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ジ・エンフォーサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジ・エンフォーサー
プロフィール
リングネーム ジ・エンフォーサー
エンフォーサー・ルシアーノ(エンフォーサー・ルチアーノ)
ギロチン・ゴードン
バスター・ギロチン・ゴードン
イーヴィル・アイ・ゴードン
イーヴィル・アイ・バレンタイン
ジミー・バレンタイン
P・J・ヒギンズ
本名 チャールズ・ウィアー
ニックネーム 強奪マフィア
侵略坊主
タイトル取立人
断頭魔
身長 194cm - 196cm
体重 125kg - 140kg
誕生日 (1935-01-14) 1935年1月14日(89歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州の旗 ミシガン州
ウェイン郡デトロイト
デビュー 1958年
テンプレートを表示

ジ・エンフォーサーThe Enforcer、本名:Charles Weir[1]1935年1月14日[2] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーミシガン州デトロイト出身。生年は1943年ともされる[3]

スキンヘッドに黒いソフト帽アイパッチを付けた、イタリア系マフィアギミックとするヒールとして活動した[3]

来歴

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日本におけるプロフィールでは「少年時代から不良グループのリーダーとして喧嘩に明け暮れ、その腕っ節の強さを活かして合法的に金を稼ぐべく、1958年プロレス入りした」などとされている[3]1964年にはヨーロッパリング禍を起こして対戦相手を死亡させ、欧州マットを追放されたという[3]

1960年代半ばからはジミー・バレンタインJimmy Valentine)などのリングネームを用い、カナダモントリオールアメリカ南部NWAジョージア地区など激戦区を転戦。1965年9月には北東部ニューイングランドにおけるヘビー級王者に認定された[4]

1967年下期より、"バスター" ギロチン・ゴードン"Buster" Guillotine Gordon)のリングネームでニューヨークWWWFに登場。クレージー・ルーク・グラハムバロン・シクルナと組み、ブルーノ・サンマルチノエドワード・カーペンティアヘイスタック・カルホーンスパイロス・アリオンなどベビーフェイスのスター選手と対戦した[5][6][7]

1972年は中南部のNWAトライステート地区に入り、ダニー・ホッジビル・ワットケン・マンテルスタン・フレイジャーイワン・プトスキーグリズリー・スミスらと対戦[8]。同年10月からはイーヴィル・アイ・ゴードンEvil Eye Gordon)と名乗ってNWAミッドアトランティック地区の前座試合に出場し、ジョニー・ウィーバールーク・ブラウンジム・ディロンネルソン・ロイヤルロニー・ガービンなどと対戦[9]1973年にはジョージア地区でアーニー・ラッドカウボーイ・ボブ・エリスとも対戦したが[10]、以降1974年から1979年にかけて、しばらくリングを離れていた[1]

1980年マフィアギミックエンフォーサー・ルシアーノEnforcer Luciano[注 1] に変身してミッドアトランティック地区に復帰[1]スキンヘッドソフト帽を被り、右眼には黒いアイパッチという殺し屋スタイルとなり、ブラックジャック・マリガンと「カウボーイ対マフィア」の抗争を展開、"Detroit Street Brawl Match" なるストリート・ファイト・デスマッチでも雌雄を決した[11][12]。ミッドアトランティックではマスクド・スーパースターレイ・スティーブンスグレッグ・バレンタインらヒール勢と共闘し、アンドレ・ザ・ジャイアントリック・フレアーとも対戦している[13]

この変身については、マット界から姿を消していた際、彼は実際にマフィア組織のエンフォーサー(取り立て屋)を仕事にしており、そのときのトラブルがもとで右眼を失明したとされている[14]

1980年下期からはロサンゼルスNWAハリウッド・レスリングを主戦場に、ミル・マスカラスドス・カラスマンド・ゲレロアル・マドリルフランク・ヒルトム・プリチャードらと対戦[15]オックス・ベーカーとも大型タッグチームを結成し、同地区認定のタッグ王座を再三獲得した[16][17]。ロサンゼルスでは、プロフェッサー・イトーこと上田馬之助が彼らのマネージャー役を務めていたこともある[18]

1981年1月、ジ・エンフォーサーThe Enforcer)の名義で新日本プロレスに初来日[19]。2月9日に秋田市立体育館坂口征二の北米ヘビー級王座に挑戦したが、5分22秒で敗れる[20]。同年7月には外国人エースとして国際プロレスの最終シリーズに参戦し、8月6日に北海道室蘭にてラッシャー木村IWA世界ヘビー級王座金網デスマッチで挑戦[21]。同王座への最後のチャレンジャーおよび木村の金網デスマッチにおける最後の対戦相手となった[22]。同シリーズには夫人のバニー・キャロルをマネージャーとして帯同しており、これが日本マットにおける初の女性マネージャーの登場とされている[14]

得意技

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獲得タイトル

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ビッグ・タイム・レスリング
  • ニューイングランド・ヘビー級王座:2回[4]
NWAハリウッド・レスリング

脚注

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注釈

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  1. ^ イタリア式の読みでは「ルチアーノ」。

出典

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  1. ^ a b c Enforcer Luciano”. Wrestlingdata.com. 2013年4月20日閲覧。
  2. ^ Buster Guillontine Gordon”. Online World of Wrestling. 2009年11月19日閲覧。
  3. ^ a b c d 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P54(2002年、日本スポーツ出版社
  4. ^ a b New England Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2024年12月23日閲覧。
  5. ^ WWE Yearly Results 1967”. The History of WWE. 2010年4月12日閲覧。
  6. ^ WWE Yearly Results 1968”. The History of WWE. 2010年4月12日閲覧。
  7. ^ WWE Yearly Results 1969”. The History of WWE. 2014年3月10日閲覧。
  8. ^ The Tri-State matches fought by Enforcer Luciano in 1972”. Wrestlingdata.com. 2022年2月24日閲覧。
  9. ^ The WCW matches fought by Enforcer Luciano in 1972”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  10. ^ The ASWA matches fought by Enforcer Luciano in 1973”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  11. ^ Blackjack Mulligan Match Results”. Mid-Atlantic Gateway. 2009年11月19日閲覧。
  12. ^ Blackjack Mulligan vs. Enforcer Luciano”. Wrestlingdata.com. 2014年3月10日閲覧。
  13. ^ The WCW matches fought by Enforcer Luciano in 1980”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
  14. ^ a b DVD『国際プロレス クロニクル 下巻』特典付録CD-ROM 国際プロレス全パンフレット / '81 ビッグ・サマー・シリーズ(2011年、クエスト)
  15. ^ The Los Angeles matches fought by Enforcer Luciano in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年3月10日閲覧。
  16. ^ a b NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月12日閲覧。
  17. ^ a b NWA World Tag Team Title [Los Angeles]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月12日閲覧。
  18. ^ 『別冊ゴング 1980年11月号』P132-134(1980年、日本スポーツ出版社)
  19. ^ NJPW 1981 New Year Golden Series”. Puroresu.com. 2020年6月19日閲覧。
  20. ^ NJPW New Year Golden Series 1981 - Tag 26”. Cagematch.net. 2015年11月7日閲覧。
  21. ^ IWE 1981 Big Summer Series”. Puroresu.com. 2015年11月7日閲覧。
  22. ^ 『忘れじの国際プロレス』P102(2014年、ベースボール・マガジン社ISBN 4583620802

外部リンク

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