディノ・ブラボー | |
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1979年 | |
プロフィール | |
リングネーム | ディノ・ブラボー |
本名 | アドルフォ・ブレシアーノ |
ニックネーム | カナディアン・ストロンゲスト・マン |
身長 | 185cm |
体重 | 120kg(全盛時) |
誕生日 | 1948年8月6日[1] |
死亡日 | 1993年3月11日(44歳没)[1] |
出身地 |
イタリア モリーゼ州カンポバッソ |
トレーナー | ジノ・ブリット |
デビュー | 1970年 |
引退 | 1992年 |
ディノ・ブラボー(Dino Bravo、本名:Adolfo Bresciano、1948年8月6日 - 1993年3月11日[1])は、イタリア・モリーゼ州カンポバッソ出身のプロレスラー。
移住先のカナダやWWFを主戦場に、怪力自慢のパワーファイターとして活躍した[2]。なお、彼以前にも "Dino Bravo" と名乗るイタリア人プロレスラーが1960年代に活動しており(本名:Pepe DiPasquali)、このリングネームにおいては2代目となる[3]。
来歴
[編集]幼少時に家族と共にカナダ・ケベック州のモントリオールに移住[4]。学生時代にレスリングとボディビルで体を鍛え、1970年にデビュー[4]。モントリオールを中心に正統派のパワーファイターとしてキャリアを積み、マッドドッグ・バションが主宰していたグランプリ・レスリングでは、1972年11月20日にジノ・ブリットと組んでキラー・コワルスキー&ジル・ポワソンからGPWタッグ王座を奪取[5]。アメリカ本土では1974年よりロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングで活動、エドワード・カーペンティアやビクター・リベラのパートナーとなり、ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンズと抗争した[6][7]。
1976年より、ジム・クロケット・ジュニアの運営するノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区に参戦。ミスター・レスリングことティム・ウッズとタッグを組み、5月5日にジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーから同地区認定のNWA世界タッグ王座を奪取した[8]。ウッズとのコンビでは、同年11月3日のトーナメント決勝でミシェル・デュボア&レネ・グレイを下し、空位となっていたミッドアトランティック・タッグ王座も獲得している[9]。シングルでは1977年5月から6月にかけて、ハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦[10]。持ち前の怪力を活かして、ブラックジャック・マリガンやマスクド・スーパースターなど大型のヒールとも抗争を展開した[11]。
並行してニューヨークのWWWFにも進出し、ドミニク・デヌーチとイタリア人同士のタッグチームを結成。1978年3月14日にプロフェッサー・タナカ&ミスター・フジからWWWF世界タッグ王座を奪取している[12]。同年12月17日にはカナダのトロントでジン・キニスキーを破りNWAカナディアン・ヘビー級王座の初代チャンピオンとなり[13]、カナダの伝説的レスラー、ホイッパー・ビリー・ワトソンよりベルトを授与された。1980年からはAWAをサーキットして、ニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に再三挑戦している[14]。
1981年10月、新日本プロレスの『闘魂シリーズ』に初来日[4]。開幕戦における長州力と組んでのスタン・ハンセン&ハルク・ホーガンとのタッグマッチ、そして最終戦でのアブドーラ・ザ・ブッチャーとのシングルマッチでは、共に相手がヒールの外国人選手だったこともあって、ベビーフェイスとしての持ち味をフルに発揮した好ファイトを展開。ホーガンやブッチャーの巨体を抱え上げアトミック・ドロップを放つなどの怪力ぶりも喝采を浴び、将来の外国人エース候補と期待された。しかし、再来日となる翌1982年11月の『第3回MSGタッグ・リーグ戦』ではヒールのアドリアン・アドニスと組まされたため、本領を発揮することができなかった[15]。1983年5月には北米代表としてIWGPリーグ戦の第1回大会に来日したが、家族の不幸のため試合を行うことなく緊急帰国している。
その間、本国ではモントリオール地区のインターナショナル・レスリング(Lutte Internationale)を主戦場に、プロモーター兼任のエース選手として活動[3]。フラッグシップ・タイトルのカナディアン・インターナショナル・ヘビー級王座をビル・ロビンソン、リック・マーテル、アレックス・スミルノフ、セーラー・ホワイト、キング・トンガらと争い、1985年まで計6回に渡って同王座を獲得した[16]。1985年にはモントリオール地区への進出を図っていたWWFより、WWFカナディアン・チャンピオンに認定される[3]。1986年、WWFのプロモートによりモントリオールでのハルク・ホーガンとのシングルマッチが予定されていたが、同地におけるブラボーの人気にホーガンがヒール扱いされてしまうことを危惧したWWF側の判断で、直前にマッチメイクが変更されるという事態も起こった[3]。
