レイモンド・ルージョー
レイモンド・ルージョー | |
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1979年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
レイモンド・ルージョー レイ・ルージョー |
本名 | レイモンド・ルージョー |
身長 | 180cm |
体重 | 102kg - 104kg |
誕生日 | 1955年2月18日(69歳) |
出身地 |
カナダ ケベック州 ラノディエール地域 サン=シュルピス |
トレーナー | ジャック・ルージョー・シニア |
デビュー | 1971年[1] |
レイモンド・ルージョー(Raymond Rougeau、1955年2月18日 - )は、フランス系カナダ人の元プロレスラー。ケベック州サン=シュルピス出身。
モントリオール地区の英雄的存在だったルージョー・ファミリーの一員で、父親のジャック・ルージョー・シニアと弟のジャック・ルージョー・ジュニアも元プロレスラーである[1]。1980年代後半のWWFにおけるジャック・ジュニアとの兄弟タッグチーム、ファビュラス・ルージョー・ブラザーズ(The Fabulous Rougeau Brothers)での活躍で知られる[2]。
来歴
[編集]父ジャック・ルージョー・シニアのトレーニングを受け、1971年に16歳でデビュー[1]。伯父のジョニー・ルージョーが主宰していたモントリオールのIWAを活動拠点に、1972年7月にはドン・セラノから同地区認定のインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取[3]。アメリカ北東部のNWFにも出場しており、1973年5月5日にはトーナメントの決勝でハートフォード・ラブを破り、NWF世界ジュニアヘビー級王座の初代チャンピオンに認定された[4]。
1975年8月、ジャック・ルージョー・シニアと共に新日本プロレスに来日[5]。同時参加していたジョニー・パワーズやハリウッド・ブロンズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)のパートナーにも起用され、当時20歳でキャリア4年でありながら、アントニオ猪木、坂口征二、ストロング小林ら主力勢ともタッグマッチで対戦した[6]。
1970年代後半はアメリカ南部のNWAジョージア地区(ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリング)で活動、1977年にはWWWFヘビー級王座獲得前のボブ・バックランドや無名時代のランディ・サベージとも度々対戦している[7]。以降も1979年まで若手のベビーフェイスとしてジョージアに定着、モンゴリアン・ストンパー、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ジン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、スタン・ハンセン、マスクド・スーパースター、ブラックジャック・ランザなど、ヒールのメインイベンターのジョブ・ボーイを務めた[8][9]。
1980年より古巣のモントリオールに戻り、ジノ・ブリットやディノ・ブラボーが運営していたインターナショナル・レスリング(Lutte Internationale)にて活動。同年6月20日にパット・パターソンと組み、ジル・ポワソン&サージ・デュモンからカナディアン・インターナショナル・タッグ王座を奪取[10]。以降もパターソンや弟のジャック・ルージョー・ジュニアをパートナーに、ミシェル・デュボア、ビル・ロビンソン、フレンチ・マーチン、セーラー・ホワイト、キング・トンガらのチームと同タッグ王座を争い、1985年にかけて通算7回に渡って戴冠した[10]。
1986年2月、ジャック・ジュニアと共にWWFに移籍。モントリオール時代と同様にベビーフェイスの兄弟タッグチームとして、ヒール時代のハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やジョニー・バリアント率いるドリーム・チーム(グレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキ)と抗争したが、1988年下期よりジミー・ハートをマネージャーに迎えてヒールターンを決行[2]。アメリカを小馬鹿にする嫌味なフレンチ・カナディアンのキャラクターを演じ、ブリティッシュ・ブルドッグス(ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)、ザ・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)、ザ・ブッシュワッカーズ(ブッチ・ミラー&ルーク・ウィリアムス)などのチームと抗争を繰り広げた[11]。1990年12月には、当時WWFと提携していたSWSに参戦、15年ぶりの来日を果たした[12]。
ルージョー・ブラザーズ解散後は現役を引退して、WWFのフランス語実況におけるカラー・コメンテーターを2002年まで担当[1]。選手としても時折リングに上がり、1999年から2003年にかけてはジャック・ジュニアが主催したモントリオールでの興行 "Lutte 2000" に継続出場した[13]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- インターナショナル・レスリング・アソシエーション(モントリオール)
- IWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座:1回[3]
- NWF世界ジュニアヘビー級王座:1回[4]
- インターナショナル・レスリング
- カナディアン・インターナショナル・タッグ王座:7回(w / パット・パターソン×2、ジャック・ルージョー・ジュニア×5)[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d “SLAM! Wrestling Canadian Hall of Fame: The Rougeau Family”. SLAM! Sports. 2016年4月30日閲覧。
- ^ a b “Fabulous Rougeau Brothers”. Online World of Wrestling. 2016年4月30日閲覧。
- ^ a b “IWA International Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ a b “NWF World Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “NJPW 1975 Toukon Series”. Puroresu.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by Raymond Rougeau in 1975”. Wrestlingdata.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “The GCW matches fought by Raymond Rougeau in 1977”. Wrestlingdata.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “The GCW matches fought by Raymond Rougeau in 1978”. Wrestlingdata.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “The GCW matches fought by Raymond Rougeau in 1979”. Wrestlingdata.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ a b c “International Tag Team Title [Québéc]”. Wrestling-Titles.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1989”. The History of WWE. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “The SWS matches fought by Raymond Rougeau in 1990”. Wrestlingdata.com. 2016年4月30日閲覧。
- ^ “Raymond Rougeau: Matches 1989-2003”. Cagematch.net. 2016年4月30日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- レイモンド・ルージョーのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database