トム・プリチャード
トム・プリチャード | |
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プリチャード(左)&トミー・リッチ (1983年) | |
プロフィール | |
リングネーム |
ドクター・トム・プリチャード ジップ ドクター・X |
本名 | トーマス・プリチャード |
ニックネーム |
ドクター・オブ・デザイア ドクター・トム |
身長 | 183cm |
体重 | 100kg - 105kg |
誕生日 | 1959年8月18日(65歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 テキサス州 ハリス郡パサデナ |
トレーナー | ホセ・ロザリオ |
デビュー | 1979年 |
"ドクター" トム・プリチャード(Dr. Tom Prichard、本名:Thomas Prichard、1959年8月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テキサス州パサデナ出身。
元WWF世界タッグ王者[1]。近年はWWEのトレーナーとしての活動で知られる[2]。WWEのブッキング・コンサルタントを務めていたブラザー・ラブことブルース・プリチャードは彼の弟である[3]。
来歴
[編集]ホセ・ロザリオのコーチを受け、1979年にデビュー[4]。キャリア初期はカリフォルニア南部のNWAロサンゼルス地区にてベビーフェイスの新鋭として売り出され、1980年にアル・マドリルと組んでオックス・ベーカー&エンフォーサー・ルシアーノからアメリカス・タッグ王座を奪取[5]。同年8月8日にはオリンピック・オーディトリアムにて藤波辰巳のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦した[6]。翌1981年1月、新日本プロレスに初来日し、四日市にて藤波の同王座に再挑戦している[4][7]。
1983年から1985年の初頭にかけては太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウェスト地区で活動[8]。オレゴンでは1984年10月21日と22日、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した[9]。その後、テネシー州メンフィスのCWAを経て、1986年よりアラバマのガルフ・コースト地区に入り、以降1980年代全般に渡り同地区(コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング、コンチネンタル・レスリング・フェデレーション)に定着。初期はUSジュニアヘビー級王者[10]、後にNWAアラバマ・ヘビー級王者およびCWFヘビー級王者となって活躍した[11][12]。
1989年10月、新本プロレスへの8年ぶりの再来日を果たし、同年4月にデビューした獣神ライガーと対戦[13]。1990年代に入るとジェリー・ローラーとジェリー・ジャレットが主宰していたCWAの後継団体USWAを主戦場に活動。ヒールに転向して若手時代のスティーブ・オースチンらと共闘し、ジェフ・ジャレット、ロバート・フラー、ビル・ダンディー、ブライアン・クリストファーと抗争を展開した[14][15]。1991年9月には同じくUSWAで活動していたエディ・ギルバートと共に、旗揚げして間もないW★INGに来日している[16]。
1992年からはノックスビルのスモーキー・マウンテン・レスリング(SMW)に参戦し、団体のオーナーであるジム・コルネットをマネージャーに迎え、ファビュラス・ワンズやミッドナイト・エクスプレスのメンバーだったスタン・レーンとヘブンリー・ボディーズ(The Heavenly Bodies)なるタッグチームを結成[17]。ドクター・オブ・デザイア(Doctor of Desire)をニックネームに、ザ・ファンタスティックスやロックンロール・エクスプレスとタッグ王座を争った[18]。
1993年、当時SMWやUSWAとの業務提携を開始していたWWFに、ヘブンリー・ボディーズの新パートナーであるジミー・デル・レイとのコンビで登場[17]。8月30日のサマースラム1993ではリック&スコットのスタイナー・ブラザーズが保持していたWWF世界タッグ王座に挑戦した[19]。1994年3月20日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたレッスルマニアXでは、ダーク・マッチにおいてザ・ブッシュワッカーズ (ブッチ・ミラー&ルーク・ウィリアムス) から勝利を収めている[17]。同年5月にはデル・レイとのヘブンリー・ボディーズで全日本プロレスに来日、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ジャイアント・キマラ2号などのチームと対戦した[20]。
1994年下期よりヘブンリー・ボディーズとしてWWFに定着。11月23日のサバイバー・シリーズ1994では、テッド・デビアス率いるミリオンダラー・コーポレーションのキングコング・バンディ、タタンカ、バンバン・ビガロとのクインテットで、レックス・ルガー、メイブル、アダム・ボム、ビリー・ガン、バート・ガンのチームと対戦した[17]。1995年8月7日には古巣のUSWAにおいて、J・C・アイス&ウルフィー・DのPG-13からUSWA世界タッグ王座を奪取[21]。12月9日にはECWのPPV大会 "December to Dismember" にも出場した[22]。
SMWの活動停止後はデル・レイとのコンビを解消して、コルネットと共にWWFとフルタイム契約を結び、1996年にはスキップことクリス・キャンディードと女性マネージャーのサニーのザ・ボディードナーズ(The Bodydonnas)に加入[23]。スキップのタッグパートナーとしてジップ(Zip)を名乗り、3月31日のレッスルマニアXIIで行われた王座決定戦でヘンリー&フィニアスのザ・ゴッドウィンズを下してWWF世界タッグ王者となった[24]。
ボディドナーズ解散後はWWFのスタッフ(タレント・スカウト、ロード・エージェント、トレーナー)となって活動。トレーナーとしてはカート・アングルをはじめ数々のスター選手を指導している[25][26]。リングで試合をすることになったビンス・マクマホンやシェイン・マクマホンのトレーニング相手も務め、番組内のスキットにも登場した[1]。また、ダイジェスト番組のカラー・コメンテーターやWWE.comでの自身のコラム執筆なども手掛け[27]、多才ぶりを発揮。WWE.comでは、トーク・コーナー "Byte This" のホストも担当していた[28]。
2004年にWWEを解雇されてからは各地のインディー団体でトレーナーを務める一方、選手として試合にも出場。2005年5月13日にはリック・スタイナーを破り、インディー版のタイトルとして復活したNWAアラバマ・ヘビー級王座を獲得した[11]。