1987年、WWFと再契約。ブルータス・ビーフケーキと仲間割れしたグレッグ・バレンタインの新パートナーとなり、イタリア人でありながら髪をブロンドに染め、フレンチ・カナディアンとしてのアイデンティティを強調したヒールに変身する。1988年にはカナディアン・ストロンゲスト・マンを名乗り、フレンチ・マーチンをマネージャーにジム・ドゥガンとアメリカ対カナダの抗争を開始[17]。1989年からはジミー・ハートを新マネージャーに迎え、アースクエイクとのカナディアン・コンビでハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアー、ビッグ・ボスマン、タグボートらと抗争した[18]。
1992年にWWFを離れて引退。その後は若手レスラーの指導にも携わっていたが、1993年3月11日、違法タバコの密輸に絡むトラブルのため、モントリオールの自宅で犯罪組織に射殺された[1][2][3][4]。44歳没[1]。
得意技
[編集]- エアプレーン・スピン
- アトミック・ドロップ
- ドロップキック
- サイドウォーク・スラム(サイドバスター)
獲得タイトル
[編集]- グランプリ・レスリング
- インターナショナル・レスリング
- NWAミッドアトランティック・タッグ王座:3回(w / ミスター・レスリング、タイガー・コンウェイ・ジュニア、リッキー・スティムボート)[9]
- NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):1回(w / ミスター・レスリング)[8]
- WWWF世界タッグ王座:1回(w / ドミニク・デヌーチ)[12]
- WWFカナディアン王座:1回[3]
脚注
[編集]- ^ a b c d e “Dino Bravo”. Find a Grave.com. 2015年11月27日閲覧。
- ^ a b “True crime creates interest in Dark Side of the Ring's Assassination of Dino Bravo”. SLAM! Sports (April 22, 2020). 2020年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e f “Dino Bravo”. Online World of Wrestling. 2015年4月19日閲覧。
- ^ a b c d 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P55(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b “Grand Prix Wrestling Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。
- ^ “The NWAHW matches fought by Dino Bravo in 1974”. Wrestlingdata.com. 2015年4月19日閲覧。
- ^ “The NWAHW matches fought by Dino Bravo in 1975”. Wrestlingdata.com. 2015年4月19日閲覧。
- ^ a b “NWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月25日閲覧。
- ^ a b “NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “NWA World Heavyweight Championship Matches 1977”. Wrestling-Titles.com. 2024年3月20日閲覧。
- ^ “The WCW matches fought by Dino Bravo in 1977”. Wrestlingdata.com. 2015年4月19日閲覧。
- ^ a b “WWWF-WWF-WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年7月1日閲覧。
- ^ a b “NWA Canadian Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “AWA World Heavyweight Championship Matches 1980”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月5日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by Dino Bravo in 1982”. Wrestlingdata.com. 2015年4月19日閲覧。
- ^ a b “International Heavyweight Title [Québéc]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月8日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1988”. The History of WWE. 2015年4月19日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1989”. The History of WWE. 2015年4月19日閲覧。
- ^ “International Tag Team Title [Québéc]”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。
- ^ “NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月19日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- ディノ・ブラボーのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database