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ジョニー・ウィーバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョニー・ウィーバー
プロフィール
リングネーム ジョニー・ウィーバー
ジョニー・エース
本名 ケネス・ユージン・ウィーバー
身長 185cm[1]
体重 106kg - 107kg[1]
誕生日 (1935-11-17) 1935年11月17日[1]
死亡日 (2008-02-15) 2008年2月15日(72歳没)[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州の旗 イリノイ州
セントクレア郡イーストセントルイス[1]
デビュー 1955年[2]
引退 1988年[2]
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ジョニー・ウィーバーJohnny Weaver、本名:Kenneth Eugene Weaver1935年11月17日 - 2008年2月15日)は、アメリカ合衆国プロレスラーイリノイ州イーストセントルイス出身[1]

日本では「ジョニー・ウーバー」とも表記される。"The Dean of Wrestling" の異名を持つ技巧派のベビーフェイスとして、NWAミッドアトランティック地区を主戦場に活動した[3]

来歴

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ストックカーのレーサーを経て、1955年にデビュー[1]。ジョニー・エース(Johnny Ace)と名乗って各地を転戦後、1960年代よりリングネームをジョニー・ウィーバー(Johnny Weaver)に定着させ、1961年から1962年にかけてはオハイオインディアナなどの中西部において、サニー・ウィーバーことサニー・マイヤースとのタッグチームで活動した[2][3]

その後、長年の主戦場となるノースカロライナミッドアトランティック地区に進出、1963年12月2日にカウボーイ・ボブ・エリスと組み、リップ・ホーク&スウェード・ハンセンからNWA南部タッグ王座を奪取[4]。以降はジョージ・ベッカーをパートナーに、ラリー・ハミルトン&パンピロ・フィルポミネソタ・レッキング・クルージン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)などのチームを破って同王座を再三獲得[4]。シングルでは1967年から1968年にかけて、ミズーリ・モーラーヒロ・マツダとNWA南部ヘビー級王座を争った[5]

1970年代前半はドリー・ファンク・ジュニアNWA世界ヘビー級王座に再三挑戦して引き分けており、1972年2月14日にはテキサス・デスマッチでも雌雄を決した[6]1974年8月には全日本プロレスに初来日、同時参加したファンク・ジュニアのパートナーとなって、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビとも対戦している[7]

主戦場のミッドアトランティック(ジム・クロケット・ジュニア主宰のMACW)ではジョニー・バレンタインブルート・バーナードイワン・コロフスーパー・デストロイヤーと抗争[8]。他地区での活躍も続け、フロリダ地区では1975年2月18日、ディック・スレーターと組んでドミニク・デヌーチ&トニー・パリシからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取[9]1976年10月14日にはテキサス州アマリロにて、MACWでタッグを組んでいたアート・ネルソンが正体のスーパー・デストロイヤーを破り、NWAインターナショナル・ヘビー級王座を獲得した[10]

1970年代後半よりMACWに定着し、1978年3月5日にバロン・フォン・ラシクからNWAミッドアトランティックTV王座を奪取[11]。以降もベテランのベビーフェイスとして、マスクド・スーパースターキム・ドクケン・パテラリック・フレアーグレッグ・バレンタインレイ・スティーブンスロディ・パイパーらと対戦。1981年は、上期にデューイ・ロバートソンと組んでミスター・フジ&天龍源一郎、11月27日にジェイ・ヤングブラッドと組んでニコライ・ボルコフ&クリス・マルコフを破り、NWAミッドアトランティック・タッグ王座を2回獲得[12]1983年11月24日に開催された『スターケード』の第1回大会では、スコット・マギーをパートナーにケビン・サリバン&マーク・ルーインと対戦した[13]

1986年のセミリタイア後はMACWのブッカーおよびコメンテーターとして活動[2]1987年11月には悪党マネージャーJ・J・ディロンやマツダを相手に試合にも出場したが[14]、翌1988年テッド・ターナーによるMACW買収に伴いプロレス界を離れた[2]

引退後はMACWの本拠地だったノースカロライナ州シャーロットにて、保安官代理を19年間務めていた[2]1995年5月20日には、ジム・コルネットが主宰していたスモーキー・マウンテン・レスリングのイベント "Carolina Memories" に、ミスター・レスリングエイブ・ジェイコブズネルソン・ロイヤルマグナムTAらと共にレジェンドとして出席した[15]

2008年2月15日、72歳で死去[2]

得意技

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獲得タイトル

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ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
  • NWAインターナショナル・ヘビー級王座(アマリロ版):1回[10]
イースタン・スポーツ・アソシエーション

脚注

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  1. ^ a b c d e f g Johnny Weaver”. Online World of Wrestling. 2016年11月6日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g Johnny Weaver dead at 72”. Slam Wrestling (February 15, 2008). 2020年10月30日閲覧。
  3. ^ a b Johnny Weaver Interview”. Mid-Atlantic Gateway. 2016年11月6日閲覧。
  4. ^ a b c NWA Southern Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2016年11月6日閲覧。
  5. ^ a b NWA Southern Heavyweight Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2016年11月6日閲覧。
  6. ^ Dory Funk Jr. vs. Johnny Weaver”. Wrestlingdata.com. 2016年11月6日閲覧。
  7. ^ The AJPW matches fought by Johnny Weaver in 1974”. Wrestlingdata.com. 2016年11月6日閲覧。
  8. ^ The WCW matches fought by Johnny Weaver in 1974”. Wrestlingdata.com. 2016年11月6日閲覧。
  9. ^ a b NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年11月6日閲覧。
  10. ^ a b NWA International Heavyweight Title [W. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2016年11月6日閲覧。
  11. ^ a b NWA Mid-Atlantic Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2020年10月30日閲覧。
  12. ^ a b NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年11月6日閲覧。
  13. ^ NWA Starrcade 1983 - "A Flare For The Gold"”. Cagematch.net. 2016年11月6日閲覧。
  14. ^ The WCW matches fought by Johnny Weaver in 1987”. Wrestlingdata.com. 2016年11月6日閲覧。
  15. ^ Regional Territories: SMW”. Kayfabe Memories. 2023年2月10日閲覧。
  16. ^ NWA Atlantic Coast Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年11月6日閲覧。
  17. ^ NWA Southern Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2016年11月6日閲覧。
  18. ^ North American Heavyweight Title [Maritimes]”. Wrestling-Titles.com. 2024年6月23日閲覧。

外部リンク

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