ジン・アンダーソン
ジン・アンダーソン | |
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1981年 | |
プロフィール | |
リングネーム | ジン・アンダーソン |
本名 | ユージン・エイヴォン・アンダーソン |
ニックネーム | 極悪鬼 |
身長 | 183cm - 185cm |
体重 | 113kg - 118kg |
誕生日 | 1939年10月4日[1] |
死亡日 | 1991年10月31日(52歳没)[1] |
出身地 |
アメリカ合衆国 ミネソタ州 ラムゼー郡セントポール[2] |
デビュー | 1958年[3] |
引退 | 1985年[3] |
ジン・アンダーソン(Gene Anderson、本名:Eugene Avon Anderson、1939年10月4日 - 1991年10月31日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ミネソタ州セントポール出身。生年は1933年ともされる[4]。
1960年代から1980年代にかけて一世を風靡したヒールの極道兄弟ユニット、ミネソタ・レッキング・クルーの「長兄役」として活躍した。
来歴
[編集]1958年のデビュー以降、地元ミネソタのAWAを主戦場に活動[2]。1966年にAWAニューフェイスのラリー・ハイニエミをラーズ・アンダーソンに改名させ[5]、兄弟と称してミネソタ・レッキング・クルー(The Minnesota Wrecking Crew)を結成(実際には血縁関係はない)。NWA圏のジョージアにてエンリケ&ラモンのトーレス兄弟と抗争し、1967年4月にジョージア版のNWA世界タッグ王座を奪取した[6]。
1960年代末からはロック・ロゴウスキーを兄弟の「三男」オレイ・アンダーソンとして新メンバーに加え、ラーズの脱退後はオレイとのコンビで活動。1970年1月には日本プロレスに揃って初来日し、1月11日に岡山県体育館でオレイ、29日に愛知県体育館でボボ・ブラジルと組み、アントニオ猪木&吉村道明のアジアタッグ王座に2度挑戦した[7]。シングルでも、シリーズ最終戦となる2月4日の旭川市大会において、大木金太郎のアジアヘビー級王座に挑戦している[8]。日本プロレスには1971年末にも単身で再来日しており、年明けの1972年1月5日に愛知県体育館で大木のアジアヘビー級王座に再挑戦した[9]。1973年10月には国際プロレスにもオレイと共に参戦しており、11月4日に鹿島郡神栖町にてラッシャー木村&グレート草津のIWA世界タッグ王座に挑戦[10]。アニマル浜口とも金網デスマッチで2回対戦した[11]。
以降も1970年代全般から1980年代初頭にかけて、オレイとのミネソタ・レッキング・クルーでNWAの南部テリトリーを席巻。ジム・クロケット・ジュニアの運営するミッドアトランティック地区ではワフー・マクダニエル&ルーファス・ジョーンズ、リック・フレアー&グレッグ・バレンタイン、ダスティ・ローデス&ディック・スレーター、マスクド・スーパースター&ポール・ジョーンズなどの強豪チームを破りミッドアトランティック版のNWA世界タッグ王座を再三獲得[12]。ジム・バーネットが主宰するジョージア・チャンピオンシップ・レスリングではミスター・レスリング1号&2号とジョージア・タッグ王座を巡る抗争を展開した[13]。
1980年よりミッドアトランティック地区でヒールのマネージャーを兼任するようになり、イワン・コロフ、レイ・スティーブンス、ジミー・スヌーカ、アイアン・シーク、ボビー・ダンカン、グレッグ・バレンタインらを担当。タッグの名手だった手腕を発揮し、彼らにNWA世界タッグ王座を奪取させている[12]。また、うるさ型のベテラン・ヒールとして、マイク・ロトンドやマーク・ヤングブラッドなど当時売り出し中の若手選手のジョバーを務めることもあった[14]。
1984年にプロレス業界から引退し、主戦場だったノースカロライナにてシェリフの代理職に就いていた。1991年10月31日、52歳で死去[1]。没後の2010年、ラーズやオレイと共にNWA殿堂に迎えられた[15]。
息子のブラッド・アンダーソンも1988年にプロレスラーとしてデビューしており、2000年代後半までインディー団体で活動していた[16]。
獲得タイトル
[編集]- NWA世界タッグ王座(ジョージア版):1回(w / ラーズ・アンダーソン)[6]
- NWA南部タッグ王座(ジョージア版):2回(w / ラーズ・アンダーソン)[17]
- NWAサウスイースタン・タッグ王座(ジョージア版):2回(w / オレイ・アンダーソン)[18]
- NWAジョージア・タッグ王座:7回(w / オレイ・アンダーソン)[13]
- NWAメイコン・タッグ王座:1回(w / オレイ・アンダーソン)[19]
- NWA世界タッグ王座(ミッドアトランティック版):7回(w / オレイ・アンダーソン)[12]
- NWA大西洋岸タッグ王座:4回(w / オレイ・アンダーソン)[20]
- NWAミッドアトランティック・タッグ王座:3回(w / オレイ・アンダーソン)[21]
脚注
[編集]- ^ a b c “Find A Grave”. 2016年4月3日閲覧。
- ^ a b “Gene Anderson”. Wrestlingdata.com. 2017年3月26日閲覧。
- ^ a b “Gene Anderson”. Cagematch.net. 2014年11月5日閲覧。
- ^ “Gene Anderson”. Online World of Wrestling. 2014年11月5日閲覧。
- ^ “Mid-Atlantic Superstar Wrestling Results - Lars Anderson”. Midd-Atlantic Gateway. 2011年6月3日閲覧。
- ^ a b “NWA World Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月16日閲覧。
- ^ “The JWA matches fought by Gene Anderson in 1970”. Wrestlingdata.com. 2015年3月12日閲覧。
- ^ “JWA 1970 New Year Champion Series”. Puroresu.com. 2020年4月20日閲覧。
- ^ “JWA 1972 New Year Champion Series”. Puroresu.com. 2020年4月20日閲覧。
- ^ “The IWE matches fought by Gene Anderson in 1973”. Wrestlingdata.com. 2015年3月12日閲覧。
- ^ “IWE Big Winter Series 1973”. Puroresu.com. 2015年3月11日閲覧。
- ^ a b c “NWA World Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月16日閲覧。
- ^ a b “NWA Georgia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月16日閲覧。
- ^ “Mid-Atlantic Superstar Wrestling Results - Gene Anderson”. Midd-Atlantic Gateway. 2011年6月3日閲覧。
- ^ a b “NWA Hall of Fame”. Wrestling-Titles.com. 2022年5月4日閲覧。
- ^ “Brad Anderson”. Online World of Wrestling. 2010年6月16日閲覧。
- ^ “NWA Southern Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月12日閲覧。
- ^ “NWA Southeastern Tag Team Title [Georgia]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月12日閲覧。
- ^ “NWA Macon Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月12日閲覧。
- ^ “NWA Atlantic Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月12日閲覧。
- ^ “NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月12日閲覧。