カール・ファジー
カール・ファジー (カール・ファーギー) | |
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プロフィール | |
リングネーム |
カール・ファジー キング・カール・ファジー プリティ・ボーイ・ファジー |
身長 | 188cm[1][2] |
体重 | 115kg(全盛時)[1][2] |
誕生日 | 1953年4月25日(71歳)[2] |
出身地 |
アメリカ合衆国 オクラホマ州[1][2] |
デビュー | 1977年[3] |
引退 | 1989年[2] |
カール・ファジー(Carl Fergie、1953年4月25日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。オクラホマ州出身。より原音に近い表記は「カール・ファーギー」だが、本項では来日時の呼称など日本で定着している表記を使用する。
地元のオクラホマやテネシーなどのミッドサウス地区を主戦場に、キャリア前半はベビーフェイス、後にヒールのポジションで活動した[4]。テネシー州メンフィス出身のジェリー・ローラーとウェイン・ファリスは従兄弟にあたる[2][5]。
来歴
[編集]同郷のダニー・ホッジに憧れ[1]、地元オクラホマを拠点とするNWAのトライステート地区にて1977年にデビュー[3]。ベビーフェイスのジョブ・ボーイとして、同地区を皮切りにテキサスや中西部など各地を転戦し、1979年にはジョージア地区にて、アメリカ再修行時代の天龍源一郎やスタン・ハンセンとも対戦した[6]。
1980年3月、全日本プロレスの『第8回チャンピオン・カーニバル』に初来日。開幕戦ではジャンボ鶴田との公式戦が組まれるも敗退した[7]。この第8回大会では、テリー・ファンク、ディック・スレーター、テッド・デビアスの「テリー軍団」と、アブドーラ・ザ・ブッチャー、レイ・キャンディ、ミステリアス・アサシンの「ブッチャー軍団」との外国人同士の軍団抗争が焦点となったが、ファジーはどちらの陣営にも属することができず、注目されることのないまま全敗の戦績に終わった[8]。
帰国後、テネシー州メンフィスのCWAに参戦。ジェリー・ローラー、トミー・リッチ、ビル・ダンディー、ジミー・バリアント、リッキー・モートン、ロバート・ギブソンら人気選手と共闘し、ジプシー・ジョー、ポール・エラリング、ボビー・イートン、キラー・カール・クラップ、ビル・アーウィン、ソニー・キングなどと抗争したが[9]、後にヒールに転向。従兄弟のウェイン・ファリスに代わるラリー・レイザムのパートナーとなり、タッグチーム「ニュー・ブロンド・ボンバーズ」で活動した[4]。
1981年6月、国際プロレスの『ダイナマイト・シリーズ』に来日。同シリーズは外国人選手の参加キャンセルが相次いだため(当初はラリー・レイザムとのニュー・ブロンド・ボンバーズでの参戦予定だったが、レイザムはザ・ムーンドッグスの新メンバーとしてWWFに移籍したため来日中止となった)、結果としてエースのジプシー・ジョーに次ぐ外国人サイドの2番手を務めることとなり、最終戦6月25日の清水市大会では、CWAでも邂逅していたジョーとのコンビでマイティ井上&阿修羅・原のIWA世界タッグ王座に挑戦した[10]。国際プロレスの活動停止後の9月24日に『国際プロレスアワー』の特番枠で深夜に録画放送されたこの試合は、国際プロレスの最後のテレビ中継試合ともなった[11]。
1981年10月よりジム・クロケット・ジュニア主宰のMACWに参戦[12]。1982年1月にはオックス・ベーカーと組んでジェイ・ヤングブラッド&ジョニー・ウィーバーからNWAミッドアトランティック・タッグ王座を奪取したが、同月29日にヤングブラッド&ポークチョップ・キャッシュに奪還された[13]。同年6月からはベビーフェイスに戻ってCWAに再登場。ジェリー・ローラーやロン・バスと組んでミッドナイト・エクスプレスと抗争したが、ほどなくして再度のヒールターンを行い、"キング" カール・ファジー("King" Carl Fergie)と名乗って従兄弟のローラーと遺恨戦を展開した[14]。
1983年6月から8月にかけてはジョージア・チャンピオンシップ・レスリングの興行にも出場、アトランタのオムニ・コロシアムではノーマン・フレデリック・チャールズ3世と組み、若手時代のリック・ルード&アーン・アンダーソンと対戦した[15]。1984年からは地元トライステート地区の後継プロモーションだったビル・ワット主宰のMSWAに出場、1980年代中盤に一時セミリタイアしてレフェリーを務めていたこともある[5]。1987年より現役に復帰して古巣のCWAに参戦。9月7日にジェフ・ジャレットを破りNWAミッドアメリカ・ヘビー級王座を獲得したが、1週間後に奪回されている[16]。
1989年の引退後は、1994年12月にWCW、1997年5月にWWFのTVショーに出場。WCWではガーディアン・エンジェルとダスティン・ローデス、WWFではニュー・ブラックジャックス(ブラックジャック・ウインダム&ブラックジャック・ブラッドショー)のジョバーを務めた[17]。
獲得タイトル
[編集]- NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回[16]
脚注
[編集]- ^ a b c d 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P77(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c d e f “Carl Fergie”. Cagematch.net. 2016年8月12日閲覧。
- ^ a b “Carl Fergie”. Wrestlingdata.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ a b 『国際プロレス クロニクル 下巻』特典付録CD-ROM 国際プロレス全パンフレット / '81 ダイナマイト・シリーズ(2011年、クエスト)
- ^ a b “Carl Fergie”. Online World of Wrestling. 2016年8月12日閲覧。
- ^ “The GCW matches fought by Carl Fergie in 1979”. Wrestlingdata.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Carl Fergie in 1980”. Wrestlingdata.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ “AJPW 1980 The 8th Champion Carnival”. Puroresu.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Carl Fergie in 1980”. Wrestlingdata.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ “IWE 1981 Dynamite Series”. Puroresu.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ 『忘れじの国際プロレス』P99(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802)
- ^ “The WCW matches fought by Carl Fergie in 1981”. Wrestlingdata.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ a b “NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年3月11日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Carl Fergie in 1982”. Wrestlingdata.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ “The GCW matches fought by Carl Fergie in 1983”. Wrestlingdata.com. 2021年2月7日閲覧。
- ^ a b “NWA Mid-America Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年8月12日閲覧。
- ^ “Carl Fergie: Matches”. Cagematch.net. 2016年8月12日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- カール・ファジーのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database