ジノ・ヘルナンデス
ジノ・ヘルナンデス | |
---|---|
1984年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
"ゴージャス" ジノ・ヘルナンデス チャールズ・ウルフ |
本名 | チャールズ・ユージン・ウルフ・ジュニア |
ニックネーム |
ハンサム・ハーフ・ブリード 閃光狼[1] |
身長 | 185cm[1] |
体重 | 103kg(全盛時) |
誕生日 | 1957年8月14日 |
死亡日 | 1986年2月2日(28歳没)[2] |
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州 ダラス郡ハイランド・パーク |
トレーナー | ホセ・ロザリオ |
デビュー | 1975年 |
"ゴージャス" ジノ・ヘルナンデス("Gorgeous" Gino Hernandez、本名:Charles Eugene Wolfe Jr.、1957年8月14日 - 1986年2月2日[2])は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州ハイランド・パーク出身。1972年に日本で死去したプロレスラー、ルイス・ヘルナンデスは継父にあたる[3][4]。
地元のテキサスを主戦場に、サンアントニオとダラスの2大プロモーションを股にかけて活躍。プロレス界でも屈指のハンサム・ガイでありながら、持ち前の向こうっ気の強さを活かし、不良系のヒールとして名を馳せた[5]。イタリア系とヒスパニック系のハーフであり、ハンサム・ハーフ・ブリード(The Handsome Half-Breed)の異名を持つ。そのキャラクターは、弟弟子ショーン・マイケルズのハートブレイク・キッドにも通底している[6]。
来歴
[編集]亡父ルイス・ヘルナンデスの従兄弟でもあるメキシコ系アメリカ人のスター、ホセ・ロザリオのトレーニングを受け、テキサスのサンアントニオ地区(後のSCW / サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング)にて1975年にデビュー。その後、ベビーフェイスの新鋭としてザ・シークが牛耳るデトロイト地区で修業を積み、1977年1月8日にはブルドッグ・ドン・ケントを破りNWA USヘビー級王座を獲得した[7]。同年はニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにも出場し、3月7日の定期戦においてジョニー・ロッズから勝利を収めている[8]。
1977年の下期よりテキサスに戻り、フリッツ・フォン・エリックが主宰するダラスのNWAビッグ・タイム・レスリング(後のWCCW / ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング)を主戦場とする。翌1978年3月、全日本プロレス『エキサイト・シリーズ』に初来日[9]。同シリーズ後半戦にはリック・フレアーが特別参加しており、後のキャラクター形成に大きな影響を受けることとなる[10]。
以降は "ゴージャス・ジノ" を名乗り、フレアー・タイプの色悪系ヒールに転向。ダラス地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAテキサス・ヘビー級王座を巡り、デビッド・フォン・エリックとの抗争を展開する[11]。師匠のロザリオとも遺恨試合を行い、メキシコ人ルードのエル・グラン・マルクスをパートナーに、エル・ハルコンやタイガー・コンウェイ・ジュニアと組んだロザリオとNWAアメリカン・タッグ王座を争った[12]。タッグ戦線ではジミー・スヌーカやブルーザー・ブロディのパートナーにも起用され、NWAテキサス・タッグ王座を計3回獲得している[13]。
ダラス地区には1980年まで定着して、9月28日にはハーリー・レイスのNWA世界ヘビー級王座にも挑戦[14]。1981年からは古巣サンアントニオのSCWに復帰。2月27日にはヒューストンでチャボ・ゲレロからNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を奪取している[15]。同年8月、全日本プロレスの『スーパー・アイドル・シリーズ』に再来日[16][17]。同シリーズではジプシー・ジョーの相棒となり、マスカラス兄弟(ミル・マスカラス&ドス・カラス)やリッキー・スティムボートらアイドル勢を相手にイキのいいラフファイトを披露、ヒールとしての持ち味を日本でも遺憾なく発揮して、次回の来日が期待された[18]。
1982年はジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにもゲスト出場しており、ブラッド・アームストロングやトム・プリチャードに勝利[19]。ロディ・パイパーのインタビュー・コーナーに出演した際には、女優ファラ・フォーセットのバースデイ・パーティーに招待されたことを鼻にかけ、彼女をモノにしたと嘯くなど色悪ぶりをアピール、ジョージア地区のトップ・ベビーフェイスとして女性ファンの支持を集めていたトミー・リッチを挑発した[20]。
本拠地のSCWでは、団体のプロモーターであるジョー・ブランチャードの息子タリー・ブランチャードとのタッグチーム、ダイナミック・デュオ(The Dynamic Duo)を結成[21]。1981年から1983年にかけて、ワフー・マクダニエル&テリー・ファンク、ブロディ&ディック・スレーター、ケン・ルーカス&リッキー・モートン、ザ・グラップラーズ(レン・デントン&トニー・アンソニー)などのチームを相手に、SCW認定のタッグ・タイトルを再三獲得した[22][23]。
1984年、ブランチャードのジム・クロケット・プロモーションズ移籍に伴い、チームを解散して再びダラスのWCCWに参戦。同年6月23日、手本としていたフレアーをトーナメントの決勝で下してテキサス・ヘビー級王座に返り咲く[11]。1985年からは "ジェントルマン" クリス・アダムスを新パートナーにダイナミック・デュオを再編。NWAアメリカン・タッグ王座を巡るフォン・エリック兄弟(ケビン&ケリー・フォン・エリック)との抗争劇は、WCCWのドル箱カードとなった[24]。
