ホイッパー・ビリー・ワトソン
ホイッパー・ビリー・ワトソン | |
---|---|
プロフィール | |
リングネーム |
ホイッパー・ビリー・ワトソン[1] ビリー・ポッツ[1] ホイッパー・ワトソン[1] フーパー・ワトソン[1] |
本名 | ウィリアム・ジョン・ポッツ[1] |
ニックネーム | 鞭打ち男[2] |
身長 | 177cm[1] |
体重 | 102kg[1] |
誕生日 | 1915年7月25日[1] |
死亡日 | 1990年2月4日(74歳没) |
出身地 |
カナダ オンタリオ州トロント[1] |
トレーナー | Phil Lawson |
デビュー | 1936年[3] |
ホイッパー・ビリー・ワトソン("Whipper" Billy Watson、本名:William John Potts、1915年7月25日 - 1990年2月4日)は、カナダのプロレスラー。オンタリオ州トロント出身のアイルランド系カナダ人。
地元のトロント地区では英雄的存在であり、力道山も日本プロレスへの招聘を何度となく計画したが、本国でのスケジュールの問題で来日は実現しなかった[4]。実の息子もプロレスラーで、ホイッパー・ビリー・ワトソン・ジュニアを名乗って活動していた[5]。
来歴
[編集]1936年、英国でのトニー・ベアー戦でデビューといわれるが、1940年にデビューしたという説もある。1941年7月5日、自身初のタイトルとなるカナディアン・ヘビー級王座を獲得。翌1942年4月、トロントでNWA英連邦ヘビー級王座を奪取。1947年2月21日、ミズーリ州セントルイスで旧NWA(ナショナル・レスリング・アソシエーション)世界王者のビル・ロンソンに反則勝ちし、アソシエーション版のNWA世界ヘビー級王座を獲得するが、2か月後にルー・テーズに奪取された。
その後、フランク・タニーの主宰するトロントのメープル・リーフ・レスリングを主戦場に、1952年から1960年にかけて、NWAカナディアン・オープン・タッグ王座を再三獲得[3]。グレート東郷&トシ東郷のトーゴー・ブラザーズともタイトルを争った[6]。
1956年3月15日、トロントにてルー・テーズを破り、ナショナル・レスリング・アライアンス発足後のNWA世界ヘビー級王座を奪取。以降、「ルー・テーズを破りNWA王座に輝いた男」として紹介され、約8か月に渡って王座を保持。ゴージャス・ジョージ、ハンス・シュミット、レオ・ノメリーニ、ジン・キニスキー、キラー・コワルスキー、フリッツ・フォン・エリック、パット・オコーナー、スカイ・ハイ・リー、ハードボイルド・ハガティ、ボボ・ブラジル、ジェス・オルテガ、エンリケ・トーレス、ビル・ミラー、ディック・ハットン、バディ・ロジャースなどの強豪の挑戦を退けたが、同年11月9日、セントルイスにてテーズに敗れ王座転落[7]。
陥落後はトロントをはじめバンクーバーやカルガリーなどカナダ各地で活動し、ジョニー・バレンタイン、ドン・レオ・ジョナサン、ザ・シークなどを相手に好勝負を演じた。1963年12月27日にはAWAのカナダでの拠点だったマニトバ州ウィニペグにて、バーン・ガニアと組んでキンジ渋谷&ミツ荒川の日系悪党コンビと対戦している[8]。1965年1月9日にはドン・レオ・ジョナサンをパートナーに、アル・コステロ&ロイ・ヘファーナンのファビュラス・カンガルーズからマニトバ版のカナディアン・タッグ王座を奪取した[9]。
1968年8月25日、トロントにてマーク・ルーインと組み、タイガー・ジェット・シン&ブル・カリーからトロント版のインターナショナル・タッグ王座を奪取したのが最後のタイトル戴冠となり、1971年に引退した[3]。以降もトロント地区のレジェンドとしてメープル・リーフ・レスリングに時折登場し、1978年12月17日には、トロント版NWAカナディアン・ヘビー級王座の初代チャンピオンとなったディノ・ブラボーにベルトを授与した[10]。
1990年2月4日、心臓発作により74歳で死去[5]。現役選手時代のワトソンについて、ルー・テーズは「荒っぽくてファイトの塊のようなレスラーだった」と評しており、そのハードなファイトスタイルのために怪我も多く、全身68箇所を骨折していたが、それでもリングに上がっていたという[4]。
得意技
[編集]- アイリッシュ・ホイップ(巻き投げ。ニックネームである「ホイッパー」の由来)
- スリーパー・ホールド
獲得タイトル
[編集]- NWA世界ヘビー級王座:1回
- NWA世界ヘビー級王座:1回
- メープル・リーフ・レスリング
- NWAブリティッシュ・エンパイア・ヘビー級王座(トロント版):9回
- NWAカナディアン・オープン・タッグ王座:11回(w / パット・フラナガン、ユーボン・ロバート、オンブレ・モンタナ、テックス・マッケンジー、アントニオ・ロッカ、パット・オコーナー、ユーコン・エリック×2、ボボ・ブラジル、Bernard Vigal、イリオ・ディパオロ)
- NWAインターナショナル・タッグ王座(トロント版):9回(w / ユーコン・エリック、Bill Soloweyko、ビリー・レッド・ライオン、ブルーノ・サンマルチノ、ジョニー・バレンタイン×2、ブルドッグ・ブラワー×2、マーク・ルーイン)
- NWAカナディアン・ヘビー級王座(カルガリー版):1回
- NWAオールスター・レスリング
- NWA大英帝国ヘビー級王座(バンクーバー版):1回
- NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / ダン・ミラー)
- NWA太平洋岸タッグ王座:3回(w / Roy McClarty、ミスター・クリーン、ベアキャット・ライト)
- アレックス・ターク・プロモーションズ
- カナディアン・タッグ王座(マニトバ版):1回(w / ドン・レオ・ジョナサン)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i “Whipper Billy Watson”. Wrestlingdata.com. 2013年8月13日閲覧。
- ^ 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P102(1988年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c “Wrestler Profiles: Billy Watson”. Online World of Wrestling.com. 2013年8月11日閲覧。
- ^ a b 『THE WRESTLER BEST 100』P84-85(1981年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b “Whipper Billy Watson”. Canadian Pro Wrestling Hall of Fame. 2014年2月2日閲覧。
- ^ “NWA Canadian Open Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月2日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1956”. Wrestling-Titles.com. 2015年1月30日閲覧。
- ^ “The AWA matches fought by Whipper Billy Watson in 1963”. Wrestlingdata.com. 2015年1月30日閲覧。
- ^ “Canadian Tag Team Title/International Tag Team Title [Manitoba]”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月31日閲覧。
- ^ “Wrestler Profiles: Dino Bravo”. Online World of Wrestling. 2015年2月2日閲覧。