2007年、ファーム団体の選手を指導するデベロップメント・トレーナーとしてWWEと再契約[1]。ビル・デモットに代わるDSWのヘッド・トレーナーを経て、スティーブ・カーンが主宰するFCWのヘッド・トレーナーを2012年まで務めた[29]。また、WWEでの活動と並行してインディー団体のレスリング・スクールでもセミナーを開講し、後進の指導・育成に尽力している[30]。
獲得タイトル
[編集]- NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:3回(w / ブレット・ソイヤー×2、ジェリー・グレイ)[8]
- WWF世界タッグ王座:1回(w / スキップ)[24]
指導選手
[編集]- バル・ビーナス
- エッジ
- マーク・ヘンリー
- ブラッカス
- カート・アングル
- ジャイアント・シルバ
- ショーン・デバリ
- ロメオ・ロゼリー
- エゼキエル・ジャクソン
- ドルフ・ジグラー
- ヨシ・タツ
- ベラ・ツインズ
- ブライアン・ケイジ
脚注
[編集]- ^ a b c “Tom Prichard”. Online World of Wrestling. 2020年7月7日閲覧。
- ^ “Tom Prichard: Bio”. WWE.com. 2020年7月7日閲覧。
- ^ “Bruce Prichard”. Online World of Wrestling. 2010年2月8日閲覧。
- ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P54(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ a b “NWA Americas Tag Team Title”. Wrestlingdata.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “NWA Hollywood”. Cagematch.net. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “NJPW 1981 New Year Golden Series”. Puroresu.com. 2020年6月19日閲覧。
- ^ a b “NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1984”. Wrestling-Titles.com. 2024年5月13日閲覧。
- ^ a b “NWA United States Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
- ^ a b c “NWA Alabama Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
- ^ a b “Continental Wrestling Federation Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “The NJPW matches fought by Tom Prichard in 1989”. Wrestlingdata.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Tom Prichard in 1991”. Wrestlingdata.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “The USWA matches fought by Tom Prichard in 1992”. Wrestlingdata.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “The W★ING matches fought by Tom Prichard in 1991”. Wrestlingdata.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ a b c d “The Heavenly Bodies”. Online World of Wrestling. 2016年9月14日閲覧。
- ^ a b “SMW Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月20日閲覧。
- ^ “WWF SummerSlam 1993”. Cagematch.net. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Tom Prichard in 1994”. Wrestlingdata.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ a b “USWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “ECW December To Dismember”. Cagematch.net. 2022年9月12日閲覧。
- ^ “The BodyDonnas”. Online World of Wrestling. 2016年9月14日閲覧。
- ^ a b “History of the WWF World Tag Team Championship”. WWE.com. 2010年11月11日閲覧。
- ^ “Kurt Angle”. Online World of Wrestling. 2010年2月8日閲覧。
- ^ “Tom Prichard”. Wrestlingdata.com. 2020年7月7日閲覧。
- ^ “The Debut of Tom Prichard's Doctor's Note”. World Wrestling Insanity (October 12, 2005). 2010年2月8日閲覧。
- ^ “Tuesdays with Tom”. Club WWI. 2010年2月8日閲覧。
- ^ “DR. TOM PRICHARD SPEAKS ABOUT HIS FCW DEPARTURE”. Wrestling Figs (July 25, 2012). 2020年7月7日閲覧。
- ^ “Dr. Tom Prichard holding training clinic”. WWE.com. 2020年7月7日閲覧。
- ^ “USWA Southern Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月14日閲覧。
外部リンク
[編集]- Tom Prichard (@drtomprichard) - X(旧Twitter)
- WWE Superstars
- Online World of Wrestling
- トム・プリチャードのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database