1986年、当時WCCWと提携を結んでいた新日本プロレスへの来日が決定。アダムスとのコンビで2月28日開幕のシリーズへの参加が発表されたが、来日を目前に控えた2月4日、ハイランド・パークの自宅で死亡しているところを発見される[24]。検死の結果、死亡日は2月2日[2]、死因はコカインの過剰摂取と判明した[25]。28歳没。あまりにも突然の死のため自殺説や他殺説も囁かれたが、いずれも推測の域を出ていない[1]。
得意技
[編集]獲得タイトル
[編集]- NWAデトロイト
- NWA USヘビー級王座(デトロイト版):1回[7]
- ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:3回
- NWAアメリカン・タッグ王座:5回(w / エル・グラン・マルクス×3、ゲーリー・ヤング、クリス・アダムス×2)[12]
- NWAテキサス・ブラスナックル王座:1回[26]
- NWAテキサス・ヘビー級王座:6回[11]
- NWAテキサス・タッグ王座:3回(w / ジミー・スヌーカ、ブルーザー・ブロディ、パク・ソン)[13]
- NWA世界6人タッグ王座:1回(w / クリス・アダムス&ジェイク・ロバーツ)[27]
- サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
- SCW世界タッグ王座:2回(w / タリー・ブランチャード)[22]
- SCWサウスウエスト・タッグ王座:5回(w / タリー・ブランチャード)[23]
脚注
[編集]- ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P273(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b c “Gino Hernandez”. Find a Grave.com. 2016年7月14日閲覧。
- ^ 日本プロレスの『新春チャンピオン・シリーズ』に参戦中の1972年2月1日、巡業先のホテルにて心臓発作を起こし死去。ジノはルイスの後妻の連れ子で直接の血縁関係はない。
- ^ “来日全外国人レスラー名鑑 ルイス・フェルナンデス”. 昭和プロレス研究室. 2021年12月22日閲覧。
- ^ 『プロレスアルバム16 THE HEEL』P56(1981年、恒文社)
- ^ ホセ・ロザリオは、もっとも優秀な教え子としてジノの名を挙げており、存命であればショーン・マイケルズ以上のレスラーになっていたとコメントしている。(『Gスピリッツ Vol.18』P27 / 2010年、辰巳出版、ISBN 4777808661)
- ^ a b “NWA United States Heavyweight Title [Detroit]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
- ^ “WWWF @ New York City – Madison Square Garden (1977/03/07)”. Cagematch.net. 2023年8月4日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Gino Hernández in 1978”. Wrestlingdata.com. 2014年11月16日閲覧。
- ^ “AJPW 1978 Excite Series”. Puroresu.com. 2023年8月4日閲覧。
- ^ a b c “NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
- ^ a b “NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月16日閲覧。
- ^ a b “NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
- ^ “NWA Big Time Wrestling: Event”. Cagematch.net. 2023年11月26日閲覧。
- ^ a b “NWA International Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月21日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Gino Hernández in 1981”. Wrestlingdata.com. 2014年11月16日閲覧。
- ^ “AJPW 1981 Super Idol Series”. Puroresu.com. 2023年8月4日閲覧。
- ^ 『プロレスアルバム55 スーパー・タッグ Now!』P24(1985年、恒文社)
- ^ “The GCW matches fought by Gino Hernández in 1982”. Wrestlingdata.com. 2014年11月16日閲覧。
- ^ “Remembering Gino Hernandez & Farrah Fawcett”. Kentucky Fried Wrestling.com. 2010年8月5日閲覧。
- ^ 入場テーマ曲にはクイーンの『We Are the Champions』を使用していた。
- ^ a b “SCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月16日閲覧。
- ^ a b “SCW Southwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年2月3日閲覧。
- ^ a b “Gino Hernandez”. Online World of Wrestling. 2014年11月16日閲覧。
- ^ Kristian Pope & Ray Whebbe (2nd Edition 2003). The Encyclopedia of Professional Wrestling: 100 Years of History, Headlines & Hitmakers. Krause Publications. ISBN 978-0873496254
- ^ “NWA Texas Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月16日閲覧。
- ^ “NWA World 6-Man Tag Team Title [World Class]”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月16日閲覧。